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ぶらぶらバンコック滞在記2012(6)12月29日~1月3日ハジャイ、ソンクラー

12月29日(土) とてもラフな思い付きバンコック茶話会開催

24日深夜、零下15度の極寒の北京からバンコックに辿りついた。バンコックで夜風に吹かれていると「人間の幸せはこんなことだなあ」と思ってしまう。ただ暖かいというだけで体が脱力する幸せ、噛み締めた。

そしてそんなダラダラの気分の中、突然「茶会でもしよう」と思い付く。これまでMさん主催のバンコック茶会は既に3回開催されており、定着してきたが、平日来られない人の為に土日開催の茶会をしたい、もっとラフな会をしたい、という希望が心にあったようだ。まずはBTSチョンノンシー駅近くでお茶屋をやっているポーラに電話し、場所を確保した。

だがこの年末に、しかも僅か3日目の通知では、「既に帰省している」「先約がある」との当然すぎる回答を貰う。それでもめげずにいると、先日ヨーガ合宿で一緒だったIさんがお友達を連れて参加するという。最終人数2人と明記したので、これで会は成立した。そしてやはりヨーガで一緒だったKさんも参加。更には2日前に一緒に飲んだSさん、Kさんを引き込み、前日にはバンコック茶会に来てくれたT夫妻も参加となり、なんとなく会の形が整う。

当日、殆ど準備もせずに、会を始める。持っているお茶が全て詰まった袋を持参。まさに話の流れで、またその時の気分でお茶を出し、話をした。プロジェクターが無いのでPCの小さな画面を見せることになり、申し訳なかった。

トルコの緑茶に始まり、湖南省安化の紅茶、福建の白茶と続き、阿里山高山茶、タイチェンライ県の金萱茶と飲み続けた。話もトルコが注目の国であること、反日のこと、台湾茶が足りないこと、果ては杭州のお寺のお茶まで話がどんどん飛んで行った。

そして2時間半が過ぎ、ようやくポーラのプーアール茶講座が始まった。生茶と熟茶の違い、そして今回は彼女の故郷、広西壮族自治区で作られる黒茶、六保茶の由来などまで話が及び気が付けば、6時近くになっていた。主催者は楽しかったが参加者はどうだったろうか??

その後4名でポーラお勧めの本格四川料理屋へ。本当に中国人しか働いていない、中国人を対象としたお店だった。お客は多く、殆どが普通話を話していた。その付近にある中国料理店の多くが、行き成り中国語で話し掛けてくるタイプの店。うーん、バンコックは広い。料理のあまりの美味さに?写真を撮ることすら忘れた夜だった。場所はナラワティロード ソイ24らしい。

12月30日(日) ノックエアーに乗ってみた

今年の残すところあと2日。日本では年賀状書いたり、大掃除したり、帰省ラッシュに巻き込まれたりしているかもしれないが、既に1年9か月の放浪生活を続けていると、年末とか年の瀬とかいう言葉は正直ピンとこない。ただ年末年始に時間が出来たので、どこかへ行こうと考えた。

初めは12月の東京報告会でご縁を得た関係でマレーシアのサバ州へ行こうとしたが、現地の紅茶工場がクローズということで断念。次にチェンマイ郊外の少数民族の村へ行こうかと思ったが、こちらもご縁を得た方と会えずに、結局行く機会を失った。そして、何故か、タイ南部ハジャイとソンクラーへ行くこととなった。

マレーシアへ行けばよいのだが、最近の円安は私の旅行資金をかなり圧迫しており、節約したかった。鉄道やバスは年末年始の休暇移動でかなり大変だと言われ、それではLCCで行くことにした。ところが、エアアジアの料金とノックエアーの料金がさほど変わらない。座席料金だけなら確かにエアアジアは安いが、荷物を1つ預けると300バーツ(15㎏まで)取られるので、往復で600バーツ加算すると合計料金は200バーツも変わらなくなる。

そうなると、荷物の重さを気にしなくてよい、座席指定が事前に出来る、簡単な飲み物が出る、というノックエアーが良く見えてくる。更にはタイエアーの子会社であるという安心感、CAの笑顔にも定評あり、と聞くと乗ってみたくなるのが人情??レガシーとLCCの中間ニーズを補足するノックのような航空会社が好まれてきているように感じる。

バンコックのLCCはドムアン空港に集められていてこれは不便(ノックもLCC扱い)。ドムアンに行って時刻表を見ると当たり前だが、KL起点のエアアジアよりバンコック拠点のノックの方がはるかに多くの便を運航している。お客も多いようで、チェックインには時間が掛かる。飛行機の到着が遅れて出発は30分ディレー。でも、ノックエアーの乗客であれば、空港内フリーWIFIは嬉しい。予約番号がパスワードになっているので、何と予約したPCを使うと予約番号が出て来て直ぐに繋がった。いいぞ、これは。

機体は比較的新しく、清潔。CAさんの黄色の制服もなかなかよい。知り合いで「あの制服に萌える」という人もいるようだが、そこまではどうか。でも確かに笑顔の接客があり、好感は持てる。

僅か1時間のフライトなので、何もいらないのだが、甘いパンと水が配られた。何もないよりは良い。風邪気味のせいか、冷房が寒く感じたが、毛布は無いようだった、残念。基本的にはエアアジアと大きく違うわけではないが、ほんのちょっとしたところの違いが意外と大きいのかもしれない。気持ちの問題だが、その問題は影響が大きい。帰りも乗ってみて観察を続けよう。

12月30日(日) ハジャイの街

ノックエアーを降りると、そこはハジャイの空港。先ずはどうやって街へ行くのか。またトゥクトゥク野郎と料金交渉するのか、嫌だな、と思っていると、エアポートタクシーなる看板が。見ると市内まで一人100バーツ。更には白タクや白トゥクの姿はなく、迎えが無い人は基本的にこれに乗るらしい。タクシー1台は300バーツ。

タクシーというか、ロットー(ミニバス)。お客は女性二人と私。市内までは10㎞ちょっとか。直ぐに着いた。予約したホテルは昔の一流ホテルという触れ込み。確かにそうだった。ロビーは立派で広いし、部屋も広かった。だがホテルキーを差し込むと電気が入るのだが、エアコンはどうやっても止まらない。とても寒い中、タオルを被ってPCに向かう。PCの充電をするためには私が部屋に居なければならず、エアコンも点いているのである。風邪ひいた。おまけに小さな虫がいてかまれて痒い。こりゃいかん。

ハジャイの街は小さい。ホテルは中心から少し離れており、散歩しながら中心へ。中国的な寺がある。中国系と思われる人々が歩いている。ここはタイか、中国か。更に中心部の屋台ではイスラム系の女性が中華系料理を作って売っている。混沌とした街、ハジャイ。マレーシア華人が年末年始を過ごしにやって来ているようだ。

中心のデパート、ホテル街付近は車両通行禁止で警備の警官が大勢出ている。実はテロの予告があるようだ。以前よりタイ南部はイスラム系のテロが頻発しており、特に危ない所へ行かない日本人には敬遠されている。私にも知らせてくれた方がいたが、最近の気分は「そこでテロに会ったら、それは私の人生の定め」と割り切ってしまっている。実際観光客がいない場所は、何とものんびりしており、いい感じなのだ。

ハジャイ駅へ向かう。私が今回ハジャイへ来た目的は殆ど何もないが、唯一あるとすれば「深夜特急」で沢木耕太郎が訪れたハジャイを見ること。彼はスラタニーから夜行でハジャイ駅へ降り立ち、乗り合いタクシーでソンクラーへいく。そしてまたハジャイ駅へ戻り、ダッシュして列車に乗り、マレーシアへ抜けて行った。

駅も警戒厳重のように見えたが、タイの他の駅同様、出入り自由。誰にも咎められない。駅前には機関車が置かれ、国王の写真が飾られていた。ハジャイはこの駅を中心にとても小さな街を形成している。

夕飯は中心街のローカル市場で食べた。本当は中華系の食堂に入り、中国語を使って話を聞いてみたかったが、適当な店が無かったことと、おばさんが作っていた物が美味しそうだったので、ふらふら頼んでしまった。それはマレーシアで昔食べた卵を入れた焼きそばに思えたが、実際に食べてみると何と麺は無く、ジャガイモと思っていたのが、お餅だったのだ。そこにもやしとにらを入れて炒めただけだが、美味い。僅か30バーツ、2日前に正月が来た気分だ。ついでに豚と鶏を揚げた物も買った。塩味が効いていて美味かった。極楽、極楽。

12月31日(月) ハジャイの大晦日

夜中に大雨が降った。結構大きな雨音にビックリ。そして朝になってもしとしとと霧雨が降る。タイでこの季節に雨が降るなんて、と思っていたが、天気予報を見るとKLも雨。ここハジャイはタイではなく、マレーシアなのかもしれない。朝ごはんはビュッフェだったが、カオトーンというお粥が美味しく、そればかり食べる。雨が止まないため、部屋にこもる。することもなく、「深夜特急」を読み返す。文庫2冊目のマレー半島編、結構切ない。特にペナン島の売春宿で働く女とそのヒモの話、何とも言い難い。

何とか雨が止んだが、時刻は既に11時。今泊まっているホテルはイマイチなので、ホテルを変えることにし、予約を入れたので、移動を開始。ところが、何と再び雨が降り出し、ずぶ濡れになる。歩いて10分ぐらいと思っていた新しいホテルまで何と20分以上掛かったし、その間に雨脚はどんどん強くなり、背中のバックにあるPCが心配になるほど、濡れてしまった。

雨に濡れながら、車が水を跳ねるのを気にしながら歩いていると、「何故私はこんな所に居るのだろう」と思ってしまう。日本人なら日本に帰り、紅白歌合戦や駅伝を見る方が普通ではないのか。確かにその通りだが、最近は「それが定め」で片づけている。来年は「少しスピードを落とし、考えながら行動しようかな」と弱気になる。

