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タイ巡礼、そして茶旅2017(17)チェンマイからプレーへ

7月28日(金)
茶の革新

翌朝は早めに目覚める。食堂に降りていくと、凄く広くて食べたい物が見付からずに困るほど。こんないいホテルも今日までとは思ってみても、もう食べ過ぎで食事はそれほど進まない。その後チェックアウトして、ロビーで皆を待つ。やはりエレベーターに乗れずに皆困っていた。

 

今日の訪問先はチェンマイ郊外のティギャラリー。名前からしてお茶屋さんらしくない。行ってみると、おしゃれなカフェではあるが、そこで作られていた物は、飲むお茶というよりは食べるお茶。昨日見たミエンを分析して、コンブ茶という名の健康茶を製造し、同時に健康に良い食品を開発している。工場はまるでラボ。こんなところは初めてだ。

 

先日のシンポジウムではイタリア人が説明をしていたので目を惹いたが、オーナーはやはり中国系で今日も通訳のお役が回って来た。だが今回は科学的な用語も多く、中国語では分らない。その辺はHさんなどが英語で対応してくれたが、やはりお茶というのは分野が広いと痛感した。

 

実際に彼らが作ったジャムを付けてパンを食べてみると美味しい。『タイ人は元々お茶を飲む習慣がなかったのだから、その人たちに大量にお茶を飲ませるのは難しい』と言い、それより中間層に高まって来た健康志向を利用して、食べるお茶を売りだした方がよいとの考えだった。この方向性は間違っていないように思う。またコンブ茶を飲んだ人からは『何となく元気になって来た』という言葉も聞かれ、一定の効果がありそうだった。面白い取り組みの今後をフォローしてみたい。

 

プレーへ
そして車でチェンマイ市内に帰る途中、私はバスターミナルで降ろしてもらい、ご一行とここで別れた。申し訳ないことにもう一台に乗っていられた団長以下にはご挨拶も出来ず、何とも呆気ない幕切れとなる。まあ、これもまた旅、またどこかでお目に掛かれるだろうと勝手に思う。

 

確か昼前にプレー行きバスがあると聞いていたので、グリーンバスの窓口に並んだが、何と『夕方4時までは満員だ』とけんもほろろの扱い。あまり考えていなかったのだが、今日はタイの祝日で3連休初日。どこも混んでいると後で知ったがもう遅い。さて、どうするか。

 

いつものように言葉も通じないのに聞きまくる。取り敢えずプレーではなくランパーンまで行き、そこで手段がなければランパーンに泊まるつもりで探すと1時間後のバスが見付かった。そのバスで先日訪ねたランプーンを越え、ランパーンのバスターミナルまで辿り着く。午後2時半、日差しはかなり強かった。

 

3時過ぎにロットゥが出ることが分かりホッとする。ランパーン‐プレーはロットゥの定期便があるのだ。もう座る座席も慣れてきてよい位置を確保する。意外や乗客は多くほぼ満員で発車した。そこから平たい道を一路東に向かって走った。途中で宝くじ売りのおばさんが、その自転車を屋根に載せて、乗り込んでくるのが面白かった。夕方後5時すぎにはプレーの街が見えた。

 

9. プレー
プレー散策

ロットゥは街中で人を下ろしながら、最終的に街外れのバスターミナルまで来た。ここからすぐのところにホテルがあることを知っていたので、そこまで歩く。ただ心配だったのはバスも満員だったので、ホテルもお客で溢れていることだったが、それは完全に杞憂に終わる。

 

ホテルはかなり立派で、庭も広く、周囲を圧倒する高い建物である。ただロビーは薄暗く、人気はまるでない。フロントで聞くとあっさり800バーツで部屋が確保できた。かなり古めかしい作りのホテルで、懐かしさすら感じられる。後ろ側にはかなり大きなプールもあり、子供たちが歓声をあげながら、入っているのが見える。

 

取り敢えず腹が減り気味なので、街の方へ行ってみる。と言っても折角なのでまずは恒例のお寺に参ることにした。宿からフラフラ10分ぐらい歩くと小さな川があり、そこに古い城壁跡が残っていた。ここからが城内ということだ。城内にはめぼしい食堂もなく、民家が並んでいた。そういえば、刑務所があったな。想像通りプレーは落ち着いた街だった。

 

ようやく中心部のロータリーへ行くと、そこに大きな寺が見えたのでお参りした。周囲は官庁街?のように見え、お目当ての食堂や屋台は川沿いにあった。食堂で商売している人は華人、屋台はタイ人のようだった。屋台を覗いたが、結局食堂で麺を食べた。それでも足りないので、豚の串焼きなどを歩きながら食べる。特に観光客が多いようにも見えない。何故バスは満員だったのだろうか。

 

何となく暗くなってきたのでホテルへ戻る。その道すがら、普通の民家の壁の日本語教室のポスターらしきものが貼られていた。お相撲さんがユーモラスに書かれている。プレーで日本語を学ぶ人はいるのだろうか。恐らく日本に留学した人がアニメ好きの若者のために開いたのだろう、と勝手に想像したが、その詳細は分からない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(16)ミエン村を訪ねる

7月27日(木)
チェンマイへ行く途中に

今日はチェンマイへ移動するので、住み慣れた?ホテルをチェックアウトした。車は一路チェンマイ方面に向かって走り出すかに見えたが、郊外に出るとガソリンスタンドで停まった。そこにアマゾンカフェがあった。そのカフェで今売られているドリンクを飲んでみる。Green Tea with Milkのホットにしてみた。緑茶ラテ、砂糖は別についてきた。まあ、飲める範囲だが、タイ人はこれが好きなんだろうか。

 

それからまた車は走り、10時過ぎにタイ茶の工場に着いた。ここも2年前に訪問したことがあるので、場所はすぐに分った。ただオフィス棟はきれいになっているように思う。そしてあのシンポジウムで再会した御曹司、何と昨日無事に赤ちゃんが生まれたという。本当にギリギリまで参加していたんだなと驚く。という訳で彼は工場におらず、お父さんもバンコックにいるということで会うことは出来なかった。

 

代わりにスタッフに案内してもらい、工場を見学。この工場は以前入った時も、うわっというにおいがしてくる。持ち込まれた茶葉が無造作に放置されている。それを見て専門家は『これは葉傷みだね』という。茶葉が放置され、腐り始めているということか。このタイ茶は、わざわざこのような葉を使って茶を作っている。暑いタイで、茶葉を遠くから運んで来れば、傷むに違いない。この辺が華人の工夫ということではなかろうか。

