バンコク滞在記2022 その3(4)エアコンバスの恐怖

店の前にちょうど来たバスに乗り込んだら、まさかの反対行き?一駅行くとバスは停まり、終点となったようだが、乗客の一部はそのまま乗っている。車掌がどこへ行くのかと聞いてきたので、MRTペチャブリー駅と答えたら、『すぐに降りろ』と言われる。おかしいと思い、表示を見ると、ちゃんとペチャブリー駅に停まると書いてある。始発のコントロールをする係員に訴えると、『乗ってよい』というのでまた乗ると、何と車掌が大声で『出て行け』というので驚いてしまった。

それから係員、運転手と車掌が大激論を交わしている。乗客も不思議そうに眺めていたが、一番不思議なのは私だろう。なぜこんな騒動になるのか、てんで分からない。運転手や係員が自分たちのバスがどこへ行くのか、なぜ分からないのだろうか。最後は車掌のプライドが優先され??、私はバスから降ろされ、次のバスに乗って帰った。後で聞いたら、エアコンバスは赤バスとルートが違うとのことだったが、初めからそういう話しなら激論はなかったはずだが、と最後まで解せない。

MRTに乗り換えると、駅の広告が目に入る。お茶飲料のCMなのだが、そのペットボトルに『おいしい』と共に『砂糖なし』と日本語で書かれているのには目を疑った。この飲料はタイ人向けではないのだろうか。早速近所のスーパーでこの飲料を買って飲んでみたが、正直美味しくはない。それでもタイが砂糖を減らす意識を持っていることは以前より知っているので、これもまた一歩前進だろうか。

フードコートで夕飯を探していると、何故かまたカオカームーが目に入ってしまった。美味しそうだったので昼夜連続で食べてみる。最近は作るのが面倒とか、光熱費高騰などでカオカームーを出す店が減っているというが、やはり豚足とそのソースは美味しい。これは潮州人の食べ物だ。

9月8日(木)ルンピニ公園へ

昨日に引き続いて図書館へ行こうと思った。今日はバンコク市立図書館を目指したが、赤バスに乗っていると、ルンピニ公園が見え、そこにも図書館があるとの表示が出てきた。思わず降りて確かめることにした。ルンピニ公園の名前にはとても馴染みがあるが、恐らくこの公園に入るのは初めてバンコクに来た1987年以来ではないだろうか。懐かしいというより、新鮮さがある。

公園内はかなりゆったりとしており、その中に平屋の建物があった。これが図書館なのか。中に入るとタイ語の表記しかない。受付で聞くと英語で回答があり、英語の本は少しあるという。見てみると私が必要としている本は無さそう。日本語の小説もなぜかまとまってあったが、今は小説を読む余裕はない。久しぶりに英語の新聞を読む。これからはネットでタイの英語新聞を読むようにしようと考える。

公園内を散策する。この公園がこんなに気持ちが良いとは思ってもみなかった。平日の昼間でも散歩している人もかなりいる。池があり、時計台もあり、いい風も吹いている。今日は曇りで暑くないのも良い。周囲には高いビルも見えるが、とにかく都会のオアシスとして、十分に機能している。

公園を出る所に銅像があるのだが、コロナ禍のせいか、近づけないようになっている。まだコロナは終わっていないのか。10月1日にはタイのコロナ終息宣言が出るらしい。昼ご飯を食べるべく、シーロムに行く。昔時々行った和食店、とんかつが旨かったが、今やランチでも400bするから、簡単には来られない。カウンターで食べているのはタイ人のお金持ちで、私も日本人の料理人からタイ人と間違えられ、ちょっと不愉快になるが、それもまた仕方がない。

帰りにパッポン、タニアを歩いてみたが、それほど人の動きが活発になっている雰囲気はなかった。勿論昼間なので夜は違うかもしれないが、コロナ禍のダメージは大きかったであろう。帰りもバスに乗ったが、途中から雨が降り出し、またスコールに見舞われた。最近はとにかく雨にやられる。

バンコク滞在記2022 その3(3)波止場の床屋と国立図書館

9月6日(火)波止場の床屋に突撃する

とても気になっているところがあった。それは宿の近くの波止場のあたりにある。何度かバスに乗っていて見掛けたが、そこの前へ行くことはなかった。だがとうとう意を決して出掛けてみる。髪の毛が伸びていたのだ。いつもは安い床屋へ行くのだが、そこもどんどん高くなっていく。元々カットのみで100bだったのが、いつの間にか150bになり、さらに値上げが見えている。

何が私を引き付けたかというと、1つはその建物のレトロな雰囲気。英語でも使えそうな雰囲気があり、入れば渋い爺さんが『いらっしゃい』と待っていそうである。もう一つは看板。基本的にはタイ語で書いているのだが、『外国人』という英語が見え、その料金は明らかにタイ人より高いのだ。こんな不自然な料金体系、現在でも許されるのだろうか。

恐る恐る中に入ってみた。そこは確かに床屋の仕度だったが、出てきたのは爺さんではなく、普通のタイ人女性だった。カットをお願いすると、慣れた様子で切っていく。10分で終了、タイ人なら100bだが、外国人は170b。まあハッキリ書いてあるので文句はない。いや昔は外国人船員が訪れ、英語を使った特別料金だろうか。だがお姉さんに『シャンプーもしよう』と言われて、気持ちよく頭を洗われ、肩をトントンされる。合計300b。これが安いか高いかは分からないが、まあ特に問題にするほどの額ではない。何となく昔の日本の床屋を思い出していた。