今度のホテル、見た目は新しく、清潔感がある。それでも部屋のドアはきちんと閉まらず、毎回強引に開け閉め。またバスタブが広くてよかったが、お湯を流そうとしても、出来ず。こういう細かい?ところがきちんとできないと日本ではフラストレーションが溜まるが、こちらでは見た目が大事、ということだろうか。まあ、暮の31日に足を伸ばしてゆっくりと湯に浸かったのだから、大満足なのだが。


   

午後2時ごろ雨が止み、昼ごはんへ。直ぐ近くにバスターミナルがあり、そこで年越しそばならぬ、年越しクイッティオ。きしめんのような太くて平べったい麺で大好物。どこで食べても美味しい。沢木耕太郎も深夜特急で食べていたので、つい手が出た。沢木はこれをバンコックの駅で食べるのだが、そこの6-7歳の子供の行動を疑ってしまい、後悔している。まさに最近、中国に住んで覚えてしまった「性悪説」になっている私にも、痛い話題だった。そしてまた雨。ここは完全に雨季だ。夕方までシトシト。このホテルは街から結構離れているので、もう一度濡れ鼠になって歩く気分ではない。テレビはNHKワールドしかないので、紅白も楽しめない。どうするんだ、この年の瀬に。

ようやく晴れてきたのは午後6時頃。また昨日と同じ街へ出た。それしか行く所が無かった。そして美味しそうな海鮮オムレツを買ったが、食べることが無く、持ち帰ってホテルの部屋で食べた。たれを付けるとバカウマ。今年もいい年だったと思えた。夜は方々で花火や爆竹の音が鳴り響いた。テロの危険が言われていたが、正直こんな中で発砲や爆発があっても誰も気が付かないだろう。そういえば、街中では警備の警官が観光客の記念撮影に応じていた。何とも長閑だな。せめてもの救いは街から離れていたこと。直ぐに眠りに落ちた。今年は呆気なく終わった。

1月1日(火) ソンクラーのビーチリゾートホテル

新しい年が始まった、という実感はまるでない。単に一日が過ぎ、また一日が始まったに過ぎない。昨晩のカウントダウンはどこへやら、街はひっそりしている。朝食を軽く食べ、チェックアウト。今日はハジャイからソンクラーへ移動。

直ぐ近くのバスターミナルまで歩き、ソンクラー行きのロットーが出ているので乗る。乗客は私しかいないと思ったが、後ろの女性が一人乗っていて、突然携帯でしゃべり始めたのには運転手もビックリ。この車、16人乗り。快調に進むかと思ったが、その後街中で乗客待ち。私は始発駅で乗ったにすぎず、30分は街を出なかった。そして街を出る時は満員。

料金は28バーツ、何と運転手が籠を回し、客が料金を入れる仕組み。何だか田舎芝居を思い出す。街を出ると急にスピードを上げる。20分もしない内に客が降りはじめる。香港のミニバスと同じで、降りたい所で声を掛ける。最後まで乗っていたのは私ともう一人の若者だけ。このバスは地元の人が使うものだった。だから運転手が何度も「お前はどこへ行くのか」と聞いてきたのが分かる。

バスはサミナビーチでキチンと停まった。ホテルは目の前。古いが大きかった。ロビーは更にだだっ広い。フロントは笑顔でよいが、WIFIが使えるかと聞くと何とロビーだけ、と言われ驚く。部屋へ行くと完全なSea View。気分は一気に晴れやかに。何故かWIFIも問題なく繋がり、良いお正月になる。

直ぐにビーチへ出る。正月休みか、ビーチは多くの観光客及び地元の人で賑わっていた。ここの波は非常に激しい。しかも浜に対して斜めに押し寄せてくる。近くに島が2つ見える。その景色がなかなか良い。

昼ご飯を食べようとしたが、適当な所が無く、焼鶏肉を買って部屋で食べる。ウマいが量が多過ぎた。食べたら眠くなる。昼寝をすると夜になる。まだ腹が減らないので、風呂に入る。ここの湯船も深くて、ゆったり。いい気分だ。

このホテルは沢木耕太郎の深夜特急で沢木が泊まったというホテル。ここで日本人夫婦と会い、遅くまでラウンジで語らったという。だが、今日来てみると、その面影はそれほどない。40年も前の話、途中で改装や増築などもあったかもしれない。それでもこの環境で思ったほど高くはない料金、悪くはない。

1月2日(水) ソンクラーのフェリー

朝早く、波の音で目覚める。だが、強烈な雨が降ってきた。出掛けることが出来ない。ようやく雨が止んだのは午前10時半、そそくさと外へ出る。昨日の混雑はどこへ行ったのか、殆ど人がいないビーチ。既に正月休みは終わっていた。

急に日差しが強くなってきたが、何とも心地よい。足に任せて歩いて行くと、フェリーターミナルの表示があった。何気なく見ると、ちょうどフェリーが接岸され、多くの車やバイクが降りてきた。ふらふらっとフェリーに乗りこんでしまう。どこへ行くのだろうか、この船は。どこでもいいや、という気分になる。

このフェリー、単に対岸へ車やバイクを運ぶための渡し船だった。5分で到着。徒歩の人間もぞろぞろ降りていく。しかも無料。まさに地元民の足、いや橋だった。しかしどこへ行く当てもない。直ぐ近くに観音廟があり、手を合わせて見たりする。

車はかなりの数が列を作ってフェリーを待っていた。そこで果物や卵を売る人々がいた。一日いくつ売れるのだろうか?その女性の脇で子供達が纏わりついていたが、私が通り過ぎるといきなり手を出し、「マネー」という。やはり貧しいのだろうか。イスラム系の人々が住む村のようだ。

もう少し歩いて行くと空き地にイヌが三匹、ごろりと寝ていた。すると一人の少年がいきなり石を投げつけ、犬は驚いて起き上がる。何とひどいことを、と思ったが、遠い昔自分も同じようなことをしていたような気がする。これは一種のあそびなのだ、と思って気に留めずにやっていたが、本当は遊びだったのか、不満のはけ口だったのか、いじめ、とはそんなことから始めるのかもしれない。

帰りもまたフェリーに乗る。そして歩き出す。暑い。ロイヤルパゴダ、という名称が見えたので、近づいたが、このパゴダ、山の上に有り、リフトで上るという。リフトと言えば、昨年湖南省長沙で恐ろしいリフトに30分も乗ったトラウマがあり(高所恐怖症)、直ぐに諦めて去る。サルが沢山いた。

パレス、と書かれた場所がある。この地の王の住処だったのだろう。面白いのはその両脇がインドネシア領事館と中国領事館だったこと。中国がこんな田舎に領事館を開いている意味は何だろうか。この街は何か特殊のだろうか。確かに華人は多そうだが、それは理由ではない。

ホテルに帰り、汗でぬれた体にシャワーを浴びさせ、寝入る。夕方少し腹が減り、ビーチへ。ホテルの横にゴルフ場があるが、その脇では多くの食べ物屋台が出ており、竹製の小屋?で食事ができる。メニューはどこも同じで、焼魚、焼き鳥、など。ビーチなどに座り込み、買い込んだつまみをあてに、ビールを飲む若者グループもいる。少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえる。

屋台のおばさんと目が合った。野菜炒めでも作ってよ、というジェスチャーをすると分かったという表情で懸命に作り始める。出来たのは海鮮チャーハン、それに焼き鳥。思いっきり食べたが、食べ切れない。それでも使命感で食べる。食べ終わるとおばさんに「アロイ」といって支払いをする。お互い笑顔になる。この店、旦那は適当に皿などを片付けるだけ、もしかすると障害があるかもしれない息子におばさんが根気よく仕事を言い付けていた。一生懸命働いても大した儲けにはならないように思えるが、このおばさん、頑張っているな、と感心してしまう。そして人間の生き様、について少し思いを巡らせる。

夜ある人のツイッターを読んでいたら、「マスコミは天皇陛下の新年の言葉を全文掲載せよ」というのがあった。こういう文章は直ぐに右翼で片づけられてしまうかもしれないが、実は大切な気がする。天皇の言葉が「国民の幸せを祈ります」とだけ新聞紙面に載っていても、それは何だ、と思ってしまう。マスコミは一国の象徴である人の言葉を自分の都合で表現せずに、全文を掲載し、国民自身に考えさせるべきだと思う。因みにバンコックポストの2日の紙面トップはやはり王様の写真。これって当たり前のことだろう。

1月3日(木) ソンクラーからバンコックへ戻るには

ソンクラーのビーチホテル最終日。今日はさらに激しい雨に見舞われる。外出すらままならず、ベランダから荒れた海を眺めるのみ。仕方なく、部屋の大きな湯船に浸かり、足を思いっきり伸ばして休む。

午後2時になっても雨は断続的に降っている。雨が止んだ瞬間を捉え、ホテルをチェックアウトして、ハジャイ空港へ向かう。ホテルからタクシーをチャーターすると700バーツと言われたが、時間はあるので自力で行って見る。ホテル前にはトゥクトゥクすらいない。どうするんだ?少し歩いて行くと学校があり、その前にはトゥクトゥクが数台いたが、私が「ハジャイ」と告げると、皆困った顔で「お前行けよ」という雰囲気で誰も乗って来ない。するとトゥクトゥクに乗っていた高校生が「バイタク」と叫び、皆が「そうだ」と安堵して、バイタクが呼ばれる。ハジャイ行きのロットー乗り場まで連れて行くらしい。高校生、ナイス。

バイタクに乗るとまた雨が降り出した。かなり強くなり、濡れる。困ったと思っているともう到着。20バーツ払う。そしてロットーに乗り込む。直ぐ出発し、順調。行きと同様、お客を拾いながらゆっくり進む。もう慣れた、と思ったが、ハジャイまでの道は見慣れない道。本当にハジャイ行きか心配したが、何とか市内に入る。30バーツ。