 

オフィスでタイ茶を頂く。タイ茶は普通の日本人にはちょっと飲みにくいと思うのだが、T先生などは『これは色が素晴らしい。東京の原宿辺りで女子高生に売り込んだら、結構売れるかもしれないね』というので、かなりびっくりした。確かに色は奇抜なオレンジ、アイスティが主流で若者向けかもしれないが、そんなことは考えもしなかった。その柔軟な発想には驚く。それからランチに炒飯をご馳走になる。目玉焼きが乗っていて旨い。

 

タイ茶工場を失礼して、車は走り始めた。が、すぐに停まった。何と道路脇に温泉が吹き上げていた。天然温泉、という漢字まで書かれている。なぜこんなところに温泉があるのだろうか。さっぱりわからないが、足湯や温泉卵まで用意されており、結構本格的な開発が行われている。

 

そこから30分ぐらい進んだところでまた車は停まった。そこにはピックアップが何台か、我々の到着を待っていたのだ。そのピックアップに分乗して、山の中に入っていく。かなりの山道だ。どこまで行くのかと心配になり、ついにはミャンマー山中を思い出した頃、何とか村に到着した。この村が、ミエン作りをしていたのだ。

 

少し前までは電気も通じていなかったという、実に素朴な村だった。タイにもまだこんなところがあるんだな、と妙に感心した。村人が集まってきて、説明を始める。それから村の中を歩き、ついにミエン作りの場所に辿り着く。ああ、ここはミャンマーシャン州の山の中と何ら変わらない。基本的には同じ文化を共有し、同じお茶を作っていると思う(多少製法に差異はあるようだが)。

 

山間で使える土地は少ないが、茶畑も村の中にある。実にのどかな場所だ。ここは恐らく貧困地区に指定され、政府から補助金が出て、観光客を受け入れるプロジェクトが進んでいるようだ。確かにそれは重要だが、果たして外国人を受け入れられるのだろうか。我々はこの村に何日滞在できるだろうか。シムカードを入れれば、ネットは何とか繋がるので、まあ何とかなるかもしれないが、ホッとシャワーは期待できそうもない。

 

来た道を車で下っていく。もう慣れたので驚きはしない。そして先ほど合流した場所で村人と別れた。この村のミエンに関するプロジェクトも進んでいるらしい。王室系のロイヤルプロジェクトだろうか。有名企業でミエンが取り上げられたらりもしているらしい。将来どこかで出会うことがあるだろうか。それから車は一路チェンマイを目指して進んでいった。

 

8. チェンマイ
チェンマイの夜

車は夕方少し渋滞して、2時間半もかかって市内へ入った。今日のホテルは観光客が多い場所。その昔の大型一流ホテルだから、部屋は広いし、景色も抜群に良い。ピアポン先生はチェンマイ出身とのことで、地元に戻って来たので、張り切っている。夕飯も立派な中華レストランで豪勢に食べる。

 

それから皆と別れて夜市を探検したが、余りに人が多いので、ちょっとスタバなどの値段を見ただけで退散した。チェンマイはあまりに観光客が多過ぎる。先ほどのミエン村が懐かしくなってしまう。ホテルは古い大型でエレベーターがなかなか来なくて困るが、部屋に戻ると静かで落ち着く。珍しくバスタブに浸かり、ゆったりする。疲れもあってか、スーッと寝落ちる。

タイ巡礼、そして茶旅2017(15)メーサローン 中国語通訳を

7月26日(水)
メーサローンへ

今朝はやはりメーサローンへ向かう。チェンライまで茶の関係で来て、メーサローンへ行かない人はいないだろうとは思っていたが、やはり。ロットゥは既に何度も行った道を行き、途中から山道を登り始める。どこへ行くかはピアポン先生次第だったが、1時間半後に到着した茶工場は、やはり増福茗茶だった。

 

オーナー夫妻は私を見付けて驚いた表情を見せ、『なんだ、あんたが連れて来たのか』という。私が初めてメーサローンに来た2006年以来の付き合いだから、もう気心が知れている。当然ここでも通訳業務を仰せつかる。福建安渓から招いている茶師の張さんは、残念ながら病気で故郷に帰っているという。彼が来てから、ここの茶の味はどんどん良くなっていたので、ちょっと残念だが、彼ももう歳なので、そろそろタイ人でやっていく時代かもしれない。

 

茶工場の様子に変化はなかったが、ただ一つ、豆腐機があったのには驚いた。圧茶機と呼ばれるこの機械、茶葉を豆腐のように四角く圧縮するので、台湾では豆腐機と呼ばれている。茶葉を揉む工程にこれを使うと品質に問題が出るとのことで、既に鉄観音茶の産地、安渓では使用が禁止され、台湾でも規制が始まっている代物だ。

 

なぜここにあるのかと聞くと、2年ぐらい前に台湾の人が持ち込んだという。『これがあると揉むのが楽で、非常にコスト節約になる』というのだ。しかも『最近は紅烏龍茶を作り始め、豆腐機を有効に活用し、生産量を伸ばしている。有機紅烏龍はヨーロッパで人気になっており、結構高い価格で売れるので経営的には助かっている』というではないか。台湾との繋がりは良いが、豆腐機や紅烏龍が持ち込まれるのは、どうなんだろう。

 

続いて、増福と並ぶ有力茶園、芙蓉宮へ行く。この2社がチェンライ空港に出店を出しているので、名前は知られている。私はここに入ったことはなかった。迎えてくれたのは若い女性。彼女は若いけれども中国語は流ちょうだった。実は私は増福の娘を知っているが、この2人は同級生だというから驚いた。増福の娘は既に嫁に行き、子供もできているが、こちらの彼女はまだ結婚せず、家業を手伝っていた。

 

まずは茶畑が見渡せるお店で昼ご飯をご馳走になった。鍋が出てきたが出汁がうまかった。豚足などの名物、新鮮な野菜と、ご馳走が並んで嬉しかった。食後はメーサローンの市場に出掛けたが、平日ということから観光客の姿はなく、土産物を売る店で、お茶を少し見ただけで退散した。それからメーサローンの歴史を展示する泰北義民文史館という博物館へ行き、雲南・四川の元国民党兵団がここに流れ着き、タイに帰順した歴史を勉強する。一般の方には全く知られていない歴史かもしれないが、これが茶業と大いに関連するので、是非学ぶべきだ。

 