帰りにいつものフルーツを売るおじさんから、スイカとパイナップルを買う。このおじさん、長年この辺で屋台を引いているようだが、最近は体調不良が伝えられ、いないことも多かったので、ホッとしている。一人で食べるには十分な量を確保して僅か35b。日本では考えられない。何とも有難い。お客がいないときは木陰で寝ている姿が何とも良い。

9月7日(水)国立図書館へ

今日もまた赤バス。何と72番を端から端まで乗る企画?ではないが、結果としてそうなった。実は以前も一度乗っているので土地勘はあるのだが、交通量が増えたバンコクでは、時間が相当かかる。目的地は国立図書館。川沿いの行きにくい場所にあり、このバスが最適なのだが、1時間半以上かかってしまった。

前回は祝日で休みだったので、そのリベンジ。立派な建物に入っていくと、機械が置かれており登録が必要。パスポートをかざすもうまく反応せず。結局窓口で対応してもらい、無事中に入った。1階は広いスペースだが、2階へ行けというので階段を上る。受付に英語で話し掛けると、対応はしてくれたが『ここはタイ語本のスペース』と言われ、更に1階登っていく。

3階は外国本がたくさん置かれているが、どこにお茶や茶商に関する本があるのかは、自分で探すように言われ、探し始める。ただ眼鏡を忘れてしまい、よく見えない。英語、中国語、日本語の本もある。何とか中国語本の中から、華人について、タイの歴史について本を拾い出すが、読むのにはかなり疲れる。

1時間ほど3階にいたが、ここで見かけた来館者は2人だけ。一人はここで勉強しているみたいだった。何と贅沢なスペースなんだ。冷房も効いているし、1日中いたいような空間だが、やはり場所が不便なのだろうか。お腹も空いたし、一度外へ出てみることにした。出て気が付いたが、もう一度入るにはまた手続きしなくてはならない。今はランチタイムで窓口の人もいないので、今日のところはこれで退散となる。

帰りにまた72番に乗ったが始発であり、すぐに出発する気配がない。ふと外を見ると、美味しそうな店があったので、バスを降りてみる。カオカームーがあったので、思わず注文しているとバスは行ってしまった。行ってしまっても美味しいものが食べられれば満足だった。店の人は英語も出来たので快適。

バンコク滞在記2022 その3(2)バンミーの値段

夕方から部屋でオンラインの接続テストをした。明日はここから報告会を配信予定なので、一応試してみる必要はあったが、当然ネットスピードは速く、問題はなかった。ただいいホテルに喜んでしまい、Kさんと長い時間話し込んでしまった。気が付いた時には、夜も8時近くなっている。

腹が減ったが、この近所で何を食べるか。ふらふら歩いてみたが、屋台などはなく、白人たちが酒を飲みながら、大型スクリーンでサッカー観戦をしている。これは困ったと思ったが、取り敢えずターミナル21のフードコートへ行ってみる。いつもは激込みなので行かないようにしていたが、さすがに8時過ぎだと席は確保できた。簡単にバンミーと肉まんを食べたのだが、予想以上に美味しい。それ以上に驚いたのは値段が激安。このフードコートは客寄せのため、美味い店を連れてきて、かつ場所代を取らないらしい。だからいつも混んでいるのだと初めて合点がいく。

部屋に戻り、早く寝なければと思ったが、テレビを点けるとイングランドのサッカーをやっていた。その昔香港に滞在していた時、土曜日の夜と言えばプレミアリーグをいつも見ていたものだ。その感覚が戻ってしまい、ついつい見てしまった。選手は変わっているのに、やはりイングランドのサッカーだと思わせる場面が多く、楽しめたが、完全な寝不足となる。

9月4日(日)報告会

朝まだ開けない5時に起きた。そして風呂に入り、体を動かしていると窓の外が明るくなってきた。6時過ぎに朝食を食べに行く。いいホテルのビュッフェも実に久しぶりだ。パンにオムレツからフルーツまで、ついつい思いっ切り食べてしまい、急速に眠気が出てきた。部屋に帰って少し準備するともうオンラインの時間となる。

コロナ禍で続けてきたオンライン講座。現在のバンコクの滞在先ではWifiが使えないので、Zoomの時はどこかホテルに泊まることになる。これを面倒だとは思わず、むしろいいホテルに泊まれるチャンスと捉え、楽しみにしていた。ただ時差がある。東京の10時開始は、バンコクの8時だから、やはり早い。

何とか2時間のお話しを終え、更に最新のタイ事情なども少し紹介してZoomは終わりとなった。気が付くとバンコク時間の10時半過ぎ。それから帰る準備をしていると、もうチェックアウトの時間が近くなる。日本なら10時チェックアウトのホテルも多いから、元々成り立たないな。今回は気分の良い滞在が出来て実に良かった。

宿に帰り、疲れたので昼寝をした。そして夕飯はまた普通のクイッティアオに戻る。ホテル暮らしは夢のような時間だった。だが昨晩のバンミーが僅か30bだったのに対して、近所のクイッティアオが60bというのはどうなのだろうか。まあここの魚団子は嫌いではないが。

