「日記」カテゴリーアーカイブ

バンコク滞在記2023その2(3)ヤワラーの潮州系茶荘

3月15日(水)近所で食べ納め

今朝は朝からコムヤーン。すぐそこにあると思うとあまり食べなくなっていたが、いざバンコクを離れるとなるとやはり食べたくなる。カオニャオとの相性がいい。おばさんも歳を取り、今は息子や娘?が店を切り盛りし始めている。もう少ししたら、孫と遊ぶおばあちゃんになっているかもしれない。

昼はYさんと最後のランチ。もう一つのカオマンガイ屋へ行く。ご飯がかなり濃厚で、鶏肉は柔らかい。ケチャップをかければチキンライスかとも思ってしまう。これで60バーツとなれば、やはり食べるだろう。狭い店内には客がひしめいていた。夕方通り掛かると、いつも鶏肉の残骸だけが残っていた理由が分かった。

夜も早めに近所のお気に入りへ。牛雑麺と言えばよいだろうか。ここは英語が通じてしまうので、彼らが中国語で何と言っているのかは知らない(漢字メニューはない)。まあとにかく濃厚スープといい味が出ている内臓があればよいだろう。隠れた名店、と評した人がいたがまさに。2人以上だと鍋を食べているので、いつか誰かと来て鍋を食いたい。

3月16日(木)ヤワラーで

今日は先日紹介を受けたヤワラーのお茶屋さんを訪ねる。超老舗で5代目だという。まずはMRTでファランポーンまで行き、そこから歩いていつもの店でジョークを食べる。これからジョークが食べられなくなるのは、何とも悲しい。今日も極めて天気が良いが、暑さも相当厳しい。

老舗茶荘に行って見るとそこは過去何度も行った店だった。確かにお母さんは華語を話していた。南港茶という文字に惹かれたこともある。だがこの店の歴史は分からなかった。5代目は30代の若者で、何と大阪で商売をしていたという親戚のおばさん(70代)も来ていた。日本を離れて10年ぐらい経つというが、日本語をよく覚えており、使いたいらしい。

5代目が淹れてくれた茶は何とタイティーだった。その理由を聞いて驚く。あの私が以前訪ねて記事も書いたタイティーの会社は、何とこの一族の人たちだったのだ。確かに苗字は林だ。古いガラスコップにこの一族に関連した企業が書かれていたが、その中にタイ人なら誰でも知るあのマークもあって驚く。私が以前書いた記事を見せると、皆が寄ってきて『親戚が写っているぞ、後ろの写真はうちのおじいちゃんじゃない』と言い出し、笑ってしまった。

この店、間口が狭いので小さな店と思っていたが、実は奥行きがかなりある。お母さんは奥に引っ込んで出てこない。さすが潮州系。商売にならないと分かると奥で別の作業をしている。確かに歴史だ、文化だと言っても、利益には直結しないことが多い。やはり商売というものは厳しいものだ。

あっという間に2時間が過ぎ、店を辞した。駅まで行き、待ち合わせのA師夫妻とTさんと合流。5年ぶりだろうか。一緒に先日紹介された潮州料理屋へ向かう。階段を上がり2階へ行くと、何と団体さんが大勢で食事をしていたが、すぐに終了し、我々だけが取り残され、急に静かになる。

オーナーは勿論潮州人だが、華語をこちらが使う前に英語で対応してくれた。肉は食べないが伝統的潮州料理が食べたいというといくつか選んでくれた。潮州料理は海鮮も有名だが、やはり肉を全く頼まないというと、色々と制限が出ることが良く分かった。工夫茶が出た後、鍋などを美味しく頂く。

バンコク滞在記2023その2(2)天ぷら食べて So Macha

3月9日(木)王陽春を再訪

今朝はYさんとコーヒーを飲んで、すぐに出かけた。行き先は花市場。バイタクでMRT駅まで行き、そこから地下鉄に乗ろうとしたら、何とまさかの『乗車禁止』の表示が出ている。だがもうタイ生活にも慣れているので、周囲の人間を観察すると、皆黙って待っている。タイ語のアナウンスが分からなくても何となく安心。結局やってきた車両には乗客が乗っており、何事もなかったかのように皆が乗り降りしている。

10時に昨年訪問した王陽春に行った。長女が店にいたので雑談していると、三女もやってきた。三女は最近台湾に行って、私の知り合いともコンタクトしており、台湾話で話が弾む。ただ昨年土産にもらったお茶が美味しかったので買いに来たのだが、残念ながら売り切れだった。

三女が近所のカフェでランチをご馳走してくれた。全く隠れ家的店で、知らないと入れない。だが大勢が既にご飯を食べており、後から来た人は席がなかった。料理はタイ風でも雰囲気はカフェ。私はタイティーを飲んだ。こんなところが今流行っているようだ。タイの若者、ヨーロッパ人も来ている。

