チェンマイ滞在記2023その2(1)1 チェンマイ宿探し

《チェンマイ滞在記2023その2(1)》  2023年9月24₋30日

いよいよチェンマイ滞在が始まった。まずは住むところを探し、体制を整えることが肝心だ。果たしてどんな生活になるのだろうか。

9月24日(日)チェンマイで家探し

チェンマイ空港には定刻前に到着した。荷物もすぐに出てきて、Boltを呼ぶとこれもすぐに来た。予約した宿まで10分で着く。バンコクとは違って、驚くほど効率的な街だ。気に入った。宿は4年ほど前に泊ったことがある昔の一流ホテル。日本の皇族の写真なども飾られているが、今や人影はない。部屋は広いが、古さは否めない。というわけでかなり安い料金になっており、有り難い。

前回滞在時にガイドをしてくれたケンサンが来てくれた。すぐに近所に家探しに出掛ける。本当に歩いて3分ぐらいのところに広いアパートがあった。中庭にはプールもあったが、部屋はかなり殺風景でちょっと躊躇する(因みに家賃は安い)。道路を渡って路地へ入ると、そこにも数軒の貸アパート(1か月単位)があった。その内の一軒に入ると、内装はきれいで家具も整っていたが、先ほどよりかなり高い。

そして3軒目。結構古いが一応整っており、何といっても家賃が安い。空き部屋が一つしかないというのも評価できる。小さいベランダもあり、窓から風景があるのも良い。エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、調理は出来ないが簡単な食器も付いている。まあいいかな、と思える水準だったので、今日のところはここまでとして、明日チェックアウト後、ここに来ることにした。

ケンサンと別れて、ニーマンの方へ歩く。明日からの生活に備えて周辺の見学をする。実はニーマンをちゃんと歩いたことはない。コロナ前、ここは中国人だらけと聞き、避けていた場所。一度だけチェンマイ大学近くの宿に泊まり、MAYAまで買い物に来たことはある。そして今年1月、ワンニーマンで開かれたティーカンファレンスで劇的な出会いがあり、今回のチェンマイ滞在が決まった場所でもある。

ワンニーマンの裏の方へ歩いて行くと、ちょうどよい食堂があったので、そこでイカチャーハンを食べた。これが旨い、そして安い。チェンマイはいい所だと思った瞬間だ。その付近にはタイ料理から洋食、更にはラーメン屋やカフェなど、何でもあるように見えた。これでチェンマイ滞在は安心だ。

かなり歩いて行くとマックの99バーツセットまであった。マックはやはり外国人向けと地元民向けで値段を分けている。そこからスアンドック門を回り、宿へ引き返すと、いい感じのお寺もある。夕暮れの寺で、まったりしてから戻る。これはチェンマイ生活、止められないかもしれない。

9月25日(月)新居へ

一泊したホテルは広い。そして眺めも良い。しかも料金はかなりお手頃。昔は高いホテルだったのだろうが、隣のショッピングモールも閉店してしまい、ちょっと寂しい雰囲気が漂う。朝はまたニーマン方面へ歩いて行き、ちょっとおしゃれなカフェに入り、朝ご飯を食べる。昔チェンマイに来ると朝食が安くて充実していた印象があったが、やはりカフェがすごく多いので、競争も激しいのかもしれない。

ソーセージにベーコン、目玉焼きにトースト、そして珈琲とオレンジジュースまでついて、150バーツは安い。しかも雰囲気はよく、長居したくなるような木の感じもある。白人さんが何人か来ており、アジア系女性も顔をのぞかせていた。ダラダラ、ボーっとした朝は何といっても幸せだ。

そして昼前に宿をチェックアウト。かなりの日差しの中、荷物を引いてアパートへ向かった。肩肘痛があるので、かなりゆっくり歩いたが、5分で到着する。最終的にもう一部屋見たが、昨日見た方が断然良いので、そこで契約する。掃除などの時間が必要とのことで。午後また来ることにした。

バンコク滞在記2023その3(4)ガチ東北料理はないバンコク

9月22日(土)シムカード

私はタイのシムカードを持っているが、それ以外に旅行用シムを時々買うので、どれがどれだか分らなくなってしまった。そこでYさんに協力を仰ぎ、一緒に近所のAISショップに行ってみた。その結果3つ持って来た全てのカードが旅行用で、探していた物は無くなっていることが発覚する。そこで再発行の依頼をした所『あなたのパスポート番号は登録と違うから発行できない』と言われてしまう。

