「タイ」カテゴリーアーカイブ

チェンマイ滞在記2023 その2(2)ワンニーマンの奇跡

宿に帰るとMさんから連絡があり、夜はうどんを食べに行く。このうどん屋、前回から気になっていた。タイ人経営だと思うが、若いタイ人がどんどん入っていく。我々は何とかカウンターに席を確保して周囲を見回し、ミックス天ぷらうどんを注文する。因みにかき揚げうどんを頼もうとしたMさんは、単品しかなく、私と同じものとなる。

スタッフは沢山いるが効率はかなり悪いので、なかなか注文したものは出てこない。丼ものもあるので、更に面倒くさい。ようやく出てきたそれは、天ぷらの量がすごい。むしろ天つゆを出してくれれば、天ぷら定食で食える。これで219bは高くはないが、ちょっとうどんを食べようと思うと安くはない。

うどんはすぐ食べ終わったので、帰りがてらちょっとカフェに寄る。ところが空いていたその店はカフェというよりバー。そしていつの間にかライブ演奏が始まり、若いタイ人が集まり始め、日本のおじさん二人は真ん中に取り残される羽目となる。普段夜出歩くことがないので、かなり新鮮な体験だった。

1月26日(木)ワンニーマンの奇跡

昨日チェンライの大学のP先生からメッセージが入っていた。『明日チェンマイに行き、イベントに参加します』。Tea&Coffee Expoと書かれていたので、面白そうだと思い、また久しぶりにP先生の顔を見ようと出掛ける。ただ何時に行けばよいかも全く分からず、取り敢えず昼前なら、午前のセッションが終わり、お話しできるかもと行ってみる。

Grabバイクで到着したのはワンニーマン。かなりおしゃれなビルにおしゃれなお店が入っている。中庭では業者さんがブースを出して、お茶やコーヒーを売り込んでいる。私は指定されたシンポジウム会場へ上がっていく。会場を覗き込むとちょうど午前のセッションは終わっており、すぐそこにP先生の顔が見えた。彼女は今回のメインスピーカーとして招かれており、多くの来場者と言葉を交わしている。

彼女が私に気づくとすぐに招き入れられ、『一緒にご飯を食べよう』と言われる。一番偉い人の席に連れていかれるとその丸テーブルには既に数人がご飯を食べていた。そして驚いたことに、私の横にいたのが、あのMonsoon Tea(バンコク駐在日本人夫人で知らない人はいない)のスゥエーデン人オーナー。その横にはティーツーリズムこの国際的に有名なカナダ人学者、更に何とその横にはあのラミンティーの3代目夫人が座っており、一挙に全てが私の前に現れた。

ラミンティー夫人に『一度チェンダオの茶畑を訪ねたい』と告げると、『では明日8時半に店に来て』と言われて驚く。更にMonsoon Cafeに3日後に招待された。展開が早過ぎる。あれ、チェンマイって、行きたいと思っているとすぐに叶う魔法の街なの、と夢見心地になる。街のサイズはちょうどよく、一人と繋がるとどんどん繋がっていく世界、何と心地よいのだろうか。ご飯もとても美味しい。

午後のシンポジウムは全てタイ語だったので、P先生の写真を撮って退散する。下のブースを見ていると、Monsoonとラミンが一緒にブースを回っていたのでそこに加わる。コーヒーのブースも丹念に見ているのが面白い。ラオスから来たという日本人夫妻もいた。ワーウィなど、烏龍茶を作る産地の人もいたが、いつか行ってその歴史を聞いてみたい。

帰りはソンテウにトライしてみる。車やバイクはGrabなどで呼べるのだが、市内を走るソンテウを乗りこなせた方がチェンマイでの活動は更に広がるだろうと考えた。ワンニーマンから道を渡り、旧市街方面のソンテウを待つ。何だかとても暑い。やっぱりGrabの方が待ち時間も分かってよいかなと思ったところで、ソンテウが来たので『ターペー』というと『50バーツ』と言われる。まさかの料金交渉?結局40バーツで承諾して、あっという間にターペー門まで運ばれた。

チェンマイ滞在記2023 その2(1)ミアンの旅

《チェンマイ滞在記2023(2)》  2023年1月25₋31日

1月25日(水)ミアンの旅

先週Nさんから紹介してもらったケンサンとついにミアン旅に出た。ここまで僅か1週間、チェンマイって、願えば叶う街なのだろうか。ケンサンの知り合いのドライバー(何とカフェのバリスタらしい)の車に乗って、向かうはチェンライ方面。60㎞、約1時間走って、突如脇道へ入った。そこがクンラオ村の入り口だった。

クンラオ村はのどかなところだった。村人に聞くと、ミアンづくりをしている家は今や一軒しかないというので、そこへ向かう。家主のポーンさんは忙しい中、相手をしてくれた。家の奥の高床式の下には、かなり大きな壺があり、その中にはミアンが詰まっていた。村人から茶葉を集めて、ここで作るのだという。ミアンシーズンは年4回。商品はチェンマイ商人(タイ人)が購入していくらしい。

