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チェンマイ滞在記2023 その3(7)ドイプーメン 転作された茶畑

更に行くと、50年前転作された時に植えられたと思われる茶畑に茶樹がきれいに並んでいる。元気に伸びる茶葉、何とも歴史を感じさせる。標高1300mにあるこの茶畑、環境が守られていて、何とも素晴らしい。その近くにはヨックの家があり、付近には茶を飲める空間も作られているが、この3年使われておらず、これから再整備していく予定らしい。

一緒に来た店員は、実はミャンマーのカレン族だという。彼女は一生懸命に茶葉を摘み、かごに入れていた。そのかごを借りて、記念写真を撮る。まるで自分で摘んだかのような笑顔だ。今日は村を視察しただけで、お茶を飲むこともなく、食事をとることもなかった。フランス人の団体はこれからあの焼き鳥を食べるのだろうか。ウドムが流暢なフランス語で冗談を言っている。ここはどこだろうか、と思ってしまう。

山から下りてきて、宿でランチを食べた。同じものでは、との配慮で、外の食堂から調達したご飯が出てきた。これがまた美味い。それから部屋で少し休み、夕方散歩に出た。この街には数百年前の城壁が一部、いやかなり残っている。更に外へ出ると、清真寺があった。ここは雲南回族の拠点であろう。回族の活動はどのようなものであったのだろうか、是非とも知りたい。

夕飯もまた美味しく食べてしまったが、もう完全に食べ過ぎだった。宿で働く若者も一緒に食べたが、彼はお茶に関心があり、チェンマイからここにやって来たらしい。ちょうど可愛らしいカノジョも来ていた。昨日借りた本も、今晩は完全に枕となり、全く開くことなく、シャワーを浴びると寝入ってしまった。夜はチェンマイより涼しいファーンだ。

2月9日(木)チェンマイに戻る

朝は気持ちよい。今日はパンと卵の洋風朝食を食べて、散歩に出た。いつもは気にならない花などがなぜかきれいに見える。托鉢のお坊さんに祈りを捧げる光景が良く見られる。いつの間にか時間が経ってしまい、車を待たせてしまったのは、申し訳ない。今日はウドムと二人でチェンマイに戻る。

ウドムは車の中で色々な話をしてくれた。コロナ禍でお客が全く来なかったこと、ガイドなどスタッフが故郷に帰ってしまい、今も戻ってこないこと。インバウンドとアウトバウンドは旅行会社でもオペレーションが全く違うこと、などなど。なるほどと思うことが多く、勉強になる。さすが旅行業20年のベテランだ。途中立ち寄ったトイレがテーマパークのようで驚く。

3時間かけてチェンマイまで戻る。昼は最近見付けた牛肉麺の店に入ってみる。英語も通じるし、メニューも英語。でも量は多くない。麺を茹でているおじさんに華語で話し掛けたが、英語で返されてしまった。華人は多いが、華語は通じにくい、という不思議な空間がチェンマイにはある。

宿に戻ると、掃除のおばさんたちが『あんた、どこ行っていたの?心配したわよ』という目でこちらを見ている。確かに何も言わずに2晩部屋を空ければ、失踪したかと心配されただろうか。それでもそんな風に思ってもらえるのは何となく嬉しい。これも長期滞在者の特権かもしれない。

夜は何となく、20年前に入ったターペー門前のマックへ行く。だがメニューを見ても、いつもバンコクで注文するValue Mealがない。ほぼ同じ内容のセットは99バーツではなく、165バーツもする。とうとうマックも値上げか、もう行けないなと思う。因みに宿の横のバーガーキングでも、ポテトとコーラのセットが90バーツと言われて、思わず注文せずに引き上げる。ポテト、高くなっているのだろうか。何とも寂しい話だ。

チェンマイ滞在記2023 その3(6)ファーン、そして山奥の村へ

ファーンは小さな街で、歩いて回れる範囲にある。川を渡ると、3つの比較的大きな寺院が見える。寺はいずれも立派で、広々としている。標高は500mほどあり、チェンマイと同じような気候だが、人は殆ど歩いていない。そして教えられたプラチャオファーンへ行く。ここはビルマ軍に攻められた際、ファーン王夫妻が身を投げた井戸がある場所だった。だがその井戸が見付からず、裏の寺なども捜索した結果、ようやく発見した。何しろタイ語が読めないので、さっぱり分からない。いずれにしても、ここファーンは昔は重要な場所だったことは分かる。

それから教会を見た。この付近の山岳民族もキリスト教徒が多いと聞いている。街中にはリンガを信奉する廟なども見られる。また古めかしい木造の建物、商人の店舗もある。数百年前、ビルマ国境の交通の要所として、この地域はかなり栄えたように見える。役所の前の道を行くと、また大勢の人が沿道に出ている。先ほどのお坊さんが来るのを待つ人々が増えているが、残念ながらお坊さんの姿はない。

