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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(14)可愛い子供たち

10月31日(土)

モン族の可愛い子供たち

ついにシンホ村を離れる朝が来た。このホテルには何と4泊もした。朝ごはんをいつもの定位置で食べていると、さすがに飽きてはいた。だが、何となく離れ難いのは、ここの従業員のおじさん、おばさん、お姐さんの、不思議な優しさ、素朴な気遣い、などに魅了されたからだろうか。

 

いつも1階のフロントに座っている若い女性、Sさんは彼女に洗濯物を頼み、乾かないな、と言いながら、一緒に笑っている。Sさんのように常にアクションを起こしていると、自然に周囲と打ち解けていく。彼女には幼い男の子がおり、すっかり顔なじみになった。だが彼はママに構ってもらう以外、大体一人で遊んでいる。何人かの子供たちが、ホテルの敷地内に入って来て、遊んでいる。それはそれで可愛いのだが、どうにも彼のことは気にかかっていた。

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そうこうしている内に、荷物をまとめ、出発した。名残惜しい!5日前に来た道をただ戻るだけだが、気分は大いに違っていた。天気も悪くない。途中で車を停めて、眼下に山並みの中に霧が立ち込める見事な景色を眺めながら、私がここに来た意味を改めて自分に問う。道にはいつ起こったのか、土砂崩れの跡も見える。自分の生きている意味を考えさせられる。

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時間はたっぷりあるので、途中でモン族の村に立ち寄る。子供たちが沢山出てきて、恐る恐るこちらを見ている。男の子は普通の格好だが、民族衣装を着ている女の子がいる。皆元気についてくる。彼らは学校へ行っているのだろうか?今日は土曜日で休みなのかもしれない。大人には休みがないようで、農作業で出て行ってしまって留守だった。農作業をする小屋にも人影はない。

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子供の中に顔はモン族なのに、髪の毛は金髪の女の子がいた。どうみてもハーフかなと思うのだが、どうしてこんな山の中にいるのだろうか。お父さんがフランス人で、わけあってお母さんの故郷に戻ったのだろうか。どう見ても余計な妄想が広がり始める。ベトナムには、様々な深い歴史がある。

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ランチで

それからまた車で移動した。ちょうど昼頃、道路脇のレストランに入った。見ていると、皆鍋を食べている。どうやらここは、新鮮な鶏肉を1羽鍋にぶち込む、豪快な鍋が売り物のようだ。ここでもSさんが鍋奉行として活躍、湯気の立つうまい鍋にあり付けた。何しろ4日間、ホテルの食事に飽き飽きしていたこともあり、ぷりぷりした鶏肉は実にうまいと感じた。

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このレストランにはWi-Fiもあると表示されていたが、パスワードを入れても全く反応しなかった。まあこの田舎でWi-Fiは望み過ぎかもしれない。食事が終わると、慣例に倣って席を移して、お茶を飲む。いつもの渋いお茶を飲んでいると、食事したテーブルに柿とみかんの入った袋を置き忘れたことを思い出す。だがそのテーブルに戻ってみたが、袋はなかった。

 

きっと片づけてしまったのかと思い、ウエートレスに聞いたが知らないという。おかみさんらしい人も知らないというが、厨房の方へ行くと、何とそこに柿がポツンと置かれているではないか。これは何だ、というと、やはり知らないという。だが袋も見つかったので、もう完全にこの人が私の柿をとった、ということが判明した。ではみかんはどうしたと聞くと、悪びれることもなく、『捨てた』と言い放った。さすがに驚いたが、何ともしようがない。

 

ガイドがやって来て『田舎ではよくあることですから』と取り成したが、本当に田舎では人のものを確認もせずにとってしまうのだろうか。それにしても『謝る』とか、『言い訳する』とか、いうこともない。『あー、見付かっちゃった』という雰囲気である。ちょっと憤慨して車に乗り込むと、ガイドが『お詫びのしるしです』と言って水を一本くれた。うーん?

 

田舎の人だから、『外国人が怒っているのにどう対処したらよいのか分からなかった』という意味だろうか。ただもう一つ、分かったことは、この辺では、みかんは一般的なものだが、やはり柿は高価なものらしいということ。だから、おばさんもみかんは捨てて、高価な柿だけ残したのだろう。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(13)食事もお茶も雰囲気次第

おじさんの家を辞して、車に乗り、弁当を食べる場所を探した。あまり適当な場所はなかったので、道路脇の平らな場所で弁当を開くことになる。弁当の中身は分かっているのだが、外で食べると気分が全然違う。何となく部屋で食べるより、解放感があり、美味しく感じられる。食事には環境、雰囲気が大切だ、としみじみ。

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食後のお茶はどうするのか。朝からSさんは悩んでいた。そこで私が自分のバッグを探ってみたが、出てきたのは、何と日本のビジネスホテルに置かれているほうじ茶のティーバッグ。こんな物、お茶のプロの皆さんに出すのは失礼だ、と思っていると、Sさんが『これがいい』と言い出す。半信半疑で持っていく。Sさんはちゃんと厨房からお湯をポットに入れて持ってきている。プラスチックのコップすら用意している。そこへほうじ茶バッグを入れる。

 

食事中に皆さんに配ると『これはうまいなあ』という声が聞こえる。皆さん、お茶の専門家である。まさかこれが安いほうじ茶のティーバッグだとは言い出せなくなる。しかし自分で飲んでみても、何とも味わいがある。そうか、食事だけではなく、お茶も環境に左右されるものなのだ。そして長らく日本のお茶を飲んでいなかったので、その味が懐かしく思われる。このような状況下であれば、お茶の質など、大きな問題ではない。これは面白い実験だった。しかしこれがいいと選んだSさん、包丁の見立てだけではなく、商才もあるな。

 

格好いいおじいさん

午後、どのような経緯からか、ある家を訪問した。そこの集落の子供たちがみんなで遊んでいる姿が微笑ましい。するとUさんがバッグから何か取り出した。何と小さな独楽を持ってきていた。ちょっとやってみせると、子供たちの目が輝き、皆がやりたいと寄ってくる。私も何十年ぶりかで回してみた。上手くはできないが、独楽が回ると嬉しい。子供の頃を思い出す。

