バングラディシュ・スタディツアー2011(8)難民キャンプに突入する

11月11日(金)  (10)  六日目
チョイバラ お寺

今日は朝からテクナフ方面へ遠足。朝食はもち米ご飯とココナッツのスイーツ。朝からちょっと甘かったか。

8時半にチャーターしたバスで出発。バスはラジョウ家の前まで入ってきており、相変わらずの混雑でメインロードへ出るのには苦労した。その後南下。今日はバングラディシュの一番南の街へ行く。

実に見事な水田が広がっていた。その間に村が点在し、そこにはバザールと書かれた野菜市場、魚市場が道の両側に店を出していた。殆どは露店だ。バスは中々進まない。1時間ほど行くと、チェックポイントと言う名前の警備ゲートがあり、軍が管理しているようだ。しかし警備兵がバスの車掌?に話し掛けると先生が「外国人だ」と叫ぶ。行け、というジェスチャーになる。ミャンマーならすべて身分証チェックだから、かなり軽い。

道の前方両側に山が見えてきた。右はバングラの山、左はミャンマーの山。とうとうミャンマー国境まで来た。何となく感慨深い。タチレイに行って以来5年ぶりの国境だ。郷愁も涌く。ミャンマーとの国境はこの山ではなく、川が間にある。

1時間半ほどで、チョイバラの村に到着。お寺のようだ。バスを降りるとお寺の門から参道に子供たちが列をつくり出迎えてくれた。皆恥ずかしそうに、控えめな表情だ。聞けば、今日は金曜日で学校は休み。我々が訪問するということで、その為だけに来てくれたようだ。

本堂で休む。黄金のブッタがここにもある。何となく落ち着く。ここの老僧は80歳を超えているが、元気。昔日本にも行ったことがあると言う。英語も話す。若者の写真撮影にも気軽に応じている。もう一つの堂にはミャンマー同様あのパチンコ屋を想起させるライトが点滅する。どうしてこれが必要なのか、未だに不明だが、ここがミャンマーと同系統だということはよく分かる。

難民キャンプ

実はお寺に行く前に、街道沿いに奇妙な集落を見た。Sさんに聞くと事もなげに『難民キャンプ』と答える。難民キャンプ?一体どこからどんな難民が来るのだろうか。川向こうの隣の国、ミャンマーは今何となく対外開放ムードが漂い、軍事政権であることも忘れられがち。だが、ミャンマーに居る少数民族は何らかの圧力を受けているようだ。このキャンプに来ている人々はミャンマーに住んでいたイスラム教徒述のベンガル人。昨年あたりからキャンプ人口は急増しているらしい。

ちょっと降りて遠くから見るつもりが、何だかキャンプに紛れ込んでしまう。コックスバザールの学校同様、子供達がワッーと大学生を取り囲み、交流が始まってしまう。正直貧しいキャンプ、家も掘立小屋のようで、中には簡単な調理器具が見えるだけ。食べる物も支給されているのか不安になるような場所。私だったら絶対に入って行けないな、という所に学生達はどんどん入って行き、言葉が通じなくても笑顔で進んでいく。

きっと普段は楽しいことも少ないのだろう。知らない人が来ただけで子供が喜び、子供が喜べば、大人も何となく笑顔になる。こんな連鎖、今の日本に必要な気がする。皆が厳しい顔をしていれば、子供達も不安になる。

数千人が暮らすというキャンプの一部を歩いて、街道に戻る。大勢の人が付いてきて、別れを惜しむ。こんな光景、これまで想像できなかった。若い力は恐れを知らない。この力に日本を委ねれば、何とかなるかもしれないのだが・・。

テクナフの市場

再びバスに乗り、国境の街テクナフへ。左側に川がはっきり見えて来てくる。ビューポイントでバスを降り、ミャンマーを撮影する。その先左側には港も見えたが、門は閉じられていた。

 

テクナフはそれほど大きい街には見えない。我々はバスを降り、ラジョウに従い、街中を通過し、マーケットへ。ちょうど昼時のせいか、人通りは少なく閑散としている。このマーケット、何でも売っている。服や雑貨から、携帯や電化製品まで。全て国境を越えて来た輸入品で、良く見ると漢字やタイ語が表示されている。この街からバングラディシュ中に商品が送られていくらしい。

 

 

 

 

リンゴを売っている店で聞くと、中国北部から来たものだという。一体どうやってくるのだろうか。雲南省までは中国国内をトラックで、ミャンマーに入って積み替えるのか。そして最後が船で渡って来るらしい。何日かかるのだろう。このリンゴの鮮度はどうなのだろうか。一度このルートでバングラから中国まで辿ってみたい。しかしS氏によると、アジアンハイウエーもミャンマーで切れており、個人がこのルートを取ることは難しいようだ。

 

川は国を隔てているが、あまりにも狭い。小さな船が沢山停泊し、いつでもミャンマーへ行くことが出来る。但し外国人は実質的に通行禁止らしく、簡単ではない。行けないと言われると行きたくなる、特にミャンマーは過去4回も行った土地だが最近ご無沙汰している。ミャンマー旅行が思い出される。

チョイバラ② 穏やかな村と街道の大喧嘩

テクナフを離れ、チョイバラの村に戻る。何とランチの用意がされており、頂く。魚の煮つけが美味い。ご飯にかけるふりかけの様なものがまた美味く、ご飯が進む。

食事が終わると皆思い思いに村を散策する。午後の日差しが心地よい。村は時間が止まったかのように静まり返り、人々もお昼寝しているに違いない。そんな中をミャンマーが見える川沿いに行って見る。防砂林がある土手、その向こうにミャンマーの山々が広がっている。本当に近い。

村の中には池があり、生活用水をここから汲んでいる。これは大変な作業だが、子供達も一生懸命運んでいた。豆を突いているおばさん、一体何が出来るのだろうか。一軒の大きな家に皆が集まる。高齢のお婆さんが嬉しそうに我々を迎える。ここでも学生達は言葉が通じなくても、心を通じさせようとしていた。道では子供達とシャボン玉で遊ぶ。ここでも皆が笑顔になる。

帰りの道は心地よく眠りに着いた。だがある街を通過した時、事件が起こった。相当人が集まっていた道沿いで、バスが前方を塞がれてしまう。どうするのかと思っていると、突然前のバスの運転手と通行人の一人が大声で口論を始める。どうやら動いたバスに体が触れたようなのだが、それにしては相当の勢いだ。

そして怒った通行人の若者はバスに向かった石の塊を投げた。ところがその石の塊は目標をそれて何と我々のバスを直撃。幸い大事にはならなかったものの、窓ガラスでも割れればけが人が出たかもしれない。バスの運転手は一瞬で立ち上がり、外へ飛び出していった。多くの群衆がいる中では身動きも出来ず、石を投げた若者を捕まえることもできず、戻ってきた。

もし若者と乱闘にでもなっていれば、我々の帰路も不安となっていた。最悪の事態は免れたが、こういう時は学生と一緒なので少し心配になる。学生達は何が起こったのかもわからず、ただただ事態を眺めるのみ。何と3時間ほどでコックスバザールに辿りつく。

夜は明日の運動会の打ち合わせ。今日の問題点を確認し合い、何とか自分達で異国の小学生をまとめ上げ、運動会を成功させようと夜遅くまで真剣な討議が続いた。果たして結果はどうなるのだろうか。

 

 

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