一度宿に帰り静養。夕方また出掛ける。今晩は数年前にFB上では知っていたが、初対面というSさんとプラカノン駅で待ち合わせ。バスで向かうとすぐに着いてしまう。Sさん行きつけの天ぷら屋に連れて行ってもらう。日本人の大将が揚げている本格的な天ぷらをカウンターで頂く。こんなの実に久しぶり。釜めしも旨い。タイ人の若者も食べにきている。

Sさんとは元々ヨーガ関連で紹介された記憶があったのだが、北京や香港で駐在経験があるようで、共通の知り合いが何人もいる。そして共通に知り得る事項も多いので、そちらの話が大いに盛り上がる。更には天ぷらを揚げ終わった大将も中国に詳しく、話に参戦してきて、がぜん具体的なエピソードが乱入し、すごく不思議な時間を過ごした。珍しく面白い夜だった。

3月14日(火)スクンビットをフラフラ

今日は何だか午前中から出掛けたい気分となり、暑いなかバスに乗る。偶々来た電気バスに初めて乗る。乗り心地も良いしきれいだな、などと思っていると突然バスが路肩で停まる。バス停ではない。運転手が外に出たが、すぐに戻ってきた。車掌が何か言ったが、勿論私には分からない。

乗客が誰も動かなかったので、私もそのままジッとしていたが、5分経っても状況に変化がなく、バスを降りることにした。すると車掌がそれを遮る。更に運転手が合図を出して、乗客が皆降り始めた。車掌が後続車を見ていたので、このバスは故障で回復見込みがなく、後続車に拾ってもらうつもりだと分かる。皆乗り込み、勿論追加料金は取られない。

プラカノンで気分を変えてまたバスでプロンポーンに出た。そこで以前何度か食べたランチを食べたが以前ほど美味しいとは思わなかった。なぜだろうか。そこからスクンビット沿いに歩き、ソイ49あたりを入っていく。何だか昔懐かしい感じだった。その先に先日行ったおしゃれなカフェの1号店があったが、ガラス張りで外から丸見えで、何となく入らずに去る。

トンロー付近にある古めかしい教会にも行ってみる。だが中に入ることはできず写真もうまく撮れない。スクンビット沿いに戻るとすぐに立派なビルがある。その中にSo Machaという店があった。ここが先日会った静岡の茶業者さんの直営店。何となく近づくと、いい感じの笑顔の店員さんが、何と日本語を話す。

ゆず抹茶ソーダを頼むと、ちゃんと抹茶を点てて作ってくれる。思った以上に飲みやすい。マネージャーも加わり、色々と話も聞けて面白い。ここの抹茶は本物なので、海外のバイヤーが買い付けに来ることもあるらしい。確かに日本まで行かなくても買えるのであれば、そうなるかもしれない。勿論普通のタイ人がドリンクを買いに来て、リピーターになるケースも増えているとか。こういう取り組みは実にいいと思う。

バンコク滞在記2023その2(1)美味い広東料理がないバンコク

《バンコク滞在記2023その2》  2023年3月6₋17日

3月6日(月)バンコクに戻って

スワンナプーム空港に着いて、入国審査も比較的簡単に片付き、さっさとエアポートエクスプレスで宿へ帰った。何だかFB上では空港の混雑ぶりが連日挙げられているが、私に関してはほぼ何の問題も起きていない。ただ情報によって早く動いて、その結果かなり待つという不都合だけが生じている。

夜パンを買いに行くついでに、ご飯を探す。急に豚足が食べたくなったが、遠くまで行く気はなく、近所のフードコートに立ち寄る。インスタント麺に、豚足、内臓、高菜、煮卵が入ったセット、何とも旨い。これで65バーツなら、今度からこれを食べようと思う一品。

3月7日(火)ご近所の食事で

何となくベトナム疲れが出た朝。いつものようにYさんとコーヒーを飲み、ベトナム茶旅報告をする。それから部屋でゆっくりと茶を飲みながらボーっとする。こういう時間も必要だ。それでもすぐに次の旅を考えてしまうのは習性として仕方がない。メーソット行のフライトを予約して、セブンで支払う。

昼はYさんお気に入りのカオマンガイ屋へ向かう。ラマ4通りなので、ちょっと不便だが、一度はチャレンジしようと出掛ける。店の前にはお客が溢れていたが、何とか席を確保して、カオマンガイを注文した。給食の食器のような更に見事なカオマンガイが載っている。これはいいと、あっという間に平らげる。満腹、満足。

午後もフラフラ過ごす。夜6時頃、軽く麵でも食べようと思い、いつものタイヤの店へ行き、麺を注文したのだが、お母さんは完全にテンパっている。店は客であふれ、テイクアウト客が外で列をなしている。一体これはどうしたことか。ついにタイヤの横で麺を啜るのがインスタ映えということで、Youtuberが宣伝でもしたのだろうか。本当に驚いたことにいつもは5分以内に出て来る麺にありついたのは、何と30分後だった。それでも中に入れるものをちゃんと聞いてくれるのは素晴らしい。

