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《タイお茶散歩 2006》メーサローン(1)

2006年7月18-19日

7月18日(火) 1.メーサローンへ (1)ソンテウ

ミャンマーの旅を終了して、国境を越えてメーサイに出て来た。やはり出て来たという表現が正しい。特に大きな問題はなかったものの、ミャンマーでは予想外のことが起こる。しかしこれから向かうメーサローンだって、タイとは言え、普通の場所ではない。 先ずはどうやって行くのか??チェンライの空港で聞いた時にはタクシーしかないということだったが??さっき国境でミャンマー側の旅行社に聞いた時にはメーサイ側に旅行社があるということだった。

しかしメーサイ側の何処を見回しても旅行社などは見付からない。ツーリストインフォメーションといった気の利いた場所もない。バス停もない。どうすればよいのか???すると前におじさんが立っていて、乗れという。見ればソンテウが一台待機していた。横の西洋人がひょいと乗り込む。

このおじさんが驚いたことに私に向かって『日本人か?』と日本語で聞く。そしてこのソンテウは郊外のバスターミナル行きだという。『メーサローンは?』と日本語で聞くと、道の方を指して、『日本語タクシーが来た』と訳の分からないことを言う。やはり日本語は片言だったのだ、と思った瞬間、ソンテウの運転手が降りてきて、『何処へ行きますか?』と流暢な日本語で聞いてくる。

このおじさん、聞けば『北千住に6年居ました。道路工事の作業員やってました。また日本に行きたいですね。』と実に礼儀正しい、そして丁寧な日本語を使う。私はこのおじさんが気に入ってしまった。ソンテウでメーサローンに向かう、というのも乙なものではないか? おじさんに交渉するとなかなかうんと言わない。結局800バーツでOKしてくれたので、喜んで出発、と思ったら50m行った所で停まる。いきなり女性に話し掛ける。奥さんだと言う。そして申し訳なさそうに『この車ではメーサローンに行けない。息子が送って行く』と言うではないか??

息子はトヨタの新車のバンを運転していた。おじさんとしてはこちらの方がよいと思ったのか、メーサローンは山道なので自分が行くのが嫌だったのか??仕方なく息子の車に乗り換える。おじさんと別れの挨拶をする。『ビザが取れたらまた日本に行くよ』と言いながらおじさんはドアを閉めた。残念だ、もっと色々と話を聞きたかったのに。何故日本に行きたいのか??

(2)検問

息子のバンは快走する。チェンライから来た道を戻って行く。道の脇に日本語学校がある。日本語が書かれている。さっきのおじさんもここで習ったのだろうか??いや、彼は日本に出稼ぎに行って、実地で覚えたのに違いない。 おじさんは日本で楽しいことがあったのだろうか??どうみても、辛い事が多かったのではないだろうか??道路工事や運送作業員などに時々外国人を見掛けるが、決して幸せそうではない。日本は楽しい所ではないはずだ。

リゾートホテルもある。一体誰がここに泊まるのだろうか??タチレイ側にはカジノホテルがあったが、こちらのホテルには何か特徴があるのだろうか??避暑地として使われるのだろうか?? そんなことを考えていると、快走していた車が停まる。何であろうか??検問である。ミャンマー側ではウンザリするほど通ったが、タイ側では初めてである。運転手が身分証明書、いや運転免許書を出している。私にもパスポートを出せと言う。 これまで色々な場面で検問を通ったが、大概は日本のパスポートを出せば、ことが済んでいたので、今回もそうだろうと思っていると、何と係官が車に乗り込むようにして、バックを開けろと言う。運転手は地元の人間であるが、私は余所者、といった対応である。更にバックを見ながらにこりともしない上役と思われる男が、私に近づき、いきなりボディチェックを始めたのには驚いた。何で??尻のポケットまでも探ってくる。これは本格的である。

5分ぐらいで解放されたが、アレは何だったのだろうか??運転手の息子とは言葉が通じないため、真相は分からない。勝手に想像すると、ミャンマー帰りの人間は何かを持っている可能性があるのではないか??もしやすると??私はこのとき初めて、ゴールデントライアングルにいることを実感した。 後で知ったことだが、この道は1953年に国民党軍がゴールデントライアングルから撤退する際、タチレイに集合してチェンライ空港から台湾に向かった道である。ゴールデントライアングルに踏み入り、発展させた李国輝はこの道を歩んで台湾に渡り、台北郊外で農民になったと言う。

メーサイから30分ぐらい走ったところで車は左に曲がり、山道に入る。舗装になっており、走行に問題はない。道端に3台のソンテウが停まっていた。見ると西洋人の団体が何かを見ている。何かは分からないが、西洋人はこういうことが好きだなあ、と感心する。ソンテウを借り切り、メーサローンに泊ったのでは??後で聞くとその通りであった。日本人はそんなことはしないなあ??