9月5日(月)ラーメンセットを食べるも

オンラインが終わったのでちょっと気が楽になる。するとご無沙汰していた人に連絡してみたくなる。ちょうど暇だというので、昨日も来たあたりの彼のオフィスに向かった。だが運が悪いことに先客が来てしまい、待たされた。私は確かに彼にどうしても会わなければならないわけでもなく、仕事でもないので、結局オフィスから出てきてしまった。彼は気を悪くしたかもしれないが、もうこういう面倒は止めにしたい。

BTSに乗り、トンローまで来た。何だかBTSに乗りたい気分だったのだ。確か先日ネットで見たラーメン屋があったので、そこを探したが意外と見つからない。方向音痴が出てしまい、結構歩く。何とか探し出して中に入ると、11時台だというのに、日本人客が数人いた。この辺で働く駐在員らしい。

メニューを見ると、220bでラーメン、チャーハン、餃子セットがあったのでそれを頼んだのだが、他の人が食べているのを見ると、何だか違う。実はここのウリは半ラーメンだと180bという安さだったが、知らないのは私だけ。お陰ですごい量を一生懸命に食べる羽目になってしまった。それにしても日本人は貧しくなった、と思いっ切り感じてしまったランチであった。

バンコク滞在記2022 その3(1)レッドラインといいホテル

《バンコク滞在記2022(3)》  2022年8月30日₋9月11日

8月30日(火)レッドラインに乗る

ウドンタニからドムアンに何とか帰り着いた。結構疲れた、やれやれの旅だった。ドムアン空港は閑散としており、活気は感じられない。確かこの空港にも鉄道?が通ったと聞いたので、インフォメーションで聞いてみると『レッドラインはあちら』と言われたので、それに従って歩く。

いつもはすぐにバスに乗るので着陸後この空港を歩く事は殆どなかった。エスカレーターを一つ上がり駐車場の方へ行くと確かにレッドラインの表示がある。そしてその先の通路には、何と食堂があった。ここは空港職員も使っているようで、朝早くからやっており、価格も安い。折角なので夕飯をここで済まそうと思い、クーポンを買い、カオマンガイを食べた。まあまあのお味。

そこからまた先へ歩くと、レッドラインの表示と共にSRTの表示が出て来る。これは国鉄ドムアン駅とも繋がっているということか。だが国鉄駅は見えなかった。きっとどこか先まで歩かないといけないらしい。とにかくレッドラインの駅に到着。切符の買い方が分からず窓口へ行くとここで現金、と言われ、33b払う。

この路線は日本のODAで作られたらしい。日本に感謝だ。ホームは2回ほど上になっており、登ると空港が良く見えた。ただそれほど素晴らしいライトアップもないので、ちょっとした夜景が見える程度だ。電車はいつ来るか分からず、その夜景を眺めて待つ。15分ぐらいしてやっと乗り込む。基本は20分に一本らしいが表示もなく不明。

車内は新しいが非常に寒い。20分ほど上から街を眺めていく。数駅でグランドバンスー駅に到着する。ここでMRTバンスー駅に接続するのだが、地上3階から地下3階に降りるような感じで、結構歩く。まあそれでも時間が不確かなバスを待つより確実に空港往復が出来るのは喜ばしいことだ。

8月31日(水)

いつもの食堂で

朝Yさんのオフィスに寄ると、旧知のSさんが東京から来ていた。お会いするのは3年ぶりぐらいだろうか。コロナ禍で旅を続けられない私とは違い、ここ1年海外旅をしているSさんはやはり強烈だ。PCR検査や隔離もネタになってしまう。色々と聞きたいことがあるが、皆さん忙しい。

お昼はみんなでいつもの食堂へ行く。そしていつものメニューを頼む。Sさんは自らが食にはあまり興味のない旅人と公言しており、確かにいつも同じものを注文しているように思える。ここでもまた様々な旅情報が飛び交い、参考になる。やはり実際に最近行った人の話を聞かないとアジアは(特にコロナ禍は)何も分からない。

9月3日(土)一流ホテルに泊まって

今日はバンコクに居ながらバンコクのホテルに泊まるという企画。Yさんにお願いして、スクンビットの高級ホテルを予約した。バンコクで五つ星ホテルに泊まるのは何年ぶりだろうか。と言いながら、行く手段は8bの赤バスというのだから、そのギャップはどうなんだろうか。チェックイン前に腹ごしらえと買い物を済ませる。

アソークでランチを食べることなどもう何年もなかった。良く分からないので取り敢えず居酒屋へ入ってみる。ランチの相場は250bぐらい。だが驚いたことにお客はタイ人の方が多い。中には若い女性が一人で定食を食べている。こんな光景以前はあったのだろうか。私は豚の生姜焼きを食べたが、味はまあまあ。

ドリンクなどを買い揃えてホテルに入った。思ったほどの広さではなかったが、冷蔵庫にはちゃんとコーラやジュースが無料で入っている。スナックも置かれている。これなら買ってこなくてもよかったなと思うが、こういうあたりは慣れがない証拠だ。部屋は至極快適であり、シティビューの眺めも明るくて良い。

