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バンコク滞在記2022 その3(1)レッドラインといいホテル

《バンコク滞在記2022(3)》  2022年8月30日₋9月11日

8月30日(火)レッドラインに乗る

ウドンタニからドムアンに何とか帰り着いた。結構疲れた、やれやれの旅だった。ドムアン空港は閑散としており、活気は感じられない。確かこの空港にも鉄道?が通ったと聞いたので、インフォメーションで聞いてみると『レッドラインはあちら』と言われたので、それに従って歩く。

いつもはすぐにバスに乗るので着陸後この空港を歩く事は殆どなかった。エスカレーターを一つ上がり駐車場の方へ行くと確かにレッドラインの表示がある。そしてその先の通路には、何と食堂があった。ここは空港職員も使っているようで、朝早くからやっており、価格も安い。折角なので夕飯をここで済まそうと思い、クーポンを買い、カオマンガイを食べた。まあまあのお味。

そこからまた先へ歩くと、レッドラインの表示と共にSRTの表示が出て来る。これは国鉄ドムアン駅とも繋がっているということか。だが国鉄駅は見えなかった。きっとどこか先まで歩かないといけないらしい。とにかくレッドラインの駅に到着。切符の買い方が分からず窓口へ行くとここで現金、と言われ、33b払う。

この路線は日本のODAで作られたらしい。日本に感謝だ。ホームは2回ほど上になっており、登ると空港が良く見えた。ただそれほど素晴らしいライトアップもないので、ちょっとした夜景が見える程度だ。電車はいつ来るか分からず、その夜景を眺めて待つ。15分ぐらいしてやっと乗り込む。基本は20分に一本らしいが表示もなく不明。

車内は新しいが非常に寒い。20分ほど上から街を眺めていく。数駅でグランドバンスー駅に到着する。ここでMRTバンスー駅に接続するのだが、地上3階から地下3階に降りるような感じで、結構歩く。まあそれでも時間が不確かなバスを待つより確実に空港往復が出来るのは喜ばしいことだ。

8月31日(水)

いつもの食堂で

朝Yさんのオフィスに寄ると、旧知のSさんが東京から来ていた。お会いするのは3年ぶりぐらいだろうか。コロナ禍で旅を続けられない私とは違い、ここ1年海外旅をしているSさんはやはり強烈だ。PCR検査や隔離もネタになってしまう。色々と聞きたいことがあるが、皆さん忙しい。

お昼はみんなでいつもの食堂へ行く。そしていつものメニューを頼む。Sさんは自らが食にはあまり興味のない旅人と公言しており、確かにいつも同じものを注文しているように思える。ここでもまた様々な旅情報が飛び交い、参考になる。やはり実際に最近行った人の話を聞かないとアジアは(特にコロナ禍は)何も分からない。

9月3日(土)一流ホテルに泊まって

今日はバンコクに居ながらバンコクのホテルに泊まるという企画。Yさんにお願いして、スクンビットの高級ホテルを予約した。バンコクで五つ星ホテルに泊まるのは何年ぶりだろうか。と言いながら、行く手段は8bの赤バスというのだから、そのギャップはどうなんだろうか。チェックイン前に腹ごしらえと買い物を済ませる。

アソークでランチを食べることなどもう何年もなかった。良く分からないので取り敢えず居酒屋へ入ってみる。ランチの相場は250bぐらい。だが驚いたことにお客はタイ人の方が多い。中には若い女性が一人で定食を食べている。こんな光景以前はあったのだろうか。私は豚の生姜焼きを食べたが、味はまあまあ。

ドリンクなどを買い揃えてホテルに入った。思ったほどの広さではなかったが、冷蔵庫にはちゃんとコーラやジュースが無料で入っている。スナックも置かれている。これなら買ってこなくてもよかったなと思うが、こういうあたりは慣れがない証拠だ。部屋は至極快適であり、シティビューの眺めも明るくて良い。

この部屋はコロナ禍で隔離が必要だった日本人が良く利用したと聞いており、キッチンなどもあり、風呂の浴槽もかなり大きかった。テレビも日本の放送がたくさん入っており、まるで日本にいるようだ。もし一週間ここにいろと言われれば、喜んで、と答えたい。それでも部屋にじっとしているのはつまらないので、プールへ行ってみると、家族連れなどでかなり賑わっている。急速に観光客が戻りつつあり、ホテル需要も活発化してきている。このホテルも半月前より1000bは値上がりしていた。

バンコク滞在記2022 その2(4)とんかつリベンジ

腹は減ったがとんかつは食えず。そこで思い出したのが日本の洋食。富士スーパーにあるというので、バスに乗って行ってみた。Googleでは通しで営業しているとなっていたが、実際は休憩中であり午後4時には入れなかった。諦めて帰りかけると、そこに寿司屋が現れ、メニューを見ていると日本人から『もうやってます』と声が掛かり入店。

寿司を食べる気分ではなかったので、親子丼と蕎麦を注文する。まあ蕎麦は並だが、親子丼の鶏肉は歯ごたえがあって美味かった。そう、日本の鶏肉は歯ごたえがないんだよな、と妙に思い出す。帰りがけに雨模様となる。何とかバス停に着くと大雨になる。そしてバスはなかなか来ない。ようやくやってきて乗り込むと後は終点まで行くだけ。着いた頃には既に上がっていた。