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この家にも対聯が貼ってある。ヤオ族の家であろうか。天井からとうもろこしが大量につりさげられていた。これは食べるのだろうか、家畜の餌なのだろうか。中からすごく絵になる、白髭を蓄えたおじいさんが登場した。ここは一体何なんだろうか。このおじいさん、近所でも評判のお茶好きだったようだ。早速お茶を淹れてくれる。あのタリエンシスの葉っぱが出てくる。

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これが近くに沢山植えられているようだ。家の裏を上って行くと、丘があり、そこにポツポツと植えられていた。お茶を大量生産しようという計画があったのかもしれないが、どうみても自家用になっている。おじいさんも『今の若者は茶など飲まない』と嘆いており、金になる作物に変わっていくだろうと、将来を悲観していた。まるでどこかの国の話のようだ。

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ホテルに戻ったが、まだ時間が早い。やることもないので、周辺をフラフラした。ここからライチョウという街までミニバスが出ているが、そのバスは韓国の現代製だった。若い女性が民族衣装を着て、バイクに乗りながら携帯で話している。バイクも中国製の安物から、ベトナム製造の日本ブランドに変わってきている。ベトナムの経済的な底上げは確実にある。

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市場へ入っていくと、Sさんが既に馴染となっているヤオ族のおばさんのところへ行く。Uさんが縫っている上着を見て気に入り、値段交渉に入った。おばさんはまけてあげる、とは決して言わず、逆に『このステッチを縫い付けると素敵でしょう』という身振りをした。確かにそれが良かったので、それを込みの料金として、実質値下げがなったものと安心していたが、その場で器用に縫い付けたおばさんは、ちゃんとそのステッチ代金も要求してきた。今更要らないとも言えず、結局おばさんの言い値になる。なかなかやるな、おばさん!

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市場の真ん中で、豚の丸焼きが始まり、皆の興味を引く。このようなパフォーマンスが美味しく感じさせるのだろう。市場の外でも串焼き屋が豪快に肉を焼いていた。腹は減っていないが、何だか食べたくなる。するとSさんが既に包まれていた物を買い込む。持ち帰って食べてみようというのだ。ついでに飲茶で出てくる腸粉のような食べ物も買う。これはうまそうだ!

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ホテルに帰り、皿などがないので、慣れ親しんだ厨房へ行く。おじさんが『何買ってきたんだ』という顔をして、覗き込む。品物を見ると、手際よく、必要な皿やフォークを出してくる。腸粉は、何と甘い味のデザートだった。これにはライムをかけるとうまいぞ、という感じで、奥からライムまで出してきた。

 

そして包まれていた物体を開けたが、それは肉などではなく、本当に謎の物体だった。するとおじさんは、これをつけて食べるといいよ、という感じで、酢や調味料を混ぜ合わせ、付けるためのたれを用意してくれた。この親切には、本当に驚いた。訳の分からない物を買ってきて、と言われても仕方ない中、何とかしてあげようというおじさんの心意気には感じるものがあった。しかし食べた物が何だったのか、最後まで分からなかった。おじさんとは言葉が通じない。

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今日も夕飯はホテルだが、それを簡単に済ませて、外の店で先ほど食べられなかった串焼きを食べ、ビールを飲もうという計画が密かに進行していた。さすがに明日はこの地を離れるので、最後ぐらいはいいだろう、という思いがあった。ところが、何と急に雨降り出した。それもシトシト降るのではなく、ザーザー降り。これは外へ行くなという天からの合図だっただろうか。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(12)モン族の村

帰りにM先生が、ヤオ族の布が欲しいと言い出す。勿論村には店などなく、その辺の人に聞くと、恐る恐る品物が出てきた。だが、売れると分かるとあちこちから布が持ち込まれ、驚くほど集まってしまった。一方衣裳好きのSさんは別の場所で、値段交渉をしていたようだ。このような田舎の村では、自分で縫った自らの衣装も売ってしまう、ということが、新鮮だった。ヤオ族の女性は、暇があれば縫物をしているが、これが商品化されるとどうなのだろうか。

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ホテルに戻る。Sさん製作のお茶が笊を入れられ、今日も干されていた。皆さんでその出来を確認する。何だかいい感じに乾いている。ホテル従業員は相変わらず、日中何も言わなくても、太陽の動きに合わせて、笊を移動してくれている。これは凄いことだと言わざるを得ない。

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夕飯には新鮮な鶏肉が出た。私は気にしないのだが、先ほどバイクの後ろに括られていた鶏を思い浮かべてしまった人もいる。我々が初日にうまいって言ってお替りを要求したソーセージ、毎日のように出してくれるのは良いが、さすがに飽きてきた。明日の食事はどうあっても改善しなければならない。

 

そこでついに行動に出た。まず朝ご飯はパンでなく、フォーにしてくれるように要求。そして明日の昼も、ホテルに戻るのではなく、外でランチを食べるので、弁当を作るように依頼した。これはM先生から『昼にホテルに戻る時間がもったいない』とのリクエストによる。分かった、ということだったが、果たしてどうなることだろうか。まあ、それもワクワク材料。

 

ホテルの部屋では連日Sさんがすごい音を立てていた。最初はシャワーを浴びているのかと思っていたが、実は洗濯していたのだった。しかもただの汚れ物を洗うのではなく、道で拾った布きれを一生懸命に洗っていたのだ。一度ではとても落ち切れない汚れ、なぜそれ程までに頑張るのか。それはその布に古い刺繍が施されていたからだ。その刺繍が気にいったSさん、最終的にこれを自分のジーンズの膝当てとして見事に再生させた。後日見たその布きれは、非常にジーンズにフィットしていて、皆を驚かせた。凄い才能と言わねばなるまい。

 

10月30日(金)

朝からフォー

ついに翌朝のご飯にフォーが出てきた。チキンが入っていた。久しぶりに麺を食べられる幸せ、皆さん満足ではなかっただろうか。日本人はきっと皆麺好きだ、ということだろう。実はこの日の朝は、鳥のさえずりではなく、豚の悲鳴がホテル周辺に響き渡っていた。昨日市場近くで見た豚売りのバイクが、ここへやってきたのだ。簡単な価格交渉があり、ホテルの人がお金を払うと、バイクの後ろに括りつけられた豚は引き渡され、そしてそのまま裏へ。その間の悲鳴は見ていられないほどだった。気の弱い人なら、当分は豚肉など食えないかもしれない。

