カンボジア旅2022(2)国境バンレアムを越えタサエン村へ

目指せカンボジア国境 バンレアム

朝早く目が覚めた。やはりちょっとした緊張があるのが国境越え。このワクワク感は堪らない。8時発のバスではあるが、7時前には宿を出た。気持ちの良い朝が広がっている。バスターミナルへ行くと昨日と同じおばさんが『ああ来たね』という顔をしてチケットを売る。200b。バスは既に停まっており、一安心だ。

周囲を見渡すと、麺屋などは開いていたが、何となく食べずにバスを待つ。だがその後チケットを買ったのは3₋4人だけ。これならもっとゆっくり来ればよかった。10分前に運転手が現れ、5分前に乗車した。結局6人だった。ただ大きな荷物を持ち込んだ人もおり、このバスは荷物運びにも使われるように思われた。

7分ほど過ぎてバスはついに出発した。遅刻した者を待っていたのだろうか。取り敢えず街中を走り、一人を拾う。その後は国道を時速90㎞で飛ばしていく。国境バンレアムまではおよそ80㎞。この勢いなら1時間で到着だ、と思ったが、そこから時々乗客を探して乗せるので、意外と時間が掛かる。それでも見事に1時間半後にバンレアムに到着。

タイ国境の出国で窓口を探していると、なぜか『ジャパニーズ?』と声が掛かった。こっちに並べとの指示に従い、出国すると、何とそこにTさんが待っていてくれた。約3か月ぶりの再会だ。Tさんの相棒ソクミエン氏も一緒だ、懐かしい。まずはビザ取得のため部屋に入る。前回同様Tさんのお知り合いだから緊張感なし。写真が必要なのは陸路だけだろうか。最後に費用30ドルを支払ったが、20ドル札が汚い?と言って交換させられる。あの1ページに及ぶ大きなビザが6年ぶりにパスポートに貼られた。国境付近の様子は少し変わっていたが、のどかな雰囲気に変わりはない。

車で15ほど行くと懐かしのタサエン村に入った。Tさんの拠点に行くと何となく雰囲気が違う。6年前はなかった塀で囲まれている(コロナ下での安全対策)が、逆に木が二本無くなり、何となく明るくなっていた。食事などをするテラスも新設されており、さっそくそこでお茶を頂く。お茶は何とミエン氏が発明したススキの穂(花)茶。ナチュラルで実にいい香りがする。昼ご飯はタケノコ鶏肉スープに豚肉インゲン炒め。白米をどんどん食べる。

なんだかとても静かだと思っていると、何と今日はプチュンバンというお盆の最中、日本でいえばお正月の2日みたいな日であり、日本語学校も地雷処理もお休みだった。そして強烈なスコールが降りだす。Tさんもリラックスムードで話が弾む。こんな機会でもないとゆっくりとお話しする時間はない。『物事の本質』について、じっくりと聞く。

それからミエン氏が作り出しているススキの穂茶の畑を見学した。かなり広い敷地に日本でいうススキが植えられている。全て有機栽培だという。香りが良いだけでなく、効能もあるらしい。工場には乾燥機、そしてティバッグに詰める機械も揃っている。マンゴリキュールもちょっと頂く。

Tさんの車で村を案内してもらった。車をゆっくり走らせるのは、村人と出会った時、ちゃんと挨拶するためだという。確かに何人もの人から声を掛けられ、Tさんも声を掛けている。何だか選挙カーにでも乗っている気分だが、この辺にもTさんの気遣いが見られる。まずはTさんが誘致してここに工場を開設した日本企業に行ってみたが、さすがに休みだった。6年前の4社から1社がプノンペンに移動したが、後はコロナ禍でも頑張っているようだ。

それからお寺へ行く。ここに地雷処理中に亡くなった7名の方のお墓がある。6年前は1つだった慰霊碑が2つになっていた。実は地元の人々のお墓代わりに、もう一つ建てたという。そして真ん中にお地蔵さんが置かれている。これらも支援者の方々から贈られたもので、その思いをTさんたちが苦労して輸入して、形にしている。

Tさんのもう一つの大きな支援は子供たちへの教育。日本語学校でもそうだが、脱いだ履物を揃えるなど、基本的なことを常に教えこんでいる。お寺でも小坊主を可愛がり、一つ一つ様々なことを丁寧に教えているのは実に印象的だった。私も一度サンダルを揃えずに注意された。

夕飯もまたおいしい。地鶏のいい焼き目の付いた焼き鳥、タケノコ、豚肉と卵の煮物。これはいくらでもご飯が食べられる代物で、食べ過ぎて困るほど。食後は6年前の水シャワーに変わり、温かい湯が出るシャワーを浴びさせてもらい、その有難みを知り、静かな夜を過ごした。蚊帳もあり、眠りも深い。

カンボジア旅2022(1)6年ぶりにチャンタブリへ

《カンボジア旅2022》  2022年9月23₋28日

7月愛媛県宇和島で奇跡の再会があった。偶然というにはあまりにもビックリする内容で、『これはカンボジアを目指せ』と言われているのだなと思い、タイ‐カンボジア国境の村を再訪することを決めた。だが前回6年前とは状況も変わっており、バンコクからあの国境へ直行するバスは無くなっていた。これもコロナのせいだった。ではどうやって行くか。するとちゃんと道を知る先達が登場し、『チャンタブリからロットゥだ』というので、それにトライすることとなった。

9月23日(金)チャンタブリへ

チャンタブリ行のミニバスはエカマイから出る。前日既にバスターミナルへ行き、午前9時発のチケットを購入しておいた。220b。これでチャンタブリまでは行けそうだと思っていた。そして当日も朝早く起きて万全の準備をした。時間に余裕があったのでバスで行くことにした。72番バスはエカマイまで直行する。