8月22日(月)朝ご飯

今日も朝ご飯のバリエーションを広げようと、いつもはコーヒーしか飲まない1階のカフェで朝食を食べてみた。ソーセージやベーコン、目玉焼きもあったが、トーストがやけに小さい。これでは満足感が得られない。勿論金額もコムヤーンの2倍以上する。

こういう日は原稿や講座準備もなかなか捗らない。悩みは常にあり、そして資料の忘れ物もある。そんな中でこれまでよく海外で原稿を書いていたなと、自分ながら感心する。やはりまだ海外生活に慣れていない。プールに入ってもすっきりしない。雨も心配になり、早めに夕飯を探す。

やはり体調があまりよくない。ちょうどバンコクに来て2週間、疲れも出ている。こういう時は胃にやさしいものを。やはり八番らーめんか。近所のスーパーにあるので、ドリンクを買いに行きながら鴨煮らーめんを食べる。ドリンクは2つ買うと安いと思っていたが、実はメンバーカードが無いとダメと今日気が付いた。

8月23日(火)再会

今日は2つの約束があった。暇な私には珍しい。1つ目は2年半前お世話になったY先生。先生はご高齢ながら、活発に活動されている。特に日本の近現代史を知る会を主催され、子供たちにも歴史を教えておられる。元々はビジネスマンとしてタイに来られ、その後教育者として、長くバンコクと関わられている。

待ち合わせたのはプロンポーン駅。そこのビルの上に行くと以前もここでご一緒したなと思い出す。だが今日はその隣へ入る。常に新しいものを求めている感じが面白い。ここで2時間以上お話を伺った。とても貴重な昔のバンコクから、現在の日本の状況まで、そして我々はいかに生きていくべきかなど、様々な話題に時間を忘れる。

次に向かいのビルに行き、おしゃれなカフェに入る。如何にも都会のナチュラルを感じさせる店構え。ここでMさんと待ち合わせ。Mさんにはお茶会で大変お世話になっていたが、コロナ期は殆ど連絡しあっていなかった。なんでも半年ぐらい日本にいたとか。ちょうどバンコクに戻ったとのことで久しぶりにお会いした。

取り敢えずリアルお茶会は止めて、タイの茶の歴史、華人の歴史を調べたいと伝えた。これからはもっとタイの食文化などにも入っていきたいが、タイ語が出来ないハンディは大きい。Mさんなどバンコク在住者、タイ語話者の力添えが欠かせないと感じる。

8月24日(水)とんかつリベンジ

今朝は朝から何も食べずに腹をすかせた。そして昼を過ぎて赤バスに乗り、先日のセントラルワールドへ向かう。今回のお目当てはズバリとんかつ。前回のリベンジだ。さすがに平日の午後だから空いているだろうと思っていたが、それでもかなり混んでいた。

何とか席を確保して注文する。ロースかつご飯。320b。お茶30b。まい泉より安い。そして何よりご飯がお釜で出て来るのが良い。タイ人は元々とんかつ好きだが、このご飯とポテトサラダが大体テーブルに載っているから、これも好きなんだろう。ご飯とキャベツがお替り自由というのもウケている。これらは他のとんかつ店にもあるのだろうが、この価格ではコスパがウケている理由だろう。確かにとんかつにサクサク感があり、日本で食べるのより旨いかもしれない。いや私は日本では和幸ご飯890円しか食べないから、もう一段上を食べれば同じような味だろうか。

ショッピングモールを歩いていると、なぜか中国語が良く耳に入って来る。中国人団体観光客はいないはずだが、カフェで4人ぐらいのおじさんおばさんが大声で話している。彼らは観光客ではないが、住んでいるのだろうか。最近バンコクに住み始める中国人が増えていると聞くがこういう人々だろうか。

帰りにモールの横にある仏像を眺める。タイ人がひっきりなしに来て拝んでいる。女性が多いのは信心深いからだろうか。バンコクの経済はかなり持ち直しているように見えるが、その中でも、色々と苦労している人々の姿がそこかしこに見えてくる。災害は貧富の差を拡大し、ある人々の未来を失くしていく。

バンコク滞在記2022 その2(3)サムローンへ

それからその辺を散策すると、王室関係の橋や寺などがどんどん出て来る。2番の赤バスで帰ろうと思ったが、すぐに動きそうもなかったので、見えていた公園に向かう。サラーンロム公園、王室ゆかり(ラーマ四世?)の場所だ。門のところには警備員がいたが、難なく入れてくれた。コロナ対策で厳しかった警備も、今は相当緩んでいることを指していた。

この公園、歩いていると何だかとても落ち着く。何となく洋風の公園、バンコクにもこういうところがあったのかと初めて知る。なぜか中国式の仏塔もあるのは、やはり王室と華人との繋がりを指しているのだろうか。それから2番バスに乗るとすぐに動き出した。プロンポーンまで乗っても8b。昔よく行った居酒屋でランチを食べたが、50bぐらい値上がりしていて驚く。

8月20日(土)サムローンへ

朝起きて疲れを覚える。今日は休みにしようと思い、掃除の時間に外へ出て、コムヤーンを食べる。何だか変な?にーちゃんが店を手伝っている。息子だろうか。やけにテンションが高い。

昼頃高校野球を見ていると、突然Mさんからメッセージが入る。暇だというので、Mさんの家の方へ出掛けることになった。どうやって行くか、Mさんから詳細な情報が入る。45番の赤バスが最適と判断して、バス停へ。15分ぐらい来なかったが、乗ってしまえば土曜日は道が空いておりスイスイ。スクンビットもスイスイ。オンヌットロータスの思い出、昔拠点にしたプナビティ付近はかなりの変貌を遂げていた。