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馴染みになった厨房へ行ってみると、ここも珍しく活気があった。何と我々の弁当を作ってくれていたのだ。プスチックケースにご飯を詰め、その上に卵焼きが置かれた。そしてそこへ、ヘルメットを被ったおじさんが、何かを持って戻ってきた。見ると太いソーセージだった。どこか他所で焼いてもらい、バイクで取りに行き、そのままの格好で、弁当に詰めている。これはこれでとてもユーモラスな光景だった。

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モン族の家

今日はモン族の村へ行ってみる。基本的には林に分け入り、タリエンシスなどを探すためだった。ただ何の案内もなしに分け入ってもどうにもならない。近くの小川で洗濯している女性たちがいた。すると集落近くにおじさんが立っており、こちらをジッと見ていた。変な奴らが来たな、と見張っていたのかもしれない。運転手が趣旨を説明すると、おじさんは笑顔になり、率先して、案内を買って出てくれた。

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この付近にも人工的に植えられたとみられるタリエンシスの木があった。商品化の計画があったということか。おじさんもこの葉を摘んできて、簡単に自分でお茶にして飲むことがあるという。林には多種多様な木々が植わっていたが、やはり昨日までの調査と変わったものは残念ながら発見できなかった。

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おじさんが家へ来いと誘ってくれたので、行ってみた。家のすぐ近くには背の高い喬木がそそり立っていた。この家の歴史は相当に古いらしい。数代前に中国から来た。馬も飼われている。家の中は薄暗いが天井が高い。家の壁には、なぜか摘んだ葉っぱが挟み込んである。一通り話を聞いて外へ出ると、ちょうどおじさんの家族が帰ってきた。畑はかなり遠いとろろにあるらしい。

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今日は木材を調達してきたようで、背負っている。再度家の中に入り、話をはじめる。息子は、竹で出来た楽器が吹ける。奥さんは踊りが得意、などいかにも少数民族らしい会話が続く。実際に息子が吹いて見せてくれた。Sさんも楽器を借りてチャレンジ、微かに音が出ていた。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(11)ヤオ族の葬儀

市場で茶葉を発見

ヤオ族の家を辞して、再び市場へ向かう。もうここでの目的はほぼ達成されたので、時間つぶしのようなものだった。Sさんは相変わらず、昨日も訪ねたヤオ族の包丁屋に寄って、飽きもせずに、鉈や包丁を眺めている。道ではバイクの後ろに豚が括り付けられて売られていく。何とも言えない。

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市場に入っていくと、Uさんが生葉を発見。Sさんが買い取り交渉に入る。ガイドがいたので通訳を頼んだが、売り手が5000ドンと言っているのに、『1万ドン払ってやって』と自分の意見を入れてくる。Sさんも仕方ない、といった表情で、1万ドン札を出した。そして皆で記念撮影。いいんだか悪いんだか、よく分からないが、何となくそれでよくなるところがいい。

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隣では、蜂の子を売っているが、その横にはさんまのような魚も置かれている。更にその横には、蛙が。そして幼虫も。これらは魚を除いて、ミャンマーなどの山の中でもよく見掛ける品々だった。だがなぜここにさんまがいるのだろうか。これを焼くと美味そうだな、と思ってしまうが、実際はどんな味だろうか。

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市場を出ると、Sさんが携帯ショップへ寄る。既にここの店員とも仲良しになっている。彼らは片言の英語を話し、日本人にも興味を持っているので、にこやかに談笑している。スマホでSさんを写真に収めている。ちょっと前なら携帯ショップだが、今やあっという間にスマホショップに変わろうとしている。先ほどの中学生ですら使っているスマホ、中国あたりから安い製品が入ってきており、この田舎ですらかなり普及しているのには驚くばかりだ。

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部屋に戻ると、Sさんが私の買った柿を剥いてくれた。さすが、鉈のSさん。手の動きが素早い。そしてその柿を食べてみるとかなり甘い。実は先ほど市場で、この柿がどこから来たのかを調査してみたのだが、箱に漢字が書かれていたことからすると全て中国製だ。ベトナムでも中国産は嫌われているのかと思っていたが、甘いので食べるということだろうか。いまだにハノイ空港のターンテーブルで見た、日本の柿が忘れられない。柿は高級品らしい。

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そしてまたいつもの部屋でランチした。さすがにもう飽き飽きしてきたが、一向に何も改善されない。これがツアーというものか。Sさんたちも、他に食べられるところはないか、ビールが飲める店はないか、と道を歩きながら見ていたが、確かにちゃんとした、日本人が入れるような店は見付からない。まあ私とSさんだけなら、どんなところでもよいのだが。

 

ヤオ族の村訪問

午後はヤオ族が多く住む村を訪ねることになった。20分ほど車で行くと、田植えが行われた水田が見えてくる。そして村の入り口に車を停めて、歩きだす。周囲の村人が珍しそうに我々を眺める。いい感じの古い家が並んでいる。ヤオ族の衣装を着たおばさんとすれ違った時、M先生が話し掛ける。耳や首に付けているアクセサリーが珍しい。よく見ると、そのアクセサリーには漢字が刻みこまれていた。単なるデザインとしての意味しかないようにも思えるが、こんなところにも漢字が使われているのを見て、何となく感動してしまった。

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村の細い土の道を、フラフラと歩く。いい感じに蛇行しており、アップダウンもある。気は植えられているが、茶の木が見られることはない。垣根の隙間から家が見られるところもある。石垣があるところもある。そして一人のおばさんを捕まえて、話を聞き、彼女の家を訪問することになった。

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家に招き入れられたが、何やら慌ただしい。息子や近所の人達が、鉄の釜に何かを入れて作業していた。おばさんは湯を沸かし、我々にお茶を淹れてくれようとしたが、近所の人が引っ切り無しにやって来て、その対応に追われている。ガイドによれば、この家の親戚に不幸があり、これから葬儀があるというのだ。何というタイミングでここへ来てしまったのだろう。

