「タイ」カテゴリーアーカイブ

バンコク滞在記2022その7(3)タイ料理の歴史を知りたい

先月はベートンからマレーシア、そしてナラティワート、更にトラン、スラッタニーを旅してみたが、さっき万歩計を見てみると、何と1か月で240㎞も歩いていた。毎日8㎞歩いた計算になるが、さすがにそれはないような気がする。まあとにかくこれまでの最高記録だろう。めでたい。

今朝はバーミーでも食べようと近所に出掛けるも、残念ながら朝はやっていなかった。仕方なくその先のカオソイ屋に行くと、テーブルの上に猫が寝ころんでいた。首にメガホンのような物を付けられており、どこか痛めて動かせないのだろう。可哀そうではあるが、何ともユーモラスな姿だった。

11月2日(水)ヤワラー

本来は今日あたり、ロップリーに行っているはずだったが、先日の駅での切符騒動で萎えてしまい、バンコクで過ごしている。今朝もバスでヤワラーに向かった。意外と空いていて、早めに到着。ジョークにありつく。実は昨晩このお粥に入れるパートンコウとは何かを考えており、写真を撮りたいと思っていた。

パートンコウは中国では油条だろうが、なぜタイではこう呼ぶのだろう。お知り合いから『白糖糕』の潮州語訛りではないかと言われ、ハッとする。やはりタイの食べ物を理解するにはどうしても潮州語や福建語が必要のようだ。今日も屋外で美味しくジョークを食べる。

何となく散歩していると、お寺が見えた。会慶寺、1956年創建とある。立派な山門を潜ると、敷地は狭いが中にはさすがヤワラーと思わせる立派な仏像が安置されており、思わず拝む。後で聞いたら、この山門の下に、有名な焼売売りの老人がいるらしい。ただ昼からの営業で出会うことはなかった。次回を期す。

ふらふらしていると、関帝古廟に辿り着く。中は信者の華人で満ちており、入るのが躊躇われた。更に行くと2年半前に歩いた大本頭廟に行き着き、華人学校も健在だった。こうして時間をつぶしていたのは、本屋が9時に開くのを待っていたからだ。本屋に入ると2階で『何を探しているのか』と華語で聞かれたので、『タイの料理の歴史』と言ってみると、おじさんとおばさんが二人で色々と探してくれたが、残念ながらなかった。

宿に戻ってランチにバーミーを食べた。これも潮州語の肉麺から来ているらしいが、本日食べた麵はいつもの黄色い麵とはちょっと違っていて、緑色の平麺だった。こちらは潮州ではなく、福建系らしいと言われ、なるほど奥が深いと感嘆する。これまで食べ物を食べても、そこまで深く観察したことがなかった。いや、考えたこともなかった。

何だか世界が少し広がった気分となり、夕方近所の歩いたことがない場所を散策する。ここは市場の近くなので、食堂はいくつもあったが、これまで入ったことはなかった。思い切って入ると、そこは鴨肉の店。朝は点心も出しているようだ。肉の上から濃厚なタレを沢山かけるので、インスタ映えはしないが、味は確かだった。

11月3日(木)サラディーで

今朝もコムヤーンを食べて幸せ。それからバスでシーロムへ向かう。シーロム界隈、今回殆ど歩いていなかったので、BTSサラディーンからチョンノンシーまで歩いてみる。道には人が多いが、何となく以前の熱気は感じられない。チョンノンシー近く、昔行った遼寧餃子館などは健在だったが、味はどうだろうか。この付近は相変わらず華語が飛び交っており、大陸中国人の投資が多そうだ。

今日の昼は野菜ソムリエAさんに会うため、懐かしのサラディーに向かった。このお店は私がバンコクで開いた最初のお茶会の会場だった。もう10年も昔のことだ。コロナ前後、Aさんはお店を閉めて、今は弟子がデリバリー専門でやっているが、Aさんの教室、食事会などでも使われている。

本日の目的は、タイ料理の歴史を知ることだった。Aさんに聞けば、何らかのヒントが得られるだろうと思い、出掛けた。ちょうどこの日はAさんが生徒さんと一緒にランチするというので飛び入り参加した。初めての方ばかりかと思っていたら、昔お茶会に参加してくれた人たちもおり、また私が日本で旅した場所の出身者もいた。

お料理は個性的で、ピザやパスタとタイ料理を組み合わせるなど、色々と面白いものが多かったが、1つずつの料理についてはよくわからなかった。肝心の料理の歴史については、『かなり難しい』という感触であり、やはりタイ語が出来ないと前には進みそうもない。華人の料理だけでも何とかならないだろうかと思うのだが、儘ならない。

バンコク滞在記2022その7(2)バンカチャオとタイスキの原点

バンカチャオへ

ところがポートの入り口で止められ、どこへ行くのかと聞かれる。残念ながら言葉が通じず、困っていたら、英語ができる人が出てきて、『あっちだ』と指をさす。そちらへ向かったが、敷地内は水浸しで、やはり見つからなかった。その人はずっと私の行動を見ていたようで、更に『そこじゃない、もっとあっちだ』とジェスチャーで教えてくれた。何と優しいことか。

