プーケット街歩き2013(1)プーケットタウンはマレーシアに似ている

《プーケット散歩2013》  2013年9月9日-11日

 

 

タイに滞在して数か月。ある日中国人の知人が「プーケットで中国語が通じて驚いた」と話していたのを聞き、急に行ってみたくなった。何しろプーケットへ行ったのは1994年(http://www.chatabi.net/asiatabi/1135.html)と1995年(http://www.chatabi.net/asiatabi/1147.html)の2回。いずれも幼い息子たちを連れた家族旅行だった。18年ぶりのプーケット、どのような変化があるのだろうか、そして華人は居るのか、さてどうなることか。

 

9月9日(月)

1. プーケットまで

タクシーが捕まらない

今回はドムアン空港へ行く。前回同じ時間にスワナンプーンへ行った時は非常にスムーズだったので、今日も高をくくっていたが、それは大きな間違いだった。宿泊先から道路へ出て行ったが、タクシーは全く捕まらない。午前7時半、段々交通量が増えてくるが、タクシーは益々やってこない。他にタクシーを待つ人が出始め、これは本当に捕まらないのでは焦り始める。フライトは午前9時半、国内線だから間に合うはずだが、車がなければ空港へ行けない。仕方なく、5分以上歩いてスクンビット通りへ出る。この道はさすがに朝のラッシュが始まっており、車が多い。

 

空車は直ぐに見つかった。だが、運転手に「ドムアン」と告げると、首を横に振る。ここで乗れないと困るので、もう一度頼むと「うーん」となり、仕方ないかとなった。この運転手のリアクションが正しかったことは直ぐに分かった。スクンビットを抜けるだけでも大変なことになっていた。高速に乗ったが、完全な渋滞にはまった。動かない。これでは今来た道すら戻れない。どうする、いや、「着くときは着くもの」と思い、考えないことにした。

 

途中何度もダメかと思ったが、なぜか最後はスムーズに行き、フライトの40分前には空港に着いていた。驚いた。しかも前日Webチェックインしていたので、すぐに荷物検査を通ると、搭乗時間までにはまだ間があり、ネットを見る余裕すらある。信じる者は救われる、ということか。

ノックエアーに萌える?

搭乗ゲートにいる黄色い制服を着たノックエアーの女性職員はなぜか皆小柄で可愛らしい。日本人的な人が多い。ある人が「ノックエアーの黄色い制服を見ると萌える」と言っていたが、何となく分かる気がする(笑い)。これも一つのサービスの成果、ということか。空港内で搭乗者のみ無料でネットが繋げられるというのも、ノックの良いところ。エアアジアは持ち込み荷物の分量などにうるさいため、個人的には敬遠している。

 

機内はほぼ満員だったが、なぜか私の席は隣もその隣も来なかった。3席独占で悠々と過ごす。プーケットということで、リゾート客が多い。欧米人も結構いたが、中国語もかなり聞こえてきた。LCCでは通常食べ物も飲み物も出ないのだが、ノックでは小さなパンが一つと水が配られた。たったこれだけでも印象はかなり違う。

 

バスとモータサイを乗り継ぐ

定刻にプーケットの空港に到着。イメージより小さい。恐らくは18年前と大きく変わっていないようだ。預け荷物なしですぐに外へ出る。タクシーと書かれた場所へ行くとプーケットタウンまで何と650bもする。『バスはないのか』と聞くと『ない』と言われ、タクシーに乗るように勧められる。

 

なんだかおかしいと思い、3回同じことを聞くと、一人のおじさんが『あっちだ』と指をさす。残りの2人が舌打ちしたのが分かる。観光地プーケットのイメージは決して良くない。タイにはロットゥというミニバスがあるが、これはパトンなどのビーチにしか行かない。料金は180b。ではタウンに行くにはどうしたらよいのか?一番端のおじさんが手を挙げて呼ぶ。『プーケットタウン』と叫ぶと『うーん、近くまでは行くよ』という。

 

聞けばこのバスもパトンビーチ行きだが、途中タウン近くのロータスを通るという。取り敢えずこれに乗ることにした。だが出発は11時半、まだ30分以上もある。それでも急ぐ旅でもなし、気長に待つ。これだけ観光客が多いプーケットにおいて、交通網だけははっきり悪いと言わざるを得ない。

 

バスにはタイ人などが乗っていた。欧米人や中国人はタクシーか団体バスに乗って行ってしまう。結局半分以上が埋まった11時20分過ぎに、バスは出てしまった。飛行機の関係でこれ以上乗客がいないと判断したのだが、実は一人、荷物をバスにおいてどこかへ行っていた人がいた。慌てて車掌が止めて事なきを得た。

 

空港からの道は何だか昔と変わらないような田舎道だった。途中ジャングルのような林も通過した。これが中国だったら相当の変化が見込まれるが、この地は発展していないのだろうか。幹線道路沿いには商店がびっしり並ぶ。これは昔とは違う。途中ロータスが見えたが、まだ時間的に早いとスルー。そしてちょっとウトウトしていたら、車掌のおばさんが『ロータス』と声を掛けてくれた。ロータスが2つあるとは、やはり発展はしている。

 