腹が減ったので八番ラーメンで作戦会議をする。ラーメンと餃子、それにメンチカツまで注文してうっ憤?を晴らす。なぜか外ではキムチを大量に売っている。そこからプロンポーンにあるAISの基幹店へ向かう。小さな店では修正できないというので大きな店へ行く。ところが週末ということもあり、また新型Iphoneの発売日と重なっていたらしく、お客さんで満員。

何とか並んで1時間近く待ってカウンターに辿り着くと、あっさり修正してくれ、しかも新しいプログラムを即日起動してくれた。何とも有難い。というか、簡単ならどこの店でもやって欲しい。そこからお馴染みのカスタード中村へ行って総菜パンをたくさん買い込む。久々にバイタクで宿に戻る。

9月23日(日)リベンジ

朝またフラフラ散歩する。先日行った飲茶をまた食べようと思って歩いていると、何とホルモン麺屋の前を通りかかる。いつも夕方しか行かないから気が付かなかったが、ここは朝からやっていた。結構客がいたが思わず入っていつもの麺を注文してしまった。朝からホルモン、とは思ったが、美味い物はちゃんと口に入り、そして胃に落ちていくものだ。幸せな朝だった。

昼までなでしこジャパンのサッカーを見る。ワールドカップでいい感じだったので、注目度も少しは上がっているだろう。次のオリンピック予選で負けてはリオ五輪の蒸し返しに終わるので、気を付けたいものだ。見終わるとすぐにMRTに乗って一昨日大雨で外に出られなかったところにリベンジ。今日雨は降っていない。

駅を出てすぐに横道に入る。その先は漢字の看板は並んでいたが、思っていたような中華街でもなかった。蘭州拉麺など中国料理屋がいくつか見えた。ただ我々が今探しているのはガチ東北料理。Yさんが食べたことがないというので、必死で探したが、どうしても見付からない。

かなり奥へ行き、更に道を曲がって突き進む。四川系はいくつもあるのだが、東北料理はない。ようやくそれらしい店を見付けて入ったが、料理人はタイ人で華語も通じない。それでも水餃子に土豆絲、干偏四季豆などを頼むと一応それなりの味だった。帰ろうとしたら、また雨が降り始め、Yさんと話しながら止むのを待った。

最終的に小雨になったところで、店を出てMRT駅まで戻る。途中の店では華語も通じたので聞いてみたが、恐らくここでは『地三鮮』は食べられないだろうと言われてガッカリ。これでバンコクでの私のアクティビティーは終了となった。夜はゆっくり休み、明日からのチェンマイに備える。

9月24日(月)チェンマイへ

朝ダラダラと起き上がる。今日はついにチェンマイへ移動する。残ったパンをかじり、荷物を整理して、ロビーで車を呼ぶ。だが月曜日の朝、なかなか捕まらない。ようやく捕まった車がやってきたのは、20分以上経っていた。しかしそこからが速かった。特に高速道路にも乗らず、黙々とした道を走ったが、僅か25分でドムアン空港まで着いてしまった。料金も安くて、有り難い。

チェックインも順調に終了し、時間が余る。いつものように食堂へ行き、ついに鴨麺とワンタンスープのセットを食べる。これで90バーツはお値打ちかなと思う。その後の荷物検査もあっさりと終わり、セブンでドリンクを調達して、いざ飛行機を待つ。特に遅れることもなく、フライトは極めて順調にチェンマイへ向けて飛び立った。機内はそれほど混んでおらず、ゆっくりできるのがタイライオンの良い所だ。

バンコク滞在記2023その3(3)雨季のバンコク

9月20日(木)お休み

何だか疲れが出てしまう。まだほぼ何もしていないのになぜだろう。午前中は完全休養に充てるつもりが、原稿書きに追われた。ランチはYさんといつもの食堂へ行き、いつもと同じ料理を食べる。一番安心感があり、また満足感が得られる。まあ今回バンコクに居るのは、この食事のためだったかもしれない。

午後はどこかへ出掛けようと思っていたが、何と雷雨となる。最近バンコクでは激しい雨が降り、道路が冠水するなど被害が出ていたが、私が来てからはそれが無かった。そして夜の予定も何となくキャンセルとなり、食事を考える。ちょうど雨が止んだので、タイヤ屋さんの麺でも食べようと出て行ったが、残念ながらやっておらず。それならと近くのマックに駆け込み、99バーツセットを頬張る。このセット、チェンマイでは見かけなかったので、ここで食べておく価値はある?