指示された通り、サムローン駅近くの商店街で下車。この辺はバンコク都外であり、何となく昔の風情が残っている。Mさんと合流して、ミャンマー雑貨店へ。やはりタイとは違うものが置かれているが、私には良く分からない。シャン人がやっているようで、シャンヌードルが食べられると言われたが、空腹ではなかったので、後でと言って、カフェを探す。

それから2時間以上、Mさんから旅の情報を仕入れた。まあとにかく何でも良く知っている人なので、いくらでも会話が成立する。その内土砂降りの雨となり、雨が上がるのを待っていると、何とカフェが5時で閉店と言われ、追い出される。横の市場を巡ると、何ともうまそうなダックやチャーシューがぶら下がった店がある。食べてみたい衝動にかられたが、Mさんに晩御飯の予定があり、涙を呑む。

時間調整のため、AISショップへ行き、私のシムについて調査。色々と解明できた。これもMさんの語学力のお陰。最後はバス停まで送ってもらい、また45で帰る。途中雨が酷くて、窓を閉め切ると、赤バスに乗っているのはちょっと辛い。プラカノーンで曲がる時、雨が止んでいたので、一度降りる。うま食堂の看板を見つけて入る。豚みそ定食200b、ボリュームがすごい。自分が歳であることを痛いほど感じる。また45に乗り帰る。今日の交通費24b、どこまで行ってきたんだ。

8月21日(日)とんかつ

今日はバスでセントラルワールドへ行った。MUJIがここにも入っているので、スーツケースを見に行ったが、ちょうどよいものはなかった。この建物の中には他にもかばん屋があり、スーツケースが並んでいたが、急に考えが変わり、荷物をできるだけ少なくして旅しようと思う。そして購入計画は白紙に戻す。

この建物には伊勢丹が入っていたが、すでに撤退していた。それでも紀伊国屋書店は残っており、すごいなと思う。日本でも書店はどんどんなくなっているのに、頑張っている。その同じフロアーはレストラン街になっている。大阪王将が目に飛び込んだが、ランチは平日のみと書かれており止める。すると反対側にとんかつ和幸が見えたが、こちらは午後2時過ぎで10人以上が待っていた。こういう光景を見ると何だかどうしてもとんかつが食べたくなる。検索すると1㎞ほど離れた場所にも和幸があるというのでわざわざ歩いて行ってみた。

午後3時ならさすがに入れるだろうとの予測は完全に裏切られた。こちらも10人ほどが待っていたのだ。やはりバンコクでは、レストランに切れ目はない。食事は食べたい時に食べるのだ。これで完全に諦めた。バンコクにはまい泉やさぼてんなども出ているがどう見ても一番人気は和幸だろう。その理由はどうしても知りたい。因みにセントラルワールドではカフェアマゾンで機械がコーヒーを淹れるデモンストレーションを行っており、注目を集めていた。

バンコク滞在記2022 その2(2)老舗茶行を訪ねる

8月18日(木)午前のミーティング?

今や週に2回になってしまったYさんとの朝コーヒーの時間を楽しむ。毎日会わないので、聞きたいことが山ほどあるが、もうそれを覚えている力がなく、何とかいくつかの話題を切り出し、何らかのヒントを得る。『タイ人の高齢化』の話では、都市部のタイ人が親を老人ホームに入れようとしているという。これは2000年頃中国で起こった現象だ。それまでは『親を施設に入れるなんて日本人は何て親不孝なんだ』と言われていたのが、手のひらを返したよう、『いい老人ホームはないか』と切り替わった。今それがタイにも起きているらしい。

そんな話をしていると、スッとOさんが入ってきた。確か今日チェンマイから来ると聞いていたが、突然で驚く。Yさんが仕事に行くと、Oさんの席に移動して話し出す。彼は発酵のプロなので、どうしてもそちらの話が弾む。昨日もチェンマイ郊外でミエンの村へ行ったらしい。そしてこれからすぐにカンボジアへ移動するとか。ビジネスマンより忙しい。

集友茶行へ

昼、ヤワラーへ向かった。バスで行こうと思ったが相変わらずいつ来るか分からないので、MRTに切り替えて駅へ歩き出した1分後にバスが来た。間が悪すぎる。MRTでファランポーン駅まで行き、歩いて橋を渡る。茶行に行く前に腹ごしらえと思い、以前行ったことのある店に入る。相変わらず混んでいたが、座席数はかなり減らしたようだ。

『何番を食べる?』と聞かれたので適当に『6番』と答えたが、出てきた物が麺ではない。なんだろうか?これをラートナー(豚肉あんかけスープ)にかけて食べると実にうまい。だが名前は分からない。壁に貼ってあるメニューに中国語があったが、なぜか6番のところだけ見えない。まあ美味しいからいいか。

集友茶行の王さんは相変わらず元気そうだった。奥さんも私を覚えていてくれた。この2年間、コロナが酷い時は店を閉め、開けている時も茶の提供はせず、茶葉を売るだけだったというが、ようやく最近正常に戻ったらしく、今日は濃い目の岩茶を淹れてくれながら、岩茶の話を聞いた。改革開放後王さんはいち早く岩茶に目を付け、香港に流れてきた茶を買い付けたらしい。それはお父さんが戦前武夷山と縁があったことも関係している。