ところがその日停まっていたのは72番のエアコンバス。そしていつになっても発車せず、乗っていた客も呆れて、違うバスに乗り換えた。私もついにしびれが切れて、アソークま方面へ行くバスに乗り換えた。ところが午前8時前のラッシュアワーに引っかかり、大渋滞。アソークはおろか、MRTの一つ前の駅まで辿り着くにも相当な時間が掛かる。こんなことならGrabバイクを呼べばよかった。

MRTに駆け込んだが、なかなか来ない。何とか乗り込み、一駅でBTSに乗り換え。何とか間に合ってエカマイに到着した。ミニバスのドアはまだ開いていない。出発15分前に滑り込んだ。僅か3㎞弱のところ、1時間半もかかってしまった。これだからバンコクは怖い。

ミニバスは定刻になっても出発しない。まだ予約した乗客を探している。2‐3分遅れて悠々と彼らは現れる。私は何のためにあんなに急いだのだろうか。バスはバンナーのストップで3人を更に乗せ、満席で高速を走りだす。途中まではスクンビット通りを行ったが、早々に海側の道を捨てた。水嵩の増している水田が目に付く。

2時間ほど行くと一度トイレ休憩がある。その後もただひたすら走っていく。途中で数人がおり、4時間後にチャンタブリのバスターミナルに到着した。乗ってしまうとそれほど遠いとは感じない。取り敢えず、明日向かう国境行のバスを探すと、何とあっけなく見つかった。英語も通じているので問題なさそうだ。

チャンタブリを歩く

明日のバスが見付かると急に腹が減る。町にどんな食堂があるかも良く分からない(6年前にも来ているが、食事に関して思い出はない)ので、ターミナルの食堂へ入る。メニューには英語はあるが、金額は書かれていない。取り敢えず麺を頼んでみたが、請求された料金は普通だった。

ターミナルを出て歩く。すぐ横にホテルがあるのは分かっていたが、何となく泊まる気になれず、そのまままっすぐに歩いて行く。10分ほど歩くと、見たような宿が目の前に現れた。ここが6年前、国境からタクシーで連れてこられたホテルだった。懐かしいのでここに泊まることにする。料金は900b(朝食なし)で6年間変わっていない。コロナで閉まっていたのかもしれないが、設備なども特に変わっていない。

外を散歩してみる。川沿いに観光街があることは覚えていたが、当然ながら観光客はほとんどいない。そして地元民のマスク率がバンコクなどより高いと感じられる。なぜだろうか。川沿いの景色は悪くない。私はまっすぐ一番行きたかった大聖堂を目指した。この教会はタイでもっと立派だと思われるが、その様子はまるで変っていない、輝きがあった。

橋を渡って歩いて行くと、宝石市場に出た。ここは百年以上前からインド系、アラブ系、中国系、そしてタイ系など宝石バイヤーが屯して、売買に血眼になった場所であり、今でもその名残は十分にある。思ったよりもここには人がおり、石の鑑定などが各所で行われていた。

そこから宿の方へ戻ると、大きな市場があった。チャンタブリの街の規模が分かるような大きさだった。雨模様で人もまばらな午後。その横には立派なお寺があり、入っていくと、極めて造形的な仏塔?などが見られ、写真を撮りたくなる。掃除するお坊さんたちはそんな私には全く構うことなく、自らの仕事に集中していた。

部屋に戻って休息後、夕飯を食べに出た。近所で済まそうと思い、華人系の店に入る。今回は中国人らしい振る舞いをしてテーブルに着くと、おばさんが早々に中国語で『何食べるの?』と聞いてきたので、タイ語が出来ない私としては、作戦は成功したかに見えた。ところが何が美味しいかと聞くと『ベトナム春巻き』を指したので、思わず『えー』と言ってしまい、敢え無く中国人でないことがバレてしまった。揚げた魚と野菜をスープで煮込んだ料理は美味しかった。

タイ北部茶旅2022(6)チェンマイで

折角いい部屋にいるのだからと、午前中は優雅に部屋で過ごすことにした。もう一度ジャグジーに入り、気持ちよく過ごす。外のプールに入ろうかと思っていると、何と韓国人のおっさんが一人でスマホに向かって大声で話している。友達にでも自慢しているのだろうが、何だか見苦しい光景だった。自分もそうならないように気を付けよう。

昼にチェックアウトしたがフライトは夕方なので、国立チェンマイ博物館に行ってみる。実はここは、過去2回行こうとして、2回とも休館日だったという苦い経験がある。月火の休み、祝日休みに引っかかったが、今日はさすがに開いているはずだ。

博物館は城外にある。トゥクトゥクに声を掛けたが、行きたくない様子で法外な料金を言って来るので、即座にGrabで呼ぶ。あっという間にやってきて、行き先を言う必要もなく明朗会計。これではトゥクトゥクの淘汰は時間の問題ではないだろうか。ある意味で長年の観光地の悪しき懸案事項が、今修正されてきており、そこにコロナ禍が拍車を掛けている。

西の方、ヘミンニーマン地区はかなりの渋滞となっている。城内の静けさはなく、既にチェンマイ地元民、タイ人の生活は普段に戻りつつあるということだろうか。運転手も動かない車を見て苦笑している。博物館まで来ると、木々が生い茂り、また静寂の中に入り込む。しかし博物館内は、社会見学?の中学生に占拠されており、まるで野球場のような歓声怒号に包まれている。

その一段をやり過ごし、展示物を見て行くと、チェンマイの成り立ちから周辺地域との交流などが良く示されていてとても勉強になる。そしてこの地域の知識が私には欠けており、ここの歴史を学ぶことで茶の歴史にも間接的繋がることがありそうだと直感する。出来れば来年はチェンマイに長逗留して、ランナー文化などから何かを見つけてみたいと衝動的に思う。

