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タイ茶を訪ねる茶旅2015(7)チェンライ タイ茶工場を見学して

少し待つと、林家の長男がやってきた。実に実直そうな青年で、見ただけで好感が持てる。英語も話せるので、彼の案内で工場に向かう。工場内にはお茶のいい香りがしていた。今まさに摘まれてきた生葉が運び込まれ、室内に広げられていた。これから緑茶を作るらしい。Cha-thaiは元々紅茶製造を主としていたが、近年は緑茶需要がかなり伸びているとのこと。そして茶葉はこの近辺だけではなく、チェンライ、チェンマイ、メーソンホーンなどタイ北部各地の茶農家から運び込まれてくる。何故この場所に茶工場があるのか、それは茶葉の集積地としてとても便利だからとすぐに分かる。

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社長であるお父さん、林さんが入ってきた。この地に工場を建てたのは30年前だそうだ。大量のタイ茶を作るには、原料である茶葉の確保が一番重要だったという。確かにタイ市場で大きなマーケットシェアを持つ同社の生産は半端な量ではない。タイ経済は常に順調ではなく、いや逆に常に何らかのイベントを抱えている中、庶民の味として生き続けていくこと、これは並大抵のことではない。

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第二次大戦後、タイにもアメリカ文化が流入し、コーヒーが入ってきたことは衝撃だった。同社のライバルは他の製茶メーカーではなく、コーヒーメーカーだという。但しスターバックスのような高額な商品は全く競合しないとも言う。タイ人はスタバでコーヒーではなく、アイスグリーンティラテなどを好んで飲むが、この料金は1杯120バーツ前後。同社のアイスグリーンティは僅か35バーツだからだ。この価格帯だと、景気変動にも左右されにくく、今日までやって来ている。

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また同社にとっても不可欠なコンデンスミルク、これをネスレなど外国勢に抑えられているおり、彼らに大きな収益を握られているのは痛い。しかし膨大な資本を持つ欧米企業ではないと、コンデンスミルクの設備投資はできないので、仕方なく彼らの製品を買っている、と嘆く。

 

話を聞いている間にも、茶葉は揉捻機に掛けられるなど、どんどん処理されていった。少し雨が降り出した。11時を過ぎるとランチタイムで従業員はバイクに乗り、家に帰っていく。この工場では地元住民を優先的に雇っている。『これも華人が地元と融和する1つの大きな手段』となっている。地元に支持されなければ、如何に大きな工場を建てても、最終的に上手くいかないのは自明の理。

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それから工場内のパッキング施設を見学、実に大量の段ボール箱が積み上げられていた。これが先日訪問したバンコック郊外の本社を経由して各地に配送されていくようだ。更には品質管理をしている試験室なども回ってみた。これからアセアンに大きく打って出る予定の同社、当然ながら国際基準での生産を進めている。

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我々もランチをご馳走になる。カオソイを食堂の人が作ってくれた。漬物と一緒に食べるとピリ辛だが、美味い。スッキリした緑茶がアイスで登場した。喉が渇いていたので、ごくごく飲む。林さんたち華人も自社製品のタイ茶ではなく、伝統的な釜炒り緑茶などを好むようだ。コンデンスミルクを入れた甘い物、ライムを絞った物など、様々なお茶が提供されて、試飲した。フルーツも沢山出てきて、有難く頂いた。何だか嬉しくてどんどん食べてしまった。

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社長とは打ち解けて別れがたかったが、工場を後にした。華人の家族経営、実に素朴でよかった。明らかにシンハの大企業経営とは違っていた。このような出会いは茶旅の醍醐味であり、更には低価格で庶民に向けて販売する、タイ茶のアセアン進出など、前向きの話は聞いていて嬉しくなる。

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ドイチャーン

そして今日はチェンライに泊まることにしているので、そちらへ向かった。だがまだ午後も早い時間ということで、近隣の山に入ってみる。Eさんが知っている風光明媚なスポットを眺める。この付近には元々茶樹が自生したのかもしれないが、新しく茶樹を植える、苗木を育てるなど、茶に関する新たな動きがあるように見える。茶葉の需要が増加していることが感じられる。

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山頂付近にはドイチャーンという有名なコーヒーチェーンの工場があった。ここには一般観光客用のショップがあった。そこで休息し、コーヒーを飲んでみる。お茶ばかり飲んでいたので、コーヒーをブラックで飲むと、その苦味、そして酸味が新鮮に感じられる。工場脇にはきれいな庭園があり、いい感じの建物があった。30年前にゴールデントライアングルの代替作物として、タイ政府主導でコーヒー栽培が始まったようだ。チェンライはお茶だけではなく、コーヒーで有名になっている。

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チェンライの街に車で送ってもらい、Eさんお勧めのホテルに投宿する。ここは何と数年前に私が偶然泊ったところだった。そしてその時のフロントの対応が良く無かったことを鮮明に覚えていたが、今回も全く変わっていなかったことに驚いてしまった。部屋代は150バーツも上がっていたのに。まあこれも運命か。

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チェンライの街も相変わらずそれほど発展しているようにも見えず、食事をする場所も探さないとなかなかない。夜は閉めてしまう店も多いのだ。のどかでよいとも言えるが、何もすることがないのはちょっと寂しい。

 

8月6日(木)

翌朝は6時半にまだ準備中のレストランで朝食を食べて、自らタクシーを拾い、チェンライ空港へ向かう。非常に長い旅が終わりを告げようとしている。腰はまだ痛く、足を引きずりながら、バンコックエアーに乗り込む。この航空会社はLCCではないので、空港内でジュースもくれるし、機内で簡単な食事も出る。ようやく少し落ち着いた気分になる。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(6)チェンライ 日タイ合弁会社のお茶

日タイ合弁会社が作るお茶

そして工場の前で停まる。何とそこには『丸善フーズ』と書かれていた。これがシンハと静岡の丸善製茶の合弁会社だと分かる。昨年合弁会社を設立し、早急に工場を整備して、昨年後半から生産を開始していた。日本語の出来る通訳の女性も付いてきてくれたが、中で待っていたのは日本人のTさんだった。

 

既に定年の年齢に達しているが、1年前にこの工場が作られた時から、ここにたった一人で赴任し、工場管理をしているという。生産現場にはタイ人スタッフも数人しかいない。住まいもこの敷地内とのことで、職住接近ではあるが、この付近には何もない。『時々チェンライの街に出るくらいが楽しみ。テレビはタイ語しかなく、何もわからない』というから生活は大変だと思われる。

