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NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年12月号第9回『韓国』

第9回『韓国』

日本からすぐに行けるお隣の国、韓国。ここ数年は韓流ブームなどもあり、一層身近に感じられる国になっています。実は韓流ブームは日本だけではなく、アジア各国でドラマやK-POPなどが流行しており、韓国を訪れる観光客の増加に寄与しています。中でも中国人観光客の伸びは著しく、2013年上半期は日本人を抜いてしまったそうです。そんな韓国の、中華圏とのつながりを探してみました。

仁川空港から空港鉄道に乗ると、その行先表示と車内アナウンスはすべて韓国語、英語、中国語、日本語の4か国語が使用されており、観光客が迷わないよう配慮されていました。ソウルの観光スポット、明洞。10年前は日本語の看板が目立っていましたが、今は中国語が目立つようになりました。明洞の入り口には「欢迎来到明洞! 」という横断幕が掲げられ、奥の方には「ようこそ」という日本語が。これが今の観光業の現状でしょう。化粧品を売る若い女性店員は、客が中国人か日本人かを的確に見分けて、その言語で声をかけてきます。中国語が流り暢な女性店員に聞いてみると、何と中国東北地方出身の朝鮮族でした。ある観光関係者によると、「ここ数年の中国人観光客対応で朝鮮族の人々が大勢働いている。何しろ韓国語、中国語、そして日本語までできるんだから重宝している」とのこと。

大手デパートの免税店へ行くと、そこには多くの中国人観光客が押し寄せており、歩くのに苦労する売り場さえありました。面白いのが、高級時計のコーナーの店員は筆者(とても日本人には見えないと評判)に対して中国語を使って話しかけてきますが、韓国のりやキムチのコーナーでは日本語になるのです。時計の係は中国から派遣されたベテラン中国人店員でしたが、彼女によれば「高級腕時計を買うのはほぼ中国人」ということで、「高級時計とのり」、その消費格差にも驚かされました。

仁川にチャイナタウンがあると聞き訪ねてみると、そこは横浜中華街の小型版という感じでした。レストランに入ると店員同士が中国語で話していたり、おばあさんが孫に中国語で話しかけていたりと、まさに中華の世界がありました。聞けば、店のオーナーは台湾系の4代目、原籍は山東省だと言います。山東から台湾へ渡り、そこから更に仁川へ。戦前・戦後の複雑な国際情勢を垣かい間ま 見る思いでした。ちなみに店員さんは韓国人と結婚して仁川にやって来た中国人女性たちだそうです。また、ソウルで華人が多く住む延禧洞。高級住宅が並ぶその一角は韓国で成功した華人たちが居を構える場所であり、本格的な中国料理が食べられると評判でした。

仁川にもソウルにも華人学校があり、韓国に住む華人は中国語が基本的にできるとのことでした。韓国旅行に行く皆さん、ぜひ中国語を使ってみてください、と言いたいところですが、既に書きましたとおり、日本語が堪能な人が多いため、せっかくこのテキストで勉強した中国語を試してみる場所としては、残念ながら不向きかもしれませんね。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年11月号第8回『トルコ』

第8回『トルコ』

アジアとヨーロッパをつなぐ街、イスタンブールを擁する国、トルコ。そのエキゾチックな街並み、そして世界遺産カッパドキアの奇岩など、豊富な観光資源を持つこの国は、ヨーロッパ人にも、そして日本人にも極めて人気の高い観光エリアです。ギリシャ的、中東的、そして中央アジア的な顔立ちが混ざり合うまさに文明の十字路と言えますね。近年は経済成長も著しく、若手実業家が颯さっ爽そうとビジネス街を歩く姿はこの国の勢いを象徴しています。

イスタンブールのグランドバザールは、アジア最大の市場と言われ、その規模は壮大、必ず迷子になると言われるほど、店が入り組んでいます。店には絨毯、服やバッグから、チャイと呼ばれる紅茶を飲むかわいいグラスなど、実にさまざまな物が売られています。ここは中国人、台湾人観光客も多く訪れるため、中国語を使って声を掛けてくるモノ売りがいます。そして足を止めるとすぐにどこからともなく、チャイが運ばれてきて、まずは商談の前にお茶を一杯となるのがトルコ風で面白いですよ。

イスタンブールの観光の中心、スルタンアフメット地区を歩いていると、漢字の貼り紙があり、店に入ってみるとそこには広州と香港で中国語を勉強したトルコの若者がいました。彼によれば「残念ながらトルコ人は一般的に中国人を警戒している」とのことで、同胞であるウイグル人を気に掛けている様子が見えました。そんなシリアスな会話をするかと思うと二言目には「絨毯は買ったか?」と聞いてくる、これがトルコの商売でしょうか。