全員が降りたが、私はどうするんだ?運転手は何も言わない。とうとうバスターミナルまで戻る。ここでタクシーを拾えという。だが時間は3時半、私にフライトは7時なので、先ずは食事。麺を食べる。相変わらず美味い。40バーツ。この店、旅行社を兼ねているらしい。おじさんが「どこ行くんだ」と聞くので「空港」と答えると興味なさそうな顔。

別のおじさんが、400バーツだ、というので驚く。そんなに高いのか、何故。確かにハジャイ空港から市内のタクシーは1台300バーツだった。どうやらこれが基本、そしてタクシー以外にバスなどは全くないという。飛行機に乗る人間はお金持ち、ということだろうか。「高い」と訴えると、トゥクトゥクは300バーツという。それも本当にボロボロの車だ。きっと空港へ行く旅行者が集まる場所は他にあり、そこでタクシーをシェアするのだろうが、今は探すすべもない。結局このボロトゥクで空港へ。それでもソンクラーのホテルからタクシーに乗ると700バーツだから、ちょうど半額で来た。

空港にはすぐに着いてしまった。あまりに早いので、もう1つ前のフライトに乗ろうと思ったが、何と「キャンセル」だった。仕方なく、WIFIでも、と思うと、この空港はドムアンと違い、ノックエアーのWIFIはないとのこと。残念。コーヒーショップでも「今日は繋がらない」と言われたが、レストランでは何故か使えた。ここのトーストは何故かうまい。コーヒーもコンデンスミルク入りで甘いが良い。そして中国茶?も登場。

ノックエアーはほぼ定刻に出て定刻に着いた。CAの笑顔は相変わらずよい。ドムアンでは前回タクシー待ちの列、そしてタクシー運転手の騙し、に会い、嫌だったが、今回は初めから空港の外へ出た。バスに乗ろうかと思ったが、バスの番号を忘れてしまい、そこにやって来たタクシーに乗る。高速を走ることもなく30分、175バーツで宿泊先に到着。これならいいか。

今回は何もない所へ行き、何もせずに、そして何かを考えた。年の初めとしては良い旅だったかもしれない。さあ、これから鬼門のインドだ。やはり緊張する。






 

ぶらぶらバンコック滞在記2012(5)11月1~23日

11月1日(木) 第2回バンコック茶会開催

第2回バンコック茶会が開催された。前回は日曜日開催だったが、今回は平日の午前中。16名のご参加があり(男性は二人)、会場はアソークのパーソネルコンサルタントさん(http://personnelconsultant.co.th/)がセミナールームを提供してくれた。場所が便利で有難い。

主催者Mさんが前回同様タイ産の金萱茶、軟枝烏龍茶、パパイヤ茶を淹れて、タイでお茶が採れること、そのお茶が健康にもよく、そして美味しいことを説明。タイのお茶も品質が向上している。

私は「中国茶の基礎知識」を説明し、前回と全く違うラインナップでお茶を淹れた。福建の白牡丹(白茶)、金駿眉(紅茶)、そしてインドのダージリン紅茶を提供し、飲んで頂いた。ダージリンの茶旅も少し披露。どうだっただろうか。

そういえば、ウエルカムティーとして、トルコの緑茶を淹れてみた。「飲みやすい」との感想が多かったが、それもそのはず。このお茶は鹿児島の技術で出来たせん茶だった。が、説明するのを忘れた。最近ボケの傾向が強まり、何と紅茶も雲南紅茶と福建紅茶を取り違える始末。主催者と参加者にはご迷惑を掛けてしまった。

そして今回の目玉は何と和菓子。トライアスロン選手のKさん、実は和菓子屋さんの息子さんでどら焼き、水羊羹、みたらし団子が振舞われた。これには参加者からも「作り方を教えて欲しい」の声が。和菓子と烏龍茶や紅茶のコラボ、どうだっただろうか。

もし皆さんのご要望があれば第3回が開かれるかもしれない。こんな会が定例化するのもよいのではないかと思う。

11月5日(月) ドムアン空港は安くない

ビエンチャン訪問を終え、バスで国境を越え、ウドンタニへ行った。バスターミナルの直ぐ近くにセントラルのショッピングモールが見える。ビエンチャンの人々がここまで買い物に来るらしい。時間が無いのでトゥクトゥクで空港へ。20分、80バーツ。ウドンタニ空港には無料Wifiエリアもあり、なかなか好ましい。

エアアジアでバンコックへ。10月からエアアジアはスワナンプーンからドムアンへ使用空港が移った。ドムアン空港は以前バンコックに来るたびに使った懐かしの空港。基本的にLCCはドムアンに集結させたわけだが。

国内線で預け荷物もなく、あっと言う間に外へ出た。そこにはタクシーを待つ長蛇の列。昔ドムアンには空港から市内へのバスが走っていたが、今はない。バスはスワナンプーンへのシャトルバスだけだろうか。外の公道へ出れば市内行きの路線バスはあるだろうが、夜も8時で暗く、字も読めないのでタクシーを待つ。因みにバンコック行きの鉄道もあるが、いつ来るか分からないし。

そしてようやく列がカウンターに着き、宿泊先を告げる。4つのタクシー乗り場があるが、各場所に仕切り人がいて、タクシーを指定して客を乗せる。だが、この仕切りが悪い。寧ろ人がいない方がスムーズに乗れる感じだ。

タクシーに乗り込むと運転手が「場所が分からない」というジェスチャーをして聞きまわる。ようやく「分かった」というポーズをして車を動かそうとするが、周囲の車が動かずに進めない。何とか車は空港を出たが30分ぐらいして全然違う場所に向かっていることを知る。「ここじゃなかったのか」と運転手。そして再度名刺を出し、宿泊先を告げると「なんだそうか」と頭を搔きながら、運転する。彼は完全に故意に演技していた。そこからは実にスムーズに宿泊先に着いた。人のよさそうな顔をした人だったのに。

ドムアンからはメタ―+50バーツが原則。この50バーツは遠回り代として支払わなかった。運転手は一瞬怒る振りをしたが、そのまま行ってしまった。これでも支払過ぎたのかもしれない。

格安航空会社が集まるドムアンで、空港を出ると安い交通手段がないとはどういうことだ。懐かしのドムアン空港の思い出は急速に色褪せた。

11月21日(水) 和僑会例会に参加してみた

スリランカから戻った翌日、和僑会に参加した。和僑会は香港が発祥、海外で頑張る日本人起業家の会。最近は何故か東京にも和僑会が出来て、ちょっと違和感あるが。バンコックでは和僑会関係者との交流があり、朝の読書会にも参加したことがあるが、例会は初めて。今回の会場は何とオープンテラスの和食。ビアガーデン状態の中、そこに20名以上の参加者が集い、ワイワイガヤガヤ。これは如何にもタイの和僑会ならでは。何とマイクを持ち込み、メンバーがお話する場面も。

参加者は会員とは限らない。タイで起業している人が中心ではあるが、日本から来た人、中国での経験がある人、そして私のように何でいるのか分からない人まで、暖かく迎え入れられ、何ともおおらか。実際に様々な人とお話をしたが、タイ情報に精通している人から、タイでの節税を訴える人、これからバンコックで飲食業をする若者、通販をしている人など、それはそれは幅が広い。先ずは基礎的な情報はこのような場で交換し、進んで行くのだろう。

和僑会には日本では感じられない力強さ、前向きな姿勢が大いにある。日本以外での人生を選択した(または選択しようとする)人々は、個々に苦悩しながらも、個々に輝いて見える。

和僑会の総会は現在シンガポールで開催されているようだが、来年は世界の和僑がバンコックに集う予定とか。何となく覗いてみたい気がする。

11月23日(金) バンコックでスーパー銭湯へ行く

バンコックの宿泊先の直ぐ近くに2か月ぐらい前にオープンしたスーパー銭湯。あることは知っていたが、行く機会はなかった。ところが約束をしていたIさんの仕事が早く終わり、宿泊先まで来てくれることになり、そして銭湯へ連れて行ってくれることとなった。

外見は日本と同じようだ。入り口を入ると明るい。そして客層はタイ人の若者が多い。ある年齢層以上のタイ人はお金があってもここには来ないのだろう。居酒屋あり、カフェあり、ネットしている若者もいる。オーナーはタイ人で、日本の銭湯好きが高じて営業を始めたらしい。入浴料450バーツ。受付を済ませると、次は履物を脱ぎ、サンダルに履きかえる。そうして浴衣(丹前?)を貰う。この浴衣、結構厚手。タイのクーラー事情から、このような厚手になったと思われるが、ちょっとどうかな。

浴室は銭湯のようになっており、洗い場の向こうに湯船、ジャグジー、水ぶろなどがある。スチームサウナもある。更に露天ではないが、ドアの向こうには温室のような場所があり、浴槽とサウナ、丸い一人用の浴槽まである。開業したばかりということもあるが、きれいである。お客さんはタイ人の方が多かったが、裸で入ることにも抵抗はなく、騒ぐ人もおらず、実に日本的な雰囲気がした。日本で温泉などを体験した人や日本の習慣に慣れている人々がここの主要顧客であることが分かる。

風呂から上がると居酒屋へ向かい、冷えたビールで乾杯する。日頃それ程お酒を飲まない私でもこの1杯は美味いと感じる。この居酒屋は九州系のようで、この銭湯にテナントとして入居している。

Iさん曰く、「バンコックで銭湯につかり、冷たいビールが飲める日が来るなんて、夢のようだ」。確かにリラックスにはちょうど良く、これは使えるかもしれない。同時にこの店が流行るかどうかが、タイの日本ブームの一つのチェックポイントかもしれない。