折角なので近くの茶畑も見せてもらう。茶葉は上の芽は緑茶用(生葉売り)、真ん中ミアン用、一番下はタイ茶用(タイ茶会社へ)になると説明を受けて妙に納得する。尚ミアン製造技術がいつこの村に入ってきたのかは不明だが、茶樹は200‐300年前からあるようなので、その頃かと推測する。

続いてケンサンが『バーミアンへ行きましょう』という。ミアンという名が付いているぐらいだから、期待が高まる。クンラオから山道を車で40分、標高1000mの村へ行く。道路沿いでコーヒーを売っているカフェ?に入り、ほうじ茶(原液)を注文したところ、そこにミルクや砂糖を入れて飲む用の物で、真っ黒な液体が出てきてビックリ。さすがにミルクを入れてもらって飲む。ここにはバイクのツーリングをするタイ人が何人も来ており、最近のタイ人の観光動向などが分かってくる。

カフェのオーナー夫妻に話を聞くと『この辺でも昔は沢山ミアンを作っていたが今は殆どコーヒーに替わってしまった。古い茶の木は少し山に入れば沢山あると思うけど、誰も管理していないからどうなっているか』という残念なお知らせだった。今茶葉を摘む人がいても、生葉を仲介人に売るだけらしい。

ただそこから北へ10㎞ほど行った村には今もミアン造りが残っているという。そこまで行くと確かに民家に漬物樽が置かれている。だが中身は空っぽ。今は造る時期ではないというが、恐らく生産量は少ないのだろう。この村は昔バーミアンだったが、30年前国王が来て、コーヒー栽培が奨励され、名も変更されたという。

そこから山道をずっと走り、ようやく平地の道路へ出たと思ったら、もう一度別の山に入っていく。そのあたりにはきれいな別荘やホテルなどが見えてくる。更に登っていくと道の両側に土産物屋やカフェなどが並び、完全な観光地になっている。こんな山の中に、こんな場所があるとは驚きだ。ここがメーカンポーンだった。

車は更に登り、滝があるところで停まった。ケンサンが『この滝のところに古い茶の木がある』というので行ってみると、確かに細長い茶樹があり、幹に布が巻かれている。これは保護すべき樹木のマークだという。そこから川沿いに降りていくと、茶樹の看板が出ている。ここの木は古く、保護されるべき貴重な物なのだろう。その下にもまだまだ茶樹が生えている。この付近は以前ミアン造りが盛んだったが、最近は完全に観光業に替わってしまったらしい。

今日は1日で3つの村へ行き、ミアンの現状を知ることが出来たのは大きな収穫だった。ただ残念ながらミアンの歴史については皆目分からない。さらに調査を続けるしかない。秋に再訪しよう。帰りの車からサンカンペーン温泉が見えた。今度暇な時に浸かってみよう。

チェンマイ滞在記2023(5)タイの茶の歴史に新説??

1月24日(火)本当のタイの茶の歴史とは?

昨日出した洗濯物を取りに行く。お寺を通ると、バンミー屋がぽつんと営業している。何となく吸い寄せられる。おばさんはとてもいい人。バンミー20bは安すぎではないだろうか。お寺が無料で場所を貸しているからかもしれないが、何とも郷愁をそそる麺屋で味わいのある麺を啜る。

Tea Galleryで紹介されたP博士に会いに行く。何と彼のオフィスまで徒歩10分。なぜか富士山や鳥居?がある。建物の中には何と、日本の陶器、人形、着物などのコレクションが多数所蔵されている。博士は森林関連が専門で、京大との交流も多いという。また娘は阪大博士課程に在籍しているとかで、日本にも時々行っているらしい。

タイでは森林局、植物園、チェンマイ大学などに勤め、博士号はウエールズ大学で森林と茶に関する論文で取得している。ピサノローク出身で両親は潮州系だというが、華語は話さない。父はいつも茶を飲んでいたよ、と笑う。退職年齢を過ぎた今は、山岳民族系の健康食品、ドリンクを開発。LINEなどでタイ全土に販売しているという。

博士が講義を開始した。茶の起源はヒマラヤ山脈地域(中国とかインドとかではない)。現在タイ付近に住む山岳民族は基本的に茶を飲まないし、食べない。ヤオ、モン、アカなど中国系マイノリティが茶と関係がある。現タイ人は昔中国から南下する際、山岳生活で茶を飲んだ可能性あり。

13世紀クビライ時代のモンゴル。雲南ビルマ征服時に、軍人が山岳地帯の発酵茶を見つけて、持ち帰ったというのだが?山岳民族はそれまで発酵茶を酒造りの原料としていた??また医薬品としても使ってはいたが、茶として飲んでいない(これは今もずっと)。ミアンはビルマ人にニーズがあり メーソット経由でヤンゴンまで運ばれた。などなど、これまで聞いたことのない話が沢山飛び出し、かなり混乱する。これから1つずつ検証してみたい。