3月8日(水)広東料理を探して

今日もダラダラ過ごす。昼にYさんといつもの食堂へ行き、いつものメニューを食べる。私はこれが一番幸せな形だとは思うのだが、Yさんは先日の広東焼きそばが忘れられないらしい。仕方がないので、バンコクに美味しい広東料理屋は存在するのか、というテーマで探すことにする。

午後Mさんと会う。場所は双方の中間にあるオンヌット。オンヌット、以前はよく通過したが、ほぼ降りたことはない地域。バスで向かうとそれほど遠くはない。そのBTS駅の向かいにショッピングモールがあり、そこのカフェにMさんがいた。このモール、意外と日系の店なども入っている。Mさん曰く、スクンビットで一番東の日系エリアだとか。

相変わらずMさんから潮州語とタイ料理などの有益情報を聞き出す。最近は潮州系の勉強も進んできたので、さらに熱が入ってしまう。カオマンガイやカオカームーと潮州語はどの程度関連しているのか。実に興味深い。結局カフェで3時間も話し込んでしまい、最後には体が冷え切った。

この辺に広東料理屋はないかとMさんが検索すると、駅の反対側に広州という名の店があるというので行って見た。そのすぐ脇には私が10年ほど前に2‐3度行った美味い麺屋がある。ここも広東系なのだろうか。そしてレストランに入ったが、まだ5時過ぎで客はほぼいない。店員も華人系かもしれないが、タイ語しか話さないし、やる気は感じられない。

ぶら下がっていたダックの味付けはまあまあだったが、野菜炒めは特に特徴もなく、焼きそばに至ってはかなり残念な感じだった。ここは広州生鍋と書かれており、周囲の客はほぼ鍋を頼んでいた。いずれにしても、『広州』を名乗っている店でさえ、美味い焼きそばにはありつけないのがバンコクだと思い知らされる。

バンコク滞在記2023その1(5)潮州飯店へ

今晩は静岡でいつもお世話になっているMさんのお嬢さんと会うことになっていた。行って見ると、彼女が勤める会社のO社長も一緒だった。お茶関係者なので、早々静岡茶話が始まる。茶の輸出の最前線で奮闘している様子がよく分かる。バンコクでも色々とビジネスしているという。娘さんが活躍していると、お父さんも安心だろうなあ。

食事は何とイタリアン。O社長は企業派遣でバンコク在住経験があり、美味しい店をよく知っているようだ。私はバンコクでイタリアンを食べる機会は滅多になく、ワインも飲まずにピザやパスタ、ティラミスまでバクバク食べて、ご馳走になってしまった。何とも有難い夜となる。

2月26日(日)潮州飯店で

今日は早朝から大阪マラソンを見る。こういうスポーツ番組がライブ配信されるのは何とも有難い。西山・池田が頑張った男子だが、世界との差は何とも大きい。日本への帰化選手が出てこない限り、五輪のメダルは難しいだろうか。見終わると腹が減ったので、いつもの30バーツ、バミーを食べに行く。コスパ最強。

夕方までハノイ行の準備をする。それからまたもヤワラーへ向かう。少し時間があったので、Yさんがいう『怖くて入れない老舗カフェ』を怖いもの見たさで覗きに行く。そこはヤワラーの裏通りにあり、創業100年。確かに入口から中まで、おじさんたちがまさに『たむろ』していて、とても入ろうとは思わない。タイ語が出来る人、誰か入って見て欲しい。

Yさんと合流して、潮州飯店に向かう。Yさんは潮州料理の研究もしているのだが、さすがに一人では入れない(食べ切れない)ので、私が誘われたわけ。だがそれは私にとっても好ましいこと。いそいそと出掛けていく。この店は決して古いとは思われず、ちょっと得体が知れない。中に入ると、テーブルの上に食材がふんだんに並べられており、お客はここから選ぶことが出来る。

まさに現代の潮州スタイルだった。オーナーは2000年代に潮州から移民してきて、ここに店を開いたというから、新華僑だ。料理の味付けも、あっさりしているが、味はしっかり出ている、潮州を思い出し、大満足。料金も手ごろで、週末ということもあってか、家族連れ(恐らく潮州華人の老人一家)が、大勢来ており、大繁盛だった。こんな世界もあるのだと知る。

2月27日(月)空いていたスワナンプーム空港

本日はハノイへ行く。スワナンプーム空港は、外国人観光客の急増とタイ人の海外旅行ラッシュでごった返しており、出国手続きまで2時間はかかるとの情報が流れていた。私のフライトは昼間だったが、恐れをなして、朝7時半過ぎに宿を出た。すぐにバイタクが捕まり、最寄りMRT駅へ。そこからMTR、エアポートリンクを乗り継いで、空港に到着したのは8時40分過ぎ。

ベトナム航空のチェックインカウンターはまだ開いていなかったが、Webチェックインのお陰で(預け荷物無し)、保安検査場に進むことが出来た。ところが混んでいると思った検査場にはあまり人がおらず、5分で通過。出国手続きの列はある程度あったが、それも20分以内に終了してしまった。