彼女の父はやはり国民党兵士で、メーサローンで最初に茶園を作ったという。メーサローンの象徴ともいうべき、大きな急須のモニュメントを作ったのもこの会社だった。その場所へ行くと、モニュメントの横に茶園が広がっていた。そこでお父さんが働いていた。30年前、ここを開墾して茶樹を植えたんだ、と懐かしそうに言う。そしてその地を今また開墾して、新たな茶樹を植えようとしている。元兵士だが、今は完全に農民に見えるお父さん。しかしその不屈の魂は若い頃に培われたものだろうか。

 

最後に登って来る時に通り過ぎた101茶園に立ち寄る。ここは観光茶園と書かれているほど、明確に観光客を相手に商売している。茶業専門家が来てもそのような対応はしない。茶畑の風景を眺め、茶工場の中を確認する程度。あとはアイス蜂蜜烏龍茶を飲んで退散する。本日の訪問は全て中国語が通じており、私が通訳をする。そのこと自体が、メーサローンの歴史を雄弁に物語っていた。ここはタイであって、タイではないのだ。

 

そういえば、車の中で機械メーカーの方々から、現在の世界の茶業の状況を興味深く聞く。先日行った中国貴州省にもよく行くというし、ケニアなどアフリカへの出張も増えているという。大規模茶業を展開するところでないと、製茶機械を売っていくのは難しいだろうから、彼らが行くところが世界の茶葉供給基地ということも言える。そういう意味では、タイの茶業の規模は中国やアフリカには及ばないから、自ずと別の道を行くことになるのだろう。

暗くなるころ、ホテルに辿り着いた。そろそろ食べ過ぎで動きが鈍くなる。今晩は軽く麺でも食べたかったが、団体行動なので、すぐ近くの華人経営のレストランに入る。食べないつもりでいても、料理が出てくると食べてしまう。なぜこんなに卑しいのだろうか??まあそれでもみんなで食べると美味しい!

タイ巡礼、そして茶旅2017(14)チェンライ郊外の茶園で

7月25日(火)
シンハパークへ

翌朝は早起きして、団体客より早く朝ご飯を食べる。オムレツも作ってもらえ、かなりの量を食べて満足。今日は午前中、チェンライ郊外のシンハパークへ向かう。ここは過去2度ほどきており、既に色々見ているので、あまり期待はしていなかった。だが行ってみるとパーク自体の建物もバージョンアップし、観光茶園の雰囲気が更に出ていた。

 

また食事をご馳走になったが、ソーセージやチーズなどが美味しく、参加者からも『タイで一番美味しい食事だった』と大好評。元々ここのパスタは美味しく、前回まではゴルフ場のクラブハウスのようなところで食事をしたが、今回はスイスにでもいるような雰囲気の場所に変わっていた。やはり日本と違い、タイの変化は速いのだ。

 

広大な茶園風景も素晴らしいが、この茶葉は製茶に使われることはないと聞き、エコじゃないなと、少し残念。また日本企業との合弁会社へ行くと、生産は軌道になっており、2年前から順調に動いているようだった。機械は日本の中古が持ち込まれている。駐在の方も静岡からご夫婦で来られており、それなりに生活をエンジョイされていたのでよかった。

 

パーク内はカートに乗って回るのだが、途中にオームがいたり、茶畑がよく見えたりと飽きることはない。育種などが専門の方は茶樹をじっくり調べ、製茶機械の方は、その可能性を探る。実は今日は和歌山大学で教えているタイ人の先生が同行していた。彼の専門は観光学であり、シンハパークの完成度が高いことに驚いていた。和歌山と言えば、タイ人と一緒に高野山に行ったことがあり、ご縁を感じる。タイは観光分野では日本より進んでいるように思う。

 

突然茶荘で通訳する

午後は茶工場を見学する。中国名は天元茶行、案内してくれたジャルワンさんは、ヒジャブを被っていた。彼女は中国語を話したので回族ではないかと思い、念のため確認すると、やはりそうだった。ここで驚くことにピアポン先生が、『私は日本語も中国語ができない。タイ語から英語に訳しても大変なので、あなたが中国語-日本語で通訳して』と軽く言われる。正直急に言われてもと思ったが、ジャルワンさんの中国語は非常に標準的で分かりやすかったので、つい引き受けてしまった。

 

天元は1975年にジャルワンさんの父親が茶業を始めた。彼は雲南から逃れてきた国民党の兵士で茶作りの経験があったようだ。その後台湾の支援を受けて、青心烏龍や金宣などの品種を植え、台湾式の烏龍茶も作っている。また日本の煎茶、ほうじ茶なども作っており、茶畑にはやぶきたも植わっている。カワサキの製茶機械、落合の刈り取り機も使っている。日本のこともある程度分かっている。茶工場は清潔で、確かに台湾製の機械もあり、日本製もあった。天元はチェンライ市内、我々が宿泊しているホテルのすぐ横にも大きな店を出しており、卸と小売りの両方を行っている。

 

少し時間が余ったので、観光に行く。ワット・ローンクン、ここはアーティストが私財を投じて設計したというだけあって見事な白の寺院がある。基本的に鮮やかな金色が多いタイの寺では異彩を放っている。ここは観光客も多く、外国人は入場料を払う必要がある。寺院内は涼しいが、相当暑くなってきており、水分補給が重要だった。

 

最後に少し山の方に向かった。ドイチャーンティ、初日の夜も、そして昨日のシンポジウムも一緒だったチュチャワル氏が出迎えてくれた。ここは無農薬、有機を追及している茶園であり、タイ、中国、日本とスエーデンのハーフの3人が共同で出資しているというから実にユニークだ。産量は少ないので、ある意味で実験茶園という意味合いだろうか。ここで試してみて、うまくいけば、他に広げていく、という考えがある。横に茶園を見ると、様々な品種が植わり、虫よけが立てられている。

 

お茶の試飲も数多くした。緑茶、紅茶、烏龍茶、そして独自に作られたエターナル茶。健康に良いお茶だという。途中強い雨が降ってきて、室内で説明を受ける。夕飯もご馳走になったが、カレーなど地元の様々な料理が出てきた。フルーツも豊富。お酒も地酒からワインまで出て、盛り上がる。チュチャワル氏は70代後半と思えないほど元気で、歌を歌い、踊っている。エターナル茶のお陰だろうか。

 

日本の歌を歌えと言われ、『昴』などをみんなで歌う。今はスマホで歌詞から音まで出てくるので、歌うのは意外と簡単だ。タイ人は日本の歌を幾つも知っているので、面白い。『ドラえもん』や『一休さん』などのアニメソング、そしてなぜか『涙そうそう』や『北酒場』なども人気があるらしい。山の中でかなり楽しく夜を過ごした。チェンライ市内で過すより、よほどタイらしい雰囲気がよい。帰りが雨の中、山を下りた。

タイ巡礼、そして茶旅2017(13)シンポジウムでタイ茶業を考える

7月24日(月)
シンポジウムに参加

翌朝は早めに起きて、朝食へ。さすがに大型ホテルだけあってメニューは豊富だが、団体観光客の食事時間とぶつかると、混雑も半端ない。席を確保するのがやっとで、ゆっくり食べることもできない。明日からは時間を考えて食事をしよう。また外の席で食べることもできるようなので挑戦しよう。それにしても、この団体、どこから来たのだろうか。東南アジアもいれば、西洋人もいる。そしてチェンライで何を見るのだろうか?

