『インドで呼吸し、考える2011』(16)デリー インドは生きているだけで価値がある

空港のセキュリティ
空港までは僅かな時間、沈黙が流れる。突然インドの空港ではチケットがいることを思い出す。Eチケットに慣れた我々は直ぐに忘れてしまうが、チケットなしでは空港入り口すらクリアーできない。慌てて鍵を開けようとしたが、間に合わず入り口到着。しかし何故か車はフリーパスで侵入。ここではお坊さんは信用がある、ということ。

そしてターミナル入口。P師が付いてきてくれたが、ここまで。有難う、すら言えない内に中に引きこまれる。何だか全てが終わったような気分になる。気を取り直して、チェックインへ。多くの人が並んでいる。カウンターは2つしかない。ここでP師の言葉が頭をよぎる。「急ぐ必要なんかない。ゆっくりやりなさい」

いつもなら、どちらのカウンターが早いとか、イライラして待つのだが、今日は完全に無の境地?もう一つのカウンターが相当早く手続き出来ているのを見てもゆっくり待っていた。そうしたら何とチェックイン最後の1名になってしまった。だが、カウンターの女性が「ビジネスクラスにアップグレードします」というではないか。何だかいきなりのご利益に仰天。

今回は比較のため、ジェットエアーを選んでいた。好感度は急上昇。というか、いつものようにちょろちょろせずにいたことが、この結果か。そして手荷物チェックを経て、待合室へ。出発時間より早く何回かアナウンスがあったが、気にせずにいる。しかしどうも変だと思い、係員の居る外へ出てみた。するとそこには何とさっきチェックインした私の荷物が2つ、取り残されていた。何かまずい物でも入っているのだろうか?

係員がチケットを確認、そして荷物に印をつけて終了。ようするにチェックインした荷物が本当に搭乗する人の物か再チェックしていたのだ。そこまでするか、と思うと同時に、やはりここは国境紛争地帯の一つなのだと再認識。これまでの穏やかな生活の陰で、全く危険が無いとはいない状況もあると言うこと。

更に搭乗時には再度手荷物検査、バスで移動する際にもボーディングパスの検査。そして搭乗時にも再検査と、都合5回のチェックがあった。いや、空港入り口で検査が2回あったから、合計7回ものチェックを潜る。国内線でここまでやる地域は珍しい。

座席は一番前の窓際。離陸時からラダックの余韻に浸る。上空でもあそこが、スピトクなどと地名を思い出し、何故か感激。ジェットエアーは格安航空会社ではあるが、キングフィッシャーより何となく雰囲気が良く、CAも美人ぞろい。段々俗世に引き戻される。

隣のインド人が話し掛けてくる。「お前の持っている本は中国語か、日本語か」何故そんなことを聞くのかと思えば、彼は中国語を半年勉強したのだと言う。それで本の漢字に反応したらしい。ラダックにオフィスがある、と言っていたが、何の会社だろうか。中国語学習は仕事ではなく遊びだと言っていたが、本当だろうか。インド人にも中国語ブームが来たのだろうか。

飛行機はあっと言う間に下界に降りてしまった。僅か50分で、私のラダックは全く視界から消え去った。

【デリー編】
15.デリー1日目
携帯とプリペイドタクシー
2度目のデリー空港。何となく慣れた気分で荷物が出て来るのを待つ。怖い物が無くなったような気分。今日のホテルは予約されているし、交通手段はプリペイドタクシーを使えば、安全とのこと。何の問題もない。

ただラダックで果たせなかった携帯のSimカードを購入してみたいと強く思う。空港を出た所に携帯会社のカウンターがあった。試に聞いてみると「買える」との答え。半信半疑ながら手続きを進める。係員はジョークなど交えて非常に愛想がよい。

「写真持ってる?」と聞かれ、困る。持ってないと答えると何と自分の携帯で私の写真を撮り、処理してくれた。実に臨機応変、この機敏さが日本に欲しい。結局20分ほど掛けて書類に5枚ほどサインして、手続き完了。しかし料金は1000rp。カードは10年有効だが、3か月に一度チャージしないと、無効になる。3日の為には高過ぎたかもしれないが、これが危機を救うことに。

携帯ブースの隣にプリペイドタクシーカウンターあり。この場所は分かり難い。何故もっと分かり易くしないのか。何となく既得権益のにおいがする。市内YMCAまで320rp。タクシー番号が指定され、白黒のタクシーを探せと言う。正直初めての人間には不親切か。

ようやくタクシー乗り場を見付けると、係員が愛想よくレシートを受け取り、誘導してくれる。と思うと、彼は実は運転手で、番号の違う自分のタクシーに乗せようとする。流石、インド。その手には乗らずに、番号の所へ。この運転手はなかなか真面目そう。

