『インドで呼吸し、考える2011』(9)ラダック 6歳のリンポチェ登場

6歳のリンポチェ登場
昨日も入った新しいお堂で、既に祈祷が行われていた。ソーナムは私を例の曼荼羅の所へ連れて行き、説明してくれた。その後私の座る場所を示し、どこかへ行ってしまう。見ると既に数人の観光客が座っていた。祈りを聞いていると言うよりは写真を撮ることに夢中で、中にはシャッターの音を大きく響かせ、僧侶が振り向くなど、顰蹙を買うような行為も見られた。ただ彼らは10分ぐらいで、出て行ってしまう観光客。その後も何人もの観光客が入ってきて、写真を撮っていたが、僧侶からすれば儀式を公開することが望ましいのか、疑問に思えた。

私が入って直ぐに、若い僧侶が床に手を着き、3回お辞儀をした。その後音曲が鳴り響き、読経と合わせて、騒がしくなる。そして何故か僧侶の食事の時間となる。各人配給されたご飯とおかずを手かスプーンで食べている。雑談も始まり、休憩といった雰囲気。観光客は一斉に引き上げる。私はこの機会に再度堂内を一周。因みに私にはバター茶が振舞われた。今回P師が飲んでいたのを一度頂いたが、比べても遥かに濃厚。正直これは飲めなかった。24年前のラサではバター茶が飲めないだけでなく、寺院にバターの臭いが付いていて、閉口した記憶がある。

何となく食事の時間に僧侶が増えたのはご愛嬌か。突然ちょっと緊張した雰囲気となる。見ると小さな男の子が僧侶に囲まれ、堂内に入ってきた。あれがリンポチェである。カメラを構えると、ちょうど私の居た方に歩いてきたが、写真は上手く撮れなかった。

リンポチェは転生によって引き継がれていく。先代、いや彼の前世は、ラダックに教育制度を導入したとして高く評価されている。その生まれ変わりには正直興味が沸く。ただ私の座っている方からは全く見えない高い所に座っており、その素顔は見えない。

すると地元の女性が布施でも申し出たのか、彼の前に行き、シルクの布を渡される。その光景を見た観光客が静かに近づき、写真を撮る。私も静かに行って写真を撮ってみたが、フラッシュなしでは写りが悪い。仕方なく、彼が見える位置に移動してそこに腰を落ち着け、かなり長く見てみた。

正直僅か6歳の子が読経中にジッとして居られるはずはないのだが、やはり彼も手を動かしたり、こちらを見たりと、落ち着きはなかった。お付が一人横に座っているが、そちらに向かって何か話したりしている。お付がバター茶を差し出すと嫌がっており、可笑しい。代わりに自分でジュースをストローで飲んでいた。それでも信者が近づくと、男性の頭には手をやり、女性には触らないなど、それなりのルールは身に着けている。

この光景を見て考える。我々から見ると僅か6歳の子供を祭り上げる意味があるのだろうかと。周囲には大勢の老僧がおり、読経を繰り返す。何だか、日本でいえば戦国時代のお世継ぎのようである。しかし違うとすれば、お世継ぎは勢力が無くなれば追い出されるが、彼の体や行為が如何に子供でも、魂は尊敬すべき対象だろう。全く不勉強なので機会があれば是非調べてみたい。

私もドネーションをして、リンポチェに頭を触ってもらおうと思い、僧侶に声を掛けると何を勘違いしたのか、領収書を書いてくれたが、貰ったのはシルクの白い布のみ。やはり信心が足りないと言うことか。神妙な顔で読経に参加しているソーナムに手で合図を送り、お堂を後にする。本来は最後まで居ればソーナムが送ってくれる手筈であったが、自分で帰ることにした。

帰ると言っても昨日から気に入っている徒歩を選択。道は空港の滑走路横の一本道。迷う心配もないし、それほど遠くもない。兎に角この辺り、軍関係の施設ばかり。いや、昨日の道も同じ。軍が膨大な土地を抑えている。と思いながら歩いていると「軍事文化博物館」という建物が見える。入り口は工事中。そこで2人の幼子を遊ばせながら、シャベルで土を掘り返す女性がいた。彼女も出稼ぎだろうか。インドならカーストの問題かと思うが、ここでは別問題のような気もする。それにしても一日いくらの稼ぎもない、この仕事をして子供を育てていくのは大変なことだろう。

真のリーダーとは 情けは人の為ならず
戻ってみると昼前なのに皆が外でお茶を飲みながらパンをかじっていた。P師に聞くと、改修に関わる建材などの整理だと言う。それにしてもその後の作業を見ると、大きな石を担いだり、砂利を袋詰めして運んだり、かなりのハードワーク。しかもP師が陣頭に立って自らやっているから凄い。これでなければ人は動かない、リーダーの典型のような感じだが、本人に寄れば「土曜日の午前は休日なの。それで普段不足している運動をしていただけ。」と平然と答える。

真のリーダーとはそういうものかもしれない。不言実行、彼女は誰かに指示を出す前に自ら何も言わずに作業を始めることがある。するとそれを見た人々が自然と後から付いてくる。そうして皆の作業が始まると、彼女はあれこれ指示を出す。

日本で会社に行くと、何でも「やらされている感」が強い。まあ、殆どの人はそれを言い訳にしながら黙々と与えられた仕事をこなしていく。ここではそんな感覚はない。自ら動いて行くように仕向け、自ら考えさせ、そして作業効率などを最終的に指導する。

そして自らは「自分は誰かの為ではなく、自分の為にやっている」と言い切れることが重要。ここに仏教の強さがあり、P師の揺るぎのない強さが感じられる。世俗では、「人の為にボランティアをする」などと言っているが、その考え方自体が既におかしいのかもしれない。「情けは人の為ならず」である。因みに最近このことわざの意味を「人の為にならないから情けは掛けない」と解釈する人が多いと聞く。真に世も末である。

博物館に入ろうとすると軍服を着た男性に呼び止められる。60rpだという。何故そんなに高いのか聞くと入場料は10rpで写真代が50rpだと言う。どう見ても写真を撮りそうになかったので、10だけ払う。チケットは当然くれない。中に入るとチケットを売るテーブルがあったが、私をチェックする人間はいなかった。そして展示物は軍の功労者と戦役の展示ばかり。60払わないでよかった。

また雨が落ちてきた。昨日も歩いていると雨が降ってきた。雨が少ないレイでは非常に稀なことではないのか。私は実は雨男?いずれにしてもそれ程強く降ることもなく、45分で辿りつく。



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