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《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(3)

5.ホーチミン2
(1)マジェスティックホテル

午後7時半、ようやくホテルに到着。茶畑にいたのは僅か1時間半程度、後の大半は車の中。最後のイライラも重なりかなり疲れる。ガイドのタオサンに教えられるまま、ホテル付近のファーストフード店、フォー24で夕食を取る。このお店、地球の歩き方にも紹介されており、一人でも気楽に入れる。24はスープを24時間煮込むからとか??

やはりベトナムと言えばフォー、しかし昨日とは様子が違う。所謂ファーストフード店。店は綺麗でメニューがあり、何とセットメニューが整っている。ビーフヌードル、ベトナム春巻き、ペプシコーラのセット67000ドン(原価72000が割引)を注文。

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生野菜もついてまあまあの味。それにしても古きよきベトナムが遠くへ行った気分。勿論お客の外国人にとっては便利になったということだが。うーん、これは。

食事後少し元気が出て、街を散策。またドンコイ通りを歩いて行くとサイゴン川に突き当たる。そこに輝くばかりのライトアップされたホテルがあった。マジェスティックホテル、1925年に建造された重厚な造り。このホテルには是非来て見たかった。沢木耕太郎の『国道1号線を北上せよ』の中で、彼はこのホテルに泊まり、ここのバーで酒を飲んでいる。『香港から見た九龍のような派手さは無いが、ここから見えるサイゴン川の夜景は見ている者の心に静かに深くしみって来る』と述べている。

私も最上階ブリーズ・スカイ・バーに行ってみた。西洋人が沢山オープンテラスで食事をしていた。ドリンクだけと言うとウエートレスが上を指した。階段を上がるとそこにはサイゴン川を見るためだけにあるテラスがあった。ここから薄暗い川を眺める。風が心地よい。

飲み物も沢木と同じミスサイゴンを注文。このカクテルはウオッカ、ライムジュースとガリアーノ(イタリア原産のリキュール、19世紀後半のイタリア・エチオピア戦争で活躍したガリアーノ将軍の名前)が含まれている。ちょっと甘い。6.2ドル。ナッツがついており、その塩気がここの風とよく合う。

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沢木がこのホテルに泊まった理由は簡単。産経の記者だった近藤紘一が泊まったことを読んでいたからだ。近藤さんの『サイゴンから来た妻と娘』は実に愉快で、しかもベトナム人の考え方がよくわかる本だが、近藤さんがマジェスティクに泊まったのは、亡くなった前妻とのことだった。

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近藤は前妻と死別後、サイゴンに赴任。そこでベトナム人女性と出会い一緒に暮らす。その様子からベトナム人の行動様式が分かり、また驚く。沢木も言っている。彼女をミスサイゴンにしなかった近藤は偉いと。

サイゴン川には食事の出来る大型遊覧船が停泊しており、そのネオンサインが揺ら揺ら揺れている。ベトナム戦争から30年以上が経過したが、未だに1975年サイゴン陥落直前にこの川岸に群がる人々の亡霊が見えるようだ。

3月30日(日) 
(2)朝の博物館巡りで 
最後の朝がやって来た。午前中は予定が無かったので、適当に歩くことに。取り敢えず地図を見て、歴史博物館に向かう。途中の街並みは相変わらずバイクが多いが、所々フランス風の建物がある。どうやら政府機関が入っているらしい。

歩いて行くと戦車やミサイルが見える。これが歴史博物館??ベトナム語しか書いていないが、どう見ても軍事博物館。後にガイドブックで調べるとここはホーチミン作戦博物館。何と1975年4月30日のサイゴン解放を行った作戦を中心に展示されているらしい。如何にも共産主義国家、自らの功績を誇示している。全てベトナム語なのでよく分からず、中には入らなかった。

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その直ぐ横に大きな建物が見えた。入場料1.5万ドンを支払い、門を潜ると綺麗な中庭がある。コロニアル風の窓が開いており、気持ちが良い。入り口を入るとホーチミンの胸像が真ん中にある。先史時代から現代までのベトナムの歴史が展示、解説されている。

中国から輸入された茶器が展示されていた。天目茶碗もあった。唐の時代には阿倍仲麻呂が派遣されて(帰国途中に流されて??)ベトナムを統治したこともあった。やはり中国の影響は大きい。

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外へ出ると外国人の一団が人力車に乗り込んでいた。これもツアーの一つだろうか??更に行くとお寺がある。その横では青年ボランティアといった感じの一団が芝生でミーティングしている。

博物館の外は公園なのか、敷地はかなり広い。が、特に見るべきものはなさそうだったのでここを去る。西に歩いて行くとフランス領事館など趣のある建物が見える。夏ではあるが幸い雲が出ており、何とか歩ける。

戦争証跡博物館、何となく不思議な名前の博物館がある。外には先程の作戦博物館同様、戦車や飛行機、ヘリコプターなどベトナム戦争当時の兵器が展示されている。中に入ると西洋人が熱心に展示物に見入っている。

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何気なく見てみると、ベトナム戦争の悲惨な写真が続々続いている。惨たらしい遺体、泣き叫ぶ子供、ベトナム人を処刑するアメリカ人など。何だか、南京の虐殺記念館に来た気分になる。そして驚くことは西洋人が子供も含めて熱心に内容を見ていること。

