シェムリアップで考える2011(7)かものはしプロジェクト

マッサージ

市内で土産物を買っている内に、首がかなり重たく感じるようになる。昨日あたりから肩に張りが出ていたが、今日のボートトリップでの姿勢が悪かったのだろうか。いや、これまでの疲れが出たのだろうか。

サレンに頼んで、マッサージに連れて行ってもらう。本当は地元の人が行く所に行きたかったが、サレンが衛生面や言葉の面などを気にしてくれ、日本人もよく行くという場所に行って見た。

確かにそこはきれいで、部屋に入るとアロマの香りが心地よかった。日本語も通じるとのことだったが、ちょうど日本語の出来る人がおらず、英語でやり取りし、マッサージのおばさんに伝えられた。実際は言葉が通じなくても、肩の張りなどは揉めばすぐ分かる。丁寧に揉んでもらい、温めてもらう。

1時間でかなり良くなった。一時はかなり重症かとも思ったので、これは助かった。御代は30ドル。それでも万全の状態ではないので、早めにホテルで休むことに。だが、腹は減る。仕方がないので、前回も行ったベトナムフォーの店に行き、麺を食べ、早々に引き上げる。体を暖かすることが肝要だ。

12月22日(木)

7. かものはし  洗濯物

首の調子も一晩でかなり回復した。今朝は朝から洗濯物を出しに行く。1㎏、1ドルが基準の洗濯物やの存在は嬉しい。サレンのトゥクに乗り、出掛ける。ホテルの直ぐ近くにバスターミナルがある。ここからプノンペンなどへ行くらしい。周囲にはバスチケットを売る店が並び、トゥクに向かって、呼び掛けて来る。

サレンが調べていた洗濯屋は今日忙しいので洗濯しないという。あくまで副業。もう1軒は1つ50セントならやるという。1㎏、1ドルからすれば相当高い。断って市内へ。交通費を考えればどっちが高いのか分からないが、今は初志貫徹。

クローマーヤマト近くにはこの手の洗濯屋が山ほどあった。やはりバックパッカー御用達なのだろうか。今日中に出来るというのも嬉しい。この洗濯、ちゃんと畳んでくれるし、それなりにきちんとしている。だが、考えてみればこの料金で労働力はどうなっているのだろうか。いつまでこんな料金で洗濯してくれるのか、ベトナムにもあったが、だんだん無くなってしまうのだろうか。

かものはし

急いでホテルに戻る。9時に待ち合わせがある。かものはしプロジェクト、というNPOを訪問する。共同代表で現地駐在の青木さんが迎えに来てくれた。インターンの清水さん、昨日から仕事を始めたカンボジア人女性も同行。サレンのトゥクに4人も乗ったのは初めて。国道6号線沿いに進む。

トゥクの中で話を聞く。2002年、大学生だった青木さん他2人でこのプロジェクトに関わったこと。2008年に今の工房が出来たこと。2009年からシェムリアップに駐在したこと。「子供が売られない世界を作る」ため、寄付だけでなく、工房をビジネスとして軌道に乗せ、貧困家庭に一定の収入をもたらす仕組みを作りたい、警察官に児童買春を理解してもらう訓練を施す、など前向きな話が多く出る。

ホテルから30㎞ほど走った国道の脇に工房はあった。地域の役所の土地を一部借りている。前の建物では、地元の人々が何やら会議中。後ろにある工房の外では井草を選り分けている。井草を使った商品を製作している。

「自立」が一番重要、と青木さん。経済的にも精神的にも自立する必要がある。子供が売られないために、先ずは家庭の収入を増やす。工房の周囲15㎞の村々を回り、最貧困家庭より家族の一人を採用するシステムを作り、16人だったワーカーを90人まで増やした。今後は範囲を広げる必要があるが、なかなか難しい。

NPO自身の自立も重要。現在経費の半分は日本で集めている寄付金、事業はIT事業が中心で、この工房から上がる収入は僅かでしかない。それでも前年比べ収益は伸びており、今後に期待が繋がる。

チームリーダー

工房では各パートで数人ずつが作業を行なっている。チームリーダーが任命されており、彼女らが私に説明してくれた。皆、シャイではあるがしっかりした話しぶり。中には殆ど学校に行っていない人もいたが、現在はこの工房で開かれる勉強会に参加していると聞き、感心した。

工房は基本的に女性が働く場。近隣の人々で同世代であるから、何となく楽しそうに見える。ここで友達もできるらしい。楽しいかと聞くと「近所に工房があると職があり、嬉しい」という答えが多かった。農村にはやはり現金収入を得るすべがないのだろうか。

チームリーダーに成り立ての女性は「私はリーダーでなくてもよいから、他の作業を経験したい」と言う。リーダーは給料もよいはずだが、単調な作業に飽きる、または様々なことを経験したい、など色々な考えがあるのだろう。別のリーダーは一時母親が病気で出勤できずに家庭で内職のように仕事をしていたという。今は復帰し、もう一つ上のステータスを目指している。このようなキャリアプランがあるのもよい。

若い女性が殆どの中、お婆さんがいた。彼女の息子夫婦は不幸にも既に他界し、5歳の子供(孫)を一人で育てているという。目が悪くなり、ミシンが踏めず、別の作業をしていたが、それも困難になってきている。職員が「眼鏡を掛けたら」と勧めても、『村にメガネかけている人いない』と慣れないことには抵抗感がある。生活の為に働かなくてはならないが、孫のそばにもいてやりたい、『明日のコメがあればいい』という価値観に対して、このプロジェクトの難しさの一面を見た。

11時になると皆昼の休憩に入る。若い女性たちは化粧をし、ピアスをしておしゃれだ。農村にも消費社会が訪れている。携帯も皆持っているが、プリペイドのお金が入っていない子も多いらしい。携帯メール、電話の受信を楽しんでいる。





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