宿に帰って少し休み、夕飯となる。またまた美味しい料理が出てきて食べ過ぎる。何とも有難い。そしてヨックが『Tale of Tea』という本を貸してくれる。この本の著者はオランダ人で、本当に世界中の茶産地、茶の歴史を訪ね歩いており、そのすべてがこの本に詰まっている。日本についてもかなり詳しく書かれている。英語ということもあるが、興味のある所を10ページほど読むと急に眠気が襲ってきて、ぐっすり寝込む。

2月8日(水)ドイプーメン

翌朝は気持ちよく目覚める。やはりチェンマイと比べても空気が良い。すぐに市場へ出掛けるが、あまり店は出ていない。メイン通りに出ると、やはり漢字の表示が見えてくる。ここにも華人が進出しており、昔の立派な建物が残っている。相変わらず、えらいお坊さんが歩いて来るのを待つ人々が朝から沿道に並んでいる。

朝ご飯は宿でラフ族のお粥を注文。これはタイのジョークとほぼ同じかな。美味しかった。それから店の人にお茶を淹れてもらって飲む。数種類あり、かなり飲みごたえがあった。それから車に乗り込み、山に向かう。すると沿道が大混雑。ついにお坊さんの姿を車の窓から見ることが出来た。まさかこの暑さの中、老僧は元気に、一人ずつ頭を撫でていく。昔善光寺の朝事でされた、あれと同じだった。これには本当に恐れ入った。僧の後ろから沢山の付き人、そして寄付された水などを回収する車が続く。

途中からかなりの山道となる。舗装されておらず、前後に揺さぶられながら登っていく。何とか村に辿り着くと、入口付近は紅ラフと呼ばれる人々の集落。そこを通り過ぎて更に行くと、今回の目的地、黒ラフ集落があった。黒ラフはほぼキリスト教徒だという。村は素朴で、電気も通じていないようだ。

高床の家に入ると、ちょうど囲炉裏で鶏肉や芋などを焼いていた。今日来るフランス人の食事らしい。ヨーロッパ人はこんな生活を好むようで、ホームステイやキャンプに来る人が多いらしい。一方日本人や中国人はこのような原始的な生活には全く興味がない。エコだなんだと言っても、何となく絵空事に見えてしまう。

外ではコーヒー豆が干されていた。その近くには摘まれた茶葉が持ち込まれ、これから機械で細かくされるようだ。更に集落を歩くと古い茶樹が見られ、この付近の茶の歴史はかなり古いと感じられる。その横では摘まれた茶葉が干されている。その向こうにはなんと教会が見える。この風景はあまり見たことがなく、ここの集落を象徴しているようだ。

チェンマイ滞在記2023 その3(5)パン屋でトラブル

2月6日(月)パン屋にて

今朝はパンが食べたくて、いつものパン屋へ行った。ちょうど朝食を食べている客も少なかったので、初めてサンドイッチを注文して、店で食べてみることにした。先に持ち帰るパンを選び、これから食べるサンドイッチのオーダーを紙に記して店員に渡したのだが、サンドイッチはなかなか出てこない。店員が『合計380バーツです』と言ったので、そのまま払ったが、どんな大きなサンドが出て来るのかと思い、期待して待つ。

あまりに時間が掛かったので、コーヒーだけでも先に欲しいというと、オーナーが出てきてサンドもようやく出来たという。ところがそれはさほど大きくもなく、思わず『これはいくらなのか?』と聞くと140バーツと言われて驚く。それならテイクアウトと合わせても270バーツ程度のはずだが、とオーナーに告げると、店員が『あなたはテイクアウトのパンをたくさん買ったから』というではないか。

仕方なくバッグに今仕舞ったパンを出して、オーナーが計算するとやはり110バーツも余計に取られていたことが判明する。だが定員は謝るどころか、逆切れ状態で驚いてしまった。さすがにオーナーは謝っていたが、以前からここの店員は自分の店の商品の値段を把握していないと感じることがあり、今日はさすがにちょっと怒りが沸き、サンドを食べると足早に帰ってきた。パンはお気に入りなのだが、人を泥棒呼ばわり?する店に今後行くべきか、悩むところである。

そんなこともあり、今日は外出する気分ではなくなり、NHKを見た。何と大河ドラマ第一作『花の生涯』(1963年)の第一話がカラーで再現されているではないか。思わず見入ってしまった。井伊直弼は茶人でもあり、先日彦根に行ったことが思い出される。確か舟橋聖一の記念碑もあったように思う。しかしこの一話のみ、というのは何とも残念だ。

