『インドで呼吸し、考える2011』(18)デリー 生きてると感じられる場所

リキシャーの後姿
チャンドニーチョックで降り、上に上がるとデリー駅がある。ここはコロニアル風の駅。雰囲気は良い。しかし人は多い。トイレはデラックストイレ、などという有料トイレが見られる。駅前の雑踏にはリキシャーがたむろし、チャパティなど朝ごはんを売る屋台が沢山出ている。しかしいくら探しても、ラール・キラーへ行く道を示す表示はない。

この辺が中国同様親切ではない。むしろわざと分からなくしており、リキシャーなどに乗せる作戦・・とも思えない。分からない場所に行くのに値段交渉も怖い。リキシャーと言っても昨日のオートと違い、自転車を足で漕ぐ、サイクルリキシャ-が多く見られる。ということは目標物は近いと判断できる?

一台のリキシャ-が近づいてきた。値段を聞くと20rpという。首を振るとすぐに次がやって来た。乗る気のない振りをしながら近づき、15rpで妥結した。動き出すとなかなか快適。しかし坂道では登りきらず、自ら押して動かしている。これは結構な労力。これで15rpはきつい労働だ。

運転するにいさんの後姿を見ながら、彼の人生を考える。今の日本ならとてもやってられないようなこの仕事、彼はどう考えているのだろうか。ここで数年頑張れば、オートリキシャーが買え、それからは楽な生活が出来る、などとはとても思えない。恐らくは一生涯、サイクルリキシャ-ではないだろうか。何だか老舎の「駱駝祥子」の祥子を思い出す。「現世は前世のカルマによりこんな人生だが、来世は違うぜ」などと思っているのだろうか。

10分ほどで、ラール・キラーに到着。にいさんは決められた15rpを受け取ると文句も言わずにさっさと立ち去る。代わりにおじさんが地図を売りに来た。普通なら見向きもしないのだが、地図が欲しかったので、買うことに。ところがそのおじさんの持っている地図は何とホテルなどで無料で配られる物。それに40-50rpの値段を付けている。信じられない。交渉により20rpまで下がったが買う気もなく、立ち去る。すると後ろからおじさんが10rpでいい、手間賃だ、という。確かに無料の物でもここまで持ってくるのだから、それぐらいはと支払う。

それを見ていたゲートの警備員が「お前、気を付けろよ。財布取られるぞ」と忠告してくれた。確かにそうかもしれない。ラダックでの生活から完全に抜け切れていない。誰が良い人で誰が悪い人が全く区別できない。中国ではなかった混沌を肌で感じる。

生きていると感じられる場所



広大なラール・キラーをだらだらと見学し、外へ出た。さてこれからどうしようかと思っていると沢山のリキシャ-が近寄ってくる。面倒なので適当に歩き出す。少し歩くとジャマ-・マスジットという大きなイスラム寺院が目に入る。中に入り階段から上を見上げて写真を撮っていると、おじさんが「今日は金曜日の礼拝。午前中は入ってはいけない」と注意しに来た。

しかしこのおじさん、それから「どこから来たのか」「何日滞在するのか」「午後まで案内してやる」などとまるでガイドのように声を掛けて来る。いや、ガイドのようにではなく、ガイドなのだ。観光客目当てのこんなガイドに引っ掛かっても仕方がないと思い、振り切って外へ。

この寺院の裏手は人ごみがすごかった。そろそろ疲れて来たので、リキシャ-に乗ろうとしたが、全く動きそうもない。取り敢えず適当に歩き出す。デリーでもオールドデリーと言われるこの付近は、私の思い描いていたインドの雑踏。細い道の両脇には昔ながらの2階建て商店が並び、鋼材や木材、胡椒などを扱っている。問屋街であろうか。道にはリキシャ-や自動車から大八車までがひしめき合い、まさに全く動かない状況。インドの喧騒。

私はどこへ向かって歩いて行くのか、何をしているのか、なぜこんな所に居るのか、しばしば立ち止まって考える。しかし考えても、何も出てこない。ただ一つわかることは「生きている感じがする」ということ。東京を思い返すと「あの震災ですらが、何だか他人ごとであり、テレビドラマのように現実味がない」のである。日本の暮らしは便利であり、不自由はないが、しかし生きている実感は掴めない。震災のような大災害時にはっと目を覚ますものの、またすぐに夢の中へ埋没する。

このデリーの古い町は全てオールドファッション。しかし人々の生み出す活力、むせ返る熱、漲る汗、作り出される喧噪が、古い映画の一場面のようでいて、しかし生きている。歩き疲れ、幻想を見ているかのようでいて、しかし生きている。不思議な空間だった。歩いていたのは15分か、20分。もう耐えられないと思った瞬間、目の前に地下鉄チャウリバザールの駅が出現した。科学技術の進歩は人を救うのか、それとも退化させるのか。

日本の原発がこんな所に影響?
チャウリバザールから地下鉄で一駅、ニューデリー駅で下車。バックパッカーが良く泊まると言う安宿が多いメインバザールを目指す。ところが・・、そこはニューデリー駅のちょうど反対側にあり、駅を突き抜けようとするとセキュリティが厳しく、相当遠回りすることになる。しかし駅構内を通過するため、何故か切符もないのにホームに降りられ、インド鉄道の車両を写真に納める。何だか仕組みはよく分からない。

ようやく反対側に辿りつくと、そこには両側に商店、両替屋、安宿が連なる道があった。欧米人の姿が多く見られ、安物を買い込んでいる。ここがメインバザール。昼時になったので、レストランを探す。すると一軒のお茶屋が見えた。

ホワイトティー、シナモンティー、バニラティー、など多彩な紅茶が並んでいる。とても興味があったが、空腹でお茶を飲むのは堪えると思い、話だけ聞く。しかしこのお茶が何処で採れ、どのように運ばれてきたかは分からない。

お茶屋のおじさんに美味しいレストランを聞くと「そこに日本人がやっているのがある。日本食も食えるぞ」と言ったので、行って見る。クラブインディア、は目の前の建物の3階にあった。お客は韓国人の若者。音楽も若者向け。ここはバックパッカーのたまり場なのだろう。後で見ると地球の歩き方にも一番先に載っている。

メニューを見ると確かにさるそば、唐揚げ、オムライスなど日本食が並ぶ。インド料理、ウエスタンもある。折角なのでチキンカツ丼を注文したが、答えは「ない」。注文を取りに来たおじさんによれば、そばもうどんも、そして白米もすべて日本から輸入していたが、震災原発後はその輸入を止められ、日本食は作れなくなっていた。

おじさんは最初英語で話していたが、私が日本人と分かると(普通は日本人と分からないらしい)、流暢な日本語で説明してくれる。店の壁には日本語で「病気などのお手伝いします」といった張り紙もある。インドで苦労しているバックパッカーの見方であろう。おじさんから「震災、原発大丈夫か」と聞かれた。ラダックでは震災を考えることもあったが、デリーでは日本のことなど忘れていた。突然現実に引き戻された気分。結局カレーとナンを食べた。



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