そこを入っていくと、お寺があり、小さな店が並んでいる路地だった。抜けて行くと、突然川が現れ、そこから木製ボートに乗れた。1回10b。雨期で水かさは増しているが、天気が良かったこともあり、風が気持ちよい。ボートの人も何だか優しげで良い。外国人が自転車を持って乗ったりしている。対岸はどんな所なのだろうか。

這い上がると、そこに建物があり、自転車が沢山置かれていた。貸自転車で回るような場所らしい。自転車に乗ることが禁じられている?私は一人トボトボ歩いて行く。近くにある公園を目指したが、道を間違えたようでどんどん離れていく。ここはバンコク中心地からほぼ近い場所なのに、完全にタイの田舎の雰囲気がする。家は結構あるが、観光地と言った雰囲気でもない。確かにここなら、自転車で回るのが良い。

公園の裏から入ったら、大自然の中だった。バンコク都民憩いの場、という感じだろうか。白人さんのツアーも来ている。日本人らしき姿は全くない。日本人はバンコクに自然を求めてはいないだろう。公園の敷地はとても広い。ゆっくり歩いていたら1時間ぐらい経ってしまい、またピアーに戻ってボートで帰った。偶にはこんな散歩も良い。

10月31日(月)タイスキの原点を訪ねる

いつものようにランチを食べているとS氏が『今晩暇?』と聞いてきた。毎日暇です、と答えたところ、夕方MRTに乗った。降りた駅に出来たきれいなパン屋さんの写真を撮る。今やバンコクもおしゃれなパン屋の時代なのだ。そこからずっと歩いて行くと、今晩の目的地があった。

漢字で『金島』と書いているから、華人の店なのだろう。聞けば、ここがあのタイスキを最初に作った店だというのだ。タイスキと言えばコカレストランが有名で、現在ではMKが圧倒的なプレゼンスを持ち、タイの国民食とも言われる食べ物に成長している。だがこの店は昔ながらのやり方で、ここ一店舗のみで営業しているらしい。

いかにも華人の店という昔の雰囲気を保ち、注文を取りに来る女性も華人で年季が入っている。食べている客も華人の顔が目立ち、常連客も多いようだ。肉や魚介に独特の味付けがされており、それがこの店の特徴そのものとなっている。最初は少したんぱくな味かと思われたが、具を煮込むほどに、味わいが増していき、最後はスープを飲み干してしまうほど美味しかった。なるほど本来のタイスキとはこういうものか、と実感する。

11月1日(火)Visit Japan

昨晩の帰りは道がかなり混んでおり、タクシーで宿まで相当時間が掛かった。バンコクの脱コロナは完全に進んでいる。一方1週間後に戻る東京はどうなっているのだろうか。いまだに入国時にWeb登録が必要と言われ、My SOSなるアプリを眺めた。すると何と本日より新たにVisit Japanというアプリが導入され、私が帰国する時点では両者併用という、いかにも日本的な対応がとられていて戸惑う。

事前検疫(ファストトラック)だけのアプリから、「入国審査」、「税関申告」、「検疫(ファストトラック)」がWebでまとめて出来、スムーズな入国手続きを可能にするのだそうだ。しかしこれまで日本のアプリで『スムーズ』とか『利便性』とかいう言葉を見たことはなかった。案の定、登録までかなりの時間を要した。さて、これでスムーズな入国はできるのだろうか。不安が募る。

バンコク滞在記2022その7(1)ファランポーン駅とクイジャップ

《バンコク滞在記2022(7)》  2022年10月27₋11月7日

10月29日(土)ファランポーン駅で

先日スラッタニーから帰ったばかりだというのに、まだ旅に出たい気分だった。もう帰国まで時間もないので、1泊2日で行ける場所を探し、ロップリーと言う街に行ってみることにした。前回同様タイ国鉄に揺られてみようと思い、時刻表を調べ、ファランポーン駅に切符を買いに出かけた。土曜日なので、バスは快適に私を駅まで運んでくれた。

前回駅に来た時は、乗客は多くなさそうだったが、さすがに観光客を含めて、人の移動が戻ってきており、駅の窓口には人が結構並んでいた。外国人はマスクしている人は多くないが、タイ人はしっかり防御している姿が面白い。ようやく自分の順番が来たので『明後日の朝、ロップリー1枚』と英語で伝えてみたが、係員はエッという顔をしている。

そして『ロップリーは当日しか売れない』と言い出す。私が食い下がると『じゃあ取り敢えずやってみる』と言ってくれ、パスポート情報など機械入力をしてくれたがやはり切符は出てこなかった。どうやら近距離の切符は当日しか買えないらしい。だが知り合いから買えると聞いていたこともあり、ことの真偽を知るべく、インフォメーションデスクにも行って聞いてみる。

ところがそこに座っていた年配の女性は『そんなの買えるわけないじゃない』とこちらの話も聞かず、けんもほろろの対応だった。あまりに酷い態度だったので、『じゃあ、午前8時半の列車に乗るのに、当日何時に来ればよいのか』と聞くと、『ここは朝4時半からやっているから、出来るだけ早く来て買え』と言い張る。さすがに外国人窓口の人がこんな対応をしていたら、微笑みの国タイ王国の評判が落ちてしまわないか、こちらが心配になるほどだった。

結局何のためにファランポーンに行ったのかも分からず、次の用事のため、プロンポーンに向かう。まずは腹ごなしにと、時々行く和食屋で大好きなかつ煮定食を頂き、気分転換を図った。今日は土曜日だったが、意外にも満席ではなかった。ただお客はタイ人家族が多く、日本人は単身赴任のおじさんが数人いるだけ。

