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台湾南部ぶらり茶旅2015(4)嘉義 天目茶碗を売る店

11月11日(水)

両替

寒い夜を宿で過ごした。エアコンの掛け過ぎで頭が痛い。食欲もあまりなく、ボーっとリビングでネットを繋ぐ。今日は嘉義に行くことになっていた。嘉義までは電車で2時間、10時の電車に乗るとして、それまでにやるべきことは、両替だった。だが、銀行は9時までは開かない。

 

両替なら台湾銀行かと思い、散歩がてら捜しに出たが、なかなか見付からない。ようやく見つけたが、どこの街でも台湾銀行はやはり立派だ。でも開店はしていない。結局9時に宿近くの別の銀行で両替に臨んだが、そのレートはほぼ同じでも、手数料として50元引かれたので、昨日空港で替えたほうがましだったかもしれない。それより何より、沢山書類を書き、時間も相当にかかる。まあ、これは昔からで、日本の銀行は今でもそうかもしれない。

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急いで宿に引き返し、荷物を纏めてチェックアウト。本当にきれいな宿だったので、今度はちょっと高いが個室に泊り、もうちょっとゆったりと過ごしたい。高尾駅までは地下鉄に乗るより、歩いた方が早い、とのアドバイスを受け、荷物を引き摺り、歩いていく。本当に交通量も多くないし、人も少ない。

 

高雄駅は昔、私も使った旧駅舎が保存され、高速鉄道が伸びてくるのか、工事が行われていた。駅構内に入ると、すぐに嘉義行きの自強号の切符が買えた。高速鉄道は左営というところまでしか、繋がっていなので、高速鉄道に乗る人は最初から地下鉄なりで、左営駅へ向かってしまう。本当に地方ローカル駅になったなあ、高雄。ホームも昔のまま。私が31年前、ここへ来た時にも自強号に乗ったなあ、と懐かしく思い出す。10時ちょうどに出発したが、それほどの乗客もなく、往時とはかなり違うことは一目瞭然だが、返っていい雰囲気を出していてよい。

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途中岡山という駅がある。この地名だから、昔も目に着いたのだが、今回は何と、戦車や軍事関係のものが大量に貨車に載せられている横を通り、驚いた。どう見ても平和な台湾だが、やはり備えはちゃんとあるのだろう。選挙が近いので、大陸側の妨害工作などに備える目的かもしれない。

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 2.嘉義

天目茶碗

嘉義まで2時間かかると思っていたが、何と1時間15分で着いてしまった。直前の新営駅を通過した時、これから会うジャックにメッセージした。ジャックはAさんの紹介で、突然会うことになった人物。勿論初対面だし、何をしているかもわからない。まあお茶関係者ではあると思うのだが。

 

嘉義駅に着く。ここも5年ぶりぐらいだと思うが、特に変わった様子はなく、阿里山の玄関口、といった雰囲気を漂わせていた。阿里山鉄道は5年前止まっていたが、今は動いているのだろうか。以前は駅前からバスに乗り、関子嶺という名の温泉へ行ったものだ。ここは泥の温泉として有名で、入ると肌が滑々したのをよく覚えている。この宿の番頭さんに紹介されて初めてバスで阿里山に登ったのは、もう14年ぐらい前だろうか。何とも懐かしい!

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駅前でキョロキョロしていると、並んでいた迎えの車の1台から、手を振る男性がいた。彼は一目で私を日本人だと分かったようだ。ジャックの車に乗せられて、嘉義の街を走った。街の真ん中あたりに、昨年ヒットした映画、カノに因んだ像?が立っていた。嘉義農林の甲子園準優勝の話は、実は小学生低学年の時に借りてきた本により、知っていたのだが、まさかこんなにこの話が有名になるとは。これもまた、1つの旧懐日本ブームの表れだろうか。

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町が落ち着いてきた頃、店に到着した。やはりお茶屋さんだった。だが中に入ってビックリ。お茶屋というよりは、茶碗屋だった。それもあの天目茶碗。何処からこんなに集めてきたのかというほど、大小様々な沢山の茶碗が飾られており、何とも驚く。そして阿里山高山茶を小さな天目茶碗で飲む。こんな経験は初めてだ。更には特製のプーアール茶をこれに入れて飲むと味が違うよ、と言われ、飲んでみたが、何となく濃厚な感じがしたのは気のせいだろうか。

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ジャックは何と5年前まで台湾の大手銀行の行員だったという。私とほぼ同じ時期に、同じように退職して、好きなこの世界に入った。ただお茶屋さんは多過ぎて、茶葉売りに参入の余地はないと分かっていたので、敢えて茶碗を扱ったらしい。偶々嘉義には天目を作る工芸家がいたこともあった。

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店の後ろには、畳の部屋があり、更にゆったりと茶が飲めるスペースになっている。烏龍茶を椀型に固めたお茶を作っており、数年は寝かせるらしい。色々と面白いことをやっている。確かに人とは違うことをしないと、生き残るのは難しいのでは。昼の時間になり、奥さんがわざわざ、嘉義名物、鶏肉飯弁当を買ってきてくれた。目玉焼きが乗っており、いい感じの鶏肉と妙に合っていた。親子丼か。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(3)高雄 茶業組合会長の店で

茶業組合会長の店で

一度宿に戻り、休む。それほど暑い訳ではないが、そうは言っても東京とは気温が違う。しかも高雄は台北よりもかなり暑い。それでも来た早々の今晩、何もしないのはどうかと思い、Mさんがくれた情報に基づき、お茶屋さんを訪問してみることにした。宿でその場所を聞くと、『歩くと30分ぐらい、地下鉄はない』というので、教えられた通り、歩いてみた。

 

高雄駅前の川を渡ると、なぜか31年前の記憶がふと蘇る。ここは昔も渡ったが、あのごみごみした猥雑感はきれいに消えていた。駅を右に折れると、なぜか電気屋街が。電気屋というよりITショップ。高尾駅前が東京の秋葉原みたいになっているとは、初めて知った。高雄は台北ほど地価が上がっていないということか。駐車場がないので、若者向けのショップになったのか。はたまた何か特別な理由があるのか。安そうな台湾製のスマホがあったので、買いたいと思ったが、機械に弱いので迂闊に手を出しても色々面倒だと、止めにした。

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インドネシア商店なる店もあった。最近はインドネシアからの出稼ぎ者が多く、お手伝いさんも大体ネシア人らしい。ここで母国の雑貨を買い、親に電話を掛けるのだろうか。駅から少し離れると段々寂しくなる。最近は車社会で駐車スペースの少ない駅前が寂れるというは日本の地方にもよくある現象とはいえ、高雄は台湾第二の都市。これでよいのだろうか。

