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チェンマイ滞在記2023 その4(4)初めてのドイステープで

2月14日(火)初めてのドイステープで

チェンマイには何度も来ているが、チェンマイ有数の観光地、ドイステープに登ったことはこれまで一度もない。今回は1か月の滞在だから、暇な時に登ろうと考えていたが、何と意外と忙しく、ついに今日まで機会がなかった。もうあと数日でチェンマイを離れることから、何としても登りに行く。

チャンプアック門からソンテウが出ていると聞き、行ってみると、確かに門の外側にソンテウが何台も停まっていた。一人60バーツと書かれているが、これは10人集まって乗った場合の話らしい。私の他にロシア人家族とタイ人女性の合計6人しか乗車希望がなく、運転手が『一人100バーツ出せば今すぐ行く』と声を掛け、見事に車は走り出した。

途中までは平地を行くが、そこからの上りは意外とカーブが多く、何だか日光いろは坂を思い出す。特にソンテウで周囲が良く見えないことが余計に気分を悪くする。30分ぐらいで何とか寺まで辿り着く。思っていたよりはるかに大きく、立派な寺がそこにあり、観光客も多かった。

階段が300段以上あり、膝に負担がかかるが、何とか登り切る。そこで外国人だけ入場料を払えと書かれているのがイマイチ。しかしチケットをチェックする人は誰もいなかった。中はかなりきれいな状態で、写真撮影には良い。だから人気があるのだろう。一緒にソンテウに乗っていた女性が一人祈りを捧げている。何かあったのだろうか。僧侶の一団が記念撮影に余念がない。

帰りもソンテウに乗り込む。今度は客の集まりが良い。私が助手席に座っていると、その後ろに乗ってきたのは、何と日本人だった。しかも彼はある競技に出るためタイにやってきたのだが、その会場はチェンマイではなく、何と私が昨年訪ねた、タイ最南部ベートンだというから驚いた。こんなところでベートンへ行く日本人と遭遇するとは。しかも彼は朝5時に起きて、この山を走って登ったらしい。

下まで降りてくると3人でランチに行く。牛肉麺を食べながらFさんの競技について、故郷についてなど、話が進む。すると突然Fさんと一緒にいたミャンマー人女性が、ミャンマーの現状について語りだす。あまりに大きな声を出して英語で話すので、周囲も聞き耳を立て始める。ちょっと衝撃の真実が語られる。まあこんな出会いもチェンマイならではかと感じる。

部屋に帰ってみると、掃除されたベッドの上に、チョコレートが載っていた。何とバレンタインデーのプレゼントらしい。先日は旧正月のミカンもあり、なかなか粋なホテルだと感じる。夕方ちょっと外へ出た。食欲はあまりなかったが、クリスピーポークが食べたくなり、汁なし麺の上に乗せてもらい、食す。何だかこのポークに妙に嵌ってしまった。

2月15日(水)初めてチェンマイ駅へ行く

今朝も涼しい。朝ご飯にカイダオとパンを食べてから、周囲を散歩する。何となくナイトバザールの方へ向かうと、中華風の建物が見えた。修徳善堂と書かれた立派な門と堂がある。門の横にはタイ語と漢字で『棺桶の寄贈』について書かれていた。この辺に華人の共同体の存在が見られる。

何となく気分が乗ってきてそのまま細い路地を歩いて抜けて行く。全くの思い付きでチェンマイ駅を目指すことにした。これまで何人もの人からバンコクまで夜行列車に乗った話を聞いてはいたが、一度もトライしたことはなく、駅へ行くこともなかった。駅が遠いというのも理由の一つだったが、確かに東に3㎞ほど歩いた。途中におしゃれない市場などはあったが、特にこれと言ったものは見当たらない。

駅は予想していたものより小さかった。時刻表を見ても1日10便程度しか走っておらず、午前中の列車の往来もなく、閑散としたホームと待合室を眺めた。バンコクの駅がファランポーンから新駅に表示替えになっていたのが目を惹く。確かにここまで切符を買いに来るのは大変だったろう。今はネットで買えるのだろうか。今度一度試してみたい。

チェンマイ滞在記2023 その4(3)突然JJマーケットへ

2月12日(日)突然JJマーケットへ

翌朝はさすがに腹が減らない。10時過ぎて散歩に出て、またジョークを食べる。この辺が軽い食べ物ということだ。そのまま散歩を続けた。以前出されたクッキーが意外と美味しかったので、買ってみたいと思い、Googleで調べて歩いて向かう。途中『WASEDA』と大きく書かれた学校を見た。あの早稲田かと思ったが、どちらかというと早稲田ゼミの雰囲気か。語学学校で、タイ人に日本語や英語を、日本人にはタイ語を教えているらしい。