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工場内には日本から持ち込まれた製茶機械がズラッと並び、日本の茶工場と殆ど変わりがない。確かに人手はそれほど要らない。現地の建屋と茶葉を使い、日本の機械で商品を作る、それは工業で言う加工貿易の形態に似ている。だが作られた商品が日本に輸出されるのではなく、タイ国内で販売されることに大きな違いがある。『シンハの販売網を使ってタイ人に煎茶を売っていく』のである。

 

実はバンコックで試飲した煎茶は『うま味』や『渋味』があまり感じられなかった。日本と同じ製茶機械を使っているのに、どうして日本とは味が違うのだろうか?茶葉が違うからだろうか、水が違うのだろうか。率直にそのことをTさんに尋ねると、『合弁パートナーの要請です』とあったさりと答えた。タイ側がタイ人向けに売るのだから、当然その好みに合わせて茶は作られる。そこでは日本的な『うま味』などの概念は取り払われてしまう。玄米茶が好まれるといえば、玄米茶を作ることになる。抹茶がブームだとすれば、日本とその概念が違っていたとしても、タイ人が求めるものを作っていく、それは当然のことだろう。

 

そしてオフィスに戻ると、タイ人スタッフがお茶を淹れてくれ、商品の試飲をしたが、煎茶はやはり日本とは違っていた。抹茶も日本で言うところの、抹茶とは少し違うような気がしたが、これが売れていくのだという。烏龍茶にはフレーバーが付いている。甘い飲み物だけがよい、という時代は終わりかけているが、今後タイの飲料市場はどのようになっていくのだろうか。

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ウインパオへ

シンハパークを後にして、明日のアポに備えて、Cha-thai社のあるウインパオへ向かった。ここはチェンライとチェンマイのちょうど中間にある、両都市を結ぶバスの通る街だった。私も過去2₋3回通過したことがあり、前回2月にはこの辺に茶工場があると聞いて、バスの窓から眺めてはいたが、まさかこの道沿いに茶工場があるとは思いもよらなかった。なぜここに?

 

今日は取り敢えず、宿を取り、泊ることにした。Eさんはと奥さんはいつも車でタイ国内中を旅しており、行き当たりばったりで、よさそうな宿を選んで泊っているという。今回もこれを採用し、勘に任せて適当に探していく。それほど大きな宿はなく、モーテルといった宿がいくつかあるだけだ。

 

その中で、比較的新しいところへ入る。料金も1部屋350バーツだったので、そこに決定した。部屋は三方に窓やドアがあり、外から丸見えだ。急いでカーテンを引き、何とか落ち着く。ネットはWi-Fiが飛んでおり、繋がった。駐車場は広く、土地は余っている。何とももったいないが、使い道がないかもしれない。のどかな空気が流れてくる。眠気が襲ってくる。

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まだ時間的には早かったが、5時過ぎには夕飯を食いに出た。道沿いにちょっと洒落た店があり、入ってみる。だが田舎のしゃれた店、というのは曲者だ。料理の味より、雰囲気などが重視されているようで、従業員にやる気はなく、サービスなどもよくはない。その割に料金は高い。やはりタイは屋台に限る、などと思ってしまう。食べ終わると外は真っ暗になっており、早々に宿に戻り、シャワーを浴びて、PCをやり、終わるとすぐに寝てしまった。

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8月5日(水)

Cha-Thaiへ

当然翌朝は早めに起きたが、特にやることはない。宿には朝食は付いていなかったが、あまり食欲もない。宿の事務所へ行くと、お湯があったので、お茶を淹れて飲む。これが一番落ち着くな。道路脇ながら、部屋は奥まったところに並んでおり、車の音などは気にならない。それほどの交通量がないとも言える。

 

9時半に宿をチェックアウトして、Cha-thaiの工場へ。今日も天気は良く、気温も高くはなく、快適だ。宿から5分も走れば着いてしまう。それほどに小さな街だ。少し早いが入ってみようと思ったが、3つある門はどこも閉ざされていた。仕方なく、警備員に主旨を伝え、開けてもらい、何とか中へ、入れてもらう。華人経営というのは、色々と考えなければならない。

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タイ茶を訪ねる茶旅2015(5)チェンライ シンハパークを訪ねる

※その後しばらくバンコックに滞在し、それからミャンマー激走列車旅に出た。そしてミャンマーのラショーで極度の疲労に見舞われ、這う這うの体で飛行機に乗り、タチレクにたどり着く。そこから橋を歩いて渡り、タイ側のメーサイで休養した。何とか腰痛が収まったので、先日行ったシンハとCha-thaiのチェンライ工場を訪問することにして、連絡を取った。

 

8月4日(火)

シンハパーク

メーサイのミャンマー国境近く、最初に泊まったホテルは虫が出て、疲れが取れず、一晩で退散した。次に見つけた宿は快適だった。長期滞在者用アパートを貸しているところで、清潔感があり、ゆっくりと静養で来た。何しろ腰が痛く、ネットをすることもままならず、寝ているのも苦痛だったが、それも時間が経過と共に、何とか改善した。その間にバンコックのシンハとCha-thaiに工場見学の依頼をした。ちょうど良い間合いとなり、アポが実現した。

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前回2月にお世話になったチェンセーン在住の日本人Eさんにも連絡して、同行をお願いした。回復したとはいえ、自分で重い荷物を持ち、バスに乗ってメーサイからチェンライの工場を訪ねていく自信はとてもなかった。Eさんが宿の脇まで車で迎えに来てくれ、荷物を積み込み、何とか出発した。雨が降り、国境付近は水が少し溢れていた。今は雨季である。

 

車は国境前から1時間近くかかり、チェンライの街を通り過ぎて、郊外の道を進んでいく。すると突然巨大な敷地に遭遇した。入口にはあの獅子のでっかい像が見えてくる。シンハパーク、ここがシンハの茶工場、茶畑、そして観光茶園であった。この場所には以前一度、チェンライ在住でコーヒーの焙煎をしているIさんに連れてきてもらい、ランチを食べたことがある。まるでゴルフ場のクラブハウスにいるように居心地がよい、と思った記憶がある。