夕方腹が減ったので、近所の日本食の店へ行く。ここは先日ロングステイの会の会場だったのだが、話を聞くのに忙しく、ゆっくり食べた記憶がない(行ったのは10年ぶりぐらいか)。今日は一人でゆっくりと味わおうと思ったが、注文したカツカレーの量が多過ぎ(味は悪くなかった)で、食べ切るのに難儀した。これでみそ汁と漬物が付いて180バーツは何とも安い。日本人のご主人がやっていたお店、亡くなった後は、タイ人の奥さんがやっているという。

2月7日(火)ファーンへ

今日は先週末会ったヨックがファーンに帰るというので、その車に同乗させてもらう。ヨックが宿まで迎えに来てくれたが、この車は彼女のものではないと言い、その持ち主であるウドムがいる、民宿兼旅行会社へ行った。そこからウドムの運転で、約3時間150㎞近い道のりをファームまで走って行く。もしバスなどに乗ればもっとかかるだろう。

途中いい感じの山を見た。それから道端に大勢の人が並んでいるのが見えた。なんでもバンコクからエライお坊さんが歩いてくるというので、皆がそれを待っているというのだが、この炎天下、歩いてくる方もそれを待つ方もかなり大変なことだ。何とか3時間でファーンの街中にある、ヨックが経営するホテルに入った。

部屋は2階、シンプルだが清潔感がある。そして彼女の父親や一族、村の歴史などが展示されている。1階には村の茶を販売するコーナーもある。1階の食堂で遅い昼ご飯を食べる。ミアンを使ったサラダなどが出て来る。新鮮な野菜や肉は味が良く、ご飯が進む。村へ行くのは明日とのことで、今日は一人でファーンの街を歩いてみる。

チェンマイ滞在記2023 その3(4)チェンマイの落語会

ラミンティーから

宿で休んでいるとL博士から連絡が入る。彼女は今日、ラミンのお茶教室に参加しており、それが終了した後、紹介したい人がいるというので、私は早めにプラーオから戻ってきたのだ。だが、そのお茶教室はかなり盛り上がっているようで、予定時間を過ぎても終わらない。その後ラミンまで来るように言われたので行ってみると、2階に上がって来いという。

期せずして、ラミンの教室を見学する機会を得た。参加者は思い思いに、自分が飲みたいお茶をブレンドして作っている。そのバランスを学ぶのが狙いのようだ。その間にちょいちょいお菓子が出て来るから、なかなか終わらない。皆懸命に自分茶を作っている。花茶やフレーバーティが出来上がる。

その参加者の中に、ヨックがいた。L博士と3人で場所をおしゃれなカフェに移動して話を聞く。ヨックはラフ族で、ここから車で3時間ぐらい離れたファーンでホテルをやっているらしい。同時に生まれ故郷の村で茶作りにも励む。この村は彼女の父親がリーダーとなり、ケシから茶への転作をいち早く行った村らしい。しかも父親は国民党の軍人、そして前国王の命令に従って、それは行われたというから、大いに興味を持つ。

L博士がパスタを頼んでくれ、大いに話を聞いた。そしてどうしてもその村へ行ってみたくなる。すると来週村に戻るから、一緒に行かないかと誘われる。これはもう、行くしかないだろう。パスタがやけに美味しく感じられた。ヨックは中国語もできるらしいが、英語で話す。帰りに一人でワーロット市場付近を散策。観光客向け屋台が沢山出ていて眩しい。

2月5日(日)落語会に行く

さすがにサムリ村の往復で少し疲れてしまい、本日午前は安息日とする。昼も軽めの食事をと思い、先日気になった麺屋に行ってみる。華人経営だが、華語は使われていない。思いっ切り内臓系を入れてもらい、麺を食べると何だか元気が出てきたように思う。こんな店がチェンマイにはいくつもあるようだ。

午後Nさんが迎えに来てくれた。今日はチェンマイ日本人会主催の落語会に行く予定となっている。これもNさんが声を掛けてくれたお陰だが、それにしてもチェンマイで落語とは。更に落語家はフランス人だというから、どんなことになるのか興味津々だ。まずは会場のホテルまで行くが、駐車場が一杯で、外に停めに行く。

会場のホテルは老舗という感じ。会場には100人近い日本人と日本語を学ぶタイ人学生が来ていた。日本人の子供たちも沢山いたので少し驚く。ここは補習校しかないと聞いていたが、家族連れで滞在している人(ロングステーヤーだけでなく)が意外といることを知る。