お茶を飲みながら、またお昼までご馳走になりながら、博士の講義は続いた。それから彼の車で外へ出た。チャンプアック門の外には、500‐600年前、ゾウが荷物を下ろし、人が城内へ運ぶ場所があり、今もゾウがシンボルになっていると説明してくれる。更に郊外のノンホー地区、現在はコンベンションセンターの広大な敷地となっている場所。ノンは池、ホーはホース??だといい、馬が水を飲むところであり、ここで大集団は荷下ろししたとの説明はどうだろうか。ノンホーは現在では中国漢人や雲南回族を指すとも聞く。

博士は国立博物館まで送ってくれて別れた。今日の話を踏まえてもう一度ここを見学しようとしたが、何と定休日。本当にこの博物館は鬼門だ。仕方なく車を呼んで宿へ帰る。夕方Mさんがチェンマイに来たと連絡がある。夜待ち合せて近所の食堂に入る。チェンマイ一カレーが美味しい店だそうだ。カレーがなぜチェンマイにやってきたのか、その謎は解けないが、料理は美味しい。

その後付近を散策すると、中国スーパーなどが目に入る。これはコロナ前の中国人観光客向けの店だったのか、それともこれから来る人を当て込んで新たに作られた店なのか。更には最近流行りの合法大麻の店はターペー門付近に沢山あることを知る。一人で歩いていても気が付かないのだが、Mさんといると、色々と勉強になる。最後にセブンに行ってペットボトルの和紅茶を買う。Oishiが発売したものだが、残念ながらそれほど美味しいとも思われない。どこの和紅茶を使っているのだろうか。

チェンマイ滞在記2023(4)中国人は押し寄せていないが

宿へ帰り、NHKプラスで都道府県男子駅伝を見る。3年ぶりの開催。コロナで出走取り消しが多いのは残念。長野が順当に勝利。上野雄一郎はやっぱりすごい。午後は相撲を見る。貴景勝が勝つ。相撲界も変わって欲しいなあ。何だか日本にいるのと変わらない週末となる。ホテルから旧正月プレゼントでミカンがベッドに置かれている。中国人観光客の姿はあまり見られないチェンマイだが、日本の一部報道では『押し寄せている』らしい。

遅い昼ご飯を探しに外へ出た。さすがに昼間は暑い。先日行った牛肉麺屋は驚くほどの大行列が出来ている。ふと見ると隣の寺の境内がフードコートになっている。お寺も日曜日は商売しているのだろうか。カノムチーン(カレー麺)30bはとても安い。フィッシュカレーソースと素麺が絶妙だ。ただカノムチーンの意味はよく分からない。

夕方再度外へ出ると、道の様子が一変していた。完全な歩行者天国になっており、屋台が沢山並んでいて驚く。これがサンデーマーケットか!急いでさっきのお寺に入り、狙っていたカオカームーを食べる。60b。観光地料金ではなくてよい。豚足は驚くほど柔らかい。それにしても白人観光客を中心に、人出がすごくて早々に退散する。夜遅くまで何となく騒がしい。

1月23日(月)チェンマイを歩き回る

朝洗濯物を出しに行く。色々と探した結果、実は一番近くの洗濯屋が一番安かった。1㎏40b(翌朝渡し)、しかもちゃんと計ってくれ、2.5㎏100b。朝ご飯はタイの伝統的朝食?カイガタ(目玉焼き2つ、サラミ、ソーセージなど)とカオジー(こっぺパンにハム)2つ、タイ珈琲のセットが95b。目玉焼きの丸いアルミ鍋がいい。イサーン風朝食。中国人家族がやってきて、咳をゴホゴホ。

そこから先日のパン屋へ行くも、何と臨時休業。全くご縁がない。仕方なくお堀を回り前回のパン屋へ。途中から広東人女性集団と一緒になる。少しずつ中国人観光客の影が大きくなっている。今日はパンの値段が付いていたので、初めて値段が分かる。ここのクロワッサンは美味いと主人に告げる。バンコクよりかなり安い。

夕方は西へ向かう。サンデーマーケットは跡形もなくなっていた。ワットスリカードの木が大きい。ワットプラシンに突き当たる。何となく懐かしい。サンドックゲートから城外へ出て行く。西日がかなり眩しい。ワットサンドックという寺もかなり古い。

紹介されていたヨーンという店に辿り着いたが、既に今日の営業は終わっていた。Googleでは午後4時からとなっており、唖然。周囲を見渡すと2号店らしき店があり、お客がどんどん入っていく人気店なので、そこへ突入。この店は白がゆを頼み、後は好きなおかずを注文するスタイル。魚塩卵のイカ炒めには独特のうまみがあり、オムレツと白粥も合う。華人系の店で、お客も華人が多い。腹一杯となり満足する。