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比較的大きな道路を渡った先に、目指す長信銘茶は存在した。予想したより遥かに大きく、そしてきれいな店で驚いた。店内に入ると、女性が『何か?』と聞いてきたので、オーナーはいるかと聞くと、その横にいた男性が『私です』という。高雄の茶業組合会長の店、と聞いていたので、長老が出てくるとばかり思いこんでいたのに、私と同年輩の人とは意外だった。

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彼、黄さんに私の茶旅を紹介すると、お茶を淹れてくれ、話が始まる。黄さんのお爺さんが30年ぐらい前、六合夜市辺りで観光客にお茶を売り始めたのが、茶販売の最初だという。黄さん自身は、阿里山あたりに持つ茶畑から茶を採り、製茶している。『私は茶農家です』という感じだった。商売が大きくなったのは、やはり大陸に茶葉を売り始めてかららしい。現在河南省鄭州に支店を持ち、息子を派遣している。2年前に建て替えたこの新店舗も、大陸からの収益で出来たのではないだろうか。

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高雄の茶業界、20-30年前は300軒ぐらいの店があったというが、彼が会長になった数年前は、80軒程度まで落ち込んでいた。現在は110軒程度まで盛り返してきているが、その理由は台湾人のお茶需要ではなく、やはり大陸観光客の急増、『お茶を土産物として観光客向けに小商いする人が増えた』ということだった。しかし今後もこの傾向は続くと言えるのか。

 

では来年の総統選挙で、民進党が勝ち、大陸との距離が離れたら、商売はどうなるのだろうか。『選挙では民進党が勝つだろう。それは仕方がないこと』とすでに割り切っている様子。それ以上話を聞こうとすると、どこかに電話を掛けて、『今娘が来ますから』という。何でわざわざ自分の娘さんを呼んだのか?

 

やってきた彼女は大学を卒業したばかりの22歳。父親はさっとどこかへ消え、彼女が応対してくれた。学校で日本語を勉強しており、日本人客は彼女の担当ということらしい。『日本と同様、台湾の若者のお茶離れがとても激しいんです』『ペット飲料のお茶をお茶だと思っている、それが美味しくないという友達が多くて残念です』と一生懸命日本語で語ってくれた。

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だからいい烏龍茶の茶葉をそのまま入れた特性ティバックを作り、販売を開始した。これなら若者でも面倒なく、お茶が淹れられ、美味しいお茶が飲めると笑顔で話す。現物を見ると、確かに丸まった茶葉がそのまま入っている、三角状のティバッグ。これを作る機械は、と聞くと、日本から取り寄せたという。この投資は決して小さくはない。父親は『娘や息子の時代になるんです。私は茶作り』とさらって言っていたが、簡単なことではないように思う。

 

更に高雄は暑いので、若者は冷たい飲料を好む。出来るだけ美味しい、そして冷たい飲料を目指して、例のティバッグをちょっと重厚なビンの容器に入れて、冷やし烏龍茶を作り、店内の冷蔵庫に入れて、販売している。これもこれまで見たことのないスタイルでとてもユニーク。ビンの容器はちょっとずっしりしていて、持ち歩くのにはどうかとも思うが、再利用可能で、若者らしいエコスタイルも演出している。友人たちの評判も悪くないと顔をほころばせる。実に素直な、そして、堂々とした応対が出来る、自分の主張も話せる彼女。素晴らしい!

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日本ではとかく『茶業の将来は厳しい』という話ばかりをするが、こんな前向きな、明るい、そして楽しい茶販売、いいなと思う。将来のことは若者に任せて見守る、それができれば、茶業の形も変わるかもしれない。そういう意味では日本の将来も若者たち、子供たちに託すべき、口だけ出して何もしない老人は退場すべき、というのが本当ではないだろうか。

 

お茶屋さんを後にして、また歩いて宿へ戻る。高尾駅前のメインストリートは、なぜかブライダルショップが目に付く。宣伝が派手だ、ということもあるかもしれないが、結婚産業は、経済が低調でも順調だ、ということだろうか。来年以降の先が見え難い台湾だが、誰も分からない未来に皆が賭けている。『いつの時代もそうさ、安定などないのが台湾』と言われているようだった。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(2)高雄 夜市で中国人に間違われないように

きれいな宿

今日の宿は、皆さんから勧められたあひる屋へ。ゲストハウスなのに、とてもきれいだといい、評判が良い。美麗島駅からも近くて便利。ビルの5階に行くと、確かに改装したのか、ピッカピカ。入口でスリッパに履き替える。スタッフもフレンドリ―でニコニコしている。日本人女性も手伝っていた。部屋数もかなりあるようで、一番端の8人部屋にベッドを確保した。

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リビングもかなり広いので、そこでネットを繋ぐとサクサク。無料の茶を飲み、かなり寛げる。トイレとシャワーの数も十分にあり、トイレの近い老人には嬉しい。オーナーの一人は日本人だというが、ちょうど日本へ行っており、会うことは出来なかった。1泊、700元はドミトリーとしては若干高いのかもしれないが、きれい好きの日本人に会うコンセプトかと思う。因みに同じバニラ航空に乗っていた日本人の若者達も数人チェックインしていた。

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因みに朝が早かったので夜は早く寝たいと思ったが、同室の香港人の若者がずっと話をしており、ちょっとうるさい。おまけにクーラーをガンガンかける(香港スタイル)ので、こちらは風邪をひくのではないかとビクビク。既にいい年の私は、もはやドミトリーで若者と一緒に寝るのは無理なのかもしれない、と悟る。

 

夜市にて

宿のスタッフに両替場所を聞くと、もう銀行は閉まっているので、銀楼へ行け、という。銀楼、何とも懐かしい響き。昔台湾では銀行の手続きが面倒で時間がかかることもあり、両替は普通、宝石などを扱う銀楼へ行っていた。20年前の台北では、隠し扉の向こうで両替、などという映画まがいのところまであった。そして両替レートは勿論銀行より良かった。

 

その銀楼は小さな市場の中にあった。教えられた所へ行くと、何やらやる気のなさそうなおばさんが欠伸をしていた。両替レートを聞くと、何と高雄空港の銀行レートより悪かった。え、なぜ?と聞いても、今日はこのレートだと、交渉の余地はない。今や両替も銀行の方が良いということだろうか。今日はなんとか持ち金で暮らせそうなので、そのまま失礼した。

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美麗島駅の夜のライトアップも素晴らしかった。何でこんなにきれいなの?宿のすぐ近くには、これも懐かしい六合夜市があった。私が初めて台湾を訪れ、高雄に来たのは、今から31年前の1984年。あの頃の台湾は、何となくのんびりしていて、それでもなぜかちょっと猥雑で、何とも言えない独特な雰囲気を持っていた。特に高雄は、その猥雑感がひどく、皆が台湾語しか使わず、困ったことをよく覚えている。高雄牛乳大王という店名で一世を風靡した、パパイヤミルクを飲んだのが、この夜市だったように思うが、どうだろうか。

