デリー・リシュケシュサバイバル (7)デリー インドの病院を見学する

(2)ホテルはどこ

ようやく買い物が終了し、ホテルに戻る人、空港に向かう人などに分かれた。我々は今日から皆さんと離れて新たに予約したホテルに向かった、のだが。ネットできちんと予約を入れていたが、何とその地図が間違っており、運転手が幾度も道を聞き、迷い、そして思いもよらない場所に連れて行かれた。地下鉄の近くにしたつもりだったのだが、何と歩いて3㎞の道のり。幹線道路は走っているが、周囲は住宅街でレストランや店すら見当たらない。しかも隣は改修工事中で砂埃が舞い上がる。

しかしフロントの女性は実に気さくで雰囲気は良かった。ファシリティが充実している訳ではなかったが、居心地は悪くない。ネットも何とか繋がった。部屋に荷物を運びこむと、次男がベッドに倒れ込んだ。これまでの緊張と疲労が一気に出たらしい。完全に寝込んでしまった。

夜はリシュケシュで一端別れたラトゥールさんと合流して食事をする。彼は家族を先に返して、日本から来た人々の空港への送りなどを担当していた。いつも律儀な人だ。同窓生Sさんと3人、リキシャでデリーのアメリカ村とも呼ばれるサケットへ向かう。次男は完全にダウンしており、ホテルにおいて行く。

サケットはデリーで最もモダン、アメリカナイズされたショッピングモールでその規模もアメリカ並み。驚くほど大きい。ショップはアジアのショッピングモールに入っているような所ばかり。インド的な部分は殆どない。これが現代インド、ということだろう。食事はフードコートで、タンドリーチキンを食べる。何だかんだ言ってもこれが落ち着く。

1月12日(土)  (3)デリーの病院

今朝も次男は体調不調だった。余程疲れたのだろう。考えてみれば初インドにしてはやはりハードだったのか。特に発熱や下痢はなさそうなので寝かせる。朝食は部屋で食べる仕組み。ところが電話が繋がらない。このホテルにはレストランが無いこと、インドでは基本的に電話で何でも頼むことから、朝は大忙しだ。午前中はゆっくりとネットなどをして過ごす。

昼前に私だけ出掛ける。今日は紹介された外科医を訪ねることになっていた。インドの病院、どんなところなのだろうか、興味が涌く。指定された待ち合わせ場所はYWCAの前。これは私が分かる場所に配慮した措置だが、何とそこに運転手が迎えに行くのでその車に乗るようにとのこと。何となくアクション映画のようだ。

3㎞の道を歩いて地下鉄に乗り、YWCAへ。しかしいくら探しても指定された車は見付からない。10分ほど、周囲を見ていると突然声が掛かる。そして車に誘導されたが、指定とは違う車。どうする、乗るか降りるか。ここは勘に頼るしかなかった。勿論私の名前を知っているのだから、乗るしかないのだが。運転手も気のいい男で問題なさそうだ。彼も一応確認の為お医者さんに電話を入れ、双方了解した。

車はどこをどう走ったのか分からない。途中でデモ隊と遭遇した。昨年末に起こった女性のレイプ事件に端を発した抗議デモ。インドの闇が透けてくる事件だ。抗議者は警察や政府の対応を非難している。宗教的、地域的な要因も孕んでいるのかもしれない。

病院に着いて驚いた。非常に大きい、そして立派。国立病院らしい。GB Pantという名前か。早々に紹介されたアニルさんの部屋へ行く。何とこの病院の外科部長だった。偉い。そして患者や助手などが沢山来ており、とても忙しそう。先に運転手が病院内を案内してくれた。

病院は相当に広く、設備自体の質はは分からないが、何でも揃っており、規模的には日本の大病院だ。中国なら人で溢れて居そうだが、そんなことは無く、入院患者の部屋もゆとりが感じられた。ある一定以上の層しか来ないのかもしれない。アニル先生に聞くと「この病院は誰でも来られる」とのことだったが。今日も天気がよく気温も上がっていた。入院患者に付き添っている人が陽だまりで寝入っていた。

アニル先生はインドで医学をおさめ、その後イギリス、アメリカにも滞在経験があり、今でも海外の学会にも良く出向くという。日本にも何回も行っており、日本びいきだ。部屋には日本の医師から来た手紙や記念の盾など飾られている。インドの医療に関しては「問題ない水準だし、一般市民への医療もかなりカバーされている」という。確かに他のアジアのイメージからすると、インドの医療は都市部では進んでいるのかもしれない。

デリーの中華レストラン

時間は既に午後3時近くなり、慌てて食事に向かう。本当に忙しい中、良く付き合ってくれた。会員制クラブへ行ったが、既にランチは終了しており、近くのレストラン街へ。そこで何と日本食屋へ入る。だが、日本食というか、「タイ、中華、日本食」とあり何でもある。ご飯と中華スープ、点心と野菜炒めを食べたが、これは日本料理ではなく、さりとて中華料理でもない。面白いと思ったが、何とも不思議。店員は全てインド人で中華系も一人もいなかった。食後には別の店でアイスクリームまで買ってくれた。インド的にはデザートは必須なのだろう。そして自ら車を運転してホテルまで送ってくれた。何とも親切な人だった。

夜は少し回復した次男とSさんとで、食事をした。インド料理は食べられないという次男に配慮して中華料理を探す。ホテルで聞いた場所に行ってみたが、なかなか良さそうな店は見付からない。表から中が見えないようにしているレストランがあった。中国なら絶対に入らないような雰囲気があったが、インドが長いSさんは「ここが良い」と言って入る。確かにこぎれいな場所で若い男女が食事をしていた。成程、これは中国とインドの違いか。

しかし出てきた料理はやはり中華ではなかった。野菜炒めがドロドロしていた。「インド人はご飯に掛けておかずを食べるのでとろみが無いと食べにくい」のだという。うーん、その通りだとは思うが、他国の料理を簡単に受け入れないあたりもインドらしい。次男はスープを飲み、何とか料理を口に運んだ。

1月13日(日)  (4)散歩

今朝息子は自分からパラタをたのんで食べた。体調の回復とインドへの微かな思いを感じる。でもコーヒーはミルクなしと注文したが、やはりミルクが入っていた。私はトーストと卵。悪くはない朝食だ。

今日もいい天気だ。初めてデリーに来た時の寒さが嘘のように快適。次男も誘って散歩に出た。ホテルの周囲は巨大な住宅街。相当前に開発された場所のようだ。広い敷地、立派な家々、環境は良い。きっと今ではこの土地、かなりの値段になっていることだろう。地下鉄からは遠いが、幹線道路も近く、車社会となったデリーとしては便利な場所でもあるらしい。

立派な車が沢山駐車され、可愛いペットの犬が大切に飼われている。住人は皆満足そうに陽を浴びている。喧騒のインド、というイメージとは程遠い光景がそこにあった。実に気持ちの良い散歩だった。次男は「インドには貧しい人もいるが、豊かな人もいる」ことを実感したのではないだろうか。この貧富の差、それ無しではアジアは語れない。その中で自分の立ち位置を考え、生きていく必要があるだろう。




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