ふらふら散歩しながらニーマン方面へ向かう。途中フードコートが見えたので立ち寄ったが、人は少ない。そこからニーマンの裏側を歩いてみる。結構発展している様子が窺える。ニーマンの交差点は相変わらず信号長すぎだろう。フードコートは人が多い。日本で報道されている、タイに中国人観光客が押し寄せているということはないと確認。中国人もちらほらおり、あの甲高い中国語は聞こえてくるが、団体はいないわけだ。MAYAの地下、リンピンでクッキー買い、Boltバイク50bで帰る。

チェンマイ滞在記2023(3)旧正月がやってきた

宿まで送ってもらい休息。窓からプールが見え、誰も入っていなかったので、行ってみる。何とかなりの暑さの気候ながら、プールの水が冷たすぎて入れない。やはり午前中が涼しいからだろうか。仕方なく寝転んで過ごす。後から来た白人のにいちゃんは全く気にせず、プールで泳いでいた。皮膚が違うのだろうか。

夕飯を探しに行く。観光地のど真ん中なので、白人向けのおしゃれなレストランが多い中、如何にも屋台あがりといった店がある。焼肉飯(クリスピーポークライス)が50バーツで美味い。この近所には安い店がいくつもあり、安堵する。ナイトマーケットもあり、いい雰囲気で白人がご飯を食べながら音楽を聴いている。市場もあり、ポメロを買う。だがコンビニはあるがスーパーが近所にはなく、私が好きなお菓子を買える場所が無い?

1月21日(土)突然先が見えてくる

朝ジョークを食べに有名店へ向かった。週末だからか、朝からお客で混んでいる。テイクアウトの人が道にはみ出している。シラスのかかったジョークと焼売、実に美味い。105b。潮州粥を思い出す。すぐ近くにはチェンマイという街が出来た時に作られたというお寺がある。街と寺がごく身近、というコンパクトシティがチェンマイの特徴だろうか。とても良い街だ。

それから城壁の反対側まで歩いて、検索して見付けたバーンベーカリーにパン買いに行ったら、9時頃なのにまさかのほぼ売り切れ。次回は13時に焼き上がるとか。店の外では大勢が朝ご飯を食べていた。城内に戻ると市場がある。朝から活気あり、漬物など発酵食品もかなり売られている。これは北タイの食文化だろうか。その裏のお寺は実に静かでこれまたよい。

午後2時半、紹介されていた日本人Nさんとガイドのケンサンが来る。Nさんは事前に私のニーズをかなり掴んでくれて、ガイドが必要だろうとお知り合いを連れてきてくれた。更にクラシックな車で川向こうのおしゃれなカフェも案内してくれた。Vieng Joom On(ピンクの街)、世界中から茶葉を集めて自分でブレンドしているという。かなりおしゃれな女子が好きそうな造り、バンコクあたりのタイ人観光客が来る店だろうか。渋めが好きな白人はあまりこないか??ハイティーがあり、西尾抹茶、宇治ほうじ茶などがメニューに並ぶ。

ケンサンはチェンマイの人で、ミアンの村へも行ったことがある。おじいさん、おばあさんの時代、葬式の時にミエンが備えられているのを見た記憶もある(葬儀の間、暇なときに弔問客が噛んでいた)。バーミアンという村があるが、ミアンを作っているのは2‐3軒のみで、後はコーヒーに転換したとか。Ban Khun Lao(チェンライとの県境) ワービー(メースイ?)、ボーグルワ(ナーン)、バンザッカ(ナーン)など地名が次々に出て来るが、私には土地勘がない。ただワクワクするだけだ。

夕飯を食べに、ホテルの裏のイサーン料理へ行ったが、何と半年間の休業中。これもコロナの影響だろうか。ケンサンの知る、オタル運河(メーカー運河)近くの臓物料理の店へ。とてもうまくて安い。豚の内臓の唐揚げなどビールが進むメニューだ。こういう店は地元民しか知らないだろう。何とも有難い夕食だった。

1月22日(日)旧正月

朝のターペー門。旧正月のパレードをすべく、鼓笛隊が並んでいたが、まるでデモ隊集結の雰囲気。私はいつも通りパン屋へ行ったが、日曜日は休みだった。仕方なくワーロット市場付近を散策すると、旧正月イベント準備中で大忙し。ライオンダンスが通り過ぎるなど中国世界が広がっている。チャイナドレス姿の女性も目立つ。

朝ご飯はターペー通りのカフェでクラブサンドイッチを食べる。ストーリーズというと我が宿の隣の姉妹店か。ドリンク付き170bで、結構量は多くて満足。おしゃれなカフェで、2階はノマドスペースにもなっている。チェンマイはノマドワーカーの天国ともいうが、私にはできない。外を見ると、旧正月デモ隊が行進してきた。先頭はモデルさん?

