チェンマイ滞在記2023 その2(4)つかの間の休日

1月28日(土)つかの間の休日

この1週間の急展開に体が付いて行かない。さすがに疲れが出たので、週末は休むことにした。ただ朝は涼しいのでふらふら散歩するのが気持ちよい。昨晩食べ損なったジョーク、別の店で食べてみることにした。そこは住宅街にあり、普通の観光客は行かないような場所にあった。華人一家が自宅の庭を開放して出来たカフェのような場所。何とも心地よい風が吹き抜ける。

ジョークを頼んでみると、こちらはしっかり粥に味が付いている。何となく広東がゆを思い出す。そこに卵、ルークチンなどがふんだんに入っており、少ししょっぱいかもしれないが、何とも私好みの味になっていた。ここではトーストなども食べられるようで、これから通おうと思ったが、帰りがけに中国人の一団がけたたましく来訪し、少し興を削がれた。

そこから昨日の朝も行けなかった金曜朝市の会場を巡り、散歩する。全てが夢の後、ハラルストリートなどと書かれた道があることも知る。もう一度ここでカオソイを食べたかったが、まだやっている店はなかった。宿へ帰り、プール脇で本を読んで過ごす。やはりプールは冷たすぎて入れない。

夕方腹が減り、飯を探す。昨日通り掛かった麺屋を思い出す。最近食べ過ぎなので、食事もセーブするべきだろう。華人系の店で焼きそばを食べる。潮州系だな。この濃い目の味を噛みしめていると、何だか昨年行ったトランを急に思い出して懐かしい。

1月29日(日)今日も休日

週末はお休みを決め込んだ。今日も午前中は大阪国際女子マラソンを見て過ごす。こういうテレビがタイで簡単に見られるのは何とも嬉しい。それにしても女子でも世界との差がこんなに開いてしまうとは。新谷仁美の危機感を共有できる人はどれだけいるのだろうか。MGCの出場権を取るなどは、本当に意味のあることなのだろうか。

チェンマイは最近日中の気温もさほど上がらない。今日などは30度にも届かず、昼までも涼しいと感じてしまう。これは煙害が始まったからだと聞くが、そうなのだろうか。これまでチェンマイで一度も雨を経験していない。昼はまたお寺に行き、カオカームーを食べる。何と言っても安いし、美味い。お寺めし、万歳。

午後は卓球の全日本選手権を見る。男女ともに順当な勝ち上がり(いや伊藤美誠がいないか)。張本、早田の順当勝ち。まあオリンピックに向けては良い兆候だろうか。夕方Nさんが来てくれ、その後の様子を報告する。この急な展開に彼もとても驚いていた。食事は洋食屋ということで、城壁の反対側の老舗で食べる。スープを飲んでいると、何だか懐かしい雰囲気の店だなあ、と思う。宿に帰ると、宿の横は人で埋め尽くされていた。サンデーマーケット、先週より人が多く、歩くのも大変だ。チェンマイ観光はほぼ復活だろうか。

1月30日(月)Monsoon Café

今日はかなり涼しい。日中先週お誘いを受けたMonsoon Cafeまで約30分、歩いて行ってみる。橋を渡ると、そこには大きなマンションが建っていた。確か20年近く前、ロングステイの視察でこのビルを紹介されて、内覧したことが思い出される。あの頃、3LDKが8万円ぐらいだった気がするが、今はどうなんだろうか。

チェンマイ滞在記2023 その2(3)突如チェンダオの茶畑へ

1月27日(金)突如チェンダオへ

昨日の話は正夢なのか。朝起きてターペー門を通ると、何だか仮装した人々が大勢いて、皆で写真を撮っている。一体これは何だろうか。指定された通り8時半にラミンティーに行くと店は開いていたが、昨日の女性の姿はない。折角なので見事な庭などを見学し、紅茶などを頂いていると、徐々に人が集まってきて、数人でミニバンに乗り込む。今日は一体何の集まりなのか。誰も説明してくれないが、まあ私はおまけ参加だから、黙ってついて行くしかない。

チェンライ方面に小1時間進むと、本道を外れて山の中へ突っこんでいく。ここから山道を10数キロ進む。道は舗装されていて意外とよい。そして標高1000mを越えたあたりで車は停まる。そこにはラミンカフェがあり、周囲が一望できる茶畑風景が広がっていた。ここが80年ほど前ラミンティー発祥の地だという。

既に何人か集まっていた。突然その中の一人がタイ語で話を始め、皆がその講義を聞いている。彼はバンコクからやってきた茶文化の専門家らしい。今日の集まりは彼の訪問に合わせてセットされ、偶然にも私はその末席に加わったということのようだ。この集まりに参加している人の中には日本に留学経験があり、日本語を話す人もいた。そしてこの専門家は英語も中国語も話し、会話していると、バンコクの茶行にも詳しく、共通の知り合いもいて盛り上がる。

