「タイ」カテゴリーアーカイブ

タイ巡礼、そして茶旅2017(7)カンペッペの遺跡で思う

7月17日(月)
遺跡へ

カンペッペに来た理由、それは遺跡を見るためだった。タイ中部の遺跡と言えばスコータイなどが有名だが、出来ればあまり観光客がいない場所がよいと思い、この地を選んだ。だが、ホテルから遺跡までは歩いて4㎞近くあり、バスなどの交通手段はないという。タイの観光地によくある利権なのだろうか。プーケットやチャンマイとここは違うと思うんだけどな。タクシーなどはなく、トゥクトゥクが走っているだけなのだが。

 

仕方がないので暑くない早朝に散歩がてら歩いて行くことにした。朝6時過ぎに起きて、朝食のお粥を食べると、すぐに出掛けた。昨晩までの雨は上がっており、既に太陽は登り、日差しが出ていたが、それほど暑くはなかった。道は川沿いの大通りの一本道で間違えることはない。昨日見たお寺を過ぎ、渡った橋の近くを通り、ただただ歩いて見る。

 

その先の方から、ちょっと遺跡らしいところが見えてきた。このまま歩いて行けば入り口があるに違いないと思い、ひたすら歩いたが、ついに入り口はなく、遺跡もそこまでになってしまった。何と私は遺跡の入り口の反対側を歩いていたのだ。一本道だと思い込む、やはり地図などはきちんと見て歩かなければいけない。

 

その遺跡の先を回りこんで何とか入り口に着いたと思ったが、私が目指していたカンペッペ歴史公園はここからまだ先だったのだ。途中バイタクのお兄さんが声を掛けてくれたが、近いと思って断ったのが悔やまれる。その入り口に着いた時には正直もうクタクタだった。5㎞以上は歩いただろう。いい運動にはなる。

 

入り口で入場券を買う時、横を見ると自転車が置かれていた。貸自転車だというので、借りることにした。パスポートを預ける必要があったが、まあ無くなることもないだろう。入場者は殆どいない。自転車は快適だった。この公園は傾斜地にあるようで丘の上に向かって漕いでいく。雨ざらしの状態で、実に沢山の寺院跡があり、壊れかけた仏像が安置されている。

 

スコータイ時代のものが多いようだが、その破壊のされ方がかなりひどい。アユタヤなど、他の遺跡でも見られることだが、異教徒同士の争いは、極めて凄惨な結末を生む。これは現代でも続いている。そんなことをこの遺跡群は教えてくれる。組んだ足だけが残っている仏像を見ると、その痛ましい状況に耐えがたいものを感じるが、同時にそれでも数世紀の間、そこに座っている不思議さを思わざるを得ない。

 

奥の方に自転車で入っていくと、犬が何匹かいた。その横を通り抜けてさらに奥に行こうとすると、猛烈な勢いでその犬たちが私を追撃してきた。そのけたたましい叫び声と迫力は、とてもただ吠えているようには感じられなかった。その場所には私には見えない何かがあったに違いない。犬たちはそこを守っており、入って来る者を許さない、そんな世界があるのかもしれない。

 

この公園、何とも広い。自転車は正解だった。外周道路を走り、入り口に戻り自転車を返した。だが実は先ほど通ってきた方にも公園は続いていたのだ。また歩いてそちらに向かう。こちらはコンパクトで、仏像もかなり完全な形で残っており、ビジュアル的には観光客が見学するのに適していた。この遺跡全体に興味を持ったが、博物館は残念ながら休館日で、その歴史を知ることは出来なかった。もっと勉強してからくるべきだった。

 

帰りも歩いて戻っていく。お爺さんのトゥクトゥクが近づいてきて20バーツで乗らないかという。まだ歩けるので断ってしまったが、後で考えるとお客がいなくて困っていたのだろう。乗ってあげるべきだった。そう思うと急に足が痛くなる。ゆっくり歩きながら、街中のお寺を見たりして過ごす。次はスコータイへ行こうと思っているので、ロットゥ乗り場を探したが、見付からなかった。

 

昼前にようやくホテルに辿り着いた。もう1泊すると告げるとフロントのおばさんはかなり意外な顔をしたが、それでも笑顔だった。暑いシャワーを浴びてゆっくりとベッドでまどろむ。最高の気分だった。3時頃には朝出しておいた洗濯物も届けられてきた。洗濯代も安いので本当に助かる。

 

午後は雨が降っていたので外出せず。夕方何となく雨が止んだように見えたので、取り敢えず外へ出たが、まだほとんど歩かないうちにまた雨が降り出した。思わず小さなショッピングモールに駆け込む。そこにはちょうどケンタッキーがあったので、そこへ入り込んで休息のつもりが夕飯を食べてしまう。偶に食べると意外とうまい。

 

食べ終わると雨が上がり、川沿いを散歩する。そこには市場があり、色々な食べ物を売っていたのでちょっと残念。見るだけに留める。何と日本料理の提灯が見える。タコ焼きなどはこちらでも大人気、そして小さめの握り寿司も売られている。日本人にはなかなか手が出しにくいが地元の人は気楽に食べている。お寺もあったが、ここは中国式、華僑のためのものだった。華僑というのはどんなところにもいる、それは凄いことだ。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(6)チケット売切れでも行くカンペッペ

7月16日(日)
カンペッペへ向かうが

翌朝、ホテルで朝食を食べて、迎えを待った。近いのだが一応バスターミナルまで送ってくれるというのだ。バスの出発時間も分っているので問題はなかったが、見送りに来てくれるという心が嬉しい。ターミナルで涙のお別れとなる。次はいつ会えるかな。

 

一昨日確認したブースで11時のカンペッペ行きのチケットを買おうとしたら、何と売り切れだという。次は午後までないらしい。一昨日買おうとしたら当日しか買えないと言われたのだが、こうなると言葉が通じないのでお手上げだ。出だしで躓いた。ただこのような経験は何度もあるので、ターミナル内で聞き込みをしてみた。すると、ここからソンテウに乗って、町のバスターミナルへ行き、バスを乗り継げば行けることが分かった。面白そうなのでそのままソンテウで街へ行く。

 

ついにメーソットの街にやって来た。やはり一度は見ておかないと。ただ確かに何もない。バスターミナルというより、市場の横にバスが来るといった感じだが、一応チケット売り場があり、そのおじさんは英語を話し、ちゃんとしていたので安心。ロットゥに乗り込み、一路タークを目指す。

 

タークまで約2時間、所々山道はあるが比較的平たんな道を走っていく。席がちょっと狭くて窮屈、しかも意外と乗り降りがあり、私は席を立ったり座ったりと忙しい。まあでも僅か69バーツ。十分に我慢できる。タークは交通の分岐点、ここも見ておきたかったが、まずは目的地を目指す。カンペッペ行きのソンテウはすぐに見つかり、50バーツ払って出発した。