そういえば、先日チェンマイのロングステイ事情を聴くために、ロングステイの会の皆さんの会合に参加させてもらった。最盛期に比べると半数以下になっているようだが、コロナ禍を通じても、まだ一定の会員数がいると聞き、チェンマイのステイが非常に有益だと学んだ。その中の何人かの方のお顔も本日見られた。

落語自体は日本在住20数年のフランス人が、普通に落語をしていた。彼は海外で英語やフランス語で落語する機会もあるようだが、海外で日本語落語をするのはチェンマイだけと言っていた。『じゅげむ』など、動作を大げさにする、子供にもわかりやすい演目が選ばれていた。一人で1時間半もやるのは結構大変だろうと思うが、無事に終了した。

Nさんが台湾料理を食べましょう、というので連れて行ってもらう。後で思い出したのだが、ここは3年前にOさんときたレストランだった。確かに台湾料理と書いてあるが、店員も料理もあまり台湾と関係がありそうにも思えない。まあ誰かが台湾に出稼ぎに行って料理をしていたのかもしれない。

ただここの料理は意外とうまく、値段も手ごろなので、日本人や欧米人で席は埋まっている。コロナ禍ではお客が減って大変だったようだが、それでも長期滞在者に愛されているから、持ち堪えたのだろう。揚げたピータンなど、他には見られないものもあるし、餃子や春巻きなどが普通に美味しい。

チェンマイ滞在記2023 その3(3)リス族の村で

踊りの輪が一段落したところで、村長さんに挨拶して、会場を離れた。そこから国民党の村と聞いている、クンチェーへ向かった。だが予想に反して、村の中に漢字の表記は見当たらない。付近の住民も中国的な顔をしていない。後から聞くと、華人はある場所に固まって住んでおり、会う機会がなかったらしい。また夕暮れには早い中、ビューポイントから日の傾きを眺める。

Kさんの家に向かう。かなり急な坂の途中にあり、車を停めるのが大変。広いお家で、今日は廊下?に雑魚寝だ。夜は庭でBBQ。炭火を興し、いい肉を焼く。その分厚さ、ちょっと食べたことのない歯ごたえに感激。チェンライの方の差し入れの雲南ソーセージ、Kさん特製の白菜漬けも実に美味しく、皆あっと言う間に平らげた。

それから楽しく話をしていると、リス族の若者(この家の息子を含む)が数人やってきた。何と我々とともにここに雑魚寝するらしい。実は今回の祭り、リス族の若者にとっては、彼女をゲットする重要な儀式であり、好きな子の手を握って踊れれば成功らしい。早々に彼らはバイクで夜道を会場に引きかえしていき、その後帰ってくることはなかった。成功したのだろうか?

Uさんはリス族音楽にも精通しており、三味線のような楽器を弾いている、するとリス族女性が立ちより、突然音に合わせて踊り出す。山岳民族を研究するというのはこういうことかと感心しきり。標高1000mを超えており、かなり寒いと言われてきたが、それほど寒くない夜を過ごし、ベッドでぐっすりと寝込む。

2月4日(土)リス族の村2

朝は早くから、鳥の鳴き声で目覚める。6時台には散歩に出る。この集落を一周してみたが、茶樹は見当たらない。ただ斜面が如何にも茶畑向きの場所に、今はマンゴーを植えている。坂をかなり上ると車道路に出た。そこからもう一つの道を探して、集落へ戻る。その道も急坂、とても登れないほど。村人たちもこれからまた祭りに行くぞ、家々でと準備している。

朝飯もKさんが作ってくれたジョーク。Kさんは何でも作れる料理上手。食べたらこの家ともお別れして、お祭り会場に顔を出す。会場にはあまり人の姿はないが、それでも小さな輪を作って踊りが続いている。会場脇に行くと、今日の昼ごはんの準備が着々と進められている。Aさんは、豚肉が茹でられている様子をじっと見て、動こうとしない。理由を尋ねると『これまではYouTubeの世界だったものが、目の前で行われており、この現実に感動している』らしい。我々には分からない新感覚だが、本当に動こうとしないので、何かを強く感じていることだけは分かる。出来れば今日もランチにありつきたかったが、残念ながら時間となり、サムリ村を離れる。

Kさんの車でプラーオの街へ。私は皆さんとお別れして、一足先にチェンマイに戻らなければならない。後の皆さんは近所にある温泉へ繰り出すらしい。その前に市場をフラフラしていると、Aさんがリス族の民族衣装に興味を持つ。確かにあの踊りを見てしまうと、衣装にも目が行く。服屋に入ると、何とそこには日本人がいた。ラフ族と結婚した方らしい。日本人と山岳民族のカップルが意外といることを知る。皆で話が盛り上がる中、私はKさんに連れられて、バスターミナルへ。

