10年ぶりにソウルへ行く(2)仁寺洞のお茶屋さん

8月26日(月)

歓迎中国の明洞  

翌朝は遅く起きた。モンゴルの疲れもあったかもしれない。取り敢えず明洞あたりへでも行ってみるかと地図を見てみると、このホテルのロケーションが更に抜群だと分かる。昨日乗った地下鉄1号線は幹線であるが、明洞へ行くには4号線に乗り換えなければならない。ところがこのホテルから歩いて5分の所に何と4号線の駅があった。4号線で3駅行くと明洞だった。昔は時々歩いたが、大体は誰かに連れて行って貰ったので、あまりよく憶えていない。適当に歩き出すと日本人観光客の姿が目立つ。

 

明洞もきれいになっていた。昔はごちゃごちゃしたところ、というイメージだったが午前中のせいか、すっきりして見える。そして観光地らしく日本語の表示も目立つが、それにもまして中国語が多い。4か国語併記の看板もたくさんある。いつの間に韓国はここまで表示を替えたのか。日本のインバウンド関係者は一度視察して、取り入れるべきだろう。

 

それにしても中国の買い物パワーはすごいようだ。銀聯カード使用は当たり前、化粧品店の前では若い女性店員が盛んに中国語で声を掛けている。日本人の影はここでも薄くなってきている。

 

明洞聖堂へ行ってみた。100年以上前に作られたこの教会、韓国にはキリスト教徒は多いと認識しているが、日本時代はどのような扱いになっていたのだろうか。何かの会合があるらしく、沢山の韓国人が上ってきたが、それは全て女性であった。婦人会なのか、それとも男性は仕事でこられないのだろうか。この辺も韓国っぽい感じだ。

 

そのまま北へ向かって歩いていく。昔仕事で通った韓国の銀行ビルがいくつも見えた。今では名前が変わった銀行も多い。これは日本と同じだが、アジア通貨危機時の韓国の衝撃は日本の比ではなかった。ほぼ国が破たんし、全てがひっくり返ってしまった。そこからの巻き返しは逞しい。荒波を乗り越えて今の韓国がある。だがその巻き返しは無理をも伴っている。今後がちょっと心配だ。

仁寺洞の金明湯

そのまま歩いていくと、中国ではお馴染みの味千ラーメンが店を出していた。その隣にはトンカツのサボテンが店を出している。日本の外食産業もかなり入ってきているようだが、この2つが隣同士というのは何となくイメージが合わない。繁盛しているのだろうか。


 

右側に公園が見えてきた。ここの塔は国宝だと聞いたので見に行ったが、完全に囲われていた。傷みが激しいのだろう。なかなか良い雰囲気の模様が描かれており、興味深い。公園には沢山の老人が木陰に腰を掛けていた。なんでこんなにいるのだろうかと思っていると、実に涼しい風が吹いてきた。モンゴルは涼しかったが、ソウルは比べれば暑い。その中で、この場所に座りたくなる気持ちは十分にわかる。

 

そこは仁寺洞の入り口だった。仁寺洞、10数年前、一度だけ行ったことがある。骨董屋街、何となく古い物を売っている店が多いという印象があった。そして韓定食の店が脇道にある。韓国の銀行の人に連れられて、そこへ行ったことがある。

 

だがここも観光地化していた。日本語と中国語が飛び交っていた。私は韓国のお茶についての情報を集めたかった。茶博物館と書かれた所へ行ってみたが、そこは博物館ではなく、茶葉を売る店、そして喫茶店となっていた。韓国茶の歴史など、一遍も出てこない。すぐに店を出てしまった。

 

ふらふらと歩く。すると1軒のお茶屋が目に入った。何となく入る。この辺はフィーリングだ。小さなその店、おばさんが『何を探していますか?』と日本語で聞いてきた。『ウメチャ、ゆずちゃ?』と言われたので、『茶の木の葉で作った韓国のお茶を見せてほしい』というと、おばさんの目が変わったようだ。

 

『英語は出来るか』とその後は全て英語の会話になった。日本語もかなりできたので、不思議だったが、確かに彼女の英語は完璧で日本語より上手かった。『韓国茶の何が知りたいの』というので歴史と答えると、彼女はノートに3つの地名を書いた。『済州島』、これは歴史が新しい。『宝城』、ここは日本時代に茶木を植えた場所。そして『河東』、ここが韓国茶の起源だ、という。地図がないのでどこにあるのか分からないが、取り敢えず頭に入れる。

 

そして出てきたお茶にビックリ。韓国緑茶、といいながら、それは緑茶を数年寝かしたプーアール茶のような茶だった。紅茶もある、ということで、同じ茶葉から作った紅茶を飲んだが、甘かった。200年以上の古樹の葉で作ったという。非常に特別な茶。智異山という山の中に自生しているらしい。そんなところがあるのだろうか。興味が湧く。

 

いつしか店に入って2時間が過ぎてしまった。途中欧米人と日本人のグループが入ってきて、茶を買っていった。店主である平安さんは『分かる人にしか良さは分からない』といいながら、商売の難しさを語っていた。

スユップとコーヒー

昼は某マスコミのYさんに食事に連れて行って貰った。市庁、ここも懐かしい場所だ。昔の定宿はこの近くのコリアナホテル、ちょっと経費に余裕があるとチョスンかプラザ、ロッテホテルに泊まったこともある。全てこの付近だった。市庁は日本時代のものが残っていたが、いつのまにかその後ろに馬鹿でかい建物が建っていた。周囲もすっきりときれいになっている。