9月21日(金)晴れから雨へ

朝は天気が良かったので、いつも行くバンミーの店まで行ったが、残念ながらやっていなかった。そこで今度は反対に歩き出し、クロントイ市場の向こうまで行く。そこに先日バスから見えた蒸籠が積まれていた店があった。いくらか分からないが焼売と叉焼包を注文する。何と2つで50バーツ。こんなに安いなら明日も来るか、と思う。

クロントイ市場を久々に歩く。結構活気があり、お客はコロナ前と同じようだった。物価は何となく上がっているように見える。そこから宿へ帰り、また休息する。何だか休みが多い。ランチはまたYさんとパッタイの店へ行く。私はパッタイしか食べたことがなかったが、この店にはカオカームーがあると初めて知り、トライする。灯台下暗し。

午後はプロンポーンまで出る。Mさんとおしゃれなカフェで待ち合わせ。このお店、何と日本茶メニューがあり、玄米茶を注文する。煎茶と玄米茶が同じ料金というは日本では考えられない。しかも140バーツとはいささか高い。どれだけのタイ人がこれを頼むのだろうか。まあ、差し湯もしてくれて、ゆっくりお話しが出来たので、良しとしよう。

そこからBTSに乗り、アソークで乗り換える。プロンポーンでは雨模様だったが、アソークでは夕日が見えたので一安心したのだが、何と目的地ホイクワンに到着すると地上は大雨。待ち合わせていたYさんは出口の人ごみの中に立っていた。誰も外へ出られず、人はどんどん増えていく。決断の時が迫り、我々はここを撤退することとした。

ただ宿へ戻るにもこの雨では難しい。そこでMRTでアソークまで戻り、ターミナル21で夕飯を食べることにした。一番良いのはフードコートなのだが、当然のことながら席がない。雨もあるから空きそうもない。そこでふらふら歩き始めると、目の前に中華のSee Fahが現れた。ちょうど知り合いから、ここのクレーポットが美味しいと聞いていたので、思わず入ってしまった。

この店はチェーン店で、以前は近くのモールにも入っていたが、今はないので、かなり久しぶり。所謂なんちゃって中華系だと思い込んでいたが、そうではなく、1936年創業。潮州系がオーナーと思われる。確かに焼売は潮州系の形をしており、ラートナーもかなり旨い。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。

何とか雨が小降りなったが、タクシーは捕まらないので、バスで帰ることにしたが、なかなか来ない。道路はかなりの水が溜まっており、乗り降りするのも一苦労だった。更にバスを降りてほんの少し歩くのも大変。結局車で10分のところをバスと徒歩で1時間以上かかった。バンコクの雨季は本当に侮れない。

バンコク滞在記2023その3(2)老舗茶荘と老舗レストラン

午後バスに乗ってヤワラーへ向かった。ヤラワーの老舗茶荘林銘記は前回も訪ねたが、更に話を聞こうと出掛ける。ちょうど5代目のMaccoはその日だけ店にいるというので、ご縁を感じる。彼は一族についてかなり調べていたので、その辺を中心にその歴史の解明に取り組んだ。やはり興味深い話がいくつも出て来る。よく見ると隣の店は、あのタイ茶で有名な会社。聞いてみれば、やはり一族が経営していた。その先の林明記も同族だった。ヤワラーの歴史も少しずつ解明されていく。

帰りにヤワラーで鴨肉麺を食べる。昔よく行った店を探したが無くなっており、その横に新しい店が出来ていた。若い人がやっており、清潔感のある店だったが、英語も華語も通じなかった。料金も随分と高くなっており、観光客料金のようだった。帰りはまだ雨季のためか、雨模様となり、急ぎ足で帰る。

9月19日(水)昔の名店へ

午前中バスに乗り、シーロムへ向かった。ここからBTSに乗るため、サラディーン駅へ上がると、ローソンやヤマザキパンがお出迎えしてくれる。更にはエキナカスーパーまでできていて、ちょっと風景が変わっている。いよいよバンコクにも時間を惜しんで買い物する時代が来たのだろうか。

そこから川向うまで行く。川を渡ってすぐ、クルントンブリー駅で降りる。ここは10年位前に何度か来たことがあるが、実にご無沙汰だ。ここで後輩のUさんと待ち合わせた。バンコクの潮州料理探しをお願いしたのだ。ここからタクシーで10分ぐらい走っていく。随分と不便なところにあるのだな。

広い道からちょっと入った、こぎれいなアパート群のような場所にその店はあった。ただ隣は工事しており、営業しているのかと思うほど存在感が無かった。客もいなかった。ウォンリーと言えば、10数年以上前にバンコクに住んでいた人ならだれでも知っていると言われたスリオンの名店だったが、再開発でその場所を追われた後、ここに移ってきたらしい。店を懐かしむ人々もさすがに足が遠のくほどに遠かった。