チェンマイ滞在記2023(2)清真寺とベトナム料理

またバイクを呼んで宿に戻る。今度はメーサローンビラの娘、JuJuが車で来てくれた。彼女には昨年お母さんから借りた本を返したくて連絡した。女子大生だった彼女とメーサローンであったのはもう11年前。当たり前だが、随分と大人になり、今や2人の子供の母親だという。

車で城内の麺屋に連れて行ってもらい、麺を食べる。不思議な色で汁も甘い麺、イエンターフォー(インスタ映えするのか、日本人も注目の麺)を注文する。コーヒーを飲みながら食べるというのが如何にもタイだと感じる。彼女は少し不動産関連の仕事をしていたらしい。チェンマイには大量の中国人が不動産を買いに来ており、定住者が増加しているが、その目的は子供をインターに入れるためだとか。勿論不動産価格は中国の半分以下だから、結構な需要があるらしい。

その後行きたいところに送ると言われたので、リンピンスーパーまで送ってもらって別れた。ただここは高級スーパーで買いたいものはなし。それから歩いて橋を渡ると、雲南回族エリアに出た。王和清真寺というモスクがその中心。近所でムスリムカオソイを食べる。麺が独特で、味もチェンマイカオソイとはちょっと違うように思う。

その向かいで餅を焼いていたおじさんがいた。雲南回族だが、台湾に出稼ぎ経験があり、華語を普通に話す。なぜかミャンマーロイヤル(ティミックス)を売っているのが面白く、思わず購入。物流の回族、その歴史は今も続いているのか。モスクはかなり立派だが新しい。学校も併設されている。このモスクは元々1915年に鄭という人が中心となって建てたらしい。あの鄭和の子孫かな。

ターペー通りまで出た。ラミンカフェを見てみようと立ち寄る。100年以上前のランナー様式のビル。中はきれいなカフェとなっており、庭まで続いている。手前ではセラミックが売られている。絵に描いたような女性向けカフェで、その歴史には大いに興味はあるが、私の居場所はない。

そのままランドリーを探して歩く。昔は1㎏30バーツ程度で洗濯してくれたのだが、今はどこを見ても50バーツになっている。コインランドリーもあるのだろうが、今のところ見付からず。疲れたので宿で休息する。東京の寒さから解放されたと喜んでいたが、やはり疲れが出たらしい。夕飯を食べる気力がない。さっき買ったパンをかじって休む。だが夜9時、急に腹が減り、隣にバーガーキングに駆け込み、安いバーガーを1個買って部屋で食べる。

1月20日(金)日本語の先生と

疲れが残ったのか、朝も起きられず、昨日歩いた回族市場で開かれている金曜朝市に行けなかった。とても残念だ。そうこうしている内に、紹介されていたチェンマイ大のPさんが会いに来てくれた。彼女はチェンマイ大学卒で、日本に留学して、修士、博士を取ったというからすごい。もちろん日本語は完璧。

博士論文は『佐渡島と観光』だったとか。何とどんよりした日本海が好き、魚とお酒が好きというまるで日本人のような女性だった。現在偶然サバティカルで時間が自由になると言い、近所のカフェでコーヒーを飲みながら話す。その後ホテルのロビーに場を移して話し続ける。

Pさんはチェンマイ生まれではなく、バンコクの福建華人(曾祖父と祖父が福建から)。父親は医者だという。華人ながら華語は全く出来ない。何と日本語を勉強してから漢字の意味が分かるようになったというから驚いた。北タイ料理は全般的に口に合うが甘いのは嫌い、 辛いのが好きらしい。

観光業中心のチェンマイはコロナ禍で大きな影響を受けた。ただ外国人は来なかったがタイ人国内旅行を政府が支援して、全体的な損害は思ったよりは少なかったという。ランチは地元民が行く広い店舗で、ベトナム料理を食べる。ライスペーパーが懐かしく、美味しく頂く。お客が多いのは何となく新鮮。

チェンマイ滞在記2023(1)チェンマイ滞在スタート

《チェンマイ滞在記2023》  2023年1月18₋1月24日

昨年はポストコロナ、バンコクベースで3か月動いた。その中でたった1泊、チェンマイにも滞在した。何だかここに逗留したい、という思いが募り、後輩Uさんのアレンジで、新年早々やってきた。初めてのチェンマイ1か月滞在、果たしてどうなるのだろうか。

1月18日(水)チェンマイへ

バンコクに到着して、2日ほどルーティーンのような日々を過ごし、いよいよチェンマイに向かう。午後のフライトだが少し早めに行こうと、Grabで車を呼んだところ、何と到着まで30分もかかる。バンコクの渋滞も本格化し、同時にGrabでは車が捕まらない現実に出会う。更には車代、高速代で600バーツもかかると、いくら30分で着いたとはいえ、これもご時世と感じる。

ドムアン空港も以前より混んできているが、私の乗るタイライオンエアーのカウンターはいつも空いているので有難い。今日は荷物を預ける必要があったが、重量は全く問題がない。搭乗には早過ぎるので、ランチを食べる。これも前回同様の食堂へ行き、焼きそばにした。意外と旨い。荷物検査もそれほど混んでいない。ただフライトはかなり混んでいた。さすがチェンマイ行だ。

