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突然行く台湾北部茶旅2015(4)デパ地下のお茶屋さん

そう思って午後は、街から少し離れた清境茶園に行ってみる。ここには2軒の店が連なっていると書かれていたが、1軒はシャッターが閉まっていた。中に入るとおばさんがおり、早々に包種茶を淹れてくれた。私が日本から来たと分かるとどこかに電話を入れている。ご主人がわざわざ工場から戻ってきてくれた。包種茶以外のお茶を、というと、紅烏龍茶を出してくれた。これは先日台東鹿野で飲んでいたが、ここでも作っているのか。しかし飲んでみると何かが違う。こちらはやっぱり烏龍茶でしかないようだ。何が違うのだろうか。

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誘われて、彼の車で茶畑を見学した。かなりの斜面に茶樹が植えられていた。合わせて茶工場も見に行った。そこにはお父さんや弟さんもおり、既に坪林で彼が4代目だと聞く。弟さんは日本語も少しできるらしいが、黙々と製茶作業に取り組んでいた。日本からも製茶ツアーなどを受け入れており、日本人もたまに来るようだ。自分たちのお茶を広めるのに熱心だった。

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ご主人がわざわざバス停まで送ってくれたが、タッチの差で、バスは出てしまっていた。1時間に一本しかないため、次のバスまでは時間があった。バス停の横には朝最初に訪ねた祥泰茶荘があった。まだ茶葉も買っていなかったので、再度店に入る。それから約1時間、またお茶を飲みながらダラダラ話す。

 

この店からは発車直後のバスが見えるので、ずっとここに座ってよいと言われた。バスが見えたら手を上げて乗り込むらしいが、やはり何だか不安なので、バス停に行く。既に多くの人が列を作っていた。因みにこのバスは大坪林行きではなく、新店行きだ。文平茶荘の女性に『大坪林行きは52元、贅沢だよ。新店行きは30元だからね』と言われたこと、そして朝は渋滞で意外と時間がかかったことから、帰りは新店行きに乗ってみた。安いせいか、偶々なのか、乗客は意外と多いが座ることはできた。

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新店までは最初高速道路を使い、途中で降りていくつか寄って行く。結果だけ言えば、ほぼ朝と変わらない時間で新店に着いた。勿論地下鉄は新店駅の方が遠いのだから、大坪林に行く方が早いとは言えるのだが、地元の人は安いほうが良いと考えるのだろう。既にあたりは暗くなっていた。新店始発の地下鉄で台北駅前に戻る。

 

駅前まで来るとちょっと腹が減る。そうなると取りあえず大腸麺線を食べることになる。夕方はいつも学生などで混んでいるが、テイクアウトする人が多いので、座って食べる分には問題はない。僅か50元、日本ではなかなか味わえないな、このとろみの味としあわせ感。

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宿に戻ると結構疲れてしまい、食欲もなく、そのままネットなどにうつつを抜かして、夜が更けると寝てしまう。普通の人は折角台北まで行ったのだから勿体無い、夜市に行くべし、などと思うのだろうが、私にとっては休息も大事な旅の一環。

 3.台北2

12月8日(火)

阪急デパートと国父記念館

翌朝もゆっくり起き上がる。朝ごはんを食べる気にもなれない。お湯がないのでお茶も淹れられないが、リビングへも行かず、ポカリスエットを飲んで我慢する。昨日包種茶の飲み過ぎたせいかもしれない。それで部屋でずっとダラダラしている。気力がみなぎらない。腹が減ったら、どこかに食べに行くだけだ。11時前についに腹が鳴り、いつもの食堂へ向かう。

 

魯肉飯セットを注文する。ここの肉圓湯は本当にいい味を出している。私の向こうのテーブルでは若い母親が一人でやはり魯肉飯を食べていた。そして驚いたことに、ベビーカーに乗っている赤ちゃんに、魯肉飯を食べたスプーンを渡していた。赤ちゃんはそれを美味しそうに舐めている。美味しいものは誰でもわかるんだ、と実感した瞬間だった。私も舐めるように食べた。