ゴーヤースープや内臓揚げ、豆腐など、どれも普通に美味しい。お粥を頼むと白がゆが出て来る。これって、タイの居酒屋、カオトーム屋のようなものだ。外の工事はうるさかったが、店の拡張工事らしい。帰りがけにオーナー夫妻に出会った。奥さんが簡単な日本語を話し、後は華語になる。やはり潮州系の一族だった。昔は日本人も良く来たよ、と懐かしそうだった。メニューには今でも日本語があった。

一旦宿まで引き上げると、今度はOさんが迎えに来てくれた。彼と向かったのは何と洋服屋さん。今度お嬢さんが結婚するそうで、日本で式を挙げる。新婦の父としての礼服を借りるに当たり、その寸法を測るように指示が出たらしい。それにしても何も買わなくても、丁寧に寸法を測ってくれる店の人、Oさんのご人徳だろうな。

それからフジスーパーへ向かう。これもいつもの定番行事だが、何と今日はOさんが自宅で料理を作ってくれるというので、その買い出しを兼ねていた。『今晩は何でもいいですね』と3回もOさんに念を押されたのは、このためだったのだ。自宅でOさんはポテトサラダとパスタを振舞ってくれた。料理の間、ずっとしゃべっていたので随分と時間が掛かったが、実に美味しく頂いた。私はとても人に振舞う料理は出来ない。

バンコク滞在記2023その3(1)バンコクに日常と非日常

《バンコク滞在記2023その3》  2023年9月17‐24日

今年3月半ばに離れたバンコク。半年してまた戻ってきた。今回からは短期滞在となり、主軸はチェンマイに移る。さて、バンコクでの過ごし方はどうするか。行きたいところは沢山あるが、どこを選択するのかちょっと迷う。

9月17日(月)バンコクに戻って

早朝バスタ新宿へ行き、羽田空港行バスに乗り込む。インド系の家族が乗り込んできて、何となく車内が狭くなったような気がした。リムジンバスはスムーズで時間通りに着くから有り難い。だが相変わらず羽田空港の保安検査場への行列は果てしない。昨年から比べれば多少改善されているようだが、それでも出国までに1時間ぐらいはかかる。あの絶望的な行軍はいつか終わりになるのだろうか。

タイ航空のフライトは40‐50分前に搭乗が始まっており、既に皆さん、乗り込んでいた。昔タイ人は時間にルーズだと思っていたが、やはり中国人同様、意外と早く搭乗している(勿論中には買い物に夢中でギリギリの人も見られるが)。機内では食事を食べて、映画を見て過ごすと、すぐにバンコクまで来てしまった。

空港は羽田と違い、思いの外混んではいなかった。入国まで20分ぐらいで荷物を拾ってすぐに外へ飛び出した。本当はBoltで車を呼びたかったが、何と捕まえた車から200バーツの追加請求を受けるなど、決して心地よいものではなく、下へ行って空港タクシーに乗り込んだ。

こちらもボッタくり覚悟で乗ったのだが、運転手は極めて丁寧な男性で、何とも心地よかった。ところが車が走り出すと、何と前方に設置されていたナビが壊れて、落ちてきてしまう。2‐3度直していたが、結局使えない。そうなると料金も表示されない。運転手はとても困ったという顔をしたが、本当のところは分からない。ただこんなところで放り出されれば困るのはこっちのほうなので、いつもの料金にプラスして渡すことで決着した。これは新手の詐欺なのだろうか。

定宿に着いてホッとした。いつもの係員が顔を出したが、なぜか料金を払えという。私は以前から予約を知り合いに頼んでいたので明日彼に払うというと、違うという。支払いの用意をしていなかったので、慌ててデビットカードを出したら、何と使えないという。同じ銀行のスマホアプリを差し出すとちゃんと使えた。一体なぜ?後日確認したら、前回もフロントで支払っていたというから、私のボケ具合も相当になっている。

いつものようにパンを買いに外へ出た。途中のショッピングモールで夕飯を探す。なぜか豚足麺が輝いている。その麵はママー。インスタント麺で豚足を頂くのは初めてかもしれない。そして意外なおいしさを新たに発見する。以前の日常が非日常になっていく感覚が面白い。

9月18日(火)ヤワラーの茶荘へ

朝はいつものコムヤーンで開ける。まあ取り敢えずバンコクに来たなと感じる瞬間。これも永遠に続く時間だろう。ランチはYさんが最近発見したという近所の食堂。私は散歩でよく通っていたが、あまりにローカルで言葉も通じそうにないので敬遠していた店だった。ここのチャーハンは普通に美味しい。

