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NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2014年3月号第12回『ラオス』

第12回『ラオス』

周囲を中国、タイ、ベトナム、カンボジアに囲まれているラオス。あまり目立たない小国ですが、ここは時間が実にゆっくり流れており、首都ビエンチャンでも他のアジアの大都市とは異なり、交通渋滞もなく、高い建物も少ない、落ち着いた雰囲気があります。

そのビエンチャン、街のあちこちに漢字の看板が見られます。その字の大きさが以前より大きくなっていると地元の人は言っていました。中国の存在感が増しているようです。それを象徴するかのように、「中国市場」と呼ばれるマーケットが2か所もありました。大きな立派な建物で、売っている物はほぼ中国製。ラオスには大規模な産業がないため、服から日用雑貨までを中国に頼っている様子が分かります。

中国雲南省から来た商売人は「ラオスは人口も少ないし、経済的にもまだ発展段階のため、大きな商売はない」と言い、暇そうに人通りの少ない市場を眺めていました。この市場では中国から来た中国人と地元の華人が働いており、中国語は普通に通じます。外には中国各地の料理を出すレストランもあり、その多様性が見て取れます。

また市内にはチャイナタウンと呼ばれる所はありませんが、華人はかなり住んでいます。既に2代目、3代目になって現地に同化していますが、中華学校で勉強するなど、中国語はかなり通じました。「俺たちは祖先が中国からやってきたが、今やラオス人。最近来る中国人は商売の話ばかりで嫌になるよ」と中国語で語る華人の言葉には重みがありました。

世界遺産にも指定されている古都、ルアンプラバーン。メコン川が優雅に流れ、多くのお寺を有する、落ち着いた街並みが印象的です。そのメコン川沿いを何気なく歩いていると、駐車していた車がなんと中国ナンバーでした。どうしてこんな所に、と思っていると、通行人から「中国人か」と中国語で話しかけられ、「日本人だ」と中国語で答えると、「なんだ日本人か」と日本語で返されました。彼は北京生まれ、日本で働いた経験もありますが、今はルアンプラバーンの自然に魅せられ、移住したと言います。ちなみに車は雲南省からドライブに来ている中国人の物でした。

この街には中国系住民は多くないようですが、過去に雲南省などから陸路を渡ってきた人々、また福建や広東からベトナムあたりを経由してたどり着いた人々がいました。ここで生まれたあるおじいさんは「親父は広東から船でハノイへ行き、そこから陸路、カンボジアへ。そしてまた船でメコン川を遡り、ここへ着いたんだ。俺も大学はベトナムのホーチミンへ行ったよ。ベトナムは兄貴分だからな。ずいぶん昔だが」と中国語で話してくれました。

近年経済的には密接になってきた中国、もともと親密な関係にあるベトナム、更には隣国タイなど、ラオスを取り巻く環境は複雑です。前述の華人の「だから俺たちはラオス人だと言っただろう。華人は既に故郷を捨てたんだ」という言葉に、アジア各地で生き抜いてきた華人の生き様が感じられました。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2014年2月号第11回『マレーシア』

第11回『マレーシア』

マレーシアの首都クアラルンプール。その中心、KLセントラル駅のすぐ近くにチャイナタウンがあります。ここも近年の経済発展で開発が進み、急速に街がきれいになってきています。夜、服や雑貨を売る露店を見てまわると一番多く聞こえてくるのは広東語でしょうか。基本的に華人は華人学校に行っているので、中国語は問題なく通じます。ただ店員の多くはマレー系ですので、あえて華人系の店員を探して中国語での値段交渉にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。初めの言い値はかなり大胆にしてみてくださいね。

クアラルンプールからバスで2時間ほど行った所に、観光地マラッカがあります。ここは海外からの観光客が多い場所ですが、特に中国人が目立ちます。広東系華人のホテルのオーナーに聞いたところ「最近は中国人がグループではなく、個人で来るようになった」と言い、実際ロビーで遼寧省から来た一人旅の若い女性に出会いました。こういう若者たちがシンガポール人やマレーシア人、台湾・香港人と中国語で語り合う姿を見て、新しい華人ネットワークを予感させられました。

実はこのマラッカから内陸へ30㎞ほど行ったマチャバル(新村)という村へも出かけました。ここは1950年代に政府が開拓民を募り、多くの華人たちがマレーシア各地からここに移り住み、開墾をした場所だと言います。いわゆる華人村です。今車で行ってもそこそこ大変な場所、何もない土地にやってきた人々のことを思うと、そのたくましさにはいつも脱帽してしまいます。