ぶらぶらバンコック滞在記2012(4)10月5~31日

10月5日(金) サケオへ行く

2週間ほど、トルコへ行ってきた。トルコにはアジアもある、と思い込んで行ったのだが、残念ながらアジアは見付からなかった。ただヨーロッパも中東もトルコを起点に中央アジアを目指している、非常に基礎的な理解は出来た。 タイの田舎へ行く、ここはアジアである。今回はバーンタオ氏が炭焼きを依頼しているサケオ県を訪ねた。サケオはバンコックから東へ約200㎞、あと数十キロでカンボジア国境と言う街。

朝BTSのウドムスックという駅で待ち合わせる。この駅、以前は無かった。ここ1-2年でBTSの線が東西南北に延びている。駅前にはマンションが建っているが、それほど高くはないらしい。新しい駅だからか。結構便利なのに何で。マンションの下にMax Valueが入っていた。24時間営業、店内にキッチンがあり、朝の弁当を仕込んでいた。新興住宅の香りがした。駅付近の朝の渋滞はかなりひどい。

車は一路サケオへ。今日台風が来るという不穏な情報があったが、快晴で快適。30分も行くと田園風景が広がってくる。ゆうかりの木が植林されている場所もある。バンコックも一歩抜け出せば田舎の風景がある。これがタイ本来の姿のような気がする。

3時間弱でサケオの街に到着。先ずはバーンタオ氏お勧めの駅前肝っ玉母さん食堂でランチを取る。コイセンミー(餡かけ固焼きそば)を頼む。確かに勧めるだけのことはある。ここの餡は実に濃厚で美味い。揚げたそばとの相性も抜群で、最後の最後まで汁を吸ってしまう。何杯でも食べたい気分だが我慢した。値段は1杯、30バーツ。バンコックなら大盛りの分量は嬉しい。

サケオ駅前といったが、本当に本当に小さい駅がそこにあった。バンコックから5-6時間掛かるだろう列車がたまに来る各駅停車のみが停まる駅。まるで映画のセットのようだ。その横の並木道、ミャンマーと全く同じ風景がある。うーん、タイの田舎は素晴らしい。

先ずは付近の国立公園に行く。自然を売り物にしているが、本当に大自然、管理するのも大変な敷地に様々な草花や木々が所狭しと育っている。管理と言っても道を整備する以外は自然に任せて、開発しないという意志表示のようだ。途中道にひょっこりイグアナが顔を出す。トカゲの大きい物だ。

かなり進むと見晴らし台があり、そこが終点。山に木々が密生している様子がよく分かり、山の深さを教えてくれる。小さな滝も見た。タイ人は水遊びをするようで数人が下に降りていく。自然の中での遊びは彼らが一枚上手のようだ。

それから炭焼き小屋へ行く。これまでチェンマイ郊外の窯などを見学したが、比べると格段に整備されており、窯の数も多い。雨季は材料の木々の切り出しが少し困難で生産量が落ちるとのことだが、一定量は焼き上がっている。

バーンタオ氏はこの地にバーンタオ村をつくろうとしている。先ずは身近なバンコック在住者からメンバーを募り、時々遊びに来る計画。敷地を借り、畑も作る。炭焼き体験もする。緩いコミュニティはこれからの主要テーマだ。面白い。

帰りは渋滞がひどく、また途中で雨も降り、5時間以上掛かってバンコックに戻る。午後9時半にスクンビットのお蕎麦屋さんに辿りつき、鴨南蛮を食べる。久しぶりで実に美味しい。お腹が空いていたからだろうか。幸せな気分で一日を終える。

10月6日(土) 心地の良い2つのカフェ

バンコックには最近日本人経営のカフェがいくつもオープンしていると聞く。今日はご縁のある2つのカフェをはしごした。

1つ目はスクンビット、ソイ49にあるMoss Terrace。8月にオープンしたこのカフェ、閑静な住宅街にある。ただ店内はカフェという雰囲気はない。タイで生産された女性服が並んでいる。本業は服屋さんなのだとか。その横には、数々の珍しい石が並ぶ。ご主人が趣味で集めた物が中心とか。かなりの種類があり、また売るか売らないかはその人の熱意とも聞く。石に秘められた魅力が見える。

水槽の前に座る。ブルーオパールが中に入っているその水槽は、何となく好ましい。いくつか構想が浮かび、何故かメモを出して書き留めていた。面白い。ここだとアイデアが出やすい。でもPCを持ち込んでやってはいけないだろう。頂いた抹茶牛乳がまた素晴らしいミックス。心が少し温まる。そういえば水槽の前で気持ちよく寝込んだ人もいた。

このお店、Aさんご夫妻が開いている。来タイ20年、海外から見た日本など、話題は尽きず、午後5時の閉店時間を大幅にオーバーして居座る。ここはカフェというより、楽しい空間であり、オーナーと来客のコミュニケーションの場であった。お子さんがお小遣いを貯めて、小さな石を買いに来る、何とも嬉しい。

そしてもう1軒は、先日バンコック茶会でお世話になった、シーロムにあるSaladee。僅かしかいないバンコックで今日がもう4回目だ。先日のトルコ旅行、主目的の茶畑訪問が成功した一番の要因は、このお店のオーナーAさんによる紹介だった。茶縁のお礼を兼ねて報告に伺った。

野菜ソムリエのAさん、食事にはスペシャリティがある。赤米のスープ、さっぱりしている。サバが乗ったご飯。豆、野菜などが添えられている。昨年6月に行ったヨーガ合宿、長野県穂高の養生園の料理を少し思い出す。白米を食べず、肉を食べない。体が軽くなるのが分かる。そして暖かいお茶を飲み、ネガティブではない前向きの話をする。実に健康的だ。こういうお店が近くにあると、便利だなと思う。

バンコックには個性的なお店が増えている。こんな空間とのコラボ、望ましいな。

10月30日(火) バンコックのバス

10月は10-29日、中国と日本に行っており、不在。久しぶりのバンコックは雨季が明けたかと思いきや、強烈なスコールが夜中だったり、朝だったり、突如として降り出す不安定な天気。我が宿泊先から最寄りの地下鉄駅まで歩いて10分、かつ交通量の多い道路を信号なしで横断しなければならない。雨でも降ろうものなら、結構シンドイし、かつ暑い。(東京や上海は今がベストシーズン。比べるとバンコックの暑さは際立つ)

宿泊先の直ぐ近くにバスターミナルがある。以前もたまに使用していたが、昨日は午前午後の2度の外出で共にここからバスに乗る。ターミナルには以前は無かった路線ごとの大まかな行先表示看板が出来ており、しかも英語も併記されていたので、初めていくつかの路線の行く先を知る。タイではタイ語が読めないと色々と不便がある。


   

バンコックのバスには何故か無料バスと有料バスがある。それは青色の帯がフロントガラスに表示されており、字が読めなくても分かる。何だか籤引きのような気分でバスを待ち、青が見えると「当たった」と喜ぶ。但し私が払うバス代は赤バス(全線料金共通)で6.5バーツ(日本円15円程度)。実にささやかな喜びである。因みに本日は2回で1回当たりが出た。

私が乗るバスにはエアコンはない。エアコンがあれば料金は倍になるようだ。窓は基本的に空け放たれるが、渋滞に捕まると風が入らず、難渋する。またスコールでも来ようものなら、一斉に窓が閉められ、地獄のように暑くなる。良く見てみると車内に1つだけ扇風機がある。それは運転手のすぐ後ろ。車掌のおばさんもそこへ居着く。私も2回目は運転手の後ろの席をゲット。


   
  

バスはいつ目的地に着くか分からない。バンコックの渋滞は時々とんでもない状態になる。そんな時はバスを降りる。日本ではバス停以外でバスがドアを開けることはないが、ここでは渋滞になれば自然とドアが開き、降りたい人は自由に降りることが出来る。このような柔軟性がタイの良いところ。私も時間を見計らってバスを降り、目的地に向かう。

日本の公共交通機関は高過ぎる。途上国には料金によりいくつものバリエーションがある。私の場合は時間があるので、タクシーやバイクタクシーを止め、バスにしている。一般的なタイ人は今や時間が大切。一番有効なのは渋滞をものともしないバイクタクシーだろう。またタイ人は全般的に言って歩くのが苦手。200mでもバイクタクシーに乗る人がいる。それもまた柔軟性のある社会ということか。タイ人が時間に追われ始めたのを見て、経済発展を感じ、また一抹の寂しさを感じている。

10月31日(水) 中国人経営のプーアール茶荘

9月に開催したバンコック茶会。その会場はBTSチョンノンシー駅から少し歩いたシーロムプラザにあった。そこへ何回か通ううち、BTS駅のすぐ近くにあるお茶屋が気になり始めた。開いていないことも多く、その存在自体が謎となっていた。

バンコック茶会主催者のMさんはいち早く、この茶荘を訪れ、オーナーと交流していた。そして私にもお声が掛かり、訪れることに。オーナーは中国人だと聞いていたので、通訳のようなものか。

お店はなかなか綺麗で、茶器がかなり置かれていた。お茶はプーアールしかない。何だか面白い、こだわりのありそうな店だ。棚にはプーアール茶の茶餅がずらっと並ぶ。見ると易武の茶が多い。これは本格的かもしれない。

オーナーのポーラさんは中国広西壮族自治区、桂林近くの出身。10年前に一家でバンコックに来て、プーアール茶を商っている。聞けば、中国では地元メディアの記者だったとか。またご主人は画家で、現在は北京在住とか。そういえば中国ではこのような文化人で茶好きが多かったな。

彼女は緑茶やウーロン茶を飲み続け、最後にプーアールに辿りつた。これが一番と他の茶は商わない。毎年雲南省を訪れ、仕入れを行う。茶器にもこだわりを持っている。好きが高じて茶荘を開いてしまったようだ。

肝心のお茶は2007年以降の生産が多いが、原料の茶葉は樹齢100年以上の古樹から摘んだ物が多いという。確かに熟茶2種類、生茶1種類を飲ませてもらったが、カビ臭さはなく、飲みやすい物だった。飲む所はカウンターになっているが、今後は変えていくという。2階には12-3人が座れる茶席もあり、有料で貸してくれるらしい。

