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バンコク滞在記2022 その2(1)ナンルーン市場のカレー

《バンコク滞在記2022(2)》  2022年8月16₋24日

8月16日(火)近所の朝ごはんと晩御飯

朝ご飯のバリエーションを増やしたい。ということでネット検索すると、すぐ近くに有名店があるらしいと分かった。先日行ってみると日曜日だったからか店は閉まっていたので、本日再挑戦する。ほんの歩いて5分なのだが、通りの歩道橋を渡るのは意外と難儀な物だ。何とか向こうへ行き、目指す店に辿り着く。

そこには朝9時でも行列が出来ており、基本的にはテイクアウトする。ご飯とおかず二品が定番のようだった。私もイカ炒めと骨付き豚をオーダーして中の席で待つ。確かに美味しく料金も高くはない。ただお客が多過ぎて何となく慌ただしい。急いで食べてすぐに出てきてしまった。

昼間は原稿書きとプール。前回プールもコロナ禍で閉鎖になり、十分に入れなかったのだが、今回はゆっくりと入れる。ただ肘肩痛の影響は意外と大きく、長い時間泳いでいると後で傷みがでる。ではゆっくり本でも読もうかと思っても、目が悪くなっており、やはり長時間は耐えられず、そそくさと部屋に戻ることになる。

夕飯の選択肢として、近所に出来たすき屋へ行ってみた。昨日のかつやや吉野家などは海外では少し高級志向を取り、様々な現地商品を開発しているようだが、すき家は基本的に台湾をベースにしているのかもしれない。牛丼、野菜炒め、みそ汁のセットが109bだから、これは台湾と同じメニューで料金的にも安い。現地化を図っているのだろうか。

8月17日(水)ナンルーン市場へ

今日は同窓生のOさんからお誘いがあり、Oさんの車で出掛ける。どこへ行くのかは分からない。ヤワラーの方だと聞いたが、車は全く知らない道を行き、全く知らない場所で停車した。そこは古い華人街を思わせ、長屋のような建物が続いている。その一軒の食堂に入っていく。

ここのカレーは美味い、というので、食べてみると確かにスパイシーではなく、日本のカレーのようで美味い。ポークカレーライス45bに半熟卵をトッピング。きゅうりと一緒に食べるとよく合う。冬瓜も入っていたようだ。タイでカレーというとなぜかグリーンカレーとレッドカレーとかいうが、あれはカレー粉を使っていない。カレー粉を使っているとすればタイ南部が起源ともいうマッサマンカレーだろうか。これも近年突如注目され、日本の牛丼チェーンのメニューまで入ったが、今日のカレーはそれとも違う。独自のレシピという以外知りようがない。午前中に売り切れることも多いというからタイ華人にも人気のようだ。

この近くにナンルーン市場がある。日本人観光客が来るようなところではないが、近年バンコクでは美食市場として、YouTubeなどで取り上げられることが多いという。ここにはきちんとした食事スペースがあり、市場の中にフードコートがある感じだ。一番人気はタイカレーらしいが、我々はOさんお勧めのバンミーを食す。雲吞、叉焼、そしてこのスープがまた美味い。幸せな気分。やはりバンミーは華人の食べ物だ。

それから市場の横にあるおしゃれなカフェに行く。コロナ禍で旅行できないとき、Oさんと奥さんが何気なく来たこの市場のカフェにはまり、今でも月に1₋2度来るという。確かに落ち着いた雰囲気があり、コーヒーも美味しい。Oさんは週末の午後、ここでドリンクを三杯飲んで読書するのだという。この日は平日で近所の役所の若手が来ており、少し騒がしかったが、昼休みが終われば、静寂が訪れ、気が付くと夕方まで話し込んでしまった。

帰りは小雨の中、大渋滞に巻き込まれる。ある意味でこれが以前のバンコクだったなと懐かしんだが、一体いつになったら着くのか分からず、最後はファランポーン駅で車を降りてMRTに乗った。雨は上がっていたので、近所の麺屋へ行く。麺屋ではない。昼間はタイヤ屋だが、なぜか夕方から時々麺屋になる。ここの麺と煮込んだ鶏肉、そして濃い目のスープが華人らしくて好きだ。

帰宅後Oさんからメールが来た。私の宿にあるムエタイジムに、三浦知良の息子が来ており、近々ムエタイの試合があるというので、格闘技好きの間で話題になっているらしい。そういえば昨日エレベーターですれ違った若者がそうだったかもしれない。バンコクでは若い女性に大人気とか。

バンコク滞在記2022 その1(5)とんかつと眼鏡

8月14日(日)近所の食事

今日は日曜日で三連休の最終日。私にとっては外出しない日である。また朝ご飯を探しに外へ出ると道の向こう側に気になる屋台があった。先日見た時もバイタク運転手が列をなしており、一度食べてみたいと思っていたが、ちょうど席があったので、思い切ってトライする。

ブラウンソースは味が濃い目で胡椒がかなりかかっている。麺は確かに美味しい。これで40bだから、節約したい人はここに集まるのかもしれない。しかしこういう屋台はすぐにいなくなってしまうもので、その後ここで食べることはなかった。

夕方、お昼を抜いたので早めに食事を探す。私は大のとんかつ好き。かつ丼でもあれば良いのだがと、ふと思い出したのが近所のとんかつ屋。2年前は良く通った。だがそこへ行くと店舗は既にない。検索すると比較的近くの居酒屋などが集まる場所へ移動していたので、そちらへ行ってみた。

店自体が居酒屋を居ぬきで借りたらしく、前の店内と比べて雑然としている。そして従業員の対応もどことなく以前の元気はなく、何となく投げやりだ。価格も30bほど上がっており、食べてみるとちょっと油が気になった。恐らく物価高騰に店舗移転が重なり、このようなことになったのでは、と思うが、残念ながらもう行くことはないだろう。