 

本日はメーファールン大学で開かれるシンポジウムに参加することになっていた。私はそんなものに出る服装すら持っていなかったが、まあタイなので、と皆さんの後ろから付いてバスに乗っていく。昨日も来たこの大学、かなり規模が大きく、施設は結構新しい。その新しいビルの4階でシンポジウムは行われる。

 

会場に行ってみると、外側にはいくつものブースが設けられ、お茶や食品、中にはコーヒーの展示・試飲・販売が行われていた。見てみると、何と日本人形が置かれ、煎茶を急須で淹れて、売っている店がある。ここは以前訪ねたことがある、日タイ合弁会社の製品だ。飲ませてもらうと、やはり我々には味が薄いと感じられるが、タイ人は興味津々で多くが試飲している。

 

パッケージが可愛らしいものもあった。恐らく女性向けのフレーバーティのようだった。タイでは花をつける等、フレーバーティが合うのかもしれない。プーアル茶の餅も置かれている。雲南産となっているが、その原料の茶葉はタイで作られているのだろうか。タイ北部は雲南と接してはいないが、当然近い。更には数十年前バンコックでプーアル茶の作られていた歴史を見ても、今後タイ産プーアルが出てきてもおかしくない。

 

そして驚いたことに、あのタイ茶もブースを出しており、何と無料でタイ茶アイスを配っていた。勿論こちらは大人気、朝からアイス(先日バンコックで食べたのとは別の味)を食べた。しかもブースには2年前に工場を訪ねた時にあった、オーナーの息子がいるではないか。向こうも薄っすら覚えてくれていて突然の再会を喜ぶ。彼の横には可愛らしい女性がおり、何と嫁をもらっていた。しかもお腹が大きい。聞けば数日中に生まれるというのだ。そんな中をこのシンポジウムに参加しているのは凄い。彼らの事業は東南アジアにも広がっており、アイス事業も立ち上がり、公私ともに順調のように見えた。

 

シンポジウムでは午前中タイ側、午後日本側の発表があった。タイ側は政府の役人や研究者が、タイ茶業の問題点などを的確に指摘しており、タイ政府の茶業に対する支援姿勢も感じられた。人材不足、茶畑面積の不足、育種・茶園管理など知識不足など、タイ茶業は後発であることを自覚し、積極的に対応策を検討していた。勿論大学に茶学部も設置され、その研究も進んできている。

 

また昨晩のディナーでも会った生産者も数社発表を行ったが、皆熱心で驚く。しかも有機栽培などに力を入れるほか、台湾の支援で作られてきた烏龍茶の輸出・販売方法や、タイにある後発酵茶、ミエンを活用した食品などが目を惹いた。皆さん、想像以上に努力していることが分かる。

 

昼ごはんのビュッフェを頂き、午後は日本側が話した。団長のHさん、T先生、Iさんなどが日本茶や日本の現状などを報告し、機械メーカーさんは日本の茶業機械について紹介した。どの程度興味を持たれるのかとみていたが、これまた想像以上の反応があり、しかも実務的、実用的な質問などが多く出ていた。中には日本に視察に行きたいという声まで出てきて驚く。日本人でタイがここまで茶業に熱心だと知る人はほぼいないだろう。むしろ日本の方が、進歩が遅い、タイの取り組みに見習うべきところがある、と感じる人まで出てきた。

 

ほぼ丸一日のシンポジウム、タイ側は日本のノウハウなどに極めて深い興味を示したが、日本側は、市場規模としては難しいと感じたかもしれない。ただタイの取り組みが成功するとこれがアセアン全体に広がる可能性があるので、少なくともウオッチしていく必要はあると個人的には感じる。こういう初期段階でうまく支援を行い、自分たちのビジネスに繋げていくことは大切だろうが、意外と日本はこういうことが下手だ。

 

皆さん取り敢えず役割を終えてホッとしたようだ。ホテルに戻り、夜は近くのナイトマーケットのレストランでくつろぎながら、食事をした。まさに観光客気分が味わえた。皆で食べると沢山食べてもそれほど高くない。タイ音楽や踊りを見ながら、かなり盛り上がった。帰りにホテル近くで猫カフェを発見して驚く。今や日本文化はタイにも深く侵入している。日本人がタイでのビジネスを考えるのではなく、タイ人に日本のコンテンツをうまく活用する方法を考えてもらった方が成功の確率は高そうだ。

タイ巡礼、そして茶旅2017(12)茶旅始まる

7月23日(日)
空港に集合して

翌朝は小雨だった。今日はチェンライ空港で日本から来る一行と合流することになっていた。今回は『お茶の無い旅』をするためにタイにやって来たのだが、やはりお茶が付いて来てしまった。バンコックに着いたことをFBで知らせると、静岡のIさんから、『私たちも来週タイ北部に行くけど』との書き込みがあり、その後やり取りを重ねると、そのツアーの幹事がお世話になっているNさんだと分かり、何とそのご一行に飛び入り参加することを許可して頂いたのだ。

 

空港まではタクシーで行くしかない。雨なので念のため早めに宿でタクシーを頼むとすぐに迎えが来てしまい、8時過ぎには着いてしまった。一行のフライトは9時過ぎ着なので、何となくボーっと過ごす。その内空港内のお茶屋スタッフが来たので、旧知のメーサローンビラ経営の茶荘に行ってみたが、そこの女性は中国語も英語も出来なかった。もう一つの茶荘では中国語は通じたので、ちょっと話を聞く。以前と比べても凍頂烏龍茶など、台湾名のついたお茶が沢山売られていて驚く。

 

