デリー・リシュケシュ サバイバル (2) デリー 44年ぶりの寒波 寒いインド

(4) 次男がやって来た

夕方エンポリアムという場所へ買い物に行った。私とA師は買い物に興味がないのでコーヒーショップで仏教、ヒンズー教談義。その間、タイ人女性が2時間に渡り、スカーフやテーブルクロスなどと格闘し、相当の戦利品を収め、7時の閉店まで頑張っていた。

腹が減ったのでYWCAで簡単に食事を済ませる。今回の旅にはタイ人の他、インドのプネーからラトゥールさん一家も参加していた。彼は私が初めてインドへ行った3年前に案内してくれた人でその後も親交がある。3年前に彼の自宅で会った奥さんとお嬢さんとも再会した。

ラトゥールさんは空港に日本から来る供養の旅一行を出迎えに行く。基本的には昨年亡くなったS氏の親戚及び友人達だが、その一行に我が次男も加わり、初めてインドの地を踏んだ。一行は良いホテルに泊まり、ラトゥールさんが次男を連れてYWCAに来てくれた。そしてこの日から次男との旅が始まった。彼は一体どんな体験をし、どのように感じるのだろうか。興味深い。

先ず試練は東京から来たのに、こちらの方が寒いこと。ヒーターは音ばかり大きく、部屋全体を暖めることはない。我々は寝袋を持参しており、毛布の上から寝袋を掛けて寝る。シャワーは怖くて浴びられない。ニュースではインドに大寒波が来ているという。明日はどうなるのか分からない、それがインドさ。

1月6日(日)  (5)  デリ―観光 午前

本日はデリー観光。インドが初めて、デリーが初めての人もおり、名所へ行く。先ずはラール・キラー。車で行くとすぐに着く。前回はメトロに乗り、デリー駅からリキシャで辿り着くのにずいぶん時間が掛かったものだ( http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4585 )。寒さの為か、観光客は少なめ。帰り掛けにドームのような場所を通った時、何と天井の一部が落ちて来た。幸い誰も下を通っておらず、けが人もなかったが、日本では笹子トンネル崩落事故直後であり、皆青ざめた。神のご加護があったのかもしれない。

ラジブガートというガンジーのお墓のある場所へも行った。ガンジス川のほとりにある静かな場所だったが、表では物乞いをする子供達が沢山おり、次男は目を丸くしていた。結構優しい子なので、心が痛むだろうが、それもまた人間界の試練かもしれない。

昼はインド料理のビュッフェランチを食べる。次男も美味しいと言ってそこそこ食べる。同行者最年少、16歳の男子高校生は大きな皿で三杯食べていた。私が普通に旅行していては有りつけないご馳走だ。日本人はインド料理ではカレーとナン、そしてタンドリーチキンというイメージだろうが、ナンは高級品であり、ベジ料理が好きな私にはチキンも不要だ。

(6)  午後

クブミナールという古い塔がある所へ行った。何だか落ち着いた雰囲気でよい。私は何故かカメラのメモリーが一杯で、しかも予備カメラを忘れたため、写真は撮れなかった。きっとまた来い、という誰かの意思なのだろう。カメラが無いと、それはそれで自由になる。この雰囲気を十分に堪能した。

ロータステンプルにも行った。実は時間がかなり押しており、日本人はここをカットして買い物に行きたかったようだが、インド人母子からどうしてもという希望があり、進む。新興宗教のようだが、大きな蓮の形のドーム型寺院へ行くのに、結構歩き、靴を預け、寺院の前で並ぶ。一体何があるのだろうか。

中に入ると高い天井があり、下には無数の座る場所が。一斉に入場した人々は思い思いの場所に座り、目を閉じる。瞑想に入ったようだ。ここが何らかの精神的な聖地だと思う。だが我々は一瞬座っていたものの、時間がないということで直ぐに外へ。インド人母子は納得しただろうか。同時にタイ人も静かに瞑想に入っていたが、そこを妨げられた。