お客はタイ人、華人、欧米人、日本人と多岐に渡っている。日本人は生茶が好きで、良く通ってくるし、友人達とも連れ立ってくるという。タイ人は健康志向の人、文化的な人が飲んでいる。タイの茶文化事情の一端が分かるかもしれないと思ったが今回は時間切れ。次回再訪しよう。



ぶらぶらバンコック滞在記2012(3)9月16~19日

9月16日(日) 第1回バンコック茶会開かれる

いよいよバンコック茶会の日がやって来た。会場となるシーロムプラザの「Saladee」に12時ごろ到着したが、生憎の雨。お客さんは来てくれるのだろうか。ちょっと心配。会場の設置も初めてであり、試行錯誤。久しぶりに初めての緊張感を味わう。

雨にもかかわらず、午後2時過ぎには参加者16名が揃う。流石日本人。バンコック在住者14名と香港から旅行に来た私の知り合い2名、男性は1名のみ。まあ初回は仕方がないか。お子さん2名。割と大人しくしていてくれる。

Mさんがタイ産の金萱茶を淹れながら説明する。このお茶、開始までの間、冷たくしたものを出しているので、その違いも味わう。皆さん、タイでお茶が採れることに興味津々。更には台湾との繋がり、健康への効果など、熱心に聞いて行く。軟枝烏龍も十分に味わう。一際関心を惹く。

私も鉄観音、正山小種、そして大紅袍と淹れて行き、タイ産との違い、中国茶の分類など簡単にお話する。紅茶の歴史やちょっとしたこぼれ話は参考になっただろうか。茶葉を回し、その違いを見てもらう。会場オーナーからも和菓子が振舞われる。お茶に合うように工夫されており、美味しく頂く。

2時間きっかりで茶会は終了。皆さんの反応はどうだっただろうか。聞けば、もっとお茶のことを知りたい、との要望があるようだ。第2回はいつ開かれるだろうか。バンコックで茶会、それも中国茶、ちょっと意外な内容が受けるのかもしれない。

反省会もせずに、夜は香港から来たKさん、Nさんとカフェドラオというラオス料理の店へ。ここは会場オーナーAさん御用達の場所で、雰囲気がすごく良い。静かでゆとりがあり、食べ物も美味しい。お茶会の疲れ?を癒すには絶好の場所であった。

9月17日(月) バンコックでタイ人向けヨーガ講習に参加

今日は大学の同窓生でインド在住20年を超えるA師が教えるヨーガ講習に参加してみた。過去日本の穂高でのヨーガ合宿にも参加したことがある。夕方5時半から8時まで、参加者はタイの社会人だ。タイでも近年ストレス社会を迎え、ヨーガのニーズが高まっている。

会場は某大学校内。このようなプログラムに大学が助成を行い、社会人を受け入れているという。日本ではヨガスクールなどへ行かないと習えないヨーガがここでは公的な支えで成り立っている。A師との待ち合わせ場所へ着く頃には豪雨となり、会場へ移る頃には校内は軽い洪水状態。昨年の洪水が少し頭を過る。

会場には三々五々、受講者が集まり、ヨーガマットの上で思い思いのポーズを取る。その姿は自然。タイ人はヨーガを知らなくても、基本的な座り方は心得ているという。座るという生活習慣から来るのか、宗教的なものから来るのか。

A師が教えるハタヨーガは非常に地味で、フィットネスだ、ダイエットだ、とは完全に一線を画している。タイ人もこのヨーガに溶け込んでいるように見える。実技は師が英語で話し、通訳がタイ語にする。何だかこうしてみると違うものに見えるから不思議。

アーサナを一通り行い、呼吸法も行う。久しぶりの私は用語も忘れてしまい、体も痛く、A師夫人の丁寧な日本語での説明にも拘らず、途中で脱落。A師のヨーガは無理をする必要もなく、止めたい時に止め、休息も自由に取る。これが良い。体を曲げすぎるな、器械体操ではない、といつも言う。

2時間ほどで実技が終了すると怠けていた私でさえ、爽快な気分になるから不思議。これを毎日ちゃんと続ければよいのだが。11月後半の合宿にはもう少しきちんと臨もう、思うのだが。

9月18日(火) イミグレーションオフィスに出頭したが

実は一昨日大変なことに気が付いた。タイ入国時にホチキスでとめられる出国カードが今回は何故か添付されていなかった。パスポートをしげしげと見たが、ホチキスの跡もないので、空港のイミグレのおじさんが忘れたに違いない。おじさんが忘れたんだから、出国時に空港で説明すればよい、と実に安易な気持ちでいたのだが、念の為に人に聞いてみると、「それは大変だ。下手すると空港で出国できなくなる」と言われ、慌てる。2日後にトルコ旅行が控えているから。

お世話になっている旅行会社のYさんにタクシーで行先を言ってもらい、どこにあるのかも分からないイミグレオフィスへ向かう。一体どんな困難が待ち受けているのか。などと考えていたが、タクシーはいつになっても目的地に着かない。ドムアン空港の近くということは分かっていたが、どうなるのだろう。

40分ほど車に乗っていると突然巨大ビルが出現。ここは政府の総合庁舎。運転手がお前はどこへ行くのだ、とタイ語で聞いている。だが、どこへ行くのか、いくつもビルがあり言えない。仕方なくパスポートを見せると、直ぐに分かったようであるビルの前へ。ビルの中、右手の入り口には外国人が沢山出入りしていた。

先ずはインフォメーションと書かれた受付で、若い女性に事情を話してみると「そんなのどうでもいいんじゃない」といった反応。え、そんないい加減な話ではない、と訴えると、「だったら受付行ったら」と言われ、更に奥の受付へ。そこでまた事情を話すとオジサンが「カード失くしたのか」「そんなことの為に来たのか」と笑って取り合わない。何故か「そこを何とか」と言ってみると、番号の書かれた紙をくれ、更に奥へ進む。

その番号のデスクには待っている人もおらず、職員が雑談していた。また事情を話すと数人が、「そんなの空港へ行けばいんだ」という。何だか狐につままれたような話。念のため、Yさんに電話に出てもらい、職員の話を確認してもらったが、答えは「空港へ行けばよい」というもの。どうやらここはビザの延長やパスポート更新時の入国スタンプ更新などの為に来るところのようだ。思わず私も笑い出し、すごすごと引き上げる。

但しその時職員の一人が私の入国記録をPC で確認し、番号を入国スタンプの横に書いてくれていた。2日後、空港で新しく出国カードを記入し、係員に出すと全く何も言われずに通ることが出来た。これまでホチキスで出国カードを止めるほど重要だった書類がオンライン管理でどうでもよくなったということだろうか。もしそうなら資源の節約のためにもホチキス止めは止めるべきだろう。いや、あの番号、あれが重要なので、あれが無ければ空港でもひと悶着あったのだ、と帰りのバスで色々と考えてしまった。

9月19日(水) 労働許可証なしでも開設出来た銀行口座

タイである程度の期間、滞在する際、あると便利なのが銀行口座。イチイチ現金を持ち歩かなくても、口座に入れてATMで出し入れできればと考えていたが、バンコック在住者に聞くと一様に「労働許可証なしでは無理だ」と言われていた。だがある人が「噂だけどバンコックバンクでは最近出来るらしい」と言い、またある人は「バン銀でもエンポリアムにある支店だけはOK」という。まあ考えても仕方が無いので、行って見ることに。初めに行った時には「ワークパミット」と言われたが、「ない」と答えると「運転免許証」とここだけは日本語で言ってくれた。日本の免許証でよいかと聞くとイエスと答えたので、免許証を持ち出し再度行って見た。

ローカウンターの女性は流暢に英語を話し、時折冗談まで言う。昔のバンコックバンクは敷居が高い、サービスが悪いという印象を持っていたので、まるで違っていた。口座開設作業もスムーズで20分後にはキャッシュカードが渡され、無事完了。カード代として300バーツを取られたが、何とこのカード、BTSのカードにもなっていて、しかも最初の70バーツは無料だという。後で試してみるとちゃんとBTSに乗れた。因みにデビット機能もあるらしい。

またネットバンキングの話をするとワークパミットのある人だけが対象だが、定期預金してくれるなら、申請してみようという。しかも定期預金はプロモーション中、11か月で4%の金利が付く(9月末まで) という。20万バーツ以上が対象。今はその資金もないが、長く滞在するなら、結構有利なレートかもしれない。

タイでもカシコンバンクなどが顧客サービスを拡大、危機感を持ったバン銀も対応に乗り出した訳だ。その競争は我々にとって好ましい。尚免許証で口座が開けるのはエンポリアムの支店のみだそうだ。いつまで可能か分からないが、実体験を記録しておく。





ぶらぶらバンコック滞在記2012(2)9月11~15日チェンライ

9月11日 チェンライ

今朝は昨日の豪雨が嘘のように良い天気だ。朝は近所の麺屋で豚肉入りきしめんを食う。どこで食べても美味いが、30バーツは安い。チェンライの物価はバンコックより安いと言える。

午前中は昨晩救助を依頼した日本人、Iさんよりお話を聞く。彼は日系企業のバンコック駐在員を辞め、3年前からこの地に移住。コーヒーと米を商っている。コーヒーはチェンライ郊外のアカ族の村で栽培。自ら週に一度は出掛けて行き、焙煎するという本格派。日本人を中心にタイ国内でネット販売。最近タイ人も急激にコーヒーを飲むようになったと言い、今後の潜在的な市場拡大が予想された。