チェンマイ空港に降りたのは10年ぶりだろうか。まずは実験として、空港から宿までの交通手段を確認する。空港タクシー150b、Grab200b、Bolt78bで完全にBoltに軍配が上がる。しかも自家用車ながら、空港に普通に迎えに来てくれたので、全く普通のタクシーと同じ。次に車を待っている間に、1月から解禁となった中国人観光客を探すも、全く発見できず。ただ旧正月の飾りだけが空港にあった。個人客が解禁になっても団体は来ないので目立たないのだろうか。

ターペー門の真裏の宿まではすぐに着いた。古い建物だが場所は便利で、意外と快適。さすがUサン推薦の宿だけのことはある。長期滞在しても、水、お茶、コーヒーも毎日支給され、電気代、水道代などは宿の料金に含まれていて不要。バンコクの定宿より安い。プールが見える部屋に入ると、ゾウさん(タオル)がお出迎え。NHKは映るが、テレビは見ない。

チェンマイの夕方はバンコクより涼しくて気持ちよい。ちょっと疲れたので、夕飯まで休み、前回も食べた牛肉麺屋へ行く。昨年と比べればかなり観光客が増えており、店はほぼ満員状態だった。夕食後、セブンへ。チェンマイの旧市街地にはコンビニはあるがスーパーが無いのが難点。ドリンクを買って部屋に戻る。

1月19日(木)懐かしい人々

朝ご飯を買いに、ネットで検索したパン屋へ向かう。朝はかなり涼しく上着を着て出て行く。散歩が何とも気持ちよい。店はカフェも併設しており、白人がパンを食べながらコーヒーを飲んでいる。中に入るとクロワッサンなどが並んでいたが、値段が付いておらずよく分からない。適当に選んでテイクアウエーする。バンコクより安く、クロワッサンが旨い。

帰りにターペー通りを歩いていたら、薬局で薬草茶を売っている。1杯5バーツ。戦前からある華人薬局だとなぜか日本語でも書かれている。そこに如何にも様子の良い華人老人が茶を飲んでいるのが絵になっていると思い話し掛けたら、何と日本人のおじさんだったので驚く。毎年冬だけチェンマイに来て13年(コロナ禍は除く)になるとか。

宿に戻り、もう一度外出する。Tea galleryを再訪する予定だが、何とBoltなどのアプリでは車が捕まらない。仕方なくバイクを呼んでみる。バイクはスイスイ走るし、料金も安いのだが、結構寒い(1月のチェンマイの最低気温は15度前後)し、何と言っても飛ばすのでかなり怖い。

馬さんとJ博士に3年ぶりに会う。ミアンの歴史について色々と教わる。こちらからは日本の四国にある黒茶について紹介した。こういう交流は意外と重要に感じられた。日本とミアンの繋がり、実に興味深い。ミアン産地は、チェンマイ郊外にいくつかあり、ランパーンの山間部にもあるらしいが、今は生産の季節ではないという。どうやったら、ミアンの村へ行けるだろうか。何だかどうしても行きたくなる。

バンコク滞在記2022その7(6)日本の観光業を憂う

11月7日(月)東京へ帰ると

ついに3か月に及ぶバンコク生活に別れを告げる日が来た。フライトは夜行便なので十分に時間はあるはずだったが、色々と溜まったものを整理するなどしていると、時はどんどん過ぎていく。朝はコムヤーン、昼は麺といつものラインナップを刻んだが、最後の夕飯は内臓麺を食べる気満々で出掛けた。だが悲しいかな、月曜日が定休日であることを知らず、意気消沈。結果部屋で残り物を食べて過ごす。

少し早めに宿をチェックアウトして、空港に向かう車を探す。昔は宿の人に頼んでいた車探しだが、今やそんな宿泊客は余程のご年配だけだろうか。皆スマホをいじってことを成している。私はGrabを頼りにしていたが、時間帯のせいか意外と高い。仕方なくもう一つのBoltを試してみると何と150バーツ以上安い。タイにも競争が起こり始めているのだろうか。

車はタクシーだったが、特に渋滞もなく、スムーズに空港に到着した。3か月前と比べて空港は人が多く、活気が戻っていた。東京行きのフライト、チェックインには長い列が出来ている。免税店なども以前は手持無沙汰だった店員が客の対応に追われている。何とも好ましい光景だ。

当初はそれほど混んでいないだろうと言われていたが、蓋を開けてみると、何と搭乗率は90%に近く、ほぼ満席。更にそのほとんどがタイ人観光客で驚いた。夜行便なので寝るだけだったが、意外や眠れない。仕方なく映画を見てみると、これが予想外に良い映画だった。ただ気付くのが遅く、最後まで見られなかったのは残念。三浦透子という女優が素晴らしい。