バスを降りたが、どうしてよいか分からない。そこは本当に郊外の店だった。キョロキョロしていると、バイタクのおじさんが目に入る。市内まで70bと言われ、ちょっと高いかなと思ったが、それ以外に選択肢がないので乗り込む。この付近は他にもショッピングモールがあり、建設中のマンションもあり。

 

バイクは結構時間がかかった。やはりそれなりに遠かったのだ。オールドタウンに入ると、いろいろな建物が目に入る。時計台などもある。だが目的地であるホテルはどこにあるか分からない。バイクのおじさんも自分で探す気はないようで、『ここがプーケットロード』と言っては、何度も同じようなところを回っていた。仕方がないので『ここで停めろ』と言ってバイクを降りようとしたところ、今日の宿泊先、カサブランカが斜め前に見えてホッとした。

 

2. プーケット

予約ミスは笑って帳消し

ホテルへ入り、チェックインを告げる。ネットで予約したとだけ話した。実は先日ネットで予約した際、日にちを間違えて入力していた。ホテルの女性オーナーは笑いながら一言『問題ない。このまま泊まってよい』という。何ともおおらかな。日本だったら例え部屋がいていても絶対に追加料金を取られただろう。

 

このオーナー、ジョジは非常に流暢な英語を話す。そしてどことなくヨーロッパ系の面影も感じられる不思議な女性だった。『家族はバンコックに住んでいる。バンコックでいい日本レストランはどこか』などと聞いてくるので、『エンポリの葵はどうか』と言ってみると『オー、あそこのカレーうどんは確かにおいしい』と意気投合。

 

親切にもプーケットタウンの地図にお勧めのレストラン、観光スポットをどんどん書き込み、紹介してくれた。これはグッドなサービス。『イギリスに留学していた時にベストフレンドは日本人だった』と日本びいきの理由を話す彼女。何とも面白い。

 

ホテルはカサブランカという名前の通り、白を基調としている。部屋もそこそこ大きく、ゆったりした感じがある。ビーチリゾートとは違うが、リゾート感覚のホテルだった。スタッフも英語が出来、お客の80%以上は、ヨーロッパ人だとか。何で私がここへ迷い込んだのだろうか、これも必然のなせる業か。

 

韓国人が行く麵屋

ジョジに勧められて、ランチに出かける。ホッキンミー、福建麺のことだが、美味しい店があるという。そしてなぜか『韓国人客が多い』ともいう。なんだそれ。店はホテルからそう遠くはなかった。行ってみると確かに韓国語の看板が出ており、韓国語のメニューもあり、そして韓国人観光客が座っていた。この店は韓国系がやっているのかと思ったが、どうやら中国系らしい。ただ普通話で話し掛けても全く通じなかった。むしろ英語の方が通じた。

 

店の売り物は福建麺。これは太麺でラーメンに近い。スープはかなりあっさりしており、韓国人などは辛いソースでも掛けないと物足りないだろう。汁麺と汁なしがあるようだ。1杯、40bと庶民的な料金。というより、ここプーケットタウンは一部を除いて観光地ではない。ビーチとは違うのである。

華人博物館

そのまま午後はオールドタウンを歩くことにした。何しろここは歴史的景観の街。随所に映画のセットのようなヨーロッパ風であり、また亜細亜風の建物が見られる。ホテルのすぐ脇の道が、一応整備されており、観光街となっていた。時計台も見事に古い。

 

その観光街を歩いて行くと、普吉泰華博物館がある。ここはプーケット華人の歴史が展示されているということで、参観してみる。先ず博物館の建物が立派だ。1934年建造とか。1948年に博物館になったらしい。プーケットに最初の中国人が住み始めたのは1817年とある。そんなに遅いのか?その後ラーマ5世時代に移住が増えていった。福建人が大半を占め、広東、海南からの移住者もいたという。主に鉱山開発などに従事した。荒くれも者も多く、問題は常に起こっていた。

 

実はマレーシアのペナンとの縁が非常に深い。プーケットに来るとタイというより、マレーシアをイメージしてしまうのはそのような理由があるのかもしれない。建築物も、マレーシア風、というか、ポルトガルなどヨーロッパとの融合が感じられる。

 

街の外れにシノポルトギーズスタイルと言われる建物が残っている。今はレストランになっていたが、誰かのお屋敷だったのだろう。実に寛げる造りで好ましい。庭もとても広い。レストランに入るとクッキングスクールをやっているようだ。最近アジア料理のクッキングスクールが随所で見られる。単なる観光ではなく、その土地を知ろう、知らせようという試みか。面白い。その後どこにでもある天后廟、観音廟などを回る。本当に中西混合だ。

 

現在は雨期ということで、小雨が降り続いている。観光客も少ない時期だと分かる。夕飯を食べようと歩いて見たが、レストランはあまり多くない。仕方なく観光地化されたレトロなレストランで食べる。この店、元は薬屋さんか。聞けば隣で薬屋はまだ営業している。オーナーのおばさんは華人の顔をしていたが、普通話はしゃべれず、流暢な英語を話す。既に4代目、『私たちは華人と言っても単なるタイ人だよ』と。そう、普通の生活に中国語は不要だろう。

 

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