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台湾は夜市ブーム。どこの街にも夜市があり、観光客も含めて、大勢の人が行き交っている。六合夜市はまだ時間が早いせいか、人通りは少なかったが、暗くなるにつれ、お客が増えてくる。『日薬本舗博物館』という名のドラッグストアーが目を引く。夜市というより、観光スポットというのが正しい。

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ここに来ているお客の何割かは、中国からの観光客だ、とすぐに分かる。先ほどの薬も、台湾人が買うのではなく、中国人が買うのではないか、と思ってしまう。日本、とうたっているのが如何にも怪しい。屋台ではパパイヤミルクもある。海鮮粥や蚵仔煎(牡蠣のオムレツ)など、食べたい物はいくらでもある。ただ値段は30年前の何倍だろうか。最近また値上がりしたかな。

 

あちこちで、台湾国語ではない、普通話が聞こえてきて、ちょっと興ざめ。中には屋台の爺さんがあからさまに大陸人を軽蔑して、素っ気いない対応をしていたりする。お客に来てもらわないと商売は成り立たないが、中国人は嫌だ。この辺が現在台湾の心理状態だろうか。

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私は大好きな魚羹を食べるために屋台に座った。ここではできるだけ中国語を使うのを止めているので、おじさんに身振りで注文した。如何にも日本人観光客だよ、という素振りで頭を下げたりもする。何故ならここで中国人に間違えられてよいことは一つもないからだ。

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だが、席には先におばさんが二人座っており、『この麺、どうやって食べるの?』などと、私を地元民扱いして聞いてくるから、敵わない。折角中国語が出来ない振りをしていたのに、おばさん攻撃には成すすべがない。『おじさんに聞け』というと、『何よ、ケチ』と言って不機嫌そうだった。おじさんに50元を払うと、笑っていた。彼には台湾人と日本人の区別は当然つくのである。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(1)高雄空港で感激!

《台湾南東部茶旅2015》  2015年11月10-18日

 

最近台湾へは年に1₋2度行っているが、高雄にいつ行ったか、と聞かれると答える自信がない。全て台北から入り、台北から出ているのが実情である。高雄、台南には2000年代前半、香港駐在時代には近いので2度ほど行っている。その時は嘉義から阿里山へという、台湾茶の王道を行っていた。

 

今回偶然予定していた旅が延期となり、ぽっかりとスケジュールが空いてしまった。台湾にも半年行っていないので、ちょっと行ってみようと思い立ち、フライトを調べてみた。東京から台湾へのフライトは格段に増えており、バニラエアーが高雄にも飛んでいることが分かった。しかも料金は遠いのに台北へ行くより安い。それなら高雄へ行こう、そして未知の南部の茶畑を探そう、ということで意気込んでいってみたのだが。果たしてどうなったか。

 

11月10日(火)

1.高雄

高雄空港で

普通LCCの場合、フライトが深夜だったり早朝だったりと、時間帯が不便なことが多いが、今回乗ったバニラ航空の高雄行きは、昼の出発で午後4時に高雄に着くので、私としては体が楽だった。成田第2ターミナルまで電車で行き、そこからシャトルバスに乗る。前回は第3から第2までかなりの距離を歩いた失敗から、色々と学び、皆さんのお教えも頂き、スムーズに行った。

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だがチェックインカウンターは相当に込んでいた。そしてカウンターの対応は極めて遅い。一人ずつ、丁寧に説明して責任を果たしているようだ。だが、初めて飛行機に乗る人と、何度も乗っている人を同じように扱うのは、如何なものだろうか。誰が旅慣れているか見抜く力も、おもてなしの一つだと思うのだが。

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ある台湾人に『日本の丁寧さには残念ながら、バカが付きますね』と言われたのは忘れられない。因みに帰る時、同じバニラの高雄空港カウンターは、ほぼ成田の半分のスピードで、処理が終わっていた。お客の方も心得ている人が多いのだ。これは考えるべきではないか。

 

フライトは順調。食事などは出ないので、単に寝て過ごす。4時前には高雄空港に降り立つ。12年ぶりらしい。当たり前だが、とても綺麗になっている。中国大陸や東南アジア便の発着も格段に増えているようだ。まずは台湾ドルの両替をと思ったが、レートのみ確認して、スルー。最近両替したことがない。市内で替えた方が良いという判断だったが、これは後で尾を引く。

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それからシムカードの購入。これまでは携帯電話だけだったが、最近はスマホを持ち歩くので、それ用を初めて買う。おにいさんがテキパキ入れてくれ、楽チン。これで10日間500元。便利なものだ、と思ったのもつかの間、実は私のスマホとシムに不具合があり、電話を掛けることができず、その後の旅では結構苦労する。

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そして何と空港から市内まで行く、地下鉄が出来ていた。凄い、と思い、取り敢えずトイレに入り、用を済ませて、エレベーターで駅の方へ降りたのだが、何となく手元に足りない感じがあった。あっと思うと、成田で買った土産物の袋をトイレに置き忘れたらしい。高雄空港の変容に圧倒され、ぼっとしていたようだ。急いで取りに戻ったが、何と僅かの間に物は無くなっていた。さて、これは困った。土産がないのも困るが、東京から着てきたジャンパーをそこに入れていた。帰りの東京到着は夜遅く、とても寒さは凌げないだろう。

 

どうしてよいか分からなかったが、まずは到着ロビーに戻り、すがる様な気持ちでインフォメーションセンターへ駆け込んだ。『あの、成田の袋を・・』というと係のお姐さんが、『あの人が持っていますよ』と若者を指差すではないか。確かに免税店の袋を下げてはいるが、そんな人はこの空港にいくらでもいる。兎に角声を掛けると『あー、よかった』と言って袋を渡し、私の礼の言葉も聞かずに、スタスタと立ち去ってしまったのだ。何とも仕方なく、ボー然と彼を見送る。やはり台湾はいいな、などと、自分のへまを棚に上げて、一人喜ぶ。

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ホテルまで

地下鉄に乗る。私は台湾で便利な遊遊カードを持っているので、簡単に改札を通れると思っていたが、甘かった。カードがエラーになるので、残高不足かと思い、駅員に確かめたところ、何と「高雄では使えないんです」と。えー、金門や馬祖の離島ですら使えるこのカード、どうして第2の都市、高雄で使えないの?