Iさんは言う。日本の農業関係者はタイなどへ技術を持って進出し、ここで農業をやるべきだ。タイにもマーケットはあるし、東南アジアにもある。日本だけが全てではないと。

チェンライの生活はストレスも少なく快適。日本人は400名ほど滞在しているが、殆どがロングステイ。平均年齢は70歳近いらしい。そんな中で若手のIさんの生き方は私には大いに参考になる。大儲けするのではなく、自分のやりたいことを一歩ずつ実現していく、いいことだ。

お昼は近所で鴨ごはん。スープも付いて30バーツ。これもまた美味しく、そして安い。そのすぐ近くのお寺を見学。このお寺、堂に入ると風が吹き抜けて外の暑さを全て忘れさせてくれる。これは設計の知恵なのか、仏の御心か。

金ぴかの時計台を過ぎる。道路標識を見ると道路名がタイ語、英語、中国語の併記となっている。ここは華人の街か。確かにお茶を売っている店では中国語が通じたが、英語も話した。うーん、このこじんまりした街、なかなか面白い。チェンライの創始者、メンライ王の像が道沿いに建てられていた。1262年、メンライ王がこの地に遷都したとある。

ホテルの南、徒歩20分の所にセントラルプラザがあった。高い建物が少ない、デパートもなかったチェンライにようやくできたショッピングモール。タイという国はやはりバンコックの一極集中だ。店内はどこにでもある店舗が並び、平日夕方でも人はそこそこにはいる。ふじレストランという日本料理屋、数年ぶりに入って見る。お客は結構多い。また食べ放題の店が多く、中には回転寿司の回転台の上を色々な食べ物が回り、更には周囲にも沢山の食べ物が並んでいる店に人気があるようだった。タイ人の食生活も変化が見える。

9月12日 チェンライ3日目

今朝も快晴。朝、一昨日行った華人系の店へ行く。店頭で中国人観光客が数人、大騒ぎしながら、おかずを選んでいた。麺だけでは足りずに、野菜の煮物などを注文している。だが、どうみても華人の店のお婆さんは、顔色一つ変えずに英語で通していた。本当に中国語が分からないのだろうか、それとも話したくないのか。それにしてもこのお婆さん、非常に上品な立ち居振る舞いで、私が英語で話すと軽く頭を下げる仕草が見えたりして、雰囲気は良い。やはり話したくないのかもしれない。

11時ごろ空港へ向かう。チェンライの空港へ行くにはタクシーしかないと言われる。本当か?ホテルでタクシーを呼んでもらうと20分掛かるという。それなら道まで出て自分で拾おうかとすると、ホテル側が今来るから少し待て、という。しかし案の定、それから20分近くやって来ない。どうなっているのかと聞いている所へタクシーが滑り込む。人のよさそうな運転手だが、いきなり140バーツを請求する。この辺では空港へ行くのにメーターは使わない。ホテルのフロントで100バーツが相場と聞いていたので、その旨を告げるとあっさり引き下がる。取り敢えず言った者勝ち、ということか。困ったものだ。空港まで30分ぐらい掛かったので、100バーツは妥当な線。それにしても、チェンライはちょっと走ると郊外へ出てしまい、田園風景が広がる。まだまだ開発の余地がありそうなのだが、マンションブームもこれからのようだ。ロングステイの皆さんも戸建てに住んでいるケースが多いと聞く。

空港は昨年末にも来たことがあり、その際2階の食堂でネットが使えたので、行って見ると何と繋がらなくなっていた。これは一時的な故障なのか、いや皆が使えないと言っているから、サービスが後退したのか。このご時世に何故だろうか。代わりにネットの出来る所を聞くとようやくコーヒーショップがあることが分かる。

このお店、チェンライ付近の少数民族支援のNPOが経営しているらしい。店には少数民族の子供たちの写真などが飾られ、コーヒーが役立っていることを告げている。ここのコーヒーは美味しく、またパンなどの食べ物もイケる。ネットも繋がるし、なかなか良い。

バンコックへ戻り、夜は宿泊先の近所、テスコロータスの裏の中華料理屋へ単身乗り込む。日月楼飯店、オーナーは遼寧省出身、話してくれたウエートレスはチェンマイ出身の華人。水餃子は完全に中国の味。最近のバンコック、こんな店が増えている。因みに値段はそうは高くない。

9月13日 バンコックの病院へ行く

チェンマイ、チェンライの旅の途中から、何となく体がだるいと感じる。そして体が少し痒くなる。これは私にとって危険な兆候だ。疲れが溜まっているのかもしれないが、念の為、病院に行くことにした。会社を辞めてから初めて行く病院。クレジットカードに付与されている保険を活用しようと思い、日本人がよく行くという病院に電話した。バンコックでは、いくつかの有名病院に日本語サービスがあり、この病院も電話の会話は日本語だった。ただ「保険をキャッシュレスで使いたいなら、保険会社に電話してから来てくれ」と言われ、ちょっとビックリ。当然カードを提示さすれば良いと思っていたのだが。最近タイでは海外保険を悪用する人がいるので、その対策かもしれないが、ちょっと面倒ではある。

もう一つの病院、以前知り合いに連れられて行ったことがあるサミティベートにも電話を入れる。保険に関しては同じ答えだったが、症状を述べ、日本語の出来る医者をお願いしたところ、即座に対応できた。それからネットで保険会社のバンコックでの連絡先を調べ、電話を入れる。カード番号を告げると折り返し電話するという。掛かってきた電話は日本から。このサービスのコストはどうなっているのだろうか。兎に角無事にOKを貰い、病院へ。

タクシーを降りようとすると、ドアボーイがドアを開けてくれ、「ウエルカム」と言われ、ここはホテルか、と思う。建物内に入るときれいなフロアーで以前見たピアノの生演奏をやっている。又日本では考えられないほどゆとりのあるスペースにソファーがあり、表示には英語や日本語が入っている。看護師も日本語が出来る、いや各国語が出来る人を採用している。

日本人には専用窓口があり、すべて日本語で対応している。パスポートを出すと直ぐに写真を撮られ、診察カードが出来上がる。流れ作業であっと言う間に診察科へ進む。表示に「15分以上待っている人は申し出て」ともある。日本では考えられないサービスだ。実際15分しか待っていないオーストラリア人がクレームを付けると、受付が流暢な英語で説明をし、対応していた。

私は15分以内に呼ばれ、千葉大医学部を出た女性の先生に診てもらう。幸い大きな問題はなかったが、やはり病気の場合、母国語で説明を聞けるのは何より安心だ。また先生が日本語が出来ない場合は、通訳サービスを付けることも可能だという。また薬をもらうと日本語で「朝夕一日2回」などと書かれていて助かる。薬剤師もポイントの言葉はすべて日本語で説明してくれた。

そしてこの病院、入院患者及び付添い家族のために、各国料理のレストランが備えられている。日本料理は大戸屋が入っており、勿論病室へ運んでくれる出前サービスもある。イタリアンでもマックでも、スタバでも、何でもある。セブンイレブンから山崎パンまで、来客の便宜を最大限にはかっている。日本にこんな病院、あるのだろうか。医療ツーリズム、という言葉が日本でも言われているが、とても太刀打ちできない。

因みにこの病院の経営トップは医療関係者ではなく、元一流ホテルマンだと聞いた。そう聞けば、ここがホテルのように感じられた訳が分かる。

9月14日 MKダンスを見る

今日は大学の同窓生Oさんの誘いでアユタヤへ行く。アユタヤと言えば、昨年の洪水で甚大な被害があった場所だが、半年後にはほぼ復旧したと聞いており、行って見ることにした。バンコックを11時に出たため、途中で昼食時間となり、道路脇のBig Cというショッピングセンターへ入る。この店舗、タイではどこにでもある。そして中に入っているレストランも大体同じ。ある意味で安心して入れる場所である。

今日はMKをチョイス。タイスキと呼ばれる鍋は、日本ではコカレストランが有名であり、私も昔何度も行ったが、最近では高い、サービスが悪いと何かと評判を落としている。それに引き換え、7年前に初めて入ったMKというレストランは、庶民的で安くてサービスが良いことウリに、急速に店舗を拡大、今ではバンコックではどこにでもあると言うほど、知られる店となっている。

タイスキはタイの国民食となったと思う。平日の昼間だというのに、お客で満員だ。暑いタイで鍋を食べるなどは日本では考えにくいが、タイ人は鍋好きだ。Oさんによれば、「タイ人従業員はこちらの奢りだと言えば、エビやイカを食べるが、普通は肉を入れて食べている」という。実はタイでは海鮮が高い。通常は野菜と肉で食べる、面白い発見だ。因みにタイ人はイカは食べるがタコは食べない。だからMKのメニューにタコはない。

昼間から鍋をつつくのは悪くない。何だか幸せな気分になれる。そしてその幸せな気分を更に盛り上げるのが、MKダンスだ。突如店内に大音響が流れ出し、「MKスキスキ」との音楽に合わせ、何と従業員全員が客の座るテーブル間の通路で踊り出す。初めて見た私は呆気にとられていたが、一般の客は慣れたもので、平然と鍋をつつく。

このダンス、オーナーが考えたというが、何のためであろうか。従業員の健康のため、それともメジャーリーグのようなパフォーマンス、いずれにしても何だか、笑ってしまう。従業員には若い女性もいるし、おばちゃんもいる。決してやりたくはないだろうが、仕事と心得ているのだろうか、アメリカみたいに皆で楽しもうという雰囲気はなく、その遠慮がちな踊りが微妙に嬉しい。

鍋をたらふく食べた後、デザートにアイスまで食べてしまった。MKの魅力に嵌りそうだ。

9月15日(土) ヤワラーを歩く

今日はバンコックのチャイナタウン、ヤワラーを歩く。宿泊先の横のバスターミナルから4番というバスに乗るとヤワラーまで連れて行ってくると聞き、乗ってみる。何とこのバス、たまに走る無料バス。ラッキーだ。