お昼ご飯が出て来る。まずはミアンで作られた可愛らしい前菜。この付近はラフ族が多いようだが、ミアンの生産もあるらしい。それからご馳走が続々出てきて、皆で食べながら話を続ける。何とミニバンで後ろに座っていたのはチェンマイ大学の先生で、今後図書館に連れて行ってくれるという。心地よい風に吹かれながら、気分良く過ごす。

午後は後ろにある茶工場見学。今は生産の時期ではなく、稼働してはいなかったが、何とも不思議な道具などもあり、生産現場での工夫が随所に見られた。元は初代がインドへ行って機械などを持ち帰ったらしい。80年前この山の中で何が行われていたのだろう。現在の工場は2代目で、最初の工場の場所は寄付して、今は学校になっているという。

そこから車で更に少し登ると、標高1300m付近の道の両側に茶畑が見えてくる。ところどころに山桜がきれいに咲いている。数10年前に規則的に植えられた茶樹の他、明らかに100年以上経っている細長く背の高い茶樹が何本も見られる。専門家はメジャーを出して測定を始める。もっと古い木は歩いて1₋2時間行った山中にあるらしい。帰りに大きな仏塔を見学する。誰がこんな山の中にお寺を作ったのだろうか。

またミニバンに乗り、1時間半かけてチェンマイ市内に戻る。ラミンの2階にあるお茶教室も見学する。世界中のお茶が集まっており、ここでお茶の淹れ方からブレンドなど、レクチャーが行われるという。美味しいお茶を飲みながら、出てきたおしゃれなスイーツを楽しむ。女子向きの教室の様子が分かる。

夜は少し疲れたので、お粥でも食べようと、週末に行った店に行ってみた。朝はあんなに混んでいたのに、夜はお客があまりいない。折角なので麺を食べてみる。所謂ラートナー麺だったが、実に胃に優しかった。帰りにまたナイトバザールを横切る。ここで食べようといつも思うのだが、いつも食後に通るのはなぜだろうか。

チェンマイ滞在記2023 その2(2)ワンニーマンの奇跡

宿に帰るとMさんから連絡があり、夜はうどんを食べに行く。このうどん屋、前回から気になっていた。タイ人経営だと思うが、若いタイ人がどんどん入っていく。我々は何とかカウンターに席を確保して周囲を見回し、ミックス天ぷらうどんを注文する。因みにかき揚げうどんを頼もうとしたMさんは、単品しかなく、私と同じものとなる。

スタッフは沢山いるが効率はかなり悪いので、なかなか注文したものは出てこない。丼ものもあるので、更に面倒くさい。ようやく出てきたそれは、天ぷらの量がすごい。むしろ天つゆを出してくれれば、天ぷら定食で食える。これで219bは高くはないが、ちょっとうどんを食べようと思うと安くはない。

うどんはすぐ食べ終わったので、帰りがてらちょっとカフェに寄る。ところが空いていたその店はカフェというよりバー。そしていつの間にかライブ演奏が始まり、若いタイ人が集まり始め、日本のおじさん二人は真ん中に取り残される羽目となる。普段夜出歩くことがないので、かなり新鮮な体験だった。

1月26日(木)ワンニーマンの奇跡

昨日チェンライの大学のP先生からメッセージが入っていた。『明日チェンマイに行き、イベントに参加します』。Tea&Coffee Expoと書かれていたので、面白そうだと思い、また久しぶりにP先生の顔を見ようと出掛ける。ただ何時に行けばよいかも全く分からず、取り敢えず昼前なら、午前のセッションが終わり、お話しできるかもと行ってみる。

Grabバイクで到着したのはワンニーマン。かなりおしゃれなビルにおしゃれなお店が入っている。中庭では業者さんがブースを出して、お茶やコーヒーを売り込んでいる。私は指定されたシンポジウム会場へ上がっていく。会場を覗き込むとちょうど午前のセッションは終わっており、すぐそこにP先生の顔が見えた。彼女は今回のメインスピーカーとして招かれており、多くの来場者と言葉を交わしている。

彼女が私に気づくとすぐに招き入れられ、『一緒にご飯を食べよう』と言われる。一番偉い人の席に連れていかれるとその丸テーブルには既に数人がご飯を食べていた。そして驚いたことに、私の横にいたのが、あのMonsoon Tea(バンコク駐在日本人夫人で知らない人はいない)のスゥエーデン人オーナー。その横にはティーツーリズムこの国際的に有名なカナダ人学者、更に何とその横にはあのラミンティーの3代目夫人が座っており、一挙に全てが私の前に現れた。

ラミンティー夫人に『一度チェンダオの茶畑を訪ねたい』と告げると、『では明日8時半に店に来て』と言われて驚く。更にMonsoon Cafeに3日後に招待された。展開が早過ぎる。あれ、チェンマイって、行きたいと思っているとすぐに叶う魔法の街なの、と夢見心地になる。街のサイズはちょうどよく、一人と繋がるとどんどん繋がっていく世界、何と心地よいのだろうか。ご飯もとても美味しい。