 

市庁の裏へ行く。この辺も昔はごちゃごちゃしていたが、今は立派なオフィス街。ビルが立ち並ぶ。西新宿あたりを歩いている感覚である。入ったお店は豚肉の店。プサン料理屋で人気があるという。スープに豚肉を入れ、ご飯も入れて食べる。韓国は牛肉とのイメージが強いが、実は豚がよく食べられている。牛は豚の2倍の値段はするので経済的な理由もあるが、豚が旨いと言う理由もある。

 

食後にコーヒーを飲みに行った。この辺も日本的な対応だ。ソウルには今や急速にコーヒーチェーンが拡大している。大手が5₋6軒あるそうだ。そのうちの1軒に入ると、『ダッチアメリカーノ』という見たこともないコーヒーがある。アメリカーノなのに濃いコーヒーだった。

 

支払いは多くの人がカードで行っている。サインはなぜか機械に書き込む。これでサイン確認ができるのだろうか、とみていたが、確認している様子もない。どうやら形式的なサインだが、その後どこへ行ってもこの機械があるのには驚く。日本では未だにサインを確認せずにカードを返すところが多いが、これは効果があるのだろうか。

 

注文後、席に着く。いつ取りに行くのかと思っているとYさんが持ってきた機械が鳴る。ポケベルである。これで準備完了を知らせる。これは良い方法だ。これなら注文後、席を見つけて座っていればよい。因みにこのお店、イメージはスタバを意識して、ソファーやテーブルなど、様々な空間を用意。居心地の良さをうたっているようだ。

 

本屋と光化門

 

 

Yさんに教えられて、近くの本屋へ行く。この地下の巨大本屋も懐かしい。昔出張の合間によく行ったのだ。奥さんのリクエストで、K-popのCDを買いに行く、でも字が読めない。仕方なく誰かに頼んで読んでもらう。そんなことを繰り返した。今回ここに来たのは日本語の本がたくさんあると聞いたから。韓国の茶の歴史に近づく資料はないかと探したが、残念ながら見つからない。これは結構難題なのかもしれない。だんだん疲れてきたので外へ出る。

 

本屋のあるビルの前に像が見えた。英雄、イシュンシンの像だ。そこを北へ向かうと光化門が見える。更に行く景福宮。李氏朝鮮時代に建てられ、文禄慶長の役で焼失。その後朝鮮総督府庁舎なども置かれた場所。ソウルの中枢だったところだ。青空の下、暑さが堪えてくる。光化門の前に観光客が集まっていた。衛兵の交代が行われている。これには台北を思い出す。風が強い中、韓国らしい生真面目さで衛兵は交代した。さすがに疲れたので、地下鉄でホテルへ戻る。

 

ホテルの支配人カンさん

ホテルへ戻るとフロントにカンさんがいた。このホテルの支配人だ。今回連絡を取った南ソウル大学の安先生に宿泊先を告げたところ、『支配人は教え子だ』ということで、紹介を受けていた。こういう出会いは嬉しい。喫茶ルームでお茶を飲むながら話を聞いた。

カンさんは以前ソウル市内の免税店で部長をしていたが、働きながら安先生について日本語を勉強した。そして縁あってこのホテルに就職した。韓国は90年代終わりから激動を迎え、色々なことがあった。政治的にも常に何か起こっている。その中で一貫して日本人客を中心に受け入れてきている。現在はHISと提携し、お客の70%は日本人だという。

最近は中国人観光客が増えているが、彼らは部屋を汚すし、廊下で騒ぐなど評判がよくない。中国人は受け入れないホテルが実は多い。中国人団体は郊外の決まったホテルに泊められているとのこと。その方がトラブルは少ない。

カンさんは実に誠実な人。昔日本にもこんな雰囲気の人がいたな、と懐かしく思い出す。いや今の日本にもいるのかもしれないが、私が出会わないだけ。97年のアジア通貨危機後、実施的に経済が破たんした韓国では、大きな変動があった。その中で生き抜くためには努力も必要だし、根性も必要だったであろう。とにかく誠実に、そして言葉ではなく行動をとる姿勢、日本に必要なことだろう。

韓国から日本を見る

夜は北京時代にお会いし、その後も交流を続けている出版社のK社長と会った。Kさんは日本人だが、20年以上韓国をベースに活動しており、東京に会社がある。4か国語で本を出版する、というユニークな企画を実行したり、最近はスマホアプリなどで成功しているという。そろそろ完全に韓国に拠点を移すとのことで、韓国にも会社を立ち上げた。凄い。

カヤホテルを紹介してくれたのもKさん。この辺は便利が良い。近くの韓国食堂で夕食をご馳走になる。韓国と言えば日本と並んですぐに酒だが、2人とも飲まないので、もっぱら食べて話す。韓国の経済も心配だが、竹島問題も含めた日韓関係も困ったものだ。そして更には日本そのものが大きな問題。

外から日本を見るととても危うく見える。他国のことをとやかく言っている場合ではない筈だが、政府も政治家も、そして見えない力も、国民の注意を外へ向け、国内の矛盾から目を逸らさせている。これは危険な兆候だ。中国も日本も政府のやっていることはあまり変わらない。

食後、コーヒーショップでコーヒーを飲む。この雰囲気は日本と何ら変わらない。日本と韓国が何かで争うことなど、世界的に見えればとても小さなことだし、あまり意味のないこと。現在の若者は日本も韓国もほぼ同じ行動をとっており、コーヒーを飲みながらスマホをいじる、昔と異なり十分理解し合えるはずだ。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です