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ちょっと話を聞いて、すぐに失礼した。葬儀の準備なのに、釜に黒いものを入れて何を作っていたのだろうか。後で聞いてみると、何とそれは火薬だった。勿論ベトナムでも民間人が火薬を作ることなど禁止されているはずだが、田舎の風習として、葬儀に使う少量の製造は許されているらしい。それにしてもこの火薬は葬儀でどのように使われるのだろうか。

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外へ出て、また村の道を歩いていると、向こうから、人々がやってきた。10人以上の男性が棺を乗せた丸太を肩に担ぎ、その後ろからも大勢の村人が付き従う。死者に村を見せるため、一周するのだという。一番後ろから、喪主である男性が馬に乗って行った。これからどんな儀式があるのだろうか。

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そう思っていると、突然目の前で、男性が何かをした。すると大音響で爆発?が起こる。あまりの凄さに、写真を撮る手がブレブレとなり、その音の大きさに心臓が高鳴った。村の各地で哀悼の意を表して、この大きな音を響かせるらしい。それにしても予想以上に威力がある。亡くなった方は70代の男性ということだった。ずっとこの村で一生を送ったのだろう。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(10)ヤオ族の家先単

今朝は朝9時に公安を訪問した。何か怪しいことをしたわけではない。実は折角ここまで来たのだから、この場所の正確な位置を知り、周辺の村の情報も得るために、地図を入手したかったのだ。研究者としては当然の行動だろう。だがホテルでも村の中でも地図はどこにも売っていなかった。ホテルのロビーにかかっていた地図が欲しいといっても、ダメだと言われていた。中国でも辺境地区の地図は非公開になっているところが多い。公安の許可が必要だ。

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ガイドが公安に聞いたところ、取り敢えず『公安まで来い』ということになったらしい。公安は村の真ん中にあった。何かの会議をしているのか、我々が珍しいのか、大勢の人が建物の中にいた。皆がこちらを見ている。招き入れられるのかなと思っていると、ガイドが出てきて、『帰るように』と言われたという。地図は外国人には提供できない、ということだ。では何でこんな面倒なことをしているんだ。この辺がベトナムの良く分からないところだ。

ヤオ族の長老を訪ねる

ホテルの後ろにはかなり立派な家があった。皆でそこへ入ったが、ヤオ族の長老の家は更に後ろだという。後ろの木造の家は古びていたが、風情があった。そして何より、入り口に中国の対聯と呼ばれる一対の紙が貼られていた。その内容は漢字で書かれている。しかもその字は新しい。最近誰かが書いたものと見受けられる。中国国内ならまだしも、現代のベトナムで漢字を見る機会は稀である。ましてや、この田舎で、しかも中国で言う少数民族の家なのだから驚きである。

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向こうからお婆さんが、孫に介添えされて歩いてきた。伝統的なヤオ族の衣装を着ている。おじいさんも出てきた。我々の人数が多いのを見て、この家ではなく、新しい立派な家で話そうと、向こうへ行く。階段を上がった2階はかなり広かった。老人は昔ながらの家に住み、若い者は新しい家に住んでいる。

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M先生は早速、質問を始めた。この一族はおじいさんの祖父の代に、中国からやって来て、ここで焼畑をしていたらしい。ただ先祖が茶を運んできたとか、雲南省から来たとかいった話はなかった。現在ここの家族は、四世代に渡っており、大家族と言える。M先生は突然、紙に漢字を書き、『これはあるか?』と紙を見せる。通訳していたガイドには何のことか分からなかったようだが、長老はちらっと見ただけで『あるよ』と首を大きく縦に振った。

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我々見ている者は、ある意味で狐につままれたよう気分になる。一体M先生は何と書いたのか。それを見に行くと、『家先単』と書かれていた。それこそ、これは何だ?長老は息子に頼み、その家先単を持って来させた。大切に保管されているのだろう。そこにはやはり、漢字が書かれている。覗き込むと、全て漢字で名前が羅列されている、一種の家系図のようなものだった。誰の所にどこから嫁が来たか、などが詳細に記されている。この家の名字は『焦』というらしい。

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M先生によれば、『ヤオ族は基本的にこれを持っており、漢字を扱う』という。長老は、簡単な中国の標準語を話すことも出来、これまたビックリ。しかも自分の父親から習った口伝だというのだ。漢字を書くことも出るのだろう。これまで中国に30年以上関わってきたが、これぞ目から鱗だった。そんな民族がいるとは初めて聞いた。当然漢族との関係が深いのだろう。

この旅の中でM先生から何度も『ヤオ族と焼き畑、そして茶の繋がり』について、教えを受けていた。なるほど、と頭の中では思っていたが、このような現実を突きつけられると、とてもリアリティを持って躍動してくる。歴史とはそのようなものだろうか。だから私は茶旅をする、そういうことだろう。本に書かれたことを一生懸命読むよりも、目の前の現実を見つめたい。

そしてヤオ族と茶について、少しでも考察を広げられればと密かに考える。日本でヤオ族に関する文献は多くない。ましてやヤオと茶についての本などない。M先生は研究の集大成として、現在この出版を検討しているという。失礼ながら、一日も早い出版を願う。そしてそこから、日本に仏教以外のルートで茶が伝わった可能性などについて、勉強してみたいと思う。

Uさんが突然、抹茶を立て始めた。いつの間に道具を持ち込み、湯を得たのだろうか。これもまた不思議なタイミングだったが、この家の家族は、皆面白がって飲み始める。だが、飲んだ後はほぼ無言だった。これまで飲んだこともないお茶、なかなか受け入れるのは難しいようだ。

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中学生の孫娘は好奇心旺盛だった。Uさんと片言の英語で何とかコミュニケーションを図り、いつの間にかFacebookで友達になっていた。Uさんが日本語を使っても、翻訳機があり、Uさんも彼女のベトナム語が読める。ベトナムの田舎でも、今や普通にFBが使われている。そして彼女のFB上の友達は何と1000人を数えるそうだ。FBとスマホは我々の想像をはるかに超えて、世界を変えたかもしれない。