 

大阪でスイカが使えないようなもので、結構ショック。駅員は『来年には使えるようになるとの話はありますがね』と笑いながら言う。中央の反発する高雄、という構図でもあるのだろうか。確かに以前より、台湾南部と北部はまるっきり違うな、と思うことは何度もあったが、どうなんだろうか。

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地下鉄はそれほど混んでおらず、30分かからないで、中心部の美麗島駅に着いた。この駅、とにかく写真スポットとして有名らしく、何人もの人が同じ構図をアップしているのを見た。確かに美しく、ピアノの生演奏まであるとは、恐れ入る。この駅だけなのだろうか。芸術の街、高雄。

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両岸三通の茶旅2015(25)台北 小曼から夜市、そして早朝の空港

小曼

その先を小道に入り込む。そこには少し前の台北の街の風景が細い路地に溢れていた。住所を見ながら進んだが、見付からない。よく見ると完全に通り過ぎていた。特に看板も出ていない古民家、これは分からないわ。恐る恐るドアを開ける。上手く開かない。どのくらい古い家なのだろうか。中は何と言ったらよいのか表現に困る不思議な空間があった。骨董家具がゆったりとした空間の中に浮かんでいる。お茶を売っているのか、茶器を売っているのか、いやこの空間を売っているのか。何ともよく分からないが居心地は悪くない。

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私の後ろから3人の男女が入ってきた。うちカメラを肩から下げた一人には見覚えがある。写真家の菊池和夫さんだ、とすぐに分かった。彼の茶芸館の本、読んだ記憶がある。何故わかったかというと、最近Facebookに載っていたのを思い出したからだ。東方美人の里、北埔のFB友の所に菊池さんが行ったらしい。すぐに行動がばれてしまうから、FBは怖い。

 

Yさんに菊池さんが来ていることをそっと耳打ち。そこに日本人女性が数人入ってきた。その中に小曼先生も一緒にいた。皆さん、菊池さんに気が付き、挨拶を交わす。中国茶芸をやっている人なら、彼の本を見たことがあるだろう。菊池さん『俺、名乗っていないのに、何で分かったの?』と不思議そうだ。ちょっと見るだけのつもりでやってきた彼は店の中の撮影を始めた。突然目の前で取材のような状況が起こり、皆も興味津々だった。

 

Yさんに紹介されて、小曼さんとちょっとお話した。今晩は、生徒さんたちと食事会があるとのこと、忙しそうだったのであまり質問はしなかった。小曼さんは『お茶でも飲んでいって』と言い、Yさんにお茶の用意を指示した。急に本格的な茶芸の世界がやってきた。これもまた面白い。私も菊池さんに倣って、店内を撮影してみた。なかなか上手くいかない。

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すでに誰もいない店内。Yさんが戸締りをして外へ出ることに。そこへこの家のお手伝いのインドネシア人女性がやってきた。彼女は一言『中国語で来ません』という中国語を言った。来たばかりなのだろうか。25年前に覚えた数語のインドネシア語を使ってみたら、喜んでくれた。ネシア語は比較的発音が易しく、単語も覚えやすい。次にインドネシアに行くのはいつだろうか。スマトラ島のメダンという街に茶畑があると聞いているのだが。

 

夕飯

Yさんと夕飯を食べに行く。古亭の近くは学生街であり、ちょっとした食事は簡単に食べられるが、落ち着いて話しながら、ゆっくりできる場所は見付からない。仕方なく、また永康の方へ歩いていく。青田の高級マンションを抜けると、レストランが見えてくる。どこへ行こうかと考えていると、2年ぐらい前に大勢のお客で込み合っていた食堂を思い出す。今日も満員だろうな、と思って行ってみると、簡単に入れてしまう。台北も流行り廃りが激しい。以前はガイドブックを持った日本人が沢山いたのだが、今日は見掛けない。昨年小楊が連れて行ってくれた同じ永康街にある大来などはどうなんだろうか。次回はフラッと行ってみるか。

 

このお店、まず注文してから席に着く。Yさんとこの1年のお茶話に夢中になり、何を食べたのかよく覚えていない。彼女とは昨年台北で10日間に4回も会い、その後エコ茶会で再会、更に彼女が東京で時々やっているお茶バー?に行ったことも。何とも不思議な雰囲気の女性でそれ自体が面白い。突然私に『奄美大島、行ってください』などと言ってくる。茶畑あるのか、と聞くと、そこにはないけど、徳之島にはあるらしい、と屈託なく言う。

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食事が終わると『Sさんが会いたい』というので、地下鉄に乗り、中山駅まで行った。Sさんとは昨年大来の食事会にYさんが呼んできた若手料理人。彼は今も日本食レストランで料理を作っているという。ちょうど店が終わる時間になり、そこで再会した。日本人がしっかり作る、日本の定食をやっている店らしい。次回は是非ここで食べてみたい、と思う。

 

夜9時を過ぎ、レストランは大体閉まってしまう。食事をしていないSさんと夜市に行ってみる。そこで彼は適当に食べたい物を買い、食事を済ませた我々と、座れる店に入って話す。夜市は相変わらず混んでいて、観光客も多い。台湾といえば夜市というのも浸透した。Sさんは『これからもずっと台湾で働きたい』という。日本より台湾の方が楽しそうだ。

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5月14日(木)

早朝の空港

11時半頃、宿に歩いて戻る。明日の朝のフライトは午前6時35分発。早く寝ようと試みるが眠れない。1時間ぐらい格闘したが諦めて、起きていることにした。シャワーを浴び、旅行記などを書いてみる。何となく時間が過ぎ、3時半前に宿を出た。駅前の大通りに車の姿はない。バスターミナルへ行くと、何とまだ開いていなかった。建物を一周する間に、乗客が数人やって来て、係のおじさんも位置に着く。こんな時間に空港に行く人もいるんだな。バスは4時ちょうどに出発し、そして4時半過ぎには桃園空港に着いてしまう。

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こんな時間に人がいるのだろうか、と思ってターミナルに入り、驚く。人で溢れかえっていたのだ。私が乗るスクートの前は勿論、その付近にも早朝出発便が何便もある。掲示を見ると日本行きが非常に多い。なんと一番早い便はLCCではなく中華航空の5時20分発関空行き。今やアジアの空港は大きく変わってきている。私が乗る便もシンガポールから台北に早朝にやって来て、そのまま成田まで行くのである。

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スクートは中国語名、酷航。日本語で見るときついが、クールという意味を持っている。LCCなので機内サービスは何もないが、早朝のこと、ほぼ全員が眠るのでサービスは不要。乗客は台湾人、それも比較的若い人でほぼ満員。10時40分には成田空港に着いてしまう。そのままディズニーランドへでも行くのだろうか。私はフラフラしながら、電車で帰宅した。世の中、便利になったものだ。今回の長い茶旅が終わった。そして今日は誕生日だった。