 

ロットゥは密室で窮屈だが、空いているソンテウは快適だ。特に天気が良い日は、風がとても気持ち良い。そしてどうやらロットゥにはスピード制限があるようだが、ソンテウにはないのか、速いのも魅力的。平らない国道、車も殆ど走っていないので、ビュンビュン飛ばしていく。気持ちいい!午後1時過ぎにソンテウはカンペッペのバスターミナルに入った。元々乗る予定のバスと同じぐらいの時間で到着したことになる。

 

3. カンペッペ
古いホテルは狙い目

バスターミナルはちょっと郊外にあるらしい。歩いて街に行けるのかよくわからないので、バイタクに乗ることにした。吹っ掛けられるかと思ったが、リーズナブルだった。目的地はよくわからないので、取り敢えずガイドブックにあった『ホテル ペ』と言ってみた。橋を越えて街に入り、意外と距離があってペホテルに到着した。

 

ここは昔街一番のホテルだったらしい。名前からして想像できる。結構立派な作りになっている。取り敢えずフロントで聞いてみると『1泊1300バーツの部屋が700バーツだよ』というではないか。しかも朝食まで付いている。更にはスタンダードな部屋なら何と500バーツだことが分かり、そこに泊まることにした。いくらなんでも安過ぎるのではないだろうか。

 

部屋は古びていたが、ネットも繋がるし、ホットシャワーも出る。何より部屋が広い。環境としては悪くない。更にはフロントのおばさんはそこそこ英語も出来て、とても親切で有り難い。このような昔のいいホテルが古びてかなり安く泊まれることを知ったのは幸運だ。これからの旅、狙いは昔の一流ホテルで行こう。

 

もう午後2時頃だが、腹が減ったので外へ出た。さすがに日差しが強くて、あまり歩く気にはなれない。すぐ近くに麺屋があり、うまそうだったので店頭でオーダーして中に入った。店主は髪を後ろで束ねた男性で一風変わっていた。店の中を見てびっくり。まるで骨董屋かと思うほど、古いビールやウイスキー、コーラのビンが飾られていた。反対側に何と仮面ライダーのフィギャーがいくつもあった。これはもうオタクの域を超えている。全て店主のコレクションらしい。食べ終わるとその横の市場でTシャツを2枚買う。

 

夕方までゆっくりと休んだ。暑い時は昼寝して、涼しくなったら行動する。地元のタイ人の行動様式を真似てみる。普通の観光客には時間がないが、私にはたっぷり余裕がある。今回の旅の一つの目的、それは『ゆとり』そして『茶以外の旅』だ。原則1つの街には2泊して、毎日移動しない、出来るだけゆっくりと街を回ることにしていた。

 

暗くなる前に宿を出て街の散歩を始めた。フロントでもらった地図はタイ語であり、よくわからないが、お寺の位置ぐらいは分かるので、そちらへ歩いて行く。お寺は大きかったが6時を過ぎており、本堂は閉まっていた。タイのお寺は境内にはいつでも入れるが、仏像を拝むのは午後6時までと学ぶ。

 

更に歩いて行こうとすると突然雨が降り出す。急いでホテルへ引き返すも、ちょっと腹が減り、食べ物はないかと市場へ紛れ込む。ただ市場も雨で店仕舞いが多く、食べるところがなかなか見つからない。すると一軒、鶏肉をつるした屋台があった。ここで鶏肉を買って部屋で食べようかと立ち寄ると、何と後ろに食べるスペースがあった。

 

雨も小ぶりで助かった。カオマンガイを運んできた少女が、なぜかとても嬉しそうな顔をしていた。屋台は父親がやっており、幼い弟がいる。今日は雨で商売はあがったり、鶏肉も売れ残って、と思っているところへ一人でもお客が来たのが嬉しかったのだろう。そんな顔を見ているとなぜか『きっとこの子には母親はいないんだろうな』と思ってしまった。笑顔の中にほんの少し影が見えるのだ。何と言うこともなく、寂しい気分になって、ホテルへ帰った。

タイ巡礼、そして茶旅2017(5)メーソットお寺巡り

7月15日(土)
お寺巡り

翌朝はゆっくり起きた。さすがに昨日の夜行バスの疲れが出ていたのだろう。最近夜行をあまり使わなくなって、少し柔になったか。朝食は宿で付いているので、お粥と目玉焼きを食べる。今日は土曜日、特にゆったりしているように感じられた。昨晩の雨も何とか上がっている。

 

10時頃にスス一家が迎えに来てくれた。因みにアイちゃんには若い女の子が子守役としており、どこに行くにも付いてくるので、一家は4人である。今日は車でメーソット見学に連れて行ってくれるというのだ。ただメーソットに観光する場所はそれほどないとのことで、ヤンゴンの時のようにお寺巡りが始まる。私はこれが嫌いではない。いや、むしろ好きなので歓迎だ。まあススとの付き合いは15年近くになるのだから、私のことはかなり分っているはずだ。因みに今回行ったお寺、名前は憶えていない。何しろ文字は全てタイ語、しかも案内人がいるので覚える必要がなく失念。悪しからず。

 

まずは鶏の像が沢山置かれている寺へ。ここはミャンマーの王様が関係して建てられたお寺だという。この付近は昔、タイの王朝に支配されたり、ミャンマーに入ったりと、随分時代に翻弄されたことだろう。そんな中で今のタイ人にもミャンマー人にも崇拝されるお寺、素晴らしい。

 

何故鶏が沢山置かれているのか。幸運を呼ぶかららしい。それにしても圧巻の並びに、願いが込められている(笑い)。参拝者も皆記念撮影している。ロンジーを履いたミャンマー人も多く見られる。ミャンマー人がタイ国境を越えて観光に来る、そういう時代に入っているのだ。

 

次に行ったのは洞窟。この付近も山間であるから、洞窟もあるだろう。何となく昔ススと行った、シャン州ビンダヤの洞窟を思い出す。あそこは相当奥まで仏像が並んでいた。ススは空気が悪いと言って中に入らなかったはずだが、ここは奥には入れず、入り口付近の仏像にお祈りするだけ。アイちゃんも流石ミャンマー人、きちんとお祈りできている。こういうのが、親の教えというのであろう。

 

郊外の舗装されたいい道を走っていると突然『ここから始まります』と言われたが何のことか。マジックヒルと英語でも書かれている不思議な上り坂だという。スタートポイントから数十メートルは、車のエンジンを掛けなくても、自動的に車が登っていくというのだから、確かにマジックである。何か自然科学的原理があるのだろうが、神秘のままでいいか。

 