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(9)釜炒りと包丁談義

その中にちょっと目を引く大きめの葉っぱがあった。『これはアッサミカかもしれない』とY先生が言う。この喬木でちょっと先が曲がったこの葉っぱ、お茶の世界では大葉種と呼ばれるものに近い。えー、ここにも雲南のような大葉種があったんだ、それならタリエンシスを探すより、更にお茶に近いじゃないか、などと思っていると『でもこれはちょっと前に人の手で植えられたもの』と言われてがっかり。自然界に人間は色々なものを持ち込んでおり、それが混ざり合って、林や森が形成されている。それは決して自然な状態ではなく、別の変化をもたらしているということだろう。

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取り敢えず今日の作業を終了して、ホテルに戻ることにした。田舎の道沿いには、ちょっと場違いな近代的な建物が建っていた。よく見ると『幼稚園』と表示されているが、中には誰もいなかった。遊具なども日本と変わらないようだ。きっとどこかの国のNGOあたりが支援で建てたのだろう。いや、小学校を建てたという話はよく聞くが幼稚園まではどうだろうか。モン族の子供たちがここへ通ってくるのだろうか。何だかとても興味をそそられる。

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包丁じいさん訪問

ホテルに戻る。今度はヤオ族を探し、情報を求めることになる。運転手が情報を持ち込み、ホテルのすぐ裏にヤオ族が住んでいると分かり、訪問する。行ってみると、長老は留守だというので、ちょっと待っていると、オートバイに乗ったおじさんが帰ってきた。家は高床式で1階が空いたスペースになっているので、そこに椅子を並べて座り、話を聞くことになった。

 

ところが、この人は長老というほどの歳でもなく、またヤオ族の伝統や、この付近のヤオの歴史については、あまり知らないということが分かる。勿論先祖がお茶を持ってきたかどうかも全く知らなかった。しかしよく見るとこの人、昨日Sさんが市場の帰りに眺めていた包丁を売っていた、何とあのおじさんだったのだ。これには何ともご縁を感じてしまう。

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更にこの家の裏に80歳代の長老が住んでいると教えてくれたが、もう陽が沈もうとしていた。さすがに今日は遅いということで、明日の朝訪問することになった。Sさんはガイドを通訳にして、おじさんと鉈や包丁談義をしている。朝は茶作り、夕方は包丁談義、何という幅の広い人なんだ、と感心する。

 

美酒(茶)に酔う

今晩は揚げ春巻きが出てきた。しかしこれだけ同じ場所で3度3度の食事をすることなどあり得ないだろう。今日はタリエンシスの大輪の花を発見したということで、Sさんが持ち込んだ日本酒で皆さんは乾杯した。これまでは地元のビールを飲んでいたので、日本酒は美味そうだった。

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そしてこのホテルの自家製酒に手を出すかどうか迷っていた。ここでは、隣の部屋で酒が作られている。密造酒?まあ、この田舎なら許されることだろう。しかしこのホテルでは酒を入れる容器がないのか、水を入れるのに使っているペットボトルに入れていたので、水と間違えて注いでしまったこともある。かなり強烈な酒の匂いがして驚いた。何とも紛らわしい。

 

部屋に帰ると、Sさんが『お茶飲みましょう』という。私がバッグを漁っていると、何と福建の大紅袍が飛び出してきた。何だか無償に飲みたくなり、淹れてもらう。Uさんも誘って飲み始める。正直ベトナムの渋いや青臭い緑茶を飲んできたので、この濃厚な香り、深い味わいに圧倒される。大紅袍って、こんなに美味かったのか、中国茶は奥が深いなと堪能した。

 

10月29日(木)

朝から釜炒り

翌朝も早く起きる。いつもの朝食を済ませると、SさんとUさんの姿が見えなくなる。厨房の方に探しに行くと、2人とも既に厨房内で何かを始めていた。Sさんは昨日干していた茶葉を使い、中華鍋を探し、釜炒りをしようとしている。Uさんも手伝って、茶葉を鍋に投入。慣れた手つきで釜炒りが始まる。

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よく見ると従業員の女性たちは朝からインスタント麺を食べている。我々もパンと卵焼きばかりでなく、フォーぐらい食べたい、と後でガイドに訴え出る。実はガイドと運転手も麺を食べていた。何で我々だけ、いつも同じ食事なんだ。あまりにも工夫がない。これはアレンジした旅行会社の怠慢だろう。

 

そんな雰囲気を察したのか、従業員の女性がUさんに『麺食べる?』と聞いてきてくれた。美味そうな麺が湯気を立てていた。SさんとUさんは言葉も通じていないのに、本当にこの厨房に馴染んでいた。Uさんには是非『アジアの厨房から』というテーマで、各地の宿の厨房に入り込んでレポートしてもらいたいと思う。

 

Sさんは釜炒りを終了。それからどうするのか、と見ていると、何と横にあった電子レンジに茶葉を突っ込み、乾燥を行っている。この手法、確か昔、入間に行った時、小学校の授業でやっていると聞いた記憶がある。このベトナムの山奥で、電子レンジを使う、何とも柔軟な発想だ。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(8)タリエンシスの花

もっと色々あるよ、とばかり副委員長は先頭を切って歩き出し、別のところにも案内してくれる。公安はいつの間にか姿を消していた。どう見ても怪しい行動ではない、と判断されたようだ。そして山の中で訳の分からい行動をしている我々には付いて行けない、ということで退散したのだろう。家が数軒見えるが、誰も人がいない。皆農作業に出てしまっている。

 

私は普段、道を歩いていて、周囲の草花に関心を持つことは殆どない。だがこの旅では、皆さんが『あれは何だろうか』と言いながら、熱心に道の脇の花や木を眺めており、土壌を確認し、その違いや類似性を克明に検討している姿を見て、驚くと同時に、『日頃の行い』の大切さも痛感する。急にやれ、と言われてできるものではない。これからは日本でも他のアジアでももう少し関心を持って歩こう。ただそれにはもう少し花の名前など覚えないといけないが、どうすればよいのだろうか。

 

そういう目で見ていると、1本の木なのに、葉っぱの色が上と下で違っているものもある。土壌から来る変化なのか、気候の問題なのか、変異しているのである。Y先生などは、すぐにそれらを見つけて写真に撮り。考察を加えている。プロだから当然、と言わばそれまでだが、やはり目の付け所が違う。植物学的には、変異というのはとても重要なものだろうか。