1時間ほどお話して、お茶を買ってお暇した。それからワット・トライミットの前を通ったが、人がほとんどいなかった。コロナ前はあれほどいた中国人観光客の姿が全くない。見事なほどだ。ファランポーン駅にも立ち寄る。確か駅は廃止されるとの話だったように思うが、昔と同じ駅舎があり、電車も停まっている。ただここも人が少ない。

8月19日(金)花市へ

朝起きるとすごくいい天気だった。掃除の人が早めにやってきたので、急いで外へ出た。昨日出掛けたヤワラーの余韻か、また外出したくなる。思い付くのは昨日王さんと話した花市の茶荘。言葉の壁があるとは思うが、一人で強行突破しようと出て行く。こういう時はちゃんとバイタクが待っていて、MRT駅まですんなり。そしてサナムチャイ駅まであっという間に到着した。

記憶を頼りに駅からの道を行く。花市場の近くなので、花屋ばかりが目に付く。何と2年半前はお茶屋だったところも1つは完全に花屋になっていた。だが目指す王陽春茶行は健在だった。しかし入り口には防御シートが張られ、お客も入り難い様子が見られる。それを乗り越えて思い切って入ってみる。前回はお茶が並んでいたが、今は一つもない。手に取って販売することも避けているようだ。

従業員の女性は華語も英語もできない。奥を指さしてみても、首を振るばかり。そして電話番号を書いてくれ、そこへ電話しろという。恐る恐る電話すると、女性が出た。華語も通じた。そして日本人だと名乗ると、2年半前のことを覚えていてくれた。何とも有難い。お母さまの都合を聞いて折り返すという。今日のところは大成功で店を出た。

そこからふらふらと歩いていくと、あの王有記のところまで来てしまった。もうインタビューしたのは3年も前か。ちょっと店を覗いてみたが4代目王さんは不在だったのでそのまま通り過ぎた。更に行くとあの2020年3月、最後にインタビューした王瑞珍の前に来たので中を覗き込んだが、ここは全く言葉が通じずに敢え無く退散した。まあ店が開いていてよかった。

バンコク滞在記2022 その2(1)ナンルーン市場のカレー

《バンコク滞在記2022(2)》  2022年8月16₋24日

8月16日(火)近所の朝ごはんと晩御飯

朝ご飯のバリエーションを増やしたい。ということでネット検索すると、すぐ近くに有名店があるらしいと分かった。先日行ってみると日曜日だったからか店は閉まっていたので、本日再挑戦する。ほんの歩いて5分なのだが、通りの歩道橋を渡るのは意外と難儀な物だ。何とか向こうへ行き、目指す店に辿り着く。

そこには朝9時でも行列が出来ており、基本的にはテイクアウトする。ご飯とおかず二品が定番のようだった。私もイカ炒めと骨付き豚をオーダーして中の席で待つ。確かに美味しく料金も高くはない。ただお客が多過ぎて何となく慌ただしい。急いで食べてすぐに出てきてしまった。

昼間は原稿書きとプール。前回プールもコロナ禍で閉鎖になり、十分に入れなかったのだが、今回はゆっくりと入れる。ただ肘肩痛の影響は意外と大きく、長い時間泳いでいると後で傷みがでる。ではゆっくり本でも読もうかと思っても、目が悪くなっており、やはり長時間は耐えられず、そそくさと部屋に戻ることになる。

夕飯の選択肢として、近所に出来たすき屋へ行ってみた。昨日のかつやや吉野家などは海外では少し高級志向を取り、様々な現地商品を開発しているようだが、すき家は基本的に台湾をベースにしているのかもしれない。牛丼、野菜炒め、みそ汁のセットが109bだから、これは台湾と同じメニューで料金的にも安い。現地化を図っているのだろうか。

8月17日(水)ナンルーン市場へ

今日は同窓生のOさんからお誘いがあり、Oさんの車で出掛ける。どこへ行くのかは分からない。ヤワラーの方だと聞いたが、車は全く知らない道を行き、全く知らない場所で停車した。そこは古い華人街を思わせ、長屋のような建物が続いている。その一軒の食堂に入っていく。

ここのカレーは美味い、というので、食べてみると確かにスパイシーではなく、日本のカレーのようで美味い。ポークカレーライス45bに半熟卵をトッピング。きゅうりと一緒に食べるとよく合う。冬瓜も入っていたようだ。タイでカレーというとなぜかグリーンカレーとレッドカレーとかいうが、あれはカレー粉を使っていない。カレー粉を使っているとすればタイ南部が起源ともいうマッサマンカレーだろうか。これも近年突如注目され、日本の牛丼チェーンのメニューまで入ったが、今日のカレーはそれとも違う。独自のレシピという以外知りようがない。午前中に売り切れることも多いというからタイ華人にも人気のようだ。

この近くにナンルーン市場がある。日本人観光客が来るようなところではないが、近年バンコクでは美食市場として、YouTubeなどで取り上げられることが多いという。ここにはきちんとした食事スペースがあり、市場の中にフードコートがある感じだ。一番人気はタイカレーらしいが、我々はOさんお勧めのバンミーを食す。雲吞、叉焼、そしてこのスープがまた美味い。幸せな気分。やはりバンミーは華人の食べ物だ。

それから市場の横にあるおしゃれなカフェに行く。コロナ禍で旅行できないとき、Oさんと奥さんが何気なく来たこの市場のカフェにはまり、今でも月に1₋2度来るという。確かに落ち着いた雰囲気があり、コーヒーも美味しい。Oさんは週末の午後、ここでドリンクを三杯飲んで読書するのだという。この日は平日で近所の役所の若手が来ており、少し騒がしかったが、昼休みが終われば、静寂が訪れ、気が付くと夕方まで話し込んでしまった。

