沖縄久高島へ行く2013(4)沖縄にもあった茶畑

中華ランチとスパムおにぎり

ホテルに送ってもらい、そこで荷物を受け取り、初日にお会いしたIさんと再会。一緒にランチへ行く。那覇には華僑、華人はどれくらいいるのだろうか。中華街はあるのだろうか。そんな思いもあり、中華レストランに連れて行って貰う。

 

中華マンと蒸し餃子のランチセット。とても美味しかったが、この味は日本料理。そう、沖縄でも本格的な中国料理、というよりは横浜中華街の中華料理が主流なのかもしれない。それは商売上そうなのだろう。今後中国人観光客が増えると何か変化があるだろうか。中国茶器が置かれていてお茶もあったが、ライチ紅茶や桂花烏龍、沖縄のハーブ茶など、女性には喜ばれそうだが、本格的にお茶を飲む感じはない。

 

そしてIさんとドライブに出た。ドライブというより、これから屋我地島という島に向かう。実は今回沖縄の人に『行く場所は久高島と屋我地島』というと、『かわってる。沖縄の人は普通行かない』と言われ、中には『屋我地島なんて知らない、どこにあるの』と言われて面喰ったりした。実は、いや勿論私も何も知らないのだ。ただIさんが『今晩は屋我地島に泊まったらどうですか』と言われ、それに従っただけだ。

 

那覇の街を出ると青い海が広がっている。道路に車の姿も少ない。これはいい。途中でドライブインに寄る。実は今晩の食事はここで調達するというのだ。何だか楽しくなってきた。Iさんが私のために選んでくれたのは、スパムおにぎり。スパムはランチョンミート。沖縄の人が大好きだとは聞いていたが、これほどデカいおにぎりになっているとは。

 

またおかずとして、かまぼこ、と言われたので本土の蒲鉾を想像したが、これも大きく違う。全てが揚げてある。これは東南アジア型の食事だ。この2つで十分すぎる量だった。すごい。

 

そしてぜんざい、食べますか、と聞かれ、はいというと、何とかき氷ぜんざい?が登場。かき氷の下に白玉が入っていた。食べている脇にはなぜか宝くじ売り場がある。とても新鮮なドライブインだった。


アロハホテルで極楽生活

車で那覇からおよそ1時間半、ようやく屋我地島に到着。この島は本島と橋でつながっており、島に来たという実感はない。因みにこの島を中継して古宇利島へつながる。古宇利島の方が有名であり、屋我地島には何もないように見える。実際島の中に何かがある感じはない。そして今日の宿泊先、アロハホテルが見えてきた。広大な敷地、本島の向かい側に位置しており、眺めは抜群。南国ムード漂うホテルである。しかしなぜアロハなのか、なぜこの島にあるのか、はっきり言って謎だらけだ。

 

IさんがここのオーナーOさんを紹介してくれる。そしてなんと彼女は那覇に帰ってしまった。そしてなんとなんと、お客さんは私しかいなかった。借り切り、というか、オーナーと二人きりというか。奇妙な状態に置かれる。

 

部屋に案内されると、そこはスイートルーム。長期滞在も可能でキッチンもある。リビングも広く、実に快適な風が海から吹き込んできた。いや、これは極楽だ。ここでダラダラ過ごそう、とっさにそう決めた。何もしない。トイレも広い。気分がいい。

 

ただネットが部屋では繋がりにくかった。習性でロビーに行ってネットした。でも直ぐ止めた。こんなところに来てまでネットするほどアホなことはない。Oさんが飲み物を持ってきてくれた。母屋の屋上に上がると、すごくいい風が来た。向こうでは夕日が傾き始める。そんな中で、色々な話をした。2時間ほど、沖縄の話やら、不動産の話やら、こちらの身の上話などしていたら、どんどん時間が過ぎた。

 

部屋でシャワーを浴びると快適だった。さっき買ったスパムおにぎりとかまぼこを食べた。すぐにお腹が一杯になった。夜空の星でも眺めようと思ったら、何と雨が降り出した。雨を眺めながら、Oさんとビールを飲んだ。ひんやりして美味かった。