3つ目のお寺で黄金の仏像を拝む。ここはいかにもお金持ちの寺、という印象で、きれいな室内にきれいな輝く仏像が安置されている。最近タイのお寺のお布施箱は、殆どが金庫式になっているのがおかしい。泥棒が多いのだろう。信心も金には勝てない時代なのだろうか。日本でも賽銭泥棒、いや仏像泥棒は多発しており、そのせいか?寺は固く門を閉ざし、用事の無い人間の来訪を歓迎しない。それって仏教なの、と思う事態だ。

 

お昼は郊外のとても雰囲気の良いレストランへ行く。大自然の中にある、という感じなのだが、庭などは非常に人工的でちょっと日本の庭園管理を入れているのかと思うようなアンバランスな印象。トイレの作りも変わっていて、アイちゃんはお気に入りらしい。ちょっとしたテーマパークのようにも見える。タイ人にはとても人気のあるところだという。確かに従業員の対応などは良い。

 

料理はススが選んでいるが、なかなか美味しいものを選択している。やはりミャンマー料理よりタイ料理の方が美味しいのではないか、などと言えばミャンマー人は怒るに決まっているが、実際に食べているところを見えればそれが分かる。それはインドの料理より中国の料理の方が美味しいよね、と言っているような感じではなかろうか。

 

午後も又お寺に向かった。普通の日本人なら、もう勘弁してほしいという気持ちになるかもしれない。その昔の私もそうだったが、今ではお寺の違いや面白いものを見付けて楽しんでいる。最後の寺はそれにふさわしかった。何と境内に骸骨の人形があるのだ。これにはアイちゃんも興味津々。タイのお寺には可愛らしい人形が置かれていて、面白いのだが、まさか骸骨が登場するとは。

 

でも可愛いものがある一方で、人間は死んだらこうなるんだよ、という不気味な模型が置かれていたりもするので、普通のことなのかもしれない。またここにはきれいな傘が飾られていたり、花がふんだんに飾られた自転車が置かれていたり、その由来は何だろうと思うものが一杯あるのだ。お寺とは本来何のためにあるのかを考えさせてくれる1日だった。

 

ホテルまで送ってもらい、彼らはまたミャンマーへ帰っていった。近いとはいえ毎日出入国、これは大変だ。ホテルで休んでから、夕飯は近所にあった麺屋へ行き一人で食べた。昼ご飯を食べ過ぎているのでこれで十分だった。その先にあるロビンソンデパートをちょっと見て、帰って寝てしまった。結局メーソットの繁華街がどこにあるかもわからないまま、次に向かうことになる。

タイ巡礼、そして茶旅2017(4)ミャワディ ワンデートリップ

まずはメーソットで泊まる宿へ。きれいなホテルに連れて行ってもらったが、周囲には何もない街外れ。朝8時でもすぐに部屋に入れるのはなんとも嬉しい。この田舎で1泊1000バーツだから、新しいそれなりのホテルだろう。スス旦那はタイ語が少しわかる程度、友人のタイ人パートナーがすべてを取り仕切ってくれる。

 

それから朝ご飯を食べに行く。この辺の名物という麺だったが、そうめんのように見える。そこに野菜や汁を自分の好みで掛けて食べる形式。わんこそばを思い出す。かなりの量が腹の中に納まる。タレがうまいのだ。食後はアイスチャイを飲む。ここはコーヒーが有名のようだが、これがまた美味い。何だかタイに来た気分になる。

 

車はアジアンハイウエー1号線を走り、すぐに国境に到着した。タイ側を出国して、次にミャンマー側のイミグレ部屋に入る。まるで『いらっしゃい』と言われているような顔で、『1日、500バーツだよ。午後6時前には必ず帰って来るんだ』と言われ、パスポートを預けて入国を許される。

 

何とも呆気ないイミグレだ。後で見てみるとちゃんと入国スタンプは押されている。いわゆるワンデイトリップというヤツだが、私には初めての体験だった。後で気付いたのだが、陸路でタイに入国するとビザ免除は15日しかもらえない可能性があり、そうなると私の旅の予定が狂うところだったが、再入国では30日くれたのは助かった。パスポートが無くならないか、とても心配になる。それと1日500バーツというのはいかにもボッタくりだなと思う。まあ、これも可愛いアイちゃんに会うためだから仕方がない。

 

国境付近はさすが人も多く、車も連なっている。ミャワディ側に入ると急に道が悪くなる。そして狭くもなる。ススたちの住む会社の事務所はすぐそこにあった。前はお寺だ。それだけで落ち着く。国境貿易業を営む旦那はここミャワディを拠点に、頑張ってきた。ススとアイちゃんもいつの間にかヤンゴンから引っ越してきていた。アイちゃんとは4月にススの姉、ピョピョの結婚式のおり東京で会っている。2歳を過ぎたアイちゃんは可愛らしくなっており、もう一度会おうとやってきたわけだ。

 

小雨が止んだので、みんなでお寺に出掛けた。アイちゃんは私のことを覚えているのだろうか。ピタッとススにくっ付いたきりだ。このお寺には大きな龍の像があり、そちらに興味がいっている。まあ元気だからそれでよい。それから昼ご飯を食べに行くと言われたが、車は非常に道の悪いところを走っていく。どう見てもレストランなどありそうにない。

 

ところが突然立派な建物が目に前に見える。何とそこはカジノだった。免税店も併設されている。そこにチョウヤの梅酒が売れられていたのがおかしい。何となく外からでもカジノの様子が見えたが、勿論平日の昼間、お客は殆どいない。恐らくは週末にタイ側からカジノ客が来るのだろう。ミャンマー-タイ国境にはこんなカジノがあることは既にタチレイで体験済みだ。

 

その横にレストランがあり、そこにはランチを食べるお客がいた。料理はやはりタイ料理。結構上品でうまい。ススは美味いものがある場所をよく知っている。アイちゃんもご機嫌で食べている。外には川が見えるが、その狭い川幅の向こうはタイだった。ここなら夜、ちょっと川を渡ればすぐにタイに行けそうだ。密航者はいるだろうか。

 

その後、また悪路を走り、別の川沿いへ出る。そこからは橋の建設が見えた。あれが第二の国境橋だという。アジアンハイウエーは現時点ではあまり動いているようには見えないが、その内橋が出来、動きが出てくるかもしれない。タイとミャンマーの国境は、時々来てみる必要がある。

 

メーソットの帰りにはススとアイちゃんも一緒に来るという。彼らは特別のライセンスがあり、簡単に国境を越えられる。私は先ほどのイミグレ部屋に戻り、無事にパスポートを取り戻した。これで一安心。折角なので、橋の上を歩いて国境越えをした。特に目立つものはなかった。

 