8月15日(月)とんかつと眼鏡

昨日のとんかつがあまりに残念だったので、今日はエカマイに行ってみた。日本のかつやが出ているというのでどんなものか見に行く。実は日本で食べた時のコスパが良くて、ひそかに注目している。72番赤バスも健在。一本でエカマイゲートウエイに行く。ここは大きな招き猫の置物があったのだが、残念ながら無くなっていた。和食店の数もやはりコロナ前より減っている感はある。その中でチェーン店が目立つ。

かつやは安くてうまいかと思ったが、バンコクのコンセプトは少し違っていた。それでも100bちょっとでかつ丼が食べられそうだったが、メニューがすごく見づらくて、困る。そしてなぜか189bもするカツとじ定食を頼んでしまう。更にはドリンクの注文が追い打ちをかけて220bもかかってしまった。周囲を見たらそんなものを食べている人はいない。失敗した。

BTSでチットロムへ行こうと思ったが、ラビットカードはやはり使えなかった。窓口で聞いたら、コロナのせいではなく、私のカードは7年を経過しており、失効していたのだ。これを新しいカードに更新するにはパスポートも必要で、何かと面倒だったが、少額の残高も移行できたので、まずは良しとしよう。

チットロムで降りて、眼鏡屋へ向かった。実は先日Iさんからここに日本人が常駐していると聞いていた。そして私は数か月前、日本のこの店(チェーン店)で、眼鏡を2つ作っていたので、行ってみた。その日本人スタッフは非常に親切で、丁寧に視力を計り直し、問題点を指摘してくれた。

それでは新しいのを作りますか、となった時、その代金は日本よりかなり高いことに気が付いた。勿論円安の影響はあるが、それを差し引いても高い。聞けば材料も日本で使っている物とは違うという。要は日本では安売り店へ、海外では高級ブランドとして生きていく戦略なのだと分かった。日本はこれからさらに貧しくなり、アジアは基本的に伸びていく。どちらの市場も取り込もうとするとこうなるのだろう。だが私個人の懐具合から考えて、今バンコクで眼鏡を作る選択肢はなく、『日本に帰ったらお宅で作ります』と言って礼を言うのが精いっぱいだった。彼には悪いことをしたが、これが現実だ。

気持ちが貧しくなり、帰りもバスに乗る。この周辺を歩いている外国人観光客が増えていることを実感する。彼らは私などとは違ってもっと消費するだろうからタイに貢献している。そんなことを考えながらバスを降りて、宿に着く直前、ものすごいスコールに見舞われ、軒下に避難して、そこから動けなくなってしまった。何かを暗示している天候のように思えてならなかった。日本の未来でなければよいが。

バンコク滞在記2022 その1(4)セントラルエンバシーとマック

8月12日(金)セントラルエンバシー

今朝は何だかだるくてベッドから起き上がる気がしなかった。それでも9時を過ぎると掃除人がやってくるので部屋を明け渡す。何か食べようかと見渡したが、結局ちょっと散歩しただけで部屋に戻ってしまった。茶の歴史など書いてみようとも思うが、その集中力もない。

10時半、バスターミナルへ行き、久しぶりに赤バスに乗る。今日タイは祝日ということで閑散としている。赤バスはまだどこまで乗っても料金8bであった。このバス一本でチットロムまで行く。途中大型施設の工事現場を通り、懐かしの?日本大使館を通る。驚いたことにこの辺バス停には、電光掲示板が取り付けられ、何番が何分後に来るのかが、表示されている。これはシンガポールあたりのシステムを導入したのか。便利であり、進化が見られる。

セントラルエンバシーはちょっと格調高い高級感があり、これまで私には無縁だった。今日はIさんのお誘いでここでランチをすることになっていた。まずは無印良品を訪ねる。実は5年前にバンコクMUJIで買った小型リュックを愛用しているが、ついに破れ始めていたので、新しいものを買いたい。東京のMUJIで調べてもらったら、何と日本では元々扱っていないと分かり、バンコクまで持ち越してきた。だがここでも調べてもらったが、半年以上前に扱いは無くなっており、結局買えなかった。

鼎泰豊と言えば、台湾小籠包の名店。私は台湾では基本的に行かないが、中国では昔よく行った。それがここにも入っていたので、食べてみる。正直に言うと、味は微妙に台湾ではなかった。やはり各地でアレンジされているのだろうか。だが祝日ということもあり、特に母の日だったこともあり、家族連れで超満員の盛況だった。決して安くはないレストランで、タイの発展を感じる。

Iさんとの話が尽きず、場所を変えて話す。このビルの最上階のカフェ、ケーキが200b代、コーヒーと合わせて軽く400bを越えるが、お客はひっきりなしにやってくるので、本当に驚いた。東京でいえば青山・六本木あたりで午後お茶する料金を簡単に払うタイ人たち。円安を考えなくても勢いはある。

帰りのバスを待ったがなかなか来ないので、懐かしい場所を歩いてみる。昔泊まったホテルが改装中だ。やはり旅行解禁に合わせてリノベーションが行われている。宿の近くまで来ると雨が上がっていた。初めて入る屋台で臓物スープを食べる。このスープはなかなか美味しいのだが、一緒に出て来る白米が不味すぎる。この食べ物はバイタク運チャンなどが食べる一番安い食い物かもしれないが、何とも残念だ。

8月13日(土)マクドナルドが

日本でも偶に食べるマクドナルド。バンコクに来ると時々手を出していた。その近所の店も安泰であったので、嬉しくなり入ってみた。ところが店内は何も変わっていなのに、注文カウンターだけがなくなり、そこではデリバリーの運転手が商品を待っている、お渡しカウンターに変貌していた。