それからエンポリアムに入ると、ちょうど今日はハロウインのようで、小さな子供たちがイベントに参加すべく、思い思いの服装でフロアーを占拠。エスカレーターに乗るのも、一苦労だった。店員なども所々でハロウイン仕様の服装をしており、タイもいつの間にかクリスマス、ハロウインなどが定着しつつあるようだ。その後お知り合いに誘われた歴史関連の会に参加。参加者の中に、お茶の歴史を知っている方もいて、有意義な午後だった。

10月30日(日)クイジャップを食べに

昨晩Youtubeを見ていたら、どうしてもクイジャップが食べたくなり、またヤワラーを目指してバスに乗る。いつもはワットトライミット付近で降りるのだが、今回の店はヤワラーロードに面しているので、先まで乗って行く。店に着くと満員で行列が出来ている。さすがに有名店らしく、外国人も食べている。

10分ほど並んで待っていると、席が空き、注文する。クイジャップの他、待っている間に見てしまったチャーシューなども頼んでしまう。お客の多くは2人以上できているので、色々な物が食べられるのが腹立たしく、一人で満腹になるまで食べた。行列はずっと続いており、観光客が増えていて、なぜか中国人は立って何かを食べていた。

ヤワラー付近を少し散歩。中山街、サンペーン市場、日曜日の朝は人が多い。もう一食何か食べたかったが、腹も減らず、残念ながらバスに乗って帰ることに。しかしまだ午前中も早い。このまま帰るのも何なので、バスを終点まで乗って行く。そこは港。ここから小型ボートで対岸に渡れると聞いていたので、この機会に試してみることした。

バンコク滞在記2022その6(3)王陽春とナイラート公園

MRTに乗り、サムヨット駅で降りる。ふらふら歩いて行くと、立派な歴史的建造物、ロイヤルシアターがある。今はコロナで閉まっているが、現役の劇場だ。その先にはかなり長い校舎を持つ学校に100年以上の歴史がある。この付近は歴史的地区なのだと分かる。

ふと道の向こうを見ると、何となく見覚えのある寺があった。ワットリアップ、日本人納骨堂があるタイ寺であり、10年ほど前、ひょんなことから1泊させてもらったところであった。何とも懐かしく、中を見学した。日本人納骨堂ではちょうど法要が行われており、日本人僧侶の姿も見られた。何とも懐かしい。

その先、川の手前にかなりの敷地がある。ラーマ5世像?が建てられているだけの広場だが、その歴史的背景は良く分からない(タイ語は読めない)。そこから花市場の方へ歩いて行くと、王陽春がある。この店のロケーションは、往時は路面電車が走るなど、かなり良い場所だったはずだ。

店には80歳になる2代目店主、そしてその3人の娘(3代目)、更にはその娘(4代目候補)が、揃って待っていてくれた。それから1時間ほど、この店の歴史を聞き、またその姻戚関係を尋ねる。やはり福建安渓堯陽村の出で、これまで訪ねてきたバンコクの老舗茶行の多くと姻戚関係にあった。ただ違うのは、初代が早く亡くなり、その未亡人が店を継ぎ、それからはずっと女系経営だという点かもしれない。80年以上の歴史を誇るこの店、その道のりは決して平たんではなかった。

この付近には最盛期、10軒以上の茶行が存在していたというが、今はついにこの1軒だけになってしまった。果たして未来はどうなるのだろうか。パイナップル印のロゴ、可愛らしい店内、何らかの形で継承して欲しいと願うのだが、それは外野のエゴだろうか。とにかく今日の訪問はとても意義あるものに思えた。次回はいつだろうか。

10月22日(土)ナイラート公園で昼食を

テレビ大阪の番組に『名建築で昼食を』というのがある。コロナ禍、テレビでそれを見ていたら、自分も行ってみたくなったが、ちょうどバンコクに来てしまった。それならバンコクにも名建築はあるだろうと思い、探し始める。だが名建築はあっても、そこでランチが食べられるかとなると、かなり限られてしまうらしい。

そんな中、Mさんが有力な情報を送ってくれた。そこは100年以上前の実業家の家で、美味しいレストランもあるというのだ。お知り合いのお二人にも参加してもらい、4人でランチに行ってみる。当日は土曜日で、朝の交通渋滞もないと踏んで、バスに乗ったが、何故か全く進まず焦る。近くのコンベンションセンターでコスプレ?アニメイベントが行われるようで、何とバスにも乗ってくる。

そのナイラート公園はBTSのチットロム駅から少し北上したところにあり、アクセスは意外とよい。公園のところまで来ると大規模改修工事が行われていた。ここには元々スイスホテルがあったが、今後はアマンリゾートになるらしい。都会のど真ん中、どんなホテルになるのだろうか。大林組が施工しており、その脇を通り抜けて何とかレストランに辿り着く。

レストランの前で、立派な服を着た人に呼び止められる。ドアマン?だった。そして何ともモダンなレストラン、マ・メゾンに案内された。ここは正直名建築と言ってもレトロ感がないので、私が思っているところとちょっと違っていた。だが料理が出て来ると実に上品で美味しい。特にマッサマンカレーとミンチ入り卵麺は特筆したい。これからも偶には食べに来たい味。