タイ側に戻ると、すぐに道路沿いのホームセンターへ行った。これはスス旦那の要望だったが、何を買うのかと付いていくと、何と自家発電機を熱心に見ている。またこのセンターには多数の自家発電機が展示されていて驚く。基本的にこの店にはミャンマー人が多く来ることが想定されており、ミャンマー人の欲しい商品として、発電機があるのだ。これが今のミャンマーの電力事情を表している。旦那もお客さんからの要請にしたが、商品を写真に撮り、メールで送って検討を促している。ミャンマー人従業員もおり、ミャンマー語で会話している。

 

それ以外にもこのセンターには沢山の商品があり、ミャンマー側のススとアイちゃんも喜んで食べ物や日用品を買い込んでいる。ミャンマーが発展したとは言ってもまたタイの経済格差は大きい。その後ロビンソンデパートにも行ったが、パンやお菓子、水はそこで調達していた。洋服などもここで買うらしい。夕飯もMK火鍋となり、完全なタイ仕様だった。雨の中をアイちゃんたちはミャンマーへ帰っていった。

タイ巡礼、そして茶旅2017(3)VIPバスでメーソットへ

7月13日(木)
お茶会

今朝は宿をチェックアウト。9時前にはカフェの店員が来ていないので、荷物を共有スペースにおいて、出掛けていく。もう慣れ親しんだMさんの家に向かう。今日は恒例のお茶会。少人数でゆったりとお茶を飲み、私の話を聞いて頂くという趣向が気に入っているので、止められずにいる。

 

始めたのは5年も前。当時は私自身もバンコックを臨時拠点にしており、開催回数も多かった。20人ぐらいでやっており、会場も大きかったが、その後少人数に切り替わり、現在に至っている。元はタイにも茶畑があり、タイ産のお茶があることをバンコック在住者に知ってもらおうという意図だったが、今は純粋にお茶を楽しみ、お茶の話題を提供している。

 

前回同様MさんのPCにパワーポイントが入っておらず、東京に行っているお嬢さんのPCを借り、東京との電話のやり取りで接続しているところが、いかにも現代的だ。そしていつものメンバーに集まって頂き、また初めましての方にもお出で頂き、最近の台湾や中国のお茶の話題をパワポを使って、お話しした。お茶はMさんが淹れてくる。あっという間に2時間が過ぎ、時間をオーバーして話し込む。年に1-2回は今後もお茶会を続けたいなと思う。

 

それからランチを食べて、スクンビット通りソイ53を歩いて見る。なぜここを歩くのか。それは香港長洲島のお爺さんが1975年頃、ここでプーアル茶を作っていたと証言していたからだ。勿論茶工場が残っているはずはなく、40年前の面影が見られるとも思えないが、ちょっとその雰囲気を味わう。このソイ、ゆったりとした住宅街で、意外と昔の影があった。大きな木があり、古い家もチラホラ。お爺さんがここへ来れば、懐かしむだろうか。これも一つの茶旅と言える。

 

銀行で用を足し、宿の方向へ戻る。途中でまたマッサージ屋に寄り、ゆっくりをとマッサージを受けた。このお店、かなりの大型店であり、海外からのお客も多い。ヨーロッパ系もいるが、韓国系、中国系が主になっているように見える。中国人も結構英語で対応している。マッサージ師とは言葉は通じないが、特に問題はない。

 

バスターミナルへ
それが終わると歩いて宿へ向かう。途中の市場で麺を食う。今晩は夜行バスなので、こまめに食事を腹に入れておくのがよい。周囲に安い屋台がないからか、結構お客がいた。今やバンコック中心部では、安いご飯を食べることが難しくなってきているようだ。食後、宿に帰る。預けた(置いておいた)荷物を受け取るが、バスの時間までは早過ぎるので、カフェで時間を潰す。

 

しかしお客がいなくなり、店員は帰りたそうだったので、外へ出た。例のバスでゆっくりとバスターミナルに向かうつもりだった。バスは結構混んでおり、道も混んでいたが、時間に余裕があるので問題はないと思っていた。このバスは6.5バーツと安いので乗る人が多い。そしてどんどん郊外に進んでいき、客も減って来た頃、突然Uターンして停まってしまう。何とバスターミナルまで行かなかったのだ。

 

これにはちょっと慌てた。何しろ真っ暗の中、自分がどこにいるのか分らない。文字も読めない。取り敢えず道路脇のバス停に行くも要領を得ない。少し歩くと交差点があり、お巡りさんがいた。聞いてみると、言葉は通じないが私の意図を理解し、タクシーを止めてくれた。結局安く上がるとバスに乗ったものの、タクシー代が高くつく。しかもかなり早く着いてしまい、時間を潰すのにも苦労する。

 

夜行バス
バスターミナルは若干エアコンも効き、快適ではあるが、人が多い。地方へ行くバスは夜行が多いということだ。メーソット行きは予約したバスより1時間前のものがあり、乗りたかったが、メーソットに早く着きすぎても先方に迷惑が掛かるので止めにして、色々と見学して回る。まあネットも繋がるので、問題はない。

 

ようやく乗るバスがやって来た。立派なバス、私の座席は1番前。座席は広く、隣は不在。充電も可能で非常に豪華。さすがVIPシート。飲み物とスナックも配られて快適。出発間際にオランダ人カップルが乗り込んできて、『こんなに安い料金でビジネスクラスのサービス、驚いた』と言っていたが、私も同じ感想だった。これからVIPに乗ろうと思う。

 

既に時間は夜の10時半、出発してすぐに寝入ってしまった。平地の道をスイスイと走ったようだ。夜中の1時頃、どこかのサービスエリアに停まる。取り敢えずトイレに行き戻ってみると、多くの乗客が飲み物を受け取っていた。どうやらバスチケットにクーポンが付いており、それを出せば無料でもらえるらしい。文字が全てタイ語で分からなかったのだ。折角なのでハニーレモンをもらったが、これが意外とうまかった。玄米茶は微妙な味。

 

それからうつらうつらしながら山道に入ったことを認識した。朝5時過ぎにはうっすらと明るくなり、かなりの山の中にいることが分かった。そして6時半、メーソットの街に入り、バスターミナルにバスは停まった。8時間のバスの旅は終わりを告げた。体は夜行でもかなり楽だった。

 

7月14日(金)
2. メーソット
ミャワディへ

早々にススにフェイスブックで連絡をした。ススは旦那の仕事の関係で、ここメーソットの対岸、ミャンマー側のミャワディに住んでいるのだ。ミャンマー人も許可があれば、メーソットに来るのは簡単だというので、迎えに来てもらうことにしていた。ただ朝が早過ぎて、ススの旦那が車でやって来たのは、1時間ぐらい経ってからだった。まあ眠かったのでぼっとしているとすぐに時間は過ぎた。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(2)運河ボートに乗って

