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NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年6月号第3回『現代香港大学生事情』

第3回『現代香港大学生事情』

初めて赴任した1991年頃、香港には確か2つの大学しかありませんでした。香港大学と香港中文大学。勤務先で何人か卒業生を採用し、一緒に働いたことがありましたが、そのプライドと自信は相当のものがありました。当時はこの2校に入れない人が海外留学する、とまで言われたエリート校でした。最近はどうなのでしょうか。

私は、昨年創立100周年を迎えた名門香港大学に所属し、日本人の中野嘉子先生が担当する「日本研究ビジネスプロジェクト」に参加してきました。このゼミは「日本語を実践的に使用」して、「日本企業とタイアップしたプロジェクト」を推進しており、香港でも新しい試みとして注目されています。ゼミ生の中にはグローバルな人材として、日本企業の本社採用になる学生も出てきており、中国大陸だけでなく広く世界で活躍できる人材が育成されています。

今年度は「日本の復興のためになることをしよう」とのテーマで、日本政府観光局(JNTO)香港事務所と協力して、香港人が日本を訪れたときに撮影した写真を募集、ソーシャルメディアに掲載して投票を呼び掛ける写真コンテストを企画しました。先生の厳しくも温かい指導の下、日本語で説明資料を作成し、領事館をはじめとする官庁や日本企業を訪問して、自ら日本語で協賛をお願いするなど、実に実践的な活動を展開していました。そして震災一周年のイベント「活力日本展」(「元気な日本」展示会)の香港開催に合わせてコンテストの表彰式を行い、見事プロジェクトをやり遂げました。5名のメンバーの多くが日本留学中に震災を経験しており、その思いが非常に強く出ていました。

メンバーの4年生カスティア・チャンさんとエミー・ウォンさんは「うまく行動できなくて怒られたり、迷惑をかけたりしたこともあったが、日本の官庁や企業と直接接触する機会を得て、日本への理解がさらに深まった。自分たちも大いに成長したと思う」と話してくれました。日本の大学でもこんな授業があったら、面白いと思いました。

日本語を勉強する動機として、中国大陸の学生の多くが日本のアニメなどサブカルチャーを挙げるのに対して、彼女らは「就職時に有利だから」と答えています。筆者から見れば母語の広東語、学校の公用語である英語に加えて「普通話」も問題なく使える香港の大学生があえて第4言語として日本語を選択し、相当のレベルに達しているだけで驚きますが、より良い職場を求めて就活する厳しさを感じました。「香港に来ている大陸の留学生は非常に優秀でハングリー精神がある」とのことで、香港の学生が大陸の学生に刺激を受けている面もあるかもしれません。香港大学の学生からはエリート意識が徐々に薄れているようです。

学費は親が出しているとのことですが、得意の日本語を駆使してアルバイトをしたり日本企業でインターンをしたりと、学生生活は授業以外でも忙しいようです。それでも就職後は給与の一部を親に仕送りするというエミーさん。「教育は投資」という伝統的な考え方が未だに息づいており、日本も見習うべきではないでしょうか。香港では日本の商品が溢れ、経済から芸能情報まで、リアルタイムに日本が感じられますが、「日本に留学したとき、日本人はとても優しかったのに、香港の現状は殆ど知られていないのがちょっぴり残念だった」との声も聞かれました。読者の皆さんも是非香港を訪れ、香港の人々と触れ合って、香港への理解を深めて欲しいと思います。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年5月号第2回『香港の公用語は』

第2回『香港の公用語は』

1997年に返還された香港を今や日本人は「中国の一部」とのみ認識するようになっていますが、国は一つでも制度は別々という「一国二制度」が採用されている事実を忘れていませんか。でも二制度とは具体的にどんなことでしょうか。言語の面から見てみましょう。

この制度を規定する法律は香港特別行政区基本法ですが、その第9条に「香港特別行政区の行政機関、立法機関、司法機関は、中国語のほか、英語も使用することができる。英語も公式言語である」とあります。わざわざ英語に言及しているのは、返還以前の公用語である英語を残し、変化を最小限に抑えるという意味でしょうが、「中国語」は漢字で「中文」とのみ書かれています。この「中文」の意味合いは、香港においてはすこし複雑です。

実は香港政府が推奨し、現場で実際に行われる言語教育は「両文三語」と呼ばれています。「両文」とは書き言葉としての中国語と英語、「三語」は話し言葉としての広東語、「普通話」、英語となります。ここでは、中国語(中文)は書き言葉、「普通話」は話し言葉として区別しています。なお話し言葉の第一言語は広東語です。現在では幼稚園でも第二言語として、英語と「普通話」を教える時間が設けられているようです。