帰りに公園に踏み込むと確かにレトロなお屋敷が建っていた。ちょっと入って見学していると『ここは有料予約制』と言われてしまう。仕方なく公園を散策すると、ナイラート像があり、愛車や船が飾られており、日本的な庭園や大きな池もある。池のほとりには、ひっそりとカフェがあり、まさにここに来ればよかったかと思う佇まいだった。今度は朝食に来て見よう。

バンコク滞在記2022その6(2)バンコクで肉骨茶

10月20日(木)バンコクで肉骨茶

後輩のUさんから肉骨茶の店の紹介があった。肉骨茶と言えばマレーシアかシンガポールの名物であり、バンコクで見かけることは殆どない。先日ヤワラーで1軒見掛けて気になっていたが、今日は全く違う場所に案内される。待ち合わせはMRTペップリー駅と連絡を受けたが、路線図を見るとそんな駅は存在しない。だが自分でもあそこだな、と思っているのが不思議。結局ペチャブリ駅をペップリーともいうことが分かる。しかしなぜ2つの名前を持つのだろうか。

そこからタクシーを拾おうとしたが、乗車拒否に遭ってしまい、Grabで呼ぶことになる。乗車拒否などしても営業は成り立つのだろうか。バンコクのタクシーは何とも不思議だ。車は10分以上走って止まった。その周辺には高層住宅がいくつもあったが、『最近中国人がかなり買って住んでいる』との話だった。近くには中国大使館もあり、タクシーが止まった場所にも中国スーパーと食堂が並んでいた。新中華街、今やバンコクの各所に中国人集落があるという。

だが目的地の肉骨茶屋が見当たらない。よくよく見ると店の看板はあったが、店は既に改修工事をしていた。コロナ禍で潰れてしまったのだろうか。ここまで来て食べられないとは、何とも残念。仕方なく他の食堂のメニューなどを見て、どこかへ入ろうかと考えているとUさんが店を覗き込み、張り紙を見つけ、『店の引っ越し先が分かった』と言い、歩き出した。

10分ほど歩くと、肉骨茶屋とは思えないような店が登場した。そしてそこが移転先だった。何だか突然カラオケ屋か何かを借りた感じで、食堂とは思えない空間だった。そこで働いている店員女子も、華人ぽい人はいないが、果たしてタイ人なのだろうか。店名は『巴生桥底』と書かれており、これはマレーシアのクランにあった有名な肉骨茶屋と同じであった。どうやら親戚が出てきてこちらで開業したらしいが、今もその人々が経営しているのだろうか。残念ながらこの店の歴史を聞くことはできなかった。

ちょっと待っていると、いきなりドライバクテーがやってきた。10年前にKLで食べて以降、今や普通のメニューになっているが、これは本格的で美味い。しかもつけ汁が別の椀で付いてきた。それからぐつぐつと煮込まれた熱々の肉骨茶も土鍋に入ってやってくる。中身は豚足で、味は私の好みだった。葱油飯と一緒に食べると余計に良い。ただかなりの時間食べて、しゃべっていたが、残念ながらお客は殆どいなかった。次回この場所にあるのだろうか。ちょっと心配になる。

帰りもGrabで車を呼び、プロンポンまで行った。距離的にはそれほど離れてはいないが、ソイの狭い道は渋滞しており、なかなか前に進まない。バンコクは10月から完全にポストコロナ時代に入ったが、渋滞も元々に戻ってきており、もう油断はできない。

10月21日(金)ついに王陽春茶行へ

2020年3月、バンコクでももっと古いかもしれない老舗茶行を発見した。その店の娘さんと話し、『茶行の歴史はお母さんに聞いて』と言われ、翌日再訪するつもりが、何とコロナによる都市封鎖が迫り、敢え無く国外避難となってしまった。そして2年半、先日店に行くとちゃんと営業していてホッとし、電話連絡で会う日を確定させ、いよいよ話が聞けると楽しみにしていたが、何と前日に家族がコロナ感染、約束はキャンセルとなってしまった。その後コタバルで劇的に電話を受けて、今日ついにその日が来た。

バンコク滞在記2022その6(1)近所の食事と地獄のメール削除の日々

《バンコク滞在記2022(6)》  2022年10月16₋10月24日

10月16日(日)メールが詰まった

実はここ2か月ほど、Webチェックインしたチケットがメールで送られてこないという現象があった。当然空港会社側の問題だろうと問い合わせていたが、理由が判明せず、一方奥さんに聞いたところ『あんたにメール送ってもボックスが一杯いって出ている』と言われた。慌ててメールボックスを見ようと思ったが、もう何年も見ていないのでログインに苦労する。

何とか入って見てみたら、何とボックス内に27万以上のメールが溜まっていた。正直驚いたが、確かに私はGmailを使って受信をしており、そちらで不要になったメールは削除しているつもりでいたが、本家の方を削除していたわけではなかったのだ。もう10年以上の渡るゴミメールで詰ってしまったようだ。それにしても、27万ものメールを受信した覚えもなく、これまでに大量の不正メール、広告メールを無視してきたつけが回ってきたことを初めて知る。