気が付けばバンコックに来たのは昨年12月以来。帰りにちょっと散歩してみると、所々に変化が見られる。まずはアソークの近く、スクンビット通り沿いになぜか怪獣のテーマパークが出来ている。観覧車も見える。ここには元は何があったのだろうかと考えたが全く思いつかない。いずれにしても、突然街の真ん中にこんな物が出来てしまうのが、タイらしい。

 

そのすぐ近くには北朝鮮レストランも出来ている。昔からあったのかもしれないが気が付かなかった。営業時間前、中では女性従業員が踊りなどの練習をしているのが見えている。以前北京で行ったことがあるが、まあそれほど面白い所ではない。でもなぜか人気なのが不思議だ。

 

タイと言えば、やはりセブンイレブンにはよく行く。暑いので、水分補給は水かポカリスエット。最近はアクエリアスの細いボトルも売っているが、明らかに日本とは味が違う。そんなセブンで会計しようとすると、中国人観光客がどっと押し寄せている。そして皆が微信で支払いをしている。ついにタイでも微信決済か。私も使ってみたい衝動に駆られる。

 

疲れたので近くのマッサージ店に入ってみる。普段は脚マッサージばかりで、タイ式マッサージはあまりやらないのだが、ちょっと眠気があったので、そこで寝るつもりで受けてみる。これが何とも気持ちがよい。終わった後に冷たい水を飲むと本当に心地よい。病みつきになりそうで怖い。夜はやはりやはり早く寝る。どうも様々な疲れが出てきたようだ。

 

7月12日(水)
ボートの旅へ

翌朝も早く起きた。夜中に雨が降ったようだが、朝は止んでいた。宿のすぐ近くに運河があり、そこには乗合ボートが走っているのが見えた。特に予定がなかったので、散歩がてら、これに乗ってみようと、とっさに運河に降りた。ボートはすぐにやって来たが、どうやって乗るのか見ているうちに、皆が乗り込み、あっという間に行ってしまった。

 

ボートが着くと、大勢が降りてきて、乗る側はその後ボートのへりにつかまり、飛び乗るような感じでボート内に入っていく。ちょうど席が空いていたので座り込む。すると動き出したボートはすぐに水しぶきを上げ、危うく、ずぶ濡れになる。前の女性がビニールシートを持ち上げ、難を逃れる。これはかなり動きの激しい、スポーツのような乗船だ。

 

料金は車掌?に手渡し。いくらか分らないので20バーツ札を差し出す。お釣りが返ってこないので20バーツらしい。この運河ボート、意外と乗り降りが激しいので驚く。乗っている人は渋滞を避けた通勤途上の人々だから、服装はちゃんとしている。黒が多いのは未だに王様の死を悼んでいる。この服装でこの水しぶき、ちょっと日本ではあり得ない。しかも水はきれいとは言い難い。

 

終点を迎え、全員降りた。どうしようかとみていると更に先に行くボートが来て、乗り込む。僅か10分ぐらいで、また終点を迎えた。ここはどこだろうかと運河から上がってみると、何となく見たことのある光景が。ここには以前来たことがあるお寺があった。まずはお寺に入り、仏像を拝む。そうすると心が落ち着く。

 

それからどうやって帰るろうかと歩いて行くと、何と前回訪れた王宮への道を歩いていることに気が付いた。今日もまだ多くの人が王宮を目指している。私も王宮まで歩いて見たが、中には入らず、カオサン近くのバス停からまた無料バスに乗り込む。そろそろ戻らないと昼の約束に間に合わなくなる。ところがこのバス、アソークの裏を回り、そのまま高速に乗ってオンヌットの先まで行ってしまい、エラク遠回りとなってしまう。

 

ちょうど宿に辿り着いた頃、同級生のOさんから遅れるとの連絡が入る。待ち合わせはプロンポンの紀伊国屋。まあ先に行って少し本でも見ることにした。東南アジア関連の本がここには沢山あるからだ。ミャンマーの本が多い。どこまで真実が語られているのだろうか。またビジネスが進められるのか。

 

Oさんと落ち合い、まずはユニクロへ。ステテコを買いに行くが、ちょうどよいものがない。それにしてもタイのユニクロにもステテコがあることが驚きだ。続いてエンポリアムの上のフードコートに行く。ここは昔よりきれいになっているが、お向かいの新しいショッピングモールのそれより、安い。そしてそれほど混んでもいない。いつものカオマンガイを食べる。カメラを落として立ち上がってしまったが、向こうの席のお客さんに教えてもらい、事なきを得る。

 

それからエンポリのカフェでずっと話し込む。3時間以上はそこにいて、随分と色々な話をしたと思うのだが、それほど記憶には残っていない。何故だろうか。むしろタイ人男性が大声で携帯電話を掛けていたり、セレブの奥さんたちが騒いでいたりしたのが気になってしまった。帰ろうとすると、日本人のセレブ、Sさんが入って来たのにはびっくりしながら挨拶した。

 

帰りにアソーク駅のところにあるタイ茶のショップに立ち寄り、タイ茶アイスを食べた。昨日Tさんから『タイ茶アイスが大人気だ』と聞いていたので行ってみたのだ。このタイ人が好きなオレンジ色のタイ茶、2年前に茶工場まで訪問して色々と話を聞いたのが懐かしい。確かに行列ができていて驚く。45バーツで結構幸せな気分になれる。

 

そのままアソークから歩いて行くと、途中にすき屋があった。日本ではまず入ることがないのだが、『かつ丼』の文字が新鮮で、寄ってしまった。牛丼ではなくかつ丼。店は若者を中心に混んでいる。私のことはすぐに日本人だと分かるようで、英語で応対してくれる。170バーツぐらいでセットメニューを頂く。タイではこんな形態が流行っているのだと勉強になった。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(1)新しい宿

《タイ巡礼、そして茶旅2017》  2017年7月10日-8月2日

今年前半、それほど激しい旅ではないが、相変わらずお茶を求めて走り回っていた。そして茶の歴史の文献まで読み始めた。生活がほぼお茶になってしまっていたので、気分を変えるべく、お茶と関係ない旅を実施することにした。昨年はマレーシアに行ったが、今回はタイを歩いて見ることにする。果たして茶なしで何をするのか。ところがやはり茶は付いて来てしまった。お茶のご縁、恐るべし。さてどうするのか。

 

7月10日(月)
1. バンコック
新しい宿

いつものように成田空港からタイ航空に乗った。夏休み前でそれほど混んでいない時期を狙った。料金も高くない。グリコのアイスが出てくると着陸1時間前の合図だ。少し早く到着した。しかも駐機した場所はイミグレの真ん前。あっという間にイミグレを通過し、荷物もスムーズに出てくる。バンコックもやるな。

 