日本人なら目を背けてしまう場面でもしっかり見ている。これが歴史認識の違いか??それとも第三者として単に冷静に見ているだけなのか??ベトナム人はどんな心境なのだろうか??恐らくこの体験をしている人々はこの場所を訪れることはないのだろう。正視するには堪えがたいものがある。戦争とは本当にむごいものであることを教えている。

その後横の統一会堂に行くが、11時までしか入れないとのことで、外から眺める。旧大統領官邸。外観もかなり立派だが、中は豪華だそうだ。ベトナム戦争終結の場所(無血開城)。中を見たかったが午後1時からと言われ断念。

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統一会堂の前の並木道を行く。両側には休日を楽しむ人々が日差しを避けて座り込む。冷たい飲み物を飲んでいる。正面横にサイゴン大教会がある。正面に回ると新婚さんが写真撮影。どこの国でもポーズを決めるのは同じ。

2つの尖塔を持つ綺麗な外観。前にはマリア像が立つ。正式名称を聖母マリア教会という。19世紀末に建てられたという赤レンガの建物はこの街の中で優雅に存在している。

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その横には駅が見える、と思ったが、ここは中央郵便局であった。1890年前後に建造されたこの建物も一見の価値あり。中に入ると見事なアーチ型の天井があり、やはり駅舎のよう。奥には大きなホーチミンの肖像画が掲げられている。ここから絵葉書を出せば、気分はコロニアル??

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(3)昼飯 
ホテルに戻り、シャワーを浴びる。ここの風呂は何故かジャグジー付で浴槽が広い。但し時間が無いので、びしょびしょになった体をさっと流すのみ。ホテルは6時のレイトチェックアウトにしておいてよかった。

Kさんがホテルに来てくれ、昼食へ。今回はホーチミンの日本料理を食べることに。ホテル近くには日本料理屋街(日本人街)があり、その1軒へ。この付近には日本料理屋が数十軒あり、その周辺には韓国料理屋が数十軒ある。面白い構造である。日本と韓国は群れ易いということか。

司馬遼太郎はベトナムと韓国を『たがいにその歴史も地理的環境も酷似している。似ているというより、ある面では瓜二つといっていい。』(人間の集団について)と解説している。双方とも中国と陸続き、唐時代には都護府が置かれ、儒教文化の色も濃い。そして中国の力が弱まれば植民地化されている。この2国がベトナム戦争でまた出会う。歴史の皮肉か、必然か??

その料理屋もベトナム式建築を改造。洒落た湾曲した階段を持つ。バーのようなカウンターもあり、壁には浮世絵が掛かっている。から揚げ定食を頼む。普通の味である。今回初めて鶏肉を食べた気がする??

Kさんにはベトナム人の奥さんがいる。ホーチミン在住8年。この間、まるで近藤紘一が体験したベトナムを同じようにしている。奥さん一族との微妙な関係、お金のある人に当然のように頼る体質、目を掛けてあげても報いない親族、そして昨今のバブルで急に金持ちになった長屋の人間、など生のベトナムが語られていく。

昨年とうとう長屋生活を離れて奥さんと二人で暮らしているとか。それでも家長のお母さんを気遣ったり、親戚の動向は気にしている。ベトナム人と等距離で付き合うことはよほど難しいらしい。

もう一つ気になるのは、ホーチミンのバブル。急速な建設ラッシュ、追いつかないホテル、人件費、物価の急上昇、どれを見ても危険信号だらけ。この中で踊っている人々には報いが来そうだ。一般庶民には関係ないかもしれないが、なぜか気に掛かる。

ベトナムブームという日系企業にも警鐘を鳴らす必要がある。既にコストインテンシブな中国企業などはカンボジア、ラオスに移転。日系には行くところがない。どうするんだろうか??政府の賄賂体質と相俟って、ベトナム進出は容易ではない。

(4)ベンダイン市場 
まだ時間がある。次回のお茶会のためにもベトナム茶を探さなければならない。どこに行ってよいか分からず、取り敢えず一番有名なベンダインという名前の市場へ行ってみる。

ホテルから歩くこと20分、汗が流れ落ちる。ホーチミンの昼下がりに外を歩くのはやはり無謀だったか??ベンダイン市場は巨大な体育館のような所。一体どこに何があるのか??

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野菜や南国フルーツが山盛りになっている。人々はいすに座り、ゆったりと商売している。ここは観光地だからだろうか??近藤紘一のベトナム人奥さんは『市場の交渉は真剣勝負。一度舐められたらカモられる。』とあったが、ここはどうだろう。

ようやくお茶売り場に辿り着く。ジャスミン茶、緑茶に混ざってハス花茶もある。高級なお茶には烏龍茶との表記もあるが、これはベトナム産だろう。葉っぱを見せてもらったが、正直高級なものはない。

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少し歩いて行くと店の看板に日本語のある所が。声を掛けると若い女性が日本語で返してきた。聞けば学校で日本語を習ったか。普通は日本語が出来れば日本人に愛想よくして、高い茶を買わせようとするのだが、彼女は実にそっけなく、私の質問にも適当に答えてくる。