ロットゥはすぐに来ないので、雑貨屋でコーラを買い、飲み干す。何とものどかな風景だ。この2日間で得たものはかなり大きいと感じる。チェンマイまで来た道と同じ道を2時間かけて帰った。帰りは一人で少し寂しいが、これが私の旅。チェンマイのバスターミナルに着くと、暑さが身に堪え、Grabでバイクを呼んで宿へ帰った。

チェンマイ滞在記2023 その3(2)プラーオ リス族の祭りへ

そこから堀沿いを歩いて行くと角に日本スーパーがあったので入ってみる。確かに日本の食品などが売られているが、特に欲しい物もなく何も買わずに出て来る。隣のパン屋でバゲットを購入して少し食べる。

夕方腹が減ったので三度目の外出。何だか急にクラブサンドイッチが食べたくなり、先日通り掛かった時に見た看板を頼りに、店を探す。何とか見つかったが、そこへ入り『クラブサンドイッチはあるか』と聞くと『ない』とつれない回答。そして看板からもその文字は消えていたが、メニューを探すとちゃんとあるではないか。それを示すと不機嫌そうにそこに座れという。サンドイッチは安くて旨かったが、その横柄な対応には驚く。華人にも色々な人がいる。帰りに看板の裏を見たら、ちゃんと表示まであって呆れた。

2月3日(金)リス族の村へ

本日はプラーオへ向かう。先日買ったロットゥ乗り場で、一緒に行くKさんと会う。それからSさん、Aさんと二人の若い女性も加わり、車はバスターミナルを離れた。何だか遠足気分だが、どういう人たちなのか何も知らない同行者たち。面白い。車は順調に進み、途中で山道を登るが、道は極めて良い。中間付近に観光スポットの滝があり、そこで降りた外国人がいた。

100㎞ちょっとを約2時間かけて、プラーオの街に到着する。小さなバスターミナルにはプラーオ在住のK氏が待っていてくれた。彼はリス族の奥さんと結婚して、数年ここに居住しているらしい。実は先週もここに来ていた人がいたようで、既に打ち解けている。早々に今晩の買い出しだと言って市場へ出向く。市場の規模は大きくはないが、魚介類、落花生から昆虫まで、色々と売っている。肉や野菜を買い込む。

それから車で30分ほど山道を登り、サムリ村へ行く。ここで本日リス族の年に一度のお祭りが開かれているというのだ。会場までのきつい登りを歩くと、そこには数十のテーブルが出て、民族衣装を着こんだリスの人々が皆で昼食を食べている。その光景は壮大で、ちょっと驚く。早々我々のテーブルも作られ、豚肉とタケノコのスープ、白菜の野菜炒めなど、シンプルなご馳走が並ぶ。米は何と陸稲だというが、予想以上の美味しさでビックリ。今日はお祭りだからいい物を食べているのだろうか。

気になったのが、村長の座るファーストテーブル。村長の横には白人が座っている。聞けば教会の神父だと。この村のリス族は基本的にキリスト教に改宗済みだといい、今日の伝統的な祭りにも、従来の精霊信仰的な儀式は一切行われないらしい。ここ100年ほどの宣教師の活動と山岳民族の改宗、極めて興味深いテーマだと分かる。

そんなことを教えてくれるのは、リス族研究者で最近近所の村に住み始めたUさん。何と日本でリス族を専門に研究しているのは彼と師匠しかいないらしい。幸運にも専門的解説を聞きながら、メインイベントの踊りを眺める。この踊り、皆が輪になって踊るのだが、その輪はどんどん広がり、いつしか日本人もそこに加わる。まるで映画の一シーンのように鮮やかで驚く。中心で楽器を奏でる男性の動きがコミカル。

私は踊りに加わらず、リス族の奥さんにお茶の話を聞く。何と彼女は英語の他、中国語も話せるのだ。この周辺に国民党の村があり、幼い頃からその村の友達と遊ぶのに中国語を覚えたというからすごい。彼女だけでなく、この村の人はかなり中国語が出来ることも分かるが、肝心の茶はないらしい。

チェンライから来た日本人の方も参加していた。彼は世界中の森林や農業に携わってきたと言い、今はチェンライ郊外に居を構え、支援に当たっているらしい。この地域であれば当然茶についても調査しており、貴重な見解を聞くことが出来た。単にリス族の祭りに来ただけなのに、次から次へと専門的な情報が入ってくるのは驚き以外の何物でもない。

チェンマイ滞在記2023 その3(1)チェンマイ大学へ

《チェンマイ滞在記2023その3》  2023年2月1₋9日

2月1日(水)チェンマイ大学へ

今朝も爽やかな散歩。チャンプアックのバスターミナルへ向かう。明後日のプラーオ行のロットゥを予約するのが目的だ。これまでチェンマイに来ても、全く歩かなかったこの辺りが今回とても身近になる。シンボルの象の写真を撮る。しかしターミナルまで行ってもプラーオ行を発見できない。係員に聞くと『向こうだ』と指さすのだが、それはどこ?

