新疆北路を行く2011(6)ウルムチ 踊りの上手いウイグル人

新疆は踊る

夜はJ氏に連れられて、ウルムチの高級レストランへ。ここではウルムチの音楽や踊りが見られると言う。まだ陽が高い7時に到着、続々と観光客が集まってきて、徐々に盛り上がっていく。中国人の団体客が多い。我々は既に慣れた手つきで最初に出て来るスイカを食べながら、ビールを飲む。

ショーは意外に早く始まった。歌あり、踊りあり、楽器ありのエンターテイナーショー。結構迫力があり、面白い。子供の雑技なども披露される。途中から、皆さん踊りましょうと言うことで、フロアーで踊る。我々のテーブルでも遅れて来たN嬢とS氏夫人が大活躍。まるで西洋のようにカップルでフロアーに出ていき、見事に踊る。これは幼少期から事あるごとに踊る習慣があるウイグル族ならでは。N嬢いわく、「ウイグル人なら誰でも踊れます」、凄い。

同時にテーブルには羊から魚まで数々の料理が並んでいる。ビールの後は持ち込んだ白酒を2本開け、大宴会となっていた。まさに飲めや歌えや踊れや、でこれも凄い。飛行機が遅れて途中から登場したN所長などは、訳も分からずこの宴会に巻き込まれ、あわや倒れる寸前に。それにしても全員がしたたか酔い、踊り、実に楽しい宴会であった。新疆の底力を見た気がした。

8月15日(月)
(5) 学院長は36歳

翌朝はJ氏やS氏が所属する新疆某大学にお邪魔した。同大学は1950年に党の幹部学校として設立され、現在は数校が合併、学生数3万人という大きな大学になっている。校内に案内されると流石に広い。立派なグランドは市の競技施設並み。そして学校の北側にはだだっ広い公園があり、これも学校の敷地だと言われて驚く。

経済学院のG学院長と面談。中国の大学は学院毎に分かれており、日本でいえばちょっと違うが学院長は学部長か。いや、学院毎に独立採算性、独自性が求められる中国では、経営者と言えるのではないか。そのG氏、僅か36歳でこのポストに就いた。これはこの大学でも異例らしい。全国の優秀教師にも選ばれている。確かに話し方はしっかりしているし、中国の幹部教育を受けた人、というイメージが強い。勿論漢族である。

大学の校舎内に張り出された紙。よく見ると、漢族とウイグル族の学生が喧嘩したようで、その処分が張られていた。双方ともに退学処分だったが、それが公平な裁きであるかどうかは、部外者には全く分からないが、新疆の複雑さの一端を見る。

学内に大学を紹介する展示室があった。日本の大学にはこのような場所があっただろうか。そこには大学の歴史が書かれていたが、海外の大学で最も早く提携したのは実は日本のA大学であると、式典の写真も掲示されていた。日本は80年代、その経済的な優位性を生かして、様々な活動を行ってきた。しかし経済低迷の今、その多くが忘れ去られている。一方中国では現在経済優先社会となっているが、それでも昔のことを忘れない姿勢はある。日中の基本的な姿勢の違いがすれ違いを生む場合もあると感じる。

(6) フライトチケットネットと電話で

午後はウルムチ市の経済開発区、開発区内企業を訪問。色々と参考になる話があった。尚日系企業の姿はここにはなかった。

実はこの先、新疆北路の旅を終えると、私一人は皆さんと別れて、青海省西寧市へ行くことになっている。全省制覇まであと2つ。いまだ未踏の青海省にはこの機会に行っておこうと思う。幸い元部下の知り合いが西寧に滞在しており、面倒を見てくれることが決定。フライトを取る必要が出て来た。

元々ウルムチ→西寧は一日2本程度しかなく、便がタイトだと聞く。その為、ホテルに入っている旅行社へ行き、急ぎ押さえる。お姐さんが丁寧に調べてくれ、何とか20日の夜便を買う。この時期割引はなく、結構高い。支払いも現金決済。横には札束を握りしめた地元のオッチャン2人が真剣にフライトを探している。高度成長期の雰囲気がある。そして西寧から北京に戻るフライトを聞くと、「夜中の12時に到着する便しかない。まだ十分席はあるから、どうするか考えてから買え」と言われる。確かに北京に夜中到着はきつい。

ところが翌日ネットでこのフライトを検索すると既にすべて売り切れており、22日に北京に戻る便の席は全くなくなっていた。一瞬唖然となる。23日の午後便で東京へ戻らないと、ノービザ期間の15日を過ぎてしまい、オーバーステイとなる。これは何とか避けたい。西寧は諦めて、ウルムチから北京に戻るか。

シートリップ(携程)という旅行サイトを眺めながら、思わず電話をする。事情を説明すると「直行便は満席ですが、西安経由でどうですか、ちょうどいいのがありますよ」と言うではないか。そうか、経由便は思い付かなかった。海外クレジットカードの決済も電話で出来た。料金も西安経由には割引があり、安く上がったし、時間も夕飯頃には北京に着いていた。中国語が出来ることが前提だが、便利になった物だ。既に現金を握りしめて旅行社へ行く時代ではない。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です