帰りは小雨の中、大渋滞に巻き込まれる。ある意味でこれが以前のバンコクだったなと懐かしんだが、一体いつになったら着くのか分からず、最後はファランポーン駅で車を降りてMRTに乗った。雨は上がっていたので、近所の麺屋へ行く。麺屋ではない。昼間はタイヤ屋だが、なぜか夕方から時々麺屋になる。ここの麺と煮込んだ鶏肉、そして濃い目のスープが華人らしくて好きだ。

帰宅後Oさんからメールが来た。私の宿にあるムエタイジムに、三浦知良の息子が来ており、近々ムエタイの試合があるというので、格闘技好きの間で話題になっているらしい。そういえば昨日エレベーターですれ違った若者がそうだったかもしれない。バンコクでは若い女性に大人気とか。

バンコク滞在記2022 その1(5)とんかつと眼鏡

8月14日(日)近所の食事

今日は日曜日で三連休の最終日。私にとっては外出しない日である。また朝ご飯を探しに外へ出ると道の向こう側に気になる屋台があった。先日見た時もバイタク運転手が列をなしており、一度食べてみたいと思っていたが、ちょうど席があったので、思い切ってトライする。

ブラウンソースは味が濃い目で胡椒がかなりかかっている。麺は確かに美味しい。これで40bだから、節約したい人はここに集まるのかもしれない。しかしこういう屋台はすぐにいなくなってしまうもので、その後ここで食べることはなかった。

夕方、お昼を抜いたので早めに食事を探す。私は大のとんかつ好き。かつ丼でもあれば良いのだがと、ふと思い出したのが近所のとんかつ屋。2年前は良く通った。だがそこへ行くと店舗は既にない。検索すると比較的近くの居酒屋などが集まる場所へ移動していたので、そちらへ行ってみた。

店自体が居酒屋を居ぬきで借りたらしく、前の店内と比べて雑然としている。そして従業員の対応もどことなく以前の元気はなく、何となく投げやりだ。価格も30bほど上がっており、食べてみるとちょっと油が気になった。恐らく物価高騰に店舗移転が重なり、このようなことになったのでは、と思うが、残念ながらもう行くことはないだろう。

8月15日(月)とんかつと眼鏡

昨日のとんかつがあまりに残念だったので、今日はエカマイに行ってみた。日本のかつやが出ているというのでどんなものか見に行く。実は日本で食べた時のコスパが良くて、ひそかに注目している。72番赤バスも健在。一本でエカマイゲートウエイに行く。ここは大きな招き猫の置物があったのだが、残念ながら無くなっていた。和食店の数もやはりコロナ前より減っている感はある。その中でチェーン店が目立つ。

かつやは安くてうまいかと思ったが、バンコクのコンセプトは少し違っていた。それでも100bちょっとでかつ丼が食べられそうだったが、メニューがすごく見づらくて、困る。そしてなぜか189bもするカツとじ定食を頼んでしまう。更にはドリンクの注文が追い打ちをかけて220bもかかってしまった。周囲を見たらそんなものを食べている人はいない。失敗した。

BTSでチットロムへ行こうと思ったが、ラビットカードはやはり使えなかった。窓口で聞いたら、コロナのせいではなく、私のカードは7年を経過しており、失効していたのだ。これを新しいカードに更新するにはパスポートも必要で、何かと面倒だったが、少額の残高も移行できたので、まずは良しとしよう。

チットロムで降りて、眼鏡屋へ向かった。実は先日Iさんからここに日本人が常駐していると聞いていた。そして私は数か月前、日本のこの店(チェーン店)で、眼鏡を2つ作っていたので、行ってみた。その日本人スタッフは非常に親切で、丁寧に視力を計り直し、問題点を指摘してくれた。

それでは新しいのを作りますか、となった時、その代金は日本よりかなり高いことに気が付いた。勿論円安の影響はあるが、それを差し引いても高い。聞けば材料も日本で使っている物とは違うという。要は日本では安売り店へ、海外では高級ブランドとして生きていく戦略なのだと分かった。日本はこれからさらに貧しくなり、アジアは基本的に伸びていく。どちらの市場も取り込もうとするとこうなるのだろう。だが私個人の懐具合から考えて、今バンコクで眼鏡を作る選択肢はなく、『日本に帰ったらお宅で作ります』と言って礼を言うのが精いっぱいだった。彼には悪いことをしたが、これが現実だ。

気持ちが貧しくなり、帰りもバスに乗る。この周辺を歩いている外国人観光客が増えていることを実感する。彼らは私などとは違ってもっと消費するだろうからタイに貢献している。そんなことを考えながらバスを降りて、宿に着く直前、ものすごいスコールに見舞われ、軒下に避難して、そこから動けなくなってしまった。何かを暗示している天候のように思えてならなかった。日本の未来でなければよいが。

バンコク滞在記2022 その1(4)セントラルエンバシーとマック

8月12日(金)セントラルエンバシー

今朝は何だかだるくてベッドから起き上がる気がしなかった。それでも9時を過ぎると掃除人がやってくるので部屋を明け渡す。何か食べようかと見渡したが、結局ちょっと散歩しただけで部屋に戻ってしまった。茶の歴史など書いてみようとも思うが、その集中力もない。