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両岸三通の茶旅2015(24)南投 お茶の街 鹿谷を後にする

5月13日(水)

さらば鹿谷

今日は鹿谷を離れる日。U君は朝から自分の茶葉の焙煎をするということで、今日は会わない。そこで朝、一人で鹿谷を散歩してみた。どこの道を歩いても『凍頂烏龍茶、阿里山高山茶』などと書かれたお茶屋さんの看板が多い。ここはお茶で出来上がった街であるということを改めて感じる。他にも『茶梅』を売る店もあれば、有機肥料を売る店もあり、包装を専門にするところさえもある。大きな道路から少し入れば、実に静かな田舎ではあるが。

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インドネシア語やベトナム語が時々見られ、出稼ぎの外国人が多いことも察知された。今やお茶の大きな問題点は労働力。茶摘みのためにベトナムあたりからやってくる、いわゆるベトナム新娘(ベトナム花嫁)と呼ばれる労働者を見掛けることも増えている。だが、その茶葉の摘み方は完全に現金主義。『出来るだけ早く、出来るだけ沢山摘む』ことになってしまい、製茶段階ではもはや修正できない場合が多いと聞く。台湾茶業と外国人労働者、どうやってきちんとした茶摘みをやってもらうか、良質な茶葉原料を確保するか、茶業の基本、実に大切な問題がここにある。勿論一般のお手伝いさんなども沢山来ていることは言うまでもない。

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11時頃になり、腹が減ってくる。バスは12時発に乗ればよいので、昨日食べ損なった牛肉麺の店に行く。さすがに早過ぎたのか、奥の方で麻雀の音がするが、ちょうど主人が出てきたので『牛肉麺』と言ってみると、特に不機嫌でもなく、『はいよ』と言って作ってくれた。麺だけだと寂しいので、ついでに魯肉飯まで頼んでしまう。これはどう見ても食べ過ぎだとは思ったが、頼んでしまった以上、責任を持って完食した。これでいいのだ、美味いんだから。

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12時前に世話になった宿を出た。自動の鍵でガレージを上げて外へ出てから、今度はガレージを下げるボタンを押して、素早くおばあちゃんに鍵を渡した。これで完璧、おばあちゃんはガレージの向こうに消えた。荷物を持って、バス停まで歩く。12時は過ぎていたが、果たしていつバスがここを通過するのか、分からない。見ていると『この停留所でも12時以降は毎号3席の座席を確保するので並んで待つように』との表示が出ている。確かにバスが満員だった場合、途中から乗車する住民は乗れないことになる訳で、このような配慮がなされているのだろう。

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バスは20分過ぎにやってきた。小銭を用意していたが、何と遊遊カードが使えたので、お釣りの心配などなかったのだ。勿論平日なので、席にはかなりの余裕があり、普通に座れた。4日前の来た道を反対に走るだけ。周囲を見ることもなく、完全に油断して寝入る。気が付くと、既に目の前に台中駅が見えた。一瞬、高速鉄道の駅を通り過ぎたか、と焦ったが、何とか降りる。駅ではすぐに台北行きの切符が買えた。ロイヤルホストが駅弁、を売っている。ファミマでポカリスエットを買う。ここは日本か?高鉄台中駅は後から出来た高架駅なので、周囲が良く見渡せる。電車に乗り込むとその快適さからか、すぐにまた寝入る。そしてあっという間、1時間後にはに台北駅に着いてしまった。鹿谷の茶旅は夢の中で終了した。

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7.台北2

古亭付近

駅前から定宿へ向かう。宿も駅前だから何とも便利だ。リビングでちょっとネットに触っていると、もう夕方になってしまう。今日は台湾最後の晩。何故か昨年台北で怒涛のように知り合ったお茶関係者Yさんが一昨日から台北に舞い戻っているのを知る。お互い『これは会うしかないでしょう』ということになり、まずは彼女の勤め先を訪ねることにした。その勤め先とは日本の台湾茶関係者なら誰もが知っているという有名店『小曼』。一体どんなところ?

 

ところが私は行ったこともなく、どんなところかも分からない。ただ人の話から総合して憶測すると、『私には似合わなさそうな場所』という先入観念が完全に働いてしまい、見に行こうとさえしなかったのだ。そこは女性が行くところ、女性が好きなところ、という判断はきっと間違っていないが、見てみるという柔軟性はあってもよい。だがある人いわく、『一度は見たほうが良い。如何にお客さんに物を売っていくか、いや何をお客が求めており、何を売るか、ということを考えさせてくれる場所だ』と。まあこれもご縁、行ってみよう。

 

地下鉄で古亭駅まで行く。そこから歩いていくと、台湾師範大学があった。私自身は初めて正門前を通ったが、その昔、台湾で中国語を勉強する人は殆どがまずここに来たのではないだろうか。そういう意味でとても有名な大学なわけだ。周囲には学生が沢山歩いており、欧米人や韓国人なども何人も見掛けた。今でもここで勉強する留学生が多いのだろうか。

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両岸三通の茶旅2015(23)南投 お茶だけはなく食べ物もうまい鹿谷

5月12日(火)

日本から来たお客さん

翌朝はゆっくり起きる。さすがに昨日の疲れが出ている。リビングに行くと昨日と同じように、おばあちゃんが時代劇を見ている。これは中国の清朝の話なのだろうか。台湾に時代劇があるとしたら、いつの時代のもの?日本統治時代の話になるのだろうか。日本のテレビでも時代劇が復活していると聞いたが、視聴者の高齢化、という点では日本も台湾も変わらない。

 

U君がバイクで迎えに来てくれた。今日は日本からお客さんが来るのだという。そのお客さんは女性で、しかも一人でバスに乗ってここまで来るのだとか。もう何度も来ている常連さん、それにしても茶葉の買い付けとは言え、ここまで来ると熱心な人がいるものだ。威信も彼女が毎年来るのを楽しみにしているようだ。一体どんな人が来るのだろう、興味深い。

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神戸でスイーツのお店をやっているという彼女、元は香港スイーツに嵌ったようだが、最近は台湾に良く来るらしい。中国語は殆どできないので、U君が鹿谷に居る時をめがけて、やってくる。凛とした経営者の雰囲気が出ている。威信は盛んに冗談を飛ばし、U君はそれを面白そうに通訳している。いい漫才コンビだ。ただ茶葉の選定は真剣で、何種類もの試飲を繰り返し、昨年との違い、今年の天候などの質問をし、ノートにメモしている。当たり前だが、商売なのだから、お客さんに説明するためには当然必要な情報なのだろう。お茶会も開いているらしい。