もちろん一般の香港人は街中で普通に広東語を話しています。ただ中には大陸から渡って来て以来、出身地域の言葉しか話さないお年寄りなどもいます。香港で最も有名な道教寺院の一つである黄大仙廟にある占いの店に行くと、使用言語として広東語や「普通話」を意味する表示に交じって、潮州語、客家語、そして広東省の一地域である台山語や海豊語なども書いてあってめんくらいますが、自らに関わる重大なことは母語で聞きたい、という気持ちは十分に分かります。もちろん日本語もありますよ。

企業でも、返還前は英語ができるスタッフが優遇される傾向がありましたが、最近では「普通話」ができなければ大陸への出張や対応などで不便をきたすため、こっそり語学学校に通う幹部社員などもいるようです。返還前には英語で会話していたスタッフに、「今日から『普通話』で話してくれ」と言われて、驚いた記憶があります。

当初は広東語の発音で「普通話」の語彙を使うような「香港風の普通話」が多く聞かれましたが、最近は教育のせいか、非常に標準的な「普通話」を話す香港人が増えているという印象があります。一方懸念されるのは、英語力の低下。やはり香港人の主言語は広東語であって、その他の言語は、その時の状況、とりわけ仕事内容や経済に左右されるようです。英国植民地時代を生き抜いた、香港人のしたたかさを見る思いです。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年4月号第1回『健康は香港に在り』

第1回『健康は香港に在り』

今年は香港が返還されてからちょうど15年。その間、香港は経済・社会・文化・教育など各方面で大きく変わっています。筆者は返還前5年間、返還後4年間を駐在員として香港で過ごし、今年久しぶりに香港に戻ってきました。今回より、現地・香港から「変わった香港 変わらない香港」の現状をリポートしていきたいと思います。

「食は香港に在り」、というわけで香港といえばまず思い浮かぶのは「食」。しかし残念なことに返還前に通っていた安くておいしいレストランの多くは、この15年で消えてしまいました。1997年のあの返還前の移民騒動、その直後のアジア通貨危機、そして2003年のSARS騒ぎ。香港が経験したこれらの試練の過程で、庶民派優良レストランは経済的に立ち行かなくなり、淘汰されていきました。チェーン展開されるファストフード系のお店が街中に溢れ、便利で安心感はあるのですが、昔ながらの味が懐かしく思い出されます。

ではこの15年で香港の伝統的な食事は消えてしまったのかといえば、そんなことはありません。筆者が最も香港的だと考える料理はずばりスープ。広東料理のフルコースには必ずスープが2品入るほど、この地域ではスープを重視しています。ただし今回はフカヒレのような高級食材を使ったものではなく、「例湯」(レイトン)、英語でデイリースープと呼ばれるスープのお話です。このスープはメニューになくても、今でも大抵のレストランにあるでしょう。

その日の気候と食材によって、シェフがダイコン、ニンジン、レンコンなどの野菜を大きめに切り、豚肉などと合わせて鍋に放り込み、数時間もぐつぐつ煮込む例湯は、「老火(例)湯」などとメニューに書かれている、実に滋味の溢れるおいしいスープです。漢方の生薬なども入れられており、いかにも体に良さそうです。

お年寄りを中心にした家庭では、今でも昔ながらのこのスープを毎日飲んでいるといいます。実際香港の友人と話すと「昨日はのどが痛く、風邪をひきそうだったので、母さんに頼んで風邪に効く例湯を作ってもらった」などという話をよく耳にします。例湯は香港の人々の健康に大いに寄与しています。

実は香港は意外にも世界有数の長寿地域。厚生労働省の統計によれば、2009年日本の平均寿命は男性79.6歳、 女性86.4歳。対する香港は男性79.8歳、女性86.1歳。男性の平均寿命は日本などを抜き、今や世界一なのです。更に香港では、日本のように高齢の患者に胃瘻などの措置を取ることは少ないと言われ、お年寄りが統計以上に健康だとも考えられます。

香港のお年寄りに長寿の秘訣を聞くと答えは「みんなで楽しく、よく食べ、よく話す」。彼らの行動を見ていますと、とにかくよく食べます。現在は経済的に大いに発展した香港ですが、中国大陸から移住してきた当時の過酷な環境に対応する一つの手段だったのでしょうか。香港人が食を大切にする理由が分かる気がします。お年寄りの横で一緒に食事をすると、何だかこちらも元気になった気分になります。

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