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それから地下鉄に乗り、統一阪急デパートへ行く(その後名称から阪急が無くなったようだ)。市政府駅で降りると直結しているので分かりやすい。ここに来るのは実は初めてだが、目的はずばりデパ地下。地下にはとんかつ屋やラーメン屋など、日本食が並んでいたが、既にランチを食べ終えた私は、そこには目もくれずに、お茶屋さんへ進む。先日訪ねた小倉辻利のショップは、少し奥まったところにあった。ちょうど台湾人のOLさんが辻利ラテという飲み物を買っていた。

 

この店は抹茶アイスやラテなどの飲みもが中心で、基本的にテイクアウト。80‐100元ぐらいのメニューに手ごろ感がある。煎茶などの茶葉は隅の方に申し訳程度にあるだけだった。辻社長からは『海外』『スイーツ』がキーワードだと聞いていたが、まさにこの店はそうなっている。これで辻利の知名度が上がっていけば、台湾人にとって日本茶といえば辻利になる。実際小倉の店にも台湾人観光客が来て、抹茶アイスを食べながら、記念写真を撮っていた。

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近くの台湾系の店を見ても、同じように飲料のテイクアウトを基本としているが、食べ物なども売っている。しかもその種類はとても多い。料金は辻利とほぼ同じ。辻利は台湾で地元企業と同じ土俵で戦っていた。他の日本食レストランが『日本』を前面に出し、料金も高め設定なのとは明らかに違っている。本当に美味しいと消費者に感じさせなければ売れないだろう。

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突然行く台湾北部茶旅2015(3)坪林 お茶屋を巡る

お茶屋巡り

仕方なくトボトボ歩きだす。博物館の休館は、かなりのショックで珍しく引きずる。もう一度橋を渡って、お茶屋街へ進む。ただフラフラ歩いていれば、どこに入ってよいか分からないほど沢山ある。だが私の手にはMさんのマップがあった。これは何とも心強い。まずはお茶屋街に入ってすぐのところにある広い間口の祥泰茶荘が目に入る。初心者はここに行け、と書かれていた茶荘だ。

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入っていくと、かなり広い店には茶葉の袋がそこら中に置かれており、雑然とした感じで、如何にも問屋だった。近隣の農家から茶葉が運ばれてくる。その茶葉を奥で製茶しているようだ。その店の中央に若者が一人立っていた。そこへ近づき声を掛けた。彼は『博物館の紹介?』と聞いてきたので、『今日は休館日だよ』というとかなり意外そうな顔で、休館日なんかあったのか、と小声で言う。

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取り敢えず座って茶を飲み始めた。あまり包種茶らしいお茶を好まない、というと、ちょっと発酵度の高い、老茶と呼ばれる茶を出してくれた。今日は結構涼しいので、このお茶葉は有難い。特に朝一に飲むのに向いていた。店内を見渡すと、台湾のあらゆるお茶がありそうで、楽しみだった。

 

しかしこの若者はお茶の話題より、日本の話が好きなようだった。越後湯沢の日本酒博物館や福岡のラーメン屋の話で盛り上がる。台湾人の日本好きは相当なものだが、彼は酒やラーメンの本(中国語に翻訳されている)をよく読んでいるようで、年に一度は実際に日本に遊びにも行っているらしい。彼はこの店の4代目、かなり余裕がある。そんなに儲かるのだろうか。

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時々後ろの方をお父さんとお兄さんらしい人が動き回っているが、彼らは製茶担当のようだった。何だかんだで居心地がよく2時間以上居座っていたが、いざ何かお茶を買おうかとした時に、ベンツに乗ったお金持ち風台湾人3人がいきなり入って来て、茶を飲み始めたので、退散した。

 

続いて、この辺では有名な文平茶荘に行ってみる。付近には同じような店名がいくつかり、迷う。そして何とか見付けたのだが、店には誰もいなかった。食事にでも行ったのだろうか。仕方なく、この道を端まで行ってから戻る。それでもいなければ食事をしようと決めていくと、王さんが座っていたので入っていく。包種茶のコンテストでは常に入賞する有名人。コンテスト茶も飲ませてくれたが、私が好きな焙煎が比較的強いお茶も淹れてくれた。