だが9時過ぎになっても、なぜかバンコックからのフライトはランディングしない。雨が強くなっているせいだろうか。ようやく一行が国際線ゲートから出てきたのは9時半を過ぎていた。何とかIさんとNさんを見つけて合流したが、他のメンバーが誰なのか全く分かっていなかった。今回の団長Hさんは研究者、他に静岡の機械メーカー、肥料メーカーの人が数人いた。そして最後にお顔を見知った方がいた。T先生、日本茶業界では有名な方だったが、お会いしたことはなかった。

 

ご挨拶すると『月刊茶のコラム、読んでいますよ』と言われて恐縮した。更には『あなたは何となく同じ匂いがするね』とまで言われて心から驚く。T先生は『若い頃、よくM先生と一緒に中国やアジアの奥地でお茶調査をしていたから』というツワモノだったのだ。確かにそれなら系統は同じかもしれないが、先生は茶業試験場で長年研究していた方で、その専門性には雲泥の差がある。しかもよく考えてみれば、僅か3週間前に行った富山の朝日町、そこに植えられた品種富春を選んだのはT先生だと聞いたばかりだったから、茶縁というのは恐ろしいものだと感じる。

 

ここからは皆さんに同行して一週間を過ごすという、完全な茶旅になった。タイ側の受け入れは、チェンライにあるメーファールン大学のピアポン先生だった。メーファールン大学には茶学の専門学部があるようで、ピアポン先生はそこの主任教授だという。流ちょうな英語を話し、実にアクティブな女性だった。

 

ゴールデントライアングルへ
今日は日曜日なので、主要な活動は明日からということで、観光となる。まずはチェンライ郊外にあるメーファールン大学のキャンパスに貸し切りロットゥ2台で行く。案内されたところは中国風の建物。よく見ると孔子学院の文字もあり、中国の資金により建てられた中国文化基地であることが分かる。どんなところにも網の目を張り巡らす、こういうところが中国の凄いところだ。それにしてもこの大学の敷地も大きい。

 

 

続いてメーサイからチェンコーン方面へ行く。いわゆる観光地としてのゴールデントライアングル、1年半ほど前に一度連れてきてもらった記憶がある。向こう岸はラオス、モスクに見える建物はカジノ、中州はミャンマーなどと、前回聞いた話を又聞く。でもゆっくりとみられたので良いか。

 

その川岸で昼ご飯を食べる。これだけ大勢で食べるのは久しぶり。しかも団体でありながら、メニューのオーダーはピアポン先生がしているから、美味しいものが出てきて嬉しい。食後は散歩がてら、近くにあるお寺へ行く。黄金の大仏を拝む。バナナを買った人から分けてもらい、美味しく頂く。

 

その後オピウム博物館を見学する。かなり立派な建物だが、見学者は殆どいない。私はここの展示には相当に期待していた。というのは、茶馬古道というのは実は雲南省から南下する道もあり、その主要産品はお茶だけではなく、アヘンなどがあったからだ。ここに来ればその歴史を見ることができると考えていたのだが、その期待は見事に裏切られた。そこに展示されていたのは、アヘン戦争と中英交渉など、遥か離れた場所でのアヘンの歴史だったのだ。

 

だが考えてみればあたり前かもしれない。誰が好き好んで地元の黒歴史を語るものなどいるだろう。その利害関係は今も続いているのかもしれない。未だにミャンマー国境あたりではケシの栽培が続き、その利害関係が少数民族問題という形で語られ、時には武力衝突にまで発展している。取り敢えず、タイ政府が国連などの手前、博物館を作ってお茶を濁しているに違いない。

 

それからチェンライ市内のホテルに入った。立派なホテルだが、団体観光客用だろうか。昨晩泊まった宿のすぐ近くだが、料金は1000バーツも違う。まあ、日本から来た人々と一緒だから、偶には贅沢しないと。夜はホテル内で歓迎会が開かれ、中華を食べる。やはり近辺でもご馳走とは中華料理を指すらしい。食後は皆さん、両替に行き、それからマッサージや買い物に出掛けたが、私は必要がないのでホテルの部屋でゆっくりした。いいホテルでも蟻がいるので、ちょっと噛まれて痒い。

タイ巡礼、そして茶旅2017(11)パヤオからチェンライ散策

しかしそのうち我慢できなくなり、雨が止みかけたのをよいことに外へ出て湖を目指した。景色としては近くに見えるが歩くと10分ほどかかった。下は濡れているので何度か転びそうになる。そうしてやって来た湖は確かに美しく、吸い込まれるような感じだった。観光に訪れた人は屋根のあるところに固まり、ご飯を食べたり、話をしたり、楽しんでいる。

 

帰りにまた雨が降り始めたので慌てて麺屋に駆け込む。朝以来ご飯を食べていなかったので、美味しく掻き込む。ホテルまで戻るとまた雨が止み、麺で腹に空腹を呼び起こしていたので、更に探索して、叉焼飯を食べる。当たり前だがローカル飯は安い。そして美味い。本当にありがたいな。夜はまた雨となり、静かに就寝した。

 

7月22日(土)
パヤオの寺

翌朝は雨も上がり、散歩にはちょうどよい気温となっていた。朝ご飯は、ホテルに付いていたが、お客が少ないため、ビュッフェではなくメニューから選ぶ方式になっていた。こういう時はオムレツを頼むことにしている。でも隣のタイ人が麺を食べているのを見ると、それも美味しそうに思えてしまう。

 

外へ出た。レンタサイクルで行けばと言われたが、何となく歩きたくて歩き出す。この旅で定番なりつつあるお寺を目指す。大通りをずっと歩いて行くとパヤオ文化展示館があるはずだったが、残念ながら改修中だった。その先に最大の寺、ワット・シー・コムカムがある。規模が大きく、仏も大きい。寺の裏も湖になっており、いい景色が見られる。

 

更に道の反対側を登って行くと、ワット・プラ・タート・チョーム・トーンという長い名前の寺がある。龍の像が両側に置かれた階段を上って行く。かなり長く、疲れる。丘の上にはこじんまりした寺があり、女性が一人熱心に祈っているだけだった。私も後ろに座り、祈った。爽やかな風が吹き抜けた、それだけだった。

 

丘を降りて、適当に歩く。細い道に入っても、どこかには寺はあるのだ。ちょうど何かの法要が行われており、私は近くの木の下に置かれていた仏像に祈った。寺の名前はタイ語でしか書かれておらず、分からない。が、何となくいい雰囲気を感じていた。それからゆっくりと日差しが出て暑くなる中をホテルに戻る。