実はそのクッキー屋は予想以上に遠くにあり、しかもそこにあったのは工場だった。恐る恐る工場の人に『クッキー』と言ってみると、何とも親切に工場の前にあるショップまで案内してくれた。ショップのスタッフも大変親切で驚く。顧客満足度向上とはこんなところから来るのではないだろうか。思わず余計に買ってしまい、売り上げに微々たる貢献をする。

だいぶん暑くなってきたので、フラフラしながら歩いて帰途に着く。ところが途中でトイレに行きたくなり、ふと見るとそこにマーケットがあったので、その中のトイレを借りた。出て来るとちょうどあのMonsoon Teaのショップがある。庭では日曜日のマーケットが開かれ、服などが売られている。

ふと見ると、向こうに座っている女性に見覚えがある。何と先日リス族村に一緒に行ったAさんではないか。ここで逢うとはお互いにビックリ。やはりチェンマイは狭い。Aさんは3人と話していたが、皆日本人。しかも今ここで知り合ったというから驚く。うち一人はチェンライの茶イベントに参加するというから更に驚きだった。どうやって仲良くなるのだろうね。

Aさんとマーケットをフラフラすると、豆乳が売られていたので、買って飲む。何と宣伝に日本語が書かれていたので、理由を聞いてみたが、『実は枝豆農家で、日本にかなり輸出している』というから、またまた驚いた。日本の枝豆って、チェンマイ郊外から来ているのか。その後日本から逃避してきたという男性と3人で、仏像の前でお話を続けた。何とも穏やかな午後の時間が流れていく。夕方2人と別れて、一人とぼとぼと歩いて帰る。チェンマイの夕方はさほど暑くないので、有難い。

2月13日(月)P先生と再会

今日も少し疲れが出ており、ゆっくりと過ごす。それでも11時前には外へ出て、ランチを探す。ちょうどよさそうなカフェがあり、クラブサンドイッチの朝食メニューもあったので入ってみたが、なんとクラブサンドは単品でコーヒーを余計に頼まなければならなかった。耄碌すると損が多い。何となく物足りず、いつものお寺の麺まで食べてしまった。

昼過ぎP先生が来てくれた。思えばチェンマイに来てすぐに会いに来てくれたのは彼女だった。あれからもうすぐ1か月、嬉しいほどの幸運について報告できるのは何とも喜ばしい。涼しいカフェで話していると時間はあっと言う間に過ぎてしまい、次回の再会を期して別れる。

夕方散歩に出た。さっきP先生と日本食の話などをしたこともあり、急に和食を探す。と言ってもよく分からず、適当に検索する。20年近く前に訪ねた店かと思い、少し郊外まで歩いて行ってみた。ところが到着するとそこは全く新しいお店。ただ日本語の本や漫画が沢山あるのは、何かの名残ではないだろうか。ここでかつ丼を頂く。何となくスプーンで食べたほうがよさそうな感じが如何にもタイらしい。

チェンマイ滞在記2023 その4(2)メージョー アカ族の村で

先日プラーオに行った時に使ったチャンプアックのバスターミナルへ行き、メージョーと行ってみる。ここにはメイリム行きは沢山出ていたが、メージョー行きはあまりなかった。それでもそのソンテウを見付けたので乗り込むと15分ほどで出発したのでホッとした。ところが、何故か車は思ったのと違う方向に走っていく。そして何とワーロット市場で停まってしまった。

どうやらここで客を待つらしい。運転手に聞いてみても言葉が通じない。乗客は女子高校生一人で、彼女も英語を解さないため、分かったのは、このソンテウがメージョーへ行くことだけだった。20分ぐらいしてようやく車は動き出す。何と我が宿の近くまで行って、何とか北上した。そこからも曲がりくねっていき、郊外に出るや猛スピードで飛ばした。

結局バスターミナルに行ってからメージョーまで行くのに1時間半以上かかった。直線距離なら僅か10㎞だから、驚いた。しかも指定された場所は、そこから15分も歩いた場所にあり、汗をかきながら何とか到着する。そこにHさんが車で迎えに来てくれ、村へ行く。アカ族村というから山があるのかと思っていたが、ほぼ平地にその村はあった。

今日はH夫人の親族の新築披露パーティーだと聞いていた。Hさんは車を置きに行き、夫人も見当たらない。ちょうどアカ族の衣装を着た女性がいたので、写真を撮らせてもらったら、向こうのテーブルの人から声が掛かり、その席に誘導された。すると横に座った女性が流暢な華語を話す。何とこの村の男性と結婚した台湾人、台南の女性だった。その後Hさんも加わり、皆でご馳走を食べた。