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彼は根っからの茶農家であり、茶園管理をしっかりやり、焙煎にもこだわり、いいお茶を作ることには自信があるという。だが『コンテストで入賞したからって、お茶が売れるわけではない。そこが問題なんだ。消費者が求めている茶とコンテストで入賞する茶は全く別物さ』と内情を打ち分ける。30年前ならどんなお茶でも売れたのだが、今や台湾にもお茶が多過ぎた。

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そして『中国からの観光客は「茶葉は丸まっていないと台湾茶じゃない」という概念を持っているので、丸めてみた。品質なんかどうでもいいんだよ』と言って、包種茶を丸めて見せた。なるほど、お茶を売るとはそんなものか、とちょっと悲しくなる。いいお茶とは何か、ということをここでも考えさせられた。ただ坪林は阿里山ほど大陸客が来るわけでもないらしい。

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何だかんだで昼時になる。少し雨模様ながら、その頃にはそれなりの観光客がおり、皆が食堂で食事し始めている。坪林の名物は何だろうかと考えたが思い付かない。いつもは茶農家の美味しい昼飯をご馳走になってきているので、街で食べたことなどなかったのである。

 

取り敢えずお客さんが多そうなところに入る。一人だと頼むのも結構面倒だ。炒飯と団子スープで十分だろう。この店はお茶の販売もしており、そのプロモーションも兼ねて、おじさんがお茶を入れて持ってきてくれる。これは嬉しいサービスだ。だが食事は観光客料金であり、量的にも一人用ではなく、食べ切るのに苦労する。

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食べ終わると早々に店を出て、散歩する。坪林にも老街がある。古い廟を中心に、ごく一角だけが保存されている感じだが、この道にも何軒かの茶荘があった。情報によるとここにもお勧めの茶荘があると書かれていたが、探してもどれだか見付からない。腹も一杯なのでウロウロと運動した。

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ちゃんと真面目に探さなかったからだろう。実は私は、包種茶を沢山飲むことができない。どうもあの緑茶っぽい味が得意ではない。午前中の2軒だけでかなりの量を飲んでしまっていたので、ちょっと辛くなっていた。しかしMさん情報には合計7軒の店が掲示されている。あと5軒行くのは無理だな。近くの茶畑を見て和む。包種茶以外のお茶も飲みたいのだが。

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突然行く台湾北部茶旅2015(2)坪林 休館だった茶業博物館

居酒屋の店長

午後2時に知り合いのBさんと会う約束をしていた。電話を入れて、中山駅付近で会うことになった。雨の日曜日の午後、その付近は混雑していた。喫茶店は満員で席がない。台北というのはどういうところなんだろうか。景気はいいのだろうか。まあ、新宿でも同じか。

 

何とか席を見つけておしゃべりした。彼には前回台南や台東の旅で知り合いをたくさん紹介してもらい、大変世話になっていた。ミュージシャンや俳優の顔を持つ彼の人脈は、当然台湾に住む、ほかの日本人とはかなり違っており、またその知り合いが皆さん何ともユニークで面白い人ばかり。人生、こんな人々と楽しくやれればいいよね、と思える人ばかりだ。

 

彼と前回会ったのは今年の5月だったが、その直後に重大な変化があった。何と居酒屋の店長になったというのである。一体どういうことだろうか。まあそれでは、ということで、一端宿に戻り、夜その居酒屋へ行ってみることになった。香港時代からの友人のH夫妻とお嬢ちゃんもやってきた。更には大学の後輩であるFさんも登場して賑やかな夕飯となった。