戸惑っていると係員がタイ語でこっちだよ、と指し示す。見るとタッチパネルが設置されており、皆サクサクと注文している。英語もちゃんとあるのだが、この操作がなかなか難しい。係員は英語も出来たので、結局私は言葉で言って、彼女が打ち込む羽目となる。ようやくオーダーできると、隣のお渡しカウンターで支払いをする。これもタイ人の若者はキャッシュレス化しており、ここには来ない。

フィレオフィッシュバーガーセット(ポテトとドリンク普通サイズ付き)が99bはかなりお得感があり、安く感じられるが、全体的に見えれば、既に日本のマックの代金を越えているようにも思える。それでもタイのどこにでもあるマック、これもまたタイなのだろう。因みにコロナ禍ではドライブスルーが活躍しただろう、いやデリバリーだっただろうか。

バンコク滞在記2022 その1(3)スマホ

午後日差しが出ていたので初めてプールに入る。白人女性が一人大胆に寝転んでいるだけ。私は恐る恐るプールに浸かり、恐る恐る泳いでみた。水は暖かく快適。一往復だけで上がり、少し本を読んでから戻る。これからは体力、いや筋力を回復させないと、ちょっとした動作で体が痛くなるのを防ぎたい。

3時過ぎにYさんと出掛ける。最近雲助タクシーが復活しているといい、道路まで出てタクシーを拾う。道路もバイタクならスイスイだが車だと結構混んでいる。プロンポーンまで行き、4年前にスマホを買った店へ行く。店舗に変化はなかったが、スマホの値段は高くなり、また円換算すると日本の方が安いように思われた。更に何と型落ちIPhoneを買おうとしたら、『シムカードはAIS以外使えません』とのまさかのご託宣。慌てて逃げだす。

向かいのAppleストアーでほぼ同じ値段、縛りなしスマホを購入し、データ移行までしてもらった。待っている間、近所のアマゾンカフェに行く。ここは安いチェーン店、客はあまりいない。何だか田舎のサービスエリア以来か。スマホを受け取り、今度は向かいのビルで、アクセサリーを買う。新しいスマホにはイヤホンも充電器のソケットも付いていなかった。

Yさんと別れて銀行へ。通帳記帳などを行う。定期預金金利は2年前から1%下がり、利息も期待できない。これもコロナ経済の現象か。腹が減ったのでエンポリを偵察。上の階のフードコートは一応健在だったが、お客が少ない。まあゆっくりカオマンガイを食べてから帰る。

新しいスマホ、何とLINEも微信も本人認証が必要で、日本の電話に繋ぐ必要があり、困る。部屋はおろか、ロビーすらWifiが繋がらないこの宿ではどうしようもないのだろうか。取り敢えず明日を待って眠れぬ夜を過ごす?

8月11日(木)ご近所で

朝腹が減ったのでコムヤーンの美味い店に行ってみる。この間覗いた時はやっていなかったので心配したが、今日はちゃんと煙が上がっており、何とも喜ばしい。おばさんも私を見つけると、嬉しそうな笑顔となった。言葉はほぼ通じていないが、10年は通っているだけあって、こういう対応は何とも喜ばしい。そしてコムヤーンは今日も脂身が旨かった。代金は10b上がって50b。カオニャオは5bで据え置き。至福の朝が蘇る。

お昼にYさんに付き合ってもらい、近所のロータスへ。AISのシムカードを購入する。2年前も使っていた『1か月無制限 200b』がまだ売っているのかタイ語で聞いてもらったが、販売員の説明がイマイチ曖昧。それでも無事シムカード代50bを入れて200bで新しいスマホにシムが入った。これで万全だったが、やはり微信、Lineなどは新しいスマホでは使えず、困る。

昼ご飯を食べようとロータス内の八番らーめんに行く。ここは今やタイの国民食の一角を占める日本のラーメン店。石川発祥だというが、既に30年以上タイで営業しており、今やどこのロータス、BigCにも入っている。昼時は席を探すのが大変だ。ラーメン餃子セット180b、コーラ付きは高いのか安いのか。ラーメンは特に特徴はないが優しい醤油味。

午後はプールに入り体を動かす。昨年来の肩痛で運動は難しかったが、ここで徐々に慣らしていきたいと思っている。これは今回のバンコク滞在の目的の一つだが、今日は殆ど泳げなかった。その内雲行きが怪しくなり、引き揚げる。部屋に戻ると雷と共にかなり激しいスコールに見舞われる。如何にも南国に来た、という感じがする。

雨がようやく止んだので、夕方買い物に出る。いつも行くパン屋は平常通りやっており、思うものが買えた。近所の高級スーパーも視察?して、何が売っているのか、いや何を売らなくなったのかを確認する。ついでに稲荷壽司95bを買って帰る。まあこれが高いのか安いのか、最近はどうしても円安の影響で考えてしまう。

バンコク滞在記2022 その1(2)日常を取り戻す

8月9日(火)日常を取り戻す

朝Yさんといつものコーヒータイム。懐かしい。宿内のカフェも新しくなっている。2年半前、自分が何を飲んでいたのかが思い出せず。いつの間にかアメリカンがやってくる。2年半の空白を埋めるのは容易ではない。宿のオーナー夫妻に挨拶すると、帰ってきたことをとても喜んでくれた。

とにかく家賃を払うため、銀行へ向かった。プロンポンまでバイタクで行くと速いが、コロナの影響で宿の前にバイクはない。仕方なく通りまで出て探す。バイタクに乗るのも2年半ぶり。大してスピードが出ていなくても、ちょっと怖い。また乗る時に筋力が衰えており、筋肉痛を引き起こす。40バーツを渡すと黙って受け取ったので、昔と料金は変わっていない様子だ。物価高騰の折、バイタク業はかなり厳しい。

プロンポンでまずは銀行へ行き、凍結された口座を解除しようとしたが、何と口座は特に凍結などされていなかった。私のボケの事情で勝手な思い込みがあっただけで、銀行スタッフに諭されると、魔法のようにATMからお金が出てきたので、びっくりした。日本の老人で口座からお金が出ないと言ってきたのは、私だけではないようだ。これもコロナボケ?