博物館でまたGrabを呼び、チェンマイの街の成立と同時に作られたという最古の寺、ワットチェンムンに向かう。博物館で得た知識の中にあった寺だった。行ってみると、何とも雰囲気が良い。仏塔も渋い。ここには大理石とクリスタルの仏像があり、見応えも十分だが、観光客は残念ながら殆どいない。歴史的な価値もあるが、所謂観光の穴場というべきか。

そこから宿の方に歩いて行き、ランチを食べていなかったので食堂を探したが、良い店が見付からない。結局昨日食べた牛肉麺かと思ったら、その辺に店がいくつも固まってあり、その中に『うまくて号泣ラーメン』という不思議なネーミングの店があったので、思わず寄っていく。

メニューを見るとかなり安いが、日本人の手は入っていそうだったので、とんこつ醤油99bを注文してみる。狭い店内より広場のベンチでラーメンをすする。一番安いラーメンは59bだから、これはかなりコスパが良い。タイ人が結構食べているから地元民向けだろうが、コストさえ合えば繁盛するかもしれない。

宿に戻り、予約した無料空港送迎を待つ。バンはきちんと予定通りにやってくる。これは何とも有難い。それにしてもチェンマイ空港までかなり近いことを忘れていた。だがこれまでは高額の車代を取られていた苦い思い出がある。いや前回はバスが走っていた筈だが、チェンライ同様あれは無くなってしまったのだろうか。

空港に着くと、ライオンのチェックインカウンターへ行く。私は既にWebチェックインをしているのだが、なぜかメールで搭乗券が送られてこない。その理由を知りたかったが、カウンターでは分からないという。それでも粘っていると、スタッフがスマホ上の搭乗券を探し出し、これで乗れるはず、と言ってくれた。忙しい中、対応が非常に良い。更に搭乗口で確認した時も対応が良かった。LCC、これからはライオン一択だな。

機内は混んでおらず、三席を独占して上空から下を見ていた。かなりの場所で水が多いことが確認できる。バンコクに近づくと、工場や家屋が多くなるが、11年前のようにここが水で沈んでしまわないことを祈るばかりだ。ドムアン空港に着くと夕日がきれいに落ちていく。

タイ北部茶旅2022(5)静かなチェンマイを歩く

確かに部屋はかなり広く、風呂場も広く、浴槽にはジャグジーまでついていた。しかも1階でプールは目の前、これはもう完全にカップル用の部屋だった。しかし冷蔵庫が見当たらない。スタッフも一緒に探したがないという。何でこんな立派な部屋に冷蔵庫がないのか?後で氷を貰ったら、そこのスタッフが『絶対ある』と言って再度探し、物入れの下の二十扉から冷蔵庫を発見した。部屋はそれほどに広い?

腹が減ったので外へ出た。さっき通り掛かって気になった麺屋へ行ってみる。牛肉麺と書かれているが、台湾の物とは違うようだ。それでも牛肉が柔らかく煮込まれていて十分に満足できる味だった。外国人もタイ人も食べに来ており、常にお客がいる店だ。華人の家族経営、素晴らしい。

それから場内をフラフラと歩いてみる。残念ながら閉鎖されたホテルやレストランなどがいくつも見られた。観光業、特にこの地域では、観光客が来なかったコロナの2年間はかなりの打撃になってしまったようだ。そしてトゥクトゥク、ソンテウドライバーにとってもお客のいない日々が続いていただろう。恐らく最近ようやく商売を再開した、という雰囲気が漂う。

こんなに人がないチェンマイなら、お寺巡りをしてみようと思う。まるで2年前に行った京都の静けさが思い出される。まず木造のいい感じの建物が見えたワットパンタオに入ってみた。天気も良いので写真も映える。そして後方を見ていると、向こうに崩れかけたものが見えたので、行ってみた。そこはワットチェディルアンというチェンマイ一の名所だった。

ここでは入場料50bを取られた。中に入ると女性たちがお祈りしていたが、そのお堂は女人禁制であり、なぜ入ってはいけないが英語と中国語でも説明されていた。それでも納得できない外国人はいるだろう。お堂の中は非常にきらびやかで美しい。ランナー様式だと書かれている。

1391年この寺はメンラーイ王朝第7代セーンムアンマー王が建立したと伝えられる。チェンマイで最も大きな仏塔のある寺院。仏塔は、創建当時で高さ約80メートル、四角い形をした基壇の一辺も約60メートルと巨大なもので、市街地の真ん中にそびえ立っている。当時の王は仏教の宇宙観に従って、都の真ん中に須弥山に擬えた大きな仏塔を置き、それを囲うように8つの方向にもひとつずつ寺院を建立すると、王朝の繁栄がもたらされると信じていた。現在の仏塔は1545年の大地震で先が壊れ、後に修復されたもの。

ここで暑さを避けて木陰に座っていると、何ともいい風が吹いてきて、眠気を覚える。実に落ち着きのある、静かな午後だった。図書館にも入ったが、停電中でよく見えない。近くにすごく高い木があった。枝葉は上の方だけに生えており、とても特殊な形状だったのが気なった。

三人の王の像のところまで歩く。三人とは、マンラーイ王(中央:チェンマイ王朝王)、カムムアン王(左:パヤオ王国国王)、ラームカムヘーン王(右:スコータイ王国国王)だという。その向かいにチェンマイ民俗博物館があったので、入ってみる。入場料100b。展示品はかなり豊富で見応えがある。