 

Oさんは大のハワイ好きで、今でも1年のうち1₋2か月は行っているらしい。だからアロハホテルなんだ。那覇で不動産業をしたお金をこの地につぎ込み、ハワイのリゾートを再現しようとした。しかも手作りで。5年の歳月を要したそうだ。同じ沖縄と言っても、この辺りは那覇とは違う。地元の人の協力も得なければ何もできない。時間がかかったようだ。幸い地元の協力者が見付かり、今は2人でやっている。それでも広大な敷地、植物の管理だけでも大変だ。昨年は台風で大きな被害も出した。ホテルを辞めようか、と思うこともあるようだ。この辺、実に率直な会話になった。実に面白かった。気が付いたら11時を過ぎていた。

 

5月30日(木)

朝食

ゆっくり目覚めた。ベッドルームは東に面していたので朝日が眩しかった。それでも気持ちはすこぶる爽快。ベランダに出て朝の風を浴びる。目の前に海が広がる。すごい。このホテルは元々釣り宿として、内海で釣りを楽しむ人のためにあったところだそうだ。確かにホテルの海の方へ降りると、小舟に乗れる。これはこれで楽しいのだろう。

 

散歩に出た。島のどちらに歩いて行けばよいかも分からず歩き始めたが、何と急に雨が降ってくる。そうなると隠れるところもなく、ダッシュでホテルに戻る。ホテルは入口から登坂になっており、かなりきつい。朝から相当の運動をした。

 

朝ごはんはホテルが用意してくれた。アロハホテルのイメージとは異なる純和風。お粥、吸い物、卵焼き、これは実に繊細で嬉しい。そしてまた海を眺める。10時頃に那覇に用事で出るOさんの車に便乗して島を離れた。何とも夢のような一夜だった。

 

流求茶館

Oさんの車に便乗し、那覇へ。車中でまた1時間半、色々と語り合う。本当に初めて会った人という感じがしない。かなり深い個人的な会話が続く。これも日本では極めて珍しい。『初めて会ったとは思えないさー』と言われ、ちょっと嬉しい。那覇市内のローソンの前で車を下りる。ここがどこかは分からない。すると向こうからIさんがやってきた。オフィスが直ぐそこらしい。ここはどこかと見ると、何と県庁の裏だった。こんな一等地に。『祖父の家だった』というが、ロケーション抜群。

 

車でランチに。那覇の来る前にシンガポールの知り合いから『お茶なら流求茶館へ』と言われており、Iさんに連れて行って貰う。彼女も最近この茶館へ通っているという。この辺も茶縁だろうか。静かな場所にあるこの茶館、店内はカウンターもあり喫茶店の雰囲気でもあるが、テーブルの上に電気ポットが供えられていた。

 

ランチは魯肉飯セット。こちらでは台湾茶を扱っており、ご飯も台湾。台湾の魯肉飯は小ぶりの椀で食べることが多いが、こちらは牛丼風。お味は美味しい。何だか嬉しくなってしまった。沖縄は日本本土より台湾に近い部分もある。台湾に行きたいな、と言っていると、『明後日からお店主催の台湾ツアーがあり、Iさんも参加するんです』というではないか。何と羨ましい(後日聞いたところ、Iさんは急に行けなくなったと残念がっていた)。

 

台湾へ何度も行っているうちに台湾茶好きになり、それが高じてお店を出して既に8年。沖縄では珍しい茶館。実にホッとする空間がそこにある。自分で高山茶を入れて、ダラダラしている、沖縄の緩い空気が心地よい場所だった。YさんとMさんにはこれからもお店を続けて欲しい、と思った。

 