この部屋はコロナ禍で隔離が必要だった日本人が良く利用したと聞いており、キッチンなどもあり、風呂の浴槽もかなり大きかった。テレビも日本の放送がたくさん入っており、まるで日本にいるようだ。もし一週間ここにいろと言われれば、喜んで、と答えたい。それでも部屋にじっとしているのはつまらないので、プールへ行ってみると、家族連れなどでかなり賑わっている。急速に観光客が戻りつつあり、ホテル需要も活発化してきている。このホテルも半月前より1000bは値上がりしていた。

バンコク滞在記2022 その2(4)とんかつリベンジ

腹は減ったがとんかつは食えず。そこで思い出したのが日本の洋食。富士スーパーにあるというので、バスに乗って行ってみた。Googleでは通しで営業しているとなっていたが、実際は休憩中であり午後4時には入れなかった。諦めて帰りかけると、そこに寿司屋が現れ、メニューを見ていると日本人から『もうやってます』と声が掛かり入店。

寿司を食べる気分ではなかったので、親子丼と蕎麦を注文する。まあ蕎麦は並だが、親子丼の鶏肉は歯ごたえがあって美味かった。そう、日本の鶏肉は歯ごたえがないんだよな、と妙に思い出す。帰りがけに雨模様となる。何とかバス停に着くと大雨になる。そしてバスはなかなか来ない。ようやくやってきて乗り込むと後は終点まで行くだけ。着いた頃には既に上がっていた。

8月22日(月)朝ご飯

今日も朝ご飯のバリエーションを広げようと、いつもはコーヒーしか飲まない1階のカフェで朝食を食べてみた。ソーセージやベーコン、目玉焼きもあったが、トーストがやけに小さい。これでは満足感が得られない。勿論金額もコムヤーンの2倍以上する。

こういう日は原稿や講座準備もなかなか捗らない。悩みは常にあり、そして資料の忘れ物もある。そんな中でこれまでよく海外で原稿を書いていたなと、自分ながら感心する。やはりまだ海外生活に慣れていない。プールに入ってもすっきりしない。雨も心配になり、早めに夕飯を探す。

やはり体調があまりよくない。ちょうどバンコクに来て2週間、疲れも出ている。こういう時は胃にやさしいものを。やはり八番らーめんか。近所のスーパーにあるので、ドリンクを買いに行きながら鴨煮らーめんを食べる。ドリンクは2つ買うと安いと思っていたが、実はメンバーカードが無いとダメと今日気が付いた。

8月23日(火)再会

今日は2つの約束があった。暇な私には珍しい。1つ目は2年半前お世話になったY先生。先生はご高齢ながら、活発に活動されている。特に日本の近現代史を知る会を主催され、子供たちにも歴史を教えておられる。元々はビジネスマンとしてタイに来られ、その後教育者として、長くバンコクと関わられている。

待ち合わせたのはプロンポーン駅。そこのビルの上に行くと以前もここでご一緒したなと思い出す。だが今日はその隣へ入る。常に新しいものを求めている感じが面白い。ここで2時間以上お話を伺った。とても貴重な昔のバンコクから、現在の日本の状況まで、そして我々はいかに生きていくべきかなど、様々な話題に時間を忘れる。

次に向かいのビルに行き、おしゃれなカフェに入る。如何にも都会のナチュラルを感じさせる店構え。ここでMさんと待ち合わせ。Mさんにはお茶会で大変お世話になっていたが、コロナ期は殆ど連絡しあっていなかった。なんでも半年ぐらい日本にいたとか。ちょうどバンコクに戻ったとのことで久しぶりにお会いした。

取り敢えずリアルお茶会は止めて、タイの茶の歴史、華人の歴史を調べたいと伝えた。これからはもっとタイの食文化などにも入っていきたいが、タイ語が出来ないハンディは大きい。Mさんなどバンコク在住者、タイ語話者の力添えが欠かせないと感じる。

8月24日(水)とんかつリベンジ

今朝は朝から何も食べずに腹をすかせた。そして昼を過ぎて赤バスに乗り、先日のセントラルワールドへ向かう。今回のお目当てはズバリとんかつ。前回のリベンジだ。さすがに平日の午後だから空いているだろうと思っていたが、それでもかなり混んでいた。

何とか席を確保して注文する。ロースかつご飯。320b。お茶30b。まい泉より安い。そして何よりご飯がお釜で出て来るのが良い。タイ人は元々とんかつ好きだが、このご飯とポテトサラダが大体テーブルに載っているから、これも好きなんだろう。ご飯とキャベツがお替り自由というのもウケている。これらは他のとんかつ店にもあるのだろうが、この価格ではコスパがウケている理由だろう。確かにとんかつにサクサク感があり、日本で食べるのより旨いかもしれない。いや私は日本では和幸ご飯890円しか食べないから、もう一段上を食べれば同じような味だろうか。

ショッピングモールを歩いていると、なぜか中国語が良く耳に入って来る。中国人団体観光客はいないはずだが、カフェで4人ぐらいのおじさんおばさんが大声で話している。彼らは観光客ではないが、住んでいるのだろうか。最近バンコクに住み始める中国人が増えていると聞くがこういう人々だろうか。

帰りにモールの横にある仏像を眺める。タイ人がひっきりなしに来て拝んでいる。女性が多いのは信心深いからだろうか。バンコクの経済はかなり持ち直しているように見えるが、その中でも、色々と苦労している人々の姿がそこかしこに見えてくる。災害は貧富の差を拡大し、ある人々の未来を失くしていく。