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今回もまずは腹ごしらえ、とレストランに行き、ランチを食べる。ここのところずっと、タイの麺しか食べていなかったので、スパゲッティを注文したところ、実に濃厚で美味かった。体が洋食を欲していたのかもしれない。疲労が回復したことを実感した。お茶は敢えてホットの緑茶を注文したが、ポットにティーバッグが入って出てきた。少し濃いお茶を飲むのも久しぶりで、これまた舌に染みた。疲れを取るのも環境だと、と感じられたがどうだろうか。

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ここにはタイとは思えない環境があった。店内には大勢の団体さんが静かにご飯を食べていた。どこかの会社の研修旅行かもしれない。茶畑を見ながら、お茶を飲み、そして食事をする。このような場所を作り、茶の普及を図る、それは大資本を持つシンハだからできることではあるが、このように徹底的にお客を引き付ける施設の必要性は、日本も同じではないか、とふと思ってしまう。日本にもこのような場所はあるのだろうか。そして活用されているのだろうか。

 

食後茶畑を見る。大きな池の周囲を取り囲む茶樹の波。かなりきれいなうねりを見る。少し日本の茶畑に似ている。観光客の親子が楽しそうに茶畑に分け入り、遊んでいる。写真を撮る人々もいる。タイ人はお茶を飲まない、と言われていたが、それも少し変化してきていることが見て取れる。いや、茶を飲むというより、茶に親しんでいるということだろう。

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茶摘みをしている人達もいる。機械を持っていないが、手で摘んでいるのだろうか。この茶畑を見る限り、機械摘み用としか思えないが、一部手摘みもあるのだろうか。ここは標高も高くないので、茶葉がすごく良質、という訳にはいかないだろうが。どのようにお茶を作っているのか、興味が湧いてくる。

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約束の時間に敷地内にあるオフィスに方に向かう。既に本社から連絡が入っており、担当者が出てきて、歓迎される。まずはゴルフカートに乗って園内を一周した。ゴルフカートの使用にも色々とルールがあるようで、如何にも大企業といった感じがする。これは本社でも感じたものと同じだ。

 

敷地内には簡単な展示室もあったが、すべてタイ語で書かれており、特に説明もされなかったので、こちらから質問するしかない。だが通訳を介して話すので、なかなか進まない。Eさんは流暢なタイ語で色々と聞いているようだが、その内容も分からない。いずれにしてもこの茶園は出来て10年ほどと新しく、台湾から持ち込まれた茶樹、品種はキンセンであるらしい。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(4)バンコック 華人経営のタイ茶

7月10日(金)

サイアムスクエアー

翌朝はスッキリと目覚めた。やはり東京にいるより、バンコックの方が体に合っているらしい。日本人でなくなってきていることを実感する。ゆっくりと旅日記などを書き、昼前にバスでサイアムスクエアーに行く。今日は大学の後輩、Hさんと一緒に、タイ茶の調査に行くことになっており、まずはランチを食べるためにここに集合していた。Hさんは4年前にバンコックに少し滞在していたが、広州などで中国茶を習っており、お茶に対する興味は人一倍ある。

 

この一帯、昔来た時はごちゃごちゃと店が並んでおり、観光客で賑わっていた印象があったが、今は人通りも少なく、スッキリしている。BTSの向かい側には、サイアムパラゴンをはじめ、ショッピングモールがずらりと立ち並び、完全に圧倒されている。ただ昼前にこちらのモール群を歩いてみても、お客は殆どおらず、どの程度儲かっているのかはかなり怪しい。

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サイアムスクエアーでHさんが時々行くというレストランに行ったが、閉まっていた。何とも活気がない。仕方なく近くの麺屋に飛び込んでみた。エビ叉焼麺が美味しそうだったので注文したが、よく見るとなんと香港企業の出店だった。値段は屋台よりかなり高いが、ちょっとお洒落なのか、お客はそこそこ入っている。タイに出てくる香港企業、面白い構図だ。

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BTSサイアム駅から川向うの終点駅、バンワー駅まで乗る。いつの間にかBTSはここまで延長されていた。この駅の下には、現在工事中の地下鉄がここまで伸びてくるらしい。確かヤワラーなどを通過するものだが、川を越えてくるのだろうか?周囲は高層アパートも見えるが、何となく閑散としている。

 

Cha-Thai

ここでPさんと待ち合わせていた。Pさんとは2月にチェンマイでお茶イベントを開催した。実はその際、質問の中に『タイ茶はなぜオレンジ色なのか?』というのがあり、タイ人のPさんたちも答えられず、いつか一緒に調べに行こうと話していたのだ。その後Pさんの尽力により、それが今日実現したという訳だ。

 

タイ茶のメーカー、Cha-Thaiにコンタクトを取り、何とか約束を取り付けてくれた。彼らの本社はこのバンワー駅からでもかなり遠い。Pさんが車を出してくれ、何とか向かう。かなり田舎までやって来て、道に迷う。こんなところにタイの大手飲料メーカーの本社があるのだろうか?かなり不安になった頃、停まっているトラックのドアにCha-Thaiのマークが付いているのを発見した。

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そこは3階建ての個人宅のように見えたが、中に入ると、豪華なロビーがあり、更に2階に上がるときれいな部屋に通される。如何にも華人が好みそうは作りだった。今日は社長が会ってくれるというので、緊張していたが、出てきたのは20代に若い女性。彼女はパワーポイントで会社の概要などを説明してくれた。社員かとも思ったが、何となく品が良いので聞いてみると、社長令嬢だった。

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Cha-Thaiは1945年創業の華人企業。元潮州出身で、先祖は広東で貿易に従事していたが、1920-30年代にタイに移住。一族の一人がタイ人に飲んでもらえる茶としてタイ茶を考案したという。戦争前から売っていたが、戦後会社化した。最盛期は50社もあったタイ茶製造会社だが、現在は2社を残すのみ。Cha-Thaiのシェアは大きく、この市場を押さえている。元々茶を飲まないタイ人が好むお茶を、ということで、タイ北部で栽培されている茶葉を使い紅茶を製造し、そこにフードカラーを使ってタイ人が美味しそうに見えるオレンジ色にして見せたところ、大量に飲まれるようになり、タイ庶民の飲料として定着した。いずれにしてもアイスを入れて飲む冷たいお茶が基本だ。

 