とにかく開通に向けて作業をしなければならないが、それには何と必要なメールとゴミを区分けする必要があり、一気に削除することはできず、1つの画面に30個ずつあるものを地道に消していく作業をすることになってしまった。ただどう考えても、気が遠くなるような作業であり、どこまでやったらメールが開通するのかも分からない。どうすればよいのだろうか。取り敢えず本日より修行のようにひたすら消し続ける日々を送ることとなる。

何となくだが体調もすぐれない。旅から戻っても食べたい物が食べられず、八番らーめんなど、優しい食べ物で凌ぐ。今日もフードコートでベトナム雑炊のようなものを食べてみたが、物足りなくなり、肉まんと焼売を買い込んで帰る。最近こういう食い物の味が良くなっているように感じられる。

10月17日(月)、18日(火)、19日(水)近所の食事

お昼に久しぶりにYさんとランチする。まだ体調万全ではなかったので、おばさん三姉妹の店で鶏麺を食べる。何とも優しい味でよい。昔は常にコーラを飲んでいたYさん。三姉妹は今でもYさんが来るとコーラを持ってくるので、飲まざるを得ない。これが常連というものだろう。

午後もゆっくりと過ごし、夕方外へ出た。やはり和食でも思ったが、すき家があったので牛丼を食べる。これは安上がりな和食だろう。空いている時間、スタッフはワンオペでちょっと大変そうだが、元気に働いている。これで110b、チップ無しとは有り難い。

翌日の昼もYさんとランチ。今日は少し回復したので、バスターミナル脇の食堂でかなり食べる。ラートナーがあると聞き、注文してスープのように飲む。ラートナーはスープ兼主食として、この辺の労働者は食べている。ガパオライスは日本ではなぜか有名だが、バンコクで食べる機会はあまりなので、わざわざ作ってもらった。如何にもご飯のお供、という感じで、主菜にはなりえない。

夕方いつものようにブドウパンを買いに出ると、信号の向こう、タイヤ屋が麺屋になっていたので、思わず入る。ここの麺が好きなのだが、常設ではなく、思い出した時に店を開くようで、なかなかありつけない。タイヤを見ながら麺を啜るのはやはり特別感がある。

その翌日は元気も回復し、朝からコムヤーンを食べる。何だか肉を焼く煙を見るだけで幸せになれる不思議な空間がそこにある。おばさんがいつもと変わらない表情で、焼き鳥を焼いている姿が何とも微笑ましい。

何と3日続けてYさんとランチする。こんなことは珍しい。Yさんは会社から支給されるお弁当をどうしているのだろうかと心配になる。ランチのレパートリーも尽きてきたので、いつもの食堂へ。ここでもラートナーを初めて頼むと、思った以上に美味しく、なぜこれまで頼まなかったのかと後悔する。いつも食べる食堂の食事は安定の味、何とも好ましいし、懐にも優しい。

バンコク滞在記2022その5(3)癒しを求めて

10月5日(水)有料図書館

今日もまた図書館を探しに行く。ただ今日は図書館メインというより名建築がメインであり、そこでランチでもあれば最高、という感じで出掛けてみた。サムヤーンのあたりでバスを降り、後はひたすら歩くと、いい雰囲気の一角が出て来る。隣はブリテッシュカウンセル、そこにネルソンヘイズ図書館があった。1869年という文字から見ても古い。こじんまりした庭もいい雰囲気だ。

図書館へ入ると、何とここは会員制で、非会員は100bの入場料を取られる。しかも室内は写真撮影禁止なので、残念ながら入場を断念する。だが係員に『何か探しているのか』と聞かれ、タイの歴史関連と答えると、中へ入れてくれ、『もし読みたい物があれば入場して』と言ってくれた。結局それはなかったので、礼を言って外へ出た。確かに古めかしい室内ではあったが、特にこれはというものもない。外にはカフェが併設されていたが、こちらはかなり新しく、入る気分にはなれなかった。

図書館を離れると、罰が当たったかのように雨が降りだした。小雨だったので急いでサムヤーンまで戻り、ジョークで有名な店へ行くと、閉まっていた。ガッカリしていると猛烈な雨が降り出し、身動きが取れなくなる。朝の11時にこんな豪雨、初めてかも。店の軒下で雨を凌ぐ。よく見るとそこも食堂で、美味そうな鴨が下がっていた。

思い切って入ってみると、美味そうに麺を食っているおじさんがいた。私も食べようと思い、折角なので具材を全部載せてもらい、その下に麵が敷かれた。スープは別にやってくる。これは広東系だったかな。それにしても叉焼から鴨肉まで、豪華な肉が並んでいる。煮卵もいい。120bは安いのではないか。一杯になった腹を抱えて外へ出ると雨は既に上がり、晴れ間が見えている。この付近、美味そうな店がいくつかあり、是非再訪したい。やはりラマ4通りに沿って華人街が広がり、美味い物屋も広がっていた。

10月6日(木)川沿いのレストランで

今日はMさんのお誘いで、川沿いのレストランで昼食を食べることになった。宿まで迎えに来てもらい、全く知らない道を走ってそこに着いた。ここはどこだろうか、かなり南の方だとは思うのだが。しかもレストランもふらっとある感じで、そこへ行こうとしないと偶然に見つけられない感じである。