バンコク滞在記2022 その2(3)サムローンへ

それからその辺を散策すると、王室関係の橋や寺などがどんどん出て来る。2番の赤バスで帰ろうと思ったが、すぐに動きそうもなかったので、見えていた公園に向かう。サラーンロム公園、王室ゆかり(ラーマ四世?)の場所だ。門のところには警備員がいたが、難なく入れてくれた。コロナ対策で厳しかった警備も、今は相当緩んでいることを指していた。

この公園、歩いていると何だかとても落ち着く。何となく洋風の公園、バンコクにもこういうところがあったのかと初めて知る。なぜか中国式の仏塔もあるのは、やはり王室と華人との繋がりを指しているのだろうか。それから2番バスに乗るとすぐに動き出した。プロンポーンまで乗っても8b。昔よく行った居酒屋でランチを食べたが、50bぐらい値上がりしていて驚く。

8月20日(土)サムローンへ

朝起きて疲れを覚える。今日は休みにしようと思い、掃除の時間に外へ出て、コムヤーンを食べる。何だか変な?にーちゃんが店を手伝っている。息子だろうか。やけにテンションが高い。

昼頃高校野球を見ていると、突然Mさんからメッセージが入る。暇だというので、Mさんの家の方へ出掛けることになった。どうやって行くか、Mさんから詳細な情報が入る。45番の赤バスが最適と判断して、バス停へ。15分ぐらい来なかったが、乗ってしまえば土曜日は道が空いておりスイスイ。スクンビットもスイスイ。オンヌットロータスの思い出、昔拠点にしたプナビティ付近はかなりの変貌を遂げていた。

指示された通り、サムローン駅近くの商店街で下車。この辺はバンコク都外であり、何となく昔の風情が残っている。Mさんと合流して、ミャンマー雑貨店へ。やはりタイとは違うものが置かれているが、私には良く分からない。シャン人がやっているようで、シャンヌードルが食べられると言われたが、空腹ではなかったので、後でと言って、カフェを探す。

それから2時間以上、Mさんから旅の情報を仕入れた。まあとにかく何でも良く知っている人なので、いくらでも会話が成立する。その内土砂降りの雨となり、雨が上がるのを待っていると、何とカフェが5時で閉店と言われ、追い出される。横の市場を巡ると、何ともうまそうなダックやチャーシューがぶら下がった店がある。食べてみたい衝動にかられたが、Mさんに晩御飯の予定があり、涙を呑む。

時間調整のため、AISショップへ行き、私のシムについて調査。色々と解明できた。これもMさんの語学力のお陰。最後はバス停まで送ってもらい、また45で帰る。途中雨が酷くて、窓を閉め切ると、赤バスに乗っているのはちょっと辛い。プラカノーンで曲がる時、雨が止んでいたので、一度降りる。うま食堂の看板を見つけて入る。豚みそ定食200b、ボリュームがすごい。自分が歳であることを痛いほど感じる。また45に乗り帰る。今日の交通費24b、どこまで行ってきたんだ。

8月21日(日)とんかつ

今日はバスでセントラルワールドへ行った。MUJIがここにも入っているので、スーツケースを見に行ったが、ちょうどよいものはなかった。この建物の中には他にもかばん屋があり、スーツケースが並んでいたが、急に考えが変わり、荷物をできるだけ少なくして旅しようと思う。そして購入計画は白紙に戻す。

この建物には伊勢丹が入っていたが、すでに撤退していた。それでも紀伊国屋書店は残っており、すごいなと思う。日本でも書店はどんどんなくなっているのに、頑張っている。その同じフロアーはレストラン街になっている。大阪王将が目に飛び込んだが、ランチは平日のみと書かれており止める。すると反対側にとんかつ和幸が見えたが、こちらは午後2時過ぎで10人以上が待っていた。こういう光景を見ると何だかどうしてもとんかつが食べたくなる。検索すると1㎞ほど離れた場所にも和幸があるというのでわざわざ歩いて行ってみた。

午後3時ならさすがに入れるだろうとの予測は完全に裏切られた。こちらも10人ほどが待っていたのだ。やはりバンコクでは、レストランに切れ目はない。食事は食べたい時に食べるのだ。これで完全に諦めた。バンコクにはまい泉やさぼてんなども出ているがどう見ても一番人気は和幸だろう。その理由はどうしても知りたい。因みにセントラルワールドではカフェアマゾンで機械がコーヒーを淹れるデモンストレーションを行っており、注目を集めていた。

バンコク滞在記2022 その2(2)老舗茶行を訪ねる

8月18日(木)午前のミーティング?