トルコには中国料理店がほとんど見られません。イスラム教国であり豚肉が手に入りにくいことが理由だと言われましたが、そもそもイスタンブールのような国際都市にチャイナタウンが無い、華人がほとんどいない、それは単に距離が遠いというものではなく、現在の中国とトルコの関係を物語っています。

一方中国人観光客はどんどん増えているようで、イスタンブールでも地方都市でも中国人を何度も見かけました。カッパドキアの奇岩を眺めている中国人観光客に声を掛けると「我が国にも西洋と東洋が混在した場所はあるにはあるが、これほどのスケールではない」と言い、また「実は昨年は国内旅行で新疆ウイグルへ行って虜とりこになってしまった」と、興奮気味に話していました。中国人にとっての異国情緒とはこんな場所なのかもしれませんね。

土産物は何を買うのかと聞いてみると一言「金製品」。トルコではトルコ石が宝石類としては有名ですが、中国人によれば「トルコ石はトルコでは採れない。もしかすると中国からの輸出品かもしれない」と警戒しているのです。中国産トルコ石、何だか見てみたくなりますね。どこで買っても価値がはっきりしている黄金を好む中国人、やはり実利的な人々と呼べるのではないでしょうか。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年10月号第7回『スリランカ』

第7回『スリランカ』

インドの南に浮かぶ島国、スリランカ。北海道より小さなこの島は2009年まで26年もの間、内戦が続いておりましたが、今は平和が戻ってきています。仏教遺跡、植民地時代の文化遺産、自然遺産など世界遺産を8つも抱えており、観光地としての魅力が満載で、主に欧米人に人気ですが、最近は日本人観光客も増えてきています。

スリランカ最大の都市コロンボを歩いていると、大きな中国料理のレストランを何軒も見かけ、中国人がたくさん来ていることが分かります。筆者がバンコクから乗ったフライトは実は北京から来ており、機内には中国人キャビンアテンダントも乗っていました。ただ中国から来る人は観光客ばかりではなく、最近急速に増えた中国政府の経済援助に伴って現地の工事現場に派遣される労働者などもおり、その中国語にも各地のなまりが感じられました。

コロンボで泊まった安宿には河南省からやって来た中国人商人が泊まっていました。彼らは英語がほとんどできないのに、果敢にも経済発展が見込まれる未開の市場へやってきました。スリランカはイギリス植民地時代の影響もあり、英語が話せる人はたくさんいますが、中国語は基本的に通じません。ホテルのロビーで偶然座っていた筆者、中国語が出来ると分かると、拝むように通訳の依頼をされ、ホテルとの交渉などに駆り出されてしまいました。まさかこんな所で中国語を使うとは。中国人商人のたくましさには脱帽でした。

市内の住宅街に「中国雑貨」と書かれた貼り紙が中国語で出ていたので寄ってみると、山東省からやって来た中国人女性が経営しており、中国食材などを売っていました。「コロンボに住む中国人はまだまだ多くはない。商売にはならないわ」と言いながら、遠い目で懐かしそうに中国語を使っていました。彼女は、故郷では日系企業に勤めていたといいます。

その彼女の紹介で訪れた近くの中国料理屋さん。コロンボに来て8年になる福建省出身の張さんが迎えてくれました。このお店には日本人駐在員もよく来るようですが、張さんは「日本人はギョーザとエビチリ、そしてチャーハンしか頼んでくれない。うちの店にはもっとうまいものがたくさんあるのに」と残念がり、数時間煮込んだ福建特製のスープなど、実においしい料理を出してくれ、筆者は大いに満足しました。

その張さん、中国語の会話の中になぜか時折、日本語の単語が混ざっていました。理由を聞くと、何と「1980年代の終わりごろは、東京浅草の天ぷら屋でバイトしていたんだ」と言うではありませんか。日本からはるかに離れたこのスリランカの地に、昔日本で働いていた中国人がレストランを経営している、これこそ中国人のダイナミズム、ではないでしょうか。

皆さんも一度スリランカへ世界遺産巡りの旅に出て、おいしいスリランカ料理を食べ、そしてそれに飽きたら当地の中国料理屋さんへ行ってみませんか。きっと日本では味わえないような深い趣のある中国料理に出会えることでしょう。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年9月号第6回『インド』

