バングラディシュ・スタディツアー2011(1)預けた荷物紛失 乗るか降りるか

《バングラディシュ・スタディツアー》   2011年11月6日-13日

11月6日(日)
チッタンゴンまで   (1)  TG荷物紛失事件

ホーチミンから無事にバンコックの到着。まだ3時間もあると思い、ゆっくり活動する。ところが、バングラに向かうビーマン航空のトランスファーカウンターが見付からない。結局あの広いスワナンプーンを端から端まで歩いた感じ。そしてトランジットの安全検査を経て、ようやくカウンターに辿りつく。

周囲にカタール航空、トルコ航空、ケニヤ航空などが並ぶカウンター。中東、アフリカ方面を纏めているのかもしれない。私の前で西洋人の女性が一人手続きをしているだけで他には誰もいない。ところが、この一人の手続きに何と10分も費やしている。タイって、こんなに非効率なの?

ようやく私の番が来て、手続きするとやはり10分掛かる。PCに何かを打ち込んでは、トランシーバーでどこかへ連絡する。遊んでいるようにしか見えなかったのだが・・。それが後で問題となる。

ボーディングパスを貰い、安心する。空港内はネットフリーと聞いたので、充電できる場所を探し、繋ぐ。しかし・・・。繋がることはなかった。おまけに30分経って、充電していると思った電気が来ていなかった。踏んだり蹴ったり。結局ネットフリーゾーンにあるPCのネットケーブルを引き抜いてメールをチェック。その横で寝ながら携帯を充電していたにーちゃんにコンセントを分けてもらい、充電。昼飯を食い損ねる。

PGの搭乗時間は何故か出発時間の1時間前。早過ぎると思ったが、行って見ると乗客はそろっていた。そこには今回行動を共にする大学生13人も来ていた。引率者のS氏に挨拶し、話していると、先程カウンターでチェックインをしていた女性が近づいてきた。なぜかとても嫌な予感がした。彼女は私の預けた荷物番号を確認すると戻って行った。これは・・。

案の定、5分で彼女が戻ってきて「あなたの荷物の1つはTGより渡されませんでした」と淡々と告げる。「TGより何の情報もないので、文句があればTGのオフィスに言って欲しい」とも言う。但し出発時間は迫っている。S氏はバンコックの知り合いに確認を依頼してくれている。

またスタッフが来て、「搭乗時間です。乗りますか、荷物を探しますか」と聞く。そんな理不尽なことがあるのだろうか。ここはタイ航空の本拠地。BGが責任を持ってTGと話すべきだろう。しかしそうはなっていない。責任者の男性の所に行っても、埒が明かず、私とS氏以外の全ての搭乗が終わってしまった。「さあ、どうします?」と再度聞かれ、途方に暮れる。

「TGと交渉して、荷物をバンコックのTGオフィスに届けてくれ」と言い残して飛行機に乗るのが精いっぱい。バングラディシュ行きはこうして、行く前に躓いた。

(2)   BG機内で

機内はガラガラだった。3人掛けの深いグリーンのシートに一人で座る。S氏が「今日はなんてラッキーなんだ」と囁くのが聞こえた。このBGのバンコック→チッタゴン線が定刻に飛んだのは、彼の長い経験でも今回が2回目だと言う。遅れるのが当たり前路線だった。私の荷物事件にもかかわらず、十分すぎる余裕時間のせいで本当に定刻にテイクオフした。

機内には我々の一団、日本人が16人。後は西洋人の女性が一人で、残りはバングラ人。日本の大学生は実に積極的にバングラ人との交流を展開。機内は英語と笑い声、そしてカメラのフラッシュに包まれる。

私の横にも一人のバングラ人が「話してもいいか」と英語で言いながら座る。聞けば、チッタゴンの大学の准教授で、バンコックでの会議の帰りとか。このグループは10名。洪水でサファリパークが閉鎖されたなどと言っていたから、観光も入っていたのだろう。

彼によればバングラ経済は急速に成長しており、チッタゴンにも韓国、インド、中国などから投資が入ってきていると言う。その分、物価の上昇も激しく、一般庶民は大変だとも言う。どこの国も同じような状況だということ。

2時間の飛行時間で、1時間が過ぎて、ようやく食事が出た。ベトナム航空国内線のトラウマがあり、食事が出ないものと考えていたが、ありつけた。ベンガル風のチキンカレー。なかなかイケた。CAが持っていた紅茶のポットが古い真鍮であったのが目を惹いた。2時間のフライトはあっという間に過ぎた。私の懸念はチッタゴンの空港で、出て来る荷物が2つの内のどちらかという問題に絞られた。でもきっといい方向に向かう、と信じた。

(3)   入境と両替

チッタゴンの空港は思ったより遥かに立派だった。ちゃんとジャバラでターミナルへ到着。階段を降りるとイミグレがあった。外国人のカウンターは一つしかなく、そこに並ぶと、「台湾人がいるだろう」とイミグレから声が掛かり、彼は先に行く。西洋人の女性も呼ばれ、何か手続きを行っている。結局残ったのは日本人の団体。そして3つのカウンター全ての前に並ぶ。本当に数えるほどしか乗客はいない。しかしその手続きの遅さは20年前の中国を思い出させる。30分ぐらい掛かって半分チョットが出た所で、何と次の便が来て、急に速度が速くなる。ワークシェリング。

荷物は当然全て出ており、私のコロコロも出ていた。助かった。殆どの物がここに入っており、生活への支障が無くなった。因みに無くなったバックパックはパリに飛んだと言う。果たして取り戻せるのだろうか。

両替がターンテーブル脇にある。時間が掛かる、とのことで、私がはじめにトライ。日本円の1万円札を差し出してみると、おにーちゃんはどこかへ電話したが、直ぐに首を横に振る。ニーズがないようだ。仕方なく、40ドルほど両替した。

しかしそれから15人が次々と両替するのである。彼らも現金が足りなくなり、また端数の細かいお金が無くなり、一人ずつ少しずつ違う札、違うレートでの両替となる。何とものんびりした雰囲気。でもにーちゃんたちはとてもフレンドリー。

2.コックスバザールまで  (1)   空港を出ると

ようやく空港の外へ出た。その瞬間、実に多くの出迎えの人々が空港外で待っていた。と思ったが、それはただの見物人だった。学生達は意味が分からず、自分がスターになったような気分になる。

なかなか凄い迎えのバスが到着する。ところが学生たちは気分が高揚してしまい、ライフル銃を持つ警備のおじさんと記念写真を撮り始める。普通だとそっぽを向くだろう警備員が学生の要求に素直に応じるから不思議だ。やはり素直な学生の気持ちが通じるのだろうか。

何とかバスに乗り込む。しかしこのバスは年季が入っている。椅子はガタガタで座れない所もある。天井には扇風機が備えられ、エアコンなどはない。バスが進みだすと、周囲の見物人が手を振る。実に不思議な光景だが、確か中国でも20年以上前にはあったような気がする。

空港を出ると直ぐに港が見えた。バングラディシュ第2の都市、チッタゴンは港町。中心はここだろうか。遥か向こうに『Kafco』の看板が見えた。このバングラディシュ最大の国営肥料会社には、確か銀行員時代に融資したことがある。あれは15年以上前ではないだろうか。こんな所でこの名前に出会えるとは、驚きと感激。

 

 

 

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