ランチは昔時々いったキッチン(洋食屋)に入ってみた。11時半過ぎ、お客はほぼタイ人しかいない。メニューはほぼ変わりなく、ただ料金は定食が200‐220bから250‐270bと20%程度上がっていた。これに円安を加えて円換算すると、1000円ランチとなり、日本人には手が出しにくい価格となったのだろうか。それともお盆休みでいないだけなのだろうか。後で聞くとこの店、日本人が撤退(店舗地変更)して、タイ人が買い取り、そのまま営業しているらしい。そんな店も増えていると聞く。

それから道の反対側へ渡り、ユニクロへ。今回肩痛などのため、荷物をできるだけ減らしたため、Tシャツ、パンツ、水着、靴下などは現地調達することにしていた。ユニクロは日本より高いが、何しろスタッフはほぼ英語が通じるので何かと便利。Tシャツのサイズなども図ってくれた。だがなぜかXLサイズで買ったTシャツが小さい。どうも女性用を買ってしまったのかもしれない??紀伊国屋も健在でよかった。

富士スーパーへ行ってみようと思ったが、意外と人が歩いているので、途中のパン屋に入り(実はこのパン屋が激込みで)、パンを買ってそのままソイを出た。パンの値段も1₋2割上がっているように思う。そこからアソークまで散歩してみるが、昔あった店は大体あるようだった。もっと激変しているかと思ったので、ちょっと拍子抜け。ただ中身はかなり変わっているとの指摘あり。

アソークでMRTに潜り込む。2年半前に使っていたカードではやはり入れず。しかし100bトップアップしてアクティベートできたのでよかった。昼間なのでMRTは空いており、一駅で降りてバイタクで宿へ帰る。宿で1か月分の家賃を納めて一安心。

その後フルーツが食べたくなり、外へ出て屋台を探したがいなかった。仕方なく市場近くまで歩くと八百屋があり、20bのパイナップルが目に入る。カットを頼むと申し訳なさそうに5bプラスと言われた。ところがそのカットが実に入念で10分もかけてやってくれたので、これで5bかとこちらが恐縮してしまった。そして屋台より多くのパインも手に入り大満足だが、人件費、加工賃とは何かを考えさせられる。

8月10日(水)Iphone騒動

朝YさんのYouTubeを見る。同じ建物内で話しているのだが、画面を通してみると当たり前だが東京で見るのと変わりはない。バンコクの屋台が無くなっていくとの話、シンガポールのホーカーセンターにするらしい。確かに衛生面には問題があるが、屋台はバンコックの良い所。しかし国の発展過程では致し方ないことだろうか。

コムヤーンを食べたいと思い、いつもの店へ行ってみたが、店は開いていても煙は上がっていない。これも屋台廃止関連だろうか?一説に豚肉高騰があり、商売が厳しいのでは、との話もあり。10時に掃除の人が来たので、外へ出る。昔から三姉妹?でやっている麺屋が開いており、久しぶりの鶏肉麺。おばさんがコーラも飲むか、と言ってきたので合わせて60b。麺は少し値上がりか?

バンコク滞在記2022 その1(1)2年半ぶりの海外旅

《バンコク滞在記2022(1)》  2022年8月8₋15日

2020年3月、コロナによるロックダウンの2日前、私はバンコクを脱出して東京へ帰った。それから2年と5か月、ついにまた海外へ。しかも場所はバンコク。中国や台湾、香港は全く開かず、東南アジアは突如?フルオープンになったと聞き、まずはバンコクを目指すことにした。しかし2年以上海外へ出ていないと、忘れてしまったことも多い。とにかくパスポートとフライト予約、お金を忘れず出発する。

8月8日(月)バンコクまで

何だかとても緊張する。初めて海外旅に行く気分で、朝も早く起きる。お盆休みに入りかけているのか、電車はそれほど混んでおらず、羽田まで大きな荷物を持って移動した。タイ航空のカウンターは2時間半前に開くのだが、それより早く到着。ただ既に数十人が並んでいる。気合が入っているな?タイ人が多いのは、やはり迄日本人の海外旅行は本格化していないからか。

チェックインで荷物を計ると、わずか18㎏しかなかった。これまで30㎏は持って出ていたので、自分でも意外だ。これも昨年の肩肘痛後、重い荷物を避けてきた結果だ。これからは心も荷物も軽くして旅を続けたい。カウンターではさすがにワクチン接種証明の提示を求められた。このためにだけに接種したのだから、思いっきり提示する。出国も従来通りに自動ゲートだったが、取り敢えずスタンプはもらっておいた。

ラウンジも特に変化はない。いやむしろ乗客で混雑していて驚いた。アメリカやヨーロッパへ行く客がトランジットとして利用しているようだ。また欠航便の表示も多い。やはりまだ安定した飛行とはなっていないように見える。朝ドラを見ようとNHK+にアクセスしたら、何と圏外の表示が出た。確かに出国したがまだここは羽田だ。受信料もちゃんと払っている人に見せないとは怒りと共に、違法性すら感じた。こんな取り締まりに費用を掛けるなら、他にやることがあるだろうと言いたい。