10時半、バスターミナルへ行き、久しぶりに赤バスに乗る。今日タイは祝日ということで閑散としている。赤バスはまだどこまで乗っても料金8bであった。このバス一本でチットロムまで行く。途中大型施設の工事現場を通り、懐かしの?日本大使館を通る。驚いたことにこの辺バス停には、電光掲示板が取り付けられ、何番が何分後に来るのかが、表示されている。これはシンガポールあたりのシステムを導入したのか。便利であり、進化が見られる。

セントラルエンバシーはちょっと格調高い高級感があり、これまで私には無縁だった。今日はIさんのお誘いでここでランチをすることになっていた。まずは無印良品を訪ねる。実は5年前にバンコクMUJIで買った小型リュックを愛用しているが、ついに破れ始めていたので、新しいものを買いたい。東京のMUJIで調べてもらったら、何と日本では元々扱っていないと分かり、バンコクまで持ち越してきた。だがここでも調べてもらったが、半年以上前に扱いは無くなっており、結局買えなかった。

鼎泰豊と言えば、台湾小籠包の名店。私は台湾では基本的に行かないが、中国では昔よく行った。それがここにも入っていたので、食べてみる。正直に言うと、味は微妙に台湾ではなかった。やはり各地でアレンジされているのだろうか。だが祝日ということもあり、特に母の日だったこともあり、家族連れで超満員の盛況だった。決して安くはないレストランで、タイの発展を感じる。

Iさんとの話が尽きず、場所を変えて話す。このビルの最上階のカフェ、ケーキが200b代、コーヒーと合わせて軽く400bを越えるが、お客はひっきりなしにやってくるので、本当に驚いた。東京でいえば青山・六本木あたりで午後お茶する料金を簡単に払うタイ人たち。円安を考えなくても勢いはある。

帰りのバスを待ったがなかなか来ないので、懐かしい場所を歩いてみる。昔泊まったホテルが改装中だ。やはり旅行解禁に合わせてリノベーションが行われている。宿の近くまで来ると雨が上がっていた。初めて入る屋台で臓物スープを食べる。このスープはなかなか美味しいのだが、一緒に出て来る白米が不味すぎる。この食べ物はバイタク運チャンなどが食べる一番安い食い物かもしれないが、何とも残念だ。

8月13日(土)マクドナルドが

日本でも偶に食べるマクドナルド。バンコクに来ると時々手を出していた。その近所の店も安泰であったので、嬉しくなり入ってみた。ところが店内は何も変わっていなのに、注文カウンターだけがなくなり、そこではデリバリーの運転手が商品を待っている、お渡しカウンターに変貌していた。

戸惑っていると係員がタイ語でこっちだよ、と指し示す。見るとタッチパネルが設置されており、皆サクサクと注文している。英語もちゃんとあるのだが、この操作がなかなか難しい。係員は英語も出来たので、結局私は言葉で言って、彼女が打ち込む羽目となる。ようやくオーダーできると、隣のお渡しカウンターで支払いをする。これもタイ人の若者はキャッシュレス化しており、ここには来ない。

フィレオフィッシュバーガーセット(ポテトとドリンク普通サイズ付き)が99bはかなりお得感があり、安く感じられるが、全体的に見えれば、既に日本のマックの代金を越えているようにも思える。それでもタイのどこにでもあるマック、これもまたタイなのだろう。因みにコロナ禍ではドライブスルーが活躍しただろう、いやデリバリーだっただろうか。

バンコク滞在記2022 その1(3)スマホ

午後日差しが出ていたので初めてプールに入る。白人女性が一人大胆に寝転んでいるだけ。私は恐る恐るプールに浸かり、恐る恐る泳いでみた。水は暖かく快適。一往復だけで上がり、少し本を読んでから戻る。これからは体力、いや筋力を回復させないと、ちょっとした動作で体が痛くなるのを防ぎたい。

3時過ぎにYさんと出掛ける。最近雲助タクシーが復活しているといい、道路まで出てタクシーを拾う。道路もバイタクならスイスイだが車だと結構混んでいる。プロンポーンまで行き、4年前にスマホを買った店へ行く。店舗に変化はなかったが、スマホの値段は高くなり、また円換算すると日本の方が安いように思われた。更に何と型落ちIPhoneを買おうとしたら、『シムカードはAIS以外使えません』とのまさかのご託宣。慌てて逃げだす。

向かいのAppleストアーでほぼ同じ値段、縛りなしスマホを購入し、データ移行までしてもらった。待っている間、近所のアマゾンカフェに行く。ここは安いチェーン店、客はあまりいない。何だか田舎のサービスエリア以来か。スマホを受け取り、今度は向かいのビルで、アクセサリーを買う。新しいスマホにはイヤホンも充電器のソケットも付いていなかった。

Yさんと別れて銀行へ。通帳記帳などを行う。定期預金金利は2年前から1%下がり、利息も期待できない。これもコロナ経済の現象か。腹が減ったのでエンポリを偵察。上の階のフードコートは一応健在だったが、お客が少ない。まあゆっくりカオマンガイを食べてから帰る。

新しいスマホ、何とLINEも微信も本人認証が必要で、日本の電話に繋ぐ必要があり、困る。部屋はおろか、ロビーすらWifiが繋がらないこの宿ではどうしようもないのだろうか。取り敢えず明日を待って眠れぬ夜を過ごす?