 

昼過ぎにホテルを出て、すぐ横のバスターミナルへ行く。15分後のチェンライ行きバスがあるというので、チケットを買ったが、全然やって来ない。ニーちゃんは英語が少しできるので、『大雨でバスが遅れている』というのだが、雨は降っていないので信じられない。仕方なく、他のバスを探すとロットゥがあるというので、買ったチケットをキャンセルして、こちらに乗り換えようとしたが、払い戻しは面倒なのか、なかなかやってくれない。そうこうしているうちにバスがやってきたので、何事もなかったかのように乗り込む。まあ、そんなものだ。

 

7. チェンライ
常宿が変わっていた

確かにバスは雨に濡れていた。そして出発後も少し雨に見舞われる。だが何事もなく1時間半でチェンライに着いた。まあ100㎞しか離れていないから、何とかなるのだ。ところが着いたのは新しい方のバスターミナルで、ここからソンテウに乗り換えて市内へ向かう。古いバスターミナルは改修中で、跡形もなくなっていた。

 

ここまで来れば慣れたもので、いつものホテルに向かうと、その向かいに新しいホテルが出来ていた。こちらの方がきれいだからと入ってみたが、料金を聞くと、何と向かいの倍だったので、すごすご引き下がる。まあ一晩だけだからどこでもいいや。ところが定宿は変わっていた。入口にあったレストランは無くなっている。

 

中に入ると前は愛想がなかったフロントがやけに親切だ。しかも料金は600バーツと前より安い。その代り、朝食はないよ、と言われる。そう、レストランを閉じたからだ。競争が激化し、合理化を迫られたらしい。部屋は相変わらずで、特に変化はなかったが。安くなったのはよいことなのだろうか。

 

洗濯物が溜まっていた。ここなら洗濯してくれるところがあるだろうと探しに出ると、すぐ近くにお寺があり、また入ってしまった。ワット・ジェヨー、ここは交通の要所で有名な場所らしい。付近にはゲストハウスが多く、外国人が沢山歩いている。そこに洗濯屋があった。今日中に洗濯を終わらせたかったので、急ぎでお願いすることにした。通常は100バーツぐらいで出来るらしいが、160バーツと言われる。それでもホテルで出すよりかなり安い。

 

洗濯を出すと、周囲を散策した。北の方に歩いて行くと、外国人向けのバーが並んでおり、サッカーなどテレビをやっている。その中にバレーボールがあった。最近タイの女子バレーは相当に強くなっており、日本も負けそうなほど、タイでの人気も高まっているようだ。更に歩いて行くと、大きなイスラム寺院、清真寺があった。チェンライはその昔から貿易拠点であり、華僑も多く、街に漢字が沢山見られるが、貿易相手のイスラム商人や回族もいたのだろう。

 

時計台がライトアップされていて、きれいだった。ただ雨が降り始め、早々に退散する。洗濯屋は苦戦しており、予定より時間が掛かったが、ちゃんと仕上げてくれた。追加料金も取られず、有り難い。夜は麺を食い、部屋でコンサドーレ札幌とムアントンのサッカー試合を見る。ムアントンは強く、コンサドーレにはタイのスター選手が入っている。アジア全体の底上げが図られている。

タイ巡礼、そして茶旅2017(10)花農園からきれいな湖へ

それから広い広い農園を散歩し始める。一体何種類植えられているのかと思うほど沢山の花が咲いている。見たことがないような花もあるが、いつも見ているのに名前を知らない花もある。世界情勢もそうだが、花のことも何も知らないことに愕然。FBなどにキレイな花をアップして、『それは何という花か?』と質問されたらどうしようと思ってしまうが、取り敢えず夢中で?写真を撮る。植物園のように色々な草花が試験的に植えられている場所もある。『植物は何も言わなくても驚くほど成長する』そうだ。

 

作業場ではタイ人スタッフが花の出荷に備えて作業を始めている。花は鮮度が大切だから、その輸出には気を遣うだろう。最近は経済が発展してきたタイ国内需要が増加しているとも聞く。確か5年前に『日本は細かいところにうるさいばかりでデフレで価格は上がらないから、もう輸出したくない』と言っていた記憶も蘇る。これから日本は世界から見捨てられていくな、と感じたのを思いだす。

 

道路の反対側にも農園は広がっており、最近植えたのか、背の低い花が並んでいた。5年前はこの辺を開拓して、長期滞在できる家を幾つも作る、という話を聞いた気もするが、それは夢に終わったのだろうか。それから道沿いをずっと歩いて見る。昨日の市場のあたりまでは行けるかと思ったが、車なら早いが歩いてはとても行けない。途中で数匹の犬に吠えたてられ、追い払われる。空しく帰途に就く。

 

午後はまた小雨が降る。ロッジから庭をずっと眺めていたが、なぜか掃除がしたくなり、そこにあった箒で周囲を掃き始めた。こんなことは滅多にないので自分でも驚いている。泊めて頂いているのだからきれいに使おうとか、掃除ぐらいするのは当然、と言った感覚ではなく、体が自然に動いてしまった。これもお寺巡りの効能だろうか。その日はそんなことをしながら、ほぼ1日を過ごした。こんな旅もあってよいと思う。いやむしろあるべきだと思う。実に質の良い睡眠がとれる。

 

7月21日(金)
パヤオへ

翌朝も早く起き、庭の散歩をしていた。母屋を通るとちょうどメオさんがお嬢ちゃんを学校に送る所だった。『今ならバスターミナルに連れていけるよ』と言われたので、面倒がないようにお願いしようと思ったが、さすがにSさんに挨拶もせずに出て行くわけにもいかないので、午前10時頃、送ってもらうことになった。メオさんには大変な負担をかけてしまい、何とも申し訳ない。

 

Sさんと朝ご飯を食べながら、また色々と話した。話題は全く尽きない。そしていつしか時間となり、名残惜しいがここを離れる時が来た。Sさんの体調が回復することを心より願っている。何とも心休まるこの空間に、次回また迷惑を掛けながらも、是非とも訪れたいと思う。

 

メオさんの車に乗り込むと、外へ出てすぐに停まった。農園の隣にカフェを作っているという。将来はここに宿泊場所も作り、エコを売り物にした農園にしていきたいと話してくれた。そうか、夢はこういう形で繋がれていくのだな、とちょっと感激。確かに彼女一人では訪ねてくる人の対応も大変だから、ちゃんとした宿の形式にして従業員を雇った方がよいと思う。次回はこのカフェでコーヒーを飲もう。

