「その他」カテゴリーアーカイブ

北京週報コラム(2012年4月10日)~元北京駐在員のつぶやき~『中国に寿退社はあるのか』

日本では筆者が新入社員として入社した80年代には、「女性社員は結婚したら退職し、専業主婦になるもの」、という固定概念がまだ存在していた。特に仕事が忙しい商社・銀行などでは、企業内で相手を見付ける社内結婚が多く、社内規定にはなかったものの、暗黙の了解事項として女性が仕事を辞めて行った。これを社内では「寿退社」と呼び、皆から祝福された、そんな時代があった。

バブル崩壊後、亭主の給料は下がり、場合によってはリストラなどもあり、一方女性の社会進出が叫ばれ、女性は結婚しても職場を去らない例が増えて行った。それでも出産を機に辞める人はまだかなりいて、これも祝福されて職場を去って行った。

しかし今や日本の大手企業では、出産しても会社に復帰し、第二子が生まれても産休制度を活用して、会社に残るケースが増えて来ている。これは女性の社会進出という観点からは一見良いことのように思えるが、子供を抱えての転職が難しい中、やむを得ない選択であり、経済的な厳しさが増していることを表している。ただ日本の産休制度は1年間またはそれ以上と長く、職場に与える影響はかなり大きい。女性にとっては好ましいが、会社にとっては重荷となり、職場に軋轢が生じることがある。

一方中国では毛沢東の言葉に代表されるように「天の半分は女性が支えている」と言われるほど、女性が社会に出て働くことは当然といった風潮があり、結婚しても、出産しても職場に復帰し、地位有る役職を得ている姿を何度も見た。日本の女性からは「羨ましい」などと言う声も聞かれた。

しかしそれはそれで大変だったことだろう。一人っ子政策で子供の数が減ったとはいえ、子育てもあり、家事もあり、家族の支えでこなしてきた面もあるはずだ。特に中国の産休制度では3-4か月に復帰して、またバリバリ仕事をしなくてはならない。

ところが最近中国では経済的にゆとりが生まれ、専業主婦を望む女性が多くなったり、就職難の中、就活ではなく、婚活に活路を見出す女子大学生も出て来たと聞き、その変化に正直戸惑っている。何だか結婚も経済、就職も退職も経済、とちょっと人間本来の重要性を忘れてしまっているのではないかと思ってしまう。勿論お金が無いと何も出来ないのだが。

上海留学時代の友人が最近華東のある工場に就職した。彼はブログを書き始め、工場経営の悪戦苦闘を語っているのだが、その中に寿退社に関する記事があり、目を惹いた。ある女性社員が結婚するため、工場を辞めて田舎へ帰る、それだけの事ではあるが、彼の工場では「寿退社」という昔の日本の言葉が何となくしっくりくるから面白い。

仕事の評価が非常に高い、真面目な女性だったようだが、最後の日に社長に挨拶しないで去ってしまう。それを友人は「やはり中国人はドライ」と残念な思いを持って切り捨てるのだが、後で「お世話になった社長ではあるが、一中国人社員から見れば雲の上の人。直接挨拶できなかったのではないか」と他の人から諭される。そして一方「親父(社長)は、礼儀がどうのこうのではなく、自分の娘が嫁に行くように思っていたようです。親父は薩摩隼人(鹿児島県人)ですから、自分から声をかけに行けなかったようです」と追記した。これはもう日本古来の人情話ではないか。本当の寿退社とは「惜しまれつつ、幸せになるために職場を去る」ことであり、友人の会社の例は、まさに寿退社に当たる。

ここ数年、中国に進出した日本企業でもストライキが起こっている。その原因は待遇の問題などであろうが、友人の会社の社長と寿退社社員のような実に繊細な心の通い合いが無いことが一因ではなかろうか。中国に赴任する日本人のサラリーマン化が進んでいることも大きな要因だ。

更に労働契約法などと言う法律が出来て、労働者の保護が進んだように見えるが、実際には従来普通に働いていれば首にならないという日本企業の良さが、中国においてはこの法律で消えた。企業は社員を辞めさせることを前提に採用するようになったのだ。このような考え方からは『社員は家族』と言った発想は生まれてこない。

中国の友人が言う。「中国に寿退社はない、あるのは寿転職。結婚を機に更に一段飛躍する、それが中国人だよ」。そんなものであろうか。中国での人事労務管理は難しい。

北京週報コラム(2011年11月1日)~元北京駐在員のつぶやき~『中国人はいつからそんなにせっかちになったのか』

日本人観光客を中国へ連れて行く旅行会社の添乗員から「中国人はいつからあんなにせっかちになったのか」と聞かれた。飛行機や列車は座席が決まっていても、皆われ先に乗り込もうとする。荷物が多いからだろうか。現地に着くと先ず日本人のお客さんに伝える事項の一つが「現地ガイドは何でも早く行こうと言いますが、気にしないで自分の見たい所をゆっくり見てください」というのも驚きの現実。彼女には中国人が急ぐ理由が全く分からない。