台湾女性が『台湾茶を持ってきたから飲もう』と言い、近所のカフェに行く。このカフェがまたおしゃれで驚く。アンティークも多く置かれている。そしてウリは何と言ってもアカコーヒーだ。そこに教会の神父さんがやってきた。彼もアカ族で、この店は長男がやっていると、華語で話す。なんと教会では20年前から子供たちに華語を教えているらしい。長男は重慶の大学にまで行っており、完璧な普通話を話す。そこへ香港人の一団がやってきた。彼らはキリスト教関係者で村の教会を支援しているという。会話は全て華語。驚くしかない。

その後Hさんの案内で、新築住宅を見学。かなり広い空間、豪華な家具。1階はショップとして使える。チェンライのミャンマー国境からも大勢の親族が来ており、皆が思い思いに見学している。すぐ横には村の教会もあり、村の中心が教会だとはっきりわかる。そして遊んでいる子供たちがこちらに向かって『ニイハオ』と挨拶してくれるのにはかなり面食らう。

Hさんの奥さんの家も近くにある。彼女は今日も裏方として料理を作るなど奮闘している。いつもは麺屋をやっていると言い、朝から夕方まで働いているらしい。今日も私がどうやってチェンマイに戻るかと考えていると、車で送ってくれた。何とも有難いことだ。実は今晩は夜の部もあるようだったが、夕方には村を離れた。

ターペー門で降ろしてもらうと、そこには指を三本立てて何らかの抗議活動をしている数人がいた。初めはミャンマー問題に対する訴えかとも思ったが、タイ国内での言論抑圧などに抗議、仲間の釈放を求めているものだと分かる。タイという国は自由なのか、不自由なのか、実はよく分からない。

昼ご飯をあんなに食べたのに、夜になると腹が減る。麺でも食べようと外へ出ると、美味そうなクリスピーポークが目に入る。これを麺の上に乗せて食べると実にうまい。僅か50バーツの幸せ。そして調子に乗ってしまい、何と禁断のローティーにまで手を出してしまった。バナナ、チョコとコンデンスミルク、もう駄目だ。明日から体調を整えねばなるまい。

チェンマイ滞在記2023 その4(1)雲南金曜朝市からチェンマイ大へ

《チェンマイ滞在記2023》  2023年2月10₋18日

2月10日(金)雲南金曜朝市からチェンマイ大へ

最近のチェンマイは朝が涼しい。というか、いつも曇りで太陽があまり見られない。これは煙害なのだろうか。PM2.5とか焼畑という言葉も良く聞かれ、空気がよろしくはない。それでも一度は行こうと思っていた雲南朝市に、ついに繰り出した。毎週金曜日の朝しかやっていないので、これを逃すと見る機会はない。

もう慣れた道を歩いて行く。市場はあの回族モスクのすぐ横から入る。多くのブースが出ており、店の人はヒジャブを被った女性が多い。如何にも雲南回族の朝市だが、働いている多くは回族ではなさそう。各店、麺や豆腐、ソーセージや漬物など思い思いの食品などを売っており、何となく楽しい。

中に入っていくと、簡単な料理を店がいくつか出ており、多くの人が注文している。やはりここまで来たら雲南麺を食べたい。久しぶりに少しスパイシーな汁を味わう。豆腐なども美味しそうだったが、そこをパスして、外で肉まんを買って歩きながら食べる。この朝市は有名なのだろう。たくさんの地元民と観光客で賑わっていた。因みにこの市場の横にムエタイスタジアムがある。

一度宿へ帰って、今度はチェンマイ大学へ向かう。前回も行ったのでもう慣れており、人文学部のビルに着く。P先生に紹介されたS先生に会った。彼は華人研究が専門とのことで、タイ北部、雲南漢人や回族、潮州系などの華人について知りたかったのだが、何と彼の研究テーマは『華人の感情』と言われて戸惑う。ただ内容を聞いてみると『自分はタイ人なのか、中国人なのか』などについて、華人の世代ごとの考え方の変化などについて検討しているようで、これはこれで大変興味深いテーマだった。

更に彼はバンコク出身の潮州系四世ということで、バンコクに住む知り合いを紹介してくれた。私は基本的にこれまで福建系を追い続けてきたが、タイにおいては潮州系が重要だと感じている。今後は良い機会なので潮州人について、勉強をしてみたいと思った。尚彼の弟さんは日本の大分別府で旅館をやっているというから、こちらも実に興味深い。

大学の正門を出たところに食堂があったので入ってみた。メニューはしっかり英語と中国語がある。カオカームーを食べる。それから近所のフードコートを見てみる。確か数年前ここで食事した覚えがあるが、今や全く機能していない。観光客激減の煽りで、閉鎖状態だった。

午後は宿でゆっくりと休み、夕方また外へ出た。チェンマイの夕方は西日があっても何となくいい風が吹き、涼しく感じられる。これまで何度も通り過ぎたナイトマーケットに行って夕飯を食べてみた。何と日本の中華弁当のようなチャーハン、春巻き、野菜のセットがあった。100バーツで美味しく頂く。夕日が傾く中、目の前でライブがあるのも何となく楽しい。