工場はチェンライとチェンマイの中間にあるという。工場での製茶作業は社長であるお父さんとお兄さんが担当し、バンコックオフィスではお母さんと彼女が、財務経理、マーケティング、配送などを担当しているという。見事な華人的家内分業体制だ。お母さんがやってきた。タイ語は勿論、英語も普通に話し、そして普通話でも話す。私とHさんが普通話で話し始めると、彼女とPさんは目を丸くした。日本人がタイで普通話を話すのは珍しいだろう。更にHさんはタイ語も流暢に話し、皆が驚く。語学的なセンスが良い。冷たくて甘いタイ茶を飲みながら話す。

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Cha-Thaiは以前卸業が中心で、道端で売る屋台に商品が流れていた。今もそれは変わらないが、少しずつスーパーなどにも浸透し、現在は高級デパートでの販売も始まっている。最近のグリーンティブームもあり、緑茶が伸びているが、スタバで120バーツするグリーンティーラテが、Cha-Thaiは屋台で35バーツで売っている。勿論質は異なるが、タイの庶民にはこちらの方が好まれている。更にはインドネシア、ベトナムなど他のアセアン諸国でもタイ茶が好まれる傾向があり、安くて美味い飲料として、今後アセアン展開を図っていく予定。お母さんは『それは次世代の仕事です』と娘の方を見て、微笑んでいた。アセアン市場でブレークの予感がある。

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最初は緊張して訪ねたのだが、すっかり打ち解けてしまい、8月初旬にチェンライへ行く際に、こちらの工場を訪問する旨、話が進んだ。お父さんとお兄さんはどんな人で、どんなところ茶を作っているのか、俄然興味が湧いてきた。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(3)バンコック 景気が悪いタイ

フェリーでチャオプラヤ川を

フェリー乗り場は本当に小さかった。そこは地元の人しか利用しない場所。チケットもそこで物を売っているおばさんから買う。何故か欧米人親子がやってきた。赤ちゃんを連れていたので、皆がそこに集まってきて、あやし始める。タイ人は本当に子供好きだ!タイ人の赤ちゃんもやって来て、賑やかになる。如何にもタイのローカルといった風景に、大いに和む。先ほどのシンハでの張り詰めたミーティングの雰囲気が一気に吹き飛ぶ。これぞタイ!

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15分ほど待ってフェリーがやってきた。出発してすぐに、あの獅子のマークの建物が見えてきた。広大な敷地、船上から見るシンハの建物群は実に立派に聳え建っていた。タイの象徴とも言えるその光景と、その大手企業が作るお茶、今後どう展開していくのだろうか。興味津々である。

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これまでチャオプラヤ川のフェリーには何度も乗っているが、いつも行くのはチャイナタウンやワットポーまで。今回は相当上流から乗って下って行く。乗客のいる乗り場のみ停まり、後は無視して進んでいくのが面白い。乗客がいることを知らせる何かがあるのだろうか。結構なスピードで通過していくので、急に停まることなどできはしない。一般的に観光客はチャオプラヤクルーズという名前の英語アナウンスが付く料金の高い船に乗ることが多い。このフェリーに乗るのはこれを移動手段にしている地元民であり、その数が意外に多いことも分かってくる。やはりバンコックはチャオプラヤを中心に栄えてきたのである。

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ただこの川を通行する船舶の量は昔と比べてかなり減っているような気がする。以前は船がぶつかりそうになるほど、船が交錯していたこともあったが、今はスイスイと進んでいく。上流だからだろうか。かなり大きな橋が見えてくる。アーチが三つもあり、かなり鮮やかな橋である。少し大型の船は身を屈めて、橋の下を通っているように見えるのがおかしい。

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下流の方に来ると、数十年前に建てられたと思われる歴史的建造物が目に入ってくる。これはずっしりと重く建っており、中には現役で使われているものもある。往時西洋から取り入れた建築手法は今に息づいている。そして高級ホテルが立ち並ぶ現代的建物。そのコントラストにも歴史が感じられる。

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タクシン橋でフェリーを下りる。30分以上乗っていたことになる。行きのタクシーは30分で200バーツ以上かかったが、このフェリーは僅か15バーツ。何とも有難い。ここからBTSでサラディーン、そしてその先はバスで宿に戻った。たった半日なのに、大旅行をした気分。かなり疲れたので、昼寝をした。

 

じいさんの店で

夜はいつもここに泊まると行く、客家のじいさんの店でご飯を食べる。もうここに通い始めて4年になるが、『商売はどうか』と聞くと、いつも『まあまあ』と答えが帰ってくる。ところが今日は『いや、景気が悪い』とはっきり言う。珍しいことだが、それが今のタイ経済の真実なのであろう。

 

『タイ人はその日のことしか考えない。今日金があれば、外で飯を食い、金がなければ家で食う』というのである。昨年ぐらいから景気が悪いとは感じていたが、いつに庶民レベルではっきりと表れてきたのかもしれない。タイではクーデターや洪水など毎年何かのイベントがあり、経済的な数字が落ちても、みなそのせいと言われてきているが、実際は中国経済の減速をはじめ、いくつもの要因から、かなり厳しい状況にあるのではないかと思う。

 

銀行の預金金利も、この2年の間で1年物の定期預金が4%から2%以下と半減している。投資の減速、そしてクーデターなどによる観光客の減少もあり、タイ経済は思っているよりも悪い状況と言わざるを得ない。しかし日本ではこのような報道はあまりなされず、軍事政権だから、といった論調も目立っている。じいさんなどは『軍事政権の方がむしろ安定していてよい』と言っている。日本ではよく『安倍首相が民主化を促す』などと言っているが、それはあくまで建前に過ぎない。何より庶民はタクシンだろうが、軍事政権だろうが、自分に危害を加えなければ、安定して商売でき、生活できる政権が一番であるのは当然だ。

 

この店は奥さんが全ての調理をしており、80歳を過ぎたじいさんは皿を出したり、ご飯を盛るだけの存在だ。ただこの周辺に住んでいるのは華人ばかりであり、華人でない奥さんには何か壁があるのかもしれない。勿論華人と言っても皆がタイ語を話し、普通話を話せる人は実は多くはない。私がじいさんのところへ行くのも、実は言葉が通じることが大きい。

 

奥さんしかいない時は言葉が全く通じないが、長年通っているので、あるもので適当に作ってくる。いわゆる賄い的な飯であるが、これが何とも美味い。中華料理の要素がかなり入っており、エビやカニも入った炒め物は絶品である。更にはタイ料理のカレーなどが出てくることもある。スープは中国から入ったと思われるゲンチュウというタイの定番スープ。基本的に1食、100バーツを支払うようにしているが、そのボリュームと質から考えるとかなり安い。