事実中国人の旅行で一番気になる点は日程が忙し過ぎること。以前は日本人もそうであったが、今の中国人ほど忙しくはなかっただろう。観光地に行き、記念写真を撮り、バスの車内では寝て、また次で降りて・・。はっきり言って初めて旅行する時は一つでも多くの有名な場所を回り、帰国後、お土産を配りながら、親せきや友人に写真を見せて自慢したい、という気持ちがある。それは分からなくもない。

しかし先日訪れたインドの紅茶の産地、ダージリンには国慶節休みのため多くの中国人が茶園視察に来ていたが、茶業関係者でさえ、ろくに説明も聞かず、工場の写真を撮りまくり、そして筆者が話を聞こうとしても、足早に走り去る、これも一つの旅の姿ではあるが、これで楽しいのだろうかとふと疑問に感じるほど、彼らは日程に追われていた。

事は観光に限った話ではない。昔の中国を知る日本人は「中国人はどんな環境の中でもどんと構え、自分のスピードでしか仕事をしない。日本人とは根本的に違うんだ」と話す。確かに25年前筆者が留学していた上海では、人々はゆっくり生きていたような気がする。いくら外国人にサービス精神が無いと言われても、自分達のペースで仕事をしていた。当時は電話一つ掛けるのにも、結構時間が必要だったので、急げと言われても出来なかった面が大きかった。

しかし90年代前半からの経済成長局面で人々は徐々に時間を気にするようになる。仕事のアポイントメントも昔は「明日の午前中には行けると思います」、などと大雑把だったが、この頃から「明日午前10時」などと変わって行った。今や都市部では地下鉄などが発達し、ハード面が揃っているので、急がない言い訳が出来なくなってしまったということ。中国人経営者の中には自家用ジェット機を持ち、世界中を時間に追われながら、文字通り飛び回っている人もいる。

せっかちになる理由は交通や通信などのインフラが整いだすことを背景に、「人より速くチャンスをつかむため」または「人より遅れないため」に行動するからだろう。一部の人が巨万の富を築いた中国、それを見せられれば全体的な動きも早くなる。やはり経済成長、それも急激な成長の過程で人は行動を変えてしまう。成長の中でチャンスをつかむには人より少しでも早く情報を得て、考え、判断し、行動しなければならない。より多く儲けるため、少しでもスピードを上げることが重要だと考えるのは自然な発想。せっかちはここ20年の現象と言える。

一方日本は20年の経済低迷を経て、政府の政策から、民間企業まで、全てがゆっくりになってしまった。人にゆとりが出て来たのなら良いのだが、経済が低迷する中、ゆっくりの中に精神的なストレスが溜まってきている。教育も「ゆとり教育」などと言う名前の制度を導入し、学校での勉強量を減らしたりしたが、ゆとりが生まれたと感じる人はいないだろう。相当の混乱が見られた。中国でも最近はせっかち、というより、イライラしている人が多くなったように見える。日本で崩壊しつつある家族関係、人間関係が中国にも少しずつ迫ってきているのではないだろうか。

高度成長はいつかは終わる。筆者も若い頃は人一倍せっかちで、人より早く仕事をすることを目指しており、少しでも時間を短縮することに熱心だった。当時の先輩から「そんなに張りつめて仕事したら体を壊すから気を付けろ」と注意を受けたにもかかわらず、数年間続けていたら、やはり体が壊れ、3年間のリハビリ生活を余儀なくされた時期がある。中国でも、このスピードに着いて行けない人が出ている。北京のある医師に聞いた所、80年代に北京でうつ病患者は年に数人しかいなかったが、今では市民の数%がうつ病またはうつ病予備軍ではないか、と言われ、驚いた。

中国政府も高度成長から安定成長へと既に政策を切り替えている。中国の旅行ブームも10年を過ぎ、かなり慣れてきたはず。そろそろゆっくりと一日一つの観光地だけを回り、じっくりと見学する、一日中ホテルのプールで過ごす、など、違った旅のスタイルが出て来るであろう。「心のゆとり」が持てる社会、それは決して経済的な発展だけが幸せではないということに日本人は気が付いてはいるが、しかしそれをどうしたらよいか分からずにいる。中国人はこれからどうするだろうか。

北京週報コラム(2011年9月5日)~元北京駐在員のつぶやき~『北京で体感した中国サービス事情』

北京のショッピングセンターにて

新疆と青海省に向かう前、北京の街を歩いていると北京の大学に留学中の息子が足に違和感を覚え、急にサンダルを買うことになった。ちょうど目の前のショッピングセンターの中にユニクロがあり入って見たが、残念ながらサンダルは置いていなかった。しかしこの時対応した若い中国人女性店員の対応には目を見張るものがあった。

非常に機敏な動作、すっきりした笑顔、そしてはっきりした対応。更には申し訳なさそうに「サンダルは置いていない」と告げながら、即座に「3階でサンダルを売っています。エスカレーターはこちらです」と大きな動作で分かり易く我々を出口まで誘導してくれた。これはユニクロの日本的なサービスが中国人にも理解され、実践された好事例であろう。