午後のシンポジウムは全てタイ語だったので、P先生の写真を撮って退散する。下のブースを見ていると、Monsoonとラミンが一緒にブースを回っていたのでそこに加わる。コーヒーのブースも丹念に見ているのが面白い。ラオスから来たという日本人夫妻もいた。ワーウィなど、烏龍茶を作る産地の人もいたが、いつか行ってその歴史を聞いてみたい。

帰りはソンテウにトライしてみる。車やバイクはGrabなどで呼べるのだが、市内を走るソンテウを乗りこなせた方がチェンマイでの活動は更に広がるだろうと考えた。ワンニーマンから道を渡り、旧市街方面のソンテウを待つ。何だかとても暑い。やっぱりGrabの方が待ち時間も分かってよいかなと思ったところで、ソンテウが来たので『ターペー』というと『50バーツ』と言われる。まさかの料金交渉?結局40バーツで承諾して、あっという間にターペー門まで運ばれた。

チェンマイ滞在記2023 その2(1)ミアンの旅

《チェンマイ滞在記2023(2)》  2023年1月25₋31日

1月25日(水)ミアンの旅

先週Nさんから紹介してもらったケンサンとついにミアン旅に出た。ここまで僅か1週間、チェンマイって、願えば叶う街なのだろうか。ケンサンの知り合いのドライバー(何とカフェのバリスタらしい)の車に乗って、向かうはチェンライ方面。60㎞、約1時間走って、突如脇道へ入った。そこがクンラオ村の入り口だった。

クンラオ村はのどかなところだった。村人に聞くと、ミアンづくりをしている家は今や一軒しかないというので、そこへ向かう。家主のポーンさんは忙しい中、相手をしてくれた。家の奥の高床式の下には、かなり大きな壺があり、その中にはミアンが詰まっていた。村人から茶葉を集めて、ここで作るのだという。ミアンシーズンは年4回。商品はチェンマイ商人(タイ人)が購入していくらしい。

折角なので近くの茶畑も見せてもらう。茶葉は上の芽は緑茶用(生葉売り)、真ん中ミアン用、一番下はタイ茶用(タイ茶会社へ)になると説明を受けて妙に納得する。尚ミアン製造技術がいつこの村に入ってきたのかは不明だが、茶樹は200‐300年前からあるようなので、その頃かと推測する。

続いてケンサンが『バーミアンへ行きましょう』という。ミアンという名が付いているぐらいだから、期待が高まる。クンラオから山道を車で40分、標高1000mの村へ行く。道路沿いでコーヒーを売っているカフェ?に入り、ほうじ茶(原液)を注文したところ、そこにミルクや砂糖を入れて飲む用の物で、真っ黒な液体が出てきてビックリ。さすがにミルクを入れてもらって飲む。ここにはバイクのツーリングをするタイ人が何人も来ており、最近のタイ人の観光動向などが分かってくる。

カフェのオーナー夫妻に話を聞くと『この辺でも昔は沢山ミアンを作っていたが今は殆どコーヒーに替わってしまった。古い茶の木は少し山に入れば沢山あると思うけど、誰も管理していないからどうなっているか』という残念なお知らせだった。今茶葉を摘む人がいても、生葉を仲介人に売るだけらしい。

ただそこから北へ10㎞ほど行った村には今もミアン造りが残っているという。そこまで行くと確かに民家に漬物樽が置かれている。だが中身は空っぽ。今は造る時期ではないというが、恐らく生産量は少ないのだろう。この村は昔バーミアンだったが、30年前国王が来て、コーヒー栽培が奨励され、名も変更されたという。

そこから山道をずっと走り、ようやく平地の道路へ出たと思ったら、もう一度別の山に入っていく。そのあたりにはきれいな別荘やホテルなどが見えてくる。更に登っていくと道の両側に土産物屋やカフェなどが並び、完全な観光地になっている。こんな山の中に、こんな場所があるとは驚きだ。ここがメーカンポーンだった。

車は更に登り、滝があるところで停まった。ケンサンが『この滝のところに古い茶の木がある』というので行ってみると、確かに細長い茶樹があり、幹に布が巻かれている。これは保護すべき樹木のマークだという。そこから川沿いに降りていくと、茶樹の看板が出ている。ここの木は古く、保護されるべき貴重な物なのだろう。その下にもまだまだ茶樹が生えている。この付近は以前ミアン造りが盛んだったが、最近は完全に観光業に替わってしまったらしい。

今日は1日で3つの村へ行き、ミアンの現状を知ることが出来たのは大きな収穫だった。ただ残念ながらミアンの歴史については皆目分からない。さらに調査を続けるしかない。秋に再訪しよう。帰りの車からサンカンペーン温泉が見えた。今度暇な時に浸かってみよう。

チェンマイ滞在記2023(5)タイの茶の歴史に新説??

1月24日(火)本当のタイの茶の歴史とは?