その姿が気に入る。外国人に迎合しない、バブルもまるで関係ない、そんな雰囲気がある。よく見るとイアリングが光、顔立ちもしっかりしている。勝手にいすを占拠し、その場で彼女を見ていた。

その時近藤紘一の文章を思い出す。『結局のところ、ベトナム人の価値観のドンずまりは、その日を生き延びるためなら全ては善』彼女とは全く無関係なはずのこの言葉が何故か、出て来る。戦後30年以上が経過しているが、未だに全ては敵、という感覚がどこかにある気がしてならない。

結局一番高い緑茶とハス花、ジャスミンの3種類を購入。値段は高いといっても1.5‐2.5万ドン。敢えて値引きを求めずに去る。私にしては極めて珍しい買い物の仕方である。その後何軒ものお茶屋を見た。中には漢字で『龍珠茶』などと書かれているところもあったが、概してしっくりするところはなく、市場を後にした。

(5)Tさんと 
バーンタオ氏が紹介してくれたのはKさんだけではなかった。日本人女性のTさんとも会うことになった。彼女は昨日までホーチミン郊外に行っていたとのことで、何とか出発前に捕まえた。3時にケンタッキー横で待ち合わせ。ケンタッキーは韓国からの出店らしい。流石にアメリカはまずいのか??若者や親子連れが中で食べたり飲んだりしている。

Tさんがやって来た。直ぐ横のアーチを潜り、カフェに案内される。リファイナリーという名前のそのカフェは、大きな敷地内にあり、外の喧騒を忘れさせた。オープンスペースにはいすとパラソルが用意されており、花が咲き、如何にもフランス風、気持ちがよさそう。

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我々は中に入り、奥に席を取る。Tさんは食品関係を中心にしたコーディネーター。近年のベトナムブームで雑誌の取材などの仕事もかなりあるらしい。ベトナム食材の紹介などもある。ベトナムはカンボジア、ラオスと違って食いしん坊の国である。

Tさんは元々日本でOLをしていたそうだ。食いしん坊でベトナムに旅行で通ううちにいつの間にか住み着いてしまったと言う。極めて自然に話すが、相当苦労があったことだろう。

しかし彼女から出た言葉は今のこの地を象徴していた。『そろそろ潮時かな。拠点を移そうと思って。』やはりKさん同様ホーチミン在住8年のTさんにしても、昨今のバブル的な現象はかなり衝撃であるらしい。取材先や取引先の態度が急激に強気になっている。その要求も合理的とは言えず、仕事で苦労することが多くなった。食事は美味しいが、物価の上がり方が尋常ではない。何よりも人の心がおかしくなってきているらしい。

お茶はハス花茶を頼んだ。透明のカップに小さなクッキーが付いていた。なかなかお洒落。お茶の味はあのハス花独特の臭みがなく、飲みやすかったが、印象に残るものではなかった。

Tさんが『行き付けのお茶屋さんに行きましょう』というので付いて行く。タクシーに乗ったが、彼女は運転手の動作に極めて神経質。道をごまかしている、メーターがおかしい、などなど。私も気持ちは分かる。海外にいるとこの様なことが起きる。特に人の心が信じられなくなっている状況では、なおさらだ。今まで信じてきたものに裏切られた時にショック。彼女は確かにこの地を離れた方が良いのかもしれない。

お茶屋さんは車で10分ほど離れた場所にあった。『ティエン・ダ』と言う名前か??天井の高い、奥行きのある店構え。中国的である。中に入るとお茶がふんだんにある。さっきの市場と違い、種類も多いし、値段も高い。

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烏龍茶、ハス花茶、を購入。秤が昔風。香港の上環を思い出す。そうだ、ここはチャイナタウンではないが、お茶を飲む習慣はやはり中国のものだ。奥にはお茶が飲めるスペース(極めて中国的な)もあったが、今日はオーナーがいないと言うことで試飲は出来なかった。茶器も中国から持ち込んだと思われるものが並ぶ。お茶を選んでいるとお客が次々に入ってきた。やはりベトナムではお茶を飲むのだ。それが分かっただけでも収穫だ。

Tさんが直ぐそこにスイーツ屋さんがあるので行かないか、と誘う。スイーツにはあまり興味はないが、飛行機の時間までまだ少し余裕があるので歩き出す。その店は如何にも地元の人が行く所であった。低いテーブルといす、所狭しと人々が座って何か食べている。彼女が勧めるスイーツとはあんことフルーツ、氷が入った飲み物。これはかなり甘いが、暑くて疲れた体にはよい。

隣の人との距離が極めて近いこともあり、何を食べているのか見ると美味しそうなものが。Tさんによれば、この店の名物らしい。鳥おこわご飯、この名前を聞いてどうしても頼みたくなる。夕飯はどうせないのだし、4時だが、ちょっと早い夕飯とすることに。

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このご飯、かなり美味かった。鳥が揚げてあり、野菜も付いて、上に載っている。ご飯はもち米、歯ごたえがあり、一気に食べる。周りの人々も何となく楽しそうに食べている。これはよい。

勘定をしようとTさんが店員に声を掛けるが、忙しいのでなかなか取りに来ない。そろそろ時間が迫っていた。Tさんも何だか必死になり、呼び止めている。すると周りのカップルが『払わないでいいんじゃない』なんて言い出す。みんな笑っている。店員もやってきて笑っている。

