西の果てカシュガルへ行く2012(7)ウルムチ 危機一髪の脱出、楼蘭美女と対面

空港大混乱

午後みなと共に空港に向かう。例のカシュガル老城も雪に埋もれていた。空港までの道に問題はなく、3時過ぎには空港に到着。先生たちのフライトは午後4時過ぎと言われ、私のフライトはと、掲示板を探すが見付からない。どうしたんだろう、と見ていると、何と何と「キャンセル」とあるではないか。

さあー、困った。空港は大勢の人で大混雑。先生達はチェックインの列に並んだが、一向に進まない。J教授がカウンターで確認したところ、確かに私のフライトはキャンセルであるが、一緒にチェックインすれば一人ぐらい何とかなるだろうといういい加減な答えを得る。通常ならそれも中国だろうが、皆が乗りた混乱状態でチケットを持たない人間が乗れるのだろうか。仕方がないのでみなと並ぶ。

運命のチェックイン、ところが実にあっさりと私のボーディングパスも出て来てしまった。何の交渉もなかった。狐につつままれる、とはこのような状態だろうか。後で分かったことだが、私の予約は海南航空、皆さんの予約は大新華航空、一見関係ないようだが、何と大新華は海南の子会社だった。親会社のお客だからグループとして入れてくれようだ。それにしても、あの混雑の中、チケットが取れたのは、私が外国人だったからだろうか。

フライトは4時過ぎと聞いていたが、当然のように4時になっても動きはなかった。まだ一機も離陸していない。雪に慣れていないカシュガル空港、相当神経を使って整備しているのだろう。4時半ぐらいから飛行機が飛び始め、我々のフライトは午後6時に飛び立った。私の元のフライトは午後7時だったから、少し早くなってしまった。喜ばしい。

ウルムチでは、予定外だが、みなと同じホテルの宿泊。ただ空港到着後、ホテルには行かずにJ教授宅へ直行。そこにはJ教授夫人とS教授夫人が料理を作って待っていてくれた。これは恩師であるA教授への最大限の配慮である。この師弟関係もすごい。

4.ウルムチ   2月16日(木)

(1)   ウルムチ2日目   ローラン美女と対面

翌朝、北京経由で帰国するN教授を見送る。私は予定外のウルムチとなり、特にすることもないので、ウルムチ観光が初めてのA教授と行動を共にする。J教授はウルムチに戻ると大学の仕事が忙しい。代わって教え子の大学院生がガイド役を務める。実はA教授は日本時代のJ教授の指導教官。中国の大学の子弟関係は日本とは比べ物にならず、何をおいてもA教授への感謝と尊敬は重要である。教え子の彼女から見るとA教授は先生の先生だから、非常に緊張していた。

先ずはウルムチ博物館へ。私は昨年の夏に一度来ているが、是非もう一度行きたいと思っていた。何故なら有名なミイラ、楼蘭美女は昨年「出張中」で会うことが出来なかったから。夏と違って、博物館は空いていた。確かに現在のウルムチは零下15度、観光客はいない。

2階に美女は横たわっていた。1980年ロプノールで発見され、世紀のミイラと騒がれた。ちょうどNHKのシルクロード公開の前後で、余計話題となり、多くの人が古代のロマンに浸った。身長152㎝、血液型O型だそうだ。推定15歳。どんな人生を送った人なのだろうか。髪の毛もあるように見え、体にはセーターのような服をまとっている。3800年前の状態がほぼ残されているようで、信じがたい思いだ。今はケースの中で安らかな眠りに着いているようだが、さっと起き上がっても違和感はない。うーん、不思議だ。

ウルムチ街歩き

博物館見学を終え、バス停に向かった。その途中に、きれいなショッピングモールを抜けた。ここはウルムチとも思えないほど、高級ブティックが並び、ブランド品が溢れる。その横には有名外資系ホテルも開業しており、いよいよウルムチも、普通の街になって来ている。

バスは専用レーンがあり、バス停もキチンと区分けされていた。半年前は工事中だっただけに、そのスピードが今の中国を象徴している。大バザール近くまで乗ったが、漢族もウイグル族も普通に乗っている。今やウルムチは民族混在の都市となっている。この辺はカシュガルとは大いに異なっている。

ホテル付近に戻る。ガイドさんは携帯を見て慌てている。そこへJ教授が登場した。我々には絶妙の連携に見えたのだが、実は彼女が教授からの電話を見落とし、連絡が付かない教授は慌ててホテルにやって来たという訳。この時の彼女の慌てぶり、恐縮ぶりが中国の子弟関係を表していた。

ホテル裏のラグメン屋で昼飯。カシュガルと異なり、時間の流れも速く、レストランも混んでいる。何とか席を確保して、麺を待つ。相変わらずラグメンはどこでも美味い。そしてカバブーも登場し、満足。もっとゆったり出来ればというのは贅沢だ。

午後はホテル裏を散策。この付近はウイグル族が多く住む場所で、興味深い。漢族は零下15度でも帽子を被らないが、ウイグル族の男性は必ず被っている。ただカシュガルほど、格好良い帽子は売っていない。これは何故であろうか。

ナンを売る店では、小さい羊肉まんを焼いている。このカリカン感と中から飛び出るジューシーな汁が堪らない。熱くてやけど寸前だが、果敢に挑戦。マレーシア資本のファーストフード店もある。ここではしっかりとハラールが行われ、安心して食べられるという。そうか、イスラム教国マレーシアを活用した中東ビジネスの余波がこんな所にも来ているのか。

馬肉ソーセージを売る店があった。あまりの大きさに圧倒される。美味しいのだろうか、興味津々ながら、その形状と大きさから、流石にパスする。J教授の出身地、アクスの特産品だとも聞いた。日本では馬刺しを食べるが、こんな大きな馬肉とは。

おしゃれな喫茶店に入る。コーヒーが1杯、40元ぐらいする。夜はレストランのようだ。彼女はパフェのような物に挑戦。我々はコーヒー。だが、注文してもいつまで経っても出て来ない。ちょうど休み時間なのだろうか、3回催促してようやくコーヒー1杯。何回も言うが、サービスの概念はまるでない。折角の雰囲気が台無しだ。

2月17日(金)  (6)   ウルムチ3日目

今朝は寝坊した。外は白いが雪は降っていない。泊まっているホテルはトマリス。ロシア風の建物で、由緒正しそう。昨年夏にウルムチに来た時、このホテルでウイグルショーを見て、皆で踊ったのが懐かしい。今は冬、宿泊客も少ない。

北京時間9時半から朝食のビュッフェがある。ロビー脇の食堂は薄暗く、何となく寂しい。特に美味しい物はないが、一通り揃っており、食後に紅茶を飲むと何となく、ロシアに居るような気分になる。

午後一のフライトでシンセンに向かう。ホテルにはJ教授の弟子がやって来て、タクシーの手配などしてくれる。ところがホテルのボーイはタクシーを手配しようとしない。別に空車はいくらでもあるのでよいのだが、彼女は困っていた。私は道に出て軽く手を上げ、タクシーを止める。

運転手はやはり河南省から来たと言い、近道を知っているからと空港道路を外れる。脇道を何本か通ると空港へ行く道に出た。確かに近かったようだ。彼はウルムチに来て何年にもなるようだ。河南省は中国一人口の多い省。1億人を超える。漢族の流入、と一言では言えない何かがある。

空港では混乱もなく、遅れもない。今回初めて穏やかなフライトとなった。




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