暑さで疲れたので一度宿へ戻り、部屋のジャグジーで寛ぐ。これならプールに入らなくても気分が良い。夕方夕飯を探しに外へ出たが、以前行った和食屋はタイ料理屋になっており、近所の新しい和食屋は満員で入れない。仕方なく華人経営の店に入ったが、愛想がない。カリカリ豚と揚げた魚、スープと白米で270bも取られた。なんでチェンマイらしいものを食べなかったのだろうか。夜は広いお部屋で一人寛ぐ。

9月17日(土)チェンマイ散策

眠りが深かったのはベッドが良かったからだろうか。すっきりとした朝を迎え、朝食に行ってみる。お客は2組しかなく、従業員もいない。何とか注文して、サラダなどを取っていると、中国人家族4人がものすごい勢いで口論を始めた。最初は『中国語の甲高い声、懐かしい』などと思っていたが、それは長く続き、食堂に響き渡る。ああ、またあの煩い日々が戻ってくるのだろうか。ハワイから来た男性が負けじと大声で英語を話す。食事の味は覚えていない。

タイ北部茶旅2022(4)ウィアンパパオ 暁の家で

そこからNさんの居場所までは一本道を歩いて行けると聞いたが、念のため車で迎えに来てくれた。Nさんはタイに関わって35年、山岳民族支援活動をずっとしているという。私はバンコク在住の知り合いから紹介されて、ここを訪ねることになったのだった。ルンルアンプロジェクト、元々は山岳民族の子供たちの教育支援で、現在の地に寮を作り、学校に通わせるものだったという。最初はバンブーハウスから始まった。既に寮は閉鎖されているが、敷地は広大で、寮として使われた建物も残っている。

事業は徐々に山岳民族の産業振興支援へと移っていき、2008年からはコーヒー栽培が始まった。そして5年前からはアッサム種を使った紅茶の製造も始めたというからすごい。山の人々は換金作物が必要であり、有機栽培のコーヒー、紅茶は主力事業になるという。紅茶を飲ませてもらったが、ほんのり甘い感じがする。

Nさんにお話を聞いていたが、その淡々とした語り口、淡々とした活動状況を知るにつれ、さすがに35年やっている人は違うな、と感心した。同時に35年の間には想像もできないほど大変なことも沢山あり、その結果として今日の『淡々ぶり』なのだろうと勝手に解釈した。猫や犬が実にのんびりと暮らしている。

寮だった建物は、日本から来る中高校生など、研修用に活用されている。様々な団体や個人がここを訪れ、何かを学んで帰っていくらしい。図書館もあり、かなりの日本語の本も置かれている。これも歴史がなせる業だろうか。鶏も飼われているし、隣には田んぼや畑もある。自給自足が出来そうだ。

午後5時を過ぎると夕飯の時間だ。スタッフ全員がそろい、スタッフの当番が作った蒸し鶏を頂く。これは美味い。食度はかなり大きく、30人来ても入れそうだった。京都の女子大学生が一人、研修で来ていた。『コロナの時期でご両親の反対はなかったか』と聞くと、何と『母は高校生の時、ボランティアでここに来ました』というではないか。筋金入りということだ。彼女の研究課題は『持続的な支援』だそうだ。

食後は各自過ごす。シャワーはお湯が出るし、トイレはきれい。部屋もシンプルだが、Wi-Fiも入るので、何の不便もない。日が暮れると非常に静かになる。そんな中でPCに向かい、日記などを書いていると、時間は過ぎていく。寝ようとすると、灯りで集まってきたのか、蚊が飛んできて刺されてかゆかった。標高500mはメーサローンに比べれば低いが、それでも涼しかった。

9月16日(金)チェンマイへ

朝6時前に起きた。ここのスタッフは既に起きて、掃除や朝食の用意をしている。朝飯のスープと野菜も美味しく頂く。Nさんは今日、支援者のお葬式があるとのことで、急遽朝から出掛けることになった。その短い合間に、私にコーヒーを淹れてくれ、美味しいバナナも出してくれた。Nさんと話した時間は決して長くはなかったが、何だか支援したくなるような人だった。

Nさんが出掛けてしまい、私もチェンマイに行くことになったのだが、そのバスまでまだ時間がある。折角なので周辺を歩いてみることにした。ここは平地であり、周囲にはコンビニも銀行もあり、ある意味で街中なのだ。子供たちが学校に通うにも便利だったのだろう。近くには大きな病院まであった。ウィアンパパオとは、どのような歴史で出来た街なのだろうか。交通の要所であったかもしれない。

午前10時にスタッフに送ってもらい、街中のミニバス乗り場へ行く。昨日既に席を予約してもらっていたのだが、始発から乗車したのは私だけだった。途中メーカチャンで数人が乗り込んだが、それでチェンマイまで行く。以前は一日に数便もあったチェンマイ行は今や4便となり、それも満員にはならない寂しさだ。88bで、チェンマイアーケードまで2時間で行く。

いつもは車で込み合っていたアーケード付近だが、何となく車が少ない。そしてバスに乗る乗客も多くはない。寂しい。取り敢えず予約した宿まで行くのにGrabを取り出したが、面白くないので、ソンテウおじさんに声を掛けてみた。やはりお客が少ないのだろう、Grabとさして変わらない料金を最初から言ってきたので、ソンテウで行くことになった。彼らの生活も大変なのだろうと思いながら、隙間から外の景色を眺める。

今回初めて宿を城内にしてみた。観光都市チェンマイがどうなっているのかを観察するのが目的であり、その為通常より良いホテルを予約したが、料金は日本のビジネスホテル並みだったので、それだけでもチェンマイの大変さが分かった。宿に着くと、立派なところだった。受付の女性が『え、一人で来たんですか、部屋広いですよ』と驚いていた。