土曜日ということもあり、道は空いていた。だがやはりシーロムを過ぎるあたりから混んできて、なかなか進まない。ヤワラーまで小1時間を要する。そして問題はこれから訪ねるノッパドン君のお店。彼は以前紹介されて、1年半前に一度バンコックの空港で会ったことがあり、今回も色々と聞こうと思っていた。だが彼らか貰った住所を見てもイマイチどこだが、分からない。まあ、いつものことだが、行ってから考えよう。

バスがヤワラーに入って、大勢が降りたので私も降りてみた。ノッパドンの店は骨董屋。何となくバス停から数歩歩いて見ると、何と何とそこに彼の店があった。ちょっと驚き。店に入ると彼も一瞬驚いた様子を見せる。彼の骨董屋はお父さんの代から。古めかしい雰囲気に誘われて観光客も入って来るが、本当のお客はヤワラーの人たちか。

ワット・トライミット(黄金仏寺院)へ行く。ここには高さ3m、重さ5.5トン、純度60%の金で造られ、時価推定120億円の価値があるとも言われる黄金の仏像があるが、私のお目当ては併設された博物館。ここに中華街としてのヤワラーの歴史が説明されている。既に200年以上の歴史を誇るヤワラーだが、現在でも70%は潮州系と言われ、米の貿易で財を築いた華人が発展させてきたことが分かる。ただお目当てのお茶に関する記述は殆どない。

仕方なく1軒の茶屋へ入る。ヤワラーの歴史、タイのお茶の歴史について聞いたが、全く関心が無い様子。南美書店へ行けと言われる。この街で一番大きい書店?が南美であり、ここへ行くもヤワラーの歴史は売り切れ、お茶の歴史などは見たこともないと言われる。更に別の茶屋へも入ったが、結果は同じ。何故歴史が語られないのか。

ヤワラーの街並みもドンドンきれいになっており、街の景観が一部失われていく。そして歴史も埋もれていくのだろうか。困り果ててノッパドンに所に戻ると「それなら客家総会はどうか」と言われて、又歩き出す。

実に立派な建物を有する客家総会。さすがお金持ちが多いのだろうと思う。ヤワラーでは既に普通話が通じにくくなっているが、こういう場所では問題ない。が、教えてくれそうな人もいない。3階にある寺院にお参りしろ、と言われ向かう。途中事務室があったので覗くが誰もいない。と、掃除のおばさんが手招き。行くとそこに男性がおり、「何の用か」と聞かれる。最初は不思議そうにしていた男性も話が分かると「ついて来い」と歩き出す。黙々と歩く彼の後ろを付いて行くと「三馬」と書かれた大きなお茶屋の前に。ただ時間は既に営業時間の午後5時を過ぎ、入れず。この男性最後に曰く、「いいか、必ずお茶を買ってから話を聞け。ここでは金を払わないやつにサービスはしない。分かったか」と言って立ち去る。次回お茶を買ってから聞いてみよう。どうなるんだろうか。






ぶらぶらバンコック滞在記2012(1)9月5~10日ランプーン

9月5日より年内までタイのバンコックに住むことになりました。いや、「バンコックを拠点に活動することになりました」が正しいですね。恐らく1か月の半分以上はバンコックに居ない予定ですので。それでもバンコックでは色々と活動したいと思っており、その様子などをこれからブログで書いていきたいと思います。

9月5日 京王線は全線不通です

バンコックに行く朝、12時発のタイエアーに乗るため成田へ向かう。大きなスーツケース、小さなキャリングケース、そして大きなリュックサック。この荷物を持ってラッシュに電車に乗るのは顰蹙かと思い、早起きする。ところが、「京王線は始発から全線不通です」、え、慌てて荷物を持って家を飛び出す。駅にはちょうど電車が来ており、復旧かと思ったが、「30分に一本。大変混んでおり、その荷物を持って乗るのは困難」と言われ、振替輸送の切符を渡される。

小田急線千歳船橋行きのバス停へ。ちょうどバスがいたが、乗り口まで満員。何とか乗ろうとするが、荷物を見た瞬間運転手は「次に乗って」という。何とか乗りたいと訴えたが「乗れるものならどうぞ」とつれない。仕方なく次を待ち、座って行く。確かにバスは大混雑。途中のバス停では前から乗れず、後方からぎゅうぎゅう乗る。ようやく千歳船橋を着くと、こちらもホームは満員。振り替え輸送の関係で電車は遅れ、来た電車は混んでいる。またもや多い荷物が障害となりながらも果敢に乗り込む。大ヒンシュクだが、誰も文句は言わない。皆ひたすら耐える。新宿駅に着いた時はもうフラフラ。ちょうど来たリムジンバスに乗り込み、休息。

バスは空いていた。近くの若い女性はそれをよいことに、スカートを穿いているのに、足を前に高く揚げたり、ゴロゴロ寝転んだり、まるで自宅にいるような大胆なポーズ。最初何処のアジア系かと思っていたが、携帯を取り出して話している言葉はまぎれもなく日本語。公共の場で「恥ずかしい」という概念が無くなり久しいが、それにしても恥ずかしい。

成田空港近くでは開港以来行われている検問がある。バスに乗り込み、一人ずつパスポートを確認。電車の場合もそうだが、あのチェックで何か分かるのだろうか。開港当初は過激派が来たかもしれないが。いや、今はテロリストか。いや、やはり雇用対策か。

結局早めに出たこともあり、成田空港には2時間15分前に到着。実はタイエアーのバンコック行きは午前11時と12時の2本ある。今なら11時の便にも乗れると思い、カウンターで訪ねると「事前に予約センターで変更しないと乗れない」という。でも席が空いていれば乗れるのではないか、再度聞くと「機内食の関係もあり、事前に言って頂かないと」と。今の飛行機は機内食の予備を1食ぐらい積んでいないのか。その答えにちょっと驚く。よほど「機内食は要らないから乗せろ」と言いたかったが、5時間以上のフライトなのでそのままとする。

今日の成田は夏休みが終わったというのに、非常に乗客が多く、混雑していた。荷物検査も厳しくなっており、相当時間が掛かる。出国審査はその分、あまり並んでいなかったが、前の親子が通り抜け自分の番が来たと思った瞬間、母親が何かを言い出し、ストップ。他の列はどんどん流れるのに、私だけがカウンター横に停め置かる。どうやら子供は今回日本パスポートを取得したようで、その手続きが終わっていなかったらしい。明らかに係官にチェックミス。数分して隣のカウンターの係官が漸く私を呼び、通してくれる。これは運が悪いのか、それとも係官に柔軟性が無いのか。他国ならどうしていただろう。日本の悪い所がどうしても目に付く、半外国人目線。

9月6日 バンコック茶会準備

今日は朝から打ち合わせ。6月にバンコックに来た折、紹介されて出会ったMさん。駐在員夫人ながら、タイ産の烏龍茶などの輸出を手掛けている。バンコックに住む日本人は数多いが、タイでお茶が採れる、茶畑があることを知っている日本人は意外と少ない。そこで「バンコック在住日本人にタイ産烏龍茶を飲んでもらう茶会」を開催することにした。

Mさんに会場に相応しい場所を探してもらうと、9月3日に開店したばかりのカフェ、「SALA Dee」にしようという。こちらは野菜ソムリエのAさんが開いたお店で、コーヒーなどのほか、タイ産茶もメニューに載っている。おまけに店先で販売もしている。

昨日は晴れたり曇ったりのバンコック、今朝は朝から雨模様。最寄りのMRTの駅まで徒歩10分。結構濡れる。タイの雨というとスコールを連想するが、本日は日本の梅雨のようなポソポソ降る雨。シーロム駅を上がっても雨は降り続く。これは雨季ではなく、本当に梅雨だ。

シーロムの通りは雨でも屋台が出ており、乞食も営業している。雨季と言っても彼らも生活が掛かっている。聞けばやはりバンコックでは雨季でも一日雨が降ることはない。だから彼らは雨でも出て来るのだが、今日は当てが外れたか。私も濡れながらひたすら歩く。ところが指定された場所になかなか行き付かない。

地図をよく見ればよかったのだが、実は目指すシーロムプラザはBTSチョンノンシーという次の駅の方がはるかに近かった。そしてその建物を一目見て、中国を感じてしまった。中華料理屋が数軒あり、雰囲気が何となく南中国。ここは後日探検せせねばならないエリアと自覚。

カフェ「SALA Dee」は、ゆったりとした空間、おしゃれな螺旋階段が目を惹く。バーカウンターもあり、厨房も広く、雰囲気は良い。カフェと呼ぶ場所である。テーブルで金宣茶を頂きながら話す。

何しろMさんとは2回目、Aさんとは初めて会ってコラボする訳だから、お互いの状況を確認して、段取りを決める。何となく出来そうな気がしてくる。9月16日の茶会、どうなるのだろうか、楽しみだ。

9月7日 ランプーンへひた走る

今日はチェンマイ郊外ランプーンと言う街へ行く。昨年12月日本人Sさんの花農園に2泊させて頂いたが、とてもよい所だったので、手配師バーンタオ氏にお願いして、車で連れて行ってもらった。以前アユタヤまでは車で行ったことがあるが、こんな長距離の車移動は初めての体験。

バンコック市内を昼頃出発。昔はよく使ったドムアン空港付近の風景は何となく懐かしい。高速道路を快適に飛ばす。天気はよく、向こうには白い雲が見える。その後国道1号線に繋がる。高速道路ではないが、道幅も片道4車線と広く、快適。高速道路とは速度の制限だけではなく、信号が無く、人や自転車が走らない道だと、改めて実感。国道1号線はバンコック近郊では準高速道路だ。

途中には田園風景も広がり、いい意味で田舎道である。タイという国はやはり農業国なのだ。大きな街が近づくとバイパスが整備されており、1号線と別れて街をすり抜け、また1号線に合流する。何とも面白い。