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1階にはいい感じのカウンターがあり、地下にはゆったりしたスペースもあった。かなり広い店だ。このお店、映画監督がオーナーで、そのお父さんが洋食のシェフ(日本でずっと洋食を作っていたそうだ)、お母さんが家庭料理を作って出すという面白いコンセプト。作り手は日本人だが、お客は台湾人が多いようだ。ハンバーグのデミグラスソースなどといわれると食べたくなる。新鮮な魚、オムライス、おばんざいなど、に次々反応してしまう。今日日本から来たとは思えないリアクションだ。店内には映画のポスターなどが展示されている。

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Bさんは見事に店長をやっていた。本人に言わせれば、この店は劇場であり、店長という役柄を演じているのだとか。なるほど、まさにそんな感じだ。中国語でも日本語でも、実にハマっている。そして店員の台湾人がやって来て、マジックを見せてくれる。それまで静かにご飯を食べていた子供の目が輝く。ただの居酒屋ではないぞ、ここは。更にはお客がいなくなった後、店長自らギターを取り出し、即席コンサート。弾き語りが良い。楽しい夜を過ごした。

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12月7日(月)

2.坪林

坪林まで

今回の旅で予定のない旅。翌朝は坪林に行くことにした。坪林といえば、包種茶で有名な茶産地。私は15年前に偶然ここを訪れ、茶農家と親しくなり、何度もその家へ行っていた。だがここ5年間はご無沙汰だった。包種茶は緑茶に近い烏龍茶だが、高山茶など、他にも飲みたいお茶が増えてきたからだろうか。今回はMさんの教えてもらった店を訪ねてみることに。

 

いつもは茶農家に連絡すると地下鉄の動物園駅まで車で迎えに来てくれていたが、普通はどのように行くのだろうか。昔1度、台北駅近くからバスに乗っていったことがあるが、えらく時間がかかったことは忘れられない。確か新店までは地下鉄で行ったほうが早かったはずだ。しかし今回はMさんからの情報で、『新店まで行かずに大坪林駅で降りてバスに乗ったほうが良い』と聞いていたので、その通りしてみる。

 

大坪林駅、そんな駅があったんだ、大そうな名前だな。駅で降りて地上に上がるとバス停がいくつかあったが、どこから乗るのか少し迷う。もう少し先に行ってみると、『新店‐蘇澳』行きのバス乗り場があった。ちゃんとチケット売り場まで設置されている。このバスに乗り途中で下車することが分かる。52元でチケット買う。1時間に一本、バスがあるらしい。少し時間があったので横の店で朝ご飯を食べる。バスに乗る人々が次々に買っていくので、店はかなり繁盛していた。蛋餅と肉まん、豆乳という定番朝食を食べながら発車を待つ。

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バスは3列シートでかなりゆったりしていた。自由席。高速道路に乗るので速いと聞いていたが、月曜日の朝だからだろうか、何と高速でちょっと渋滞にはまる。30分で坪林に着くと言われていたが、何と50分ぐらいかかってしまった。これなら新店からバスで行ってもあまり変わらないような気がする。

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教えられたバス停で降りたが、そこは学校の前。そして周囲に目立つものはない。取り敢えず今日の目的地である坪林の茶業博物館を探すと、橋を渡った向こう側に見えた。この博物館、10年以上前に一度見学したことがあるが、どんな展示だったかまるで記憶がない。今回はある方の希望で、ある物があるかどうかを見るために、やってきたのだが、時間はまだ9時過ぎだった。これならゆっくり見ることができるし、学芸員を探して聞くこともできそうだ。

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ところが正門は閉まっていた。まだ早過ぎるのだろうか。表示板を確認して愕然となる。今日は7日、『月の第一月曜日』、つまり月に一度しかない休館日だったのだ。そんなバカな、と思っても仕方がない。これもあまりにいい加減な、全く事前調査をしない旅を続けてきたツケが回ってきたのである。

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門の向こうに人が見えたので呼びかけてみると、反応があった。おばさんに『日本からわざわざ来たので、何とかならないか』と言ってみると、おばさんは中に入っていって聞いてくれたが、答えは『ノー』の一言だった。今や台湾でもそんな便宜は図られない。さてこんな朝早くからどうするんだ、俺は。