ここには古きよきアジアがあった。バブルに浮かれるホーチミン、しかしまだまだ奥は深い。次回は是非長期滞在しよう。でもこれ以上ホテル代が上がると泊まれないな。

その後ホテルまでタクシーで送ってもらい、そして6時半にはホテルをチェックアウト。Kさんアレンジの車で空港へ。正直タクシーでよいと思ったが、先程のTさんからもタクシーはメーターを誤魔化す、と聞き、Kさんのアレンジに感謝。30分ほどで空港に着き、何の揉め事もなく、すんなりチェックインできた。

《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(2)

4.バオロック 
(1) バオロックへ 
車は市内中心部を抜ける。土曜日の朝ということでそれ程混んではいない。しかしタオサンは『茶畑のあるバオラックまで217km、約4時間掛かります』という。217kmで4時間も掛かるの??先日行った南寧-ベトナム国境は約200kmを2時間で行ったのに??

沢木耕太郎に『国道1号線を北上せよ』という本がある。この国道1号線はベトナムの今私が走っている道なのである。沢木がこの道を通ったのには特段の理由はないが、私には茶畑訪問という大義名分がある。と偉そうに言っても実は沢木の本を読んで刺激された面はある。

15kmほど行くと工業団地が見える。日系企業や韓国企業が入居している。もう少し行くとコカコーラの工場がデカイ。タオサンに『ベトナム人はアメリカが嫌いなのでは??』と嫌な質問をすると『その通り、だからマクドナルドはない。』との答え。それでは何でコカコーラはあるの??『答えは安いから(1カン日本円30円)』だそうだ??

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因みにタオサンの故郷はメコン川のほとり。1975年のベトナム戦争終了時に被害を受けて疎開した。彼女も幼くして移住した。現在両親はその時の微々たる年金を貰っている。収入の1割に過ぎない。『日本は年金が沢山貰えてよい。それに医療保険があるから病気の心配もない。』という。日本人観光客から日本の情報を色々と仕入れている。ベトナムでは病気になっても病院には行かず、薬を買って飲むだけだそうだ。

タオサンはホーチミンの日本語専門学校で日本語を学んだ。卒業後日本語と関係ない仕事をしていたが、思い立って4年前に観光学校に行き、日本語ガイドとなる。就職では日本語かフランス語が出来ると有利だという。乾期の今はお客さんが多く仕事もあるが、雨季はお休み。安定した仕事ではない。この時期は日本円で3-5万円の収入が見込まれるが乾期は1万円などということもある。

タオサンの旦那さんはフランス語ガイド。ホーチミンに来る観光客はフランス人が一番多く、他のヨーロッパ人、韓国人、中国人その次が日本人だとか。宗主国を除けば韓国勢のプレゼンスが高い。日本人は市内の主要観光地かメコン川、クチトンネルなどほぼ全員が同じ所に行く。今回の茶畑訪問は彼女も初体験、ドライバーもビックリしたらしい。

それにしても車はなかなか進まない。中国に比べれば交通量は少ないのだが、何しろ片道一車線。もう一車線あるのだが、バイクが占拠。法律でも車の車線は1つだそうだ。違反すると最大200万ドン(14000円)の罰金だとか。そういえば、バイクの方も皆行儀よくヘルメットを被っている。本年1月から施行された法律で罰金は20万ドン。新品のヘルメットが買える金額ということで、皆新品を買い取り締まりに備えている。

尚ホーチミンの交通事情は最悪で朝日新聞の総局長は『世界で最も危険なのはアフガニスタンでもイラクでもなく、ホーチミンの道』と述べていた。その通り、アリの大群のような一団が物凄いスピードで迫ってくる。車でも勝てそうにない。ベトナムでは毎月1100人が交通事故の犠牲になっている。子供は特に死亡率が高い。

河を越えると市内を離れ県になる。この辺りから車が減る。しかし相変わらずバイクは多い。それとドライバーが極度に規則に神経質で絶対にバイク車線を走らない。これでは前ののろのろトラックの後塵を拝するだけ。いつまで経っても進まない。中国ではもっと安全運転しろ、とドライバーを呪っていたのに、逆にこれだけ遅いとやはり呪ってしまう。中国慣れは恐ろしい。

国道1号線、と言っても言われなければ分からない単なる道路。ゆっくり進んでよいことは『疲れない』。途中の町並みもじっくり見られる。驚くのは教会が多いこと。勿論キリスト教のお墓も見える。タオサンが『お墓地が見えます』という。墓にはおを付けるが墓地には付けない、と教えながら、なぜだろうかと悩む。彼女は素直に『勉強になりました』と。敬語は難しいとこぼす。

この付近に教会が多いのには理由がある。1954年にフランスからの独立を勝ち取ると共産化した北から大量のキリスト教徒が南へ非難(ジュネーブ協定)。この辺りに入植し、町を形成。それにしても教会の建物もそれぞれ個性的。個人の住宅にもマリア像が見えたりする。

沢木は1号線を北上し、海を目指した。私は茶畑を目指すため、70kmほど離れた分岐点でお別れ。国道20号線へと左折する。しかし70kmを2時間掛けて走行。確かに時間が掛かる。運転手に休みを取らせる。

