『街道をゆく』を行く2005 本郷3

【本郷3】2005年9月23日

今日は秋分の日。雨模様であるが、暑さが無くて歩き易いので出て来る。都営三田線の春日で降りる。

3.本郷③
(1)真砂町

春日通を本郷三丁目の方向へ歩く。登りである。数分して左に入ると『文京ふるさと歴史館』がある。中に入るとかなり広い。単なる展示ではなく、豊富な写真や説明でよくわかるようになっており、興味深い。当日は団体旅行のご一行が来ており、職員が2手に分かれて説明をしていた。

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横には明治時代にありそうな旧家がある。入口に古い牛乳受けが取り付けられている。人が住んでいるのであろうか?一度はこんな所に住んでみたいが、どうであろうか?斜向かいには真砂中央図書館があるが、当日は祝日で休み。更に行くと下に降りる坂がある。『炭団坂』と表示されている。本郷台地から菊坂へ降りる急坂である。炭団とは灰の粉末を球状に固めたて乾燥させた燃料のこと。この坂から転げ落ちるとその姿が炭団のようになるというところから来ている。

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そこに日立ビルが建っている。その前に坪内逍遥旧居・常磐会跡という表示がある。明治17年(1884年)逍遥はここに住んで『小説神随』を発表。写実主義を提唱した。逍遥が近くに転居後、旧伊予藩主の育英事業としてここに常磐会という寄宿舎が作られる。正岡子規、河東碧梧桐などが暮らした。2階建てが2棟あり、間に平屋があったという。かなりの広さであり、今のビルには恐らく後ろに庭があるはずだ。

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司馬遼太郎はことのほか、子規が好きである。『坂の上の雲』の主人公は秋山兄弟であるが、同郷の子規も主役の一人なのである。病床で日本文学史上画期的なことをやり遂げた人物。ところで坪内逍遥は奥さんを根津遊郭から身請けしたという。ちょっとビックリしてしまうが、根津遊郭は建前の上では娼妓に教養を身につけさせる明治の即席女学校であったというのだが。

(2)一葉邸

菊坂へ下る。直ぐに樋口一葉旧居跡の表示がある。しかし行って見てビックリ。休日の午前中であるが、壮年の男女がカメラをぶら下げて、活発に動き回っている。文京区の広報によれば、昨年一葉が5000円札に採用されて以来、多くの人が押しかけているらしい。文京区教育委員会は『見学は近所の皆様の迷惑にならないようにお願いします』と表示しているほど。

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細い路地を入るとそこは大正ロマン。井戸がそのまま。先客が皆井戸に触れ、記念写真を撮っている。最近の60代、70代の方々は本当に元気である。そして知識欲も旺盛。(私の将来は??)恐らく一日中こんな調子なのであろう。近所の人は皆息を潜めて暮らしているのでは??心配になってしまう。

小さな坂の横に木造3階建ての家がある。古い。ここに一葉が住んでいたのだろうか??ここから将来を夢見たのだろうか??『にごりえ』『たけくらべ』などを読むと、明治の日本はこんなに貧しかったのかと驚く。

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因みに近くを歩いていくと宮沢賢治旧居跡などの表示板もある。現在有名となった人々も生きていた時代は不遇であったのだろうか??賢治には貧しさは無かったと思うが。

(3)無縁坂

菊坂を歩き本郷三丁目に出る。そこから春日通りを行く。この道筋には和菓子の老舗、寛永年間創業の壺屋総本店、創業は明治4年、文人たちが集まったといわれるすき焼の江知勝などがさり気なくある。

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そして旧岩崎邸庭園の裏道を歩いていく。夏の日の午後とは思えない風が吹いてくる。何となく癒される感じ。更に突き当たりに老人が立って何かを待っている。しかも欧米人。何だか明治時代の風景のようで夏目漱石などを思い出す。

突き当りを右に曲がると右側は岩崎庭園の高い塀。直ぐに下りとなる。無縁坂。森鴎外の『雁』の中で医学生岡田が毎日散歩する坂である。そして末蔵の妾お玉が住んだ坂である。この岡田のモデルは鴎外と同級生であった緒方洪庵の息子であったという。

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坂の途中に講安寺という寺がある。ここの本堂は今では珍しい土蔵造り。土蔵造りは防火建築として江戸時代に普及したが、幾多の災害で殆ど姿を消しているという。貴重な建物である。そして岡田が散歩した時もここにあったはずである。

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しかし閑静な坂である。明治時代も寂しかったようだ。昭和も30-40年代までは格子戸のある木造の家があったそうだ。何故ここが無縁坂という名前になったのか?下に降りると不忍池。

(4)鴎外邸

不忍池は子供の頃上野動物園に行った帰りに裏門から出て、たまに寄った所である。その頃も池に足漕ぎボート(スワンボート?)が浮かび、カップルが楽しそうにしていたが、池自体は汚かった印象がある。今日見てみると意外と綺麗である。表示を見ると浄化装置が取り付けられ、池水の浄化が図られている。