その時『プーラオ行きはあちらです』と非常に丁寧な日本語が聞こえてきて驚く。何と日本人女性がそこに立っていた。聞けば、キリスト教系の布教活動をしているというから更に驚く。宗教恐るべし、そして有り難い。お陰で無事にチケットをゲットした。100バーツ。急に安堵して腹が減り、そこにあったカオマンガイを頬張る。蒸しと揚げを半々に頼んだつもりだが、どうみてもご飯が2倍になっている。それでも50バーツは安い。しかし腹が重い。

お堀端を歩いて一度宿へ帰る。そして着替えて車を呼び、今度はチェンマイ大学へ向かう。数年前に一度散歩したこの大学の敷地はかなり広い。しかしBoltで図書館と入力すれば、何も告げなくてもそこまで運んでくれるから何とも有難い。

待ち合わせしていたC先生が遅れるというので、キャンパスを歩いてみる。何と広々として、自然な空間なのだろうか。私が通った(授業にはあまり行かなかったが)学校は、隣の小学校と同等の広さで、前の女子高の方が遥かに立派という環境だったから、こういう大学に行くのは一つの夢だったかもしれない。観光客や長期滞在の外国人もゆっくり散歩している。私はカフェアマゾンで冷たい物を飲む。

C先生に図書館に案内してもらった。すごくきれいな建物で、最近改装されたらしい。何と部外者は20バーツの入場料(当日出入り自由)がいる。恐らく大学の図書館に入場料を払って入ったのは初めてではなかろうか。まあ中はきれいでスペースも多く、ゆっくり本を読める環境がある。C先生にお願いして、本を探してもらい、首尾よく辿り着く。

C先生がランチに行こうという。学食でもあるかと思ったら、何とGrabで車を呼び、ニーマンまで出る。そこで彼が行きつけのラーメン屋に入り、とんこつラーメンと餃子をご馳走になる。意外に本格的なラーメンだった。彼とは先週のチェンダオツアーで知り合ったが、何でも親切に色々してくれて、ありがたい。

車で大学に戻り、私は図書館で読書を続けた。そして疲れたので後はコピーして持ち帰ろうと思ったが、何とここはコピー禁止。代わりに写メしていきなさいと言われ、驚く。写メしていると、見学の一団が入ってきて急に騒がしくなったので、礼を言って本を返し、早々に退散する。因みにこの図書館には日本の小説が何冊か飾られていたが、中身はタイ語だった。タイで結構日本の小説が読まれているとは聞いていたが、目の前に出て来るとちょっと嬉しい。

2月2日(木)ある日の三食

朝ご飯を食べに外へ出た。やはりヒンヤリする。先日FBで教えられた素食の店を探しに行ったが、看板には菜食とあるのに、何だか肉もあるようだった。コロナ禍で色々と変化があったのだろう。ワンタンスープを頼んだが、何故か麵が入っていると思い込む。ゴーヤは予想外に甘みがあり、美味しく頂く。

午前中は少し疲れを癒す。そしてまた昼の暑い中、外へ出て行く。先日見掛けたミャンマーシャン料理店がどうしても気になっていた。昼時はミャンマー人の他、ヨーロッパ人も来ており、かなり混んでいる。トーフヌエとラペソーを注文。合わせて90バーツ。シャン州の麺と言えばシャンヌードルだが、私はこのトーフヌエが好物だ。ラペソーもいい感じにできており、久しぶりに満足。

チェンマイ滞在記2023 その2(5)ミアン文化

Cafeは道路沿いだが、静かな立地にあった。KennethとL博士は既に座って話をしていた。L博士はカナダ人女性で、ティーツーリズムの著書を持つ専門家。日本にもとても詳しい。Kennethは早々、自らのコンセプトなどを説明してくれ、彼が如何に北部タイの森林に思いを寄せているか、その中の茶文化を守ろうとしているかについて、詳細に話してくれた。これはちょっと驚きの展開だった。

それから道路の反対側、川の横の敷地へ行くと、古民家を改装中だった。ここに新たな施設を作り、ミアン文化などの紹介も展示するらしい。川横のスペースにはいい感じの風が吹き、喫茶も可能となる。次回チェンマイに来る時には出来ているようだから、これを楽しみに再訪したい。