第6回『インド』

アジアで中国と並ぶ大国と言われ、人口が10億人を超える国インド。以前はバックパッカーが旅する国という印象がありましたが、近年はタージマハールなどを訪れる一般観光客がどんどん増えています。首都ニューデリーの中心街、コンノートプレースを歩いていると、お客を探すインド人ガイドなどがあの手この手で近づいてきます。筆者は日本人より中国人に見えるらしく、中国語で話しかけられることが多く、中国人観光客も着実に増えていることを実感します。

ニューデリーにはクラシックなタクシーが走っていて、思わず手を上げて乗り込みたくなる衝動に駆られます。実際に乗ってみるとインド人運転手がいきなり“你好!”と中国語で話しかけてきて、驚きました。聞けば「中国人もこういうタクシーに乗りたい人は多いが、英語が通じないので、こちらが中国語を勉強した」とのこと。彼が話せる中国語は「どこに行くのか」と、金額、そして“小心”(気をつけて)だけでしたが、十分に用が足りているようで、面白かったですね。ひげ面で大柄なオジサンが中国語を使うとどこかユーモラス。

中国人の観光客は増えていますが、実は「インドにはチャイナタウンがない」と言われています。デリーにもムンバイにも華人は多少住んでいますが、ひとかたまりとなって街を形成してはいません。唯一あると言われたコルカタ(旧カルカッタ)でも、街に漢字の看板はなかなか見つからず、ようやく見付けた郊外のタングラという街でも既に多くの華人が退去しており、ほとんど廃虚に見えました。

コルカタで生まれたある華人は「インドで商売するのは本当に難しいんだ。インド人と中国人はそもそも物の考え方がまるで違うし、歴史的に見ても隣国同士はいろいろあるから」と流ちょうな中国語で説明してくれました。近年、祖国の中国がこれだけ発展すれば、「インドで頑張らなくても」という気になるのもうなずけます。ただ、インドを逃げ出した華人が行く先は中国ではなく、同じ英連邦のオーストラリアやカナダ。そこで、インドで鍛えた商売手法で中国大陸からやって来る中国人移民相手に商売をする、と聞くと、「たくましいな」と思わず声を上げてしまいました。ちなみに「今の大陸中国人と我々華人はまったく考え方が違う。それはまるでインド人との違いのように大きい」とのことでした。

ところでインドの大都市には中国料理と書かれたレストランが多数存在しますが、その多くがインド人経営で華人の姿はあまり見られません。出てくる料理も野菜炒めがあんかけ風になっているなど、我々のイメージとちょっと違っていました。理由を聞くと「インド人はカレーのようにご飯に料理をかけて食べるのでドロッとした物が受け入れられやすい」のだとか。デリー在住日本人がよく行く日本料理店の人気メニューが「中華丼」であったことも笑ってしまいました。皆さんもインドでインド風中国料理にぜひトライされてはいかがでしょうか。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年8月号第5回『インドネシア』

第5回『インドネシア』

人口約2. 4億人を抱え、経済成長著しい東南アジアの大国、インドネシア。9割以上がイスラム教徒というこの国でも華人はたくましく生きていました。今回はインドネシアのバンドンに多くの親戚を持つ香港出身の友人に同行して、その言語事情を探ってみました。

ジャカルタからバスで約3時間、標高700mの高原都市バンドンは1955年にアジア・アフリカ会議が開催され、スカルノ、周恩来、ネルー、ホーチミンなど第三世界の指導者が一堂に会したことで歴史の教科書にも名をとどめています。

ジャカルタの高温多湿を嫌い、週末になると多くの人々がやってくる避暑地でもあり、華人も多く居住し、繊維産業など地元では経済的に大きな役割を果たしていると聞いていました。ですが、バンドンの街中を歩いていても、どこに華人が住んでいるのかまったくわかりません。漢字の看板、表示がほとんど無いのです。かろうじて見つけた中国料理店の60代のオーナーは、「親が福建省から来た華人だ」と流ちょうな中国語で話してくれました。そして「60代以上の華人は中国語がかなりできるよ、ただ30~50代はほとんどできないね。だって華人学校は閉鎖されていたから」と付け加えました。そう、スハルト政権時代の1960年代後半から2000年頃まで、政治的な理由から中国語は禁止されていたのです。漢字の看板がないのもその影響だと言われています。ちなみに現在華人学校へ行っている若者は授業で中国語を習っています。

香港出身の友人の親戚が集まった夕食会。友人は、60代の叔父さん、叔母さん達とは中国語で話し、30~40代のいとこたちとは英語で話していました。またこの一族は客家 系でしたが、家族内で客家語が使われることはなく、現地インドネシアの言葉で会話しているため、あちこちで違う言語が飛び交う実に多言語な食事会で驚きました。