昨日出した洗濯物を取りに行く。お寺を通ると、バンミー屋がぽつんと営業している。何となく吸い寄せられる。おばさんはとてもいい人。バンミー20bは安すぎではないだろうか。お寺が無料で場所を貸しているからかもしれないが、何とも郷愁をそそる麺屋で味わいのある麺を啜る。

Tea Galleryで紹介されたP博士に会いに行く。何と彼のオフィスまで徒歩10分。なぜか富士山や鳥居?がある。建物の中には何と、日本の陶器、人形、着物などのコレクションが多数所蔵されている。博士は森林関連が専門で、京大との交流も多いという。また娘は阪大博士課程に在籍しているとかで、日本にも時々行っているらしい。

タイでは森林局、植物園、チェンマイ大学などに勤め、博士号はウエールズ大学で森林と茶に関する論文で取得している。ピサノローク出身で両親は潮州系だというが、華語は話さない。父はいつも茶を飲んでいたよ、と笑う。退職年齢を過ぎた今は、山岳民族系の健康食品、ドリンクを開発。LINEなどでタイ全土に販売しているという。

博士が講義を開始した。茶の起源はヒマラヤ山脈地域(中国とかインドとかではない)。現在タイ付近に住む山岳民族は基本的に茶を飲まないし、食べない。ヤオ、モン、アカなど中国系マイノリティが茶と関係がある。現タイ人は昔中国から南下する際、山岳生活で茶を飲んだ可能性あり。

13世紀クビライ時代のモンゴル。雲南ビルマ征服時に、軍人が山岳地帯の発酵茶を見つけて、持ち帰ったというのだが?山岳民族はそれまで発酵茶を酒造りの原料としていた??また医薬品としても使ってはいたが、茶として飲んでいない(これは今もずっと)。ミアンはビルマ人にニーズがあり メーソット経由でヤンゴンまで運ばれた。などなど、これまで聞いたことのない話が沢山飛び出し、かなり混乱する。これから1つずつ検証してみたい。

お茶を飲みながら、またお昼までご馳走になりながら、博士の講義は続いた。それから彼の車で外へ出た。チャンプアック門の外には、500‐600年前、ゾウが荷物を下ろし、人が城内へ運ぶ場所があり、今もゾウがシンボルになっていると説明してくれる。更に郊外のノンホー地区、現在はコンベンションセンターの広大な敷地となっている場所。ノンは池、ホーはホース??だといい、馬が水を飲むところであり、ここで大集団は荷下ろししたとの説明はどうだろうか。ノンホーは現在では中国漢人や雲南回族を指すとも聞く。

博士は国立博物館まで送ってくれて別れた。今日の話を踏まえてもう一度ここを見学しようとしたが、何と定休日。本当にこの博物館は鬼門だ。仕方なく車を呼んで宿へ帰る。夕方Mさんがチェンマイに来たと連絡がある。夜待ち合せて近所の食堂に入る。チェンマイ一カレーが美味しい店だそうだ。カレーがなぜチェンマイにやってきたのか、その謎は解けないが、料理は美味しい。

その後付近を散策すると、中国スーパーなどが目に入る。これはコロナ前の中国人観光客向けの店だったのか、それともこれから来る人を当て込んで新たに作られた店なのか。更には最近流行りの合法大麻の店はターペー門付近に沢山あることを知る。一人で歩いていても気が付かないのだが、Mさんといると、色々と勉強になる。最後にセブンに行ってペットボトルの和紅茶を買う。Oishiが発売したものだが、残念ながらそれほど美味しいとも思われない。どこの和紅茶を使っているのだろうか。

チェンマイ滞在記2023(4)中国人は押し寄せていないが

宿へ帰り、NHKプラスで都道府県男子駅伝を見る。3年ぶりの開催。コロナで出走取り消しが多いのは残念。長野が順当に勝利。上野雄一郎はやっぱりすごい。午後は相撲を見る。貴景勝が勝つ。相撲界も変わって欲しいなあ。何だか日本にいるのと変わらない週末となる。ホテルから旧正月プレゼントでミカンがベッドに置かれている。中国人観光客の姿はあまり見られないチェンマイだが、日本の一部報道では『押し寄せている』らしい。

遅い昼ご飯を探しに外へ出た。さすがに昼間は暑い。先日行った牛肉麺屋は驚くほどの大行列が出来ている。ふと見ると隣の寺の境内がフードコートになっている。お寺も日曜日は商売しているのだろうか。カノムチーン(カレー麺)30bはとても安い。フィッシュカレーソースと素麺が絶妙だ。ただカノムチーンの意味はよく分からない。

夕方再度外へ出ると、道の様子が一変していた。完全な歩行者天国になっており、屋台が沢山並んでいて驚く。これがサンデーマーケットか!急いでさっきのお寺に入り、狙っていたカオカームーを食べる。60b。観光地料金ではなくてよい。豚足は驚くほど柔らかい。それにしても白人観光客を中心に、人出がすごくて早々に退散する。夜遅くまで何となく騒がしい。

