『インドで呼吸し、考える2011』(6)ラダック 食べることに集中せよ

尼僧による改修工事
午後ネットを1時間半使う。これはここでは最高に贅沢なこと。今日はブロードバンドの機嫌が良い。昨日の分までアップしたり、メールに返事する。8月の新疆行きのためのパスポートコピーを送れずに困る。

その間に午後の予定であったハーブ園訪問に置いて行かれる。特に不満もなく、1時間午睡。4時過ぎに読書していると、改装中の2階から落としていた大量の木材処理が始まる。初めはワーカーの女性が一人で大きな丸太を担ぎ出す。すると尼僧たちが少しずつ作業に参加し始める。しかも皆やらされていると言った感じは全くなく、楽しそうに遊びながら運んでいく。この分け隔てのない感覚、日本は忘れている。共同作業は清々しく終了。

因みに改修現場のワーカーたちはネパール人。一人がヒンディー語で話し掛けてきたが対応できなかった。彼らも故郷を離れて出稼ぎ中。特に若い女性は顔にスカーフを巻き、重労働を強いられているのは、厳しい。と言ってもここの尼僧さん達も同じような作業を手伝ったわけだから、驚くことではないかもしれない。それにしても経済的な理由だと思うが、彼女らの心情を推し量ることは出来ない。

P師が戻る。午後急患が発生し、外出していたらしい。それで置いて行かれたのかもしれない。P師によれば、昨年の洪水でここの建物も1階はほぼ浸水、2階は屋根の構造が弱く、上から大量の水が振り込んだと言う。子供たちは1階の瞑想室に一塊で寝て、年長組は夜通し、水を排除したらしい。その際、中央の建物が大きく破損し、今回の改修となった。これには日本からも援助者がいるらしい。

この建物、折角改修するのだからということで、ここの2階をコミュニティホールにすると言う。昨年の水害で、LNAはいち早く被災地にクリニックを設置(2年間)、薬と安らぎを提供した。特に精神的に大きなトラウマを負った人々の話を聞き、癒しを与えたという。その関係を切ってはいけない、その発想からコミュニティホールを作り、日頃から接触しようとしている。この辺りは日本でも見習うことが出来ると思う。

その他通常活動の一環として100以上グループを訪問。「信じる心」を説いて回る。心が良くなると体の回復は格段に速い。例えば人生に絶望して自殺しても精神は残るもの。ラダックは山間地帯であり、規模も小さくこのような考え方をシェアするのは容易。生活をスローにして、平和的に送ること。これが理解されれば、回復は早いとのこと。

初日から注目していた少女が服を着替えていた。水やりの役割が与えられたようで、少しずつ馴染み始めている。そして作業には参加しないが、年下の子達と「せっせっせのよいよいよい」と言った感じの遊びに加わった。P師によれば、精神的に少し障害を持っている。まだ皆には馴染めないが、ここに居ればいずれはよくなる日が来る、と思える。

作業は総出で終了。するとご褒美なのか、チャイとパンが提供され、皆で食べる。この雰囲気がまたよい。皆で分け合う。私は作業していないが、分けられる。いま日本の少女たちにこのような作業を命じれば大変なことになるだろう。「なんで私がこんなこと・・」とのフレーズが出て来るに違いない。では「なぜするのか」説明できれば彼女らはするだろうか。「人を殺してはいけない理由」を説明できず立ち往生する大人とどこか似ており、日本はどこか空しい。

夕飯前にスープが配れる。これを食べれば夕飯不要と思える。今日は皆作業があり、お祈りの時間が遅れたようで、夕飯は9時ごろとなった。P師は忙しそうに明日の予定を告げて出て行った。彼女は夕飯を食べる時間があるのか、頭が下がる。

夕飯はダース・トックと呼ばれる雑炊。夜は消化に良いものを食べて早く寝るのだ。チャイも出ない。理に適っている。1椀で十分だが、代わる代わるもう1杯食べないかと聞きに来てくれる。これも一つの奉仕なのだろうか。皆何となく楽しそうに食べる。変な言い方だが、日本でこの粗食を楽しそうに食べられる家庭は真に幸せなのだろう。今日は夜9時半でも電気がある。実に有難いことである。

7月14日(木)
8.ラダック4日目
食べることに集中せよ
朝目覚めるとまた少し頭が重い。しかし既に経験済みなので特に心配もせずに体を横たえる。7時前にお湯が運ばれて来て起き上がる。お湯を飲んでトイレに入るが、なぜかうまく出ない。何となく水分が足りていないように感じる。ここラダックは年間降水量が84mと極端な乾燥地帯である。バター茶などを頻繁飲むのも乾燥から身を守るため。東京ではリップクリームを持っていくようアドバイスされたが、普段つけ慣れないものをここで使用するのは少し怖い。