時刻はまだ9時過ぎで、私のフライトまで3時間以上残っていた。一体あの情報は何だったのか、とも思ったが、簡単に通過できたことを喜ぶべきだと思いなおし、空港内の椅子に座ってゆっくりと休む。朝は出国ラッシュだが、この時間の乗客は多くないということだろう。途中でトイレを探したら、いくつものトイレが使用できなかった。これもコロナの影響で閉鎖したままになっているのだろう。朝などは大変な混雑ではないかと心配になる。

バンコク滞在記2023その1(4)潮州系の若者たち

そのレストランの向こうには、おしゃれなカフェがあった。スティーブンの用事で訪ねたのだが、何とここでは日本茶が飲まれていた。お茶請けも抹茶アイスから団子まで、和のテーストがふんだんにあって驚いた。このカフェのオーナーTは38歳で、潮州系の4代目。高校からアメリカに留学し、30歳で一号店を開き、現在バンコクに7店舗を持っているという。ちょうど今日は一号店開店から8周年の記念日だとか。

抹茶だけでなく煎茶などもかなりこだわって出している。お茶は全てTが日本へ行き、茶農家を1軒ずつ訪問して仕入れてくるというからすごい。竹炭の抹茶アイスはかなり斬新でおしゃれ。お店の雰囲気も良く、常にお客で満員状態だった。ピースという名前はバンコクでかなり知られている存在だった。

その後Yさんとルンピニ公園で休息。ここで潮州人とは何か。今日の調査を踏まえて3時間に渡り、Yさんの講義を聞いたのは大変参考になった。福建人や広東人は身近な存在だったが、潮州人は全くと言ってよいほど分からない。例えば台湾で潮州系に出会ったことはない(こちらが聞かない、意識していないからだろうか)。日本で潮州人を研究している人はかなり少ないようなので、何とも有難い。今後は潮州人と潮州地域について、もっと気を配りながら旅をしたい。

2月24日(金)バンコクの金継ぎ師に会う

今日は午前中をお休みとして、昼から出掛けた。バンコクもどんどん暑さが増してくる季節に入った。バスも何となくすぐに来ない。今日は乗ったことがない路線に乗る。しかも途中で乗り換える。まあ今はアプリがあるので、いつ来るのか分からない、という状態ではないが、渋滞などもあれば、ちょっと面倒ではある。

訪ねたのは、バンコク中心部にありながら、BTSやMRTが通っていないため、昔の雰囲気が残る地域。そして華人が多く住んでいそうな場所だった。訪ねた人も潮州系華人の4代目。成功した華人が建てたビルに住み、その屋上に工房を構えていた。ただ彼はまだ若く、非常に柔軟性がある。潮州から渡ってきたお爺さんが、工夫茶が好きで、彼も幼い頃より興味を持ったらしい。

バンコクで金継ぎとは珍しい。彼によれば、8年ほど前に始めたが、バンコク最初の金継ぎ師だという。そして日本人の師匠を持たず、自力でノウハウを集め、バンコクに合う材料を探して、活動している。今では金継ぎ教室の講師をしたり、バンコク在住日本人からも依頼が舞い込んでくる、知られた存在らしい。茶の歴史ばかりではなく、バンコクの華人は非常に興味深い。

バスで一度宿に戻る。夕方、パンを買いに行くついでに、偶には食べたいとはちばんらーめんへ行く。ラーメンのお供に、いつの間にかメンチカツというメニューが出来ており、思わず注文する。ところがラーメンが出てきて食べていても一向にメンチカツは出てこない。結局別々に食べる羽目になる。まあタイだから仕方がないとは思うものの、やはりどうなんだろうとも思ってしまう。

2月25日(土)ミライさんと

朝はいつものコムヤーンを食べて、そこから近所の散歩。実は昨年ホテルが出来たことにより、裏の道への通路が確保された。そこを通ると、裏側は完全な下町の風情。トウガラシや肉が屋外で干されており、これが食卓に上るのかなと眺めてしまう。簡単な食事を提供する店もいくつかあるが、近所の顔見知りしか食べられない雰囲気もある。

夕方バスに乗ってアソークへ。そこからスクンビットを歩いてナナまで行ってみる。目的は本屋探しだったが、英語の本屋はかなり撤退しており、見付けられない。こんなに観光客は戻ってきているのに、一度無くなったものが復活するのは難しいようだ。そこから今度はプロンポーン方面へ歩く。かなりの距離の散歩となる。先日チェンマイで訪ねたMonsoon Teaのバンコク支店があるというので行ってみる。だがよく見ると6時閉店となっており、前まで行って引き返す。

バンコク滞在記2023その1(3)ヤワラー案内人に会う

2月22日(水)ヤワラー案内人に会う

本日はチェンマイで出会った華人研究者から紹介された『ヤワラー案内人』、ソムチャイ氏と会う予定となっていた。ちょうどチェンマイで知り合ったばかりのY氏が潮州人研究者ということで、同行してもらう。まずはヤワラーに泊まっているY氏のホテルへ行く。こんなところにホテルがあるのかとちょっと驚く。そこからいつものジョークを食べに行く。