1月23日(月)チェンマイを歩き回る

朝洗濯物を出しに行く。色々と探した結果、実は一番近くの洗濯屋が一番安かった。1㎏40b(翌朝渡し)、しかもちゃんと計ってくれ、2.5㎏100b。朝ご飯はタイの伝統的朝食?カイガタ(目玉焼き2つ、サラミ、ソーセージなど)とカオジー(こっぺパンにハム)2つ、タイ珈琲のセットが95b。目玉焼きの丸いアルミ鍋がいい。イサーン風朝食。中国人家族がやってきて、咳をゴホゴホ。

そこから先日のパン屋へ行くも、何と臨時休業。全くご縁がない。仕方なくお堀を回り前回のパン屋へ。途中から広東人女性集団と一緒になる。少しずつ中国人観光客の影が大きくなっている。今日はパンの値段が付いていたので、初めて値段が分かる。ここのクロワッサンは美味いと主人に告げる。バンコクよりかなり安い。

夕方は西へ向かう。サンデーマーケットは跡形もなくなっていた。ワットスリカードの木が大きい。ワットプラシンに突き当たる。何となく懐かしい。サンドックゲートから城外へ出て行く。西日がかなり眩しい。ワットサンドックという寺もかなり古い。

紹介されていたヨーンという店に辿り着いたが、既に今日の営業は終わっていた。Googleでは午後4時からとなっており、唖然。周囲を見渡すと2号店らしき店があり、お客がどんどん入っていく人気店なので、そこへ突入。この店は白がゆを頼み、後は好きなおかずを注文するスタイル。魚塩卵のイカ炒めには独特のうまみがあり、オムレツと白粥も合う。華人系の店で、お客も華人が多い。腹一杯となり満足する。

ふらふら散歩しながらニーマン方面へ向かう。途中フードコートが見えたので立ち寄ったが、人は少ない。そこからニーマンの裏側を歩いてみる。結構発展している様子が窺える。ニーマンの交差点は相変わらず信号長すぎだろう。フードコートは人が多い。日本で報道されている、タイに中国人観光客が押し寄せているということはないと確認。中国人もちらほらおり、あの甲高い中国語は聞こえてくるが、団体はいないわけだ。MAYAの地下、リンピンでクッキー買い、Boltバイク50bで帰る。

チェンマイ滞在記2023(3)旧正月がやってきた

宿まで送ってもらい休息。窓からプールが見え、誰も入っていなかったので、行ってみる。何とかなりの暑さの気候ながら、プールの水が冷たすぎて入れない。やはり午前中が涼しいからだろうか。仕方なく寝転んで過ごす。後から来た白人のにいちゃんは全く気にせず、プールで泳いでいた。皮膚が違うのだろうか。

夕飯を探しに行く。観光地のど真ん中なので、白人向けのおしゃれなレストランが多い中、如何にも屋台あがりといった店がある。焼肉飯(クリスピーポークライス)が50バーツで美味い。この近所には安い店がいくつもあり、安堵する。ナイトマーケットもあり、いい雰囲気で白人がご飯を食べながら音楽を聴いている。市場もあり、ポメロを買う。だがコンビニはあるがスーパーが近所にはなく、私が好きなお菓子を買える場所が無い?

1月21日(土)突然先が見えてくる

朝ジョークを食べに有名店へ向かった。週末だからか、朝からお客で混んでいる。テイクアウトの人が道にはみ出している。シラスのかかったジョークと焼売、実に美味い。105b。潮州粥を思い出す。すぐ近くにはチェンマイという街が出来た時に作られたというお寺がある。街と寺がごく身近、というコンパクトシティがチェンマイの特徴だろうか。とても良い街だ。

それから城壁の反対側まで歩いて、検索して見付けたバーンベーカリーにパン買いに行ったら、9時頃なのにまさかのほぼ売り切れ。次回は13時に焼き上がるとか。店の外では大勢が朝ご飯を食べていた。城内に戻ると市場がある。朝から活気あり、漬物など発酵食品もかなり売られている。これは北タイの食文化だろうか。その裏のお寺は実に静かでこれまたよい。

午後2時半、紹介されていた日本人Nさんとガイドのケンサンが来る。Nさんは事前に私のニーズをかなり掴んでくれて、ガイドが必要だろうとお知り合いを連れてきてくれた。更にクラシックな車で川向こうのおしゃれなカフェも案内してくれた。Vieng Joom On(ピンクの街)、世界中から茶葉を集めて自分でブレンドしているという。かなりおしゃれな女子が好きそうな造り、バンコクあたりのタイ人観光客が来る店だろうか。渋めが好きな白人はあまりこないか??ハイティーがあり、西尾抹茶、宇治ほうじ茶などがメニューに並ぶ。