更に店に戻り、お茶のテースティングも行った。なかなか面白い香りや味の物もあり、これまで飲んだタイのお茶とは少し違うなと感じる。勿論花を混ぜるなど工夫された茶もあるが、自然な雰囲気の物が実に良い。最後にフライドチキンを食べる。このコロモ、そしてソースにもミアンが使われており、またナンプリックにもミアンテーストが発揮されていた。今後はレストランなどとも提携して、ミアンの食べる文化を発信していくという。

L博士と2人、歩いて帰路に着く。彼女は私よりかなり年輩だが、ちゃんと歩いていて驚く。これがツーリズムを訪ね歩いている力だろうか。橋を越えて別れ、私は宿に帰るつもりだったが、急に腹が減り、近所のイタリアンへ飛び込んだ。まだ夕方だが既に客が数組いて、パスタやピザを食べていたので、私もパスタを注文した。何となく懐かしい感じのパスタで、あっという間に平らげた。偶にはこういうのも良い。

1月31日(火)Tea Gallery再訪

翌朝は、先日ジョークを食べに行ったカフェへ行く。今日はカイダオと甘いパンを食べてみる。華人のおばあさんと目が合う。それからいつものパンを買いに行き、更に散歩を続けた。チェンマイは何と言っても朝の散歩が気持ちよい。疲れたらお寺に行って本堂で座っていればよい。この気軽さが今の日本に欲しい所だ。

昼頃今日もまたMonsoon Cafeに向かった。昨日と同じ道ではつまらないので、川沿いの道を歩いてみると、かなり古い建物が残されている風景区だった。その昔は、川沿い地区が中心だったのだろうと想像される。前回行ったおしゃれなお茶屋もその中にあった。Monsoonはその先の外れにある。

Kennethの車にL博士も乗り込み、Tea Galleryへ向かった。この2人はミアンで繋がっており、やはりミアンと言えば馬さんなのだと分かる。馬さんも私がKennethに連れられてやってきたので少し驚いていた。スゥエーデン、カナダ、日本、そして雲南回族にイタリア人も加わり、実に国際色豊かなミーティングが展開される。お茶のコミュニティとは本来こんなものだろうか。ここで出されるちょっと甘くて冷たいお茶が美味しい。

車でCafeに戻り、昨日も見た新施設へ行くと、何と一日で煉瓦貼りは終わっていた。順調に進んでいる。Kennethは忙しそうなので、L博士が呼んだ車に乗り、博士の宿まで乗って行く。そこからまたとぼとぼ歩いて宿まで帰る。ようやくGoogleに頼らなくても道が分かるようになって嬉しいチェンマイだ。

チェンマイ滞在記2023 その2(4)つかの間の休日

1月28日(土)つかの間の休日

この1週間の急展開に体が付いて行かない。さすがに疲れが出たので、週末は休むことにした。ただ朝は涼しいのでふらふら散歩するのが気持ちよい。昨晩食べ損なったジョーク、別の店で食べてみることにした。そこは住宅街にあり、普通の観光客は行かないような場所にあった。華人一家が自宅の庭を開放して出来たカフェのような場所。何とも心地よい風が吹き抜ける。

ジョークを頼んでみると、こちらはしっかり粥に味が付いている。何となく広東がゆを思い出す。そこに卵、ルークチンなどがふんだんに入っており、少ししょっぱいかもしれないが、何とも私好みの味になっていた。ここではトーストなども食べられるようで、これから通おうと思ったが、帰りがけに中国人の一団がけたたましく来訪し、少し興を削がれた。

そこから昨日の朝も行けなかった金曜朝市の会場を巡り、散歩する。全てが夢の後、ハラルストリートなどと書かれた道があることも知る。もう一度ここでカオソイを食べたかったが、まだやっている店はなかった。宿へ帰り、プール脇で本を読んで過ごす。やはりプールは冷たすぎて入れない。

夕方腹が減り、飯を探す。昨日通り掛かった麺屋を思い出す。最近食べ過ぎなので、食事もセーブするべきだろう。華人系の店で焼きそばを食べる。潮州系だな。この濃い目の味を噛みしめていると、何だか昨年行ったトランを急に思い出して懐かしい。

1月29日(日)今日も休日

週末はお休みを決め込んだ。今日も午前中は大阪国際女子マラソンを見て過ごす。こういうテレビがタイで簡単に見られるのは何とも嬉しい。それにしても女子でも世界との差がこんなに開いてしまうとは。新谷仁美の危機感を共有できる人はどれだけいるのだろうか。MGCの出場権を取るなどは、本当に意味のあることなのだろうか。

チェンマイは最近日中の気温もさほど上がらない。今日などは30度にも届かず、昼までも涼しいと感じてしまう。これは煙害が始まったからだと聞くが、そうなのだろうか。これまでチェンマイで一度も雨を経験していない。昼はまたお寺に行き、カオカームーを食べる。何と言っても安いし、美味い。お寺めし、万歳。