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 不忍通りを歩いていくと動物園花園門がある。動物園に入りたい気分を抑えて先に進む。弥生会館を曲がると水月鴎外荘に出る。鴎外は1889年に結婚してこの地に住み始めたが、翌年には離婚。千駄木に引っ越している。今も住んだ家がホテルの中庭に残されているというが、私は入っていない。今度東京の宿に泊まる、といった企画をしてみても良いかもしれない。

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このホテルは現代的な趣となっており、鴎外温泉などの文字も見える。団体さんがバスで乗り付けて入っていく。昼食でも取るのであろうか?文豪の住居跡を謳うにしては、風情がない感じであるが、中はどうなっているであろうか?

寧ろ不忍通りに戻ると1929年に建造された上田邸という建物(民家)がある。洋風な建築はこのあたりでは目を引いた。忍旅館という名で営業していたこともある。3階建てのモダンな造りで『花園町の白さぎ城』と呼ばれていたようだ。

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(5)弥生坂

言問通りの北側に東大農学部がある。農学部らしく簡単な菜園が見える。江戸時代は水戸家の屋敷であった。明治になり政府がここを接収し、坂に名前を付けた。弥生坂。弥生の由来は幕末を騒がせた?徳川斉昭が3月にこの辺りの風景を歌に詠んだからだという。また幕府の鉄砲組みの射撃場があったところから別名を鉄砲坂と呼ぶ。

この地名で我々が思い出すのは学校で習った弥生式土器であろう。1884年(明治17年)に大森貝塚を発見したモースの講義を聞いた東大生坪井正五郎(後の人類学者)ら3人が貝塚から赤焼きの壺を発見したのが始まりという。この土器が縄文式と異なることから、出土した地名を取って弥生式と呼ばれるようになった。縄文人も弥生人もそんな名前は聞いても分からないだろうが。

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農学部前の信号の南側に『弥生式土器発掘ゆかりの地』という碑が建っている。実際にこの辺りは向ヶ丘遺跡と呼ばれているが、土器が最初に発掘された場所は特定出来ていない。そこでやむを得ずここに碑を建てることにしたようだ。碑は昭和62年となっており、かなり新しい。

農学部の敷地の脇を根津神社に向かって歩き出す。すると住宅街に表示がある。サトウハチロウ旧居跡、今はただのマンションが建っている。サトウハチロウといえば、子供の頃『小さい秋見つけた』などに歌が好きだった。しかし彼がどんな人かは全く知らなかった。最近異母妹の佐藤愛子が書いた『血脈』を基にしたドラマを見てビックリした。破天荒な作曲家がそこにいた。

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今この家を見ても何も見えてこない。歌も聞こえてこない。幸せな家庭がそこにあるだけ。普通の生活ではあのメロディーは出てこないのだろうか??

(6)根津神社

途中にお化け坂と呼ばれる曲りくねった坂があった。如何にも夜お化けが出そうである。坂を下りると根津神社に出た。

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根津神社は1900年前に日本武尊が千駄木に社殿を創始したと言われる由緒正しい古社。太田道灌も社殿を奉献している。1706年に現在の建物となる。5代綱吉が世継ぎ(家宣)を決めた際、社殿を奉献し、千駄木より遷座している。

参道を歩いて行くと立派な楼門がある。唐門では新婚さんが写真撮影中。和服が似合う門である。本殿の横には家宣が奉納した神輿が飾られている。両脇に獅子の頭が2つ置かれている。寺社内には池もあり、緑豊かな木々もある。なかなか落ち着ける場所。

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『賽の大神碑』という石がある。これは元々駒込の追分(日本橋から一里の一里塚があった場所)に置かれていた。道行く人を災難から守る石がこんなところにあるとは??不思議な国である。

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6基の庚申塔も置かれている。大神碑同様明治の道路拡張でここに移動してきた。6基が六面体のように固まって置かれており、怪しい雰囲気をかもし出す。庚申とは中国の道教より出た習慣。60日毎に夜般若心経を唱えて過ごすもの。この神社には色々な物が収められている。歴史の長さだけでなく、何らかの要因があるのだろうが、今は計り知れない。

(7)汐見坂

根津神社裏門から駒込方面へ抜ける脇道。藪下道とも呼ばれる静かな親しみやすい道である。汐見坂と優雅な字で書かれた置石があった。細い道を緩やかに登る。

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道を歩き切ると団子坂。森鴎外の旧居観潮楼跡(現鴎外記念図書館)が見えてくる。藪下道に面した門が観潮楼の正門。今でも門はあるが、使用されていない。ここから入れば庭にも入れるのだろう。

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建物の中は少し古めかしい図書館。森鴎外の記念館でもあるので、鴎外所縁の品々も展示されている。図書としても当然鴎外作品が並ぶ。私は一体何が好きだっただろうか??忘れしまった。

 

 

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