コルカタ散歩2011(3) 廃墟になっていたチャイナタウン

(8) 香港食堂

夜まで休憩した。今回の目的の一つにコルカタの華人の状況を見るというテーマがある。デリーでも、プネーでも中国系を見ることは殆どなかった。インドにはチャイナタウンが無いと言われている。唯一中国系が多いのがコルカタ、と聞いていた。

ホテルの近くをウロウロしたが、中国系は見当たらないし、街中でも中国語の看板を見ることも稀である。一体どこにいるのだろうか。ようやくホテルの近くに1軒の小さな中華料理屋を発見した。先ずは入ってみる。インド人従業員が英語で話し掛けるが、無視して奥に居た中国系とみられるオジサンに北京語を使ってみた。彼はすぐに北京語で反応した。

先祖は南京から来たという。ただ南京などと言う都市はインド人にはわからないので分かり易い「香港食堂」とい名前を付けている。見れば壁には中国の暦が架けられ、商売の神様も祭られている。オジサンはコルカタ生まれ。食堂は小さい頃からやっているという。

「コルカタの華人は10年前には1万人はいたが、今では1000人だよ」と笑う。後の9000人はどこへ行ったのかと聞くと「それはお前、インドで商売するのは大変なんだよ。祖国が貧しい時には我慢していたが、この10年あれだけ発展したんだ。皆中国を目指すよ。と言っても親戚もどうなったか分からないから、直接中国へ行かないで、英連邦の誼でカナダやオーストラリアなど、中国系移民の多い所で商売替えだ」と言う。なるほど、その通りだ。やはりインドは中国人にとってはとても厳しい場所だったのだ。

10人ちょっとで満員になる1階、それに2階もあるが、使われることはないようだ。お客は旅行者が多く、インド人は限られた人しか入ってこない。「値段が高いんだ。インドの食べ物は物凄く安いから」、それもそうだ。チャーハンが50rp、と言えば、低所得にインド人には厳しい。

主人と北京語で話していると3人連れが入ってきた。日本人の若者男女。その一人が私に「ニーハオ」と笑いかける。私が日本語で応じるとかなりびっくりした表情になる。彼らは近くの安宿に泊まっており、カレーばかりのインド料理で体調を崩した仲間の為にここにやって来たらしい。

彼らは学生でもなく、社会人でもない?ように見えた。コルカタでは「マザーテレサの家でボランティア活動をしている」という。彼らの泊まる安宿に居る日本人は大抵がそうだとも言う。確かにマザーテレサの家はこの近くらしい。具体的にどんなボランティアをしているのかと聞くと「用事があれば手伝っている」との答え。そんなに仕事があるのだろうか。後日インド人に聞くと「彼らは毎日テレサの家にたむろしてお茶飲んで話しているだけ」と言われてしまった。それでも彼らには意義があり、楽しいのだろう。ボランティアとは何か、日本の若者が何故海外でボランティアするのか、興味深いテーマのように思えた。

ところでこの食堂の味だが、正直塩辛い。スープも野菜炒めも同じ。これはインド的な味付けなのだろうか。それでも久しぶりにチャーハンなどを食べると何となく嬉しい。インドから中国が駆逐されてしまうとこれも食べられなくなるということだろうか。

お茶も頼んでみたが、烏龍茶が出される。インドに居る中華系は烏龍茶など飲まないだろうが、これもお客を見たのだろうか。オジサンもお客が来ると忙しいので、早々相手はしてもらえない。インド人が一人、フランス人の女性は一人入ってきて、何やら頼んでいたので、店を出た。

10月8日(土) (9) メトロ

朝6時には周囲がうるさくなり、今朝も早起きして散歩に出る。昨晩香港食堂のおじさんから聞いた「中国系が多い場所」の一つBowという所へ向かう。インド博物館の道を北へ真っ直ぐ行くだけなので迷うことはない。しかしコルカタの道には道路標示は殆どないため、どこを歩いているのか不安になる。

途中道路脇の地面に大工道具を前に座っている男性が沢山いた。恐らくここは人材市場なのであろう。雇い主が現れるまで、じっと座っているらしい。更に先へ行くと交差点付近で大勢の人がトラックに向かって手を振っている。どうやらこちらも今日の仕事を求める日雇い労働者の集まる場所らしい。植民地時代の建物を背景に、そして古いトラムが通る横で、繰り広げられる職の争奪戦、また自分の位置が分からなくなる。

それからかなり歩いたが、チャイナタウンも漢字の看板も現れない。コルカタは交差点ごとにインド警察がいるので道は聞きやすい。Bowの場所を聞くと、丁寧に教えてくれた。しかし教えられた場所とは異なる場所で、どう見ても中国人のおじさんが家の前に椅子を出して座っているのが見えた。

しかしそれ以降、歩き回るも中国を示すようなものは何も発見できずに終わる。そしてある道でメトロの駅の入り口を発見し、そのまま地下へ降りていく。地下鉄で帰ることにした。切符はどこで買うのだろうか。ここには自販機はなく、窓口へ。ところがどこまで買ってよいか、駅の名前すら分からない。ホテルの最寄駅を知らなかった。取り敢えず地図を見て、適当な場所を告げると、4rpと言われ、あの昔ながらの固い切符が渡される。懐かしい。

ホームへ降りると何とも暗い。そして人は殆どいない。今日は土曜日だからだろうか。いや、デリーならどんな時でも沢山の人がホームに溢れていた。ここコルカタでは、どうやら地下鉄は認知度が低い。路線が少なく利用価値が無いということだろうか。車両も非常に古い。乗っている人も少なかった。3駅ほど乗って降りる。後で気づけば4駅目がホテルの直ぐ近くだったが、これは仕方がない。それ程、駅は目立たない。