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昼時になり、威信が予約したレストランへ行く。小半天、という地名が面白い。新しくできたという立派な橋を渡っていく。この辺には竹林と茶畑が一杯ある。レストランは広かったが、お客は我々しかいない。貸し切り?なのか。この辺の人々は皆知り合いなので、威信が特別に開けてもらったのかもしれない。シェフの創作料理だ、と出てきた料理は実に豪華で味も優れていた。蒸した魚、イカ団子、たけのこ、など、いくらでも食べられたが、いくら食べてもなくならない。凄い量がテーブルの上に載っていた。威信がご馳走してくれた。

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午後はまた店に戻り、お茶を飲む。というより、試飲の続きだ。彼女はこの結果で、買い付ける茶葉とその量を決めなければならない。U君の意見も参考にして、お客さんの嗜好に頭を巡らせ、1つ1つ考えていく。私なら自分が美味しいと思うものだけを買うだろうが、それでは偏るし、第一売り切ることはできない。特に女性の好みは本当に分からないので困る。

 

彼女が仕事を終えて、バスで台中に戻るというので、皆で送っていく。私も明日、このバスに乗らないといけないので、ちょうど良い機会だ。だがバスはなかなか来ない。観光バスが何台か通り過ぎていく。山の上から降りてくるのに、時間が掛かるのだろうか。時刻表は渓頭の始発の時間しか書かれていないから、そこから何分でこの停留所に来るのか全く分からない。既に通過してしまったのではないか、という疑問が頭をかすめた頃、ようやくやって来てホッとする。料金もちゃんと用意しておかないとお釣りが出ないらしい。なるほど。

 

昨日梨山に一緒に行った息子がまたやってきた。どこか行きたいところがあるのだという。U君も行きたいというので、彼の車で向かう。また橋を渡り、小半天にやってきた。だが会いたかった人は茶畑に出ており不在だった。時間をつぶす場所もなく、何とセブンイレブンで、コーヒーを買って待機することになった。台湾におけるセブンイレブンの地位は、日本の比ではない。完全に生活の一環であり、大人から子供まで、引っ切り無しにやってくる。

 

30分ほど、時間をつぶし、再度小半天へ。今度はその人は家に帰ってきており、会うことができた。この人の作るお茶は常に品評会で入賞しているという、この辺では有名な茶農家さんだった。何といっても茶葉を見極める力が半端ではない。茶葉を見て、ちょっと飲んでみると、どんなものでは分かってしまうのではないか、と思われるほどだった。U君によれば、茶園管理にも優れているという。丁寧に茶と向き合っている人、という印象が強い。

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こんな人もいるんだな、と感心した。そして彼の作ったお茶、これはすごかった。素人の私が飲んでも『これは違う』と分かる風味と香り。この人の茶葉だけは是非欲しいと思ったが、飲ませてもらったお茶は品評会に出品中で、入賞すれば相当の値段になる物だったようだ。そんなものを分けてくれる人はいない。残念ながら、ただ飲んだだけ、何も得ずに帰る。

 

昼ご飯を食べ過ぎたので、夜は控えめに。ということで、魷魚焿を食べる。イカのとろみスープ、ビーフン入り、というところだろうか。このとろみがイカの出汁が効いていていい味であり、香菜と相俟って実にうまい。台湾にはこんな食べ物があって、何とも嬉しい。これほど食べ物に事欠かない、日本人の好みに合う場所は台湾の他にないのではないか、といつも思いながら、食べる。

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そしてバイクで送ってもらい、U君とお別れ。今回もまた散々世話になってしまい、恐縮した。彼は既に1か月半以上、ここに滞在しており、後1週間で帰国するらしい。彼の場合、商売なので、とても楽しんでばかりはいられず、また新しい茶業のあり方を考えているので、悩みも多いが、実にいい仕事をしているといえる。彼が厳選した茶葉の人気は高く、日本でセミナーを開けば常に満員になるほど。かなり認知されてきている。頼もしい限りだ。

両岸三通の茶旅2015(22)梨山 ジョニーとの再会

懐かしいジョニーの工場へ

そして福寿山農場を越え、ついに標高2500m、華崗に着いた。工場への道は分かっていたはずなのに、なぜか道に迷う。完全に視界が遮られるほど、霧に覆われていた。おまけにやはり今年もしとしと雨だった。工場に入ると懐かしい顔が何人も見えた。昨年4日もお世話になったので、さすがに顔なじみが多く、『久しぶり』と挨拶してくれる。こんな再会はとても嬉しい。ジョニーもやって来た。彼とは3月に東京のFoodexで会ったばかりだが、それでもこんな形で会うのは楽しい。

 

早速に新茶の試飲が始まる。いつものように鑑定杯に茶葉を入れていく。おかあさんも息子もお茶屋さんだから、試飲は慣れたもの。実はこの息子、今は独立して、中国の上海郊外、昆山でお茶屋を開いているという。この時期、茶葉の買い付けを兼ねて帰国し、台湾の各茶産地を回っているらしい。私以外は皆プロなのだ。茶葉を確認して、レンゲでにおいを嗅ぎ、味を確かめる。色々と専門的な質問が飛ぶ。ジョニーも真剣に応対している。梨山に関しては昨年よりは出来はよさそうだ。この工場の製茶能力を聞き、U君が絶句する。

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工場見学がしたいということで、皆で2階に上がり、茶葉が運び込まれている萎凋室に向かう。横には試験室もあり、簡単な農薬検査なども行っている。その設備の規模の大きさ、に皆が驚く。昨年はあまり考えなかったが、こんなに標高が高いところに、こんなに大きな工場は少なくとも梨山にはあまりないのだ。そして1階の機械も順次見ていく。紅茶専用の機械なども配備されており、その充実ぶりは目を見張るものがある。

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今年は昨年ほど連続して雨は降っていないが、それでも楽観できる状況にはない。『梨山の茶葉は梨山だ、というだけで、品質が一段高い』と言われているが、さてどうなのだろうか。また試飲が繰り返される。お母さんも真剣なまなざしで、茶葉をチェックしている。あとで彼女が言うには『ジョニー、あれはできた男だね。教育がいいんだよ、母親の教育が』と。

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今回分かったことは、ジョニーのお母さんは鹿谷の大きな茶農家の出身だったのだ。そんな繋がりもあり、鹿谷から大勢の茶師が工場の手伝いをしている。鹿谷との緊密な関係により、会社は成り立っている、とも言っている。そしてジョニーの飾らない、他人を思う優しい人柄がこの会社を支えている。兎に角お茶、茶業に関してはジョニーのお母さんが一番よく分かっているということらしい。次回はお母さんに会いに是非一度、豊原へも伺いたい。

 