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因みにこのじいさんの波乱万丈の人生は、既にコラムに書いている。そのコラムが掲載された雑誌を持っていった時、じいさんは目が悪くて入院していたが、奥さんたちが大変喜んでくれたのを思い出す。その後本人がこれを見てどう思ったのか、全く聞いたことがない。

タイ茶を訪ねる茶旅2015(2)バンコック シンハビールが作るお茶

シンハのお茶

この敷地内にはシンハビールグループの統合オフィスがある。その中に今回訪問するお茶専門の子会社も入っていたが、タイで長年大きなビールシェアを握るシンハの中で、その存在は決して大きなものではない。お茶事業は新参者、という感じのこじんまりしたオフィスに案内された。まあ日本で言えばサントリーがアルコール部門と共にお茶部門を有しているのだから、別におかしな話ではない。

 

Mさんの上司だという男性が入ってきたが、最近異動になったばかりで、茶部門のことには詳しくないらしい。更に若い男性がやって来て、流暢な英語で話し始めた。彼は親会社シンハの企画担当で、このお茶プロジェクトの企画を担っているらしい。10年前に茶部門を立ち上げ、子会社として設立したこと、チェンライに大規模な茶園を作り、台湾から茶樹を持ち込み、機械を買い、技術を入れて、烏龍茶作りを始めたことなど、一通りの説明がなされた。

 

当初は烏龍茶を台湾に輸出することを考えたが、その後台湾側の事情も変わり、輸出はほぼ無い状況。現在も烏龍茶は作っているが、主に欧米向けにバラなどのフレーバーをつけて輸出している。代わりにタイ国内の需要が少しずつ高まり、緑茶製造も始まった。そして昨年、静岡のお茶会社と合弁で、煎茶、抹茶製造にも着手した。今タイは抹茶ブーム。抹茶ラテなどの飲料の他、ケーキなどお菓子に抹茶パウダーを使う需要が急激に伸びているという。

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抹茶という名称は確かにそこかしこで使われている。バンコックのスターバックスに入っても、タイの若者はコーヒーなど飲まずに、抹茶ラテかグリーンティラテ(しかも甘いアイスティー)を飲んでいる。グリコのポッキーなどの菓子も、軒並み抹茶味を売り物にしている。いつからタイ人はそんなに抹茶が好きになったんだ、と聞きたくなるほどだ。そこに最近の日本旅行ブーム。日本食の認知度も上がり、本物の日本茶を飲む機会も増えているから、日本の会社の技術を使い、日本の煎茶を作ることにも意味があるのかもしれない。

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実際に試飲してみようということで、お茶が準備されたが、私に出されたのは、烏龍茶ではなく、その煎茶だった。企画担当者は『どうだ、これは日本の本物の煎茶と同じ味か?』と何度もしつこく聞いてくる。彼は製造担当ではないので、作られた商品の価値などを確認したいと思っており、日本人に飲ませて、その感想を聞くのが良いと判断したようだ。若いがその優秀さが感じられる。

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実際飲んでみると、おやっと思う。『うま味』というものはなく、『渋味』というものも少ない。一言で言えば、何となく味もそっけもないお茶だった。Mさんが『私の淹れ方がまずかったんだ』と言い、入れ直してくれたが、変わらなかった。これは水のせいではないか、とも思ったが、話を聞いていると、どうやら、タイ人の嗜好から生まれたものであるようだ。

 

一般的にタイ人は『うま味』がそれほど好きではない。以前タイの紅茶好きの女性に、高級玉露を飲ませたことがあったが、『これは飲めない』と拒否されたことが思い出される。茶わん蒸しなどは大好きだから、料理に混ざっているのはOKなはずなのだが、何とも不思議だ。

 

『渋味』については、英語で何というのだろうか、と悩んでいると、相手が『ビターか?』と聞いてきた。ビターは『苦味』であろうか、ちょっと違うな。どう説明すればよいか迷ってしまった。英語でお茶を説明する機会が最近無かったこともあり、すっかりさび付いてしまい、苦戦する。

 

結局のところ、日本煎茶の需要は、抹茶ほどは無いようで、また日本茶の世界で言われている、その特徴である『うま味』をタイ人はそれほど必要とはしていないということだ。ただ日本というブランド、健康志向という感覚、などから、グリーンティーではなく、煎茶というイメージも出てきているらしい。ただ担当者の力の入れようも、煎茶よりも明らかに抹茶であり、しかも飲むより食べる、であるところが面白いが、何となくちょっと悲しい。

 

2時間ほど話しを聞いて、外へ出る。企画担当者は颯爽と次の会議に向かっていった。シンハはタイの一流企業、その身のこなしはタイ人らしからぬものがあった。香港あたりでミーティングしていた感じだ。Mさんがタクシーを呼ぼうかと言ってくれたのを断り、歩いて帰ることにした。ただ敷地内は完全に撮影禁止であり、カメラでも取り出そうものなら、警備員が素早く目を光らせていた。そういえば、ミーティングの最後に記念写真を撮りたい、と申し出たが、それすら断られた。セキュリティーは相当に厳しいようだ。さすが一流!

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何とか本社を写真に収めたいと思いを巡らしたところ、この近くにフェリー乗り場があることに気づいた。この敷地の横はチャオプラヤ川だから、フェリーから写真を撮ることは可能だった。ただ近いと思っていた乗り場は歩いていくと意外と遠かった。本社入り口を出てぐるっと回ったのだが、それほどにこの本社敷地が広いこと、そしてシンハが大企業であることを思い知らされた。

 

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(1)バンコック 道に迷って大騒ぎ

《タイ茶を訪ねる茶旅2015》  2015年7月9-10日、8月4-5日

 

6月にタイのベースキャンプを引き払ったが、すぐまた所用でバンコックにやってきた。その所用の合間に、タイのお茶事情について、少し勉強してみようと思い立つ。ふと思いつくと、2月にチェンマイお茶セミナーでタイ人からも出た、『タイ茶はなぜオレンジ色なのか?』、そして3月の幕張Foodexで出会ったシンハビールの烏龍茶。ちょっと興味深いテーマが出てきていたので、今回はそれらを作っている会社を直接訪問して、その実態を見てみることにした。

 

7月8日(水)