機内はそれほど混んではいなかったが、思ったよりは乗客がいた。日本人客が少ないためか、コロナ以前は乗っていた日本人CAの姿はない。あまりに久しぶりの機内食に新鮮さが溢れ、喜んで食べている自分に驚く。映画を見ながら寝こけていたら、もう着陸だった。5時間半は長いようで短い。

バンコクで

空港に降り立つと緊張感が一気に高まる。果たして無事に入国できるのか。イミグレまでやってくると、何と長蛇の列。顔ぶれはなぜかインド系が目立ち、白人もそれなりにいる。いないのは中国系だろうか。バンコクは既にポストコロナ時代に入っていた。とにかく列はなかなか進まない。やはり色々とトラブルがあるのだろうか。2年以上も海外に出ていない人が多ければ、やはりいつもより時間はかかる。

ようやく順番が回ってきた。握りしめていたワクチン接種証明は全く不要だった。そして何事もなかったかのように、スタンプが押され、ハレて入国した。素直に嬉しい。荷物は既にターンテーブルを何周も回っていた。荷物検査はなく、するっと外へ出た。まずはシムを買おうとブースに行ったが、従来の3日間用はなく、16日間、15GB、299bが一番安かったのでそれを買ってスマホを起動させる。

エアポートリンクも動いているようだったが、荷物もあるのでタクシーに乗る。ここは混んでいなかった。運転手も客が来てよかったという雰囲気だ。高速道路を走っていたが、どこを走っているのか分からず、これまで見たこともない街に来ている感覚に襲われた。なぜだろうか。タクシー代は高速代を入れると400bを超えたから、いつもと違う道だったのだろう。まあ無事に着いてよかった。

定宿というのは有難い。フロントに知った顔があり、『おー、ついに戻ってきたか』と喜ばしそうだ。部屋も前回と同じで、まるで2年半前の続きをしているようだ。宿を一回りしてみると、洗濯屋が無くなり、コインランドリーになっている。やはりコロナの2年には、色々なことがあったのだろう。

取り敢えず腹が減り、外へ出た。周囲も思ったほど変化はないようだ。なぜかパッタイが食べたくなり、その店へ行くとちゃんと開いている。料金は10bほど値上がりか。お客がどれだけ来ているのか心配だが、コロナを耐え抜いていた。カキオムレツまで食べてしまった。お決まりのコーラも飲む。バンコクに来た、という気分になり何となく楽しい。

それからロータスで買い物。いつの間にかテスコが撤退して、名前はロータスだけになっている。ここでお菓子やドリンク、そして食器などを買い込み、これからの3か月の生活に備える。取り敢えず前回持ち帰ったタイバーツがあったので、今日のところは無事に過ごせた。

ある日のバンコック日記2020(24)緊張状態で帰国したが

花屋が並ぶ一角、よくよく見てみると、その合間に茶を売る店が2軒は見つかった。王陽春という店などは、あの安渓華僑誌にも名前が記されているので、ある意味では大発見だった。パイナップルの商標が何ともかわいらしい。店員はタイ人(いやカンボジア人?)だったが、奥から華人女性が出てきてくれた。店や一族の詳しい歴史は母親に聞いてほしいと言われたが、生憎今日は不在だった。

彼女とは華語で話せたので、後日再訪すると伝えたが、何とこれが今回最後の茶旅となり、コロナ避難となってしまった。このお店の歴史、非常に興味深いのに、何とも残念だが、既に外出制限がかかりそうで、無理して訪ねる訳にも行かなかった。とにかくバンコックにもまだまだ隠れた茶荘があり、その歴史に踏み込む余地はある、ということだろう。

それからMRTに乗って、ファランポーンまで行き、ランチを探す。汁なしワンタンメンがうまいと評判の店に入ったが、いつも満員の店内がガラガラ。すでに外国人観光客の姿は激減しており、チャイナタウンもひっそりとしていた。この麺、美味いが量が少ない。次回は大盛りやら、汁麺やらを食べてみたいと思うのだが、それが叶うのはいつのことやら。

3月22日(日)帰国

帰国の便が決まり、急に慌ただしくなってきた。2か月半も同じところにいると、なんだかんだで物も溜まり、捨てるか持って帰るかの決断を迫られてしまう。今回は予想外の成果もあり、資料や本なども多く持ち帰ることとなる。この宿には1か月分の家賃を納付済みだったが、最後は半月で出るになってしまった。もったいないとは思うが、まさに自己都合、文句は言えないし、宿の方も収入減で困っているはずだから、ある種の支援と考える。

そんな中で、借りていた本を発見し、前日急遽返しに行ったりもした。バスでアソークへ出たが、人が本当に歩いていなかった。週末だが閉まっている店も増えてきている。いよいよバンコックのロックダウンの噂も本格化し、不要不急の外出はしなくなっているようだった。

私は2日分の食料を買い込み、部屋で食事をしていたのだが、買い置いたサンドイッチかおにぎりが悪くなっていたようで、急に腹痛を起こしたのにはかなり焦ってしまった。何しろ発熱は致命的、飛行機にも乗れなければ、この宿にいることもできなくなるのだから、絶対に避けなければならない。

幸い熱は出なかったのでホッとしながら相撲を見ていた。白鵬が勝ってしまい、つまらない幕引きであった。こんな時期でも日本のニュースではまだ『東京五輪』が開催できるかのような論調が流れており、狂っているとしか思えない。世界のアスリートが東京に集まるわけがないだろう。プロ野球もJリーグも開催延期となっているにもかかわらず、オリンピックは開催するというのだから、恐ろしい国だと言わざるを得ない。