帰りにセブンに寄る。これまで見つからなかった静岡緑茶アイスをついに見つけて買う。食べてみると、何となく雪見大福のアイスが抹茶という感じで、なかなか美味しい。しかも僅か20バーツでコスパも良い。知り合いの娘さんが勤めている会社がタイ大手に原料の茶を下ろしているらしい。

2月11日(土)メージョー アカ族村へ

朝はお寺で麺。やはり20バーツは何度食べても安い。今日は先日リス族村で出会ったHさんに誘われて、彼がアカ族の奥さんと住む村へ行くことになっていた。そこはなぜかチェンマイ郊外、メージョー大学の近くだという。そこにはソンテウに乗れば行けるというので、調べてみると、確かに大学までソンテウが出ていた。

チェンマイ滞在記2023 その3(7)ドイプーメン 転作された茶畑

更に行くと、50年前転作された時に植えられたと思われる茶畑に茶樹がきれいに並んでいる。元気に伸びる茶葉、何とも歴史を感じさせる。標高1300mにあるこの茶畑、環境が守られていて、何とも素晴らしい。その近くにはヨックの家があり、付近には茶を飲める空間も作られているが、この3年使われておらず、これから再整備していく予定らしい。

一緒に来た店員は、実はミャンマーのカレン族だという。彼女は一生懸命に茶葉を摘み、かごに入れていた。そのかごを借りて、記念写真を撮る。まるで自分で摘んだかのような笑顔だ。今日は村を視察しただけで、お茶を飲むこともなく、食事をとることもなかった。フランス人の団体はこれからあの焼き鳥を食べるのだろうか。ウドムが流暢なフランス語で冗談を言っている。ここはどこだろうか、と思ってしまう。

山から下りてきて、宿でランチを食べた。同じものでは、との配慮で、外の食堂から調達したご飯が出てきた。これがまた美味い。それから部屋で少し休み、夕方散歩に出た。この街には数百年前の城壁が一部、いやかなり残っている。更に外へ出ると、清真寺があった。ここは雲南回族の拠点であろう。回族の活動はどのようなものであったのだろうか、是非とも知りたい。

夕飯もまた美味しく食べてしまったが、もう完全に食べ過ぎだった。宿で働く若者も一緒に食べたが、彼はお茶に関心があり、チェンマイからここにやって来たらしい。ちょうど可愛らしいカノジョも来ていた。昨日借りた本も、今晩は完全に枕となり、全く開くことなく、シャワーを浴びると寝入ってしまった。夜はチェンマイより涼しいファーンだ。

2月9日(木)チェンマイに戻る

朝は気持ちよい。今日はパンと卵の洋風朝食を食べて、散歩に出た。いつもは気にならない花などがなぜかきれいに見える。托鉢のお坊さんに祈りを捧げる光景が良く見られる。いつの間にか時間が経ってしまい、車を待たせてしまったのは、申し訳ない。今日はウドムと二人でチェンマイに戻る。

ウドムは車の中で色々な話をしてくれた。コロナ禍でお客が全く来なかったこと、ガイドなどスタッフが故郷に帰ってしまい、今も戻ってこないこと。インバウンドとアウトバウンドは旅行会社でもオペレーションが全く違うこと、などなど。なるほどと思うことが多く、勉強になる。さすが旅行業20年のベテランだ。途中立ち寄ったトイレがテーマパークのようで驚く。

3時間かけてチェンマイまで戻る。昼は最近見付けた牛肉麺の店に入ってみる。英語も通じるし、メニューも英語。でも量は多くない。麺を茹でているおじさんに華語で話し掛けたが、英語で返されてしまった。華人は多いが、華語は通じにくい、という不思議な空間がチェンマイにはある。

宿に戻ると、掃除のおばさんたちが『あんた、どこ行っていたの?心配したわよ』という目でこちらを見ている。確かに何も言わずに2晩部屋を空ければ、失踪したかと心配されただろうか。それでもそんな風に思ってもらえるのは何となく嬉しい。これも長期滞在者の特権かもしれない。

夜は何となく、20年前に入ったターペー門前のマックへ行く。だがメニューを見ても、いつもバンコクで注文するValue Mealがない。ほぼ同じ内容のセットは99バーツではなく、165バーツもする。とうとうマックも値上げか、もう行けないなと思う。因みに宿の横のバーガーキングでも、ポテトとコーラのセットが90バーツと言われて、思わず注文せずに引き上げる。ポテト、高くなっているのだろうか。何とも寂しい話だ。