後で聞くと「タイ人には一日中遊んでいるという感覚があり、時間通りスケジュールをこなす日本人のやり方はつまらないと感じていた」という。確かに自分の気に入った場所でゆっくり過ごすことが私もよいと思う。日本的な旅は果たして面白いのだろうか。中国人観光客の弾丸ツアーを笑うことは出来ない。

昼ごはんの食べ過ぎで、夜はパラタとチャイとで済ませる。次男もパラタのファンになる。特にキャベツパラタは焼き立てだとかなり美味しい。少しお好み焼きを連想した。シャワーは無く、お湯を体に掛けて何とか洗い、就寝。

1月7日(月) (7) インドの鉄道に乗る

今朝は5時に起きて、6時前にYWCAをチェックアウト。あたりはまだ暗く、冷え込みは尋常ではない。後で聞くと昨夜の最低気温は1.5度。デリーでは44年ぶりの寒さだったらしい。それでも寝袋を使うほど部屋は寒くなかった。

車2台でニューデリー駅へ向かう。案の定チェックアウトに手間取り、6時50分発の列車に乗るのにホテルを出たのが、6時15分。10分ほどで駅に着いたが、寒さの為かそれ程混雑していない。それでも広い駅のこと、列車の出発ホームの場所も分からない。皆大きな荷物を持っている。そこへ荷物担ぎのポーターが数人現れ、荷物を頭に乗せ、サッサと進む。そして一番端に停車していた我が列車に乗り込み、荷物を上の台に乗せて行ってくれた。何とも力強い助っ人たちだが、あとで料金のことで相当に揉めたようだ。インドは簡単には行かない。

兎に角列車に乗り込んだ。我々親子は後からチケットを取ってもらったため、別の車両となる。シャダブディ特急、車内は思ったよりきれいで整然としている。この特急列車、普通列車が通常100rp以下で行ける所を450rpするらしい。全席指定、全車両エアコン付き(今はヒーターが欲しい)。そして食事やお茶が無料で提供される。小さなプレートが配られる。ビスケットと飴が乗っている。その他紙の袋に何やら入っている。開けるとティバックと砂糖が入っていた。そこへポットが運ばれてくる。一人1つだ。蓋の部分をカップにして、ティバックを入れ、自分でチャイを作る。これはなかなか優れものだ。

ただ朝食が出ると聞いていただけに、ビスケット2枚は如何にも寂しい。と思っていると乗車から1時間半ほどして、ちゃんと朝食が出てきた。日本風のコロッケが2つ。小さな食パンが2枚、そして先程と同じチャイ。十分な朝ごはんだった。ベジかノンベジかも選べるらしいが、我々にはベジが配られた。これが無料で付いている、ということは如何にこの特急の料金が高いかを物語っている。

車両には日本人も乗っていた。外国人も少し乗っていたが、圧倒的にインド人だった。ある程度上流階級の人が乗るのだろう。車内は子供の泣き声を除き、静かなものだった。新聞が配られ、それを読んでいるか、寝ているか。全席指定、座席は2+3、我々は3席の窓側2つで、隣はドイツ人の女性だった。彼女はインドで2か月ほど何かの勉強をしており、これからインド各地を回るらしい。

本日曇りで、相当深い霧が出ていた。時間が経つにつれて、霧が晴れてきたが、そこに見えた風景は、冬枯れの大地。小麦畑も少しは見えたが、原野も多かった。いくつか駅にも停まったが、如何にも寂しい、プラットホームに人々が寒々と待っていた。

車掌の権限は強いようだ。席は指定だが、その差配も全て彼がしている。我々の所にチケットのチェックに来たが、チケットを出す前に「いいよ」と言って立ち去る。外国人が座っており、特に問題が起きていない、ということで無駄は省かれた。今の日本では何でもマニュアル化され、裁量とか、差配といった概念を持ち込む場がない。それではマネージャーの居る意味はないし、返って円滑な運営を阻害しているケースも多い。

列車は4時間半走り、ほぼ定刻にハリドワールに到着した。ハリドワールは神の入り口、という意味で、聖地への玄関口。駅には迎えが来ており、車に乗り込み簡単に出発した。インドでは簡単に物事が進むだけでうれしい。




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