沖縄の茶畑

実は沖縄に来た時から、『沖縄にも茶畑があるはず』との思いから、何人かの人に聞いてみたが、確たる答えが得られなかった。Iさんによると『確かにあるはず』と言い、茶館でも相談してもらい、琉球紅茶という名前に行きつく。ここがアジアならいきなりその場所へ行ってみるのだが、日本ではそれは失礼に当たる。この辺が日本の難しい所。Iさんが電話で聞いてみた。帰ってきた答えは『当社では茶畑見学などは受け付けていない』というものだった。まあそんなものかもしれない。

 

だがIさんは諦めなかった。うろ覚えでもう一つ昔行ったことのある場所へ電話した。答えは『今社長は茶作りで忙しくて、茶摘みもやっているのでとても対応できない』というもの。Iさんはしょんぼりしていたが、こちらの目は輝いていた。『それだ、行こう』。応対など期待していない。先ずは茶畑があり、まさにそこで茶摘みをしているのであれば、それだけで見る価値がある。だがその場所は那覇から30㎞は離れており、空港からは更に離れている。今日これから東京へ戻る私に残された時間はギリギリだった。でも行った。

 

Iさんの運転で、うるま市石川というところへ行きつく。ここは普天間基地からも近いようで、ヘリが飛んでいた。なだらかな丘を登る。そこには茶畑があったが、どうも今一つ管理されていなかった。その先に目指す山城紅茶はあった。喫茶店舗があり、そこへ入る。そして驚愕の事実が。

 

何とその向こう側の茶畑では茶摘みが行われていた。32度の炎天下、おばさん達がせっせと手で茶葉を摘む。こんな光景が日本で見られるとは信じ難い。日本の茶葉はほぼ機械摘みと頭から思い込んでいた。それにしても5₋6人で摘んでいる。早々茶畑に入り込み、写真を撮る。そしておばさん達に聞く。

 

この茶葉で紅茶を作っているらしい。だが『私はコーヒーしか飲まないさー』などとケタケタ笑う。いつから作っているかも知らない。何でこんな辛い労働しているのか、『草むしりよりは楽サー』と。唖然。後で聞くと沖縄には本当に仕事がないこと、60歳を過ぎても何かしら仕事をすること、などの習慣から成り立っているらしい。

 

店舗で紅茶を頼んでみた。ちょっと苦い感じがした。紅茶作りは3代目の若社長が自らスリランカに修行に行き、最近始めたようだ。当日も地元の放送局の取材が入っており、社長はその対応に追われていた。若手経営者として注目を集めているようだ。

 

私はカウンターにいた女性に話を聞いた。先代の奥さんだった。この茶畑は戦後作られたもので、先代までは緑茶を作り、本土へ送っていたとか。ただ最近は緑茶の売れ行きが落ち、3代目は紅茶に切り替えたらしい。沖縄の独自ブランドを作るのは変化する必要があるということか。

 

本格的にはこれからだろうが、このような新しい試みは素晴らしい。手摘みの茶葉を使い、紅茶を作る、次回は社長にお話を聞いてみたい。今回はもう東京へ帰る時間となり、茶畑を後にした。

 

空港で沖縄を思う

何だか興奮状態のまま、空港へ向かう。結構時間がかかった。やはり遠かったんだな。空港近くの野球場、ここでプロ野球が行われるらしい。そういえば沖縄は野球が盛んなところ、高校野球は強かったな。

空港で下川裕治さんの『新書沖縄読本』を買った。これは今回知り合ったNさんの疑問がこの中にあり、私にその確認の役目が与えられたからだ。機内で読んでいると沖縄の複雑さ、多様性が分かり、実に興味深く読んだ。

沖縄ブーム、とは何だったのだろうか。本土の人々は沖縄に青い海を期待するが、『沖縄の人が海に入ることは稀』という事実はそのギャップの大きさを物語っている。領土問題は別として、沖縄は日本でもなく中国でもない。ポリネシアの要素も多く、アジアを歩いている私から見れば、まさにアジア人であると言える。

これからもご縁があれば、沖縄へ行き、本島のみならず、離島へも行き、その多様な文化、社会を見ていきたいと強く思った。さて、来年ご縁があるだろうか。

 




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