バンコックへ

夕方5時過ぎの便で成田からバンコックに飛んだ。これまでは中国経由が多かったが、今回はタイ航空の直行便。バンコックから東京往復を買うと8万円近くするのに、東京発で買うと同じフライトが何と5万円。円安の影響や航空会社の政策だというのだが、タイ人の購買力向上の結果、いや、日本人の低下が大きいだろうか。とにかく航空会社はタイ人から金を儲け、その隙間に日本人を乗せることにしたらしい。因みにバンコック発で北京経由羽田行の往復チケットを中国国際航空で買っても8万円する時代になってしまった。空は時代が大きく変わった。

 

機内に乗り込むと、日本人も少なからずいるが、やはりタイ人が多く見られる。如何にも観光の帰りといったラフな服装が目立つ。昨年は年間65万人が日本にやってきたのだ。中国人ほどではないが、皆お土産を持ち、日本に貢献してくれている。若者はディズニーランドの帽子や土産を持っている。

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さすがにタイ航空はシートが快適で食事もウマイ。これで安ければ言うことはない。到着1時間前にはアイスクリームまで出てきた。もう言うことはない。1つ気になったのが、日本人CAのアナウンス。『お酒は適量に。一定以上のお酒は提供しません。自分で持ち込んだお酒も飲まないようにお願いします』と日本語で言っていたような気がする。何でそんなアナウンスが必要なのだろうか。勿論泥酔するなどよからぬことをする日本人客がいることを指している。タイ人でそんな人、恐らくいないだろう。

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フライトは順調でほぼ定刻にバンコックに到着した。いつもなら電車を乗り継いでいくが、今日は荷物が多いのでタクシーに乗る。夜の道路は空いており、あっという間にラマ4通りに近い宿に着いてしまう。Kさんが待っていてくれ、鍵をもらう。1か月ぶりのバンコック、特に変わったところはない。

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7月9日(木)

ビール会社へ

翌朝は早く起きた。本日はタイの大手ビール会社であるシンハビールを訪問する予定になっていた。この訪問ではタイ人のPさんにお願いして、アポを取ってもらっていたが、その訪問先はどこにあるのか、全く分からなかった。何とか住所がわかり、ネットで検索したが、元々バンコックに地理に詳しくない上にタイ語で表示されたりするので、そこがどの辺りか見当をつけるだけでも大変だ。

 

仕方がないので、コーヒーを飲みに行きがてら、知り合いのYさんを訪ねる。タイ語の出来るYさんに検索してもらったところ、どうやらここから行くのはかなり不便であるようだった。BTSや地下鉄でも行きにくい。『タクシーに乗れ』というYさん、タクシーを拾ってくれて、ドライバーに指示してくれた。ドライバーも分かったと言いながら車を発車させた。

 

8時台のバンコック市内は、渋滞であった。ドライバーも『高速で行こう』というので同意する。約束は10時だが、果たして間に合うのだろうか。高速に乗るまでは混んでいたが、なぜか高速は空いており、どんどん進んだ。そして高速を降りてからは、一般道も混んではおらず、スイスイ進む。これは予想外。かなり早く到着することを覚悟した。さてどう時間をつぶすか。

 

だが、運転手は目的地が分かっていなかった。急に誰かと携帯で話し出すが、タイ語なので分からない。後で分かったことだが、私が渡した住所が書かれた紙にPさんの携帯番号があり、私は言わずにそこに電話。Pさんも当然わからないので、先方のMさんの携帯にも電話していたのだ。突然Pさんから『大丈夫ですか?分かりますか?』と電話があり、既に大事になっていることが分かって驚いた。

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運転手は『分かった』と何度も言っていたが、なかなか行き着けない。タイ人は地図が読めない、とよく言われるが、場所を探すにも苦労している。ついに行き着いた場所は、チャオプラヤ川沿いに建つ、非常に広大な敷地。ビールなどの配送基地と、オフィスビルが併設されたところだった。今度は敷地内で、目指すオフィスを探す羽目になる。この敷地内、勝手にウロウロすることはできない。警備員が厳しく監視している。さすが一流企業だ。仕方なく携帯に電話して、何とかMさんと東京以来の再会を果たした。到着時間は約束より30分も早かった。バンコックは時間が読みにくい。

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タイ北部お茶散歩2015(15)アユタヤ散策

アユタヤ散策

午後は車をアレンジしてもらい、X氏のお供をしてアユタヤ観光に出掛けた。私自身何度かアユタヤに来てはいるが、ちゃんと観光したことがなかったので良い機会が訪れたといえる。本来は私がガイドをしなければならないのだが、その役目はOさんと20年来付き合いがあるタイ人の運転手さんに委ねた。

 

まずはウィハーン・プラ・モンコン・ボピットという名前の寺へ行く。ここには高さ17mの大仏が安置されていた。やはり大仏はかなり人気があり、礼拝堂内には多くの人が祈りを捧げ、写真を撮っていた。この大仏、昔ビルマ軍によって破壊され、ラーマ5世によって再建さらた。礼拝堂は60年前ビルマからの支援も受けて作られたという。以前は露座の大仏だったのだろうか。今は黄金に輝いている。

 

 

続いて、ワット・プラ・シー・サンペットへ。アユタヤ王朝の王宮の南側にあった寺院。ビルマ軍に破壊され、いまは3基の仏塔が残るのみ。そこには3人の王が眠っているらしい。かなり日差しが強くなり、その日差しを遮るものもない。隣の王宮跡と一緒に眺めていると『兵どもが夢の跡』を思い出さざるを得ない。そんな雰囲気が漂う。アユタヤは街自体が世界遺産、かなり修復した跡があり、何とか遺跡を保存している状況なのかもしれない。

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更には有名なワット・マハタートへ進む。アユタヤは小さな街、車で回るとすぐに次の観光スポットに行けるのが良い。運転手さんは敬虔な仏教徒のようで、どこでも自ら花を買い、それを供え、深く祈りを捧げている。実はこの観光、彼のためにあるのでは、と思うほど、積極的に動き、花や線香を買い、タンブンしている。我々にも水を買ってくれるなど、甲斐甲斐しい。X氏は水をもらっても、ココナッツジュースに手を出していたが。まあそれほどに喉が渇く。

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この寺には誰もが見るという、木の根に取り込まれた仏像の頭部がある。これはいつ見てもやはり不思議であり、常に見る者の方を向いているように見える。ここには外国人観光客も大勢集まっており、一斉に写真を撮っている。その横にはメインの仏塔があったようだが、100年前に崩れたらしい。周囲の囲いには首のない仏像が並んでおり、ビルマ軍の進攻を想起させる。でもビルマも仏教国ではなかったのか。何故異教徒のような振る舞いをしたのか、よくわからない。一説には破壊された後、ヨーロッパ人が美術品として首を落として持ち帰ったとの話があると聞いた。