道路脇に気になるハンモックが見える。バイクに乗っている人を中心に休む場所らしい。早速ハンモックに寝る、というか腰掛ける。考えてみればハンモックに寝たことなどない。バランスが取れない。隣のおじさん達は実に慣れた雰囲気で気持ちよさそうに寝転がる。

お茶を頼んだがタオサンが『お茶はありません、ペットボトルはどうですか??』と聞く。断って車の方に向かうと慌てて『今頼みました』??実はラオスと同じでお茶だけを売る習慣がない。運転手がコーヒーを頼み、その付け足しで何とかお茶を頼んだらしい。お茶は蓮茶であったが、品質はよくない。

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店の子供がハンモックで遊んでいる。女の子と2歳ぐらいの男の子。女の子はお客が来ると注文とりに出る。男の子は一人で遊ぶ。そっと近づいて写真に収める。何を食べたのか顔に付いている。その顔が幸せそうに見える。

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それから長い間20号線を行く。ゴムの木が生えている。ゴムは5年ほどで使えるようになり、また木の下のほうを切り、液を取る。プランテーションの名残か。木造の家も見える。

途中高校があった。土曜日半ドンということで大勢の学生が出て来た。物の本によく出ている制服がアオザイである。実に鮮やかにすそを翻して自転車を漕いで行く。バイクに乗って子もいるがこれは法律違反らしい。とは言ってもこの山の中で自転車はきつい。気持ちは十分分かる。

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山道に差し掛かる。いよいよ雰囲気が出て来た。山のカーブではドライバーはことの他慎重になる。バスもトラックも抜けないので相当に時間が掛かる。途中数ヶ所、観音堂があった。交通安全祈願のようだが、海の女神アマ信仰が山の中でも生きている。

休憩を除くとちょうど4時間、11時半にバオロックの街に入る。中心に池がある公園はなかなかきれい。こじんまりした清潔な街との印象。郊外のドラインブインといった雰囲気の所に駐車。昼食を取る。観光バスも数台横付けしている。ここはダラットへの昼食場所なのかもしれない。

食事は簡単な定食。豚角煮と卵とご飯、それに冬瓜のスープ。まあまあいける。向かい側の2階では結婚披露宴が行われていた。本日は大安の土曜日ということで道路沿いのレストランでもピンクの花輪に飾られた披露宴が随所に見られた。今では友人の結婚式に出るのにお祝いは20-30万ドンとか。かなりの出費になるがお付き合いで仕方がない。タオサンは先月3回も出席したらしい。

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ここの披露宴は盛大だった。遥か向こうに新郎新婦、そして両親が小さく見えた。どうやら誓いの言葉でも述べているらしい。新婦はウエディングドレス、新郎はタキシード、今やどこの国でも同じスタイルになってしまった。新婦にはアオザイを期待するのは外国人だからだろうか??

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(2)バオロックの茶畑 
そしていよいよ茶畑へ。街中を抜けるとそこは田舎。10分も行けば農村地帯となる。ドライバーは道順を確認していたが、やはり初めての道では聞くしかない。聞くと簡単な道らしい。

場所は直ぐに分かった。近くでは茶摘をしている婦人がいた。あのベトナム独特の笠を被って。かなり大きな建屋である。建物の前では摘んだ茶葉が天日干しされている。中は製茶工場であろう。

左端の事務所へ行くと如何にもベトナム人といった感じの痩せた男性が迎えてくれた。副社長だそうだ。早速この工場の概要を尋ね様としたが、『茶の木を見るなら別の場所だ』ということでまた車に乗る。前を若者が一人バイクで先導する。

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茶畑の中を数分進むとそこには建物が。眼下に大きな池、周りは殆ど茶畑という絶好のロケーションに建っている。中からこれもまた痩せた男性が出て来る。どうしてベトナムの男性はこうも痩せているのか??最近メタボが気になるこちらはどうしても腹回りに目が行く。昔は俺もベルトが腹に食い込むほど締め込んでいたのに??

男性はホーチミンの大学で経済を専攻、その後この地に12年、この農場には開業以来いるという。ようはこの地と茶が好きなのだ。建物の前のテーブルに腰を掛け、冷えた茶を飲みながら話す。単に冷ましたお茶をポットに入れているだけだが、このような場所で飲むと味わいがある。

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テーブルには心地よい風が吹いてくる。いつか潮州の山中で体験したあの気持ちよさである。暫くは浸る。そして問う。この農場は10年前までは桑畑だった。シルク産業が衰退し、地元の有力個人が茶畑を開発。技術は台湾から導入。2001年のことである。総面積80ha、広大な敷地。人工の池が眼前に見える。

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茶葉は年間5回摘む。台湾や日本、中国に向けて輸出していた(日本の商社も買い付けている)。しかし最近は人件費等のコストが上昇、逆に茶葉価格が低迷し、採算が悪化。今後は国内販売に注力していく。人件費は開業時に一日1ドルだったものが、最近は3-4ドルまで上昇、ホーチミン近郊の工場では月給が150-200ドルであるので対抗上やむをえない。

 

しかし都市の生活コストは高い。特にホーチミンの物価上昇を考慮すれば、実際には宿泊、食事の費用が出るこちらの方がお金は貯まるのではないか??そうだとすればやはり重労働なのである。ベトナムでもついにそうなったのか??世界の手摘みの危機である。