ケンサンはチェンマイの人で、ミアンの村へも行ったことがある。おじいさん、おばあさんの時代、葬式の時にミエンが備えられているのを見た記憶もある(葬儀の間、暇なときに弔問客が噛んでいた)。バーミアンという村があるが、ミアンを作っているのは2‐3軒のみで、後はコーヒーに転換したとか。Ban Khun Lao(チェンライとの県境) ワービー(メースイ?)、ボーグルワ(ナーン)、バンザッカ(ナーン)など地名が次々に出て来るが、私には土地勘がない。ただワクワクするだけだ。

夕飯を食べに、ホテルの裏のイサーン料理へ行ったが、何と半年間の休業中。これもコロナの影響だろうか。ケンサンの知る、オタル運河(メーカー運河)近くの臓物料理の店へ。とてもうまくて安い。豚の内臓の唐揚げなどビールが進むメニューだ。こういう店は地元民しか知らないだろう。何とも有難い夕食だった。

1月22日(日)旧正月

朝のターペー門。旧正月のパレードをすべく、鼓笛隊が並んでいたが、まるでデモ隊集結の雰囲気。私はいつも通りパン屋へ行ったが、日曜日は休みだった。仕方なくワーロット市場付近を散策すると、旧正月イベント準備中で大忙し。ライオンダンスが通り過ぎるなど中国世界が広がっている。チャイナドレス姿の女性も目立つ。

朝ご飯はターペー通りのカフェでクラブサンドイッチを食べる。ストーリーズというと我が宿の隣の姉妹店か。ドリンク付き170bで、結構量は多くて満足。おしゃれなカフェで、2階はノマドスペースにもなっている。チェンマイはノマドワーカーの天国ともいうが、私にはできない。外を見ると、旧正月デモ隊が行進してきた。先頭はモデルさん?

チェンマイ滞在記2023(2)清真寺とベトナム料理

またバイクを呼んで宿に戻る。今度はメーサローンビラの娘、JuJuが車で来てくれた。彼女には昨年お母さんから借りた本を返したくて連絡した。女子大生だった彼女とメーサローンであったのはもう11年前。当たり前だが、随分と大人になり、今や2人の子供の母親だという。

車で城内の麺屋に連れて行ってもらい、麺を食べる。不思議な色で汁も甘い麺、イエンターフォー(インスタ映えするのか、日本人も注目の麺)を注文する。コーヒーを飲みながら食べるというのが如何にもタイだと感じる。彼女は少し不動産関連の仕事をしていたらしい。チェンマイには大量の中国人が不動産を買いに来ており、定住者が増加しているが、その目的は子供をインターに入れるためだとか。勿論不動産価格は中国の半分以下だから、結構な需要があるらしい。

その後行きたいところに送ると言われたので、リンピンスーパーまで送ってもらって別れた。ただここは高級スーパーで買いたいものはなし。それから歩いて橋を渡ると、雲南回族エリアに出た。王和清真寺というモスクがその中心。近所でムスリムカオソイを食べる。麺が独特で、味もチェンマイカオソイとはちょっと違うように思う。

その向かいで餅を焼いていたおじさんがいた。雲南回族だが、台湾に出稼ぎ経験があり、華語を普通に話す。なぜかミャンマーロイヤル(ティミックス)を売っているのが面白く、思わず購入。物流の回族、その歴史は今も続いているのか。モスクはかなり立派だが新しい。学校も併設されている。このモスクは元々1915年に鄭という人が中心となって建てたらしい。あの鄭和の子孫かな。

ターペー通りまで出た。ラミンカフェを見てみようと立ち寄る。100年以上前のランナー様式のビル。中はきれいなカフェとなっており、庭まで続いている。手前ではセラミックが売られている。絵に描いたような女性向けカフェで、その歴史には大いに興味はあるが、私の居場所はない。

そのままランドリーを探して歩く。昔は1㎏30バーツ程度で洗濯してくれたのだが、今はどこを見ても50バーツになっている。コインランドリーもあるのだろうが、今のところ見付からず。疲れたので宿で休息する。東京の寒さから解放されたと喜んでいたが、やはり疲れが出たらしい。夕飯を食べる気力がない。さっき買ったパンをかじって休む。だが夜9時、急に腹が減り、隣にバーガーキングに駆け込み、安いバーガーを1個買って部屋で食べる。

1月20日(金)日本語の先生と

疲れが残ったのか、朝も起きられず、昨日歩いた回族市場で開かれている金曜朝市に行けなかった。とても残念だ。そうこうしている内に、紹介されていたチェンマイ大のPさんが会いに来てくれた。彼女はチェンマイ大学卒で、日本に留学して、修士、博士を取ったというからすごい。もちろん日本語は完璧。

博士論文は『佐渡島と観光』だったとか。何とどんよりした日本海が好き、魚とお酒が好きというまるで日本人のような女性だった。現在偶然サバティカルで時間が自由になると言い、近所のカフェでコーヒーを飲みながら話す。その後ホテルのロビーに場を移して話し続ける。

Pさんはチェンマイ生まれではなく、バンコクの福建華人(曾祖父と祖父が福建から)。父親は医者だという。華人ながら華語は全く出来ない。何と日本語を勉強してから漢字の意味が分かるようになったというから驚いた。北タイ料理は全般的に口に合うが甘いのは嫌い、 辛いのが好きらしい。