そして待ち合わせ場所へ。ソムチャイ氏もサンペン市場出身の潮州系ということで、お話を聞くべく、近所の小さなカフェへ行く。ヤワラーの歴史、潮州系華人についてなど、多岐に渡る我々の質問に英語で丁寧に答えてもらった。潮州系華人から直接話を聞く機会はあまりなく、大変参考になる。ソムチャイ氏はヤワラーを紹介する活動をずっと行っているので、回答の要領が良い。

お昼になり、ソムチャイ氏は『ヤワラーに3軒しか残っていない伝統的な潮州料理の店に行こう』と連れて行ってくれた。そこはヤワラー大通りを少し入ったビルの2階。知らない人はほぼ入れないレストランだった。階段に一人用の昇降機が設置されており、その客層、年齢層が分かる。

かなり広い店だったが、お客はいなかった。テーブルとテーブルの間がかなり空いているのはコロナのせいかと思ったが、ソムチャイ氏は『いや。昔からかなりあいていた。以前は商売の話や金の貸し借りもやっていたから、あまり近いと不都合だった』というので、妙に納得。実は潮州商人の生々しい現場だったのか。Yさんはかなり詳しいヒアリングを行っている。

料理は実に美味しかった。焼売が広東風ではない。魚の胃袋スープも潮州系だったのか。タイ料理でいうクイッティアオより、濃厚な麺。勿論ふかひれやカニなどもふんだんにメニューに載っているが、そんなものを食べなくても十分に満足できる。午後1時頃まで誰もいなかった店内だが、そこから数組が次々に訪れて盛況となる。まるで香港時間のランチのようだった。

ソムチャイ氏と別れて、ヤワラーを歩く。古い建物が目に付く。川まで歩いて行くと、気持ちよい風が吹いている。またヤワラー通りに戻り、更に細い路地に入っていく。ベトナム寺がある。本当はダブルドッグへ行こうと思っていたが、2時になっても閉まったままなので、諦めて王さんのところへ行き、お茶を飲む。潮州人を研究しているとYさんを紹介すると、潮州人との商売の苦労話が沢山出てきた。それは潮州人主体のヤワラーで商売するのは大変だったであろう。潮州人は商売人だと良くわかる。

2月23日(木)ヤワラーの潮州茶荘とおしゃれなピース

何と2日続けてヤワラーに行く。今日はチェンマイで出会ったスティーブンの案内で、潮州系茶行を訪ねた。そこはファランポーン駅から橋を渡ってすぐのところにあり、何度も前を通っていたが、入ったことはなかった。昨日も会ったYさんもすぐそこに宿泊していたので、合流する。

美記茶行は創業100年を越えているという。福建系が大体1930年代創業が多いなか、1910年頃となると、店舗を持っていたのだろうか。それともバンコクに渡ってきた年代なのだろうか。天秤棒で担いで売り歩いた名残の木桶が見られる。店主は陳氏の3代目だというが、華語はあまり話さない。この店舗は戦後の建物だろうか。奥では今も茶葉の焙煎がされており、老舗には違いない。コロナ禍においては、ネット販売なども始めているようだ。

潮州と言えば、今では鳳凰単叢など有名な烏龍茶があるが、往時は福建茶を主に商っていたという。面白いことにお茶は福建から来るのだが、船はスワトウの港から出ており、茶葉は一度スワトウに集められていたらしい。それほどスワトウ(潮州)-バンコク航路は乗客がいたということだろう。

それからスティーブンの車に乗って、ルンピニ公園の北側にある、立派なモールの、立派なレストランの屋外で、ご馳走になる。ガチョウをはじめ、潮州系の味付けの物を沢山味わって至極満足。こんなところにこんな場所があるなんて、全く知らなかった。腹が一杯で動きがかなり鈍くなる。

バンコク滞在記2023その1(2)インスタ映えする古民家で

2月20日(月)日常の食事

今朝はゆっくり過ごす。やはり旅の疲れは確実に出ている(今も旅の途中だが)。昼にYさんといつもの食堂で、いつもの食事をすると、本当にホッとする。そしていつものおじさんから、いつものようにフルーツを買い、いつものような午後を過ごす。そんな日もあってよい。

夕飯は近所のマックへ行ってみる。何しろチェンマイではValue Mealが無くなっていたことにショックを受けたので、バンコクでも無くなったのか確かめに来た。だが予想に反して99バーツセットは健在で、いつもの席で食べる。チェンマイのあれは何だったのだろうか。それをある人に話すと、『スクンビット界隈でも、そんなセットはないよ』と言われて驚く。

マックは戦略的に、外国人が多い地域、地元民が買う地域などを分けているのではないか。白人にとってマックが160バーツでも高いとは感じられないが、日本人にとってはちょっと高い。どうやって店舗を分けているのか、少し興味がある。まあ私は近所で99バーツセットを時々食べれば満足ではある。