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運転手さんがこの寺の裏へ案内してくれた。ここまで来る観光客は少ない。見ると1体だけ、完璧な状態で残っている仏像があった。奇跡の仏像を呼ぶらしい。タイ人はここで皆手を合わせて、熱心に祈っている。実はX氏も敬虔な仏教徒であり、自らの作法に則り、時間を掛けて祈りを捧げる。本当に有難い、得難い物を見る目だ。

 

そしてもう1つ、寺に行ったが全てが運転手さん任せのため、名前は思い出せない。運転手さんはこの寺に一番時間を掛けていた。恐らくは彼が個人的に最も崇拝している所なのだろう。まずは表のお祈りする場所で、線香をあげ、祈る。そして建物の中に入り、そこに座ってまた祈る。外に出ると、学生が民族楽器を奏でていた。これは教育資金を得るための活動のようだった。

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更に裏に回り、そこにある建物の中へ入る。こちらは先ほどの場所とは雰囲気が全然違っている。黄金の仏像の後ろにはヒンズーの神かと思う像が飾られている。反対側にはどう見ても中華系の置物?が多数陳列されており、漢字まで書かれている。どうやらここは華人が寄付をして作った場所ではないか。しかしこの雑多な状況は正直理解できない。外にも祠があり、仏像が穏やかに安置されている。このあたりは観光地ではなく、地元民が祈る場所なのだろう。

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最後にお決まりの場所、ワット・ローカヤースッタへ行く。全長28mの涅槃仏が、野晒しの状態で横たわっている。ただこの像は新しく、1954年に作られたものとある。この広々とした空間に寝そべっているのは、何とも羨ましいことだ。涅槃仏といえば、バンコックのワットポーを思い出すが、こちらは実にシンプル。丸みがないのがちょっと滑稽に見える原因だろうか。子供の頃見た横山光輝のジャイアントロボ、を何となく思い出して、ちょっとおかしかった。

 

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かなり疲れてきた。X氏はまたココナッツジュースを買っている。私も分けてもらった。甘くて美味い。こういう飲み物は普段飲むのではなく、このような場所で疲れをいやすために飲むのだと分かる。テーブルの下に20バーツ札が落ちていた。X氏が拾って律儀に店の人に渡そうとしたが、何やらやり取りが。私が見る限り、この札を落としたのはX氏自身だと思うのだが、どうだろうか。

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『さあ帰ろう』ということで、車は一路バンコックを目指した。途中から高層マンション群が見えてくる。X氏が『バンコックの街は大きい』と言っていたが、中国の核都市に比べればどうだろうか。さしたる渋滞もなく、1時間ちょっとでホテルに着いてしまう。アユタヤって、本当に近いんだな、と思うが、もう1回行こう、とも思わない。これもご縁、果たして次回はあるのだろうか。

タイ北部お茶散歩2015(14)アユタヤの工場で

7.アユタヤ

2月21日(土)

雨とスリ

ついでに翌日の出来事を記しておくことにした。バンコックに戻った翌朝、日本からやってきた中国人のお知り合いX氏のお供で、アユタヤに行った。正直前日までの疲れが残っており、かなりだるい寝起きとなる。まずは大学の同級生Oさんとエンポリアムで待ち合わせ、それからX氏のホテルへ迎えに行き、一緒にアユタヤのOさんの工場を見学する予定だった。

 

私は疲れていても基本的に歩く主義。朝6時に家を出ると、チェンライほどではないが、結構涼しいので助かる。いつもの道を歩いていくと、ポツポツ雨が降りだした。2月のバンコックで雨が降るなど、珍しいなと思っていると、突如スコールのようなどしゃ降りに変わる。当然こんな時間に都合よくタクシーは来ない。傘も持っていない。見ると目の前をバスが走っていき、数人のタイ人が乗り込んでいたので、慌てて一緒に乗る。

 

バスは混んでおり、雨足が強くなるにつれ、人がどんどん乗り込んできて来て、身動きができなくなる。久しぶりに満員電車に乗った気分だ。バスは人の乗り降りが激しく、その度に体の接触があり、バッグが邪魔になる。30分後にようやく解放された時は正直ホッとした。

 

そしてエンポリアムのシートに座った時、背負っていたバッグを下ろしてみてビックリ。完全にチャックが開いており、本が今にも落ちそうになっている。瞬時に『やられた!』と感じ、雨に濡れた体が更に冷えた。ところが、中身を確認するとパスポートからお金まで、無くなったものは何もなかった。これは一体どういうことだろうか?単に私のバッグの締め方が甘く、バスの中で勝手に開いてしまったのだろうか。

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いや、そうではあるまい。プロはパスポートやカードには手を付けないことは前回マレーシアのマラッカで遭った集団スリで経験済みだ。すると現金があまりにも少額で取るに足りない?と判断されたようだ。現金をあまり持ち歩かない、これが正解だ。それにしても乗客は誰も気が付かなかったのだろうか。見て見ぬふりをしたのだろうか。いずれにしてもボーっとしていてはいけない。

 

Oさんの工場で

シーロムのホテルでX氏をピックアップした。このホテル、かなりの老舗、私も10年ぐらい前に一度泊まったことがある。古いがロケーションが抜群で、人気がある。さすがにロビーは改装され、見違えるようにきれいになっていた。日本人の観光客が多い。ゴルフに行くおじさんたちが通り過ぎる。

 

Oさんの車でアユタヤへ向かう。土曜日の朝、ということもあり、道は左程混んでいない。何故か雨も上がっている。車の中では早速OさんがX氏に中国関連の質問を浴びせ始めた。Oさんはタイを中心に東南アジア、インドなどの経験は豊富だが、中国に関しては殆ど知識がないという。今度4年ぶりに仕事で上海へ行くので、その予習という意味合いもあり、ニュースや本で得た知識の確認を行っていた。

 

残念ながら、大手マスコミのニュースや偉い先生のご本では本当にビジネスで役立つ中国情報は得られ難い、とこのOさんとX氏の会話を聞いていて、切実に思った。20年前の話と今現在の話が入り乱れてしまうし、既成概念と実態がかけ離れている例なども沢山出てきた。Oさんは『どこの国の人とでも仲良くすれば、ビジネスも上手くいく』という考えの持ち主で、事実タイでそれを実践している人。尊敬に値する人物だが、果たして中国ではどうだろうか。