観光業中心のチェンマイはコロナ禍で大きな影響を受けた。ただ外国人は来なかったがタイ人国内旅行を政府が支援して、全体的な損害は思ったよりは少なかったという。ランチは地元民が行く広い店舗で、ベトナム料理を食べる。ライスペーパーが懐かしく、美味しく頂く。お客が多いのは何となく新鮮。

チェンマイ滞在記2023(1)チェンマイ滞在スタート

《チェンマイ滞在記2023》  2023年1月18₋1月24日

昨年はポストコロナ、バンコクベースで3か月動いた。その中でたった1泊、チェンマイにも滞在した。何だかここに逗留したい、という思いが募り、後輩Uさんのアレンジで、新年早々やってきた。初めてのチェンマイ1か月滞在、果たしてどうなるのだろうか。

1月18日(水)チェンマイへ

バンコクに到着して、2日ほどルーティーンのような日々を過ごし、いよいよチェンマイに向かう。午後のフライトだが少し早めに行こうと、Grabで車を呼んだところ、何と到着まで30分もかかる。バンコクの渋滞も本格化し、同時にGrabでは車が捕まらない現実に出会う。更には車代、高速代で600バーツもかかると、いくら30分で着いたとはいえ、これもご時世と感じる。

ドムアン空港も以前より混んできているが、私の乗るタイライオンエアーのカウンターはいつも空いているので有難い。今日は荷物を預ける必要があったが、重量は全く問題がない。搭乗には早過ぎるので、ランチを食べる。これも前回同様の食堂へ行き、焼きそばにした。意外と旨い。荷物検査もそれほど混んでいない。ただフライトはかなり混んでいた。さすがチェンマイ行だ。

チェンマイ空港に降りたのは10年ぶりだろうか。まずは実験として、空港から宿までの交通手段を確認する。空港タクシー150b、Grab200b、Bolt78bで完全にBoltに軍配が上がる。しかも自家用車ながら、空港に普通に迎えに来てくれたので、全く普通のタクシーと同じ。次に車を待っている間に、1月から解禁となった中国人観光客を探すも、全く発見できず。ただ旧正月の飾りだけが空港にあった。個人客が解禁になっても団体は来ないので目立たないのだろうか。

ターペー門の真裏の宿まではすぐに着いた。古い建物だが場所は便利で、意外と快適。さすがUサン推薦の宿だけのことはある。長期滞在しても、水、お茶、コーヒーも毎日支給され、電気代、水道代などは宿の料金に含まれていて不要。バンコクの定宿より安い。プールが見える部屋に入ると、ゾウさん(タオル)がお出迎え。NHKは映るが、テレビは見ない。

チェンマイの夕方はバンコクより涼しくて気持ちよい。ちょっと疲れたので、夕飯まで休み、前回も食べた牛肉麺屋へ行く。昨年と比べればかなり観光客が増えており、店はほぼ満員状態だった。夕食後、セブンへ。チェンマイの旧市街地にはコンビニはあるがスーパーが無いのが難点。ドリンクを買って部屋に戻る。

1月19日(木)懐かしい人々

朝ご飯を買いに、ネットで検索したパン屋へ向かう。朝はかなり涼しく上着を着て出て行く。散歩が何とも気持ちよい。店はカフェも併設しており、白人がパンを食べながらコーヒーを飲んでいる。中に入るとクロワッサンなどが並んでいたが、値段が付いておらずよく分からない。適当に選んでテイクアウエーする。バンコクより安く、クロワッサンが旨い。

帰りにターペー通りを歩いていたら、薬局で薬草茶を売っている。1杯5バーツ。戦前からある華人薬局だとなぜか日本語でも書かれている。そこに如何にも様子の良い華人老人が茶を飲んでいるのが絵になっていると思い話し掛けたら、何と日本人のおじさんだったので驚く。毎年冬だけチェンマイに来て13年(コロナ禍は除く)になるとか。

宿に戻り、もう一度外出する。Tea galleryを再訪する予定だが、何とBoltなどのアプリでは車が捕まらない。仕方なくバイクを呼んでみる。バイクはスイスイ走るし、料金も安いのだが、結構寒い(1月のチェンマイの最低気温は15度前後)し、何と言っても飛ばすのでかなり怖い。

馬さんとJ博士に3年ぶりに会う。ミアンの歴史について色々と教わる。こちらからは日本の四国にある黒茶について紹介した。こういう交流は意外と重要に感じられた。日本とミアンの繋がり、実に興味深い。ミアン産地は、チェンマイ郊外にいくつかあり、ランパーンの山間部にもあるらしいが、今は生産の季節ではないという。どうやったら、ミアンの村へ行けるだろうか。何だかどうしても行きたくなる。