タイ北部茶旅2022(3)メーサローン散策、そしてウィアンパパオへ

午前中はお散歩。茶器モニュメントまで歩いて行く。これまで何度か歩いたが、今回は無難な広い道を通る。途中の坂道に茶樹が生えている。これは山茶だろうか。葉っぱや木がかなり大きなものもある。アッサム系だろうか。モニュメントに辿り着くと、獅子たちは健在だったが、茶器は一部取り外されていた。かなり古びていたので仕方ないだろう。私が最初に見たのも16年前なのだから。

その下まで歩いて行くと、芙蓉宮が作った風景スポットが出現した。確か茶畑は5年前伍さんが作っていたのを思い出す。あの時の茶畑がこんなインスタ映えするスポットになったのか。ここだけはタイ人観光客がいる。トイレも完備されているので、私も使わせてもらい助かる。その下まで降りるつもりでいたが、足に自信がなく途中で引き返す。衰えを感じる。

主要道路まで戻って、以前訪ねた茶工場を探すとそのあたりに大型リゾートホテルが出来ている。でもお客はいないようだ。コロナ前から準備して出来上がったのだろうが、経営はどうなのだろう。茶工場を探し当てて行ってみると、女性たちにより枝取りが行われているだけだった。雨が多いので今週は製茶はなしらしい。その下には景色の良いカフェが作られており、冷たい飲み物を飲んで休む。

なぜかチェンマイからバンコクに戻るフライト予約をスマホでした。私は現金で払いたいので、セブンのカウンター支払いを選択する。ついでにドリンクを買う。ここにポカリスエットが売っている。その下の雲南麺屋で雲吞麺を食べる。50bで美味しい。やっぱりお婆さんの中国語は流暢 (若者も中国語は分かるが話さない傾向?)。帰りの道にコインランドリーが出きている。やはり突然雨が降る変わりやすい天気には便利?

午後は天気が良かったが、疲れたので部屋にいた。晴れた景色を眺めるのもまたよし。ずっとバルコニーに居たら、蚊に刺されてかゆい。夕飯にチャーハンとキャベツ炒めを注文したら、ちょうどオーナーの楊さんと三男がチェンマイから戻ってきた。ご主人のお母さんご病気で、チェンマイの病院にいるらしい。87歳というが、このお母さんの人生は聞いてみたい。

楊さんとご主人の李さんの父親同士は雲南黄埔士官学校の同期生であり、その縁で結婚したことを初めて知る。ミャンマー生まれの楊さんに最近の状況を聞いてみたが、陸路の国境は全て封鎖されており、この宿で働いているミャンマー人も帰ることはできない。更には危険が迫っているので、ミャンマー人は密航してタイに逃げこんでいるという。また観光客は来ないので、ホテル業は低調だが、巣籠需要なのか、茶葉輸出は好調でホテル従業員を茶業に回しているという。

9月15日(木)メーサローンからチェンライへ

昨晩はそれほど寒くなく、快適に眠れた。朝ご飯を食べに行くと楊さんが一緒に食べてくれた。カオトーガイに今日は油条が付いてくる。楊さんは実は果敢(雲南‐シャン州の国境にある秘境)の領主家出身だというので驚いた。その一族の歴史が書かれた本を貸してくれる。彼女の一代記、是非書いてみたい。

メーサローンを離れる。Grabは捕まるか分からず、三男がメーサイへ行くので下まで乗せて行ってもらう。いつもとは別道を行くと早く平地へ出る。三男とは初めて会ったがなかなかの好青年だった。メーチャン付近で降ろしてもらい、ちょうど来たチェンライ行バスに飛び乗った。ボロバスだが、25bでチェンライまで運んでくれる。

バスで約50分。バスターミナルへ着くとちょうどメーカチャン行は出てしまっていた(トイレに入っている間に?)。仕方なく、ターミナル前のきれいなカフェに入り、久しぶりのクラブサンドイッチを頬張る。美味しい。120bはバンコクでは考えられない値段だ。コーラも飲む。

12時半出発予定のメーカチャン行バスに乗り込んだが、定刻を過ぎても出る様子がない。荷物を大量に載せており、中では箱詰めされた鶏が鳴く!鶏と一緒にバス?数十年ぶりの体験にちょっとウキウキ?運転手はバスの下にもぐり始める。バスは故障したのだろうか?

13時過ぎにようやく出発。そこへ本日訪ねる予定のNさんから電話が入り、私の行き先を車掌にタイ語で告げてもらう。最初誰が車掌だか分からない雰囲気が面白い。途中はかなりの山道あり、水田ありの田舎道を行く。2時間かかって、本日の目的地、ウィアンパパオに到着。55b。降りるよう指示されたサイアムコマーシャルバンク前でバスが停まるまで、タイ人乗客も皆緊張していた。何せ車掌は私より先に下車してしまい、乗客に私のことを頼んでいたのだから。

タイ北部茶旅2022(2)懐かしのメーサローンへ上がる

少し待ってみたが雨は止みそうにない。宿からバスターミナルへ行き、ローカルバスでメーチャンの先まで行って、そこから山へ行くソンテウを拾うという作戦だったが、そもそもコロナでソンテウが走っているのかもわからず、不安になる。念のためにGrabで探してみると、何と料金がこれまで払ってきたタクシー代の半額程度だったので驚いた。

しかし実際に行く車があるのかとボタンを押してみると、何とすぐにつかまり、こちらに向かってきてしまった。驚いて宿をチェックアウトすると、そこにきれいな車が待っていた。メーサローンへと告げると黙って首を縦に振る。若者だが英語は苦手のようだ。車はチェンライを出て、メーサイ方面に向かう。雨が降っているせいか、運転が非常に丁寧で好感が持てる。