これまたルーティーンのように1か月のシムカードを買い、ATMでお金をおろし、電車に乗り込む。驚いたのは、切符売り場の自販機の大半が故障していたこと。空いていたので窓口に並び、切符を買った。どうなっているんだバンコック!電車では座り、マッカサンまで30分。いつもはここから地下鉄に乗り換えるのだが、今回は新しい宿にチャレンジした。

 

そこはマッカサン駅から歩いてすぐとなっている。ただ河があり、荷物を持って橋を越えるのがちょっと面倒だが、歩いて5分ほど。マンションの一角にあるが、予約でもしていないと、ここに宿があるとは分らないだろう。1階はカフェになっている。取り敢えず2泊をネットで予約しており、料金は現金で払うつもりだったが、いつの間にかカードで引き落とされていた。

 

ケーススタディと言う名前だけあり、まさに実験しているような宿だった。部屋はきちんとしており、トイレとシャワーもある。窓もあるし、クーラーもちゃんと効く、ネットの問題もない。ベッドがちょっと上がっており、何だか座禅する場所のようなイメージになっている。冷蔵庫はないが、電気ポットはある。

 

問題なさそうだったのであと2泊の追加をお願いしたが、オーナーがいないと分からないと言われてしまう。後で聞くともう1泊しか部屋はないと言われてしまう。因みに1階のカフェは8時すぎには閉店し、スタッフは帰ってしまう。夜中のチェックインなどはどうするのだろうか。謎だ。泊まり客は数人しかいないようだった。

 

しかし困ったことに、宿の付近は食べ物屋が少ない。それほど暑くないので、夜フラフラ歩いて見たが、なかなか見つからない。スクンビッドの方まで出て、何とか麺にあり付く。屋台のような店が沢山ある場所が恋しい。今晩は疲れたので、すぐに宿に戻り、シャワーを浴びて寝入る。

 

7月11日(火)
チケットを買いに

翌朝は早めに起きて、北バスターミナルへ行く。次の目的地、メーソットにはアイちゃんがいるので、ちゃんと到着時間を知らせる必要があり、バスチケットを購入して時間を確定させる。ネットでは既にみていたのだが、ちゃんと予約できる自信がなく?アナログにもブースを目指す。

 

宿の前から馴染みのバスに乗るつもりで出る。このバスの始発は私の定宿の脇にあるのでよくわかっている。ただ乗っていれば、いつかはターミナルに着く。だが、朝はラッシュ時間帯であり、車は全然動かない。地下鉄の駅は近いので、そちらへ行き、チャドチャックパークまで行く。そこで地上に上がり、無料の新聞を配っているおじさんにターミナル行バスの番号を教えてもらい、無事に到着した。

 

999バスのブースへ行き、メーソットまでのVIPシートを買う。VIPシート初めてだ。夜行バスだが、これで580バーツは安いと思う。ただ朝何時に着くかは、その時次第らしい。それから少しバスターミナルを見学した。市内へ行くミニバスを探すが、文字は読めず、言葉は通じず。結局また普通のバスに乗り、チャドチャックからMRTとなる。ちょっと詰まらないが、仕方がない。宿に帰ってゆっくり休む。

 

なぜかギリシャ料理を
今日のお昼は、昨年のバンコックヨーガ合宿で知り合ったTさん、以前からの知り合いのKさんなどとランチすることになっていた。Tさんはバンコック在住でヨーガクラスを開いている。実は明後日恒例のお茶会をするのだが、その時間帯はクラスがあるということで、今日のランチとなった次第だ。

 

指定されたレストランは何とギリシャ料理のお店。バンコックにギリシャ料理があるのか、ギリシャ料理って、どんな料理かと興味津々で向かう。ホテルの1階にあるとてもおしゃれなところだったが、広いスペースにお客さんはほぼいなかった。これもまた驚きだ。何と貸し切りか!

 

メニューをもらっても文字が読めず、よくわからず、適当に注文したところ、サラダも肉も凄いボリュームで登場し、これまたびっくり。結構美味しいので、久しぶりにむしゃむしゃ食べたが、とても食べ切れなかった。でも何となくカザフスタンで食べた串焼きに似ていたな。関係あるのだろうか。12時から3時まで、ずっと話続けてしまう。まるで女子会の様相。

バンコック ヨーガの旅2016(10)悲しみの王宮へ

テスコまで来たら何となく腹が減る。仕方なく、いや無謀にもそこでかつ丼を食べてみる。まあ期待はしていなかったが、一応食べられる。だがセットメニューにはみそ汁の他にドリンクが付き、更には何とたこ焼きが付いてくる。これがタイ人の好む日本食かとある種の感動を覚えた。これで145バーツは高いのか、安いのか。

IMG_0958m

 

夜は久しぶりにテレビを見る。大河ドラマは佳境に入っていた。タイのテレビはやはり何となくシックな番組が多く、中には亡くなった王様を偲ぶ番組もあった。実は私が今日合宿を切り上げたのは、明日やりたいことがあったからなのだが、何と明日は祝日、それも王様の誕生日だと知り、計画が狂ってしまった。こうなれば、明日は王匡に出掛けてみようと思い立つ。

 

125日(月)
王宮

翌朝は5時には起きず、ゆっくりする。私には睡眠時間の確保が重要であり、無理をするとすぐに体調を壊す傾向がある。ちょっとアーサナだけをやり、8時半を過ぎたのでいつものコムヤーンで朝ご飯を食べる。最近店に行ってもあまり笑顔を見せないおばさんだが、今日は孫?を抱いてご機嫌だった。

IMG_0964m

 

その場で食べようとするとお知り合いのKさんと遭遇した。色々とお世話になっているのだが、今回は特に連絡していなかったが、期せずして話が聞けた。やはり王様の逝去はタイ国民にとってかなりのショックだったが、徐々に立ち直りつつあるようだ。彼も今日はお休みで、これからジムへ行くという。バンコックでタイ人にジムが人気らしい。それでも東京のように混むこともなく、料金もまだ安いとか。

 

Kさんにバスの番号と乗り場を教えてもらい、バス停へ。やってきたバスは無料バスだった。バンコックには一番安いエアコンなしのバスに、時々無料のものがある。以前それに乗った話をIさんにしたところ、『それは貧しい人たちのためにあるのでお金のある外国人が乗るのは良くない。政府が廃止を検討している』と怒られた記憶がある。だが次にいつ来るかわからないので乗り込んでしまう。

 

バスはスイスイと見慣れた道を進んでいく。チャイナタウンを過ぎ、カオサンの近くまで来た時、大勢の人々が見えてきた。しかもほぼ黒い服を着ている。バンコックでこのような光景を見るのは初めてだ。私も洗濯した黒いポロシャツを着てはいたが、ズボンは茶色だし、違和感ありあり。外国人だから許して、と思っていると、ノースリーブの白人女性が歩いていたりもする。