ガソリンスタンド脇の食堂で食事。これが意外なほど美味い。タイではこの手の店がどこでも美味いという不思議。またガススタンドの充実ぶりは凄い。セブンイレブンやスーパー、ちょっとした食べ物屋が並ぶ。中には「すいか」という名前の服屋まで。この店、タイでは有名だとか。

最初はいい天気だったが、途中から大雨に。あまりの豪雨に車を停めるべきと思うほど。しかも雲がある下では激しく降り、雲が切れると途端に止まる。これも面白い現象だ。そして途中から車が殆ど走っていない。この路線はバンコックとチェンマイを結ぶ大動脈、と思っていたが、それは勘違いだった。バンコックは大都会だが、チェンマイは一地方都市なのだ。そうでなければ高速道路も作られていただろう。

周囲が暗くなる。夕飯でも食べようかと立ち寄ったドライブイン、トイレへ行くと何とトラック運転手が腰にバスタオルを巻いて、お風呂セットを手に持ってやって来た。運転手の中にはトラックで生活している人もいるという。中には奥さんを乗せて走る人もいるとか。

食堂へ入ろうとすると物凄い豪雨が突然襲ってきた。慌てて車へ逃げ込み、食事もせずに突っ走ることに。バーンタオ氏は運転好きだというが、タイで運転を始めたのはここ1-2年。眠くもならず、着実に運転している。それでもタイの一般人よりはだいぶ速いのだそうだ。タイ人は間に合わなくなると猛スピードを出すが、それまではゆっくり行くらしい。如何にもタイ人だ。

バーンタオ氏は前回バンコック、チェンマイ間を6時間で走ったというが、結局この日は10時間ほど掛かり、午後10時過ぎにようやく到着した。ランプーンの花農園では何故か若い日本人女性が夕飯を出してくれた。これも美味かった。

9月8日 ランプーン2日目

今回のランプーン花農園宿泊はバーンタオバス企画。バンコックから特色あるオプショナルツアーを考えたい私にバーンタオ氏が協力してくれ、実現。従来型にツアーではなく、基本的には現地に行き、何の予定事前計画なしで過ごすもの。花農園のSさんも全く同じ考えだった。

朝から雨。雨なら宿泊場所のコテージで大人しく、日記を書く。そしてバーンタオ氏と語り合う。こんな時間も重要だ。それから東屋へ移動しての朝食。この東屋がまた良い。自然の中に作られ、心地よい広さ、風が通り、リラックスできる。食事はカオトーン、お粥だ。これがまた大の好物で朝から3杯も頂く。

そして雨が止むと農園内を散策し、雨が降ると同行しているAさんも交えて、タイ談義。私にとっては実に新鮮で、生のタイ情報、特にタイ人気質や行動パターンを学んだ。彼らは奥さんの愚痴を言っていただけかもしれないが、大いに参考になる。

そうこうしている内に昼ごはんに。何だか食べてばかりいる。鶏肉ご飯、我々の世界でいう海南チキンライスだ。この食べ物、元はどこから来たのだろうか。海南島には確かなかったな。

午後はハーブ園へ。Sさんの奥さんのお姉さんが、経営しているが、生憎お姉さんは不在。ハーブで作ったワインを頂く。健康に良い、癌に効くなど効用が述べられる。味は黒酢に近い。慣れないとちょっと飲みにくいが、体には良さそうな印象あり。隣の水工場も見学。ここの責任者は事故で片手を失っていたが、そんなことは微塵も感じさせない明るさときびきびした動作があり、感心した。そして何よりも、自分の仕事に一生懸命で誇りを持っていた。何だか久しぶりに、自分の仕事のことを考えた。

花農園に戻って雑談していると奥さんのお姉さんがやって来て、ハーブの効能などを説明してくれる。そして私の舌と手を見て、「元気そうだ」という。色々と体にガタがきているが、そう言われると何となくそうかと思う。

夜はSさん、奥さん、奥さんのお姉さんや農園従業員も一部参加して、宴会となる。お姉さんは3年物、5年物のハーブワインを持ってきて、しきりに勧める。実はワインだからアルコール分が2%あった。私は最近全くアルコールを取っていないので、2%でも相当堪える。その内、皆陽気になり、大声で笑い、歌う。お姉さんの息子がやって来て楽器を弾き、歌う。何だかとても良い雰囲気なのだが、体が言うことを聞かずに、早々に退散して寝る。

9月9日 ランプーン3日目

今朝も雨が降っていたが、朝食後、止む。すかさずSさんアテンドの花農園散策へ出る。先ずは母屋周辺から。こちらにはSさんが様々な草花を植えて、商業用になるのか、実験をしているコーナーがある。随分と色々な地域から植物を集めて、トライしている。既に71歳のSさん、その探求心は衰えない。

芋に似た葉を持つ植物。何となく惹かれる。独特な開き方をする花びら。かなり鮮やかな南国の植物たち。バニラが木に絡まっている。畑には出荷を待つ花たちが、山々を背景にした広々とした場所で、開いている。色鮮やか。タイでは葬式の時でもピンクも派手な色もOKだとか。

旅人の木と呼ばれる大きく羽を広げたような木がある。リゾートホテルの入り口などにあるあれだ。そうか、あの木は強い風でも倒れない柔軟性から名付けられた縁起の良い木だったかの。ミッキーマウスツリーという花が咲き、実が顔を出すとミッキーのように見える植物もあった。

母屋横ではちょうど花の注文があり、出荷準備が進んでいた。花は鮮度が大切。その作業は思ったより素早い。そしてあっと言う間に車に乗せられ、出て行った。日曜日でも葬式でもあるのだろうか。

昼ごはんに、名物のカオソイを食べに行こうと車で出掛けたが、休みだった。何と前回と同じパターン。日曜日まで働く必要はないという意味か。とても残念。そして前回と全く同じ麺屋へ行く。日曜日に営業している店は非常に少ない。

お寺も見学する。アンポエパサンというランプーンの街を見下ろす古刹だ。下には龍の階段があり、本来は歩いて登るのだが、我々は車で上へ。10年ほど前に改装された本堂は実に立派。上から見るランプーンの景色も素晴らしい。若い坊さんが屋根のペンキを塗っていたのはご愛嬌か。下にはブッダの足跡や袈裟を洗った井戸などの伝説がある。また同時に人の一生をリアルに描いた人形が並べられ、人は死んだら骨になる、ということまで示していて興味深い。

午後はバーンタオ氏の炭焼き窯見学に付き合う。ピックアップトラックの荷台に初めて乗る。意外とバランスがとり難く、疲れる。2-3の窯を見たが、この辺でも環境問題が起きており、炭焼きも配慮が必要だそうだ。

夜は奥さんのお姉さんの家で屋外パーティ。これはなかなか面白い。ハーブの葉のかき揚げ、洋風のスープ、バナナの葉の中に卵を入れて炙る食べ物など、非常にユニーク。そして家族や近所の人が総出で、揚げ物、焼き物、スープ作りを等を行っている様子が素晴らしい。子供もこうやって育つのか。いいな。

 

9月10日 ランプーン4日目

今日はいよいよランプーンを離れる日となった。何となく離れがたい。今朝もしとしと雨が降っている。コテージ前の池も水かさが増している。バーンタオ氏の携帯が鳴り、奥さんから「タイ中部、スコータイあたりが洪水だ。気を付けて帰れ。途中の道はおまわりさんによく聞け」との連絡が入る。またタイも洪水の季節を迎えたのだろうか。

朝食のサンドイッチを食べると、Aさんと娘さんはスコータイ見学を諦めて、早々にランパンの焼き物見学に出立。私は日記でも書こうかと思っていると、既に次のお客さんが到着した。一人はニュージーランドから来たアメリカ人。もう一人はインドのカリンポンからやって来た。Sさんの同業者、仕事で来たというが、彼らがなかなか愉快な人々で語らう。

特にカリンポンは昨年訪れて、気に入っていた街。話しているともう一度行きたくなる。彼らはここに3泊するらしい。私ももっと居たかった。これもご縁というものか。来年何とかカリンポンを再訪しよう。

お昼の時間が来た。すると日本人の女性が二人入ってきた。聞けば、和菓子作りを教えに来たという。驚いた。それなりに年輩の方だが、ボランティアでタイのみならず、中国雲南省などにも教えに行くという。彼女の作った「鶯餅」が振舞われた。実に懐かしい味がした。昼ごはんはインターナショナルな集いとなった。これがSさん農場をよく表していると思う。誰でも気楽にやって来て付き合う。ある種の理想郷だろう。もち米を揚げ、そこにあんかけを掛けて食べる料理。実に美味しかった。美味しいは万国共通。皆お替りしていた。何だか嬉しくなる。

とうとう農園を離れる。チンさんという従業員に農園の車でチェンマイのバスターミナルまで送ってもらう。約1時間。彼女は雲が遠くに見えると雨が来ると素早く察知。一度で良いから雪を見てみたいとも言う。現在はまだタイ国内旅行。今後彼らが日本へ来ることがあるだろうか。でもランプーンのゆったりした生活が一番幸せであろう。

バスは順調にチェンマイからチェンライへ。この路線は昨年末一度に乗っているので緊張感はない。途中豪雨が来たかと思うと、虹が出たりとなかなか面白い。山道を走り、平地の田園を走る。3時間強でチャンライのバスターミナルへ到着。ところが・・・。

チェンライは凄い雨だった。全くどうしようもないほど降っていた。タクシーを探してホテルを探そうと思っていたが、全くいない。西洋人のバックパッカーもお手上げといった様子で茫然と雨を見つめる。どうしようか。仕方なく携帯で電話した。明日会う予定の日本人Iさんに救助を求めた。Iさんは気さくに車で迎えに来てくれ、そのまま近所のホテルに飛び込んだ。550バーツと言われ、WIFIもフリー。チェンライの安さを感じた。

夜は小雨になった所で、近所のレストランでニガウリスープと野菜煮込みをおかずにご飯を食べた。華人系の店だったが、言葉は英語だった。