2月21日(火)優雅なランチ、久しぶりのディナー

本日は『名建築で昼食をIn Bangkok』で、Mさんが見付けてくれた古民家レストランへ向かう。ここは宿泊先から徒歩15分ぐらいだったので、暑い中を歩いて行く。正直入ったことのないソイへ行き、バンコクも広いな、まだまだ知らない所ばかりだなと感じる。そしてその道路脇にさりげなく、店の看板が出ていたが、建物の全貌は見えていないので、まさかここに古民家があるとは気が付かない。

入っていくと意外なほど古風な建物だった。お客は誰もおらず、奥の立派な席に案内された。折角なのでと周囲を見学し始めると、店の人が案内してくれ、2階まで見せてくれた。かなり広い家屋、どうやら100年以上前の商人の住まいだったらしい。仏間などの様子に何となく華人の雰囲気もある。

食事は勿論いつも食べている物よりは高いが、この空間で食べる、インスタ映えするセット、美味しいパッポンカリーなど、色々と楽しめてよい。2階は予約すれば、10人程度の会合も出来る。帰り際に見ると、中国人が数人でお茶を飲んでいる。ここをカフェ代わりに使えれば、それはそれでいい利用法ではないかと思う。

午後はリラックスして過ごす。夕方Yさんと待ち合わせてご近所のソントーンというレストランへ行く。恐らく10年近く行ったことがない店だった。ただ先日表でムーサテを焼いているのを見て、どうしても食べたくなり、Yさんに付き合ってもらった次第だ。まだ5時台だというのに、既に数組の客が食べている。我々の後から日本人グループが2組も入ってきた。いまだに日本人などの観光客に人気のようだ。

私はムーサテがあればよかったのだが、何と10本からしか売らないという。Yさんが交渉して、何とか6本にしてもらい、ようやく食べられた。ここのタレは美味しいと思う。Yさんは後ろでオーナー家族が食べている焼きそばの山を見て、これが食べたいと注文し、『こんな旨い香港焼きそばは食べたことがない』と歓喜する。

だが私にしてみれば、この程度の焼きそばは香港の飲茶屋ならどこにでもあると思ってしまった。そこで分かったことは、バンコクには広東料理屋は多くなく、また本格的に美味しい広東料理はバンコクでは食べられない、ということだった。魚は蒸した物が食べたかったが、大き過ぎて2人では食べられず、揚げた魚にした。ここのオーナー家族はどこから来たのだろうか。ちょっと興味が沸いてくる。

バンコク滞在記2023その1(1)タイ人の日本旅行熱

《バンコク滞在記2023その1》  2023年2月18₋26日

2月18日(土)バンコクにて

チェンマイからのフライトは順調にドムアン空港に到着した。今日はどのようにして定宿へ帰りつくのがよいかと考えたところ、Boltを呼んでみようと思いつく。車はすぐに捕まり、ピックアップポイントへ行ったが、かなりの人がそこで車を待っており、大混雑。自家用車や家人の迎えを待っている人もいるだろうが、その多くはGrabなどの配車アプリを使っており、皆が車を探して右往左往している。

私も予約した車を見付けられず、運転手からの通話はタイ語のみで反応できず、何と先方から予約キャンセルを食らってしまった。そこでちょっと火が付き、何としても乗ろうともう一度予約する。車がすぐに捕まるのは、観光客などを当てにして、待機しているドライバーが多いのだろう。今度は何とか探し当て、車に乗り込み一安心。

ドライバーは若い。普通のタクシー運転手は必ず『ハイウエー?』と聞いてくるのだが、彼からその問いはなく、推移を見守る。彼は地図アプリをセットして、忠実にその通り進んでいく。このルートは私が一度も経験したことがなく、どうなることかとドキドキ。ずっと下道を走り、何とナナあたりからスクンビットを越え、宿まで約1時間かけて辿り着く。これで250バーツはかなり安い。暇な時は今後ものこのルートを使いたいが、普通の運転手が応じるだろうか。

夜は買い物に出て、そこで巻きずしを買って帰り、部屋で食べた。チェンマイでは食べたいとも思わなかった日本食、そしてその価格はコロナ前と比べると20%は上昇しているのに、目の前に現れるとつい手が出てしまう。バンコクの物価はチェンマイとは比べられないし、誘惑も多い。

2月19日(日)旅行イベントへ

今朝はさわやかに目覚める。チェンマイはPM2.5がすごくて、散歩に出る気分が削がれていたが、バンコクは随分マシのようだ。クロントイ市場を抜けて行くと、今日も活気がある。漬物などに目が行くが、チェンマイとはちょっと品物が違う。MRTの先まで歩くと、新装なったコンベンションセンターが見えてくる。

かなり立派になった建物、ここで昨年G20会合が開かれたらしい。建物の中はかなり広く、イベント会場を探すのが大変だ。基本的に地下にあり、行って見るといくつかのイベントが並行して行われている。私は迷わず旅行イベントへ向かう。入口ではQRコードを読み取り、登録すれば入れた。