川の横には木々が茂った庭があり、雰囲気はとても良い。雨上がりの庭、殆ど客のいない川沿いの席でゆったりと寛げた。食事も美味しい(タイ料理を勉強するはずが、メニューすら気にすることもなく、何を食べたかはよく覚えていない)。いつも戦場で戦っているわけでもないが、年齢的なものか、疲れを覚えることが多くなっているので、こういう癒しは有難い。

チャオプラヤ川の河口近く。川の流れもゆっくりで、しかも周囲には建物も少ない。船の出入りも少なく、何もないと言えば何もないのだが、それがまた良い。不思議な感覚に囚われた。バンコク滞在2か月、私はここで何かを得ただろうか。日本にいるよりずっと開放的、というだけなのだろうか。

10月8日(土)週末の朝食は

一日中道路が混んでいるバンコク。特に朝晩のラッシュ時は激しい渋滞となり、バスは動かなくなる。だが考えてみれば週末の朝は空いているはずだ。そう思って突然バスに乗り、朝ご飯を食べに出た。確かに道路は空いており、バスは快調に走った。それでも小1時間ほど掛かってようやく目的地に着いた。

その店は路地で営業しているが朝8時で結構客がいた。オーナーは簡単な英語も話し、愛想がよい。店の名前は蘆溝橋紅飯。日本人が見るとギョッとするような名前だが、ここでそんな反応をする人はいないのだろう。名物はカリカリ豚のあんかけ飯。確かに豚が旨いし、汁も美味い。70b。華人の家族経営のようで、息子が懸命に豚肉を切り、娘が盛り付けをしていた。こういう光景も嫌いではない。

そこからふらふら散歩していると、以前も通った古い華人街が現れ、自動車部品などの店舗がずらっと並んでいる。更に行くと今度は木工業の店が並び、木製のドアなどが飾られている。チャイナタウンはヤワラーばかりではない。ヤワラーは単なる観光地なのであり、生活感があるのはむしろこちらだとよくわかる。

ワットサケットへ出た。数年前に来た時は上まで登ったが、今回は下を一周するだけにした。地方から来たタイ人観光客がバスで乗り付けてきて嬉しそうに記念写真を撮っている。少し涼しい朝散歩なので、更に歩いて行く。先月Oさんと行ったナンルーン市場へ出たが、腹が一杯で何も食べられない。

そこからバスに乗ったが、相変わらずエアコンバスから降ろされた。ただ車掌は実に丁寧親切で分かりやすい。結局チットロムまで赤バスで行き、BTSに乗り換えて、プロンポンで降りた。レトロ建築のホテルがあると聞いて行ってみたら、既に解体工事が始まっていた。現在のバンコクは高度成長期、ということだろうか。

バンコク滞在記2022その5(2)パヤタイパレスで昼食を

10月2日(日)報告会

朝5時半に起きて、宿の朝食を食べる。前回は楽しみにしていたが、今回はもういいかという感じになる。それでも貧乏性なので、付いている朝食は必ず食べてしまう。次回からは朝食なしとして、お粥を食べに行きたい気分だが、それでも目いっぱい食べてしまい、眠たくなる。

報告会では一応リバービューをお見せしたが、見ている方は何でこんなものを見るのだろうと思っていたに違いない。単なる自己満足で迷惑な話だ。今日も女子ゴルフがあったので、すぐにチェックアウトして、急いで本拠地に戻り、部屋でゴルフを見た。何で女子ゴルファーはこんなに上手くなったのだろうかと感心しきりである。夜は世界卓球を見て過ごす。

10月3日(月)名建築で昼食を

テレビ大阪の番組に『名建築で昼食を』というのがある。池田エライザと田口トモロウが古い建築を巡りながらグルメを食べる番組だが、何となく私もやってみたくなる。きっとバンコクにも名建築はたくさんあるだろうと検索するも、名建築でランチが食べられる場所は意外とヒットしない。

先日バスで通り過ぎたスワンパッカード博物館というのを思い出す。如何にもタイ風名建築という感じだったので行ってみる。ここはラーマ5世の孫の邸宅だったらしい。落ち着いた古めかしい建物の中には色々と展示物もあり、いい感じの庭が広がっていたが、残念ながらランチがなかった。

そこからBTSに乗り、実に久しぶりにアヌサワリーで下車。駅から歩いて10分、大きな病院の敷地内に入った。目的地は病院ではないのだが、よく分からずに歩いて行くと、その先に古めかしい、塔のある洋風建物が見えてきた。パヤタイパレス、かつてラーマ6世の宮殿だった(その後はホテル)という。ちょうど100年ほど前に建てられている。

その中にカフェとして使われている場所がある。カフェドノラシンはバンコク最古のカフェとも言われているが、元はラーマ6世が別の場所で一般庶民も使えるカフェを開かせており、その店名だとも説明されている。その後現在の場所にカフェが開かれ、その名が継承されたらしい。確かに誰でも入れるが、靴を脱いで入るのが、如何にも王室的。

店内は名建築で昼食を、に相応しい華麗な造りになっており、ゆっくりと座っていたくなる。お客は観光客が数人写真を撮っているだけで、実に落ち着く。店員は当然のように英語を話す。軽食として有名な「ムーケム」は煮込んだ柔らかい塩豚にトーストを添えた一品。意外といける。ドリンクも高くはなく、簡単に利用できる穴場といえよう。