チェンマイ滞在記2023 その3(6)ファーン、そして山奥の村へ

ファーンは小さな街で、歩いて回れる範囲にある。川を渡ると、3つの比較的大きな寺院が見える。寺はいずれも立派で、広々としている。標高は500mほどあり、チェンマイと同じような気候だが、人は殆ど歩いていない。そして教えられたプラチャオファーンへ行く。ここはビルマ軍に攻められた際、ファーン王夫妻が身を投げた井戸がある場所だった。だがその井戸が見付からず、裏の寺なども捜索した結果、ようやく発見した。何しろタイ語が読めないので、さっぱり分からない。いずれにしても、ここファーンは昔は重要な場所だったことは分かる。

それから教会を見た。この付近の山岳民族もキリスト教徒が多いと聞いている。街中にはリンガを信奉する廟なども見られる。また古めかしい木造の建物、商人の店舗もある。数百年前、ビルマ国境の交通の要所として、この地域はかなり栄えたように見える。役所の前の道を行くと、また大勢の人が沿道に出ている。先ほどのお坊さんが来るのを待つ人々が増えているが、残念ながらお坊さんの姿はない。

宿に帰って少し休み、夕飯となる。またまた美味しい料理が出てきて食べ過ぎる。何とも有難い。そしてヨックが『Tale of Tea』という本を貸してくれる。この本の著者はオランダ人で、本当に世界中の茶産地、茶の歴史を訪ね歩いており、そのすべてがこの本に詰まっている。日本についてもかなり詳しく書かれている。英語ということもあるが、興味のある所を10ページほど読むと急に眠気が襲ってきて、ぐっすり寝込む。

2月8日(水)ドイプーメン

翌朝は気持ちよく目覚める。やはりチェンマイと比べても空気が良い。すぐに市場へ出掛けるが、あまり店は出ていない。メイン通りに出ると、やはり漢字の表示が見えてくる。ここにも華人が進出しており、昔の立派な建物が残っている。相変わらず、えらいお坊さんが歩いて来るのを待つ人々が朝から沿道に並んでいる。

朝ご飯は宿でラフ族のお粥を注文。これはタイのジョークとほぼ同じかな。美味しかった。それから店の人にお茶を淹れてもらって飲む。数種類あり、かなり飲みごたえがあった。それから車に乗り込み、山に向かう。すると沿道が大混雑。ついにお坊さんの姿を車の窓から見ることが出来た。まさかこの暑さの中、老僧は元気に、一人ずつ頭を撫でていく。昔善光寺の朝事でされた、あれと同じだった。これには本当に恐れ入った。僧の後ろから沢山の付き人、そして寄付された水などを回収する車が続く。

途中からかなりの山道となる。舗装されておらず、前後に揺さぶられながら登っていく。何とか村に辿り着くと、入口付近は紅ラフと呼ばれる人々の集落。そこを通り過ぎて更に行くと、今回の目的地、黒ラフ集落があった。黒ラフはほぼキリスト教徒だという。村は素朴で、電気も通じていないようだ。

高床の家に入ると、ちょうど囲炉裏で鶏肉や芋などを焼いていた。今日来るフランス人の食事らしい。ヨーロッパ人はこんな生活を好むようで、ホームステイやキャンプに来る人が多いらしい。一方日本人や中国人はこのような原始的な生活には全く興味がない。エコだなんだと言っても、何となく絵空事に見えてしまう。

外ではコーヒー豆が干されていた。その近くには摘まれた茶葉が持ち込まれ、これから機械で細かくされるようだ。更に集落を歩くと古い茶樹が見られ、この付近の茶の歴史はかなり古いと感じられる。その横では摘まれた茶葉が干されている。その向こうにはなんと教会が見える。この風景はあまり見たことがなく、ここの集落を象徴しているようだ。

チェンマイ滞在記2023 その3(5)パン屋でトラブル

2月6日(月)パン屋にて

今朝はパンが食べたくて、いつものパン屋へ行った。ちょうど朝食を食べている客も少なかったので、初めてサンドイッチを注文して、店で食べてみることにした。先に持ち帰るパンを選び、これから食べるサンドイッチのオーダーを紙に記して店員に渡したのだが、サンドイッチはなかなか出てこない。店員が『合計380バーツです』と言ったので、そのまま払ったが、どんな大きなサンドが出て来るのかと思い、期待して待つ。

あまりに時間が掛かったので、コーヒーだけでも先に欲しいというと、オーナーが出てきてサンドもようやく出来たという。ところがそれはさほど大きくもなく、思わず『これはいくらなのか?』と聞くと140バーツと言われて驚く。それならテイクアウトと合わせても270バーツ程度のはずだが、とオーナーに告げると、店員が『あなたはテイクアウトのパンをたくさん買ったから』というではないか。