朝飯を機内で食べると、ほぼ定刻の7時に羽田に着いた。私の長い旅は終わったかに思われた。飛行機から出ると、突然前の方が大勢のスタッフが駆け寄ってきて、口々に『スマホ、アプリ』を叫んでいる。その一人に捕まり、慌ててスマホのVisit Japanアプリを開けて見せる。羽田ってこんなにネット環境よかったっけ、と思うほど簡単に開き、すぐに青いカードを渡された。それを持って入国審査近くに行くともう一度チェックがあり、そこをスルっと通ると、後は自動入国するだけだった。これは何のためにやっているのだろうか。そもそも1年以上前に打ったワクチンの証明が本当に役に立つのだろうか。単なる抑止力?なのか。

次に荷物を取り、税関申告ゲートに向かうと、係員が『Visit Japanアプリで税関申告したのか』と聞くので頷くと、『もう一度そちらの機械を通してから、自動ゲートへいけ』と言われ、唖然とする。それならゲートに並んだ方が速くない??実際この時は申告書を手書きして、ゲートに並んでパスポート出している人の方が多かった。

更に新宿までのバス切符を買おうとしたら、まだ7時20分ぐらいなのに、8時半過ぎまでバスはないという。てっきり日本もインバウンドが戻り、バスが満員で乗れないのだと思い、慌てて京急で帰る。この時間帯は通勤時間なので大きな荷物を持って乗るのは嫌だったが、思ったほどのラッシュもない。東京も変化しているのだろうか。家に帰ってから調べてみると、バスは何と始発が8時35分だった。理由は不明だが運転手不足ではないかとも言われている。

日本の観光業、ポストコロナに対応できるのだろうか。観光客が戻っても人手不足で対応できない日本、それが現実かもしれない。それに比べていち早く舵を切り、勢いを見せつけられたタイ。今や日本の対抗馬は中国ではなく、東南アジアではないかと思えてしまう、そんな今回の旅だった。

バンコク滞在記2022その7(5)サパンタクシンで食べ尽くす

それから散歩に出る。川沿いに寺があった。龍船寺という如何にも中国的な名前が付いていた。元々1648年建立とあるが、ラーマ3世時代に中国との貿易が盛んになり、船のモニュメントが作られ、寺の名前も変わったと書かれている。敷地は広く、川べりまである。そして船のモニュメントもある。

何だか船に乗りたくなってピアーに行くと、ICONSIAM行のボートがちょうど出る所だった。無料ということもあり、パッと飛び乗ってしまう。意外と大きなボートに観光客がどっと乗り込んでくる。このボートは対岸のモールへ向かうらしい。気持ちのよい川風に煽られながら、川面を眺めているとすぐに着いてしまった。

そこは立派なモールで、高島屋も入っていた。1階のフードコートでは沢山の観光客がタイ料理を頬張っている。思わず食べたくなったが、私はもう食べるものが決まっているので我慢する。何とスシローまで登場した。裏へ行くとMRTと繋がっており、ボートでなくても簡単に来られることが分かる。私は宿に戻るためボートにまた乗り込む。オリエンタルやシャングリラなどの有名ホテルが並んでいる。

ようやく部屋にチェックイン。何となく前回より狭い印象がある。夕方までゆっくりと休む。部屋の窓から見える夕日はチャオプラヤ河に映えて美しい。そうするとまた腹が減る。外へ出て何を食べようかと見ていると『鴨肉』の文字が目に入る。だがその屋台は既に閉まっていた。そこで私は隣の屋台へ行き『ダック』と怒鳴る。するとそこにいたおじさんが『ダックならあっちの店が旨いぞ』と言って連れて行ってくれた。

その店、新記はかなり混んでいたが、何とか席を見付けて座り込む。鴨肉焼肉飯を注文すると、これが実にうまい。さすが地元の人が教えてくれただけのことはある。そして常に客がいる理由もわかる。柔らかい肉とジューシーな汁、これはなかなか食べられない。いい物を教えてもらった。

そこから散歩でもと思って歩き出したが、またすぐ引っかかった。屋台の麺屋が旨そうなので、立ち止まり、結局ここでも食べてしまう。潮州系の麺に具沢山、何とも有難い。スープもあっさりの割には美味しい。ちょっと歩くだけでいくらでも食べたい物が見付けられるこの場所、これまでなぜ来なかったのだろうか。

夜8時過ぎに部屋に戻ってくると、突然大きな音が聞こえてきて驚く。何と河の上に花火が華麗に上がっていた。それも何発も何発も上がっていく。今日な何の日なのだろうかと訝るも、分からない。少なくとも観光客が戻ってきたことを知らせ、祝うものであるようには思う。先月はサッカープレミアリーグを遅くまで見たが、今夜は早寝した。

11月6日(日)サパンタクシンで食べ尽くす2

朝6時前にきっちりと目覚め、すぐに外へ出た。今回はホテルの朝食を頼まず、朝から食べまくる予定だった。まずは宿の横に向かう。午前しかやっていない『魚の胃袋スープ』を食す。6時過ぎでも既にお客がいる。席数が殆どないのだが、何とか座る。さすがに少し涼しい早朝にこれを食べると温まる。私が食べ終わる頃にはお客が何人も来て、テイクアウトしていた。