クラシックカーのようなタクシーに乗る。料金所まで来ると誰かがいきなり乗り込んできた。「いいか」と聞かれたので、素直に首を縦に振る。中国ではこれは危険な行為。助手席に乗り込んだ人間がグルで、法外な料金を取られる可能性もある。しかしこの時はまだラダックの慈悲の心が残っていた。結局運転手とその男は楽しそうにお話、彼は途中で降りて行った。何度も私に感謝していた。不思議なものだ。

エレベーターに閉じ込められて
難なくYMCAに到着。タクシーンの運ちゃんは結局よい人だった。まだ午前中ではあるが、チェックイン可能とのことで待つ。これも普段であればかなりイライラしてしまう所だが、ただジッと待つことはが出来るようになっている。

ようやくチェックインがやって来て、非常に厳格なフロントのおじさんから内容を聞く。ところが、宿泊価格が2倍になっている。その点を指摘するとそのおじさんは、リストを指さし、「お前はこれだろう」と全く違う名前を指す。よく見るとその下が私。単に一段違っていただけ。おじさんはニコリともせず、謝ることもなく、金額を半分にして、再度最初から説明を始めた。これは一つのインドだな、と思いながら、この説明を楽しむ余裕がある。

そして客室へ向かう。エレベーターに乗り込み、3階のボタンを押す。ところがどうしたわけか動かない。少し慌ててドアを開くボタンを押すがやはり反応が無い。流石に慌ててベルを押す。昼間だし、警備員も居たし、誰か気が付くだろうと心に余裕はある。しかしエレベーター内の扇風機も停まってしまい、ちょっと息苦しくなる。

そこへ外から音がした。手でドアを開けている。よかった、とその助けに来てくれたスタッフを見て、ビックリ。どう見ても日本人に見える。まさか日本人エンジニア?彼は英語で大丈夫かといい、エレベーター内を点検、3階のボタンが反応していないだけだと言う。そして私に乗れと言う。嫌だったが、言う通りすると、何の問題もなく動き出す。彼は一体何者?

部屋は広かったが、ドアのカギは壊れそう。値段が半分なのは、実はトイレとシャワーが共同だから。ということはイチイチトイレに行くのに鍵を掛けることに。本当にシャワーを浴びたかったが、約束があり、直ぐにホテルを飛び出す。

インドでは生きているだけで価値がある
今回紹介されたNさん、日本食スーパーを経営されている。電話で確認し、オートリキシャーで来るようにと言われる。ホテルの外へ出ると、待ってましたとばかり、ターバンを巻いたおじちゃんが近づいてくる。どうみても、観光客向けの客待ち。この手には乗らない。さっと身をかわし、通りかかったリキシャ‐に飛び乗る。

Nさんから100rpあれば行けると聞いていたので、100rpで行くかと聞くと、首を縦に振り、しかも横についていたメーターを作動させる。場所も何回も確認していた。これはいい運転手だと・・。

30分ぐらい走っただろうか、結構遠いなと思っていると、いきなりここだと言われ、有無を言わせず降ろされる。メーターでは70rpだったが、100rpの支払いを要求される。確かに私も口にした数字だからまあいいかと支払って。ところが・・・。指定された場所はどこにもない。周囲の人に聞くと「ここから2㎞は離れている」と言う。何ということか。

そこからお店を探すのに悪戦苦闘した。人に聞くと皆答えてくれるが土地勘がないので正しいかどうか皆目わからない。とうとう例の携帯電話を取出し、確認する羽目に。それでも携帯があったのでよかった。もしなければ、途方に暮れていかもしれない。

ようやくお店に着き、延着を詫びるとインド在住20年を超えるNさんは一言、「インドは生きているだけで価値があるんです」非常に納得。そして「インドは発展していくが、その変化は100年、1000年単位で見て行かなければならない。自分の目の黒い内に大きく発展することはない。来世で見られるかな」「インドは変化していくが、変化しない頑固さもある」などと。うーん、これは奥が深い。

元々お坊さんであったNさん、仏教界への意見は厳しい。「日本の仏教界は既に死んでいる。 仏教がビジネスになっている」「ラダックの仏教は生きている。洪水に遭っても、皆が理解できるベースがある」「世界は今末世であり、この状態は一万年続く」「戦後アメリカの愚民政策により、日本は仏教を捨てた。基地問題など、アメリカ依存を捨てない限り、日本は立ち直れない」と次々私がラダックで考えていたようなことが飛び出す。

また教育では「子供はインドの環境で育てるのが正解。英語力やインドの泥臭さ、人間臭さが身に付けば、世界で怖い所はない」とも。また「日本人は英語は上手いが、執念が無いので韓国企業に負ける。韓国人は物怖じしないし、インドに合わせた商品を用意する」と日本企業の弱点もズバリ。インドで最近成功しているピザのようにインド人好みに合った商品提供が必要のようだ。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です