沖縄久高島へ行く2013(3)

5月28日(火)

お別れ

あっという間に最終日になってしまった。今日も朝日を眺めた。今回ヨーガに関しても得ることが多かったが、久高島という島に来ることが出来たことが一番の感謝である。この島の伝統的な仕切りを見ると、今の日本にかけている様々なことに思い当たる。『本当の公平とは』『土地とはだれのものなのか』『自然を破壊するとはどういうこと何のか』。

 

そして今回の合宿メンバー、ここでは紹介できないが、ユニークな人々が集い、楽しかった。日本各地から、そしてバンコックお茶会のメンバーも一人、緊急参戦していた。ヨーガというキーワードで集まる多彩なメンツ。これも素晴らしい。

 

行きと同様、荷物だけ車で運んでもらい、港まで歩いていく。この島のことをもっと知りたいという感情と、部外者が知る必要はない、むしろ失礼に当たるのではないか、という両方の考えが頭をもたげ、混乱する。いずれにしても私の旅から言えば、ご縁があればまた来る、ということだろう。

 

もう1泊滞在するA師夫妻などとはここでお別れした。帰りの船は快晴の中、それほど揺れることもなく、無事本島に着いた。

4.     沖縄本島

半日観光

港へ着くと、それぞれの行先へ別れた。本当のお別れだ。だがうち9名は一団となってチャーターした車に乗り込み、半日観光に繰り出す。さて、どんな所へ行くのだろうか。何と最初に行ったのはセーファー御嶽だった。我々の一部は初日に行っていたが、行っていない人もいたので、再度行くことになった。もう1か月も前に来たような感覚で坂を上った。鬱蒼とした林が懐かしい。先日は雨模様だったが、今日は晴れ。雰囲気はまるで違う。晴れやかな祝賀の雰囲気がある。どういうことだろうか。ここは何度来てもよい場所だ。

 

そして次に非常に景色のよい知念岬公園へ行った。海が一望で来て、風が気持ち良い。ちょうどお昼の時間になっていた。交流館から各自に竹の皮で包んだ弁当が渡されていた。中にはおにぎり2個、揚げ物と煮物が入っていた。これは本当に本当に、飛び切り美味かった。この風景でこのご飯が食べられる喜び、幸せだった。ハングライダーで気持ちよく大空を飛んでいる人がいた。日本人の思う沖縄って、こんな感じではなかろうか。私自身は高所恐怖症で、とても乗る気になれないが、好きな人にとっては堪らないだろう。

 

午後はガンガラーの谷へ。ここは鍾乳洞が崩壊してできた谷間に広がる森。専用ガイドについて歩くため、時間が決められていた。鍾乳洞がカフェになっておりそこに集合。それから歩いて森を散策。小川の横を歩いていく。木々が大きい。そしてまた鍾乳洞へ。暗いので灯りを持って入る。そこには最近発見された人骨を採取場跡があった。このすぐに近くには『港川人』と呼ばれ、約1万8000年前の旧石器時代に実際にこの地に生きていた人類(ホモ・サピエンス)が発見されている。この地形から見ると、人が住んでいてもおかしくはない。この人々が日本人の祖先なのだろうか。十分にその可能性はあるが、まだ解明されていないようだ。

 

糸数城というところにも寄った。ここは14世紀前半に作られた城の跡のようだ。石垣の一部が残り、不思議な曲線を描いて、城が形成されている。どうしてこんな形なのだろうか。勿論理由はあるだろうが、今やそれを知る由もない。まさに「夏草や兵どもが夢の跡」という雰囲気が漂っている。

 

女性陣のお目当ては海が一望できる絶景「カフェくるくま」。本当にいい眺め。ここでお茶を飲んでいると、その雰囲気で美味しく感じられる。花が咲き乱れる庭、いいなあ。のんびりした。

 

最後に知念城。先ほどの糸数より、かなり形が残っている。ノロ屋敷跡、なども掲示されており、18世紀頃の沖縄の城、が再現されている。そしてバンは各人の宿泊先を回り、お別れしていく。私はこの前のホテルSに戻る。運転手さんが一言「なぜここに泊まるのか」と聞いたのが気に掛かる。

 

5.     那覇2

Oさん

ホテルに到着するとチェックインだけして、荷物を持って横の居酒屋へ。そこには知り合いに紹介されていたOさんが待っていてくれた。Oさんは沖縄のラジオパーソナリティ。沖縄で起こっている幅広い事象について解説してくれた。「沖縄は自立すべき」という言葉が印象的だった。

 

またヨーガ合宿で一緒だったNさんのことも知っていた。何とNさんの奥さんの教え子なのだそうだ。世間は狭い、いや沖縄は狭いのか?そんなご縁で話が弾む。ただ彼は朝早い番組を持っていることから、夜は早めに引き上げる。

 

5月29日(水)

修学旅行生と朝食

 

翌朝はゆっくり起きる。合宿から解放されると突然ルーズになるのは悪い癖。そそくさと食堂へ降りていくと、何とそこには修学旅行にやってきた小学生の一団がいた。何だか自分も修学旅行に来たような気分で、食堂の端の席に着く。

 

先生がしっかり席に着いて一緒に食べているせいか、それとも元々おとなしいのか、私が子供の頃のあの騒がしい学校の旅行の様子はない。きちんと食べている子もいるが、ほとんど食べていない子がいたことも特徴だろうか。きっと普段朝ご飯を食べないのだろうな。

 

周囲には台湾人の家族が食事をしていた。彼らは不思議そうに小学生を眺めていた。台湾には修学旅行はないのだろうか。いや、あったとしても、こんなに整然と子供が食事をする風景は日本しかないのかもしれない。

 

 

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