今や週に2回になってしまったYさんとの朝コーヒーの時間を楽しむ。毎日会わないので、聞きたいことが山ほどあるが、もうそれを覚えている力がなく、何とかいくつかの話題を切り出し、何らかのヒントを得る。『タイ人の高齢化』の話では、都市部のタイ人が親を老人ホームに入れようとしているという。これは2000年頃中国で起こった現象だ。それまでは『親を施設に入れるなんて日本人は何て親不孝なんだ』と言われていたのが、手のひらを返したよう、『いい老人ホームはないか』と切り替わった。今それがタイにも起きているらしい。

そんな話をしていると、スッとOさんが入ってきた。確か今日チェンマイから来ると聞いていたが、突然で驚く。Yさんが仕事に行くと、Oさんの席に移動して話し出す。彼は発酵のプロなので、どうしてもそちらの話が弾む。昨日もチェンマイ郊外でミエンの村へ行ったらしい。そしてこれからすぐにカンボジアへ移動するとか。ビジネスマンより忙しい。

集友茶行へ

昼、ヤワラーへ向かった。バスで行こうと思ったが相変わらずいつ来るか分からないので、MRTに切り替えて駅へ歩き出した1分後にバスが来た。間が悪すぎる。MRTでファランポーン駅まで行き、歩いて橋を渡る。茶行に行く前に腹ごしらえと思い、以前行ったことのある店に入る。相変わらず混んでいたが、座席数はかなり減らしたようだ。

『何番を食べる?』と聞かれたので適当に『6番』と答えたが、出てきた物が麺ではない。なんだろうか?これをラートナー(豚肉あんかけスープ)にかけて食べると実にうまい。だが名前は分からない。壁に貼ってあるメニューに中国語があったが、なぜか6番のところだけ見えない。まあ美味しいからいいか。

集友茶行の王さんは相変わらず元気そうだった。奥さんも私を覚えていてくれた。この2年間、コロナが酷い時は店を閉め、開けている時も茶の提供はせず、茶葉を売るだけだったというが、ようやく最近正常に戻ったらしく、今日は濃い目の岩茶を淹れてくれながら、岩茶の話を聞いた。改革開放後王さんはいち早く岩茶に目を付け、香港に流れてきた茶を買い付けたらしい。それはお父さんが戦前武夷山と縁があったことも関係している。

1時間ほどお話して、お茶を買ってお暇した。それからワット・トライミットの前を通ったが、人がほとんどいなかった。コロナ前はあれほどいた中国人観光客の姿が全くない。見事なほどだ。ファランポーン駅にも立ち寄る。確か駅は廃止されるとの話だったように思うが、昔と同じ駅舎があり、電車も停まっている。ただここも人が少ない。

8月19日(金)花市へ

朝起きるとすごくいい天気だった。掃除の人が早めにやってきたので、急いで外へ出た。昨日出掛けたヤワラーの余韻か、また外出したくなる。思い付くのは昨日王さんと話した花市の茶荘。言葉の壁があるとは思うが、一人で強行突破しようと出て行く。こういう時はちゃんとバイタクが待っていて、MRT駅まですんなり。そしてサナムチャイ駅まであっという間に到着した。

記憶を頼りに駅からの道を行く。花市場の近くなので、花屋ばかりが目に付く。何と2年半前はお茶屋だったところも1つは完全に花屋になっていた。だが目指す王陽春茶行は健在だった。しかし入り口には防御シートが張られ、お客も入り難い様子が見られる。それを乗り越えて思い切って入ってみる。前回はお茶が並んでいたが、今は一つもない。手に取って販売することも避けているようだ。

従業員の女性は華語も英語もできない。奥を指さしてみても、首を振るばかり。そして電話番号を書いてくれ、そこへ電話しろという。恐る恐る電話すると、女性が出た。華語も通じた。そして日本人だと名乗ると、2年半前のことを覚えていてくれた。何とも有難い。お母さまの都合を聞いて折り返すという。今日のところは大成功で店を出た。

そこからふらふらと歩いていくと、あの王有記のところまで来てしまった。もうインタビューしたのは3年も前か。ちょっと店を覗いてみたが4代目王さんは不在だったのでそのまま通り過ぎた。更に行くとあの2020年3月、最後にインタビューした王瑞珍の前に来たので中を覗き込んだが、ここは全く言葉が通じずに敢え無く退散した。まあ店が開いていてよかった。

バンコク滞在記2022 その2(1)ナンルーン市場のカレー

《バンコク滞在記2022(2)》  2022年8月16₋24日

8月16日(火)近所の朝ごはんと晩御飯

朝ご飯のバリエーションを増やしたい。ということでネット検索すると、すぐ近くに有名店があるらしいと分かった。先日行ってみると日曜日だったからか店は閉まっていたので、本日再挑戦する。ほんの歩いて5分なのだが、通りの歩道橋を渡るのは意外と難儀な物だ。何とか向こうへ行き、目指す店に辿り着く。

そこには朝9時でも行列が出来ており、基本的にはテイクアウトする。ご飯とおかず二品が定番のようだった。私もイカ炒めと骨付き豚をオーダーして中の席で待つ。確かに美味しく料金も高くはない。ただお客が多過ぎて何となく慌ただしい。急いで食べてすぐに出てきてしまった。

昼間は原稿書きとプール。前回プールもコロナ禍で閉鎖になり、十分に入れなかったのだが、今回はゆっくりと入れる。ただ肘肩痛の影響は意外と大きく、長い時間泳いでいると後で傷みがでる。ではゆっくり本でも読もうかと思っても、目が悪くなっており、やはり長時間は耐えられず、そそくさと部屋に戻ることになる。

夕飯の選択肢として、近所に出来たすき屋へ行ってみた。昨日のかつやや吉野家などは海外では少し高級志向を取り、様々な現地商品を開発しているようだが、すき家は基本的に台湾をベースにしているのかもしれない。牛丼、野菜炒め、みそ汁のセットが109bだから、これは台湾と同じメニューで料金的にも安い。現地化を図っているのだろうか。