茶は台湾烏龍茶である。雨季はよい茶が採れない、いやよい発酵が望めない。乾季が掻きいれ時である。ここTam Chauは近隣で圧倒的に一番の茶葉会社である。あとは農家個々が緑茶などを細々と生産しているだけ。ベトナムでは中国国境で茶が採れる。生産量は多いが、高品質は少ない。

工場に戻るとちょうど天日干しした茶葉を片付けていた。中を案内して貰う。先ずは室温を下げた部屋で8時間ほど貯蔵。その間3回ほど揺青する。その後2時間乾燥。そして布袋に入れて揉む。最後に止める。

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工場内はかなり広く、まだまだ作業できるスペースがある。機械は台湾製であるが、一部自前で作ったものも出て来ている。将来は機械の国産化を目指す。外へ出ると副社長も混ざって収穫した茶葉の天日干しの準備中。あまり邪魔してもいけないので別れを告げる。そして最後に『茶葉を買って行きたい』と言うと、街中で買えとの指示。うーん。

仕方なく、先程昼食を取った場所へ引き返す。何とそこはあの茶葉会社所有の大規模コンプレックス。土産物屋で茶葉が売られていた。見ると日本円で100g 2-300円からあるが、どうせならばと一番よい茶葉を所望。すると『160gで60万ドン(日本円4000円)』というではないか??

ベトナムにもそんなに高い茶葉があるのか、と首を傾げると売り子が『試飲してみる』というので、してみることに。ちゃんと急須を使い、茶葉も8gずつ小分けされている。さて、お味は??残念ながら台湾にはこのクラスの茶葉はいくらでもある。ベトナムの物価を考えればこの値段は高過ぎる。国内販売に力を入れるにしてもこれでは??

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結局何も買わずに帰る。タオサンがアイスコーヒーを買ってくれる。こちらの方が甘くて美味しい??

(3)帰り道 
帰りはもと来た道を戻るだけ。特に目新しいことは無い。但し運転手は疲れたことだろう。何しろ小さな村を通るたびに時速を50kmに落とさなければならない。勿論村民は車など平気で、前に飛び出し、道を横切る。

国道1号線に戻った辺りで休息を取る。ちょうど夕陽が沈む時間。ドライブインの裏に回り、夕陽を撮影。かなり大きな太陽が足早に沈んでいく。国道沿いで最後の夕陽をボーっと眺める。全てがゆっくり、ゆっくり流れていく。

市内が近づいた頃から渋滞が始まる。何しろ1車線。なかなか進まない。他の車は容赦なくバイク車線に踏み込む。どうしても動かない場所に至る。前を良く見ると恐らく左に曲がる車が多く、動きようがなくなっている。

それでも運転手は気長に待っている。勿論いつかは通れるのだろうが、中国で鍛えられた私には到底耐えられず、とうとう『右車線に入れ』と命じてしまう。ビクンとした運転手は勢いよく飛び出す。

真っ暗な中、よく見ると左側には港があり、大型トラックが左折を繰り返している。しかし反対車線も頓着せずに直進するので埒が明かない。信号も無い。これがホーチミンの現実である。

急速なモータリゼーション、経済成長に全く着いていけていない。ホーチミンにとっては陸路は遮断されているに等しい(先程嫌というほど味わう)上、頼みの海路も皆と周辺がこの有様では、いよいよ心もとない。ハノイと異なり、このままではこの都市は陸の孤島になりかねない。危機感を感じているのだろうか??不安である。

《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(1)

【ホーチミン散歩】

1.ホーチミン 
(1)空港での出会い 
朝6時前に起きて、車で空港へ。バーンタオ氏も同行して見送ってくれた。車中で『ミャンマーに行っているS氏が昨日辺りバンコックに居たはずだが、電話がなかった』などと話をしていた。私は何故か今回S氏に会いそうな気がしていたのだが??

空港で簡単にチェックインして、イミグレへ。いつものことながら、このイミグレが込んでいる。今回は反対側にあるもう一つのイミグレを目指すことにした。ところが・・??通り過ぎようとしたイミグレ、シルエットになっていて中の様子がうっすらとしか見えないようになっている。

何気なくそのシルエットを見てびっくり。イミグレの長い列の最後尾にS氏の後姿が見えた。バーンタオ氏に急いで別れを告げ、中へ。そして『おはようございます』とその後姿へ声を掛けた。

その姿は突然のことに体をビクンとさせて、『エー、何で』と叫ぶ。バンコックに行くとメールしたことを話したが、見ていなかったようだ。そうであれば私がバンコックにいるはずがない、と思うのも無理はない。当然であろう。いるはずがない人間に突然声を掛けられれば驚くに決まっている。

更にS氏によれば、今日のフライトは昨日変更したもので、大阪行きは取れなかったため、マニラ経由となった由。自分のスケジュールを知っている人も殆どいないこの偶然。彼にとってはまさに晴天の霹靂。

それにしても最近霊感があるのであろうか。いや、会う人とは必ず会うのである。『人生は予め決まっている』、最近は自然とそう思える。S氏からは是非ヤンゴンでTTMやSSと会って欲しいと言われ、その気になったが。出発の時間が近づき、S氏とお別れ。

ホーチミンへは僅か1時間半のフライト。飛行機は空いていて自由に席が選べた。何となく欧米人が目立つ。フランス人だろうか??ベトナムへ行くのは2004年1月のハノイ家族旅行以来実に4年ぶり。

あっと言う間にホーチミンに到着。空港のイミグレの遅さは相変わらずだが、特に問題もなく通過。税関も素通りし、外へ出る。人々が大勢待っているが、私を待っている人は見付からない。実は誰が待っているのかもよくわからないのだ??