ランチ後に隣に出来ていたモダンなホテルを探索。ロビーのデザインも良く、絵なども飾られ、すごくおしゃれな空間だった。トイレもLGBTQに配慮した誰でもトイレ。中には椅子があったりして、相当広い。こんなところがバンコクの先端をいっているようで、若者中心に泊まり客は多く、盛況らしい。

静岡茶旅2023 その2(4)川根へ

K先生の車で金谷駅まで送ってもらい、JRで焼津に戻る。またSさんにピックアップしてもらい、Sさんのお寺へ向かう。ご住職でSさんのお父様のお話を聞く。曹洞宗大覺寺全珠院、日本一の千手観音を持つ由緒あるお寺だった。お寺とこの付近の歴史も極めて興味深いが、基礎知識が無いため、なかなか消化できない。とにかく歴史は古く、そして複雑に絡まっている。

夜は美味しいうなぎをご馳走になる。Sさんの妹さんとそのお子さんも参加する。何だかうなぎのフルコースを頂いたようで、満足この上ない。お話を聞いていると、日本のお寺というのはなかなか難しいものだと思う。それでも相応の歴史を有してきたということは、それに何らかの意味があるということだろう。帰り際、小雨が降り出す。

8月31日(木)川根へ

本日は東京へ帰る日。何となくMさんに会いたくなって川根へ行くことにした。Sさんが車を出して連れて行ってくれた。元々は金谷から大井川鉄道に乗るつもりだったが、何と先日の災害で、途中駅までしか運行していないらしい。まずはいつものような焼津に出勤し、そこから川根を目指す。意外と時間が掛かる。

何とか川根まで辿り着いたがMさんの家が分からない。8年前に一度お邪魔したが、道など全く覚えていない。最後は連絡して救出してもらう。M家でお茶を飲みながら、森薗さんの話などを聞いた。印雑や藤かおりなど、Mさんは10年も前から香り品種に取り組んでいた。今回飲んだ烏龍茶、ウンカが噛んでおり香りがすごかった。

茶畑も案内してもらい、おしんの畑(おしんのモデルになった人物がこの付近で茶畑をやっていた?)などの説明を受ける。Mさんはいつも実に色々な試みをしており、感心してしまう。取り敢えず現在の茶業界に一石を投じたいという気持ちが良く伝わる。もう10年も前に日本茶の歴史をライターに語っており、その取り組みの速さが注目される。

そこから静岡駅方面へ戻る途中、山道を走ってもらい、聖一国師生誕地を訪ねる。この前は国師のお墓を訪ねたが、そこはバスで行けた。今回の場所はバスでは難しそうだったのでお願いした。栃沢、『径山茶伝来の地』などと表示がある。浙江省径山へ行ったのはもう6年位前か。

山の中ののどかな集落という感じの場所には、茶畑もあり、生誕地の石碑も立っている。『幻の茶 伝説の彩』などという看板も立っている。最近は聖一国師の伝説も注目されているのだろうか。まあ彼が中国から持ち帰った茶を栃沢に植えた、というのは色々無理がある、というのが専門家のお話ではあるが、どうだろうか。国師が持ち帰ったものとしては、うどんやそば、味噌などの方が有名かもしれない。

車で静岡駅まで送ってもらい、Sさんと別れた。今回は彼女のお陰でいつもより沢山の場所へ行くことが出来た。感謝しかない。取り敢えず昼ご飯を食べていなかったのでエキナカで寿司を頬張る。それから京王バスのチケットを買い、午後早い時間ながら東京へ戻る。実は本当は県立図書館で調べものする予定だったが、なんと月末休館日で叶わなかった。

バスは半分も乗客はおらず、ゆったりと座っていく。順調に走行し、途中の休憩所では、夕暮れの富士山を拝んだ。新宿駅まで僅か3時間半で到着。なんだかんだで新幹線に乗るのとそれほど変わらない。料金は半額だから、これからはこちらを主に利用しようか。

静岡茶旅2023 その2(3)焼津から金谷へ

その後歴史民俗資料館を再訪して、その資料を再度眺める。その脇に蓮華寺という由緒ある寺があったので、ついでに覗いてみる。ここは家康ゆかりの寺だというが、静岡には家康ゆかりの場所は多過ぎて、今回の大河ドラマでも取り上げられることはないだろうという。家康の死因は本当に天ぷらだったのだろうか。

Mさんと別れて、森の石松の墓に詣でる。6年ぶりだが、何となく変わった感じがする。説明書きが増えたのか、囲いが出来たのか。まあ森町と言えば森の石松、伝説の人物だが茶との関わりもあり、無視できない存在だ。博徒が往来していた街なら、それなりに栄えていた証拠にもなる。大洞院はかなり古びた建物で、その風情が何となくよい。静岡の宿まで車で送ってもらい、この日は疲れたので大浴場に入り、宿のカレーを食べて寝てしまう。やはり久々の旅は疲れる。

