タイ中部横断の旅2018(16)バンコックの福建会館へ

8月22日(水)
福建系を探す

今回の旅もついに最終日が来た。かなり充実していたとは思うのだが、心残りがあった。それはヤワラーが攻略できなかったことだ。今日は深夜便のため、午前中は部屋で休養して、午後はヤワラーを再訪、夜になったら空港へ向かうことにした。昼ご飯はいつものようにYさんたちと食べる。

 

そして昨晩Mさんから言われた『ヤワラーは潮州系、客家系だが、福建系は他の場所にいるのでは』との問いを解決すべく、教えてもらった福建会館を訪ねることにした。そこはファランポーン駅で降りるが、ヤワラーとは反対方向に歩いていくのだ。かなり迷ったが、周囲は確かに漢字の看板ばかりだった。

 

ようやく目の前に現れたその会館は思ったよりもはるかに立派だった。福建系もちゃんといるよ、とでも言いたげだ。中に入っていくとスタッフが応対してくれた。同郷会などの会員名簿に私が探している王さんの名前はないか、と聞いたところ、今は皆タイ語だから、タイ語名を持ってこないと分からないとあっさり言われてしまう。

 

それでも彼女は親切で福建系の人が集まっている廟の場所などを書いてくれた。彼女自身も当然福建の末裔だと思い込んでいたら、何とミャンマー、それもシャン州の外れの方から働きに来ているという。『たまたまここに仕事があったから』という雲南の末裔である。やはりきちんと北京語を話せる人材は不足しているのかもしれない。

 

帰ろうと思ったが、非常に強い雨が降ってきた。これではヤワラーの方にも歩いて行けない。仕方なく、会館内を見学する。建物は最近建て替えたのかもしれないが、何とか室内はレトロな感じがする。歴代会長の写真や氏名などが掲示されているが、私が探す歴史に関わるヒントのようなものは出てこなかった。

 

30分ほど待ったが、小ぶりにもならない。傘を忘れてきたのだが、我慢の限界が来て、道に飛び出し、運良くタクシーを拾った。ヤワラーを目指し、ちょうどよいところで降りる。まだ雨は降っていたが、まっしぐらに茶荘に飛び込む。だがそこにいたのはいつものおばさんではなく、どう見ても華人ではないタイ人男性。こちらが中国語で話しかけても反応せず、何だという顔をされる。

 

そこに奥からおばさんが出てきたので助かった。今回は彼女に具体的な茶荘の住所と電話番号を見せて、今もあるか聞いてみたが、首を振る。ただこの住所(漢字名)は近くにあると言い出し、何と自ら電話番号に電話してみてくれた。残念ながら繋がらなかったが、こういう具体性が調査には重要だとようやく分かる。

 

茶荘を出て、今度は向かいの宝石屋に入る。中国人観光客が値段の駆け引きしている中、『この辺で指輪を治せるところはないか』と変な質問をしてみる。店主は『ヤワラーにはないぞ、MBKに行け』と謎の言葉を残すが、取り敢えずここでは治らない、そして何より指の回復が先決だと思い、止める。

 

雨は一向に止まないので、近くの麺屋に入る。午後4時で夕飯には早いが、ここでいつも臓物の入った麺を食べている。これは素直に美味しい。中国人観光客が大勢で押し入ってきたので外へ出ると雨は小降りになっていた。だが、暗くなりかけたヤワラーでこれ以上手掛かりを探すのは難しいと諦める。バス通りに出て、バスに乗り、ゆっくりと宿へ帰る。

 

宿では恒例のマッサージで時間を潰す。今回の旅も意外と疲れが出ており、マッサージ早々で寝落ちてしまう。気が付くと2時間近く経っており、良い気分転換となる。預けていた荷物を取り、タクシーでドムアン空港へ向かう。今回は順調すぎるほど順調で30分で着いてしまった。

 

出発まで3時間以上あった。今回スクートの深夜便は3時間前からチェックイン可能で大いに助かる。日本人乗客も詰め掛け、結構行列が出来ていたが、捌きは早く、簡単にチェックインは終了した。出国審査にもまだ早いので、久しぶりにドムアン空港内を散策する。数年前とは様変わりしている。店がかなり違っており、ターミナル1と2の間の2階に沢山出来ていた。ただ夜10時頃には店も閉まり始め、24時間体制ではない。その空いたスペースを利用して、PCなどをいじって過ごす。

 

スクートの運行は時間通りでよかった。また行きと同じで機体は新しく、座席も広くてLCCと言う感じはしなかった。ただトイレがちょっと壊れており、困ってしまったが。まあそれも何となく解決されるのがLCCか。今回の旅を振り返る暇もなく、早朝成田に着き、いつもの電車で家路に着く。

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