フライトは今日の深夜発なので、時間はたっぷりあったし、ホテルで1泊しているわけではないので、チェックアウトは午後9時にしてもらった。空港まで行くタクシーがあるのか心配したが、すぐにやってきた。運転手は厳重にマスクしており、我々より彼らの方がよほど高いリスクの中で仕事をしていると感じられた。

空港に入っても(入り口で体温チェック)人影はまばらだった。ヨーロッパ線のどこかの航空会社のカウンターの前にだけ、白人の団体がいたが、その他は基本的に人が少なく、蜜の状態はなかった。出国手続きもいつものような混雑はなく、スムーズ過ぎる。免税店には少しだけ人がいた。私と同じように帰国する人々が最後に土産を買っている。

時間が余ったので、ラウンジを使おうと思ったが、多くのラウンジは閉鎖されていた。タイ航空のラウンジも一番端の一か所に絞られており、そこに入るとかなりの人がいたので、緊張してしまった。体調もそれほど良くはないので、何も食べずに紅茶だけを飲んでいたが、居心地も悪く、すぐに出てしまった。空港内のベンチの方が人はいなくてよい。

フライトは定刻に出発。乗客は半分ぐらいだろうか。白人が意外と多いのは、バンコックのロックダウンに備えて東京へ移動するのか、いや東京経由で帰国するのか。深夜なので機内ではお茶が一杯出ただけですぐに暗くなる。そして朝日が射しこんで起き上がると到着だった。思いの外眠れたのは良かった。

羽田空港もさぞや緊張しているだろうと思っていたが、何と飛行機を降りても、検疫所カウンターもノーチェック。入国審査も自動で、どこから帰国したのかも尋ねたれることはなかった。どうやら特定国から来た乗客だけ別扱いにしていたようだが、あまりにあっけなく、驚いてしまい、そしてバンコック入国とのあまりの違いに、怖いと感じてしまう。

朝早いこともあるが、新宿行きリムジンバスの乗客は4人でホッとする。新宿からも普通に電車に乗って帰った。こんなことで良いのだろうかと思ったが、翌日帰国した人への対応はかなり厳しかったという。バンコックは翌日ロックダウンとなり、空港便の減便も続いていった。私の帰国は全てがギリギリだったのかもしれない。ここから約2か月半、週に一度1時間以内の買い物以外全く外へ出ない完全籠城生活が始まった。

ある日のバンコック日記2020(23)まだあった老舗茶荘

3月19日(木)再会

状況はどんどん厳しくなり、遂にバンコックもロックダウンに入ることとなった。私はあまり難しいことを考えずに、日本に帰る道を選択し、航空券の手配を行った。既にLCCなどの運休が発表され、1週間先の東京行は料金が跳ね上がっていたが、その前であれば、片道4万円ぐらいでタイ航空に乗れるので、それを選んだ。エアチャイナから片道の返金があれば、ある程度カバーできると諦めた訳だ。

事態はそれほどに切迫している。知り合いのMさんは、逆にバンコック籠城を決めたという。彼は住むところもあるし、仕事にも支障がないので、一つの選択だなと思う。確かにこんな稀有な光景を見られることはないだろう。寧ろいまだにオリンピックを開催すると言っている東京の方がどれだけ危険なことか。それでも家族がいるから私の場合は帰るのが原則だろう。

そんな中、2月初めにチェンマイで再会したOさんが、その後チェンマイを離れ、放浪していることが分かった。彼も沖縄へ向かおうとしたが、既に直行便は閉ざされていた。ちょうどバンコックに来たというので、会いに行ってみる。

場所はプロンポーンの蕎麦屋。こんな時期に開いているのかと思ったが、席の間隔が開けられた店に、お客はそれなりに居た。この蕎麦屋の特徴は、1玉でも3玉でも料金が同じということらしい。折角なので、3玉頼んでしまった。更にはかつ丼をセットにするのだから、胃袋もたまらない。バンコックの和食の競争激化は相当なものだ。

お茶会のMさんも加わって、発酵談議に花が咲く。私はお茶の発酵のみに関係があるのだが、お二人は味噌など発酵食品を作っている。東京に戻ったら、改めて小泉武夫の『発酵』という本を読み返したいと思った。タイのミエンももう一度見たいがいつになることやら。

Mさんはご主人が日本へ行っており、既にPCR検査の陰性証明が得られなければ、バンコックに戻れない状況だという。これからは往来が難しくなり、当分の間、全てがストップする。だが日本では、全てを止めずに解決を図ろうとしていた。普通に考えれば無理な話だが、日本を信じて帰るしかない。

夕方先ほどOさんに教えてもらったデリバリーアプリをインストールして、注文する実験をした。タイ語中心のアプリは無理なので、英語アプリを入れ、馴染みのマクドナルド商品を選んでみた。ビックリしたのは、店舗に行くよりかなり安く、しかもデリバリー料金も安い。これは日本ではとてもできないサービスだ。

ところが注文しても、商品が運ばれてこない。スマホで位置関係を確認するとすぐ近くまで来ており、電話が掛かってきたが、当然タイ語なので応対が出来ずにお互い困ってしまった。仕方なくフロントに頼んで連絡してもらい。何とか受け取ることができた。アプリ上の住所が間違っていたらしいが、そこはタイ語だったので私には確認ができなかったわけだ。まあ、このサービスが使えるのであれば、多少の籠城戦は戦えるでは、と思った。