 

ターミナルまで送ってもらい、パヤオ行きのバスがあるか聞いてもらうと、『あるよ』という喜ばしい返事が返って来た。そこで彼女とは別れ、15分後に来るバスを待ったが、何とやってきたバスはボロボロ。しかも見たことがある。そうだ、これはミャンマー国境メーサイからチェンライへ行く時乗ったバスだ。何とこのバス、チェンマイ-メーサイ間を走る超ローカルバスだったのだ!パヤオまで90バーツ、とても安いが、一体どれだけの時間が掛かるのだろうか。まあ急ぐ旅でもないので、ゆっくり行こう。

 

しかしこのバスは本当のローカル。荷物は何とか後部に押し込むが、座席はガタガタ、勿論エアコンはない。ただちょうど涼しかったのでエアコンは不要だったが、それでも途中急に雨が降ると、皆が一斉に窓を閉めるなど、色々と大変なのだ。乗客も道路脇から乗り込んでくるが、長時間乗っている者などいない。途中のトイレが困ると思ったが、バスターミナルで若干の休憩(運転手の)もあり、その間にトイレに行けた。ただいつまで経っても着かないのだ。車掌は親切だが言葉は通じないので何も聞けない。

 

6. パヤオ
パヤオの湖

途中かなりの大雨に降られ、バスのスピードも心持ち遅くなり、バスがパヤオに入ったのは午後4時だった。何と5時間もかかっている。バスを降りるとまだ雨は降っている。周囲を見渡すとすぐ近くにホテルらしい高い建物が見えたので、走ってそこへ向かう。ちょっと立派そうに見えたが、中に入って聞くと、800バーツだという。ここもローシーズンの割引があった。

 

部屋へ行くと、街がよく見えた。更にその向こうにきれいな湖が広がっている。これがパヤオの湖か。タイでは有名な観光地だという。私はただ地図を見て、チェンライへ行く途中にパヤオをという地名があったので降りてみたが、存外いいところかもしれない。部屋からその景色を十分に満喫する。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(9)5年ぶりのランプーンへ

7月19日(水)
長い長いランプーンへの道のり

翌朝はホテルの朝食を食べた。勿論これまでのホテルより立派な食堂であり、メニューの豊富な朝ご飯だったが、結局食べたのはお粥やパン、目玉焼きで、これまでとそれほど変わらない。これで300バーツ出すのであれば、昨日の豚肉炒飯がもう一度食べたい、と思ってしまった。因みに朝食券を2枚もらったので、2度食べることも可能だろうが?それもしなかった。

 

昨日バスターミナルでランプーン行きのバスをチェックしたが、意外と少ない感じだった。ただ少なくとも午前11時には必ずあると聞いたので、10時過ぎに居心地の良いホテルを出て、近くでバイタクを拾い、ターミナルに駆け付けた。何しろ先日メーソットで『満員』を食らっていたので、気を付けたわけだが、切符はあっさりと買うことができて、手持無沙汰となる。

 

バスは11時過ぎにやって来た。ケンコーンからチェンマイへ行くバスだ。一応座席は決まっているがガラガラだったので、好きな席に座っていると車掌のおばさんに『ダメ』と言われる。仕方なく戻って狭い座席に座っていると、スコータイの遺跡を通り過ぎる。元はここに泊まるはずだったのに、と思っていると、白人が大勢乗り込んできて本当に満員となってしまった。カップルが席を代わってくれというので、ちょっと広い席に移動できたのはよかった。

 

当初5時間でランプーンに着くと言われて乗ったのだが、このバスも幹線の全てのターミナルに停まり、どう見ても早そうではない。先日通り過ぎたタークでは30分以上のランチ休憩もあり、進みが極端に悪い。しかも車内はクーラーが効きすぎて、体が冷えてしまい、体調を崩しそうになる。

 

実はランプーンではSさんのところにお世話になることになっていた。過去2度行っているがいずれも車で連れて行ってもらったので、バスに乗って自力で行くというのは初めて。午後4時頃バスターミナルに着く、と伝えていたにもかかわらず、午後4時にようやくランパーンまでしか行けなかったので、慌ててメールする。

 

5. ランプーン
久しぶりの花農園

結局午後5時半前にようやくランプーンに着いた。あまりバスの発着もない、ローカルな感じだった。そこにポツンとSさんの奥さん、タイ人のメオさんが待っていてくれた。恐らく1時間半以上、この何もないところで待っていただろう。何とも申し訳ない。メオさんの車で自宅へ向かう。そこはランプーンの街からも結構離れており、むしろランパーンに戻る方角だった。ただタイの長距離バスは頼んでおいても途中下車は危険だということで、取り敢えずターミナルへ行ったのは正解だったようだ。

 

家に行く前に近くのマーケットに寄る。そこで焼き鳥、焼き豚など今晩のおかずを買う。何とこの市場でも寿司を売っており、しかもなぜか白人女性がそれを買っていた。なんとも不思議な光景だったが、やはり市場というのは面白い。私は言葉ができないのでタイ人の後ろをついていくと色々な発見がある。夕日もきれいに線路に傾いていく。

 

5年ぶりにSさんの花農園にやって来た。以前より一層木が生い茂っている感じがする。その自然の中のコテージに泊めて頂くのが何とも楽しみだった。ここは何もしないでいるだけで十分に心地よい。かなり鈍感な私に、植物の力を感じさせてくる場所だ。すぐにあたりは暗くなる。

 

母屋で先ほど買ってきた焼き鳥などの夕飯を頂く。Sさんは最近大きな病気をされており、以前のように動くことは出来なくなっていたが、色々な話をしてくれた。娘さんも12歳になり、何でもお手伝いができる。タイ語も日本語も話せるようで、何とも月日の速さを感じる。息子さんは今やチェンマイの大学に行っているという。卒業後は、この花農園を継いでくれるのだろう。頼もしい限りだ。

 

夜は部屋に付いているシャワーを浴びて早々に就寝する。何しろ静かなのだ。時々微かに虫か何かが動く気配がするが、それだけだ。夜半に雨が降り出した。その雨の音がなぜかとても心地よく聞こえてくる。なかなか表現が難しいが、どこかに吸い込まれていくような、気持ちよい眠りがあった。

 