メーチャンの先から山道に入ったが、そこにはソンテウの姿はなく、Grabを選択して本当に良かったと感じる。あそこで雨の中いつ来るともしれないソンテウを待つのはちょっと耐えられなかっただろう。山道は相変わらず急であったが、運転の安定感が救いとなる。途中車は殆どなかった。ちょうど1時間半で懐かしいメーサローンビラに到着した。料金はわずか550b。チップをあげても合計600bでとても安い。驚いたことに料金を渡すときに顔が見えたが、何と男性ではなく、若い女性だった。こんなおじさんと山の中を走るのは不安もあっただろうにと、気の毒に思う。

メーサローンビラは変わっていなかったが、受付の女性は変わっていて私は知られていなかった。まあここに泊まるのは7年ぶりだから仕方がない。取り敢えずチェックインすると、いつもより景色が良い、バルコニーのある部屋へ通された。妙に落ち着く。だが、オーナーはチェンマイに行っており、今日は帰らないことを知る。

取り敢えず雨が止んだので、街歩きを始める。覚えている道よりずっと急な坂道に思えるのは、自分の体力が落ちたせいだろうか。セブンの前は工事中だが、何ができるのだろうか。茶葉を売っている店が並んでいた場所までは実に遠く感じた。段将軍陵墓の入り口を通り過ぎると、ようやくお店が見えてきた。

茶葉を売る広場には人がいない。店もお茶よりドライフルーツをメインに置いている。その先に地元民向けの新市場が出来たようだ。観光客が来なかったコロナ禍での変化だろう。とにかく坂がきつい、長く感じられるのは老いのせいだろう。それでもあと1㎞ぐらい歩いて、泰北義民文史館までやってきた。

文史館の敷地内には、新しく段将軍の像が出来ていた。段希文はメーサローンの歴史そのものなのかもしれない。その生い立ちから生涯をここでじっくり学ぶ。特に1960年代、この地に残って孤軍奮闘する様は、何と言ってよいか分からない。またこの軍隊は75年の蒋介石死去でタイに土着することを決め、武装解除したのかと思っていたが、70年代末でも戦闘をしていた。これはサイゴン陥落やラオス建国など国際情勢が影響していたのだろうか?

アップダウンのある坂を引き返しながら考えても何も浮かばない。腹が減り、途中で麺を食べる。ひき肉がスパイシーな、ボリューム満点の雲南麺、40b。おばさんの中国語が流暢なのは有難いが、若者は中国語を使わなくなってきたように思える。あるいは最近ミャンマーから来た人なのだろうか。

段将軍陵墓にも行ってみる。やはり坂道を歩く。実に静かな、奥まった場所にあった。福の文字が印象的。お墓の前のお供え物、茶杯に葉っぱが直接入ったお茶が置かれている。段将軍は茶業に対してどのような考えを持っていたのだろうか。街中の家の壁に描かれた 好々爺な段将軍の姿。近所には蒋家塞の文字も見える。

宿に帰った。バルコニーからただただ景色を眺める。何とも懐かしい風景が広がっているように思える。そしてかなり涼しい、いや半袖では寒いくらいの気候。標高が高いだけではあるまい。夕方食堂で名物の豚足とスープを食べる。ようやくお茶も出て来る。きれいな夕暮れが流れていく。

9月14日(水)メーサローン2

夜中は寒かったので、毛布を掛けて寝たが、朝はさわやかだった。朝ご飯にはお馴染みのカオトームーを頼む。するとなぜかトーストが出てきたので、折角なので一緒に掻き込む。インスタントコーヒーも付いてくる。それからゆっくりとお茶を飲む。そしてまた風景を眺める。

タイ北部茶旅2022(1)チェンライまでの道

《タイ北部茶旅2022》  2022年9月12日₋17日

今回のバンコク滞在中、どうしても行きたい場所があった。それはメーサローン。もう5年も行っていない。何とか合間を見つけて旅に出ることにしたが、まずは予約したチェンライ行フライトがまさかのキャンセル。果たして旅はどうなるのか。

9月12日(月)チェンライへ

1週間前に予約したチェンライ行。4日前の夜に突然キャンセル+当日の夜便に変更、との連絡が来た。当日朝が夜になると、当然予定は狂う。どうするんだ、LCCでの初の経験。取り敢えず書かれていたアドレスにメールを打つ。せめて前日の夜に変更して欲しいと。朝になって、『こんなメールに返事は来ないよな』と思い、対策を練り始めた矢先、返信があった。変更は1回限り無料、但しコールセンターに電話して変更、が条件だった。

そこから電話が繋がらない。諦めかけた頃、突然オペレターが出て、後は意外とスムーズに変更が叶えられた。ただ彼女は3回も『コンファメーションは今日中に送るから見てね』と言っていたが、その肝心のメールはついに来なかった。だが前日リマインダーが届くと、そこには変更後のフライトが記載されていてようやくコンファームされた思いだった。

元々朝早い便だったので、結局ドムアン空港付近に泊まろうかと思っていた。それがドムアンではなく、チェンライになっただけだといい方向に考えた。また午後時間に余裕があったので、雨を避けながら早めに空港に向かい、先日も乗ったレッドラインで空港へ行ってみた。レッドラインの駅(外)にはトイレがあることを発見。また先日も食べた空港食堂でゆっくり夕飯を食べてから飛行機に乗り込んだ。

さすがに朝便を詰めて夕方便だけにしたせいか、機内は意外と混んでいた。タイライオン航空はこの日、キャンセル便がいくつもあった。他社もそうだが、燃料費高騰などで不採算では飛ばさない、ということだろうか。今後もキャンセルの可能性には注意が必要だ。