午後は卓球の全日本選手権を見る。男女ともに順当な勝ち上がり(いや伊藤美誠がいないか)。張本、早田の順当勝ち。まあオリンピックに向けては良い兆候だろうか。夕方Nさんが来てくれ、その後の様子を報告する。この急な展開に彼もとても驚いていた。食事は洋食屋ということで、城壁の反対側の老舗で食べる。スープを飲んでいると、何だか懐かしい雰囲気の店だなあ、と思う。宿に帰ると、宿の横は人で埋め尽くされていた。サンデーマーケット、先週より人が多く、歩くのも大変だ。チェンマイ観光はほぼ復活だろうか。

1月30日(月)Monsoon Café

今日はかなり涼しい。日中先週お誘いを受けたMonsoon Cafeまで約30分、歩いて行ってみる。橋を渡ると、そこには大きなマンションが建っていた。確か20年近く前、ロングステイの視察でこのビルを紹介されて、内覧したことが思い出される。あの頃、3LDKが8万円ぐらいだった気がするが、今はどうなんだろうか。

チェンマイ滞在記2023 その2(3)突如チェンダオの茶畑へ

1月27日(金)突如チェンダオへ

昨日の話は正夢なのか。朝起きてターペー門を通ると、何だか仮装した人々が大勢いて、皆で写真を撮っている。一体これは何だろうか。指定された通り8時半にラミンティーに行くと店は開いていたが、昨日の女性の姿はない。折角なので見事な庭などを見学し、紅茶などを頂いていると、徐々に人が集まってきて、数人でミニバンに乗り込む。今日は一体何の集まりなのか。誰も説明してくれないが、まあ私はおまけ参加だから、黙ってついて行くしかない。

チェンライ方面に小1時間進むと、本道を外れて山の中へ突っこんでいく。ここから山道を10数キロ進む。道は舗装されていて意外とよい。そして標高1000mを越えたあたりで車は停まる。そこにはラミンカフェがあり、周囲が一望できる茶畑風景が広がっていた。ここが80年ほど前ラミンティー発祥の地だという。

既に何人か集まっていた。突然その中の一人がタイ語で話を始め、皆がその講義を聞いている。彼はバンコクからやってきた茶文化の専門家らしい。今日の集まりは彼の訪問に合わせてセットされ、偶然にも私はその末席に加わったということのようだ。この集まりに参加している人の中には日本に留学経験があり、日本語を話す人もいた。そしてこの専門家は英語も中国語も話し、会話していると、バンコクの茶行にも詳しく、共通の知り合いもいて盛り上がる。

お昼ご飯が出て来る。まずはミアンで作られた可愛らしい前菜。この付近はラフ族が多いようだが、ミアンの生産もあるらしい。それからご馳走が続々出てきて、皆で食べながら話を続ける。何とミニバンで後ろに座っていたのはチェンマイ大学の先生で、今後図書館に連れて行ってくれるという。心地よい風に吹かれながら、気分良く過ごす。

午後は後ろにある茶工場見学。今は生産の時期ではなく、稼働してはいなかったが、何とも不思議な道具などもあり、生産現場での工夫が随所に見られた。元は初代がインドへ行って機械などを持ち帰ったらしい。80年前この山の中で何が行われていたのだろう。現在の工場は2代目で、最初の工場の場所は寄付して、今は学校になっているという。

そこから車で更に少し登ると、標高1300m付近の道の両側に茶畑が見えてくる。ところどころに山桜がきれいに咲いている。数10年前に規則的に植えられた茶樹の他、明らかに100年以上経っている細長く背の高い茶樹が何本も見られる。専門家はメジャーを出して測定を始める。もっと古い木は歩いて1₋2時間行った山中にあるらしい。帰りに大きな仏塔を見学する。誰がこんな山の中にお寺を作ったのだろうか。

またミニバンに乗り、1時間半かけてチェンマイ市内に戻る。ラミンの2階にあるお茶教室も見学する。世界中のお茶が集まっており、ここでお茶の淹れ方からブレンドなど、レクチャーが行われるという。美味しいお茶を飲みながら、出てきたおしゃれなスイーツを楽しむ。女子向きの教室の様子が分かる。

夜は少し疲れたので、お粥でも食べようと、週末に行った店に行ってみた。朝はあんなに混んでいたのに、夜はお客があまりいない。折角なので麺を食べてみる。所謂ラートナー麺だったが、実に胃に優しかった。帰りにまたナイトバザールを横切る。ここで食べようといつも思うのだが、いつも食後に通るのはなぜだろうか。