8月30日(水)焼津から金谷へ

朝静岡駅へ行くと女子高校生が公衆電話で電話を掛けていた。スマホ携帯禁止なのかな。今日も焼津へ。もう通勤電車気分だ。駅の南口を降りると、そこにはなぜか小泉八雲の記念碑がある。読んでみると晩年八雲はこの地が気に入り、東京帝国大学講師となってからの数年間、頻繁に訪れていた。ここに移住することも考えたがその前に亡くなったらしい。

今日は焼津市の歴史民俗資料館で焼津茶のお勉強。先日訪問した製茶会社のT社長夫妻、3日連続のTさんも参加する。実は茶業関係者でももう焼津茶の歴史はよくわからなくなっているらしい。ご担当から焼津市誌などを中心に色々と教えて頂く。更には資料館内をご案内頂き、中世の城から意外と多くの出土品が出ているのに驚く。その中には茶碗など茶道具もあり、今川氏の影響が強く感じられた。焼津はヤマトタケルから始まり、戦国時代まで極めて重要な要所だったことを知る。

横には小泉八雲記念館もあったが、時間の関係で次回に回し、車で焼津港近くまで送ってもらう。ここでK先生と待ち合わせていた。K先生とはイベントなどで何度かお会いしているが、二人で会うのは初めてだった。時々ツイッターにコメントを頂いたり、前回県立図書館ですれ違ったりしていたので、一度ゆっくりお話しを聞くこととなった。

その食堂で焼き魚を食べる。確か水曜日は問屋が休みとかで、刺身類はない感じ。それでも美味しい魚を食べ、楽しい歴史話を聞いていると、何だか嬉しくなる。K先生はお茶の専門ではないが、行きがかり上かなりお茶の歴史もやっており、またお茶以外の角度からの豊富な歴史知識、深い洞察を伺えるので、何とも有難い存在だった。

それから先生の車で、茶の都ミュージアムへ向かう。そのルートを見ていると何となくいつもJRでぶつ切りに通っている茶の歴史がはっきりと見えるような気がした。私の茶歴史は鉄道駅中心であり、静岡の地理が分かっていないと痛感する。空港の近くを通ると、牧之原の広さも実感する。

ミュージアムで、まずは図書室に入れてもらい、先生と一緒に資料を探す。取り敢えずここに何があるのか確認するのが目的だった。私の知り合いのHさん、いやSさんとも色々とお話しする。それから展示室を見学した。世界のお茶が紹介されており、充実した内容となっている。私ももう少し幅を広げて世界のお茶を見るべきかもしれないと思う。

静岡茶旅2023 その2(2)焼津から掛川・森町へ

8月29日(火)焼津から掛川・森町へ

朝起きて宿のご飯を食べる。ここの朝食は地元料理など、かなり充実しているので、ついつい食べ過ぎてしまう。今日もまた焼津へ向かう。午前8時台のJRでもラッシュという感じは全くない。駅で拾ってもらい、少し走って、少し上ったところに、林叟院という立派なお寺がある。風がさわやかに吹いている。

1471年創建の曹洞宗の古刹。長谷川次郎左衛門(鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の先祖)が開基という。1573年には武田軍により寺は消失してしまうが、江戸時代徳川家光から朱印状を受けるなどして、現在に至る、とある。

ご住職は今日からアメリカへ行くというのでお会いできなかった。現住職の実父であり、先代住職の鈴木俊隆師は、アメリカ西海岸で禅の教えを広めることに心血を注ぎ、曹洞宗では海外布教の第一人者と言われているという。アップルの元最高経営責任者、故スティーブ・ジョブズ氏もまた俊隆師や、俊隆師によって招かれた乙川(知野)弘文師から学んだ多くの生徒の一人だというから、その繋がりに驚く。

奥様からお話をちょっと聞く。ここから登る高草山一体は戦後一面の茶畑で、摘まれた茶を持って、走り降りてくる男たちがいたのをよく覚えている。それも昭和40年高速道路が通った頃から下火になり、いつの間にか茶畑は少なくなってしまった。まあ今でも茶作りをしている檀家さんはいるが、その数は極めて少ない。