仕方なくバッグに今仕舞ったパンを出して、オーナーが計算するとやはり110バーツも余計に取られていたことが判明する。だが定員は謝るどころか、逆切れ状態で驚いてしまった。さすがにオーナーは謝っていたが、以前からここの店員は自分の店の商品の値段を把握していないと感じることがあり、今日はさすがにちょっと怒りが沸き、サンドを食べると足早に帰ってきた。パンはお気に入りなのだが、人を泥棒呼ばわり?する店に今後行くべきか、悩むところである。

そんなこともあり、今日は外出する気分ではなくなり、NHKを見た。何と大河ドラマ第一作『花の生涯』(1963年)の第一話がカラーで再現されているではないか。思わず見入ってしまった。井伊直弼は茶人でもあり、先日彦根に行ったことが思い出される。確か舟橋聖一の記念碑もあったように思う。しかしこの一話のみ、というのは何とも残念だ。

夕方腹が減ったので、近所の日本食の店へ行く。ここは先日ロングステイの会の会場だったのだが、話を聞くのに忙しく、ゆっくり食べた記憶がない(行ったのは10年ぶりぐらいか)。今日は一人でゆっくりと味わおうと思ったが、注文したカツカレーの量が多過ぎ(味は悪くなかった)で、食べ切るのに難儀した。これでみそ汁と漬物が付いて180バーツは何とも安い。日本人のご主人がやっていたお店、亡くなった後は、タイ人の奥さんがやっているという。

2月7日(火)ファーンへ

今日は先週末会ったヨックがファーンに帰るというので、その車に同乗させてもらう。ヨックが宿まで迎えに来てくれたが、この車は彼女のものではないと言い、その持ち主であるウドムがいる、民宿兼旅行会社へ行った。そこからウドムの運転で、約3時間150㎞近い道のりをファームまで走って行く。もしバスなどに乗ればもっとかかるだろう。

途中いい感じの山を見た。それから道端に大勢の人が並んでいるのが見えた。なんでもバンコクからエライお坊さんが歩いてくるというので、皆がそれを待っているというのだが、この炎天下、歩いてくる方もそれを待つ方もかなり大変なことだ。何とか3時間でファーンの街中にある、ヨックが経営するホテルに入った。

部屋は2階、シンプルだが清潔感がある。そして彼女の父親や一族、村の歴史などが展示されている。1階には村の茶を販売するコーナーもある。1階の食堂で遅い昼ご飯を食べる。ミアンを使ったサラダなどが出て来る。新鮮な野菜や肉は味が良く、ご飯が進む。村へ行くのは明日とのことで、今日は一人でファーンの街を歩いてみる。

チェンマイ滞在記2023 その3(4)チェンマイの落語会

ラミンティーから

宿で休んでいるとL博士から連絡が入る。彼女は今日、ラミンのお茶教室に参加しており、それが終了した後、紹介したい人がいるというので、私は早めにプラーオから戻ってきたのだ。だが、そのお茶教室はかなり盛り上がっているようで、予定時間を過ぎても終わらない。その後ラミンまで来るように言われたので行ってみると、2階に上がって来いという。

期せずして、ラミンの教室を見学する機会を得た。参加者は思い思いに、自分が飲みたいお茶をブレンドして作っている。そのバランスを学ぶのが狙いのようだ。その間にちょいちょいお菓子が出て来るから、なかなか終わらない。皆懸命に自分茶を作っている。花茶やフレーバーティが出来上がる。

その参加者の中に、ヨックがいた。L博士と3人で場所をおしゃれなカフェに移動して話を聞く。ヨックはラフ族で、ここから車で3時間ぐらい離れたファーンでホテルをやっているらしい。同時に生まれ故郷の村で茶作りにも励む。この村は彼女の父親がリーダーとなり、ケシから茶への転作をいち早く行った村らしい。しかも父親は国民党の軍人、そして前国王の命令に従って、それは行われたというから、大いに興味を持つ。

L博士がパスタを頼んでくれ、大いに話を聞いた。そしてどうしてもその村へ行ってみたくなる。すると来週村に戻るから、一緒に行かないかと誘われる。これはもう、行くしかないだろう。パスタがやけに美味しく感じられた。ヨックは中国語もできるらしいが、英語で話す。帰りに一人でワーロット市場付近を散策。観光客向け屋台が沢山出ていて眩しい。

2月5日(日)落語会に行く

さすがにサムリ村の往復で少し疲れてしまい、本日午前は安息日とする。昼も軽めの食事をと思い、先日気になった麺屋に行ってみる。華人経営だが、華語は使われていない。思いっ切り内臓系を入れてもらい、麺を食べると何だか元気が出てきたように思う。こんな店がチェンマイにはいくつもあるようだ。

午後Nさんが迎えに来てくれた。今日はチェンマイ日本人会主催の落語会に行く予定となっている。これもNさんが声を掛けてくれたお陰だが、それにしてもチェンマイで落語とは。更に落語家はフランス人だというから、どんなことになるのか興味津々だ。まずは会場のホテルまで行くが、駐車場が一杯で、外に停めに行く。