3月20日(金)老舗訪問

実は2週間ほど前に、フラフラと王宮近くを歩いていると、以前も訪ねた例の王有記茶荘の北側に、もう一つ老舗茶荘があることに気が付いた。そこは店の前にドリンクスタンドがあり、暑かったので冷たい飲み物を頼んで、店内で飲んでいた。よく見るとこの店の名が王瑞珍であったので、思わず反応してしまった。というのは、台北とマレーシアのイポーでこの名前の茶荘を見たことがあり、恐らくは親戚であろうと考えられた。そうであれば、ちょっと面白い。

だが店を預かる女性は華人の顔はしているが、華語は全く分からないと頭を振り、通訳してもらっても自らの茶荘の歴史は分からないという。ただ王姓であるから福建の安渓出身であることは分かった。彼女の父親は健在だというので、後日改めてということで、今日の日を迎えた。

日程のアレンジ及び通訳はHさんにお願いして出掛けた。お店に着くと、80歳を越えた王天慶さんご夫妻が迎えてくれた。やはり王さんの祖父は福建安渓西坪堯陽の出身で、タイに渡ってきた人物。台北の王瑞珍も親族が経営していることが分かった。ただマレーシアの店については、親戚はいると思うが、茶荘をやっているとは聞いていないとのこと。

この店は娘さんに任せて、王さんは普段、息子とともに川向うのクディチンに住んでおり、茶工場もそこにあるという。中国やタイ北部から茶葉を持ってきて、この工場で加工して売っているようだ。クディチンと言えば、アユタヤから移住した福建人が多く住んだ場所。何となくこれまでのバンコック歴史散歩が鮮やかになっていく印象がある。今度機会があれば、茶工場にもお邪魔しよう。

王さんの話の中で興味深かったのが、この近くにまだ数軒、老舗茶荘が残っているはずだという証言。言われたとおり歩いて行くと、かなり遠かったが、MRTサナムチャイ駅近くの花市場付近に辿り着く。この辺りは先日も散歩した場所だが、茶荘があったという記憶は全くない。

ある日のバンコック日記2020(22)バンコックに戻る

3月14日(土)空港で

ビエンチャンからのフライトはいつものように呆気なく着陸した。そして前回同様、タラップを降り、バスに乗り込む。1台に全員を詰め込むので、かなりの密度になっている。走り出すと隣の若い女性、突然気分が悪くなり、座り込む。過呼吸ではないだろうか。友達が世話していたので、周囲は心配しながら見守り、降りる時は若者が手を貸していた。

今回も先月同様、空港内には殆ど人がいなかった。ただ入国審査のところには、意外と人がいたのでその後ろに並んだ。前の方の白人たちを見ると、皆係員に何か聞いており、戸惑っている。中にはアルゼンチンから来たといっただけで、空港内の保健室に案内されている人もいた。一体何が起きているのか、全く分からない混沌とした状況が出現し、にわかに不安になる。

ただよく見てみると、列の横にQRコードが見え、何か説明書きがある。どうやらこれをスキャンして、情報を打ち込む必要があると分かり、トライしてみると、空港アプリが出てきた。名前や搭乗便など入れていく。最後にパスポートを写メしてアップロードすると、OKがでたので、係員にそれを告げると、好きなところへ並べという。

ようは皆入力に慣れていないことから進まないだけで、審査ブースは暇にしているのだった。ここでも何か聞かれるかと身構えたが、スマホを見せると、帰国チケットや保険の提示も求められず、すぐに入国スタンプが押され、全くの拍子抜けだった。やはりラオスからの入国にはこの時点では、何の制限もなかったのだ。ただ入国者の追跡のためにスマホ入力を求められたまでだ。これで私も監視対象だ。

ターンテーブルにも、出口を出ても、相変わらず殆ど人はおらず、思っていたほどの緊張感はなかった。取り敢えずバンコックに戻れたので、ホッとしてゆっくり歩く。ただこのままでは終わりそうもない。これから何かが始まるので、それに備えなければいけない。そんなことを考えながら、エアポートリンクに乗り込む。さすがに皆マスクをつけている。乗客は先月より少ない。MRTも同様だ。白人は母国では基本的にマスクをしないと聞いていたが、さすがにこの事態では対応せざるを得ない。

部屋に戻ると、また相撲を見て過ごす。既に多くのスポーツが中止となる中、相撲が見られるのは本当にありがたいことだ。しかも昨日はビエンチャン、今日はバンコックで見られるのだから、嬉しい限りだ。ただ白鵬が強すぎるのはどうだろうか。先場所のように両横綱不在の方が面白い相撲が多いように思う。

そのままボーっとテレビを見ていると、ブラタモリが始まる。今度は長崎が舞台で、行ってみたい場所が次々紹介される。林田アナがまたピアノ?を弾いている。見終わると、パンを買いに外へ出る。これからは食料の備蓄も必要になってくるだろう。いつも行くパン屋だが、時間が遅いせいか、普段必ず買うぶどうが一杯入ったブドウパンはなかった。ただ念のため聞いてみると、ちょうど奥で作っており、作り立てのパンを買うことができた。今はこういう小さな幸せを積み上げるしかない。

3月16日(月)ご紹介で

既に2か月以上泊っている定宿だが、ついにロビー入り口で検温が始まった。もし体温が37.5度以上であれば、中に入ることはできず、そのまま病院送りとなるらしい。迂闊に発熱は出来ず、外出にも注意を払う必要がある。毎日緊張状態が続くことになる。予定されていたバンコックでのコラボイベントもすでに中止となっており、ここに留まる理由は正直無くなっていた。

更には『バンコックロックダウン』という言葉が聞かれ始め、もしそうなれば買い物などにも不便をきたすことになり、さすがにここにいる理由は完全に無くなる。折角ラオスでビザを更新したのだが、帰国の決断が迫られてきた。宿のオーナー夫人は特製の洗えるマスクを発注しており、私も家族分譲ってもらって、東京へ3つ郵送した。いよいよ臨戦態勢に入ってきた。

