カンボジア旅2022(4)アンコールワットで何を思うか

9月26日(月)アンコールワットへ

朝は早く起きた。6時頃からプールで遊ぶ子供たちの声が聞こえたからだろうか。バルコニーで寝そべりながらコーヒーを飲んだ。それからちょっと書き物をして8時頃、朝食に行った。テラスは昨晩の雨で濡れており、食堂はそれほど広くなかった。一人旅はこういう時に座る場所に困る。

何とか2人席に座り、オムレツなどをオーダーしたら、突然後ろから激しく腰を打ち付けられて驚いた。隣のテーブルの大人数の一人が椅子を動かそうとして、誤ってしまったらしい。腰に衝撃があったので、ちょっと動かずにいたが、誰も謝りもしない。ただ見ているだけ。さすがにちょっと不愉快になり、スタッフに言って、朝食を部屋に運んでもらい、その場を立ち去った。さすがにまずいと思ったのか、朝食はすぐに運ばれてきた。

まあとにかくこのホテルにいるのはもう御免なので、朝食を食べると早めにチェックアウトした。宿の前にトゥクトゥクはいなかったので、Grabで呼ぶと簡単にやってきた。それは車というか、オートリキシャーのような乗り物で、意外と便利そうだった。取り敢えず、今日予約した宿へ向かってもらったが、運転手は英語が出来たので、交渉して宿経由でアンコールワットまで行ってもらうことにした。

まずは街中のホテルへ行く。古いが何となく雰囲気は良く、またスタッフの対応が良いのでここに決めた。まだ朝9時なのでチェックインはできず、荷物を預けて出掛ける。さあ、アンコールワットだと意気込んだところ、運転手が『チケット持っているのか?』と聞いてきた。そりゃ、チケット売場で買うよ、というと、『今売場は全然違うところに移転していて、そこへ行くなら+2米ドルだ』というので、驚いた。

検索すると確かに彼の言うとおりだったので、それに従った。そこは街からも少し離れ、またアンコールワットとも離れた場所だった。突然大きな建物が現れる。一瞬博物館かと思ったが、そこがチケット売場だった。中に入ると人はほとんどいない。窓口に行くと37米ドルで2日間使えると言われる。しかし持っていた100ドル札を差し出すと『これは古いから受取れない』と言われてしまう。3枚出してようやく1枚受け取ってもらえ、何とかチケットが買えた。なんだそりゃ。

そこから勇躍アンコールワットへ乗り込んだ。最初は片道でいいと言っていたが、彼が迎えに来るというので、3時間後に待ち合わせた。以前のチケット売場はチェックポイントなっており、入り口も実質なかった。ただ橋のところでチケットを見せるだけ。しかし聞いていたよりはるかに多くの人がここにいる。でもチケット見せているのは白人など僅か人だけ。何と今日はプチュンバンでカンボジア人無料開放日らしい。それで着飾った家族連れなどが多く訪れていた。

とにかく今回は静かにアンコールワットを回りたいと考えていた。中国人観光客不在で、それは容易なはずだったが、甘かった。仕方なく、人があまり通らない遠回りの道を選ぶ。すると草刈りをしている人々が目に入る。私が見るべきなのは、遺跡ではなく、こういう人々ではないのか、とふと思う。

実は私は11年前、ここへ来て『会社を辞める決断』をした。何があった訳でもないが、ふと『辞めても良いか』と思い至ったのだった。しかしそのピンときた場所はメインの遺跡ではなかったはずだ。いきなり脇道でコーラを飲みながら考え込むが思い出せない。仕方なく遺跡に入っていく。

遺跡の端を歩くということは、必然的に回廊を巡っていくことになる。ここにはかなりの壁画が残されており、そのほとんどは戦闘シーンである。如何に戦ったかを記録しているのはなぜなのか。一部首が落ちた仏像なども置かれており、宗教的な色彩も帯びている。メインの建物は上に登れるが、階段はかなり急激。いつもなら登らないが、なぜか足が向く。上からは遠くが見渡せる。

帰りがけに、観光客が必ず写真を撮るスポットにも行く。池に移る遺跡がメインだ。その付近では多くのカンボジア人が民族衣装で写真を撮っている。今やここもインスタ映えの世界である。いや昔も権力を誇示するためにはインスタ映えは必要だったのだろうと思わせる遺跡なのだ。

3時間弱歩き回るとさすがにきつく、最後はへたり込んで飲み物を飲んだ。迎えもちゃんと来ており、宿へ帰っていく。明日はベンメリアへ行きたいというと、運転手も連れて行くというので話が纏まる。今回は彼の運転でシェムリアップを回ろう。10年前はサレンのトゥクだったことを懐かしく思い出す。

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