会場のホテルは老舗という感じ。会場には100人近い日本人と日本語を学ぶタイ人学生が来ていた。日本人の子供たちも沢山いたので少し驚く。ここは補習校しかないと聞いていたが、家族連れで滞在している人(ロングステーヤーだけでなく)が意外といることを知る。

そういえば、先日チェンマイのロングステイ事情を聴くために、ロングステイの会の皆さんの会合に参加させてもらった。最盛期に比べると半数以下になっているようだが、コロナ禍を通じても、まだ一定の会員数がいると聞き、チェンマイのステイが非常に有益だと学んだ。その中の何人かの方のお顔も本日見られた。

落語自体は日本在住20数年のフランス人が、普通に落語をしていた。彼は海外で英語やフランス語で落語する機会もあるようだが、海外で日本語落語をするのはチェンマイだけと言っていた。『じゅげむ』など、動作を大げさにする、子供にもわかりやすい演目が選ばれていた。一人で1時間半もやるのは結構大変だろうと思うが、無事に終了した。

Nさんが台湾料理を食べましょう、というので連れて行ってもらう。後で思い出したのだが、ここは3年前にOさんときたレストランだった。確かに台湾料理と書いてあるが、店員も料理もあまり台湾と関係がありそうにも思えない。まあ誰かが台湾に出稼ぎに行って料理をしていたのかもしれない。

ただここの料理は意外とうまく、値段も手ごろなので、日本人や欧米人で席は埋まっている。コロナ禍ではお客が減って大変だったようだが、それでも長期滞在者に愛されているから、持ち堪えたのだろう。揚げたピータンなど、他には見られないものもあるし、餃子や春巻きなどが普通に美味しい。

チェンマイ滞在記2023 その3(3)リス族の村で

踊りの輪が一段落したところで、村長さんに挨拶して、会場を離れた。そこから国民党の村と聞いている、クンチェーへ向かった。だが予想に反して、村の中に漢字の表記は見当たらない。付近の住民も中国的な顔をしていない。後から聞くと、華人はある場所に固まって住んでおり、会う機会がなかったらしい。また夕暮れには早い中、ビューポイントから日の傾きを眺める。

Kさんの家に向かう。かなり急な坂の途中にあり、車を停めるのが大変。広いお家で、今日は廊下?に雑魚寝だ。夜は庭でBBQ。炭火を興し、いい肉を焼く。その分厚さ、ちょっと食べたことのない歯ごたえに感激。チェンライの方の差し入れの雲南ソーセージ、Kさん特製の白菜漬けも実に美味しく、皆あっと言う間に平らげた。

それから楽しく話をしていると、リス族の若者(この家の息子を含む)が数人やってきた。何と我々とともにここに雑魚寝するらしい。実は今回の祭り、リス族の若者にとっては、彼女をゲットする重要な儀式であり、好きな子の手を握って踊れれば成功らしい。早々に彼らはバイクで夜道を会場に引きかえしていき、その後帰ってくることはなかった。成功したのだろうか?

Uさんはリス族音楽にも精通しており、三味線のような楽器を弾いている、するとリス族女性が立ちより、突然音に合わせて踊り出す。山岳民族を研究するというのはこういうことかと感心しきり。標高1000mを超えており、かなり寒いと言われてきたが、それほど寒くない夜を過ごし、ベッドでぐっすりと寝込む。

2月4日(土)リス族の村2

朝は早くから、鳥の鳴き声で目覚める。6時台には散歩に出る。この集落を一周してみたが、茶樹は見当たらない。ただ斜面が如何にも茶畑向きの場所に、今はマンゴーを植えている。坂をかなり上ると車道路に出た。そこからもう一つの道を探して、集落へ戻る。その道も急坂、とても登れないほど。村人たちもこれからまた祭りに行くぞ、家々でと準備している。

朝飯もKさんが作ってくれたジョーク。Kさんは何でも作れる料理上手。食べたらこの家ともお別れして、お祭り会場に顔を出す。会場にはあまり人の姿はないが、それでも小さな輪を作って踊りが続いている。会場脇に行くと、今日の昼ごはんの準備が着々と進められている。Aさんは、豚肉が茹でられている様子をじっと見て、動こうとしない。理由を尋ねると『これまではYouTubeの世界だったものが、目の前で行われており、この現実に感動している』らしい。我々には分からない新感覚だが、本当に動こうとしないので、何かを強く感じていることだけは分かる。出来れば今日もランチにありつきたかったが、残念ながら時間となり、サムリ村を離れる。