最近はこういう時に慌てない。きれいな空港の入り口にプレートが嵌っている。『タンソンニャット空港は日本の円借款で建設された』と刻まれている。ハノイと同じ、日本の支援である。中国の空港にもこの程度のプレートはあってもよいと思うのだが。

写真を撮って再度振り返ると私の名前を書いた紙を持った運転手が如何にも前から待っていたかのように笑顔で待っていた。先ずは順調、順調。車はトヨタ、空港周辺ではトヨタの車が目立っていた。

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企業の看板は日本もあるが、韓国系が多い。やはりベトナム戦争以降の繋がりの深さが見える。道はバイクが多いがスムーズ、30分ほどで市内へ入り、宿泊するホテルに到着。

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(2)昼飯 
ホテルのフロントでチェックインしようとすると後ろから声を掛けられる。バーンタオ氏の友人Kさんだ。今回の旅行のアレンジは全てKさんにお任せ。というか実は1年前に東京からホーチミンへ旅行しようとした時もKさんに依頼していた。

あの時は前日の夕方5時にドタキャン。父が入院したのだ。そして翌月亡くなる。ホテル、車などアレンジは全てパーとなったが、全てをKさんが処理してくれていた。それからずっと気になっていたが、そのまま北京に赴任し、漸く今回辿りついた。

チェックインはKさんがスムーズに行ってくれた。彼は旅行のアレンジも仕事の一つとしている。前回はレトロなコンチネンタルと言うホテルを予約してもらっていた。1泊80ドルだったと記憶している。ところが今回同じホテルは満員で、同等のホテルは1泊200ドルと言われて唖然とした。

Kさんによれば、『ホーチミンのホテルは時価です。部屋があれば言い値で予約するのです。それ程にホテルが逼迫しています。』とのこと。今回予約してくれたサンホテルはビジネスホテル風。これでも80ドル、Kさん価格だ。部屋は8階、広くないが、快適そう。バスタブは広く、ゆったり入れる。窓からサイゴン川方面が見える。

Kさんと昼飯に行く。ホテルを出ると方向が分からなくなる。ここがオペラ座、ここがドンコイ、ここがコンチネンタルホテル。次々に説明を受けるが位置関係がしっくり来ない。ドンコイ通りからちょっと入ったKさん行きつけのレストラン13に入る。

レストランが並ぶこの一角、ここが繁盛したことで周りに類似のレストランが出来たとのこと。日本大使館御用達とも。中は狭いが2階があり、小奇麗。基本的に民家を改造した造り。

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中華ということであったが、あっさりした広東風。野菜炒めの野菜が新鮮でしゃきしゃきしている。デザートに出たマンゴが甘くて美味しかった。やはり北京から来るとそう感じるのだろうか??

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お茶を頼んだが、ベトナムでは基本的に一般家庭で熱いお茶を飲むことはないそうだ。飲むのは氷の入った冷たいお茶??

お客はフランス人など西洋人が多かった。やはりここは高級なのだろうか??いや、味がよく、小奇麗なところに西洋人は来るのだ。日本人観光客は立派なところで高い金を払ってまずいものを食べているのでは??

Kさんによれば、日本人観光客は激減している。理由は簡単、ホーチミンのコストが高くなり過ぎたから。ホテルは部屋が無く、これまでアンコールワット観光数日本人は必ずホーチミンで1-2泊したものだが、今では空港トランジットのみ。一方西洋人はユーロ高の恩恵か、ホテルが高くてもやっている。

ついでにホーチミンへの投資は、工業団地を作れば直ぐに満員になる盛況。しかしこちらも人件費が高騰しており、原材料の値上げと相俟って、コストインセンティブで進出した中小企業は早晩撤退に追い込まれそう。現在の投資は海外在住ベトナム人、ベト僑が支えているとも言われている。

(3)チョロン 
食後、Kさんに連れられて両替所へ。ベトナムドンを調達。1万円でホーチミンの顔のある10万ドンを15枚ほど貰う。何だかお金持ちになった気分。

Kさんと別れて、チョロンへ向かう。所謂チャイナタウンである。どうやって行くのか??沢木耕太郎はバスで行ったようだが、時間もないので、いや時間はあるが、よくわからないので、コンチネンタルホテルの前からタクシーに乗る。

コンチネンタルホテル、このホテルは前回泊まろうとして予約してもらっていたホテル。白い外壁が美しい。1880年建造のコロニアルスタイル。中庭は特に美しい。昔は有名人が多数宿泊したらしい。今日もお客は西洋人が多い。

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タクシーは西に向かっている。しかしチョロンに向かっているのかさっぱり分からない。勿論言葉も通じない。不安に思いながらも何とかなると思ってしまうのが私の旅。20分ぐらい経って、それらしい感じになってきた、と言っても中華風な感じはない。

ようやくタイピン市場に到着。古い駅舎のような建物。周囲に商店が並んでいた。中に入ると大きな屋根の下に無数の店がある。昼下がりの市場はゆったりとしていた。お客も少なく、店の人も昼寝をしたり。

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早速お茶を探す。何軒かお茶を置いていた。ジャスミン、ロータスなどの英語が辛うじて分かるが、買いたいと思うものは見当たらない。建物の外に出るとそこにも茶屋があった。専門店はここ1軒か??