2.メーサローンの茶畑   (1)ホテル

道はどんどん険しくなる。道路が舗装される前は一体どんなだったのか??何時間も掛かったのではないか??30分ほど山道を行くと、突然茶畑が見えた。今回の旅のテーマ『タイに茶畑はあるのか??』の答がここにあった。

元々今回の旅行は偶然であった。タイに何度も行ったが、ミャンマー国境に行ったことが無かった私は、国境に詳しい旅行作家、下川裕治氏にアドバイスを頼んだ。高田馬場のシャン料理屋で周りを全てミャンマー人に囲まれながら話していると、突然下川氏が『タイ北部に茶畑があったな』と言う。 あまりに意外な言葉であったので、詳しく聞いている内に行こうと思い立ったのである。

タイ北部はミャンマーや雲南に近い。お茶の木があっても当然だ、ぐらいに考えていた。しかし車窓から見える茶畑は雲南の原木などではない。きれいに管理された現代の茶畑なのである。違った意味で深い興味を持った。

ところで私達は何処に向かっているのか?おじさんに『メーサローンの何処へ行くのか?』と聞かれていたので、『いいホテル』と答えておいたのだが。フラワーリゾートという立派なホテルを通り過ぎた。コテージ風のホテルが道より下に広がっていたのだが?? そしてついに10時半過ぎ、車は止まった。場所はメーサローンビラ。道より上がった場所、山の斜面に立てられた立派なホテルであった。

車で道から上に上がり、建物の正面に。中に入り、階段で2階に。2階にレストランがあり、そこがフロントになっている。 料金は1泊800バーツだと言う。念の為部屋を見せてもらう。運転手も着いて来る。きっと親父から言われているのだろう。親身になってくれる。ホテルの従業員は英語で話して来る。部屋は2つの部屋が1つの建物になっている、ビラタイプ。部屋の前に籐の椅子があり、メーサローンの山が一望できる。斜面の庭が非常にきれいに手入れされている。気に入ったので、泊ることにする。

(2)茶畑

レストランに戻り、女性に北京語で話し掛けてみる。何故か英語が返って来る。女主人と思われる女性に『茶畑に行きたい』というとちょっと怪訝な顔で、『今は雨季で茶畑には行けない』と言われてしまう。ここまで来てそれはないだろうと粘ってみると、それなら直ぐ近くに小さな畑があるので見せてあげると言われる。取り敢えず何でも見てやろう精神である。

付き添いとして従業員の女性が二人同行してくれた。彼女から北京語が通じない。顔にはタナカを塗っている。聞けば、英語が上手い女性は何とミャンマーのマンダレーから来ている。もう1人は昨日まで居たチャイントーンの出身であった。何故ここにミャンマー人が?

小雨が降る中を出発。今来た道を戻る。直ぐに高校がある。立派な校舎が見える。思いの他裕福な町なのであろうか??道路から下に下る。雨で道が濡れていて危ない。その上泥だらけである。更に細い道に入る。既に道は川のようになっている。 靴がどろどろになってきた。前の二人はミャンマーサンダルで、軽快に歩いて行く。10分ぐらいでようやく茶畑に到着。大きな木の下で数人が休んでいた。タイ人ではなく、少数民族のようだ。アカ族だろうか??北京語で『北京語できる人』と呼びかけると若者が1人手を上げて説明役を買って出る。

畑は小さかったが、雨に濡れた茶葉はきれいに輝いていた。段々畑。この谷底へ向かっている斜面は茶の生育には条件が整っている。年に数回摘むそうだが、意外と管理がしっかりしている。近くに小屋があり、摘んだ茶葉を処理する場所もある。 もう一つ茶畑を見せましょう、と若者は歩き出す。数分で別の畑を見るが、そんなに違ってはいない。話を聞いているとどうも台湾から茶木が入り、茶葉の管理技術が伝授されているらしい。

ちょうど昼時で彼らは飯を食べるところだったようだ。『昼飯食うか?』と誘ってくれた。こんな誘いが最も嬉しい。本当は是非とも彼らの食べている物を見てみたかったのだが、万が一私の為に皆の食事が減ってしまっては申し訳ないので、諦めて首を振る。

皆と別れて自分も昼飯にありつこうと考えていると、ミャンマー人二人は私の意に反して更に下に下って行く。こちらの方が近道とはとても思えない。何処へ行くんだ??道は舗装されており、泥が付くことはないが、スポーツシューズは既に水浸しである。 数分下ると驚くべきものが待っていた。

大きな金と銀の獅子の像が2つ、向かい合わせで入口を作っている。獅子の脇には子獅子が抱きついており、可愛らしい表情をしている。そしてその向こうには巨大な急須のモニュメントが。

作ったときにはこの急須の中に茶室があり、窓から風景を眺めながら、茶を飲むという趣向だったのだろうが、現在は鍵が掛っていて、入れない。仕方がないので外から下の風景を眺めてみる。小雨に煙る茶畑はなかなか美しい。

しかしその向こうにある、空中に浮く4つの急須から茶が注がれているモニュメントは一体なんだろう??流石におかしい。日本人の感覚では、こんな自然に恵まれた中で、この姿は考えられない。恐らくはここメーサローンがお茶を産業にしようとした際、補助金でも下りて、造られたものであろう。日本でも地方自治体によくある交付金の予算消化ではないのか??

腹が減ったので、ホテルに戻る。さっき車で来た道路まで上がる。結構な上りで相当体力を消耗する。道路脇に記念碑が見える。タイ語と併記で英語が書かれている。『タイ最北端の町メーサローンへようこそ』そうか、ここは最北端なのか??