そんな中、先日偶然にも再会したシアヌークビルのSさんから、Iさんをご紹介頂いた。タイ北部などで少数民族の茶業支援をしており、ちょうど先月訪ねたパクセーでも行っているということなので、このような時期ではあるが、会えるときに会いましょう、ということで、早々面会する。

アソークのホテルで待ち合わせたが、繁華街は火が消えたようになっており、店もかなりが閉まっていた。ホテルでもマスク、消毒が徹底されており、人と人との距離にも注意が払われ、かなりの緊張感があった。そこでIさんから話を聞く。今日からチェンマイに行くとのことで、タイ北部のミエン造りを見てみたいという。Iさんはタイに20年以上おられ、共通の知人も多くいる。ホテルのビュッフェでランチを食べたが、さすがに客は少なかった。

ある日のバンコック日記2020(21)五輪は何のためにあるのか

3月11日(水)震災9周年

最近はバンコックでも連日コロナの話題ばかりで気が滅入る。そんな中、NHK7時のニュースを見てみると、女優の「のん」が生出演しているではないか。彼女は元々朝ドラあまちゃんで大ブレークしたが、その後トラブルがあったのか、テレビドラマへの出演も無くなり、我々の前から姿を消し、いつの間にか芸名すら変えていた。

その彼女、実に大人の表情になって、最近カムバックしてきており、注目されている。そして今回のNHK生出演。内容は東日本大震災9周年ということで、あまちゃん以降ゆかりのある東北に関する話題だった。もう9年も経ってしまったのか、というのが正直な感想だが、彼女は一つ一つ言葉をじっくり選びながら、話している様子が見て取れる。これは慣れていないせいなのか、性格なのか分からないが、好感が持てた。

私は9年前、26年務めた会社を辞めることが決まっており、後はいつまで出社するかを相談するだけという状態になっていた。そこにこの災害が起きてしまい、高層ビルの21階で、同僚たちと一緒に大きく揺られた。その後の混乱の中、既に戦力外になっていたので、2週間後に出社を止め、中国の茶畑に飛び出してしまったのだ。あれは私にとって日本からの逃避だったのだろうか、自分の行動を整理したことはいまだにないが、今回日本で起こっていることを見ると、その構造に変化がないことはよく分かる。

3月12日(木)聖火採火式

急に思い切って、明日ラオスに行くことにした。今回はもう旅ではなく、タイ滞在ビザ免除を延長することだけが目的となっている。徐々に緊迫しており、急がないと、日本人のタイ再入国が難しくなるかもしれない、などの、不測の事態が想定され始めてきていた。日本に帰るならはっきり決めないといけないのだが、ちょうど宿を延長したばかりでもあり、タイの方が日本より安心感が高いこと、今後の動きやすさを考えて、もう1か月タイに居ることにしたのだ。

夜またNHKを見ていると、ギリシャでオリンピックの聖火採火式というのをやっていた。本来は某元総理や吉田沙保里などが出向いて、その聖火を受け取る手はずであったが、既にギリシャに入国することすらままならないのに、まだ五輪をやると言っているのは滑稽以外の何ものでもない。勿論日本国民もそう思っていると思いたいが、一体だれが何のためにこんな茶番をしているのだろうか。

このために準備させられている人々の気持ちなどはどうでも良いのだろうか。某元総理の精神論ももう聞き飽きた。そもそも2回目の五輪なのだから金を掛けずにやるべきところを、結局なんだかんだ言って利権絡みで、膨大な予算をつぎ込んだことで、もし中止となればいい訳すらできないと思っているのだろう。海外から見ていると、これほど情けない政治家はいない。

元々オリンピックに批判的な人は多い。ただ私個人はスポーツ観戦好きであり、特にマイナースポーツに日が当たるのが、五輪しかないという現状から、五輪開催サポーターではある。ただ、東京で開催する必要性は全くない。むしろ日本という国で行うことで様々な雑音が入って来て、好ましいとは思っていない。ましてやこれを好機と考えて乗り出す政治家や企業などが好ましい訳はない。

ニュースの途中で不愉快になり、外へ出た。バスに乗ってプラカノーンに向かう。今晩はインドから戻ってきたMさんと1か月ぶりに会う。さすがに?インド帰りで腹の調子が今一つというが、コロナとは無関係らしい。一応お腹に優しい和食を食べたいというので、和食堂へ行く。この食堂、プラカノーン付近に何店舗もあり、安くてボリュームがあるという、昔ながらの食堂だった。折角なので、偶に食べたくなるレバニラ炒め定食を食べる。

私が5年マルチビザを申請しながら行けていないインドに、Mさんは先月も今月もスルっと行っているのが恐ろしい。しかも今回は滞在中に、ビザ一時停止措置が発令されたというのだから怖い。インドでもし隔離でもされたらどうするのだろうか、と心配になってしまう。

だが彼はバラナシに何日も滞在し(勿論入国済みのビザは有効)、平気でガンジス川を眺めていたらしい。私も兎に角コルカタだけでも行っておけば、5年マルチが有効になり、停止解除後自由にインドへ行くことができたのだ。だがこの申請は4か月以内に入国しないと無効になり、再度取り直さなければならない。果たしてこんなことがあった後に、インドが簡単に5年マルチを出すだろうか。やはり私のインド旅は完全に振出しに戻ってしまった。

因みにインドが完全にロックダウンするというのは、尋常な対応ではない。本当に外出もできないし、何といっても、インド人ですら入国できなくなるのだ。日本人駐在員の中には、家族を残して出張に出てしまい、家族を出国させることもできない人もいるというからやはり恐ろしい。