定刻前にチェンライ空港に着いた。2年半ぶりだが、前回は確か市内行バスが運行されていて喜んだ覚えがある。ところが外へ出てもバスはなく、案内所で聞くと『バスなんてありませんよ』とまるで夢でも見ているの、という対応をされ、タクシーに誘導された。昔は運転手との交渉が嫌だったが、今ではカウンターで行き先を言えば、定額で行ってくれるのでまあいいか。

フライトが確定しなかったこともあり、ホテルは予約していなかったが、以前泊った街中の老舗に行ってみた。予約サイトでも直前は料金が上がっていたが、取り敢えず受け入れ範囲内の料金だったので、そのままそこに泊まることにした。ここは古いがその分広く、ゆったりしていてよいはずだったが、なぜかシャワールームだけ非常に狭かった。

飲み物を買いに外へ出た。すぐ近くのバスターミナルが新しくなっていたが、午後8時でほぼバスはなく、乗客もいなかった。その向こうに夜市があったので行ってみたが、残念ながら観光客の姿は少なかった。ここにもコロナの衝撃が見られた。昔世話になったフランス人経営の旅行会社の姿もない。

以前行った夜市のレストラン、西洋人が多かったが、今やほぼ開店休業状態だった。そこから少し歩くと、そことは別に、地元民を含めたタイ人向けのフードコートが出来ており、そちらはそこそこの賑わいがあった。私も軽く焼きそばでも食べようと席を探したが、雨が降っていたらしく、どこも濡れていた。店の人が席を探してくれ、本日四食目を完食して一日目が終了した。

9月13日(火)メーサローンへ登る

翌朝起きると雨が降っていた。今日は山登りの予定なので憂鬱になる。まずは宿の朝ごはんを思い切り食べて、気力を養う。宿泊客はそれほど多くはないようで、しかもタイ人ばかりで外国人の姿はほぼなかった。7年前はかなり賑わっていたホテルで、静かな朝食を嚙みしめながら食べる。

ラオス鉄道旅2022(6)高速道路でビエンチャン、そしてウドンタニーへ

ビエンチャンからウドンタニーへ

予約したミニバンは11時を過ぎても来なかった。20分ぐらい遅れて到着、数人を乗せて一路ビエンチャンを目指す。私がバンビエンで降りた理由、それはビエンチャンまでの高速道路も体験したいと思ったからだ。確かにスムーズに100㎞出して走れる高速が完備されていた。これも中国の支援だというから、鉄道と道路の両方をきちんと戦略的に整備している。

ただ途中でバスは高速を降りてしまう。何と一人の客を下ろすためにだ。その為のロスはかなりの時間となり、また高速に戻る。元々1時間ちょっとで着くよ、と言われていたが2時間経っても着かない。しかも何と到着地までもう少しという場所でなぜか休憩まで入る。なんだかおかしいよ、このバス。結局休憩後10分で郊外の辺鄙なバスターミナルに着き、降ろされる。100kは高いのか安いか。

ここから私は国境を目指そうとしていた。残念ながらトゥクトゥクも少なく、圧倒的に私が不利な状況で料金交渉に入る。一緒にバスで来たドイツ人女性は『セントラルターミナルまで行くと思っていたので騙された』と嘆くが、後の祭り。結局私は200kも出してノンカイを目指し、一人走り出した。

それにしても遠く、そして暑さもあった。川沿いには風があり、何とか耐えたが、1時間もかかってイミグレに着いた。イミグレでは来た時もそうだったが、ワクチン証明などと言い出す者は誰もいない。何ともスムーズな旅となる。京都市営バスを撮影しながらタイ側へ渡る。

問題はタイ入国後。空港行のバスはあるのだろうか。入国審査を通過したが、陸路入国のマーク(カウント)もなく、ワクチン証明も求められなかった。そして案の定、バスは無さそうだった。タクシー運転手が900bで行くと声を掛けてくる。それを振り切って外へ出ようとしたところ、600bでもいい、という声が掛かり、気が変わった。

タクシーは早かった。これなら4時にはウドンタニー空港に着く。ということは、5時のノックエアに間に合いそうだ。車内で予約をしようとしたが、何と既に予約サイトはクローズしており、空港カウンターへ行くしかない。タクシーはきっかり4時に空港に到着。走ってカウンターへ向かう。

ノックのカウンターはすぐに見つかったが、何と2人並んでいる。私は恐らく空港でこんなギリギリにチケットを購入するのは初めて。一体何時まで売っているのか、席はあるのかまるで分らない。4時10分になり、ようやく自分の番が来て聞いてみると、購入可能との返事で初めて安堵する。

そしてパスポートと代金を渡し、係員がチケットを発券、という瞬間に、何と空港が停電になる。そんな馬鹿な。すると係員は立ち上がり、発券できませんと言いながら、パスポートとお金を返して、席を離れてしまう。ああ、これで万事休すかと思っていると、5分後に復活。もう一度聞くと『ああ、フライトが20分遅れていますから大丈夫』というではないか。それを早く言えよ。

結局発券は45分前までらしい。そしてその足でチェックインカウンターに進み、通路側の席をお願いするとあっさりボーディングパスが出る。2階の検査場へもっていき、荷物検査を終わったところで見ると、何と座席は窓側。まだ時間があるので元に戻りクレームすると『あら』の一言で済まされる。

それから20分ほどで搭乗時間となり、プレミアクラスの人の搭乗を待ってから機内に入ってみると、何と私の席もプレミアシートだった。何で誰も教えてくれないのだ。確かに400bぐらい高かったが、これは空港で買ったからだと思い込んでいた。確かに通路側がいいと言ったが、プレミアシートでないと席は選べなかったのか、疑問は残るが、まずは乗れただけよかったとしよう。