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そして別の林の中に分け入った時、突然Sさんが『花が咲いている』と声を上げた。これまでもキッシーの花は沢山咲いていたのだが、木と木の間に大ぶりの花弁が見えた。Y先生が『これは本当に珍しい。タリエンシスの花だ。自然界の中でこの花を見るは私も初めてだ』と興奮した様子で話す。確かにその花は堂々として風格すら感じさせるもので、単に歩いていてはとても見つけられないような位置に咲いていた。『この旅の最大の収穫』と位置付けられた。

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実はY先生に講義を受けながら歩いていたのだが、植物学的にはこうだ、という話が沢山出てきた。お茶の世界で言われていることは、植物学とは根本的に違っているのだが、何度聞いても頭に入らないのは、既に中国茶の世界の知識がこびり付いたせいだろうか。『5から3だよ』と何度も言われる。タリエンシスかシネンシスかは、実は花のめしべの数で分かるのだという。だから花を探している、そのめしべや花弁の数を確認しているというのだ。

 

その数が5ならタリエンシス、3ならシネンシス。そして植物学的には、その変化は大きな数字から小さな数字にしかなり得ないという。ということは、タリエンシスが何らか変化したものが、シネンシスだということ。雲南から東に向けて移動する過程で、5→3になったのではないか、だから雲南にはタリエンシスがあり、アッサミカもあり、それが福建などではシネンシスになっているでは。かなり本質的で奥の深い話だ。因みに植物学には大葉種とか小葉種などという概念もないそうだ。正直、この山の中で頭はどんどん混乱していった。

 

更に行くとタリエンシスの大木も目に入ってきた。副委員長は何とその木に登り始め、葉を採って降りてきた。その素早さは信じられないほどであり、『地元の人間はこうやって採るんだ』と示してくれていた。既に木の下の方の葉は人の手で採られており、男たちは必要があれば木に登るらしい。このタリエンシスの葉を使った茶がこの地区で常飲されていることが認識できた。これにより、M先生の今回の目的は一応達成されたといってよい。後はヤオ族だ。

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この地区にはプロジェクトにより植えられた山茶花栽培地があり、そこは金網で保護されている。当然ながら、何も囲わなければ、山の中のものは村人の共有物として、誰かが採ってしまうのだろう。こんなところにも、豚の親子が楽しそうに寝転がっている。実にのどかな風景が見られた。

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ランチタイムは茶作り

ランチの時間になり、一度ホテルに戻った。ちょっと酸っぱい魚のスープが出て来た。これには、漬物にした菜っ葉のようなものが入っているようだ。Uさんが、どこからか生葉を持ってきて、テーブルの上で簀子のようなものを取り出して、葉を揉みだした。さすが茶畑をやっているだけあって、慣れた手つきで揉んでいる。そしてその葉を蓋碗に入れて、飲んでみることに。当然ながらかなり青臭いが、これもまた一種のお茶であろう。こんな芸当ができるUさんに感心した。

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一方Sさんは朝干し始めた茶葉の笊を持ちあげて、揺らしている。揺青しているのだ。もう本格的な茶作りの現場のようになってきている。地元の人間も興味深そうに眺めている。朝みたように、彼らはここまでちゃんと茶を作らずに、Uさん方式で、葉を揉んでそのまま飲んでしまうが、このようにちゃんと天日で干して、茶作りをする知識は持っているようだ。

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午後は副委員長の家を訪問した。その付近にも茶樹があるということだった。家でちょっとお茶を頂き、そのまま集落の裏山へ向かう。確かにこの辺にも林の中に喬木が見られ、また後から植えたらしい木々が沢山見られた。茶を飲みたければ、この辺の葉っぱを採り、自ら加工している茶を作るという。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(7)茶作りとタリエンシス

10月28日(水)

生葉発見

翌朝も天気は良かった。朝7時には皆が揃って朝食。同じ部屋の同じ席に座って食べている。これで3食連続だ。如何にも日本人らしい。朝食はパンと卵焼き。まあこんなものだろう。食後にお茶、というのがこのメンバーの常識であり、ホテルにある渋いお茶を淹れて飲む。しかしそれに飽き足らないSさんは、厨房の方に突入して、何やら家探しを始めている。

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そしてついに厨房脇の部屋の隅に放置されている生葉を発見した。どうするのかと見ていると、そこにいたおばさんに生葉を指さし、『これを分けてくれ』というジェスチャーをしている。だがおばさんは『これが飲みたい』と解釈したのか、突然水の入ったボールに生葉を浸し、葉を手で揉みくちゃにし始めた。手もみ?それをポットに入れて、さあ飲めと言われたのは驚いた。

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普通ならこんな面白い体験に満足して、そのお茶を飲んでみるだろう。だがSさんはあくまでも初志貫徹、そんなことでは怯まない。おばさんに再度アタックして、ついに生葉をゲットしてしまった。勿論お金を払おうと紙幣を見せたが、おばさんは笑顔で、そしてちょっと怪訝そうに、ボールに一杯の茶葉を差し出した。確かにこんなところに日本人がやって来て、生葉を欲しがっている。一体何をするのだろう、不思議がるのも無理はないだろう。

 

Sさんはその葉を持って外へ出た。そこにはちょうど良い大きさの笊があった。その笊に葉っぱを入れて、天日干しを始める。これで完全に茶作りの体勢に入った。これまで茶畑見学に行き、色々な人を見てきたが、その葉を使って自分で茶を作り始めた人を初めて見た。ホテルのベトナム人も何が起こったのかと見に来たが、Sさんの行動は皆に理解されたようだ。そして何と我々が出かけた後、誰かが太陽の移動に合わせて、その笊を動かしてくれ、午後には日陰に置いておいてくれた。全く言葉を介さない、すごい文化の交流だ、と思えた。

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サーザーフィン村の副委員長訪問

今日も車で昨日と同じ村へ行く。サーザーフィン村というらしい。辺鄙な中に村役場があり、副委員長なる人物を訪問した。こういう公式の場には、例の公安も付いてきている。何やかんや言っても、ベトナムは世界で5つ残された社会主義国の1つだ。どんな村にも党支部があり、支部委員なるものが存在する。そして外国人の辺境訪問には形式的にチェックが入る。