ここに60年前に移り住み、現在レストランを経営している黄さんは「初めは大変だったがみんなで働いた。水もあり、山もあり、今や環境は本当にいいよ。でも最近若者はみんな都市へ行ってしまう。過疎化だよ」と嘆いていました。今でも村人のほとんどが華人という珍しい所でしたが、人口減少が悩みのようでした。

実はマレーシアはこの10年で人口が相当に増加しました。ただ増えているのはほとんどがマレー系であり、華人系は減少しています。人口構成でも以前はマレー6、華人3、インド1と言われていたのが、現在はマレー7、華人2、インド1に変わっているようです。これまで順調な経済発展を遂げてきたマレーシア。ある華人が「この国の経済を支えているのは我々華人なんだ。しかし人口的にはどんどんマイノリティーになってきている。この国の将来が実に心配だ」と繰り返し話をしており、少し心に残りました。

マレーシアは、クアラルンプールやマラッカ以外にもペナンやコタキナバルなど各地に華人がおり、話しかければ中国語が通じます。観光資源にも恵まれていますし、食事も日本人の口に合うものがあります。そういえば退職後を海外で暮らすロングステイ先としても注目されており、多くの日本人が各地に住んでいますよ。皆さんも一度出かけてみてはいかがでしょう。勉強した中国語を使ってみるにはよい国ではないかと思います。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2014年1月号第10回『プーケット』

第10回『プーケット』

アジア屈指のビーチリゾート、タイのプーケット。島の西側を中心にいくつものビーチが並び、欧米やオーストラリア、アジア各地から多くの観光客を惹ひきつけています。最近はロシア人、韓国人、そして中国人観光客が大挙して押し寄せており、空港は満杯状態が続いています。今回はそんなプーケットの華人の歴史に迫ってみました。

プーケットの中心街、プーケットタウン。その中でもオールドタウンと呼ばれる一角は、華人が多く暮らす場所です。ただ100年を超えるその建物群は中華の雰囲気に洋風がミックスされた独特の建物でした。なぜこのような建物が建てられたのでしょうか。

プーケットに華人が本格的に移住してきたのは、19世紀。豊富な鉱物資源、特に錫すずの採掘を行う労働者として、主にマレーシア・ペナン島の福建系華人がやって来たといいます。鉱山経営に乗り出し、成功する華人も現れました。そ
して英国領だったペナン風の建築が作られたそうです。何となくここはタイではなくマレーシアかと思ってしまう謎が解けました。この辺りの歴史はオールドタウンにある泰華博物館で見ることができます。

オールドタウンには漢字の看板も多くみられ、また中国系の顔をした人々がたくさんいますが、実は意外なほどに中国語が通じません。レストランを営む、どう見ても中国系の60代の経営者に中国語で話しかけると流暢な英語が返ってきました。「私は既に第4世代で、先祖の故郷が福建省のどこにあるのかすら知りませんし、興味もありません。私はプーケット人です」とのこと。そこにいた若い店員は、一生懸命勉強しました、といったようなたどたどしい中国語で注文を取ってくれました。

最も有名なパトンビーチへ行くと、レストランの若者がやはり中国語で「最近は中国人観光客が多く、英語ができない人も多いため、こちらが中国語を覚えて対応している。中国人はたくさんお金を使ってくれるからありがたい」とビジネス上のメリットを強調していました。

「中国語話せます」と書かれた看板を出す薬屋で、女性が流暢な中国語を話していました。彼女は第3世代でしたが、両親はペナン出身で幼い頃から中国語を習っていました。「プーケットに住む華人で中国語が話せるのは2~3割でしょう。家では福建語を話している人もいますが、世代が下がるにつれて、タイ語になっています」と解説してくれました。彼女は薬屋のほか、得意の語学を生かして旅行案内業も始めたようです。

プーケットタウンで朝早くから繁盛しているお店がありました。74歳になるオーナーは、原籍が広東省の第4世代。第5世代の息子さんと「点心」を出すレストランを経営していました。「プーケットには多くの血が混ざっているんだ。も
う華人だなんて関係ないよ」とひと言。出てきた点心も味は良いのですが、そのスタイルは既に中国を離れていました。皆さんもビーチリゾートばかりではなく、情緒漂うプーケットタウンで過ごしてみてはいかがでしょうか。