パレス自体は有料ガイドに案内されれば見学できるというが、ちょうど昼休みで誰もおらず、詳細不明。ただある程度の場所は開放されているので、勝手に見学して去る。病院の昼時なので、意外なほど人の出入りがあり、カフェ以外は落ち着かない雰囲気だった。向かい側にはマヒドン大学もあった。

10月4日(火)近所の新規開拓

最近は出掛けることも多くなり、ご近所の新規開拓を怠っているとの指摘を受けた。お昼にYさんから、新しい店へ行こうと言われ、ちょうどよいので付いて行ってみる。そこはいつもバスに乗るために通る道沿い。今まで入ろうとしたことはなかった、屋台に毛の生えた小屋のようなローカルな店だ。

Yさんも最近初めてきて気に入ったらしい。向こうではふくよかな女性が3人で料理を作っている。母と娘姉妹らしいが、区別できないほど似ている。ガパオとムークローム、それに隣で焼いていた焼き鳥を仕入れてきて、豪華なご飯を食べる。周囲ではバイタクおじさんたちがタバコを吸って休んでいる。タイの日常風景がここにある。

夕方、先ほどの店を通り越して、クロントイ市場の裏の方へ回り込む。何軒か店があるのは知っていたが、一度も行ったことはなかった。ここに牛モツ鍋で有名な店があると知り、訪ねてみる。午後5時前だというのに、店にはかなりの客がいて驚く。王春盛という店名が華人系だったので、華語が通じるかと思ったが、使う前に英語で案内され、英語メニューを渡される。外国人もたくさん来るのだろう。

2人以上の人は皆鍋を食べていたが、一人だと食べきれないので、牛モツ麵を注文してみる。私が牛モツ好きであるせいもあるが、これは煮込まれていていい味が出ている。数種類のモツをミックスしてもらい、麺をチョイスして80bは安くて美味しい。人が集まるのも道理だ。もっと早く来るべき店だった。新規開拓の意識をもっと持つようにしよう。

バンコク滞在記2022その5(1)バンコクでカオソイ

《バンコク滞在記2022(5)》  2022年9月29₋10月8日

9月29日(木)カオソイ

朝からコムヤーンを食べてしまった。美味しかったが、腹が一杯で昼は抜きになった。ネット情報ではタイに台風が近づいているというのだが、『タイ』とは相当広い範囲のはずで、タイに接近などといってもどこに来るのか。昨日カンボジアから帰ったと言ったら、カンボジアはタイ風だったでしょうとも言われたが、全くその気配はなかったのだから。この報道姿勢は日本と共通する。日本では台風、地震などもお祭り騒ぎのように報道して、結局ほぼ被害もないということが続いている。タイの場合、台風が来るのは稀なので、多少騒ぐのは分からないでもない。

どうやら台風はタイの北からラオスの方へ行っているようだ。そんなことを考えていると、突然カオソイが食べたくなる。先日チェンマイには行ったが、チェンマイ名物のカオソイを食べる機会はなかった。はて、バンコクのどこでカオソイが食べられるのだろうか。ふと思い出したのが、何とすぐ近所。7₋8年前にそこで食べた記憶が急に蘇る。今もあるのだろうか。

記憶を頼りに歩いて行くと、店は健在だった。そして華人と思われる店主がカネ勘定をしており、もうすぐ店が閉まる気配だった。入っていくとまだ大丈夫と言われたので座る。『カオソイ』というと、鶏肉かと聞かれたので頷く。出てきた物は確かにあのカレー味のカオソイだった。麺はちじれている。

麺を揚げたものが降りかかり、カレーとしっくりマッチしている。横にはあの高菜漬け。ライムで味変も可能だ。それにしても何でチェンマイにカレーがあるのか。本当にランナー食文化なのだろうか?ビルマから伝わってきた物なのか?食べれば食べるほど分からなくなる。料金は10b上がって70b。

10月1日(土)サパーンタクシンで

今日はバンコクから2回目の報告会を配信するため、ホテルへ移動。前回は市の中心部だったので、今回はリバーサイドホテルを希望したところ、『リバー近くの、リバービューのあるホテル』にチェックイン。昼の12時にチェックインできるのは何とも有難い。このホテル、かなり古いがロケーションは良く、部屋も悪くない。ただ部屋のドアのカードキーが上手く反応せずに入るのに苦労はする。

ちょうどテレビでゴルフの日本女子オープンをやっていたので、それに見入っていると、午後も2時を過ぎてしまう。ここからランチを探しに外へ出た。Yさんから教わったカオカームー屋を素通りして、そのままどんどん歩いてしまい、いつの間にかインド寺院付近まで来てしまった。ここはもうシーロムエリアで、これではサパーンタクシンに泊った意味はない。

じつはここにマッサマンカレーの美味しい店があると聞いていた。午後3時近くでもお客はいる。日本語メニューも登場した。カレーは芋がゴロゴロ、確かに食べやすい。後ろの女性が食べていたのはカオソイではないか。思わずこちらも注文する。予想以上にマイルドで食べやすい。他にも魚や揚げ物などが並んでおり、普通にご飯を食べることもできる。それにしてもマッサマンカレーのルーツはイスラムではないのか?