店に入り、中国語を使うと何とか通じたが、さほど出来るわけではない。ここはチャイナタウンとは言うが、既にベトナム化されていた。この茶葉がどこで採れるのか知りたかったが、良く分からないまま店を出た。

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プラプラ歩いていくが、漢字の看板などは全く見当たらない。やはり中越戦争以降の影響だろうか??途中で教会があった。チャイナタウンに教会??何とも不思議。

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更に行くと、布を扱う店が多くあった。チャイナドレスを作る店が見える。小さな食べ物屋の看板に漢字が見え出した。やはりチャイナタウンなのだ。中国大陸から渡ってきた人が同郷の人々と建てた会館やお寺が幾つかあった。学校とお寺が一緒になっている場所では、ちょうど下校時間で多くの父兄が迎えに来ていて、ごった返していた。この国でも誘拐などがあるのだろうか??

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1時間ほどかれこれ歩き回ったが、これは、と言うものは発見できず。暑さもあり、かなり疲れた。タクシーでホテルに戻る。ちょっと拍子抜けの中華街であった。

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(4)夕飯 
歩き疲れた。ホテルで休む。そして日が暮れるとまた外へ出た。むしむしするが、日が出ているよりマシだ。ドンコイ通り付近を冷やかす。幾つかレトロなホテルが見えた。

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夕飯を食べようと思ったが、それ程食欲がある訳ではなかった。多分疲れていたのだろう。その辺で麺でも食べようと探したが、ドンコイはお洒落な感じで、ちょっと気分が違う。裏通りに入り、ようやく1軒の店を見付ける。

如何にもフォーだけでやっている小さな店で好ましい。恐る恐る入っていくと、おやじさんが『何食べる』と聞いたようだ。麺を指で指したら、黙って作り始めた。息子と思われる若者が手伝っている。

細めん、クリアーなスープ、ワンタンが少し、豚肉も少々、実にあっさりしていたが、これが食べたかった、というフォーだ。満足。但し22,000ドンは4年前ハノイで食べた頃より相当に値上がりしている。

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この店には仕事帰りのサラリーマン風の男性が2人ほどバイクでやってきていた。ベトナムでは未だこのような店が主流のはずだ。私がこれまで見たのは、やはり観光客用だったということだろう。

店を出ると、急に食欲が出た。もう一杯食べる手もあったが、歩き出した。少し行くと、街角の屋台でフランスパンに何か挟んでいるサンドイッチを売っていた。ここも言葉は通じないが、手振りで十分。おばさんは手際よく、ハムを挟み、バターを塗った。野菜も少し入れて直ぐ出来た。そのパンを新聞紙で包んで渡してくれた。10000ドン。安いのか高いのか??ホテルに持って帰った。

ホテルで新聞紙を開いてビックリした。何とその新聞紙は日経新聞だったのだ。一体どこでこの紙を手に入れるのか??パンより遥かに高い新聞紙を眺めながら、サンドイッチをほお張った。不思議な気分であった。それにしてもベトナムでは道端のフランスパンでも十分美味しい。中国にはパンの文化がなかったのか??

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3月29日(土) 
(5)朝食 
朝5時半に起床。バンコックのバータオハウスと大いに異なり、鳥のさえずりではなく、バイクのクラクションで起こされる。如何にもホーチミンらしい朝である。時差はタイと同じで中国より1時間遅く、日本より2時間遅い。しかし経度から見えれば中国時差圏ではなかろうか??6時過ぎには辺りは明るい。

6時過ぎに朝食。1階のロビー奥に取って付けたようなレストランがある。正直食事が美味しいとは言えない。大好きな目玉焼きを焼いてくれる人もいない。昨夜のフォー屋の対応を見てもどうやらこの国ではチキンは嫌われているようだ。すると目玉焼きも駄目ということになる、そうだろうか??

フルーツに柚子があったのは嬉しかった。昨日ビンタイ市場にあったのでもしやと思っていたが、やはりあった。北京でもほぼ毎日食しているので、有難い。元々は上火対策で食べているのだが、今では生活に欠かせなくなっている。甘さも控えめでよい。

朝が早く、殆ど客がいない中、日本人の母子が目立つ。娘(40前後)がやたらにハイテンション、大声で喋り捲っている。元々そういう人なのか、母親のテンションを上げる必要があるのか??朝から元気なのはよいが、周りが見えていない。日本人旅行者にはたまにこんな人がいて、日本人としては何やら気恥ずかしい気分になる。

7時にロビーでガイドと待ち合わせ。私の旅行は一人で歩くのが基本だが、今日は茶畑訪問のため、致し方ない。ガイドはタオサンという40歳代の女性。非常にゆっくり話す。何となく不思議な感じの人。車はトヨタビオス。