静岡茶旅2022(3)磐田 赤松茶園を調べる

12月22日(木)掛川で

翌朝はゆっくり起きて、掛川城の周辺を散歩する。前回見付けていた石碑をもう一度確認する。山田治郎蔵とはどんな人物か。興味が更に沸く。そして報徳会に行ってみる。堂々とした門を入り、立派な木造建築を眺める。さて、見学しようかと踏み出すと、何と本日はイベントがあり、見学できないとある。

仕方なく、事務所へ行く。そこで『報徳会と茶』に関する資料などはないかと聞くと、親切にも冊子をくれた。更に昨日会ったMさんのことを思い出し、話に乗せてみると、更に色々と対応してくれる。実はここの社長は先日訪ねた鷲山医院の一族の方と聞いたが、あいにく不在で会えなかった。吉岡弥生と松本亀次郎について、尋ねられれば良かったが、何しろこちらが突然お邪魔したので、何ともし難い。

またお城は眺めるだけにして、駅へ向かう。前回同様コメダでモーニングでも食べて、お土産を買って、などと考えていたら、何と停電とのことで、駅の店は閉まっていた。復旧の目途も立たないという。やむを得ず、電車に乗り、磐田へ行く。前回は何と磐田駅に着いたものの、どこへ行くのかを忘れるという失態を演じた。今日はしっかり狙いが定まっている。

磐田で

駅前からバスに乗って図書館へ向かう。ところがこのバス、発車する前に運転手が威嚇的?な口調で『バスに乗り慣れていない人は早めに運賃を用意して。お釣りは出ないし、停車してからの両替は迷惑』といった感じでアナウンス。そこで出発前に『図書館まではいくらですか?』と確認したところ、『いや、それは?まあ、150円ぐらい用意しておいて』と情けない返事。勿論Suicaは使えず、不便この上ない。

15分ぐらい乗って図書館に到着する。ここには赤松則良ら赤松家の蔵書が寄贈された赤松文庫があると聞き、早々見に行ったが、蔵書を見ても、茶畑のことが分かるわけではない。そこで郷土史などの資料を探すと、かなり赤松家について調べられたものがあり、早々にコピーを取る。更に図書館の人に『赤松家の茶園の場所』などを聞いてみると、専門の方に問い合わせてくれ、何と午後その方がここへ来るので直接話が聞ける、というではないか。折角の機会なので午後まで待つことにした。

すると係の人が『この辺、ランチを食べる場所が無くて。一か所あるので聞いてみましょう』とわざわざ確認の電話をしてくれた。それではと、そこへ昼を食べに行く。結構しっかりしたお店でちょっとひるんだが、料亭と一般に分かれているようで、一般の方に入ってみた。中は天井が高い、木造で雰囲気が良い。しゃも鍋が美味しいというので、それを頼み、更に天ぷらまで注文してしまった。まあ、年の暮れ、一人忘年会だ。

しゃも鍋は赤みそ仕立ててで、非常に濃厚。そして何よりしゃも肉に歯ごたえがあり絶妙に美味い。更に揚げたての天ぷらを食えば最高だ。ふと見るとこの建物の外に何やら胸像が見える。何とここは赤松邸の敷地内に作られていたのだ。隣の旧赤松家の見学に移る。まずは門が立派。城の城壁のような煉瓦造りだ。

中に入ると先ほど見えた赤松則良の胸像がある。日本造船技術の先駆者と書かれているが、その説明書きの中にも、磐田原の茶園開拓について語られている。土蔵に入ると赤松家の詳細な家系図や資料が展示されていて興味深い。ここは戦後初代磐田市長になった則良の孫が市に寄贈したらしい。また記念館では係の方に案内して頂き、赤松茶園などの説明を見る。

そこから図書館に戻り、赤松家について研究されているKさんにお目に掛かり、赤松茶園の詳しい場所などをご教示頂いた。赤松がなぜここに茶園を作り、その後どうなったのかなど、郷土史ではかなり鮮明に調べられていてとても有難い。ただそれでも最近は磐田の方でも赤松を知る人は少なくなっているという。

磐田駅まで戻り、JRで掛川へ行く。ここから新幹線に乗って帰ろうと考えていたが、駅の停電が一部解消されており、土産物屋が1つ開いていたので、そこで買い物をする。ただ私が前回気に入った森町の蒸し栗羊羹が買えなかったのは、何とも心残りだった。それを引きずってしまったのか、新幹線に乗る所をまた在来線ホームへ行き、ちょうど来た興津行に乗ってしまった。

車内は混んでいたが、1席空いていたので座ってボーっとしていた。気が付くと日が暮れた興津駅。後続の熱海行まで、またボーっとしている。熱海まで来ると腹が減り、違うホームにある立ち食いそば屋へ駆け込む。かなり冷えてきたので、カレーうどんを食べると、何だかすっきりした。そして小田原で、急にロマンスカーに乗りたくなり、切符を購入する。だがなぜか町田までしか買わず、初の夢のロマンスカーは僅か40分で終了した。同時に今年の旅も終わりを告げた。