そして飛行も順調で30分ぐらいした時、トイレに行こうとすると塞がっていた。誰も前方に行った人はなく、パイロットが入っていると分かり一旦席に戻った。そこから5分以上経ち、もう出たのではと思っていると、何とシートベルト着用サインが点灯。私がトイレに行きたいというと、CAが『もう無理です』とつれない。それはおかしいと再度主張すると、チーフパーサーが『いいんじゃない』という感じで、何と滑り込む。それにしてもこの黄色い制服の会社のサービス、なかなかすごい。何だか窓の外を見ると虹が出ており、万事丸く収まったらしいが、気分的にはかなり落ち込む旅の終わりだった。

ラオス鉄道旅2022(5)硬座に乗ってバンビエンへ

宿近くに戻り、さすがに暑さに耐えられずに、カフェアマゾンの扉を押した。中はお客でいっぱい、席もない。注文してもラオス語でしか番号を呼ばないから、自分の分がいつ来るのかもわからない。それにしてもルアンパバーンの中心はここではないか、と思うほどの繁盛ぶりだ。何とかドリンクを手に入れ、さっさと外のパラソルの下で飲む。

駅に行くミニバンを予約していたが、ちょっと早く宿に戻った。あのスタッフと雑談する。やはりルアンパバーンの観光業はコロナで相当の打撃があり、この宿もほんの2か月前にリオープンしたが、客足は戻っていないという。鉄道が通ってお客が満員でも、彼らにとっての一番は中国人観光客。何しろお金の落とし方がタイ人やラオス人とは桁違いらしい。

バンビエンへ

そんな話をしているとミニバンがやってきた。時間前に来るなんてラオスも随分変わったものだ。恐らく私を乗せて駅へ行き、5時に降りて来る客を乗せる列に並ぶのだろう。ミニバンには中国人二人と私しか乗らず、あっという間に駅へ着いたが、今度は駅が全く開いておらず、40分ほど外で待つ羽目になる。そこには飲み物すら売っておらず、例え駅舎内に入っても売店がないことは分かっており、手持ちのドリンクを大切に消費した。

今回乗ったのは中国製硬座。やはり料金が安いせいか、ラオス人の家族連れなどが多く乗っている。列車はボーテンから来るので遅れが心配された(ボーテン方面で大雨、洪水情報あり)が、何と定刻より少し早くホームに入ってきた。2日前の高速鉄道と違い、今回はまさに初めて鉄道に乗る人も見られ、座席を探したり、荷物を置くのにちょっとした混乱が見られたが、それもまた微笑ましい光景だった。

私は2人掛けの窓側の席だったが、隣はかなり体格の良いおじさんが座り、席は狭かった。降りる時に気が付いたが、彼は息子と一緒に乗っていたが席がバラバラだった。それなら席を交代すればよかったのだが、そんな融通も利かない。途中で列車が停車すると乗客に動揺が走る。単なる列車のすれ違いだが、それを誰かがラオス語で説明すると、一斉に安堵の声が漏れたのは面白い。

途中で一つだけ駅に停まったが、乗り降りする人はほぼいなかった。1時間半ほど乗るとバンビエンに到着した。1車両で降りたのは私と隣の親子連れの3人だけ。後は皆ビエンチャンに向けて去っていく。他の車両からある程度の人数が降りてきたが、観光客らしい人は半数程度。

ここでもルアンパバーン同様に乗り合いバンが待っており、皆が吸収されていく。30kで街中へ。中国語が目立っていたが、中国人観光客の姿は殆どなかった。私は取り敢えず宿だけ決めて、予約はしていなかったが、行ってみると拍子抜けするほど安かった。予約サイトの料金はどうなっているのだろうか。まあ部屋は昔風だったが、一応私の基準を満たしており、満足。何よりオーナーが非常に穏やかな人で好感が持てた。

腹が減ったので夕飯を探しに行く。歩いていると川の横であることが分かり、何とか夕日を見に行く。ちょっと桂林を思わせる構図だった。この街、残念ながらルアンパバーンほどには人がおらず、かなり寂しい雰囲気。何とか食堂を見つけて、中華系の夕飯を食べる。街は閉鎖された店舗、売り出される店舗がいくつも見られた。

8月30日(火)バンビエン散策

あまり日の入らない部屋はよく眠れる。実にさわやかな朝だった。この宿は木々が生い茂り、雰囲気は悪くない。朝食はなかったが、あまり食べる気にもならず、散歩に出た。一番近くの観光名所はチャン洞窟、と書かれていたので、そこまで歩いて行ってみる。途中立派なホテルがいくつか見られたが、観光客は見かけない。ホテルとレストランのスタッフを養成する学校があった。確かシェムリアップで10年前に泊まった記憶がある。

ずっと歩いて行くと街外れを抜け、横道に入ると公園があり、その入り口で入場料を取られた。何となく雰囲気がよさそうだったので、そのまま中へ入ると、川が見え、洞窟はこの川を渡るのだという。その渡し船?が無料で送迎してくれる。川は意外と流れが速い。観光ボートを避けながら、何とか向こう岸へ。

そこからは断崖絶壁?が見える。その下まで行くとまた入場料を取られ、しかも外国人は特別料金15kだった。まあいいか、と石段を登り始めるとやはりきつい。息が上がりながらなんとか上まで辿り着くと景色は素晴らしい。洞窟内もきちんと整備されていて歩きやすいがちょっと滑る。所謂鍾乳洞の中を歩く感じだ。

また階段を喘ぎながら降りて、また渡し船で川を渡る。今度は犬も乗ってきたが、降りるのに苦労していた。そしてトボトボと歩いて宿まで帰る。バンビエンは郊外に色々と楽しめる場所があるのだろうが、どうも観光地好きでない私にとってはこれで十分だった。