Kさんの車でプラーオの街へ。私は皆さんとお別れして、一足先にチェンマイに戻らなければならない。後の皆さんは近所にある温泉へ繰り出すらしい。その前に市場をフラフラしていると、Aさんがリス族の民族衣装に興味を持つ。確かにあの踊りを見てしまうと、衣装にも目が行く。服屋に入ると、何とそこには日本人がいた。ラフ族と結婚した方らしい。日本人と山岳民族のカップルが意外といることを知る。皆で話が盛り上がる中、私はKさんに連れられて、バスターミナルへ。

ロットゥはすぐに来ないので、雑貨屋でコーラを買い、飲み干す。何とものどかな風景だ。この2日間で得たものはかなり大きいと感じる。チェンマイまで来た道と同じ道を2時間かけて帰った。帰りは一人で少し寂しいが、これが私の旅。チェンマイのバスターミナルに着くと、暑さが身に堪え、Grabでバイクを呼んで宿へ帰った。

チェンマイ滞在記2023 その3(2)プラーオ リス族の祭りへ

そこから堀沿いを歩いて行くと角に日本スーパーがあったので入ってみる。確かに日本の食品などが売られているが、特に欲しい物もなく何も買わずに出て来る。隣のパン屋でバゲットを購入して少し食べる。

夕方腹が減ったので三度目の外出。何だか急にクラブサンドイッチが食べたくなり、先日通り掛かった時に見た看板を頼りに、店を探す。何とか見つかったが、そこへ入り『クラブサンドイッチはあるか』と聞くと『ない』とつれない回答。そして看板からもその文字は消えていたが、メニューを探すとちゃんとあるではないか。それを示すと不機嫌そうにそこに座れという。サンドイッチは安くて旨かったが、その横柄な対応には驚く。華人にも色々な人がいる。帰りに看板の裏を見たら、ちゃんと表示まであって呆れた。

2月3日(金)リス族の村へ

本日はプラーオへ向かう。先日買ったロットゥ乗り場で、一緒に行くKさんと会う。それからSさん、Aさんと二人の若い女性も加わり、車はバスターミナルを離れた。何だか遠足気分だが、どういう人たちなのか何も知らない同行者たち。面白い。車は順調に進み、途中で山道を登るが、道は極めて良い。中間付近に観光スポットの滝があり、そこで降りた外国人がいた。

100㎞ちょっとを約2時間かけて、プラーオの街に到着する。小さなバスターミナルにはプラーオ在住のK氏が待っていてくれた。彼はリス族の奥さんと結婚して、数年ここに居住しているらしい。実は先週もここに来ていた人がいたようで、既に打ち解けている。早々に今晩の買い出しだと言って市場へ出向く。市場の規模は大きくはないが、魚介類、落花生から昆虫まで、色々と売っている。肉や野菜を買い込む。

それから車で30分ほど山道を登り、サムリ村へ行く。ここで本日リス族の年に一度のお祭りが開かれているというのだ。会場までのきつい登りを歩くと、そこには数十のテーブルが出て、民族衣装を着こんだリスの人々が皆で昼食を食べている。その光景は壮大で、ちょっと驚く。早々我々のテーブルも作られ、豚肉とタケノコのスープ、白菜の野菜炒めなど、シンプルなご馳走が並ぶ。米は何と陸稲だというが、予想以上の美味しさでビックリ。今日はお祭りだからいい物を食べているのだろうか。

気になったのが、村長の座るファーストテーブル。村長の横には白人が座っている。聞けば教会の神父だと。この村のリス族は基本的にキリスト教に改宗済みだといい、今日の伝統的な祭りにも、従来の精霊信仰的な儀式は一切行われないらしい。ここ100年ほどの宣教師の活動と山岳民族の改宗、極めて興味深いテーマだと分かる。

そんなことを教えてくれるのは、リス族研究者で最近近所の村に住み始めたUさん。何と日本でリス族を専門に研究しているのは彼と師匠しかいないらしい。幸運にも専門的解説を聞きながら、メインイベントの踊りを眺める。この踊り、皆が輪になって踊るのだが、その輪はどんどん広がり、いつしか日本人もそこに加わる。まるで映画の一シーンのように鮮やかで驚く。中心で楽器を奏でる男性の動きがコミカル。

私は踊りに加わらず、リス族の奥さんにお茶の話を聞く。何と彼女は英語の他、中国語も話せるのだ。この周辺に国民党の村があり、幼い頃からその村の友達と遊ぶのに中国語を覚えたというからすごい。彼女だけでなく、この村の人はかなり中国語が出来ることも分かるが、肝心の茶はないらしい。

チェンライから来た日本人の方も参加していた。彼は世界中の森林や農業に携わってきたと言い、今はチェンライ郊外に居を構え、支援に当たっているらしい。この地域であれば当然茶についても調査しており、貴重な見解を聞くことが出来た。単にリス族の祭りに来ただけなのに、次から次へと専門的な情報が入ってくるのは驚き以外の何物でもない。