 

その副委員長はまだ若者であり、党の指示で別のところからこの村に派遣されたよそ者だった。中国でもこういう経歴で、偉くなっていった人を見てきたが、今のベトナムではどうだろうか。因みに公安も他所から出張してきているようだったが、どう見ても仕事をするような雰囲気は持っていない。

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サーザーフィン村の人口は約2000人、大半をモン族が占めており、ヤオ族は150人、キン族(ベトナム人)は僅か65人しかいないのだという。因みにシンホ全体の人口は約6.5万人。内モン族とタイ族で35%、ヤオ族も28%いるという。実はM先生の狙いはずばりヤオ族。この移動民族こそが、茶の伝播に大いに関係しているというのが、長年の先生の研究結果であり、今回もタリエンシスの探索と共に、ヤオ族の動向を掴むことが主目的であった。

 

そういう意味からすると、サーザーフィン村にはヤオ族が少ないため、ここ以外へ行ったほうが良さそうだと思ったが、副委員長は実に親切で、この村の状況を説明し始めた。既に昨日見たとおり、この村には山茶花が植えられているが、あれはハノイ大学の先生など、ベトナム人がやって来て、海外からの支援をテコに、油を取るためのプロジェクトを始めたということだった。その結果、邪魔になったタリエンシスが切られている、という事実を裏付ける発言もあった。そしてこの油を購入するのは何と中国人だという。化粧品など、色々と使い道があるらしい。

 

そして彼は、彼らのいうところの茶(タリエンシス)がある場所を知っているので、案内してくれるという。また歩いて山の中に突撃した。そこには確かにかなりの大木となった茶樹のような木が何本もあった。M先生とSさんが突進して確認をはじめ、最後はY先生が判定を下す。『そうだ』となれば、M先生が『メジャー』と言い、Y先生が巻き尺を取り出して素早く太さを計っている。そしてM先生が写真に収める。何とも見事な連係プレーだった。

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一方Sさんはその付近に分け入り、花や実の探索に余念がない。それらが見つかると、またY先生に鑑定を頼む。相変わらず私には何のこっちゃ、分からないのだが、『これはいい実ですね』とか『植えたら育ちますよ』などという声が聞こえてくる。最近は日本でも種から植えることは少ないと聞く。ただ種から植えた方が、キチンと根を張りよく育つとも聞く。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(6)植物学的にお茶を考える

山中へ突撃

そしてついに声が掛かり、郊外へ出発した。車で30分ほど行き、取り敢えず前回M先生らが訪ねたあたりを散策して、目的のものを探すことになった。その目的に物とは『茶(カメリアシネンシス)』ではなく、『カメリアタリエンシス』という別物だという。植物学者のY先生にその違いを伺ってみた。今回の旅では、従来のお茶の専門家という概念ではなく、この植物学という観点から、詳細なお話をして下さるY先生の存在は実に貴重であり、また新鮮であった。

 

お茶の樹は、ツバキ・サザンカと同じツバキ科の多年性植物で、学名を「カメリアシネンシス」という。茶樹の品種は大別して、中国種(シネンシス)とアッサム種(アッサミカ)の2種である。中国の雲南省などにある茶樹王と呼ばれるような大木の多くは、カメリアシネンシスではなく、同種であるカメリアタリエンシスではないかという。確かになぜ茶の木があんなに大きくなるのか、不思議に思っていたが、やはり違うものだったのだろうか。

 

M先生からも『今回の旅に茶はないよ』と言われていた意味がようやく分かってくる。M先生の研究対象は、茶のルーツであり、雲南省付近がその源流だとしても、それからどのように伝播してきたのか、一体どのような経緯で伝わっていったのか、誰が伝えたのか、それを知ることだと分かる。

 

車で30分ぐらい行くと、前の車が見えなくなっていた。迷子になってしまったのか。こんな山の中でどうやって探すんだ。運転手同士は携帯でやり取りしているが、目印もないので、お互いの位置もよく分からないらしい。M先生の乗る1号車の運転手は、前回も同行しているので、彼は先生の意図が分かっていたが、我々の運転手は初めての場所で困っている。

 

何とか追い付くと、既にM先生、Y先生共に、林の中に分け入っている。正直私など素人には、何が何だか分からないのだが、『あれはタリエンシスではないか』と見るや否や、M先生などは、物凄い速さで歩いていく。そのスピードはとても85歳には思えない。普段は普通の80代の歩き方なのに、どうやってあんなに急にスピードが出るのだろうか。これぞ、好きなものには目がない、というのか、脇目も振らず、というのであろうか。これぞ研究者!

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何となくお茶の葉っぱに似ているような、似ていないような。私にはどうしても判別が出来ないのだが、植物学者のY先生は瞬時に、『これは違う』と言い、歩を進めていく。Sさんが『茶の花に似ていますね』と指す方を見ると、確かに沢山花が咲いている。10月頃といえば、日本でも茶の花が咲く季節。Y先生は『これはカメリアキシーでしょうかね』と言い、ツバキ科の別物らしいことを示唆する。

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私はこれまで木や花をまじまじと見ることなどなかったことに気が付く。サクラや梅は見慣れているので分かるが、他のものは区別できないし、名前を知らないものが大半だ。茶樹も植物的観点から見る必要があることを痛感した。『大切なのは葉や木ではなく、花だ』と言われ、ハッとする。栽培されたお茶の世界、茶農家の世界では『茶の花が咲くのは恥』という言葉を聞いたこともある。花が咲くのは栄養が足りないから、ようは肥料をちゃんとやっていないという意味だというのだ。花が咲くのは種族保存の原理だった。そしてその花の中に秘密が隠されている。

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花が咲けば実もなっている。Sさんが林に分け入り、懸命に実を探している。この実が下に落ち、そして発芽する。芽が出て根を張り、徐々に成長する。これまで見てきた茶畑は、基本的に茶農家が育てているため、このような基本的な生育に思いが至らない。今年の初めにもここへ来たにも拘らず、なぜこの時期にM先生がここを再訪したのか、それが段々分かってきた。

 