 

いつもは楽しそうに歩いているタイ人も、この場ではかなり違っていた。花を持つ人、王様の写真を掲げる人、バイクにタイ国旗と遺影を付けて走って人までいるが、皆が整然として、続々と王宮を目指している。そしてゲートが設けられており、セキュリティチェックを受ける。そこからは広いイベント会場のようになっており、大勢の人が歩いていた。英語や中国語での案内表示もあり、国内外から人々がその死を悼んでいることが分かる。

IMG_0977m

 

駐車場だった場所を見ると、そこには医療車両があり、看護師さんが待機している。ブースにはお医者さんもいるようだ。皆さん、不測の事態に備えている。その向こうではなんと警察官や軍人が通りゆく人に食べ物や飲み物を配っている。曇りとはいえ、暑さはあるので、水分補給は重要だが、彼らはすべて業務ではなく、ボランティアで行っているように見える。

IMG_0989m

 

他のブースでも食事や飲み物、団扇やティシュなどが配られており、ここにいれば無料で何でも手に入ってしまいそうだ。国王の逝去を悲しむことと、人に施しをすることが結びついている。普段はバラバラ、自分勝手に見えていたタイ庶民の団結力をそこに見たような気がする。王様の弔問には毎日長い行列ができているとは聞いていたが、実際にそれを目の当たりにすると、自分が見てきた世界が違って見えた。

IMG_0996m

 

様子が分かったので横から外側へ出た。タマサート大学、博物館ともに、弔意が表されており、博物館は今日は休みだが、来年1月末まで入場無料らしい。偉大なる王の業績なども展示されているのだろう。それからカオサン方面に歩いて行く。バスを待つ人が沢山いた。カオサンの雰囲気はいつもとそれほど変わらない。

IMG_1003m

 

結局カオサンを通り抜け、大好きなお寺、ワット・ボウォーンニウェートへ行く。ここは王様が出家し、修行した寺だ。ラーマ5世以降歴代国王が出家したというから由緒はあるのだが、その規模は決して大きくはない。この寺の何が好きと言って、本堂に座っている時吹いてくる風がとても気持ち良いのだ。勿論今日は大勢の人が参拝に来ており、いつものような風を感じることはなかったが、ここでも王様への熱い思いがあふれ出ていた。

 

王様が出家修行していた頃の写真が何点も飾られている。特別の祭壇も用意され、そこに座って拝む人の姿もある。端の方にはテントがあり、ここでも飲み物が無料で支給されていた。ちょっと疲れていたのでコーラをもらい、椅子に座って休むと気持ちがよい。流れに流されることなく、ここで初めて王様のことを深く思う。私がタイに初めて来たのが1987年、それ以来王様はずっと一人だった。寂しい。

IMG_1023m

バンコック ヨーガの旅2016(4)インド人もヨーガを始めた!

この合宿、ワンサニットの広い敷地内のいくつかの場所を使って行われる。昨日のイントロは、この施設の象徴的な建物である、通称『池ハウス』。周囲を池に囲まれ、蓮の花でも咲けば、天国かと思われる作り。この施設を所有する財団のオフィスがあり、その関係で唯一Wi-Fiが使える。日本から来た人は基本的にシムフリーの携帯ではないので、ここに来てネットへ繋ぐことになる。私も前回はちょくちょくここへ来ていたが、今やタイのシムを入れており、どこでも繋ぐことができるので、ここに来る回数は相当減った。

IMG_0839m

 

朝は2階建ての2階、瞑想ホール。早朝の瞑想に始まり、実習も夜のビデオ鑑賞もここで行われる。そして昼間の講義は通称『土ハウス』。天井の高い、立派な建物なのだが、前回はアリが入り込み、かなり噛まれる。実はアリに嚙まれると相当に痛いとこの時に知った。しかし今回は入り口に盛り土がしてあり、侵入が阻まれていて助かった。この施設の横には新しいセミナーホールも出来ており、そちらはエアコンルームだそうだ。

IMG_0826m

 

参加者には各人当番が割り当てられる。私はプロジェクターなどの移動が担当。土ハウスと瞑想ホールの間をプロジェクターを担いで往復し、その設置も行う。何だか楽しい。講義は、以前も何度も聞いている内容のはずだが、なかなか頭に入ってこない。もう歳だ、専門的な用語は特にすぐに忘れてしまう。それでも講義に触れることで、ヨーガが体操ではないこと、その奥深いポイントを少し垣間見ることができる。

 

講義だけでは頭に入らないのは私だけではない。そのため参考図書なども紹介されるが、何と移動図書館として、かなりの量の本が持ち込まれており、実際に手に取って本を眺め、必要な書籍を確認することができる。インドにおいてもヨーガ研究の歴史は1920年代から、というので、参考図書もヨーガだけではなく、インド哲学から日本仏教、そして心理学など様々な要素が取り込まれていて、面白い。

 

講義で初めて、『マインドフルネス』という言葉が流行していると聞いた。瞑想をベースに今現在自らの内面や外面に起こっていることに注意を向けること、無意識に注意を向けること、といった定義がなされているらしい。これはこれまで何度となく、合宿で聞いてきた話ではないのか。普段聞いてもピンとこないだろうが、ここで聞くと何となく分かった気になる。

 

これが『心のエクササイズ』と言われ、ストレス解消法、うつ病対策になる、と巷では言われているらしい。そういう話を聞くと、どうしても胡散臭い、ビジネス的なものを感じてしまう。取り敢えず問題になっていることの対処法を探してきて商売の種にする、という人達がいる。ヨーガもインド伝来と言いながら、中身はアメリカのエクササイズ、ということが少なくない。マインドフルネスの考え方自体は良いと思うが、流行に流されるのではなく、一人一人が自ら考え、静かに実践していくのが望ましい。

 

またランチがやって来た。ここでは基本的に1日のメインがランチとなる。夜は軽めの食事、というのが胃腸の負担を和らげるので、有り難い。現代の暴飲暴食生活、時間との闘い、から隔絶されたゆっくりした空間で、ゆっくりご飯を食べれば、それだけでも健康になるだろう。

IMG_0844m

 

更に私にとっては、『1日中お茶を飲まない』ということが、実は体に良い、ということをこの合宿で体感している。勿論お茶が体に悪いということではないが、1日に何種類ものお茶を次々に飲んでいけば、それはやはり体内にストレスとなる。お腹も減るので食べる量も増え、太っていく原因にもなる。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。お茶当番の人が淹れてくれる、一杯の日本茶、で十分だ。

 

ランチの後は昼寝。11月終わりとはいえ、タイの日中はそれなりに日差しがある。勿論この部屋にはエアコンなどがないが、十分に快適なのは、森に囲まれているからだろうか。都会は暑い、ということも、ここにいればよくわかる。昨晩の寒さを体験し、日中の涼しさが心地よい。