まだオープンしたばかりの会場、人はまばらだったが、日本関係のブース周辺だけに人が集まっているのが良く分かる。韓国、香港、台湾ブースもあるのに、なぜ日本にだけ人が集まるのだろう。既に感じていることではあったが、タイ人の日本旅行熱は半端なくすごい。その熱量を肌で感じる機会となる。日本側も都道府県ベース、ホテルベースなど、他国が国ベースなのに比べて、相当に細かい。気合が入っているが、その気合は成功するだろうか。

建物の横には大きな池があり、公園になっている。一度も入ったことがなかったので、ちょっと覗いてみる。日曜日の午前中、ランニングする人、散歩する人などが思い思いの時間を過ごしている。こんな近くに、リラックスできる空間があることを再認識する。そこからアソークまで歩き、BTSに乗る。

ランチの約束が、エカマイであった。そこはタイ料理屋だったが、家族連れなどでかなり賑わっている。タイ人が多いこともあるが、チェンマイと異なり、多くの客がマスクをしているのが気になる。今回チェンマイ旅をアレンジしてくれたUさん一家と会い、ここでイサーン料理などを美味しく頂きながら、チェンマイでの出来事を報告していく。

帰りに車でプロンポーンまで送ってもらい、そこから本屋へ行く。チェンマイで紹介されたオランダ偉人が英語で書いた世界の茶に関する本を手に入れたいと考えたのだが、係員に検索してもらうと、『この本の扱いはありません。Amazonで探したら如何ですか?』と言われてしまう。世はアマゾンの時代なのだ。

チェンマイ滞在記2023 その4(6)チェンマイを去る

2月17日(金)メーカー運河をお散歩

チェンマイ滞在も残り2日。今朝はお粥を食べに行く。この店は3回目だが、かなり気に入っている。やはり粥にしっかり味が付いているのが良い。先週はここから北へ行き、雲南朝市に顔を出したが、今日は南へ行ってみる。チェンマイに来てすぐに車で通りかかったメーカー運河を歩いてみた。

北海道の小樽運河に準えて整備されたとも聞いたが、それにしては規模が小さい。だが橋のところから歩いてみると、川沿いにかなり長いエリアが整備されており、飲食店も出来ている。大きな木などもあり、散歩している人もちらほら程度で、結構気持ちよく歩けた。2㎞ぐらい歩いただろうか。

そこから北に折り返す。結構歩くと広肇同郷会があった。チェンマイに華人は多いと感じているが、同郷会はこんなところにあるのか。中を見学しようとしたら、すごい勢いで犬が2匹が駆け出してきたので、慌てて退去した。更に行くと海南会館もある。こちらには犬はいなかったので、ゆっくり見学した。

一旦部屋に戻り休息。昼にターペー門へ行く。先日リス族村で出会ったUさんが、その先輩と一緒にランチを食べようと誘ってくれたので、出向く。3人で城内の中国料理屋へ向かう。ここは気になっていたが入ったことはなかった。店の人の中国語が非常に分かりやすい。聞けば台湾で働いていたらしい。それらしいメニューが並んでおり、喜ばしい。腹一杯食べる。

Uさんはリス族、先輩のYさんは潮州人を研究しており、特に潮州人についての話題で盛り上がる。我々は潮州人について実はほとんど知らない。台湾では客家は注目されるが潮州人と会ったことはない。とにかくマイナー民族、地域の研究者は少ないと知り、残念に思う。もっと勉強したい。

午後は荷物の整理に充て、夕方最後の晩餐に出る。何を食べようか迷ったが、何となくナイトマーケットへ行き、中華弁当にしようと向かう。だがなぜか弁当はない。単品で注文すると、焼きそばはすぐできたが、春巻きに時間が掛かる。まあ屋外でゆっくり食事するのも当分ないかもしれないと思いながら、一気に食べて帰る。

2月18日(土)ついにチェンマイを去る

ついに最後の朝を迎えた。何となく早く起きてしまう。窓の外から見えるプールも今日が見納め。結局ほぼ入らなかった。最後の朝はクラブサンドイッチを食べに行く。きれいなカフェでコスパも良い。店員の応対も丁寧だ。さわやかに食べて、さわやかに去る。今日はとても良い天気で、思わずターペー門で写真を撮る。毎日のように通った道に別れを告げる。

昼まで最終準備をして、12時にチェックアウトした。この1か月、掃除の人が何時に来るか、いつ部屋を空けるべきかと毎日考えていたが、今日はその必要が無かった。チェックアウトとフロントに言っても、特に感慨もなくすぐにOKになる。確かにこの1か月、この宿で大きな問題はなかった。だからフロントの人を煩わせることもなく、仲良くなる機会もなかった。

少ししたらNさんが車で迎えに来てくれ、空港まで送ってくれるという。しかも時間があるのでランチを食べようと、城壁付近の食堂へ入る。この店もどう見ても華人系だった。名物の薬草入り麺を食べる。これは予想以上に美味しい。こんな店もあったのかとまた一つ発見する。