8時前に朝食。今日はチャパティとカブの煮込み。カブは葉っぱもしっかり入っており、健康食という感じがする。この食べ物、昔おばあちゃんが作ってくれた味に似ていて、驚く。ラダックは何となく日本に近い。そんなことを考えていると、当然一人の男性が腰を低くしてP師に近づいてきた。こちらが目を疑うほどに、その男性は日本のおじさんだった。しかし次の瞬間ラダック語が発せられ、間違いであることに気が付いた。おじさんは恭しくP師の横に座る。P師は彼の脈を取る。これはチベット伝承医学の手法と聞いている。そしてあとは一緒に食事をし、少し話して薬を貰って帰って行った。聞けば数年前、体が全く動かなくなる重度の障害に見舞われたが、今基本動作は正常に戻っていると言う。

ハーディと話をした。彼女は携帯も持たず、ネットも時々チェックするのみ。現代は忙し過ぎる、携帯やネットから解放されて初めて、こちらでの生活をエンジョイできると言う。全くその通りで、Social Networkと称される電子媒体が疑似世界を作りだし、人々はその中で、何かを埋めて生きている。ここラダックでは全てがリアル、である。一つ一つの生活、例えば食べるとか、寝るとか、そのような行為に集中できることがより重要であると思える。疑似的な行為はどうしても注意が散漫になる。これが心のバランスを不安定にしているような気がしてならない。

P師は朝から忙しい。皆に指示を出し、ネットを何とか繋げて、どこかへ返信している。私は彼女の時間が空くのを気長に待つ身である。するとオランダ人のスーザンなる女性が入ってきた。彼女は日本の状況を熱心に聞いてきた。弟が原子力関連の教授とかで、色々な情報が入ってきているようだ。スーザンに私の時間を譲り、退散。読書に励む。

あの新入り少女の表情が少しずつ変わっているのが見て取れる。今朝はついに彼女が笑顔で「おはよう」と言ってくれた。それでもチャイを入れたカップを持つと一番端に行き、相変わらず雪を頂く、山を眺めている。どこか私の子供の頃を思い出させて、やるせない気分になる。

昼前にネットを少し触り、ご飯へ。今日は豆煮込みをご飯にかけて食べる。これはかなりいい味だが、午後の外出に備えて控えめに食べる。スーザンとハーディは楽しそうに話している。彼らが話している方が英語らしく、聞き取りやすいのは不思議。

初めてのローカルバス 
昼ご飯後すぐにP師から「今すぐ出発」と言う指令を受ける。ツァモとスタンジンと言う2人の若手尼が同行。スーザンも同行することになる。この2人は8月頃からダラムサラの学校へ入り、6年間医学を勉強するらしい。6年間は帰られないつもりで一生懸命勉強して、チベット伝承医学をマスターしてくると言う言葉に胸を打たれる。明治青年の志のようではないか。

先ずは歩きで空港道路へ。10分近く歩いてようやく売店があり、水を調達。1ℓ15rp。店の前に車が止まり直ぐに乗り込む。これがタクシーか。座席は対面の4人乗り。いすゞ製。10分ほどでバスターミナルに到着。ターミナルと言っても広場にバスが数台停まっているだけで、行先も分からない。一人で来たらとてもバスを探せないだろう。彼女達も懸命にバスを探しているがちょうどよいのが無いらしい。

仕方なく1台に乗り込む。運よく席はあった。しかし隣のおばさんはかなりの巨体。何とかしりを突っ込むとおばさんも嫌な顔をしながら笑い出す。こちらも申し訳ないので席を立とうかと思ったが、どうやら席は確保しておいた方がよさそうな雰囲気でそのまま大人しく座っている。

ところがバスはいつまで経っても発車しない。運転手も来ない。この際修行だと思って黙って座っている。こんな時は非常に暑く感じられる。時々風が吹き込まなければ気分が悪くなっていたかもしれない。スーザンは前の方で地図を広げ、何やら地元民と話をしている。西洋人はこういう時に有利だと感じる。そうこうするうちに運転手がやってきて、そして駆け込みで乗り込む乗客ですし詰めになって発車した。しかし直ぐまたバス停があり、乗って来るので、本当にギューギュー詰めになる。確かに今や隣のおばさんのプレッシャーの方がかなりマシになってきた。

バスは途中で何度も停まり、客が何とか降りていく。しかし不思議なのはどうやって料金を払っているのか。人が多過ぎて見えない。郊外に出ると一面の原野と爽やかに聳える多くの山々。風景を楽しみたいがその隙間は少ない。とうとう降りるとの声がかり、客を押しのけて下車。すると若者が車掌として集金している。なるほど、いや当たり前か。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です