IMG_0831m

 

午後の講義で、昨今のインドヨーガ事情が出てきた。2年半前に就任したモディ首相はインド至上主義者。聖なる河、ガンジスがどうしてあんなに汚いのかと、浄化作戦も練られているらしい。モディ首相本人が毎日90分やっていると言われるヨーガ。日本では彼の経済的な手腕ばかり語られているが、インドの伝統的なヨーガを世界に発信してもいる。国連で自ら発言し、政府の担当部署を格上げして、相当に力を入れているらしい。

 

この機会にヨーガが再定義され、インストラクターの資格も決められ、インド人にもヨーガを推奨し、一般への普及も図っている。まさにインド人がヨーガを始めた、のだ。これまでのヒンズー教の考え方では人は生まれながらに身分が決まってしまい、現代社会とは明らかに不適合。この中で生きる人々のストレスは従来にも増しており、半端ないはずだ。企業の福利厚生でヨーガが始まっている。

 

インド人がヨーガを通して健康になり、またヒンズーからも自由になれば、凄い活力が生まれるのだろう。首相はそこまで考えて、ヨーガを発信しているのだろうか。500ルピーと1000ルピーの高額紙幣をあっという間に廃止してしまった手腕。インドは大混乱に陥っているというが金を持たない庶民からは拍手喝采とか。大胆な政治はインドをどう変えていくのだろう。興味深い。

 

バンコック ヨーガの旅2016(2)タイの仏教見学

合宿はバンコック郊外のワンサニットというアシュラムで行われるのだが、今日はそこへ行く前に社会科見学がある。タイの仏教に触れる、ということで、お寺を2つ訪問する。「シャンティ・アソーク」と「スーアン・モッカ・バンコク(BIA)」、この対照的なお寺、5年前も訪問したが、その後どう変わっただろうか。日本の仏教とタイの上座部仏教の違いを垣間見る、良い機会となる。

 

因みに10月にプミポン国王が亡くなったタイは、どのような状況になっているのかにも、関心があった。正直昨晩歩いた感じでは、普段とそれほど変わった様子も見られなかったのだが、朝一番、私の普段着を見たA師は即座に、『これに着替えてください』と言って、黒のポロシャツが渡される。全員女性の前でいきなりシャツを脱いでポロシャツを着る羽目になった。さすがにお寺に行く場合、それなりの服装で行くべきなのであろう。

 

まずは車で1時間弱、原理主義的なシャンティ・アソークに行ってみる。ここは元々の仏教に帰ることを目指し、独自の規律で、出家各自がクティを作り、集団生活を送っている。まるで森の中で生活しているような環境にある。5年前に来た時はその原始的な様相に少なからず驚いたが、今回来てみると、クティがかなりきれいになっている。勿論僧たちは相変わらず厳しい顔をしているが、それでも前回よりはなじめる感じがあった。ここにいると何とも落ち着く。

IMG_0774m

 

子供たちが托鉢の帰りなのか、朝礼のようなことをしている。ここに来ている信者の服装はほぼ皆黒。やはり黒のポロシャツは正解だった。裏門から出て、各自買い物タイムとなる。ワンサニットへ行くと、簡単に買い物できる場所はないので、必要なものはここで調達する。ここには有名なシャンティ・アソーク経営のレストランもあり、美味しいそうな湯気を立てていた。路上でも様々な食べ物が売られていたが、なぜか食欲は出ない。

IMG_0765m

IMG_0780m

 

更に裏手ではトラックが横付けされ、若者が物資を下ろしていた。これもこの寺に住む若者たち。どこからか運ばれてきた食料を運んでいた。かなりの人数を食べさせることは、現代のタイでは托鉢だけでは難しいのだろうか。そもそも托鉢など行わない僧が増えているとも聞くが、ここは本来の仏教を実践する場だから、托鉢は欠かせないだろう。

 

続いてBIAに行く。ここも5年前に来て、極めて印象的だった。大きな目玉が描かれた絵が掛かっているところだ。現代アートと仏教が結びついている。あの目は何を見ているのだろうか。我々には何も見えていない、という表れだろうか。大きな池があり、施設は現代的で、ここも環境がよい。建物内ではセミナーが開かれているが、タイ語なので内容は分らない。

IMG_0794m

 

輪廻について描かれた絵などもあり、ここにいると常に自らについて考える機会が与えられる。1室には暗い空間があり、その奥には非常に安らかに過ごせる場所が設定されている。皆思い思いに寝転んで、池を眺めたり、目をつぶったり。心地よい安らぎが訪れる。タイ人のバンダが同行しており、彼女からタイ式の礼拝の仕方などを習う。彼女とは、バンコックのヨーガクラスでも会ったし、何と言ってもインドのロナワラを訪ねた時、1年間のコースで勉強していたので馴染みである。今はタイに戻ってヨーガの先生をしているらしい。何とも優秀な女性である。

IMG_0795m

IMG_0796m

 

施設内にショップがあり、皆さんは買い物を始める。これから始まる合宿に備えて、服などを買い揃えているのだが、私はまるで無頓着。A師と共に、自販機のコーヒーを飲んで待つ。それにしても、タイの仏教と言えば、一般人にはワットポーやワットアルンといった観光地の印象しかないが、随分と色々な面があるのだな、とつくづく思う。日本人ももっとタイの仏教を知るべきだろう。それが自分たちのためにもなる。

 

そういえば、5年前ここに来た時、ちょうどタイの高僧が来るというので、会いに行ったが、なんとそれは日本人だった。日本語で話しかけると日本語が返ってきた。タイで長年修行し、タイで誰もが知っているお坊さんになったというので驚いた。だがもっと驚いたのはその後、彼は突然恋に落ちて、還俗してしまったことだ。これは格好のスキャンダルとしてタイ全土を揺るがしたが、果たして信者のタイ人はどう思ったであろうか。

 

そしてまた車に乗り、ワンサニットへ。この2台のチャーターされたロットゥ。普段は普通に路線を走っているらしい。夫婦が個人で運転しており、今日はこの往復だけで十分に上がりがあるのだろう。荷物なども運んでくれて、実に親切。両側で花が売られている通りへ出ると、そこには懐かしいワンサニットアシュラムがあった。花屋?いや植木屋の規模もかなり拡大している。

 

このアシュラムへ入るには小さな川を越える必要があり、小舟に乗り、ロープを引いて渡らねばならない。一種の儀式のようで、何とも面白い。初めてここに来た10年前は、子供が手伝ってくれなければ渡れない感じだったが、今ではきれいになっている。いよいよここで私にとっての1週間の修行が始まる。

IMG_0804m