(10) セットさんのセット

ホテルに戻るとセットさんがやってきた。昨日はお爺さんの葬儀があったらしいが、プロとして頼まれた仕事はきちんとこなしていた。私が頼んだ仕事とは、①ダージリンの茶園までの車、②ダージリン・カリンポン・ガントクのホテル手配、③シッキム行きの入境証、である。

彼は手際よく、紙を出し、一つずつ説明を始める。私にはいいか悪いかもわからないので、ただ従う。ついでに明日の空港までの送りの車も用意されていた。それならばと「今日の午後、ベルルマートという所へ行くこと、またタングラと言う場所へも行って見たい」と告げ、車の手配を頼んでしまう。本当は自力で行くべきであるが、既に相当面倒くさくなっている。特にインドでは何をするにも大変だ。そして今はお祭りの直ぐ後、色々とスムーズにはいかないような気がした。この予感は大いに当たる。

セットさんに中国人について聞いてみた。「中国人は金だけしか考えていない。観光客の行儀は悪いし、旅行会社は契約を守らない」と散々な答え。「中国は金持ちかもしれないが、インドは中国なしでも十分やって行ける」と言い切る。今の日本にこの言動が欲しい。そうでなければ対等な交渉などは望むべくもない。

しかしインドにも大いに問題はある。「従業員のストライキ、これは民主主義とはいえ、経営に大きな影響がある」とも言う。実際彼の旅行会社では、以前20-30人いた社員を必要最低限の8人にまで減らし、ガイドその他の多くを契約社員としたらしい。これにより経営上の負担はかなり減ったという。

またコルカタの街について、「何故植民地時代の建造物をそのまま綺麗にせずに残しているのか」と聞くと、「建物を維持・修理する費用がコルカタには無い」と一言。何とも残念は話だが、プライドは非常に高いベンガル人は、それをこともなげに言う。

(11) カルダモン

買い物を一つ忘れていた。Hさんご依頼のカルダモン。料理音痴の私の為に、わざわざサンプルまで授けてくれた。買って帰らない訳にはいかない。カルダモンとは「香りの王様」とも呼ばれるカレーには欠かせないスパイス。きっとこれでHさんが料理すれば美味しいカレーが出来るのだろう。

セットさんに聞くと「その辺でいくらでも売っている」と言うが、そういうのが困る。市場まで行くのだろうか。ホテルを出たあたりのお店では、置いていなかった。直ぐ近くにスーパーが1つあったので、そこで聞く。店員は「イライチか」と聞き返す。その名前は何だろう。ベンガル語らしいので、例のサンプルを取り出すと「イライチ」と再びいう。そして売り場を指す。確かにあるある。

しかしカルダモンと言うものも、ピンからキリまであるらしい。値段が相当に違っている袋がいくつかある。いずれにしても日本円で換算すれば大したことが無いので、髙めの袋を2つ購入してみる。結果はどうだっただろうか。

そのままランチへ行く。スーパーの直ぐ近くにベンガル料理と書かれたレストランがあった。ベンガルに来たのだから一度はベンガル料理をと思うが、メニューを見ても、どれがそれか分からない。ちゃんとしたレストランなので慇懃な態度の店主が大仰に応対してくれる。「魚を食べろ」と言うので注文。出て来た魚は味付けが濃く煮込んであり、うーんそれほど、という味。ライスと魚で70rp以上取られると、髙いと言わざるを得ない。チャイを頼む気にもなれずに早々に退散。

(12) タングラ&植物園

午後は車をチャーターし、観光へ。ところが2時に来るはずの車が全く来ない。それでも慌てることもなく、15分過ぎて電話を掛けて呼び、30分遅れで何事もなかったようにやって来る。これがインド流であり、結構重要な経験。怒ってもいいことはない。

先ずは昨日香港食堂のオジサンから教わった唯一中華料理屋が連なっているタングラと言う場所へ行って見る。ホテルから15分ほど行くと、住宅密集地帯から離れ、高級住宅がある。そのあたりに一軒家がレストランになっている所がいくつかあった。言われなければ通り過ぎたと思うほど、控えめに看板が出ており、よく見ると漢字表記もある。

しかし人通りは殆どなく、お客がいるようにも見えない。勿論時刻は3時前なので仕方がないのか。中には廃墟になっている家もある。中国系の墓も見える。確かにここに中国系が多く住んでいた様子は分かる。そして昨日のオジサンの言葉、「みんな出国した」は事実だったようだ。特に見るべきものもなく去る。

次にコルカタの中心、フーグリー河に掛かる橋を渡り、植物園へ行く。これはセットさんの推薦。5時にベルルマートへ行くには時間が余る。比較的近くて、見るべきものがある場所として選ばれたようだ。4時に出れば余裕で間に合うと言うので、30分ほど、見学する。ここは東インド会社が薬草を集めていた場所だという。興味深い。

しかし入場したもののどこへ行ってよいか分からない。特に掲示板もない。まっすぐ進むと「グレートバヤンツリー」と書かれた林が見える。林だと思ったのは実は間違いで、何と2000本以上の枝に分かれた1本の木だという。信じられない大きさ。ちょっと感動。

この植物園は実に広大な敷地を持つ。とても30分で歩けるものではない。でもせっかくなので出来るだけ歩いて行く。池があり、家族連れがボートに乗っている。カップルが池のほとりで囁きあっている。若者が楽しそうにはしゃいでいる。こんなインドを見るのもよい。どんどん歩いて行くと、戻るのが辛くなった。






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