シェムリアップで考える2011(6)5つ星ホテルに泊まり、トンレサップ湖へ

豪華なホテル

そして市内に入った。今日の宿は、何と何と5つ星ホテル。どうなってるんだ?実は東京を出て来る前の日、事務所の忘年会でSさんから「シェムリアップ、行くんだったら、俺のホテル使っていいよ」と言われていた。

俺のホテル?Sさんは作家で様々な媒体に寄稿しているが、その内の一つが原稿料の代わりにホテルの部屋を提供している。なるほど、こんな仕組みもあったのか。そこで好奇心も手伝い、お言葉に甘えて泊めて頂く。

このホテルです、と現地で言われたが、どこにあるかもわからないし、どんなホテルかもわからない。住所通り、サレンに連れて行ってもらうと、何と郊外の立派なホテルだったという訳。お客は韓国と中国の団体さんが多いようで、ロビーには中国語、韓国語が飛び交っていた。その中をサンダル、短パンで入って行き、チェックインをお願いすると最初怪訝な顔をされたが、日本パスポートが効いたのか、非常に親切な対応であった。

部屋も広く、快適。シャワーを浴びて、暫し眠りに着く。夢の中で、自分が自分に聞いていた。伝統の村より、こっち方が良いだろう。と。何だか悪魔の囁きのようで怖い。勿論快適なのは快適だが、この時の私はこの部屋に満足することもなかった。心が満ち足りている限り、寝る場所はどこでもよく、食べる物も何でもよかった。

その夜は、街道沿いのホテルを出て、ガソリンスタンド横のレストランに入る。言葉が全く通じないが、何とかオーダーして食べる。夜風が爽やかだが、伝統の森の風は全てにおいて違っていたことを知る。

12月21日(水)

5. トンレサップ湖     トンレサップ湖へ行く

豪華なホテルで朝食を食べる。デニッシュあり、フォーあり、お粥あり。フルーツまでフルコース食べてしまった。体が欲していたのかどうか、その後体が重たい状況が続く。やはり自然に生きなければ、体も辛い。それでも人間、あれば食べてしまう。どうしたものだろうか。

9時にトンレサップ湖へ行く。前回行けなかった場所なので、ちょっと楽しみ。ただサレンの説明だと、どうなるのかイマイチ状況が掴めない。先ずは行って見るか。国道を南下、途中で右に折れ、村々を抜けていく。村では牛をたくさん買っていたが、何となく痩せている。これは農耕用なのだろうか。草が大量に積み上げられ、牛のえさになっていた。

1時間ほどでトンレサップ湖行きのボート乗り場に到着。17ドル支払いボートへ。10人ほど乗れる小型船に私一人。運転はまだ少年に見える若者。二人旅だ。最初は狭い溝沿いに、多くの船をかき分けて進む。乾季に入り、水位が下がっているらしい。少年は巧みに船をよけて行く。

少し行くと広くなる。川のようだ。この川を遡る感じ。警察が見え、学校も見える。するとその先は水上生活者の村。皆高床式。生活がボートから見える。交通手段も小舟。学校に行く小学生の女の子が自分でボートを漕いで行く。物を売る人もボートで家に近づく。全てが船で成り立っている。

サレンが小舟でジャングルへ行け、と言っていた。何のことか分からなかったが、ボートの運転手に伝えると、20分、5ドルと言われ、近くの家に案内される。お姐さんが小舟でやって来て乗れという。乗り込むと今度は向かいの家へ。そこで少女が乗り込む。そしてまた元へ。ドライバー交代、と言ってお姐さんは降りていく。少女は無言で漕ぎ始める。

自分の殻を破る

最初は村の中を漕いで行く。ボートの時より遥かに家々がまじかに見え、人々の表情も見える。洪水のときは大変だったと思うが、実に淡々とした生活を送っている。これが日常と言うものだ。

その内に湖上のジャングルに入り込む。これはなかなかスリリングであり、木々に覆われてヒンヤリした風が流れる。いくつものボートがこの中に入っており、すれ違う。我がボートの船頭少女、なかなかやる。かなり巧みな櫓を使う。小さい時から遊びながら学んだのだろう。

湖面にうねりがある。水が様々な変化する。やはり木があるということは変化をもたらすらしい。向こうからヨーロッパ人が乗ったボートがやって来た。何と船頭から櫓を受け取り自分で漕ごうとしている。これはかなり無茶だ。それでも声を掛けると「出来るさ、彼女にもできたんだから」と答えが返ってくる。

いま私たちは無理なことは極力しないことにしている。危険だから、そんなことを考えていれば、自分の殻は破れない。「出来るさ」と気軽にやってみることとこそ、次への進化ではないか。

蓮の葉が湖面に大量に浮かんでいる。そういえば、この葉を使ってロータスティが出来ないか、と言っていた人がいたが、確かに沢山ある。原料だけあっても出来るとは限らないが、チャレンジしてみるのもよい。

20分ほどのボートトリップは終わった。しかしこの間、結構考えることがあった。やはり伝統の村で過ごしてから、物を考えるようになった気がする。そして元来た道を戻り、サレンのトゥクで市内へ帰る。

6 . マッサージ    ランチ

市内に戻る途中、レストランを探してランチを取る。サレンも初めてという街道沿いのレストランはかなり立派で観光客が沢山来ていた。店員が足りないのか、皆忙しそうに働いている。私とサレンは観光客には見えないらしく、あまり良い対応はされない。

店には建物の中にテーブルがあるほか、木造の縦長の小屋で食事を取ることもできる。欧米人の子供達が喜んでハンモックで遊んでいるのを見て、そちらに向かう。寝ころんだのは良いが、食事はなかなか出てこない。ようやく出て来ても、それほど美味しくないし、何より高い。アンコールワット内の食事より高い。

何だか観光客からボッタクッている店のように見える。確かにきれいだし、英語も通じるのだが、それだけだ。すると一人の女性が猛然の抗議を始めた。相手はこの女のガイド、「どうしてこんな所に連れて来たのよ、時間がないのに食事が出てこない。お金ならあげるから、早くしてよ」。その彼女は間違いなく大陸中国人であった。

確かに彼女の言い分にも一理あるが、それにしても「金をやるから早くしろ」は、あまりに相手を見下げすぎだろう。そのガイド、終始俯いて聞いていて何だか気の毒になり、また自分がこの店に文句を言ったこともちょっと恥じた。だが、

   

彼女が物凄い剣幕で行ってしまうと、その辺のガイド仲間が一斉に苦笑いし、当の本人も舌を出して笑っていた。良くあることなのだろう。この辺はカンボジアの強かさかもしれない。





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