《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1994年シンガポール

5.1994年4月 シンガポール

(1) 次男誕生
93年5月14日、次男が香港で生まれた。5月14日は私の誕生日でもあり、医者に頼んでこの日にしてもらった。私の誕生日に生んでくれと言ったものの、まさか本当に当日生まれるとは思っていなかったので、生まれた時は嬉しかった。

その後順調に育ち、冬には日本に帰国するなど、飛行機への抵抗も無いようなので、長男の時同様2歳前に旅行をしようと計画した。何故最初にシンガポールを選んだのかは忘れてしまった。ただ私はシンガポールに良い思いでしかなかったので、家族にも見せたいと考えたのでは?

(2) シャングリラ・セントーサ
香港のイースター休みは土日を入れて4日間、シンガポール旅行には丁度良い。今回もキャセイのパッケージツアー。連休の場合はオフシーズンと異なり、追加料金を取られる。如何にも香港らしい。

シンガポールのビーチリゾートと言えば、セントーサ。昨年シャングリラが出来たと聞き、セブの経験を生かして、ここに泊まる。空港から真っ直ぐ島に向かう。30分。この便利さが良い。

ホテルは流石シャングリラ。新しく、豪華。部屋もシービュー。なかなか快適。私はシャングリラが好きである。華美ではないが、部屋の隅々に行き届いた所がある。

(3) 大丸
チャンギ空港に着くと、長男が『ヤクルトが飲みたい』と騒ぐ。流石に旅行先にヤクルトを持参していない。彼は当時家では『ヤク中(ヤクルト中毒)』と呼ばれ、一日に何本も飲んでいた。体に良いものなので飲ませていたが、突然言われると困る。

どうしたものかと悩んだ末、大丸に行くことにした。大丸の上にホテルニューオータニがあり、以前泊まったことがあったこと、及び香港でも常に大丸で物を買っているので安心感があることが選んだ理由である。

リャンコート大丸はタクシーで直ぐに行けた。中に入ると地下に食品売り場がある。この売り場が大きい。香港も大きいと思っていたが、更に大きい。この中からヤクルトを探すのは大変だと思っていると長男はさっさと歩き出す。付いて行くと何とそこに『ヤクルトお姐さん』が立ってヤクルトの販売をしていた。どうやらプロモーション期間のようだが、この偶然に驚くと同時に長男の嗅覚には舌を巻いた。10本セットを購入したのは言うまでも無い。

(4) ビーチ
長男はビーチが見えると直ぐに直行。次男も足をバタつかせてせがむ。ビーチの砂は白い。きっと何処からか持ってきたものであろう。

子供達は砂遊びを始める。何故子供は砂遊びが好きなのだろうか?その内他の子供も加わり、皆で遊び始める。とても素晴らしい光景が広がる。ところがふとしたことから喧嘩が始まる。良く聞いてみると相手は広東語だ。香港人も大勢来ている事が分かる。長男も負けていない。日本語で言い返す。砂を掛け合う。微笑ましい光景である。

(5) シャングリラ・オーチャード
翌日動物園に行くことになり、シャングリラ間のシャトルバスに乗る。シャングリラ・オーチャードは数あるシャングリラの中でも基幹店舗である。シンガポールのメインストリート、オーチャードロードから少し奥まったところにある。
私は1987年2月始めてシンガポールに来てここに泊まった。そのときの感激が忘れられない。今回は是非とも家族に見せたいと思い、立ち寄る。

上海留学中に旅行で来た時はシャングリラの素晴らしさなど全く分かっていなかった。フロントで『部屋が掃除中で使えない。ロビーラウンジでドリンクを飲んで待っていてくれ。』と言われた時は『何だここも中国か』と言う失望を覚えたが、ラウンジに行って心境は一辺。チャイナドレスを着た美人のお姐さんが膝をついて飲み物をサーブしてくれる。昔の中国でこんなサービスは考えられない。にこやかなお姐さんはこの世の物とは思えず、思わず涙してしまった。

その涙してしまったラウンジを今回家族4人で見学した。流石に年月が経ち、経験を積んだ私にはそこは何の変哲も無いラウンジにしか見えない。ましてや後の3人は何のこっちゃ、と言う感じ。時が人間を変えるのか、それとも環境を変えるのか?