ちょうど雨が止み、いい感じの山の風景が見えた。いつもこうありたいものだ。ジョニーの工場を後にして、大禹嶺の茶工場へ行く。このあたり、かなり茶畑がなくなっているという印象がある。政府が接収しているのだろうか。土砂崩れの原因を茶畑に求めているという話もある。土砂崩れが起こっていることは事実だが、果たして茶畑が関係しているのかどうか。ただ政府の保有地であれば、居住地は別として、賃貸契約の延長はできないようだ。

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もう一つの茶工場に行ったが、オーナーは戻ってきていなかった。U君は入り口で知り合いを見つけて話している。やはり鹿谷から茶師が梨山に来ている状況が良く分かる。この工場は新しく作ったようで、中は体育館のような大きな工場だった。U君はここの茶葉が気に入っていたのだが、試飲してみて、どこか違和感があるようだった。そうなると徹底的に調べる。工場の人にも聞くし、買い付けに来ていたオジサンにも確認している。分かるまで、自分が納得するまでトコトンやる姿勢が凄い。

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結局1時間待ってもオーナーは帰ってこないので、諦めて帰ろうとすると、電話が掛かってきて、是非待っていてほしいと言われて、更に小1時間待つ羽目になる。既にあたりは暗くなり始めており、ここから5時間の道のりを帰るのは大変だな、と思うのだが、こればかりは仕方がない。これが田舎の付き合いというものだろうし、買い付けという仕事は人の繋がりが重要であることは、よく分かる。何とかオーナー夫妻が戻ってくると、挨拶も早々にU君は自分の感じた疑問をぶつけていく。但しなぜかその謎に納得できる回答はなかったようだ。

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まさに昨年ジョニーと迂回した時を思い出させる暗い山道を走って行く。あのセブンイレブンの場所まで来ると、既に午後8時過ぎになっている。夕飯を食べようということになり、近くのレストランへ。ところがこの山の中、かなり寒い。暖房はおろか、風が中に入ってくる。我々が来なかったら店仕舞いしていたことだろう。見るとおでんのようなものがあるので、具材をいくつか頼み、温めてもらい食べる。インスタントラーメンまで入れるとかなりの量になってしまった。かなり体は温まったが、やはり山の気候は侮れないとつくづく思う。

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結局鹿谷に帰り着いたのは11時過ぎ。お母さんと息子は更に1時間の道のりを帰っていった。今回の梨山ツアー、私は全く茶葉を手に入れる機会がなかった。まあジョニーとも会えたし、それも私の茶旅らしくてよいかと思う。それにしても往復10時間の旅、かなり疲れてしまった。ガレージから家に入るが、リビングには誰もいなかった。熱いシャワーを浴びるとすぐにぐっすりと寝入る。

両岸三通の茶旅2015(21)鹿谷から梨山へ

面白い宿

今日の宿はどうするのか。U君に心当たりがあり、そこへ行ってみる。だがそこは宿の看板もなく、単なる民家。しかも入り口には鍵もかかっており、とてもやっているようには見えない。仕方なく、窓ガラスを叩くと、中からおじさんが出てきた。泊まりたいというと、1泊599元だという。彼の家の一階の一室、2段ベッドが部屋にあり、トイレシャワーも付いていた。取り敢えず面白そうなので泊まってみることにした。

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Wi-Fiは部屋では繋がり難く、リビングでPCを眺める。茶器はそこにあるので自由に使ってよいとのこと。台所も必要あれば使えるらしい。この宿の管理人はおじさんの娘らしい。今日は台中に行っているので好きにやってくれ、という感じだった。民宿というより完全に台湾人の家に下宿した感じとなる。一番面白いのは鍵。『正面のドアは使わないでくれ』と言い、何と車のガレージの鍵をくれる。ガレージから出入りする宿、初めて聞いた。ボタンを押すと自動で開くガレージ、そこから外へ出た。

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夕飯は軽く食べようというので、近くの牛肉麺屋へ。ところが既に、売り切れ。残念。その近くで、魯肉飯と牡蠣のスープ、野菜炒めを食べて満足。U君は昔よくここに来たらしい。店の人は彼を覚えていた。そして『この間家族で日本へ行ったぞ』と嬉しそうに言う。何とこの店には時々初老の日本人がやって来て手伝っていたとの話がある。大阪のお医者さんである彼を訪ねて行ったそうだ。そして京都や奈良、そしてなぜか鳥取まで車で訪ねたらしい。楽しかった日本の旅を夫婦で興奮気味に語る。そんな交流も悪くない。

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U君に送ってもらい、宿へ戻る。熱いシャワーを浴びて一息。リビングでネットを繋いでいると、おじさんとおばさんが入ってきて、ソファーに座り、普通にテレビを見始める。そして果物などを出してきて、私にも勧めてくれる。何だか不思議な空間だった。どう見ても居候の身分だ。

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5月11日(月)

梨山へ

宿のおじさんとおばさんは朝早く出掛けて行った。リビングにはおばあちゃんと私が残された。おばあちゃんは朝から台湾の時代劇を見ている。日本のおばあちゃんと変わらないな。娘さんはまだ戻って来ない。昨日やっと鹿谷に来たというのに、今日はなぜか梨山へ行くことになっていた。U君の友人が車で連れて行ってくるというのだ。U君もさすがにバイクで梨山に行くという無謀なことはしないらしい。この機会を逃す手はない。朝ごはんは食べに行かず、お茶だけ飲んで、迎えが来るのを待っていた。だがなかなか来なかった。

 

ようやく車がやってきた。U君の他、お母さんが乗っており、その息子が運転していた。彼らは鹿谷から1時間ぐらい離れたところで茶荘をやっており、わざわざ鹿谷まで迎えに来てくれたのだ。何とも有難い。これもU君に日頃の付き合いだ。それにしても鹿谷から梨山は遠い。片道5時間近くかかるらしい。何故梨山へ、などと私は聞かない。それが私の旅のスタイルだから。正直地理が分からず、どこを走っているのか見当がつかない。山を下りて、また登っていく。

 

2時間ぐらい走ったところで、昼ご飯を食べることになった。雨が降り始めている。場所は霧社だと聞いて、懐かしく思い出す。25年前、私は日本人のゴルフツアーで何となくここへやってきた。そして泊まった宿で1930年に起こった霧社事件の生き残りのおばあさんの話を聞いたことがある。当時霧社事件が何であるかもよく知らない我々日本人の前で、そのおばあさんは実に淡々と事件の状況をよどみない日本語で語ってくれた。それは何と言っていいかわからないほど、悲惨な出来事であったが、おばあさんは今でも殺されたご主人とその仲間たちを誇りにおもっている様子だった。そして事件当時お腹の中にいた子が、今この旅館を経営している、と言い終えると静かに去って行った。あのおばあさんはどうしただろうか。