7月20日(木)
ゆったりとした1日

朝起きると軽く雨が降っている。傘を差して少し散歩した。それから母屋でお粥の朝食を頂く。この家には犬や猫が何匹かいるが、昨晩もちゃんと夕飯のおこぼれを狙って、ずっと待機していた。今朝も同様だ。猫は椅子の上に上がってきて、ついには私の膝の上で寝転がる。人間に対する恐怖心というものは皆無なのだ。ちょっと叩れたり、追い出されても遊んでいるような雰囲気だ。飼い主の愛が感じられる。

 

Sさんは体が少し不自由になったが、毎日朝からインターネットを通じて世界中の情報を集めて関心を寄せている。私などが知らない世界の話もよく知っていて驚く。『この問題をどう思うか?』などと聞かれても答えられない。アジア中を旅していると言っても、実はたかが知れている。しかも知っている分野は相当に限られており、多くの人が関心を寄せるような問題を全く知らないことが多いと痛感。

タイ巡礼、そして茶旅2017(8)突然ピサヌロークへ

7月18日(火)
なぜかピサヌロークへ

翌朝はゆっくり起きて朝食を食べ、昼前にホテルを出た。結局スコータイへの行き方が分からず、トゥクトゥクを呼んでもらいバスターミナルへ向かう。ところが運ちゃんは途中でスコータイ行きのソンテウがないか、聞き始める。だがやはり昼間はないようだった。仕方なくターミナルまで送ってくれたが、当初の金額+20バーツ出せと言い出す。元々決めた金額があり、その場所まで来ただけなのだが、追加を要求する、さすがにお断りした。

 

さて、ターミナルでスコータイ行きのロットゥを探したが、すぐに出るものはないという。まあ時間があるのでゆっくり行くかと思いながら、フラフラしていると、目の前に大型バス、そこにはピサヌロークという文字が見えた。何となく同じ方向なので、急きょピサヌロークに行ってみることにして、そのバスに乗り込んでしまった。

 

確かにバスはすぐに出発したが、このバスは村々を回るローカルバスだったので、色々な所に停まり、なかなか進まない。まあそれこそ時間はあるので、と余裕を持っていたが、座席が一番後ろでよくないこともあり、途中からさすがにちょっとイライラしてくる。文字が読めない私は、行先の英語だけでバスを判断しないといけないのだ。もっと豪華なバスを探すべきだったと言ってももう遅い。

 

ただいいこともあった。車掌が乗っているのだが、子供や年寄りが乗ってくると、ちゃんと席に誘導し、大きな荷物を抱えた女性などの世話も熱心に焼いている。乗っているうちに寝込んでしまった幼い子を抱っこし続ける母親には、2席空いているところに移動させていた。こういうところがタイのいいところだと思うし、車掌が必要とされる理由だろう。

 

結局3時間近く掛かって、ピサヌロークの街に入った。だがどこで降りてよいかわからない。取り敢えず終点まで行こうと乗っていると、何と郊外まで連れていかれてしまう。そこがバスターミナルだったのだ。急なことで、泊る宿の目星も付けていなかったのがいけなかった。

 

4. ピサヌローク
立派なホテルに泊まり

仕方なくネット検索して出てきたホテルを目指すことにして、バイタクと交渉しようとしたが、仕切り屋のおじさんがいて、彼が差配した。そのホテルまでは2㎞ぐらい離れていたが、炎天下に歩く距離ではない。ピサヌロークは思ったより大きな街で、道も広く、ホテルの前を通り過ぎ、橋の袂でUターンするほどだった。

 

しかしこのホテル、私には立派過ぎた。だがどうも歩いて探す気力が起こらず、フロントに値切り交渉をしてみる。すると『ネットの方が安いから』と言われ、Wi-Fiパスワードをもらって、ネット検索する。結局分ったことは、朝食ナシなら1300バーツ、朝食付きなら1600バーツという違いだけだった。前日の宿が500バーツだったから、奮発して朝食付きにしてみる。部屋へ入ると、確かに1600バーツの部屋だった。非常に清潔でベッドもよく、窓から街が一望できた。何だかちょっと嬉しくなる。後で聞いたところ、日本企業の出張者がよく泊まるホテルらしい。日本なら東横インに泊まる料金だからやはりタイは嬉しい。

 

街歩き
取り敢えず腹が減っていた。外へ出てみたが、すぐには店が見付からない。ちょっと行くと線路がある。これがバンコックとチェンマイを繋いでいる鉄道らしい。その横に店があり、うまそうな豚肉が下がっていた。思わず入って、その豚を指したところ、若者が英語で対応してくれた。しかも日本人と分かるとなぜがとても喜んでくれ、『この豚肉を入れてチャーハンを作ろう、そこに卵も乗せよう』とアドバイスしてくれた。この炒飯、滅茶苦茶うまかった。出来ればもう一度食べたい。この豚肉、かなり念入りに焙っているらしい。てっきり中国系かと思ったが、聞いてみると『中国は嫌いだ』と英語で答えていた。

 

ホテルの先の方に寺が見えたので行ってみる。川沿いのワット・ナンパヤーという寺だった。とてもすっきりした仏像が安置されており、暑さもあって、長い時間座り込んだ。外へ出ると、屋根の下でお坊さんが講義をしていた。話しているのは若い坊さん、聞いているのは相当の年配者。どうやら在家が一時的に出家して修行しているようだ。私も修行してみたいように思ったが、この暑さには耐えられそうもない。

 

もう一つ、もっと大きな寺があった。ワット・プラスリラッタナーというお寺。こちらにはここピサヌロークを治めた王の奮戦ぶりが描かれた絵画が飾られていた。仏塔も見える。本堂には大勢いの信者が集まっており、エアコンが効いているので、皆座り込んでおしゃべりしている。寺の機能として、皆が集まる場所、というのもあるかと思う。私も又ここでかなり座り込んでいた。だんだんお寺で座っていることに快感?を覚えるようになってきた。なぜだろうか。

 

夕方までホテルでゆっくり休んだ。ここでも雨が降っていた。少し止んだのを見計らって、街を歩く。まずは駅に向かった。明日ランプーンへ行くことになったのだが、列車でも行けるのではないかと思い、偵察に出た。だがどう見ても列車が沢山走ってようには見えない。ただ面白いと思ったのは、鉄道駅を中心に街が発展していること。タイで初めて見るケースだと思う。

 

川沿いまで歩いて行き、観光客が行くような市場へ出た。お客は多くなかったが、川風に吹かれながら、焼きそばを食べた。これはこれで風情があった。暗くなると本当に街は暗い。きれいな仏塔があったが、写真が写らないほど。何とか宿に辿り着くのがやっとだった。