首都ジャカルタのチャイナタウン、グロドッ地区。ここも漢字の看板は多くありませんが、いかにも中国人居住区、という感じの狭い路地に家がひしめき合っていました。ジャカルタ湾に近く、オランダ時代の古い建物が残るコタ地区に隣接、100年以上前にここへやってきた中国人が貿易や港湾労働に従事した様子が目に浮かびます。

最近は経済発展を見込んで中国大陸から商売にやってくる人々が増えてきました。そんな人々が泊まる宿のオーナーに話を聞くと「この国で華人が生きていくことは本当に大変だった。暴動や略奪に見舞われることもあった。それでも
ここしか生きていく場所がなかった。今の中国人にはわからないだろうね」と、苦難の歴史を切々と話してくれました。表通りには、中国人相手のレストランが大きな簡体字の看板を掲げて営業していますが、今後この国で大きな混乱がないことを祈るのみです。なお、他のアジアの国も同様ですが、くれぐれも周囲の安全を確保した上で、旅行をお楽しみいただければと思います。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年7月号第4回『マニラ』

第4回『マニラ』

フィリピンのマニラへ行くと言うと友人が「あそこは中国語、ほとんど通じないよ」と教えてくれました。あれ、フィリピンも他の東南アジア同様華人がおり、経済的にはかなりの貢献をしているはずなのに。現地の華人事情を探ってみました。

フィリピンへの中国人の渡来は15 世紀頃に始まり、その後のスペイン、アメリカの支配下でも流入が続きました。華人は貿易などに大きな役割を果たし、現在では大手財閥の半数以上は華人系の経営だと言われています。また歴代大統領の多くも華人で、その影響力は相当なものがあり、ある意味フィリピンを支えている存在とも言えます。

ただ、地理的な理由からでしょうか、ほとんどが福建系で占められており、商売でも家庭でも福建語を話しているよで、中国系の顔立ちの人が多い割には私が耳慣れている中国語はあまり使われていません。またフィリピンでは英語、タガログ語などが話されており、かなり同化している華人の若者は中国語まで手が回らないようです。しかし、マニラに住む華人は「中国語ができる人はそこそこいるよ」と言うのです。

マニラ湾にほど近い場所にある海鮮市場。エビやカニ、魚などを自分で買い、横のレストランに持って行って好みの味で調理してもらう、香港などでおなじみのスタイルの店がありました。ここには大陸や台湾などからの観光客が大勢来ており、かなりにぎやかで中国語も飛び交っていました。中国語を使う観光客が増えれば、中国語を使う地元の人も増えてくるというのは経済的な必然でしょうか。

マニラのチャイナタウン、ビノンドに行くと、漢字の看板が目につきます。そして中国人が好きな宝石類などがたくさん売られています。何軒か華人が集中しているマニラのチャイナタウン回りましたが、売り子さんで中国語ができる人はほとんどいませんでした。しかし、オーナーの何人かには、ちゃんと中国語が通じました。

ある店の40 代の男性のオーナーは、「20 年ぐらい前に中国に留学したよ」、またある店の50 歳前後の女性のオーナーは「私は台湾へ1 年行ったわ」と言っていました。中国の改革開放政策が軌道に乗るまでは台湾へ、その後は大陸へ留学に行った人も多かったようです。もちろんフィリピンで華人学
校へ行き、学んだ人もいました。ビノンドの教会の中には中国語での礼拝の時間を定めている所もあります。カトリックの多いマニラで中国語礼拝を聞く、なども得難い体験かもしれませんね。

スペイン人がフィリピン統治の根拠地として作った城塞都市、イントラムロス。現在でも世界遺産に登録されている教会などがありますが、そのそばにある「菲華歴史博物館」では、華人のたどってきた道が説明されていますので、観光の
ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょう。マニラの場合、中国語が使える機会は限られますが、話し相手の歴史を知っていることは相手を尊重することになり、相手からも好感をもたれ、会話が大いに盛り上がります。なお、他のアジア
も同様ですが、くれぐれも周囲の安全を確保した上で、旅行をお楽しみいただければと思います。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年6月号第3回『シンガポール』

第3回『シンガポール』

便利でクリーンなイメージのある南国、シンガポール。東京23 区ほどの面積に500 万人強が暮らしており、人口の約75%は中国系で公用語にも英語と共に中国語が採用されています。最近はカジノも作られるなど、観光業にも一層力を入れており、日本人観光客も多く訪れる国ですね。

まずはチャンギ国際空港のインフォメーションデスクで市内への行き方を中国系の女性職員に中国語で聞いてみたのですが、何と返ってきた答えは英語でした。でも彼女は筆者の中国語を完全に聞き取っており、的確な回答でした。中国でも時々外国人に対しては英語を使おうとする人がいますが、そんな風にも見えませんでした。

