バングラディシュ・スタディツアー2011(5)日本の学生もなかなかやるね

(5)    三日目午後  帰りトラブル

それから豪華な昼ごはんが出た。特に鶏肉が美味しかった。村を走り回っていた地鶏であろう。その後は何となくダラリ。学生達は村中を歩き回り、その後ろをちょこちょこと子供達が着いて行く。村外れの田園風景はキレイだった。

彼らは村の学校に向かった。男子チームは校庭でサッカーを始める。皆暑い中、真剣にボールを蹴る。いいね。女性チームは隣のお寺の境内で、みんなで輪になって踊る。こっちも最初はちょっと恥ずかしそうだったが、直ぐに笑いがこぼれる。何だかとても懐かしい、昔の子供たちを思い出す。

校庭の向こうに校舎があった。そこを訪ねると、プレートが嵌っていた。何とこの校舎、日本政府の寄付だった。しかしその後のケアーがされている様子はない。これが日本の現状だ。やる時はやるがアフターケアーが無い。中国でも他のアジアでもよく聞く。考え方を変えないと支援は逆効果となる。

帰りも分乗して戻る。ところがオートの運転手が途中で燃料を入れにガソリンスタンドへ。そしてその料金を払えと主張し出した。言葉は通じない。ラジョウとの話がどうなっていたのか分からない。携帯もないから連絡も付かない。私は支払いを拒否した。

すると男子チームリーダーS君が『運転手は金が無いからどうにもならないでしょう』と言って、ポンと500タカを渡した。これで運転手もニコニコして走り出す。その後ラジョウには事情を説明したが、その金が戻ったのか、料金はどうなったのか、忘れてしまった。

しかし、中国などで我々がやって来た交渉はこのような場合、決して譲らない。譲れば相手のペースとなる。勿論運転手は悪い人ではないが、こちらを試している、そう見てしまう。しかし若い学生はそんなことに頓着はない。金で何でも解決するのはどうかと思うが、場合によっては見切る、ということも大切かも知れない。学生に教えられたような、ちょっと釈然となしないような、不思議な気分となる。

ネットと髪の毛工場

村から戻る。既に2日以上インターネットに接続しておらず、メールチェックもできていない。何とかしたいと思っているとSさんが『オフィスで出来るのでは』と誘ってくれる。どこのオフィスかよく分からなかったが、あるビルの2階に行くとPCが3台並んでいた。これなら繋がるだろうと期待する。

ところがこれが繋がらない。Sさんはちゃんと繋がる。何が違うのかと見てみると、SさんはWindows XP、私はWindows7という違いだ。私の方が新しいのに繋がらない。パスワードを入れる場所がどうしても見つからないのだ。これは面白い現象で、新しい方が先進的であり、社会も進歩しているという前提で作られる。ところがバングラでは未だにアナログなのである。昔のソフトはそれに対応できるが最新版は既に想定していないらしい。新疆でも一度経験した。これは意外と重要なヒントかもしれない。

仕方なく置いてあるPCを使うが、何とメールチェックするためのパスワードが合わない。こちらは私の記憶の問題か。本当にやむを得ず、仕事中のSさんのPCを借り、メールチェックすることに。恥ずかしい。

ラジョウがこのビルの1階を見学しないかという。なぜだろうと思いながら、中に入って驚いた。だだっ広いフロアーに数人の女性がいたが、彼女たちの前には大量の髪の毛が・・・。それも人の髪の毛だという。

ラジョウが説明する。『これはバングラ内で人から髪の毛を買い、ここで仕分けし、中国に輸出する。最終的には中国で加工され、日本へ輸出される』。一体何??それは何とかつらであった。これは日本との繋がりを示すものではあるが、何となく、微妙な雰囲気になる。かつらの髪の毛はバングラディシュ人の人毛。うーん。

11月9日(水)  (6)   四日目午前   学校①

とうとう今日は学校に生徒が登校してくるらしい。学生たちの主目的である『学校でのボランティア』が実行できる日が来たのだ。朝から何となく、皆ソワソワ、ウキウキ。

S君などは、学校で子供達と遊ぶシャボン玉を取り出し、試に吹いている。家の子供達がなんだなんだとやって来て歓声を上げる。こういうものは万国共通、子供は喜ぶものだ。そのシャボンは家の庭髙く舞い上がり、青空によく映えた。

学校へ向かう。今日もイスラム系の子供達が出迎えたが、適当に挨拶を交わし、学校の中へ入った。学校の子供達は我々日本人に似ていた。積極的に交わって来るイスラム系とは明らかに異なり、ハニカミながらこちらを見ていた。

校長先生が来た。校長室でお話を聞いた。学校は厳しい状況に直面していた。老朽化した校舎を修理する費用はなかった。教師への給与支払いすら苦労していた。18年前にボランティアで始まった学校は転換期に来ているように見えた。

実は今回一人の日本人女性が同行してきていた。Nさん、公務員であったが既に退職しており、縁あってこのプロジェクトに関わっていた。彼女は過去に優秀な生徒がダッカの大学に行く費用を援助したり、この学校ヘも多大な支援をしていた。『未来のある子供達へ支援したい』という熱意があり、この困難な旅も何回か経験していた。

今回も学校で使用するPCを購入し、重いにもかかわらず、携えて来ており、校長に寄贈した。『たまたまご縁があって』というが、一体何がそこまでNさんにさせるのか、気になる所だが、あまり詮索するのも、と思い、聞かずに過ごす。学生代表も使い古したサッカーボールを寄贈。それから各教室に分かれ、子供たちの中に入り、日本語を教えたり、折り紙を折ったり、様々な工夫をして交流を始めた。最初は戸惑う子供もいたが、徐々に慣れ、少しずつ笑顔が出て来る。

そして休み時間にシャボン玉が飛び交い、皆が笑顔になって来た。授業と言いうより交流会。子供達が学生を取り囲み、ワイワイ始まった。こんな時間が嬉しい。

(7)    四日目午後    銀行

学校は午前で終了。午後はSさんと市内の銀行へ行って見た。バングラディシュの銀行と言えば、例のマイクロファイナンスのグラミン銀行ばかりが有名であるが、普通の銀行はどうなのだろうか。とても興味があり、出掛ける。

市内にはいくつかの地場銀行があるようだったが、驚いたのはビルの1階に銀行が無かったこと。2軒行ったが2軒とも2階にあった。これはどうしてであろうか。強盗が多いのだろうか??

1軒目は古い国有銀行とのイメージで、店内は薄暗く、椅子も汚れていた。正直銀行というよりどこかの中堅企業のオフィスに来た感じだ。預金レートや両替レートを聞きたかったが、担当者がいないなどで、なかなか話が進まなかった。この銀行、日本で言えば数十年前の雰囲気か。銀行が床の間を背にお客に対している。資金不足のバングラでは、これが実態だろう。

2軒はすぐ近所になったが、1軒目とは全く異なっていた。明るい雰囲気、きれいなオフィス。最近出来たらしい。担当者は英語を話し、スムーズに応対していた。でも面白いのが、高の預金金利はこの新しい銀行の方が高いということ。新設銀行で信用が不足しているのだろう。やはり国有は強いのか。

タカの金利は年率で10%を超えているようだ。ただ外国人が口座を開設するのはかなり面倒に見えた。昔の中国を想起させる。金は欲しいが、変な金は困るということだろう。因みにどちらの銀行もお客は少なかった。ATMはあったのでそれを使っているのか、それとも銀行に預ける習慣が無いのか。

 

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