8月17日(水)ナンルーン市場へ

今日は同窓生のOさんからお誘いがあり、Oさんの車で出掛ける。どこへ行くのかは分からない。ヤワラーの方だと聞いたが、車は全く知らない道を行き、全く知らない場所で停車した。そこは古い華人街を思わせ、長屋のような建物が続いている。その一軒の食堂に入っていく。

ここのカレーは美味い、というので、食べてみると確かにスパイシーではなく、日本のカレーのようで美味い。ポークカレーライス45bに半熟卵をトッピング。きゅうりと一緒に食べるとよく合う。冬瓜も入っていたようだ。タイでカレーというとなぜかグリーンカレーとレッドカレーとかいうが、あれはカレー粉を使っていない。カレー粉を使っているとすればタイ南部が起源ともいうマッサマンカレーだろうか。これも近年突如注目され、日本の牛丼チェーンのメニューまで入ったが、今日のカレーはそれとも違う。独自のレシピという以外知りようがない。午前中に売り切れることも多いというからタイ華人にも人気のようだ。

この近くにナンルーン市場がある。日本人観光客が来るようなところではないが、近年バンコクでは美食市場として、YouTubeなどで取り上げられることが多いという。ここにはきちんとした食事スペースがあり、市場の中にフードコートがある感じだ。一番人気はタイカレーらしいが、我々はOさんお勧めのバンミーを食す。雲吞、叉焼、そしてこのスープがまた美味い。幸せな気分。やはりバンミーは華人の食べ物だ。

それから市場の横にあるおしゃれなカフェに行く。コロナ禍で旅行できないとき、Oさんと奥さんが何気なく来たこの市場のカフェにはまり、今でも月に1₋2度来るという。確かに落ち着いた雰囲気があり、コーヒーも美味しい。Oさんは週末の午後、ここでドリンクを三杯飲んで読書するのだという。この日は平日で近所の役所の若手が来ており、少し騒がしかったが、昼休みが終われば、静寂が訪れ、気が付くと夕方まで話し込んでしまった。

帰りは小雨の中、大渋滞に巻き込まれる。ある意味でこれが以前のバンコクだったなと懐かしんだが、一体いつになったら着くのか分からず、最後はファランポーン駅で車を降りてMRTに乗った。雨は上がっていたので、近所の麺屋へ行く。麺屋ではない。昼間はタイヤ屋だが、なぜか夕方から時々麺屋になる。ここの麺と煮込んだ鶏肉、そして濃い目のスープが華人らしくて好きだ。

帰宅後Oさんからメールが来た。私の宿にあるムエタイジムに、三浦知良の息子が来ており、近々ムエタイの試合があるというので、格闘技好きの間で話題になっているらしい。そういえば昨日エレベーターですれ違った若者がそうだったかもしれない。バンコクでは若い女性に大人気とか。

バンコク滞在記2022 その1(5)とんかつと眼鏡

8月14日(日)近所の食事

今日は日曜日で三連休の最終日。私にとっては外出しない日である。また朝ご飯を探しに外へ出ると道の向こう側に気になる屋台があった。先日見た時もバイタク運転手が列をなしており、一度食べてみたいと思っていたが、ちょうど席があったので、思い切ってトライする。

ブラウンソースは味が濃い目で胡椒がかなりかかっている。麺は確かに美味しい。これで40bだから、節約したい人はここに集まるのかもしれない。しかしこういう屋台はすぐにいなくなってしまうもので、その後ここで食べることはなかった。

夕方、お昼を抜いたので早めに食事を探す。私は大のとんかつ好き。かつ丼でもあれば良いのだがと、ふと思い出したのが近所のとんかつ屋。2年前は良く通った。だがそこへ行くと店舗は既にない。検索すると比較的近くの居酒屋などが集まる場所へ移動していたので、そちらへ行ってみた。

店自体が居酒屋を居ぬきで借りたらしく、前の店内と比べて雑然としている。そして従業員の対応もどことなく以前の元気はなく、何となく投げやりだ。価格も30bほど上がっており、食べてみるとちょっと油が気になった。恐らく物価高騰に店舗移転が重なり、このようなことになったのでは、と思うが、残念ながらもう行くことはないだろう。

8月15日(月)とんかつと眼鏡

昨日のとんかつがあまりに残念だったので、今日はエカマイに行ってみた。日本のかつやが出ているというのでどんなものか見に行く。実は日本で食べた時のコスパが良くて、ひそかに注目している。72番赤バスも健在。一本でエカマイゲートウエイに行く。ここは大きな招き猫の置物があったのだが、残念ながら無くなっていた。和食店の数もやはりコロナ前より減っている感はある。その中でチェーン店が目立つ。

かつやは安くてうまいかと思ったが、バンコクのコンセプトは少し違っていた。それでも100bちょっとでかつ丼が食べられそうだったが、メニューがすごく見づらくて、困る。そしてなぜか189bもするカツとじ定食を頼んでしまう。更にはドリンクの注文が追い打ちをかけて220bもかかってしまった。周囲を見たらそんなものを食べている人はいない。失敗した。

BTSでチットロムへ行こうと思ったが、ラビットカードはやはり使えなかった。窓口で聞いたら、コロナのせいではなく、私のカードは7年を経過しており、失効していたのだ。これを新しいカードに更新するにはパスポートも必要で、何かと面倒だったが、少額の残高も移行できたので、まずは良しとしよう。