満腹の腹を抱えてぶらぶら戻る。チャオプラヤ川に出ると風が気持ちよい。ボートが行きかい、何とも言えない楽しさが感じられる。近所には古い海南寺やモスクが点在する。この付近が昔貿易の中心地のひとつであったことを窺わせる。宿の下のデパートも懐かしい。25年以上前に家族旅行で来た時に入ったことが急に思い出される。

ホテルは一か月前に泊ったところの系列だが、観光客が急増している雰囲気が出ていた。料金は前回聞いた時より1000b近く上がっている。プールでは韓国人の家族が遊んでいた。日本人観光客も少しだけいたようだ。部屋から川の向こうに沈む夕暮れを眺めるのはとても良い。

夜8時頃ようやく腹が減り外へ出た。紹介されていたお粥屋はまだ開いており、観光客で賑わっていた。ここには英語のメニューがあり、注文も簡単にできる。かなり内臓系を入れた粥が登場してテンションが上がる。ピータンと生姜の相性がとても良い。部屋に戻り、アーセナル富安、ブライトン三苫を見て、満足して一日を終わる。

バンコク滞在記2022その4(2)新しいMKととん清

9月20日(火)新しいMK

今日は午後、Oさんがやってきた。車で迎えに来てくれたのだ。前回はナンルーン市場へ行ったが、今回はOさんの家に行った。その前に富士スーパーで買い物もした。Oさんは最近雑穀米を食べているという。私は健康には完全に無頓着で、食べたいものを食べたい時に食べているのだが、それでよいのだろうか。何だか最近食べ過ぎで、体が重い。

Oさんの部屋で話していると、また『タイは分からない』ということになる。勿論私などタイの部外者であり、仕事もしていなければ住んでいる訳でもない。ましてや嫁さんがタイ人でもなく、タイのことなど分かるはずもないというのだが、中国など他国との比較からタイを見てみても、よく分からないと思うのはなぜだろうか。Oさんが水野潮さんという人の本を勧めてくれた。

夕飯は近所のモールへ。近所にこんな立派なモールがあるのはすごい。でも我々二人には何となく似合わない。と思っているとOさんが向かったのは、何とMK。タイの国民食であるタイスキで最も成功したチェーン店でどこにでもある。だがこの高級モールのMKは一味違っていた。

何と10種類のスープから2つを選択して、中国火鍋のように楽しめるのだ。トムヤンスープを頼んで蝦を入れれば、そのままトムヤンクンになる。もう一つは敢えて味噌スープにしてみた。これが意外や美味しい。野菜などをたっぷり入れれば、日本の鍋の感じになる。最後の〆はラーメンというのもまた良い。MKはタイに1000店舗以上あるらしいが、常に新しいことに挑戦しており、この店は最近できた新型高級店舗のようだ。お客を飽きさせない、タイ人の収入に合わせて改善する試みは面白い。

9月21日(水)ケンタッキー

タイに来ると必ず食べるケンタッキー。今回はまだ食べていなかったので、行ってみる。モールの中にあるのだが、まだ時間が早いのか、それほど混んでいない。日本ではどうか分からないが、タイではマックとケンタは明らかに競っているが、そのサービス提供にはかなりの差がある。

少なくともマックはかなり上昇志向であり、ケンタは価格抑え気味といえる。ただこの2年半の間でマックも苦労したのか、低価格のセットを販売もしている。ケンタは何と言っても日本との比較で言えばかなり安い。いつも食べるセットはフライドチキン4つ、ポテト、タルト、ドリンク(ドリンクバー)で139bだから円安といえどもこれで500円程度。

ただ偶々かもしれないが、今日食べたフライドチキンの鶏肉の味は、それほど美味しく感じられなかった。日本との決定的な違いは鶏肉の美味さだと思っていたので、ちょっと残念な感じである。これならマックの99bセットがお得に思えてくる。まあ各社戦略と収益を常に見直しているのかもしれない。いずれにしても日本で家の近所のケンタはいつも行列が出来ているので、なかなか行けない。

9月22日(木)エカマイからとん清

明日からカンボジア旅が始まる。そのために先ずは東部チャンタブリを目指すことになったが、そのバスはエカマイから出ていると聞き、翌日チケットをゲットしにエカマイへ向かう。バスターミナルは健在だったが、人は以前よりかなり少ない。ただ『パタヤ』と叫ぶ係員の姿はあまり変わっていない。私は『チャンタブリ』と言ってみると、ある窓口へ連れていかれ、すぐに明日9時発のチケットがゲットできた。今やネットでチケットが買える時代だが、ネットでは分からない情報などもあり、ここで買えるのは何かと有難い。

そこからプロンポンの方へ歩いて行く。トンローはすぐ近くだったので、その先まで歩いていくと、プロンポンのソイ。11時過ぎだったがなぜか腹が減り、店を探すも、開店前のところが多い。すると目のまえに和食屋が見える。よく見ると『とん清』と読めた。あれ、その昔、あの電波少年で猿岩石がバイトした店と紹介され、シーロムで行った店ではないか。今はここにあるのかと妙な懐かしさから入ってみた。

店内に客はいなかったが、メニューを見ると、かなりの種類があり、他の和食屋よりちょっと安い。昔から安かったなあ、と思い出す。好物のかつ煮定食を頼むと、味はまあまあで、コスパは良い。店内には漫画本なども置かれ、雰囲気は昔のようだったが、果たしてコロナ禍、そしてコロナ後、どうなっていくのだろうか。