西の果てカシュガルへ行く2012(5)カシュガル 幻の経済特区構想

上島珈琲

夜は連日大宴会なので、今日は軽くすると言われてホッとした。近所の綺麗なレストランで出されたのは、胡椒の効いたスープの中にパスタのような千切れた麺が入っている。胃に易しいし、寒さの中で暖かさが伝わる。

ホテルへ戻ろうとするとN教授が「ちょっと物足りない。ビールが飲みたい」という。確かホテルの横に上島珈琲があったのを思い出し、そこへ入る。上島珈琲、元は日本のUCCであるが、UCCが台湾へ行き、合弁を設立。その後その台湾UCC、上島が中国へ上陸した。今や全中国を網羅するほどの店舗網があり、その勢いは凄い。この中国の果て、カシュガルにまで進出していた。

日本と決定的に違うのは、ここは単なる喫茶店ではなく、ちょっと優雅な会合の場所。そして当然のように酒も提供される。だからN教授にニーズにも、コーヒーを飲みたい我々の要請にも応えてくれる。日本初、台湾で形態を変え、中国で成功した典型例かもしれない。

店内はかなり賑わっている。コーヒー1杯、50元前後だから、スターバックスのラテが30数元と比べても中国的に言えばかなり高い。周囲の客は高そうなワインなどを飲んでおり、コーヒーだけ飲んでいる客は見掛けない。夜は飲み屋なのだろう。

ウエートレスが注文を聞きに来た。彼女、カシュガルの大学に勉強に来た学生アルバイト。だが、そのきびきびとした受け答えはここカシュガルでは極めて新鮮であった。恐らくマニュアルがあり、それを叩きこまれている。これは日本式サービスだろうか。兎に角笑顔ではっきり、このサービスは嬉しい。もし日本発のサービスなら、中国にも十分受け入れられるだろう。

比較しては申し訳ないが、カシュガルのウイグル族の働き方とは全く違う。これは労働概念の違いだろう。ホテルの従業員にも見られたが、サービスという概念があまりないし、必要以上に働くことも、頭にはないだろう。このような点からも、どんどん漢族に仕事を奪われていく。少し考える余地はある。

2月14日(火)   (4)   4日目

特区計画

翌朝は雪になった。雨の少ないカシュガルで雪が降るのか、とも思ったが、先日降ったらしい雪が残っているので、それほど不思議はないのかもしれない。

今日は朝から街中にある「城市企画展示館」を訪ねた。実は昨日一度来たのだが、停電ということで今日になったのだが。この建物は、周囲を池に囲まれた浮島の中にある。ただ現在は零下の世界、池は凍り、そこに雪が降っているので、何が何だか分からない。周辺には旧正月の飾りなどもあり、イベント会場でもあるのだろう。

大雪になっており、館まで歩くのが意外と困難なほど。ようやくたどり着くと担当が待っており招き入れられたが、寒い。しかし中は立派だった。一体何のためにこんな立派な施設を作ったのだろうか。今や中国のどこの都市の施設にもいるコンパニオンが慣れた口調で説明を始める。

特の驚いたのは、2030年のカシュガルの未来予想図。ビデオもあり、素晴らしい未来都市が構想されている。更には3D による360度映像もあり、余計に凄いと思ってしまう。もし本当にこんな都市が出来るのであれば、カシュガルも安泰だと思ってしまう。実はカシュガルは2010年の新疆工作会議で「西のシンセンを目指す」として、カシュガル経済特区構想が示され、報道によれば多くの投資が入り込んでいるという。今回はその確認もテーマであったが、これを見れば順調に進んでいる??

後ろを振り返ったら、数人のウイグル人が冷ややかに我々の様子を見ていた。「素晴らしい計画じゃないか」と話しかけると「計画通りできればね。ここは3-4年でリーダーが変わる。変わる度に新しい計画が出る。そして投資が一部起こるが根本的には何も変わらない」と実に現実的な答えが帰って来た。

展示館を出て、池の周囲の道路を何気なく見た。立派なマンションなどが目に入る。やはり投資は行われているのだ。だが、良く見ると様々な値引き広告が出されている。一時は㎡1万元にもなったというマンションが今や3000-4000元というケースもあるとか。基本的に投資者は中国内地。カシュガルの投資が萎んだのか、中国全体の影響なのか。そのいずれでもあろう。特に金融引き締めの影響は全中国の不動産市場を冷え込ませていることは確かだ。

精米工場

それから精米工場の見学に出掛けた。その敷地は広く、バスは入り口でストップ。雪が積もる中を歩いて向かう。工場内に入ると僅かに残るコメの袋が見えるのみ。やはり冬、今は精米の時期ではないと見える。

社長という女性に事務室に招き入れられる。実に質素な部屋で、だるまストーブが中央にあり、薬缶が上にのり、ボーボーと薪が燃やされる。北国の冬の光景がそこにある。何だか寒々している。ウイグル族の女社長に話を聞いて驚いた。彼女は2008年まで公務員だったが、米精製業の将来性を見込んで、この民間会社の社長に転職。主に中国東北地方から米を輸入し、新疆地区で売り捌いている。09年には数百万元を銀行から借り、事業は順調だったという。ところが・・。

09年にパキスタン、10年にはキルギスへ米を輸出し、その代金が回収できなかったという。そして資金繰りが厳しくなったが、銀行は以前と打って変わって審査が厳しくなり、融資が受けられず、今では原料のコメの輸入がままならない状態だとか。工場に米が無いのは季節要因ではなく、操業停止状態だったことになる。何故輸出したのか、また担保や保証を何故取らなかったのか。「国の指示だから」の一言。中国政府は自然災害のあった友好国のパキスタン、財政の苦しいキルギスへの援助にこのような民間企業も使っていたのだ。「政府との関係が悪くなるのは困るから拒むことは出来ない」のだ。

何故09年は融資が受けられ、最近は受けられないのか。まさにこれは08年の4兆元の景気刺激策と、昨今の金融引き締めの影響がもろに出ている。彼女はウイグル語で話しているのだが、私にはその内容が理解できたような気がする。「単に金融引き締めだけではない。漢族のリーダーは資金を漢族にしか回さないのだ」との叫びが聞こえたような気がする。「我々ウイグルは漢族のように良好な『関係』を金融機関と築けない」

また融資を受けること自体、イスラムの教えに反する部分もある。ウイグル族同志であれば、所謂イスラム金融で貸借を処理するが、殆どの利権を漢族が握る中、ウイグルが資金を得るのは難しいようだ。少数民族が起業して成功するのは、現代中国では容易ではない、という一端を垣間見た。

昼飯 ポーラ

雪はやんだが、路上に大量の積雪がある。路面は凍り、車が立ち往生する事態も出ている。数人の男がトラックを押して、何とか進めている。やはりここは雪国ではない。通常ではない事態が発生しているようだ。

お昼は簡単に、ということで、地元の人が普通に行くポーラの店に入る。昼時はかなり混んでいるが、何とか席を確保して座る。お客さんは何故か女や子供が多い。何故だろうか。

大き目の茶碗にレンガ茶が豪快に淹れられる。外が寒かった分、このお茶の温かさが有難い。続いてスープが登場。シンプルな味。そしてポーラが配られる。ウイグルチャーハンと呼べばよいのか、その上に又豪快に羊肉が乗り、味がしみ込む。一口で、思わず「美味い」と声に出てしまう。皆黙々と食べ、あっと言う間に平らげる。それだけのことではあるが、このランチは嬉しい。





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