また別のところへ踏み込んでいく。すると、少し大振りで硬めのしっかりした葉が見つかった。どうやらこれがタリエンシスではないか。やはりここにはタリエンシスがあったのだ、と皆が喜ぶ。ただその数は多くはない。途中には油茶を採るため山茶花が人の手で植えられていた。この付近でも油が商品になる、金になると分かり、従来植えられていたタリエンシスは邪魔なので伐採対象となり、代わりに山茶花が植えられたようだ。研究上タリエンシスは重要だが、村の人々にとっては、たまに葉を採り、茶を作るだけの存在だということだ。

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そうこうしている内に、1日目の探索は終了した。ホテルに帰り夕飯を食べる。豚肉、鶏肉、ソーセージ、卵焼と、豪勢な料理が出てきた。特に自家製のソーセージが美味い、ということでお替りを頼んだ。本当は村のどこかのレストランで食べたいと思ったのだが、これはツアーで決められているため、自由行動は出来なかった。

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夕飯後、Sさんが昨日入手したベトナムの渋い緑茶を淹れてみた。淹れ方によって味が変わるのではないか、と思ったが、なかなか難しい。するとTさんが抹茶を淹れ始める。さすが西尾のお茶屋さん、慣れた手つきで茶筅を使う。お菓子まで頂き、皆が抹茶を頂く。お茶関係者の集いはこれだから面白い。日本でも滅多に飲まない抹茶を、まさかベトナムの山奥で、抹茶を頂くとは。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(5)シンホ村の市場で

5.シンホ

シンホ村まで

ホテルをチェックアウトして、最終目的であるシンホ村を目指して出発した。川には霧がかかり、周囲は見え難い。川はせき止められ、ダムになっているように見える。そこから道を上っていく。山も霧で溢れている。朝、山に霧がかかっている、そこに茶畑がある、というのがこれまでの1つのパターンだったのだが、今回は残念ながらどこまで行っても茶畑が見えることはなかった。時間が経つにつれて、霧が晴れてきた。眼下の景色がとてもよくなる。豚が囲いで飼われていた。

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2時間ほど、きれいに舗装された道を車に揺られて行くと、標高1500mのシンホに着いてしまった。何とも呆気ない。そこには村があり、商店なども見えた。そして宿泊するホテルも、昨晩のリゾートホテルほどではないが、このあたりにしてはかなり立派な造りだった。前回はこんなホテルはなかったということで、M先生も驚いていた。サバイバルはなくなった。

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ここでも、心配は杞憂に終わった。そればかりか、ネット環境は昨日より遥かに良く、スピードが速い。ただスマホはロビーでないと入らないことが多かったが。M先生やTさんは階段を上がるのが大変、ということで1階の部屋に。私とSさんは相変わらず同室のまま、2階へ。2階の部屋でも、ネットが繋がったので、ここに4泊する身としては大変助かった。

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市場で

時間はまだ午前中。昼ご飯前に散歩方々、市場見学に向かう。この市場には少数民族の女性たちも商品を並べて売っていた。M先生は前回この市場で仲良くなったモン族のおばさんの写真を持って、再会すべく訪ねたが、見付けることは出来なかった。Sさんは得意の切り込みで、生薬や民族服を探している。

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私は何となく、ハノイ空港のターンテーブルから出てきた柿を思い出し、そこに売っていた柿を手に取る。値段は分からないが、そんなに高くないだろうと、3つほど選んで、ミカンと一緒に買いたい、という仕草をすると、そこのおばさんが、何か言ったが分からない。1万ドン札を出して見せると、何と5万ドンだと言いながら、私の5万ドン札を奪っていった。

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これが高いのか安いのかよく分からなかったが、ガイドは明らかに高い、と後で言っていた。但し彼は市場で通訳する際は、顧客である我々の立場よりも、売り手の立場を尊重しているように見えた。何となく80年代の中国を思い出す。『あんたらはお金があるんだから、多少高くても払ってあげないよ』という雰囲気がある。

 

中国だとこの考えには反発する私だが、少数民族に対しては、寛容になるようにしている。その昔チベットへ行った時、不要の物を売りつけられ、要らないといえずに、ものすごく安い値段を告げると、相手のチベット人が『それでいい』と言って品物を置いていったことがある。彼女はそこまで現金を必要としていたわけで、私はそこに付けこんだ外国人になってしまったのだ。ものすごく後悔した、そのトラウマがある。漢族なら存する取引は絶対にしない、という思い込みがあったが、少数民族は事情が異なる、ということを肝に銘じた。

 

昼ご飯を食べる為にホテルに戻る。個室に入ると蒸した魚が出てきた。昼からすごいな、と思ったが、これは正直美味しいとは言えない。むしろ茹でた内臓などが、味があってウマイ。魚は貴重だから、歓迎のしるしだったのだろうが、地元の野菜などが食べたいと思った。だが何故か野菜は乏しい。

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このホテルにはフランス人の男女が3人泊っていた。何と下から自転車で上がってきたという。車で来た我々は呆気ないと感じた道だったが、自転車で上がるとなるとそれは大変だ。しかも彼らにとって、ここは特に見るべきものがある場所でもない。旅にも色々なスタイルがある。

 

午後、やることがないので、再度市場へ行く。我々はこの時点では自由に動くことができなかった。何と今回の旅には公安が1人付いてくるというのだ。我々が危険な存在かどうかは別にして、国境に比較的近い場所での外国人の活動には一応警戒しているのだろう。さすが社会主義国、ちょっと緊張する。

 

市場ではUさんがおばさんたちに捕まり、『あれ買え、これが似合う』と言っては、服や小物、飾り物など色々なものを持ち込まれていた。それでもUさんは笑顔で応対している。言葉はほぼ通じていないのに、適応力の高い人だ。SさんもUさんも直ぐに現地に馴染める、そして現地の素晴らしい物を探し出してくる。私にはできない業だ。その間に私は市場をくまなく歩く。 

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帰りにSさんがある店で立ち止まった。見てみると包丁や鉈を売っている。普通の日本人でこれに反応する人は少ないが、彼は熱心に見始めた。見るだけだと思っていると、なんとこれを購入した。おじさんとは言葉は通じないが、笑顔で値段交渉までしている。このようなさり気ない日用道具に素晴らしいものがあるというのだが、私にはちっとも分からない。