空港までは僅か10分。入口で降ろしてもらい、Nさんは車を駐車してから来るという。ところが駐車場が満杯で結局最後は会わずにお別れとなった。チェンマイも既に観光業の回復が顕著ということだろうか。空港内に入ると、すごい行列があり、驚く。だがそれは私が乗るフライトではなく安心する。外国人もいるが、タイ人が多い。やはり国内線だからだろうか。

私の乗るライオン航空はいつも空いているのが有難い。チェンマイ空港、預け荷物は計量後、自ら共同の検査台に持込み、預けなければならない。私の荷物は来た時より重くなっているが、それでも20㎏ちょっとだったので、何とか運ぶ。フライトは特に遅れもなく、どんどん出て行く。チェンマイは街もコンパクトだが空港もサイズが良い。次回はもっと長い期間滞在したいと思う。

チェンマイ滞在記2023 その4(5)城内を西へ行くと

宿へ戻る道は昔の街道沿いだったのだろうか。古めかしい華人商店などが並んでいるのが、漢字表記で分かる。一部はおしゃれないカフェなどに改造されており、観光客相手の商売に替わっている。チェンマイ市街地の地形、というのも、もう一度その歴史を見直してみる必要がありそうだ。

2月16日(木)おしゃれなカフェで

本日の天気予報は雨。朝窓から外を見ると何となく降っている感じがする。チェンマイに来て夜中に雨が降ったことはあるが、昼間の雨は初めてだった。それでも10時頃には上がってしまったので、取り敢えず散歩がてら外へ出た。昨日は東に歩いたので、今日は西に向かってみる。

Uさんから『SPチキン』という名を聞いていたので、そこまで行ってみる。ワットプラシンのすぐ近くにその店はあった。いかにも華人の食堂で、表でチキンがグルグル回っている。店員が私に中国語か日本語か、どちらのメニューを渡すべきか悩んでいた。取り敢えずガイヤーンハーフと空心菜炒め、そしてカオニャオを注文する。

ガイヤーンはさすが大きかったが、何となく平らげた。空心菜炒め、実に久しぶりに食べる中国的味で嬉しい。日本人も以前はたくさん来ていたようで、日本語の紹介記事なども貼られている。ガイヤーンは外国人にも食べやすいので、確かに必要不可欠な食べ物だろう。次回はちょっと別の物を頼んでみたい。

ワットプラシンにも入ってみた。今や観光客が戻ってきたチェンマイのこと、ここには白人や韓国人、また日本人も来ており、ちょっと騒々しくなっていた。その裏側に回ると、年老いた母親を車いすに乗せて、お参りしているタイ人がいた。母親はこれが最後のお参り、という感じで気力を振り絞り、車いすから降りて一心に祈っている。その横でそれを見ている息子、ちょっと感動した。

近くにアカコーヒーの店があった。先日アカ族村でコーヒーを飲んだこともあり、ちょっと寄り道してみる。だがここはかなりデザインがおしゃれなカフェで、若者を中心にお客で満員だった。皆思い思いにスマホを眺めて時間を送っている。写真を撮る客も多く、如何にもインスタ映えする店だったが、私のような老人には少し落ち着かない感じだ。

チェンマイ歴史資料館があったので、寄ってみた。だが何だか展示などが見当たらない。よく見ると現在閉館中であった。その向こうにはアートカルチャーセンターがあったが、ちょうど社会科見学の生徒が来たのでパスして、一旦宿へ帰った。その後何となく疲れてしまい、うだうだと午後を過ごす。

夕方何故かもう一度さっきの方に歩いてみる。実は部屋の下のプールサイドで昼間から宴会が行われていて、下手なカラオケが響き渡り、居たたまれない。夕日に寺が映えている。夕方は西へ向かうのが良いような気になる。ここチェンマイでは時々寺の美しさに見惚れることがある。

夕飯はその辺の食堂に入る。白人が多いかな、と思っていると、少女が手伝いでやっているのか、要領がよくないので、注文が溜まってしまう。そこへ中国人女子が外から食べ物を持込、コーラだけ頼んで食べている。なにが正解か分からない混沌とした世界。薄暗くなったが、カラオケの終了時間が分からず、更に歩いて行く。

ついに城壁の反対側まで来てしまう。ここに公園がある。先日フラワーフェスティバルの会場になったところで、まだその時の花が残っていて美しい。公園の真ん中では、ダンスに興じるおばさんたちの音楽が鳴り響く。その周囲をランニングするおじさんたちがいる。案外広い公園であった。

宿へ戻る途中、市場近くに屋台街を発見。インドのビリヤニなどもあり、ちょっと食べたくなったが堪えた。もう少し早く知っていれば来たのに。チェンマイはまだまだ知らないことばかり。次回はもう少し長く、更にディープな滞在をしたいと思う。宿に戻るとカラオケは終わっており、周囲は静寂に包まれていた。