チットロムで降りて、眼鏡屋へ向かった。実は先日Iさんからここに日本人が常駐していると聞いていた。そして私は数か月前、日本のこの店(チェーン店)で、眼鏡を2つ作っていたので、行ってみた。その日本人スタッフは非常に親切で、丁寧に視力を計り直し、問題点を指摘してくれた。

それでは新しいのを作りますか、となった時、その代金は日本よりかなり高いことに気が付いた。勿論円安の影響はあるが、それを差し引いても高い。聞けば材料も日本で使っている物とは違うという。要は日本では安売り店へ、海外では高級ブランドとして生きていく戦略なのだと分かった。日本はこれからさらに貧しくなり、アジアは基本的に伸びていく。どちらの市場も取り込もうとするとこうなるのだろう。だが私個人の懐具合から考えて、今バンコクで眼鏡を作る選択肢はなく、『日本に帰ったらお宅で作ります』と言って礼を言うのが精いっぱいだった。彼には悪いことをしたが、これが現実だ。

気持ちが貧しくなり、帰りもバスに乗る。この周辺を歩いている外国人観光客が増えていることを実感する。彼らは私などとは違ってもっと消費するだろうからタイに貢献している。そんなことを考えながらバスを降りて、宿に着く直前、ものすごいスコールに見舞われ、軒下に避難して、そこから動けなくなってしまった。何かを暗示している天候のように思えてならなかった。日本の未来でなければよいが。

バンコク滞在記2022 その1(4)セントラルエンバシーとマック

8月12日(金)セントラルエンバシー

今朝は何だかだるくてベッドから起き上がる気がしなかった。それでも9時を過ぎると掃除人がやってくるので部屋を明け渡す。何か食べようかと見渡したが、結局ちょっと散歩しただけで部屋に戻ってしまった。茶の歴史など書いてみようとも思うが、その集中力もない。

10時半、バスターミナルへ行き、久しぶりに赤バスに乗る。今日タイは祝日ということで閑散としている。赤バスはまだどこまで乗っても料金8bであった。このバス一本でチットロムまで行く。途中大型施設の工事現場を通り、懐かしの?日本大使館を通る。驚いたことにこの辺バス停には、電光掲示板が取り付けられ、何番が何分後に来るのかが、表示されている。これはシンガポールあたりのシステムを導入したのか。便利であり、進化が見られる。

セントラルエンバシーはちょっと格調高い高級感があり、これまで私には無縁だった。今日はIさんのお誘いでここでランチをすることになっていた。まずは無印良品を訪ねる。実は5年前にバンコクMUJIで買った小型リュックを愛用しているが、ついに破れ始めていたので、新しいものを買いたい。東京のMUJIで調べてもらったら、何と日本では元々扱っていないと分かり、バンコクまで持ち越してきた。だがここでも調べてもらったが、半年以上前に扱いは無くなっており、結局買えなかった。

鼎泰豊と言えば、台湾小籠包の名店。私は台湾では基本的に行かないが、中国では昔よく行った。それがここにも入っていたので、食べてみる。正直に言うと、味は微妙に台湾ではなかった。やはり各地でアレンジされているのだろうか。だが祝日ということもあり、特に母の日だったこともあり、家族連れで超満員の盛況だった。決して安くはないレストランで、タイの発展を感じる。

Iさんとの話が尽きず、場所を変えて話す。このビルの最上階のカフェ、ケーキが200b代、コーヒーと合わせて軽く400bを越えるが、お客はひっきりなしにやってくるので、本当に驚いた。東京でいえば青山・六本木あたりで午後お茶する料金を簡単に払うタイ人たち。円安を考えなくても勢いはある。

帰りのバスを待ったがなかなか来ないので、懐かしい場所を歩いてみる。昔泊まったホテルが改装中だ。やはり旅行解禁に合わせてリノベーションが行われている。宿の近くまで来ると雨が上がっていた。初めて入る屋台で臓物スープを食べる。このスープはなかなか美味しいのだが、一緒に出て来る白米が不味すぎる。この食べ物はバイタク運チャンなどが食べる一番安い食い物かもしれないが、何とも残念だ。

8月13日(土)マクドナルドが

日本でも偶に食べるマクドナルド。バンコクに来ると時々手を出していた。その近所の店も安泰であったので、嬉しくなり入ってみた。ところが店内は何も変わっていなのに、注文カウンターだけがなくなり、そこではデリバリーの運転手が商品を待っている、お渡しカウンターに変貌していた。

戸惑っていると係員がタイ語でこっちだよ、と指し示す。見るとタッチパネルが設置されており、皆サクサクと注文している。英語もちゃんとあるのだが、この操作がなかなか難しい。係員は英語も出来たので、結局私は言葉で言って、彼女が打ち込む羽目となる。ようやくオーダーできると、隣のお渡しカウンターで支払いをする。これもタイ人の若者はキャッシュレス化しており、ここには来ない。

フィレオフィッシュバーガーセット(ポテトとドリンク普通サイズ付き)が99bはかなりお得感があり、安く感じられるが、全体的に見えれば、既に日本のマックの代金を越えているようにも思える。それでもタイのどこにでもあるマック、これもまたタイなのだろう。因みにコロナ禍ではドライブスルーが活躍しただろう、いやデリバリーだっただろうか。