8月11日(木)ご近所で

朝腹が減ったのでコムヤーンの美味い店に行ってみる。この間覗いた時はやっていなかったので心配したが、今日はちゃんと煙が上がっており、何とも喜ばしい。おばさんも私を見つけると、嬉しそうな笑顔となった。言葉はほぼ通じていないが、10年は通っているだけあって、こういう対応は何とも喜ばしい。そしてコムヤーンは今日も脂身が旨かった。代金は10b上がって50b。カオニャオは5bで据え置き。至福の朝が蘇る。

お昼にYさんに付き合ってもらい、近所のロータスへ。AISのシムカードを購入する。2年前も使っていた『1か月無制限 200b』がまだ売っているのかタイ語で聞いてもらったが、販売員の説明がイマイチ曖昧。それでも無事シムカード代50bを入れて200bで新しいスマホにシムが入った。これで万全だったが、やはり微信、Lineなどは新しいスマホでは使えず、困る。

昼ご飯を食べようとロータス内の八番らーめんに行く。ここは今やタイの国民食の一角を占める日本のラーメン店。石川発祥だというが、既に30年以上タイで営業しており、今やどこのロータス、BigCにも入っている。昼時は席を探すのが大変だ。ラーメン餃子セット180b、コーラ付きは高いのか安いのか。ラーメンは特に特徴はないが優しい醤油味。

午後はプールに入り体を動かす。昨年来の肩痛で運動は難しかったが、ここで徐々に慣らしていきたいと思っている。これは今回のバンコク滞在の目的の一つだが、今日は殆ど泳げなかった。その内雲行きが怪しくなり、引き揚げる。部屋に戻ると雷と共にかなり激しいスコールに見舞われる。如何にも南国に来た、という感じがする。

雨がようやく止んだので、夕方買い物に出る。いつも行くパン屋は平常通りやっており、思うものが買えた。近所の高級スーパーも視察?して、何が売っているのか、いや何を売らなくなったのかを確認する。ついでに稲荷壽司95bを買って帰る。まあこれが高いのか安いのか、最近はどうしても円安の影響で考えてしまう。

バンコク滞在記2022 その1(2)日常を取り戻す

8月9日(火)日常を取り戻す

朝Yさんといつものコーヒータイム。懐かしい。宿内のカフェも新しくなっている。2年半前、自分が何を飲んでいたのかが思い出せず。いつの間にかアメリカンがやってくる。2年半の空白を埋めるのは容易ではない。宿のオーナー夫妻に挨拶すると、帰ってきたことをとても喜んでくれた。

とにかく家賃を払うため、銀行へ向かった。プロンポンまでバイタクで行くと速いが、コロナの影響で宿の前にバイクはない。仕方なく通りまで出て探す。バイタクに乗るのも2年半ぶり。大してスピードが出ていなくても、ちょっと怖い。また乗る時に筋力が衰えており、筋肉痛を引き起こす。40バーツを渡すと黙って受け取ったので、昔と料金は変わっていない様子だ。物価高騰の折、バイタク業はかなり厳しい。

プロンポンでまずは銀行へ行き、凍結された口座を解除しようとしたが、何と口座は特に凍結などされていなかった。私のボケの事情で勝手な思い込みがあっただけで、銀行スタッフに諭されると、魔法のようにATMからお金が出てきたので、びっくりした。日本の老人で口座からお金が出ないと言ってきたのは、私だけではないようだ。これもコロナボケ?

ランチは昔時々いったキッチン(洋食屋)に入ってみた。11時半過ぎ、お客はほぼタイ人しかいない。メニューはほぼ変わりなく、ただ料金は定食が200‐220bから250‐270bと20%程度上がっていた。これに円安を加えて円換算すると、1000円ランチとなり、日本人には手が出しにくい価格となったのだろうか。それともお盆休みでいないだけなのだろうか。後で聞くとこの店、日本人が撤退(店舗地変更)して、タイ人が買い取り、そのまま営業しているらしい。そんな店も増えていると聞く。

それから道の反対側へ渡り、ユニクロへ。今回肩痛などのため、荷物をできるだけ減らしたため、Tシャツ、パンツ、水着、靴下などは現地調達することにしていた。ユニクロは日本より高いが、何しろスタッフはほぼ英語が通じるので何かと便利。Tシャツのサイズなども図ってくれた。だがなぜかXLサイズで買ったTシャツが小さい。どうも女性用を買ってしまったのかもしれない??紀伊国屋も健在でよかった。

富士スーパーへ行ってみようと思ったが、意外と人が歩いているので、途中のパン屋に入り(実はこのパン屋が激込みで)、パンを買ってそのままソイを出た。パンの値段も1₋2割上がっているように思う。そこからアソークまで散歩してみるが、昔あった店は大体あるようだった。もっと激変しているかと思ったので、ちょっと拍子抜け。ただ中身はかなり変わっているとの指摘あり。

アソークでMRTに潜り込む。2年半前に使っていたカードではやはり入れず。しかし100bトップアップしてアクティベートできたのでよかった。昼間なのでMRTは空いており、一駅で降りてバイタクで宿へ帰る。宿で1か月分の家賃を納めて一安心。

その後フルーツが食べたくなり、外へ出て屋台を探したがいなかった。仕方なく市場近くまで歩くと八百屋があり、20bのパイナップルが目に入る。カットを頼むと申し訳なさそうに5bプラスと言われた。ところがそのカットが実に入念で10分もかけてやってくれたので、これで5bかとこちらが恐縮してしまった。そして屋台より多くのパインも手に入り大満足だが、人件費、加工賃とは何かを考えさせられる。

8月10日(水)Iphone騒動

朝YさんのYouTubeを見る。同じ建物内で話しているのだが、画面を通してみると当たり前だが東京で見るのと変わりはない。バンコクの屋台が無くなっていくとの話、シンガポールのホーカーセンターにするらしい。確かに衛生面には問題があるが、屋台はバンコックの良い所。しかし国の発展過程では致し方ないことだろうか。

コムヤーンを食べたいと思い、いつもの店へ行ってみたが、店は開いていても煙は上がっていない。これも屋台廃止関連だろうか?一説に豚肉高騰があり、商売が厳しいのでは、との話もあり。10時に掃除の人が来たので、外へ出る。昔から三姉妹?でやっている麺屋が開いており、久しぶりの鶏肉麺。おばさんがコーラも飲むか、と言ってきたので合わせて60b。麺は少し値上がりか?