そこから車で山を登っていく。上るのは簡単だろうと思っていたら、意外と道に迷う。更に老人が散歩させている犬が道をふさぎ、車はなかなか進まない。ようやく頂上までやってくると、何とも天気が良く、見晴らしは抜群、太平洋が良く見える。その前の斜面には茶畑がある。一部在来種で、一部はやぶきたらしい。この茶畑と太平洋を眺めながら、お茶を飲んだらいいだろうな。茶屋は出来ないものだろうか。笛吹段公園という名前も見える。

そこからTさんのお店に戻り、また黒べにふうきなどの資料を頂く。何とも有難い。昨晩のIさんの話が更に鮮明に蘇る。そして車は掛川へ。Iさんの話で、清水俊二さんの実家が大須賀町の江戸期から続く海鮮問屋であったこと、そしてその邸宅が今も残っていると聞いたので、取るものも取り敢えず行ってみた。

確かにそこには立派な邸宅があり、今は掛川市に寄贈され、一般公開されていた。大きな池と庭園の奥に母屋があり、そこで係の人にお話を聞くと、色々と清水家についての資料を見てくれた。本家はすぐ横に今もあるが、当主は住んではいないようだ。俊二は次男だったので家を出ている。彼が茶の世界の入ったのは、この海鮮問屋と関わりがあるのだろうか。抹茶ドリンクを飲みながら考えるが、よくわからない。

昼ご飯は近くの和食チェーン店へ入る。この付近には昔ながらの食堂などもあるだろうが、地元の人のお勧めはチェーン店だった。まあ確かに何でも食べられるし、価格も手ごろということか。観光客が多い場所とは思えないが、街おこしのような古い町並み再現の店は割高ということか。

午後は森町へ向かう。文化会館にM館長を訪ねて歓談する。今度藤江勝太郎の講演会が開かれると聞き、何とも喜ばしい。藤江だけでなく、他の森町出身茶商についてもぜひ知りたいと思い、お話しを聞く。岡野利兵衛は何も出て来ないが、村松吉平は少しずつ何かが見えてくる。

静岡茶旅2023 その2(1)焼津のお茶

《静岡茶旅2023 その2》  2023年8月28日-31日

7月初旬にホーチミンから戻って以来、どうにも体調がすぐれない。肩から肘に掛けて痛みがあり、また7₋8月の異常気象、連日38度を記録しており、外へ出る気力もなかった(代わりに女子ワールドカップや世界陸上などを見る)。重い腰を上げたのは1か月半も経ってから。それも止む負えない事由で静岡に出掛けた。

8月28日(月)静岡へ

いつもは色々な行き方を考える静岡行きだが、今回は体調も考慮して、新幹線で楽に行くことにした。新宿駅のチケット売場へ行くと、外国人観光客が列を作っていた。私は自販機で購入できるが、初めての外国人には自販機操作も辛いだろうなと思う。日本という国は決して外国人には優しくない。そういえば私のクレカも一つ目は使えなかった。

東京駅まで中央線で行き、新幹線の自由席に乗った。8月末ということもあってか、席はかなり埋まっており、品川駅では自由席はほぼ満員となった。後ろにはスペイン系と思われる若い男女が乗ってきて、楽しそうに話しているが、横の日本人男性は不快そうに席を立ち、別の車両へ移動していく。ほんのちょっとした習慣の違いが、実はなかなか難しい。

約1時間で静岡駅に到着した。最近の定宿に荷物を置くとランチを探す。居酒屋みたいなところにお客さんがいたので、そこのランチを試してみる。日替わり定食は850円もするのに、ちょっと寂しいおかず。私の前に会計していたグループはインドネシア人労働者だろうか。何だか日本が寂しくなっていくのを感じる。

静岡駅へ行きJRに乗る。今日の目的地は焼津。初めて降りる駅だった。先日東京で知り合ったSさんが車で迎えに来てくれ、お茶屋さんでもう一人の女性Tさんをピックアップして、少し離れたところにある製茶会社さんへ向かった。社長のTさんから、会社の歴史などを伺う。奥さんがお茶を淹れてくれる。途中でお父様からも面白い歴史の話を聞く。実は静岡には茶産地が多過ぎて、焼津はノーマークだったが、やはりどこにでも茶の歴史は埋もれているものだ。

続いて、先ほどTさんをピックアップしたお茶屋さん(因みにTさんはここのお嬢さんで、後継ぎだという)に戻り、そこのご主人からも焼津の茶歴史を伺う。焼津は海というイメージしかないが、実は山があり、茶もかなり作られていた。海運を利用した茶の輸送など、その歴史を顧みる人はおらず、今や忘れ去られている。早い段階で茶の生産から茶商に転じた影響もあるようだ。