 

実はOさんのアユタヤ工場も2011年の大洪水で、冠水してしまった。水は自分の背の高さより高く、機械設備も成すすべがなかった。工場に水は浸水していく中、数十人の従業員が工場に水が入るのを防ごうとしてくれたという。自分の家も危ない時に来てくれたタイ人、Oさんと工場が如何に従業員から愛されていたかの証拠だろう。

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そして今では完全に復興し、インドネシアにも工場を作り、ここで働くタイ人が出張して指導に当たっているという。普通は日本の本社から人が派遣されるのだが、アジア人同士の連携、実に素晴らしい。自動車関連部品を製造するこの工場の未来、タイだけではなく、広くアジアを捉えて、すでに準備を始めているということだろう。

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Oさんの話を聞き、工場を見学し、そしてランチは工場内で食べた。さすがにタイ料理、結構ピリッと辛かったが、美味かった。従業員は自分の好きなおかずを買い、皆で楽しそうに食べている。1皿、10バーツだそうだ。『従業員の満足度を上げる』という課題にもチャレンジしている。

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タイ人にとって重要なことは『サバイ(気持ちがいい)、サヌック(楽しい)、サドゥワック(便利で快適)』だとか。当然労働環境にもこれが適用されるのだから、気持よく働いてもらう環境作りと日本的経営にどう折り合いを付けていくのか、そこがポイントだろう。言うほど簡単な話ではないが、少なくともこの工場では楽しそうな人が多いのが良い。

 

タイ北部お茶散歩2015(13)チェンコーン山中に国民党の村

国民党残党の村

それからチェンコーン山中をドライブ?しようということになり、その前に腹ごしらえ、ということで、道路沿いの店に入る。この店、昼はたんなる麵屋だが、夜はカクテル?などを出す飲み屋になるらしい。この辺には娯楽も少なく、若者達はこういった場所で夜を過ごすのかもしれない。いや、実際に来るのはオジサンだったりして。

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麺を注文すると、豚肉と野菜、そしてたまごがたっぷり入った大きめの碗が出てくる。これはすごい、豪華な昼飯だった。味は結構甘いので、砂糖をかなり入れている。これが田舎風なのだろうか。タイはどこへ行っても簡単に麺が食べられるのが良い。店の人もフレンドリーで良い。

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山道を上がり始める。特に周囲には何もないが、道だけはかなり立派だ。こんなところにも舗装道路を付けたのにはどんな訳があるのだろうか。先ほどの友好橋でも感じたことだが、タイは一般的に道路整備が遅れている。この付近もチェンライ方面に抜ける道はあるが、ラオス国境をメコン川沿いに南下する道はほぼ無く、この山道を使わなければならない。Eさんは何度かトライしているが、地図で見れば近くても、実際には行けない、ところも多いという。

 

そして先ほど昼飯で少し時間が掛かったこともあり、また予想外に距離があったこともあり、午後3時にチェンライ空港に到着しなければならい私としては時間が厳しくなり始めた。この山の上には小さな村があり、集落が点在していたが、残念ながら一瞥しただけで通り過ぎた。この辺りには欧米人が時々来て、長く泊まるという。そんなロッジや宿舎も見られた。まさか山を登って来るのだろうか。バスが走っているとも思えない。ソンテウが往来しているのだろう。それにしても大自然の中、ここで生きていくのはなかなか大変そうだ。

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村を少し離れると、道沿いにリゾートホテルが見えた。こんなところにもリゾートがあるのか。そういえば先日泊まったリスロッジも、チェンコーンの山中にロッジを持っているとパンフレットに書かれていた。やはり欧米人が好きなのか、いや欧米人だけでは経営がもたないだろう。今やタイ人がアウトドアライフ、自然を楽しむ時代、になっているということではないか。

 

道沿いに漢字の看板が見えたような気がする。こんな山の中に何故漢字があるのだろうか。車を下りて確認すると、どうみても国民党系の軍隊が1960年代に入植した村としか思えない。国民党系の村としては先日行ったメーサローンが特に有名であり、実際にビラのオーナーも元兵士だったわけだから、私は既にそのような人々に接してはいる。だがメーサローンほど開けていない、このような山の中、ここに逃げ込んだ人の運命はどのようなものだったのだろうか。

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現在タイ北部の山岳地帯には大きな村だけで13の残党村があると、以前メーサローンの記念館で見た記憶がある。ここには茶畑もないし、細々と農業で暮らしを立てたのだろうか。1960年代、この辺は完全に世俗と隔離された場所だっただろう。そこへ入って暮らしていく、途轍もない苦労が伴ったと推測される。

 

今回は時間がなく、看板を眺めただけで終わる。その看板は妙に新しいので、何か理由があるはずだ。そしてその道からどれほど入ったところにムラがあるのか、そしてそこは現在どうなっているのか、興味は尽きない。日本人でこんな所へ来る人は学術調査ぐらいだろうか。

 

チェンライ空港

その後、山を下り始める。二股の道ではどちらへ行くのか迷う。村があれば道を聞き、速そうな方へ向かう。フライトに乗り遅れることはないと思われたが、山の中のこと、何があるか分からない。Eさんは途中休憩を取ることもなく、私のために走ってくれた。山道には慣れているとはいうものの、それは大変だっただろう。感謝。

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そしてついに3時前にチェンライ空港に着いた。空港の前では大がかりな工事をしていた。何を掘り返しているのだろうか。最近便数が増えたといはいえ、拡張工事でもあるまい。そこでお世話になったEさんと別れた。また会う機会もあるだろう。Eさんの暮らしに今後注目だ。

 

チェックインは実にスムーズ。ノックエアーの独自WiFiでかなりスムーズにネットが繋がる。今まで山の中に居たとは思えないほどの都会生活に戻っていた。そういえばEさんの家にはWiFiがなかったので、2日近く、メールのチェックもしていなかった。既にバンコックではXさんが待っているはずだ。

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フライトは順調だったが、ドムアン空港に着くと、旗を持ったガイドを先頭に、各フライトから中国人観光客が次々に押し出されてきた。荷物を待つターンテーブルもあらかた中国人に占拠されており、しかも出てくるのが異常に遅い。中国の旧正月の波がここバンコックにも押し寄せてきていることをひしひしと感じた。

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