バングラディシュ・スタディツアー2011(9)運動会は大成功

11月12日(土)  (11)  七日目

運動会

翌朝運動会当日、空は快晴だった。今日は学生達に緊張感がある。前日の練習ではどうもうまくいかなかった。一日でそれを修正するのはかなり大変なことだ。先ずは自分達で昨晩検討した内容を実行してみる。大縄跳びなどはやらないことにして、台風の目と二人三脚にかける。

台風の目は5人が横に並び、一本の棒を持って進む競技。小学生だけでこれを行うとなかなか進まないため、各グループに一人大学生が参加して、リードすることとした。また4列に並んで前へ習えをしている。これはうまく行った。子供達も安心して前へ進めた。初めは心配そうだった校長先生や他の先生達も楽しそうに見ていた。子供達は実に生き生きと躍動した。

次は難関の二人三脚。二列に並んだ小学生の足に布を巻く。これで大丈夫なのか。案の定、低学年の子達は自分で進めず、先生が両脇から抱えたり、二人で走って転んだりしていた。それでも泣いたり叫んだりする子はいない。皆ちょっと恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべ、楽しそうだ。そう、子供はこうあるべきだ。自分が子供の頃の照れ笑い、思い出した。

今の日本の小学校には運動会はあるが、危険は極力避けること、競争も避けること、が命題だと聞いたことがある。しかしそんなことでは、運動会をやる意味がない。新しいことに挑戦する、みんなで競い合うことこそ、重要だと思う。バングラの学校には運動会はないだろうが、既に生活その他で厳しい競争に晒されている。

最後にもう一度台風の目が始まる。皆気に入ったようだ。更には先生チームが登場し、会場は沸いた。校長先生も参加した。先生のこんな姿を見ることは日頃はないのであろう。いいことだ。皆で一緒に記念写真を撮り、お菓子を分けて閉幕した。お菓子を食べる時にごみを屑籠に捨てることを徹底していたのもよい。

お土産を買う

午後は少し休み、夕方お土産物屋さんを訪問。街の大通りのビルの中にあるこのお店、少数民族が手で作る服や小物、そして仏像などが置かれていた。このお店はドイツのNPOが支援しており、材料費などを負担し、手間賃を与えている。

面白いのはこのお店の売り子さんは、例の小学校の先生だったこと。午前は学校の先生、夕方からはNPO職員。これが今の学校の現実であり、先生という職業だけでは食べていけない。我が下宿先の先生も、実は家で子供たちを教える塾をやっている。

普通私はお土産を買わない。特に最近は荷物が多くなることもあり、また常に旅をしているせいもあり、買わない。だが今回何故か、目に付いた仏像があった。刺繍が施された小さな袋とピッタリで買ってしまった。これもご縁であろう。今後この仏像が何かの時に出て来るような気がする。ご加護あれ。

最後の夜

最後の夜がやって来た。食事は最後まで美味しく、豪華だった。海鮮がふんだんにあり、エビやイカなどが使われていた。またゆで卵をちょっとあげた卵が美味だった。野菜も新鮮で味付けも日本人に合っていた。ある意味ではここはバングラディシュではないのかもしれない。結局カレーの様なものは一度も食べずに終わる。


   

先生の家族も別れを惜しんでくれる。13歳のチュミは小遣いがあるのかどうか分からないが、大学生全員と私に個別に記念品をくれた。これには本当に参った。何だかとても温かい気持ちが籠っていた。これは他の家族も一緒で、記念品が大学生に渡されて、名残を惜しんでいた。私もTシャツを貰った。少し小さく体にぴったりだったが、そのフィット感が、バングラを忘れるな、と言っているようだった。

家族の記念写真を撮った。お爺さん、お婆さん、先生と奥さん、息子、先生の妹そしてチュミ。皆いい顔をして収まった。我々がいた一週間、彼らは実に不便な生活をしていたはずだ。部屋を明け渡し、トイレやシャワーも提供してくれた。日本の家庭ならとても受け入れられないというだろう。そこには何かが流れていた。そして夜は深まった。

(12)   八日目    帰国へ

午前3時半、起床。飛行機出発は午前10時20分だが、この地では何があるか分からない。朝早く出て、兎に角チッタゴン空港に到着しておくことが大切。ましてや私はバックパック救出という別のタスクもある。

皆流石に眠たそうだが仕方がない。勿論外は真っ暗だ。だが、バスが来ていなかった。不安が過る。バスが来なければ何ともならない。ラジョウも焦って携帯で電話している。勉強している学校のあるチッタゴンに戻るため、同乗するという先生の妹もちょっと不安そうだ。その時バスが闇の向こうから音を立ててやって来た。とうとうコックスバザールに分かれる時が来た。そしてあっと言う間にバスは我々を乗せて走り出した。

それからは1週間前に来た道をひたすら逆走したはずだ。だが殆どの者は寝ていただろう。外を見ても暗くて何も見えないのだから。7時前にはチッタゴンの街に入り、先生の妹は降りて行った。そして何の障害もなく、空港に着いた。外はすっかり明るくなり、日も差して来ていた。

空港内に入るとチェックインは始まっていなかった。だがS氏は目を輝かせて「カウンターにバンコック行きの表示がある」と喜ぶ。飛ばない場合は表示されないらしく、定刻出発が見えてきた。これは奇跡的な出来事らしい。

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