バンコク滞在記2022 その1(1)2年半ぶりの海外旅

《バンコク滞在記2022(1)》  2022年8月8₋15日

2020年3月、コロナによるロックダウンの2日前、私はバンコクを脱出して東京へ帰った。それから2年と5か月、ついにまた海外へ。しかも場所はバンコク。中国や台湾、香港は全く開かず、東南アジアは突如?フルオープンになったと聞き、まずはバンコクを目指すことにした。しかし2年以上海外へ出ていないと、忘れてしまったことも多い。とにかくパスポートとフライト予約、お金を忘れず出発する。

8月8日(月)バンコクまで

何だかとても緊張する。初めて海外旅に行く気分で、朝も早く起きる。お盆休みに入りかけているのか、電車はそれほど混んでおらず、羽田まで大きな荷物を持って移動した。タイ航空のカウンターは2時間半前に開くのだが、それより早く到着。ただ既に数十人が並んでいる。気合が入っているな?タイ人が多いのは、やはり迄日本人の海外旅行は本格化していないからか。

チェックインで荷物を計ると、わずか18㎏しかなかった。これまで30㎏は持って出ていたので、自分でも意外だ。これも昨年の肩肘痛後、重い荷物を避けてきた結果だ。これからは心も荷物も軽くして旅を続けたい。カウンターではさすがにワクチン接種証明の提示を求められた。このためにだけに接種したのだから、思いっきり提示する。出国も従来通りに自動ゲートだったが、取り敢えずスタンプはもらっておいた。

ラウンジも特に変化はない。いやむしろ乗客で混雑していて驚いた。アメリカやヨーロッパへ行く客がトランジットとして利用しているようだ。また欠航便の表示も多い。やはりまだ安定した飛行とはなっていないように見える。朝ドラを見ようとNHK+にアクセスしたら、何と圏外の表示が出た。確かに出国したがまだここは羽田だ。受信料もちゃんと払っている人に見せないとは怒りと共に、違法性すら感じた。こんな取り締まりに費用を掛けるなら、他にやることがあるだろうと言いたい。

機内はそれほど混んではいなかったが、思ったよりは乗客がいた。日本人客が少ないためか、コロナ以前は乗っていた日本人CAの姿はない。あまりに久しぶりの機内食に新鮮さが溢れ、喜んで食べている自分に驚く。映画を見ながら寝こけていたら、もう着陸だった。5時間半は長いようで短い。

バンコクで

空港に降り立つと緊張感が一気に高まる。果たして無事に入国できるのか。イミグレまでやってくると、何と長蛇の列。顔ぶれはなぜかインド系が目立ち、白人もそれなりにいる。いないのは中国系だろうか。バンコクは既にポストコロナ時代に入っていた。とにかく列はなかなか進まない。やはり色々とトラブルがあるのだろうか。2年以上も海外に出ていない人が多ければ、やはりいつもより時間はかかる。

ようやく順番が回ってきた。握りしめていたワクチン接種証明は全く不要だった。そして何事もなかったかのように、スタンプが押され、ハレて入国した。素直に嬉しい。荷物は既にターンテーブルを何周も回っていた。荷物検査はなく、するっと外へ出た。まずはシムを買おうとブースに行ったが、従来の3日間用はなく、16日間、15GB、299bが一番安かったのでそれを買ってスマホを起動させる。

エアポートリンクも動いているようだったが、荷物もあるのでタクシーに乗る。ここは混んでいなかった。運転手も客が来てよかったという雰囲気だ。高速道路を走っていたが、どこを走っているのか分からず、これまで見たこともない街に来ている感覚に襲われた。なぜだろうか。タクシー代は高速代を入れると400bを超えたから、いつもと違う道だったのだろう。まあ無事に着いてよかった。

定宿というのは有難い。フロントに知った顔があり、『おー、ついに戻ってきたか』と喜ばしそうだ。部屋も前回と同じで、まるで2年半前の続きをしているようだ。宿を一回りしてみると、洗濯屋が無くなり、コインランドリーになっている。やはりコロナの2年には、色々なことがあったのだろう。

取り敢えず腹が減り、外へ出た。周囲も思ったほど変化はないようだ。なぜかパッタイが食べたくなり、その店へ行くとちゃんと開いている。料金は10bほど値上がりか。お客がどれだけ来ているのか心配だが、コロナを耐え抜いていた。カキオムレツまで食べてしまった。お決まりのコーラも飲む。バンコクに来た、という気分になり何となく楽しい。

それからロータスで買い物。いつの間にかテスコが撤退して、名前はロータスだけになっている。ここでお菓子やドリンク、そして食器などを買い込み、これからの3か月の生活に備える。取り敢えず前回持ち帰ったタイバーツがあったので、今日のところは無事に過ごせた。