一方3階に上がり、靴のコーナーに行くと中国人のおばさん店員がいきなり「あんた、これ買った方がいいわよ。材質もいいし、割引もあってお得」と息子に向かってまくし立てて来た。息子は初めビックリしていたがそのうち要求を述べ、おばさん店員ともだんだん打ち解け、更にこちらが日本人だと分かると彼女の対応はかなり柔らかくなり、あれこれと世話を焼いてくれ、結局勧められた物を買うことになった。

この2人の店員、サービスの点で普通の日本人ならユニクロ店員に軍配を上げるだろうが、私は個人的にこの3階おばさん店員が捨てがたい。一般的に日本人は「相手によって対応を変えるのは失礼」という概念があり、誰にでも一律平等のサービスを心掛けるが、必ずしもこれが良いとは言い切れない。むしろ相手によって柔軟に変化し、相手の求めている物をいち早く察知し、対応するサービスの方が人々の印象に強く残るのではないだろうか。この3階おばさんは、もしかすると一流のセールスウーマンなのかもしれない。

中国は将来サービス大国に?

そういえば、今回の旅で北京の中級ホテルにチェックインすると何故か窓のない部屋に入れられた。携帯も繋がらなかったため、窓のある部屋に交換してもらったのだが、実はこの部屋、日中窓を開け放しているためか、蚊が大量に入っていて、夜は刺されて眠れなかった。もしやするとフロントの女性はこの状況を考慮して、敢えて窓のない部屋を外国人にくれたのかもしれない。

しかしもしそうであれば、サービスとは相手に分からせて初めて意味を成すものであり、キチンと説明しなければよいサービスとは言えない。中国には全般的に言って、言われてから対応するのではなく、もう少し先に状況を説明すると言うサービス、習慣が欲しい。一方日本人側にも、仮に前述のおばさんのように初めがぶっきら棒なサービスに出くわしても、それに対応できる慣れを求めたいと思う。

サービスは所詮人が考え、行うもの。北京では、その意味でのサービス向上と相反するような画一的でマニュアル化されたサービスをするレストラン・百貨店チェーンが増加しているが、これにはどうも馴染めないものがある。ハードとソフト両面が発展した企業が生き残る時代にどう対処するのか、企業の真価が問われている。現時点では、徹底した組織力でサービス面をリードする日本。しかしもしその個々の持つ能力が如何なく発揮されれば、中国は将来サービス大国になっていくかもしれない。

北京週報コラム(2011年7月25日)~元北京駐在員のつぶやき~『25年前との比較による上海の発展とその問題点』

浦東と言えば、私が留学した頃、今の浦東は全くなかった。東方明珠タワーは勿論、橋もトンネルもなく、ただ小舟で渡るのみ。対岸には古びた倉庫、低層の住宅があり、少し行くと田圃か畑だった。それが今や上海のオフィス街、高級住宅街となり、地下鉄7号線で降りた駅には巨大で超豪華な外資系高級ホテルが建ち、ショッピングモールもどんどんできている。

上海市の西南、1号線の終点駅、莘庄にも行ってみた。かつてこの街は、上海市の中心部の再開発に際して、移転を余儀なくされた市民が移り住んだところだと聞く。当時は相当遠い、田舎とのイメージであったが、今では郊外に延びる地下鉄のターミナルとなるべく、巨大な駅舎が建設されている。当然周囲も開発され、不動産価格も相当上昇したと聞く。地下鉄建設は周囲の環境を一変させ、そしてグレーター上海が形成されていく。

地下鉄に乗っていて気が付くことがある。東京で地下鉄に乗って一番困ることは、出口から地上に出た瞬間、どちらの方向へ行ったらよいか、分からなくなってしまうこと。その点今や東京に並みに複雑になった上海の地下鉄ではあるが、地上に出ると必ず道路表示があり、しかもそこに東西南北が書かれている。これにより地図を見れば方向が分かるのは嬉しい。

しかし上海の東京化、が見られる場面も多くなってきた。1つはラッシュアワー。以前は満員電車に無理に乗り込むことはせずに次の電車を待っていたが、今は完全に東京と同じで、ギューギュー詰め。次の電車がいつ来るのか表示も細かくなっている。これは時間に追われる生活が確実にやってきた証拠であろう。

また車内で若者が老人に席を譲らなくなってきていること。以前は老人が乗って来るとすぐに誰かが席を立ったものだが、今若者たちは流行のファッションを身にまとい、ヘッドホーンで音楽を聴いているか、ゲームに夢中。逆に老人が小さな子供に席を譲っている場面を見ると、今の中国の現実が見えてくる。

上海在住のある日本人曰く、「上海はどんどん便利になっているが、その便利さゆえ、ここが東京か上海か分からなくなる時がある。家とオフィスを地下鉄で往復するだけの毎日、これは自分が想像していた海外生活ではない。」と。

勿論上海人はもっと生活をエンジョイしているとは思うが、地下鉄の発展と共に人々の生活に変化が生まれ、そして異常なストレス社会が到来するのであれば、今一度考えるべきことがあるかもしれない。