(6) タクシー
シャングリラからタクシーに乗り、動物園に向かう。『ズー、プリーズ』と言ってみたが通じない。北京語で言うと直ぐに通じる。シンガポールもやはり北京語かと思っていると、『何処から来たのか?』『香港』『何だ、同胞は北京語で話そうよ』と一方的に私を中国人に仕立て上げる。

『奥さんは日本人なのか?羨ましいな?どうやって知り合ったんだ?』矢継ぎ早に質問してくる。『違う、俺は日本人だ。』と何度も言うが信じない。愈々奥の手だと、日本のパスポートを取り出すと『何だ、帰化したのか?何年掛かった?どうやって取ったんだ?』と更に全く信じない。とうとう諦めて同胞になることにした。
同胞には親切であり、帰りも待っていてくれて、値段もまけてくれた。しかし日本人はそれ程に良いものなのか?そんなにイメージが良いのか?不思議でならなかった。

(7) 動物園
子供達は動物園を一番の楽しみにしていた。ここシンガポール動物園は馬鹿でかい。入ると行き成り電車が走っており、乗り込む。すると子供の遊具がおいてある場所が目に入り、兎に角それで遊ぶと2人とも譲らない。結局そこで30分ほど遊んで何とか動物の居る方に連れ出す。

ところが、真昼のシンガポールは非常に暑い。彼らは暑さにバテてしまい、何と2人とも寝込んでしまう。態々動物園まで来て動物も見ない何てと、悔しがったが後の祭り。一度寝てしまうと梃子でも起きない。結局動物を全く見ずに、動物園を去る。そのままホテルに直行して、夜も静かに寝る。

(8) 忘れ物
シンガポールを去る日、ホテルでタクシーを頼み空港へ。次男はすやすや寝込んでいる。1歳直前の彼は実に良く寝る。

空港に着き、タクシーにお金を払い、カウンターに向かう。キャセイのカウンターでチケットを出そうとしたが、バックが無い。奥さんが持っているものと思い、後ろを振り返ると、彼女は寝ている次男を抱っこしている。あれ、あれあれ。バックは何処だ??

冷や汗が出る。奥さんは次男を運び出すことに気を取られ、私は支払いに気を取られて共に大事なバックの存在を忘れていたのだ。バックの中には、航空券、パスポート、現金、トラベラーズチェックなど貴重品が全て入っていた。尻のポケットから財布を出すと、何とシンガポールドルが10ドルしか入っていない。

どうすればいいんだ、シンガポール支店に助けを求めるか?頭には明日シンガポール支店に出勤する私が過ぎる。先ずは警察、そうだ警察だ。警察は空港の地下2 階にあった。英語で事情を説明するのももどかしい。何しろ2時間後には飛行機が出てしまう。これに乗れず、金もないとなるとかなり面倒になる。警察への説明も大声でぶっきら棒になる。

警察官は実に冷静に、各所に電話している。その間にも時間は過ぎて行く。こちらは大慌て。但しうちの奥さんはかなりののんびり屋であり、こういう時には助かる。女性はヒステリックになると手がつけられないから。10分が過ぎて仕方なく他を探そうとしたその時、警察官が『あったぞ』と叫んでいた。えっ、えっ。そう。

説明に寄れば、タクシーの運転手は忘れ物を発見し、航空券のチケットからキャセイのカウンターに持ってきてくれたそうだ。何とやさしい運転手さんだろう。警察官が険しい顔で言う。『こんな大事なものは2度と忘れるな』もっともだと思う。兎に角1件落着。

後でシンガポール在住者にこの話をしてみると、『ホテルで呼んだタクシーだから、忘れ物をそのまま頂戴しても、足がつく。そう考えれば、彼はそうするしかなかったんだ。』という。運転手の行為は勿論善意の行為だと私は今でも信じてはいる。人の善意は素直に受けよう。(但し運転手さんの所在も分からずお礼はしていない。)

(9) リゾートの鉄則5
貴重品は絶対に身から離さないようにしよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です