帰らずにそのまま次に行く。前回夜8時過ぎに食べたジョークを今回は朝食べる。店に客の姿は殆どなく、中国人グループの声だけが響く。だが空いたテーブルにはジョークの入った袋が山積み状態で、近所のおじさんとデリバリーのおにいさんがひしめき合う。食べている間も電話が鳴りやまない。この昭和感、悪くない。地元に愛さている証拠である。

それから満腹で思わず寝そうになる所を耐えて、オンライン講座に一生懸命に取り組んだ。それが終わると荷物を纏めてチェックアウト。だが帰る前にどうしても食べたい物があった。昨日の夕飯に食べた鴨肉、その時隣のおばさんが食べていた麺。鴨肉叉焼ワンタン麺。店に行くと当然満席だったが、奇跡的一席空いて滑り込む。この麺は期待に違わぬクオリティーで大満足。

それでも定宿に戻り、休んでいるとまだ麵が食べたくなり、付近で一番安いバンミー屋へ向かってしまう。僅か30バーツだが、クオリティー的にはかなり高い。今時バンコクで30バーツの麺が食べられるところなどほぼないだろう。何とも有難い場所だ。

バンコク滞在記2022その7(4)川を渡った名建築で昼食を

11月4日(金)名建築で昼食を

本日はUさんのお誘いで、プラアチットという場所へ向かった。初めて行く所、バスを一度乗り換えて何とか近所まで来ると、見覚えのある国立博物館、美術館などが見えてくる。目をクルクルさせている内に、降りる場所を間違えてしまい、バスは随分と先に進んでしまった。

バスを降りると、白人が大勢横道を入っていくのが見えたので、何があるのだろうかとついて行く。するとその道は予想もしていなかったほどおしゃれなレストランやホテルがいくつもあるではないか。そしてそこでは白人集団が優雅に朝食など食べてゆったり過ごしている。ここはどこなのだろう?カオサンのような貧乏旅行者街ではなく、オリエンタルに泊まるほど裕福ではない層がここに集まっているように見えた。韓国人は見かけたが、日本人は全くいない。次回はじっくり観察しに来よう。

それからチャオプラヤ河沿いをフラフラと歩く。公園になっているところもあり、何とも雰囲気が良い。この辺が白人観光客にウケるところだろう。プラスメンフォートというラーマ一世時代の白い砦跡が目立っている。天気が良いので川面も映える。河を行きかうボートに観光客が吸い込まれていく。

Uさんとプラアチットのボート乗り場で落ち合う。我々はどのボートに乗るのだろうかとみているとUさんはどこかに電話を掛けている。何と本日行くレストランは、対岸にあり、専用ボートを電話で呼んで渡してもらうというのだ。これはもう高級感あふれる演出だ。路線ボートの間を縫うように、そのボートはゆるゆると近づいてきて、我々を乗せるとスルっと対岸へ。

対岸には立派な建物と庭が見える。近くまで来るとそこがホテルであることが分かる。5分で到着。そこは確かに100年前の誰かの別荘だった。確認すると建造は1923年。建物の中に案内されると、何ともクラシックな空間が広がっており、そしてお客はいない夢のような場所だった。これぞ名建築で昼食を、に相応しい。

メニューは、王朝時代別になっているのが面白い。全く分からないのでUさんにオーダーをお願いしたが、これまで見たことがないようなメニューもあるという。カレーやシチュー系のような欧風な物も出て来る。どれも上品な味で、これまで食べてきたタイ料理とは一味違う。お客がいないというのは、単に料金が高いということではなく、敷居が高い、ということだろうか。

係の話を聞くと、ここはホテルで、普通の予約サイトで予約できるという。対岸からボートで来る以外は推奨していないともいう(建物の裏にも道はあるらしいが)。出来れば一度は泊まってみたい。ここに来たら、まさに何もせずボーっとしているのがよさそうだ。

11月5日(土)サパンタクシンで食べ尽くす

いよいよ日本へ帰る日が近づいた。その前にやらなければならいオンライン講座。今回も前回と同じ宿を予約して臨む。料金は数百バーツ高くなっていたが、朝食を付けずに調整した。前回同様昼頃到着したら、チェックインは午後2時に、と言われる。これも観光客が増えた証拠かもしれない。

早々荷物を預けて外へ飛び出す。通りの人々の活気も更に高まっている。前回行けなかったカオカームーを食べに出向く。紹介された店は路地にあり、コロナ禍ではデリバリー専門で営業していたらしい。今日もお客の姿はあまりないが、デリバリーの人がひっきりなしに来て忙しそうだ。

メニューはタイ語しかないが、美味そうな豚足を指せばすべてが済む。柔らかくて、味付けも濃厚で良い。よく分からない甘いドリンクを飲みながら、頬張るのが良い。近所に数軒、カオカームーを出す店があるが、ここはきれいでよい。最近時間が掛かる割に儲からない、と作らなくなっている店が多いと聞くので、頑張って欲しい。