 

道路沿いのレストランに入る。店先に野菜が沢山並んでいる。これまで食べたことのない山の野菜の数々、ここでしか採れないものがいくつもあった。お母さんが『私らもここで食べるのが楽しみだ』と言っていたので、特別な料理だったのだろう。あまりの美味しさに写真を撮り忘れたのは残念。梨山へ行く時の一つの楽しみ、それはここのご飯だったのだ。

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それからまた車に乗り、クネクネとどんどん登っていく。そのうち何となく見覚えのある道に出たことが分かった。特にここのセブンイレブンはよく覚えている。昨年梨山の大禹嶺に行った時、帰りの道が陥没していて、大きく迂回した道だった。何とも懐かしい。ということは今回我々はこのルートから梨山を目指しているのだなと初めて分かる。なるほど、合歓山。今日も小雨の中、かなり煙っている。前が見えにくい。

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U君が突然『ジョニーの茶工場へ行きたい』と言い出した。今日行く予定の工場のオーナーの都合が変わったらしい。携帯で電話を入れると『大歓迎』と言われたので、突然の訪問となる。何という展開か。途中、茶畑が見えたので下りてみる。標高2200m前後の場所だろうか。何だか茶樹に変化がある。霜の被害を受けていた。先月の半ばに霜が降りたという話があったが、かなりの被害であることをこの目で確認した。本当に標高が高い茶畑は大変だ。昨年は雨が続き、そして土砂崩れ、今年は霜害か。U君は霜の状況を詳細に写真に収め、把握に努めていた。茶葉は半分も摘めなかったのではないか。このような話は業界ではしにくだろう。

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両岸三通の茶旅2015(20)南投 茶を通じた真の交流

お茶を飲みながら

それから4年前も訪ねた林さんの茶荘に向かう。懐かしい茶荘もあったが、横には新しくモダンな建物が輝いていた。確か4年前は建設中だったと記憶しているが、今やこちらが中心となっている。ここの地下で焙煎作業が行われているようだ。U君はここの息子、威信とは実に仲良しだ。4年前は結婚直後だった彼には既に子供もいた。年月の早さを感じる。その可愛い娘がちょこちょこと歩き、名刺をくれる。彼女の名前が入った名刺を作ったらしい。

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そこにお客がやってきた。台中から来た有名な茶師一行だそうだ。早速今年のお茶の試飲会が始まる。彼らは各地のお茶の状況を調べるためにお茶屋に寄っているようだ。威信とU君もそれなりに真剣に対応している。特にU君は堂々と彼らと渡り合い、茶葉の質や焙煎状況などについて、意見を交わしている。何とも頼もしい限りだ。それにしても今年のお茶の出来はどうなんだろうか。雨が降り過ぎたなとか、霜がどうしたとか、色々と情報が入ってくる。

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台中組はすぐに帰っていった。他にも寄るところがあるらしい。この季節は皆とても忙しい。ちょうど昼時となり、ご飯を食べようと言われる。わざわざオーダーして作ってもらった甕缸鶏という鶏の丸焼きが用意されていた。甕の中で鶏を丸焼きすることから付いた名前だとか。初めて食べたが、カリカリの皮、ジューシーな肉、スパイスが効いており、実に美味しい。3人で一羽を、簡単に食べてしまう。油飯も一緒に食べる。台湾で今流行っている鶏料理ということだが、この近くで一番美味しい店からわざわざ取り寄せてくれたという。

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食事が終わると、またお茶を飲む。ここでは常にお茶に包まれている。阿里山金宣清香が軽い感じで香ってくる。飲み口も爽やか。杉林渓熟香、焙煎が実に心地よい。威信のお父さんに挨拶する。このお店のお茶は品評会で何年も連続して賞を取っている。これは生半可なことではない。U君はなぜか向かいのセブンイレブンからアイスクリームを買ってきてくれる。これには北海道、という名前が入っている。お茶とアイスも意外と合うかもしれない。

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凍頂山で

教会に戻ってU君のバイクの後ろに乗り、凍頂山を上って行く。田舎の足の基本はバイク、これがあればどこへでも行ける。運よく雨も上がっており、涼しい風に吹かれながら、バイクは軽快に進む。相変わらず周囲はビンロウの木ばかりが目立つ。4年前は自分の足で40分ぐらいかけて登り、U君と山頂で合流したが、今やその気力はない。バイクなら10分で着く。

 

山頂付近に行くと、茶畑はあまり見られなくなっていた。昨年3月にアンディと一緒にここに来た時も感じたが、農家は面倒なお茶より野菜の栽培にシフトしている。今回見てみると、茶畑を野菜畑に替えている土地、耕作を放棄した茶畑、雑草が生えたままの茶畑などが目に着く。観光客向けに伝統的な手法で釜炒りを見せる場などがあるが、今日は日曜日にも拘らず、人は誰もいない。

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一軒の家を訪ねた。多くの茶葉の焙煎をしているという。高齢化が進む凍頂の中では相当な若手に入る人。多くの人が茶葉を持ち込み、焙煎を依頼するとか。我々が入っていくと先客がいた。この人も有名な人だと言われたが、誰が誰だか全く分からない。皆が仕事の合間を縫って流動的に動き、茶の状況を確認し合っているようだ。この家では10年物、20年物、と言った陳年茶を味わった。いいお茶は味が落ちない、いやむしろ美味くなる。『これからはいい茶葉が少なくなる。いい茶葉は長く保存して味わおう』という言葉が本当に沁みる。

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それからまたもう一軒へ。こちらには一家4人がいた。もう還暦ぐらいの茶師、そのお父さんはかなり有名な茶師だったそうで、数々の賞をとったことは部屋を見れば分かる。早々にU君に茶葉を見せ、試飲が始まる。そして激しいやり取りが繰り広げられた。U君は堂々と茶葉について注文を付けていた。それに対してちょっとむっとした茶師だが、話はちゃんと聞いている。『こんな若造に言われたくない』という気持ちと『それも一理ある』という気持ちが交錯しているように見えた。このようなやり取りが本当の交流を生み、お互いを高めるのだな、と感じる。

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『お互いを理解した上で言いたいことを言う』、このような関係が望ましい。うわべだけ仲良くしても、いざという時、何の役にも立たない。名声に押されることなく、茶葉だけを見つめる目、そしてその意見を聞く耳、非常に大事なことだ。因みにこの家には息子がおり、既に嫁もいる。U君が付き合っている茶農家、茶師には必ず後継者がいるようだ。いくら有能でも後継がなくては、将来がない。若いU君らしい選択であろうか。夕方山を下りる時、激しい雨が降ってきた。何となくずぶ濡れになりながら、凍頂山の将来に思いが至る。