デリー・リシュケシュサバイバル (3)リシュケシュ アシュラムに泊り、ガンジスを歩く

3.リシュケシュ  (1)リシュケシュのアシュラム

ハリドワールでガンジス河を見る。イメージしていた大河とは少し異なり、川幅もそれほどない普通の河に見えた。そこから30分、聖地リシュケシュに到着。ダヤナンダアシュラムという場所が宿泊地だった。

ここはアシュラム、修行場であり、ホテルではない。が、施設は予想外に立派。ただ部屋に暖房は全くなく、相当の寒さだ。最初1階の部屋を割り当てられたが、あまりの寒さに2階へ引っ越し。それでも殆んど変わらない。部屋はツインで毛布と掛布団が用意されているが、果たして寝られるだろうか。

直ぐにランチとなる。以前ロナウラのヨーガ学院で食べた方式。プレートを持っていくと、ライスやチャパティ、そしておかずを入れてくれる給食式だ。茹でたカリフラワーとジャガイモも入っており、塩を付けると結構イケタ。おかずは美味しいものとそうでない物が半々。ただ入れられたものは残さずに食べることにする。そしてセルフサービスで食器を自分で洗う。

食後は寒いので部屋に帰らず、陽だまりへ避難。椅子を出してPCで何やら書いているドイツ女性、おしゃべりに励むインド人、色々な人がいる。共通しているのは陽のある所へ行くことだけ。こんなに太陽が有難いと思うことは最近ないなと思う。それ程に部屋は寒い。

このアシュラム、ダヤアナンダという高名なヒンズーの師が寄付で建てた物らしい。ヒンズーの世界では偉い師が登場すると、そこへ信者が殺到し、一代を築くが、彼が死ねば、弟子は分裂し、また新たな師の出現を待つとも聞く。何とも不思議な世界だ。ダヤナンダ師は3-4月頃、ここに来てレクチャーをするようだ。その頃には世界中から人々が集まって来て、宿舎は満員だとか。今月が唯一のオフシーズンらしい。

アシュラムは広い。宿泊施設だけもかなりある。レクチャーホールからダイニングまで、そして何よりガンジス河の流れを直接目にすることができる。その脇には祈りの場もあり、如何にも修行場。

流石にアシュラムにはWIFIはないと思っていたが、何とあった。ただ普通には繋がらず、IPアドレスを入力する途上国によくあるタイプだった。ちょうど詳しい女性がやって来て入力してくれ、無事に繋がった。俗世との糸が微かに見えた。

(2) リシュケシュ散歩

アシュラムの脇を流れるガンジス河沿いを歩いて見る。良く見ると薄い霧の向こうに山影が見える。リシュケシュの河沿いはヒンズー教徒憧れの場所。ここにアシュラムを持つことはステータスであり、ここの土地の価値は想像以上に高い。確かに河沿いには立派なアシュラムや綺麗なホテル、レストランが建っており、建設中の所もある。

河は乾季で水量は少ないが上流にダムが出来、水の量は調節されているようだ。川岸で子供達が元気に遊んでいる。向こうで大人、男性のみが川岸でたき火をしている。しかし近づいてみると、何とそこでは火葬が行われていた。木の枠組みの中に、何となく頭のような物が見えた。火は盛んに燃えているが、全て燃えるまでに半日近く掛かるという。当日は余熱で熱いので、骨は翌日改めて拾いに来るらしい。

インドでは死者の遺体は抜け殻としてすぐに処理される。日本では遺体は非常に重要視されおり、考え方の違いが浮き彫りになる。だが、良く考えてみれば、遺体を単なるモノのように扱うインドで火葬は半日掛かり、一方遺体重視の日本が現在では工場の処理施設のように、僅か45分程度で焼いてしまい、悲しみもそこそこに骨を拾って終了してしまうのは何故だろう。どちらが死者に対して哀悼の意を表しているのだろうか。

更に行くときれいな橋が見える。向こう岸には相当立派な施設も見えてきた。ヨーガで有名なシバナンダのアシュラムもある。リシュケシュは欧米人もヨーガの聖地として崇めている。またビートルズが逗留し、特にジョージ・ハリスンがここの音楽に入れ込んだことで世界的な場所となった。有名人が行って有名になった場所にはロクなことは起こらない、と思っているが、ここはどうだろうか。

(3)アシュラムの儀式

ダヤナンダアシュラムのプージャは午後6時に始まった。私は一番後ろの椅子席に座り、見学する。室内は明るく、怪しげな雰囲気はない。リーダーの声に合わせて経を唱えたりしている。リーダーは時々室内の中心にある囲いの中の像に向かい、火を焚いて近づけている。ナンディと呼ばれる像にも、火が近づけられる。これが儀式だ。本来は護摩壇で火を焚いて行うようようだが、現在では形式を変えている。

20人ほどが参加したプージャ。三々五々人が集まり、途中から入ってきた人は部屋の四方に置かれている像の所で手を合わせ、頭をくっつけ、祈る。そして皆の後ろに座る。夏はヒンヤリして気持が良さそうな床、今は冷たいため、茣蓙が敷かれている。それでも皆、相当の厚着をして出てきている。

終わりの合図もなく、終了。その後皆小さな花が入った入れ物を手に、河へ向かった。実は今日はブラジルから訪問団が来ており、彼らの希望で特別に灯篭流しの原点のような儀式が追加されていた。真っ暗な河の中に、蝋燭に火を点けた花籠を流していく。これは先日タイで経験したロイクロトーンとも共通している、願いを叶えるための儀式だそうで、日本の灯篭流しとは意味合いが違う。

終わると、甘い物が配られ、手で食べる。バナナも出て来たので食後のデザートに取っておく。そのまま食事となるが、相変わらず、美味しいとは言えない。これも修行の内、として飲み込む。

夜は当然ながら冷える。部屋は相当に寒い。ある程度着込んで、毛布をベッドに敷き、寝袋にすっぽりと包まり、その上から掛布団を掛けて寝た。これでようやく凍死せずに寝られた??1年前の香港ラマ島での2週間の寝袋生活が今回生きた。10時間以上ぐっすり眠れた。次男は初めての寝袋であまり眠れなかったようだ。これも全て修行か。




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