市内へ向かう列車の中で、若いカップルの話に耳を傾けると、一方が中国語を使い、もう一方は英語と中国語が半々などという会話に出会います。シンガポールでは常に複数の言語を使っているため、その場の状況と相手に合わせて言語を使い分けているという人もいます。例えば、オフィスで交わすビジネスの会話は英語でも、一度ランチの話になればそこで言語が中国語に切り替わる、我々から見ると実に不思議な、そしてその高い語学能力を羨ましく思います。

シンガポールは約75%が中国系と書きましたが、福建系、広東系、海南系、客家など実はさまざまな人々が混在しています。ですから、家庭で、また同じ地域の出身者同士ならその母語を使いますが、例えば福建系と広東系の人が話す場合は、共通言語として中国語を使っています。この切り替えがまた実に見事なのです。

最近は中国からの新たな移住者も非常に多くなってきています。彼らにとってシンガポールは、物価や不動産が高くても、何よりも中国語が普通に通じる国として、便利だと言っていました。中国人観光客も増加しており、中国語を聞く機会が増えています。ただ中国人と同じようにアラブ系、インド系、マレー系も増えており、シンガポールはますます多言語国家になっているようにも見えました。

チャイナタウンも相当に変貌を遂げていました。昔の少しさびれたような雰囲気は全くなく、今では一大観光地となっています。もちろんここでは、普通に中国語が話され、観光客慣れもしていますので、お土産を購入する際など、皆さんが日頃習得した中国語を使う絶好の機会かと思います。またプチホテルなどもたくさんありますので、ここに泊まり、付近のフードコートで中国各地の料理を味わうのも一興ですね。

シンガポールに滞在して思うこと、それはこの国の国民が多様化しており、言語的には国民全体の共通言語が英語、華人の共通言語が中国語、となっていることでした。ここは人種のるつぼであり、その活力が経済発展を生み出していることをひしひしと実感しています。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年5月号第2回『タイ北部・ミャンマー北東部』

第2回『タイ北部・ミャンマー北東部』

「タイにお茶を飲む文化はあるのか」、これは筆者のタイに関する最大の関心事です。実際、バンコクでお茶屋さんはほとんど見かけませんし、喫茶店もあまりありません。タイに長く住む華人はお茶を飲まなかったのでしょうか。バンコクの中心、ラマ4 世通りにひっそりとお茶屋さんが建っていました。お店のおばあさんはバンコク生まれの2 世。お茶の店は50 年以上前にお父さんが開業したといいます。華人学校で学んだと、中国語で話す彼女。「お茶は全て大陸から来るんだよ」と教えてくれました。近所の華人が常連客だそうです。

実はタイの北部にはおいしいウーロン茶が作られている場所があります。タイ産のウーロン茶というとタイに住む日本人でも知る人は少ないのですが、筆者が訪れたメーサローンはバンコクから飛行機に乗って1 時間、タイ北部チェンライから車で1 時間半、標高1200m の高原地帯にあり、山の斜面一面に茶畑が広がる風光明美な観光地でした。

メーサローンの街では、どこでもお茶を売っています。そしてほとんどの人が中国語を話せます。タイ語ができない筆者にとっては、何とも居心地の良い場所、読者のみなさんも、台湾の技術で作られた、歴史的に極めてユニークなメーサローンの茶園経営者 中国系母子のウーロン茶を是非現地でお試しください。タイ語ができなくても中国語で楽しく滞在できること請け合いです。

そういえばタイ北部とミャンマー北東部は地続きであり、ミャンマーのシャン州でも茶畑が多く見られます。ミャンマーでは緑茶を生産していますが、この地では、何とお茶は食べる物でもあるのです。お茶の葉を塩漬けにしたもので、日本で言えば漬物のような感覚です。さらに、小エビやゴマなどと混ぜて、ミャンマーの女性がよくお茶請けとして食べている姿が見られます。

以前ミャンマーの茶畑を訪れた際、ミャンマーの人に通訳を頼みましたが、彼女もお茶の専門家ではなく、訳にかなり苦しんでいました。しかしよく聞いてみるとその茶農家の青年は中国系。後は全て中国語で話が済み、通訳不要となったということもありました。

彼のお父さんは40 年前に雲南省からミャンマーに移住、茶作りを始めたそうですが、実にきれいな標準的な発音で説明してくれたのが、いまだに印象に残っています。渋みのあるお茶を味わいながら、タイやミャンマーの北部と中国西南部の近さを実感するのもいいですね。