駅まで送ってもらい、静岡駅へ戻る。今晩は現在私が調べている清水俊二という人に関して、その息子さんと関係があったIさんに連絡して、会ってもらうことにしたのだ。静岡駅で待ち合わせて、駅構内でコーヒーを飲みながらお話を聞く。その息子さんは京大農学部を出ており、茶の研究者だったようで、晩年黒べにふうきというお茶を作った。先ほど焼津で訪ねたお茶屋さんではこのお茶を商っており、そのお茶を生産していたのが、その前に伺った製茶会社さんだったというのは面白い。

Iさんと別れて夜の静岡駅を歩くと、家康と今川義元の像がライトアップされている。今年の大河は家康だが、もうあまりにも使われ過ぎているので、地元でもそこまで盛り上がりはないだろう。いや、地元は浜松?三河?夕飯は先日食べて気に入った、磯おろしそばと天丼セットを食べに行く。夜の静岡はかなり静かだった。

クアラルンプール茶旅2023(4)2つの天后宮へ

7月7日(金)ホーチミンに戻る前に

今朝はお目当ての朝食屋がまさか閉まっていた。仕方なく、MRTに乗り2駅行く。KLセントラルの隣の駅とは思えない閑散とした、未開発の空間に驚く。きっと何かいわくがあるのだろう。とぼとぼ歩いていき、坂道を登る。高級住宅はあるが、大都会とは無縁の静けさだ。

その先にお目当ての天后宮があった。思っていたよりはるかにデカい。観光バスがやってきて、大勢の華人観光客を下ろしている。そこには海南会館もあり、海南人が建てたものらしい。階段を上がると観音がいくつもある。外へ出ると、街が一望できる。結構高いところまで来たとの実感が沸く。

帰りは途中でバスに乗ろうと待っていたが、その付近は何だか工事中で、バスは一向に来なかった。仕方なくまた駅まで歩き、MRTに乗る。チャイナタウン付近で降りて、ランチに向かう。昨晩聞いていた、最近KLで流行りという蘭州拉麺の店に行ってみた。確かに昼時、店はかなり混雑していた。お客は中国系もいるが、何とマレー系女子もいる。蘭州拉麺は豚肉を食べないマレー系にうってつけの料理と言える。串羊肉も合わせて頼み、美味しく頂く。

今度は別の駅から別の路線に乗うろとGoogleの言う通り歩くと、何とキリスト教系の学校の中を突き抜けた。なぜだろうと思っていると、何と駅が学校の入り口に直結していたのだ。更にこの駅から2駅行こうと乗り込むと、何とひと駅で列車は止まり、反対側のホームまで階段を上り下りした。何と不便なのだろう。

何とか目的の駅に着き、歩き出す。そしてもう一つの天后宮へ行ってみた。こちらは午前のそれより規模がかなり小さく、庶民的だった。数十年前にここに移築されたようだが、そのいわれや歴史はよく分からない。そろそろ時間が来たので、バスで帰ろうとしたが、バス停というものが無く、どこで待てばよいか分からない。ちょうどお坊さんが立っていたので、その横にいるとバスが通り過ぎ、お坊さんが走り出したので驚いた。

何とか乗り込み、終点まで来ると、またチャイナタウンだった。この街を一周してみたが、特に面白い所はない。まあ観光地だから仕方がない。最後に初日の夜に外から見ただけの関帝廟に寄る。ここは広肇会館とも書かれており、KLに多い広東系の根拠地のようだった。宿に戻り、荷物を持ってKLセントラルを目指した。

KLセントラルからバスで空港に向かう。昔はよくこれに乗っていたのに、乗り場すら忘れてしまう。1階降りて何とかバス乗り場を見付け、チケットを買う。以前は10リンギだったと思うが、今や15リンギになっている。まあそれでも鉄道の50リンギに比べれば安いか。バスは満員の乗客を乗せて走り出す。

約1時間かかって空港に着いた。私が乗るベトナム航空はどっちのターミナルだろうか。何とかチェックインカウンターへ行き、チケットを貰う。出国審査は入国時よりかなり空いてはいたが、時々審査が滞り、列がなかなか進まない。それはミャンマーやバングラあたりの労働者が、不法滞在などを疑われてのことらしい。結構な確率で別室へ向かう。日本もこんな感じなのだろうか。

広いKLIAで時間を持て余す。LCCターミナルの方が楽しそうだったなと思い出す。KLはかなり多民族が行き交う場であり、彼らを眺めて過ごす。搭乗のコールがなかなかかからず、本当に時間を持て余す。何とか飛行機に乗り込み、機内食を完食するとホーチミンまで戻ってきた。今回のKL旅は何だったのだろうか、と思う間もなく、ホーチミンのイミグレはあっという間に通過できた。