「コラム」カテゴリーアーカイブ
静岡県茶業会議所月刊「茶」(2018年3月号)『沖縄のお茶 さんぴん茶は発酵茶?!』
静岡県茶業会議所月刊「茶」(2018年2月号)『台湾茶業 変革の予感』
時事通信社金融財政ビジネス(2018年1月11日号)コラム放眼日中『華僑・華人らしい生き方』
日本経済研究所月報コラム「アジアほっつき歩る記」第65回(2017年12月)「LCCの限界」
静岡県茶業会議所月刊「茶」(2018年1月号)『ベトナム 高山茶の生産に変化か』
時事通信社金融財政ビジネス(2017年12月11日号)コラム放眼日中『歴史を学ぶということ』
ある日の埔里日記2017その4(6)瑞穂の茶業
ここの庭は広い。ちょっと散歩していると葉さんが出掛けるという。ようやく着いたばかりなのに、と思ったが、そのまま従って車に乗る。目的地はここからさらに20㎞先の玉里だった。そこの玉里麺が有名で美味しいというのでわざわざ出かける。それは有り難いことだった。
玉里はそれほどの街ではなかったが、その麺屋は本当に混んでおり、行列ができていてびっくりした。しかも周囲に何軒もあるのに、混んでいるのはその一軒だけだった。何とか席を確保して座る。確かに何気ない雰囲気ながら、麺もスープも美味しい。何となく満足してまた瑞穂に帰る。
午後は葉さんのお父さんとお母さんから、話を聞く。1960年代、この瑞穂で初めて茶業を行ったのはこのお父さんだった。龍潭から最初は通って、その後移住した。交通が不便でかなり難儀したらしい。後から来た人には苗を分けて、茶の作り方も教えたらしい。瑞穂茶業の父と呼んでもよい存在だった。昨年訪ねた粘姉妹の親が彰化からここにて茶を始めたのはその後だったという。
話の間にも宅急便が荷物を取りにきたりして、皆さん忙しい。鶴岡文旦の名で有名な文旦を台湾各地に発送しているのだ。日本では九州や四国で文旦が採れるようだが、中国では柚子という別名で呼ばれている。何故台湾と日本では文旦と呼ぶのだろうか。聞いてみたが、定かではなかった。
それから茶畑へ行った。ここには未発表の品種も植わっており、台東の改良場と協力して、この葉を使って白茶が作られているらしい。元々は緑茶を作る計画があったが頓挫し、その後烏龍茶などを作って来た。お父さんは一応引退しており、今はお兄さん二人が跡を継いでいる。
茶工場は、最初に建てられたものが残っており、ここで苦労して茶が作られた様子が分かる。当初はここで寝泊まりもしていたらしい。そして茶作りが終わると龍潭に帰っていったと。当時はほんとに交通が不便で、帰ると言っても3日がかりだったとか。その苦労がしのばれる。
紅葉温泉
夕方になり、今日私をどこに泊めるかが話し合われた。その結果、車は高台を降りていき、駅と反対側の方へ向かう。まずは夕飯を食べようということで一軒のおしゃれな店に入る。ここは火鍋屋だった。一人ずつ好きな鍋を注文して食べる方式だ。これがお客に便利なだけでなく、店側にも用意が簡単なようだ。この店の道の向こうには大きなホテルが建設中だった。このホテルが出来ればさらにお客が増えるのではないかという読みと、反対にホテル内で全て済ませてしまうのではないか、という心配が交錯していた。
それから車は暗い道を少しずつ上って行く。着いたところは紅葉温泉。確かここには15年前に一度来て泊まった記憶がある。あの時は台湾温泉1周旅行の途上で寄った。毎日違う温泉に入るという温泉三昧。今の私には考えられない。その中で一番不便な場所だったと記憶している。
日本統治時代に建てられたというこの温泉宿、何だか昔の小学校みたい。畳の部屋などもあるが、私は普通の個室に入った。大風呂もあるのだが、残念ながら水着着用が義務付けられており、私は部屋の風呂で済ませた。15年前と設備的にはそれほど変わっていないように思えるのだが、どうだろうか。夜はとても静かでぐっすり。まあ朝4時半に起きたのだから当たり前か。
9月20日(水)
瑞穂2
翌朝は早めに目覚める。朝ご飯が付いているのだが、8時頃と言ったにも拘らず、7時過ぎには食べる。蛋餅を目の前で作ってくれた。他に宿泊客が数人いたが、昨晩は全く会わなかった。今日も天気が良い。外で食べる朝食は格別だ。葉さんが迎えに来てくれるまで、ここの若き経営者と話した。
『何とか今の経営体制を変えないとマズいんだが、親の世代が話を聞いてくれない。改装や料金体系の見直しをしないと、これからできる大型ホテルに対抗でいない』と悲痛な叫びがあった。この世代間、経営者株主間闘争?様々なところで聞かれるが、何とも難しい課題だ。せめて昼の温泉プランは考えた方がよい。
今朝もまた富源茶業に戻り、お父さん、お母さんと話す。結局今回の瑞穂行きでは他にはどこも行かなかった。葉さん達はまだここで仕事が残っているというので、駅まで送ってもらう。ちょうど各駅停車が来たので、乗り込んだが、後から来る自強号に追い抜かれる運命だった。ガラガラの電車にゆっくり揺られる、まあこれもまた旅だろう。
瑞穂から花蓮の間、何となく駅名を眺めていると、富源→大富→光復、とか、平和→志学→吉安、とか、凄く立派な名前が連なっていることに気づいた。これはこの地域が、平地が少なく、台風などの自然災害もある、非常に厳しい環境に置かれており、その中で入植した人々に願いが込められているように思えてならない。こんなことを考えるのも各駅停車の良いところだ。