 

突然行く台湾北部茶旅2015(1)なぜか台北へ

《台北茶旅2015》  2015年12月6-11日

 

11月に台湾南部を旅していた。確かに台湾はいいところだな、と実感できる旅ではあった。だがしかし、まさか3週間も経たないうちにまた台湾に来ることになろうとは全く想定外だった。何か台湾に引き寄せられることでもあるのだろうか。そう思って試しに前回会えなかったジョニーに連絡してみたら、『え、その時は箱根の温泉だよ』との答え。あんまりご縁はなさそうだな、今回の台湾。

 

ところでなぜ台湾へ行くのか。それは台湾とは関係がなかった。実はためていたマイレージの期限切れが12月に迫っていることに突然気が付いたからだった。これまでも期限切れは起こるはずだったが、一度もそれを気にしなかったのは、北京に留学していた息子が年に2回、確実にマイルを消化していたからだった。その彼も昨年帰国してしまっており、今回目の前にマイルが現れてきた。

 

どうして台湾になったのか。それは最小マイルで行けるところだったこと。中国や香港、韓国には別途行く予定があったので、消去法で台北になってしまったという訳だ。しかも台北行きはローシーズンということで、通常2万マイルのところ、1.7万マイルでよかったのも影響していた。そんなに混んでいないというのも有難いと思ったのだが、なぜか事前の座席予約ではお気に入りの通路側を取ることが出来なかった。2週間前の予約で?何とも幸先が悪い。

 

12月6日(日)

1.台北

台北まで

12月の東京は夜明けが遅かった。6時過ぎでも外は真っ暗で、清掃車が駅前に駐車していたのが、それをよく表していた。羽田空港まではいつものように電車で行った。日曜日なので電車は混んではいない。カウンターで聞くと『通路側の座席が用意できます』との答えでホッとしたが、何故予約画面には通路側座席が1席も空いていなかったのかは、全く不明だった。

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それにしても羽田空港の税関審査の長蛇の列は何とかして欲しい。アジアの空港では審査に時間のかかるところが多いのは事実だが、これほどまでに効率の悪いところはあるだろうか。兎に角丁寧すぎるのである。スピードというものがまるで感じられない。中国人などは『これこそ日本の良さ』と思っている人もいると聞いて、驚いてしまったが、どうなんだろう。

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ローシーズンということだったが、フライトはかなり混んでいた。今や中国には行かない日本人の行き先ナンバーワンは台湾ではないかと思うほど、日本人は台湾によく行く。全日空もこの季節にこんなに乗客がいるとは想定外だったのかもしれない。機内の映画はなぜか木村拓哉主演のHEROを見る。何と事件が起こった日時が12月6日の午前11時、まさに今見ているこの時間じゃないか。単なる偶然ではあるが、こんなところにも何かあるのではないか、と思ってしまう私。

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12時半に無事に松山空港に到着。中華電信で3週間前に買ったシムカードを出してみるが『これ、使えません』とあっさり言われ、新規購入。実は前回、なぜか電話が使えなくて困った旨伝えると、おにいさんが、一生懸命、その理由を探っている。彼は実に丁寧な言葉遣いであり、しかもかなりのノウハウを持っているように見える。オタク系のスタッフである。だがその彼でも、結局原因はつかめず、今回もスマホは使えても電話はできない状態に。これは困るので仕方なく、もう1枚100元のシムを購入して、予備の携帯に挿入する。

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駅前の宿

それから地下鉄に乗り、台北駅前に着く。何となく雲行きが怪しい。雨の気配だ。いつもと違う宿を予約したが、やはり駅前である。簡単に見つかると思ったが、どうも最近方向感覚がおかしい。スマホで位置を確認して、何とかビルにたどり着く。古いビルでエレベーターなどない。1階で呼び出すと管理人の日本人が降りてきて案内してくれた。4階まで上がるのは結構大変だ。

 

最近はこんな感じの日本人宿が増えているらしい。ここも1年半前に出来たとか。前回の経験からドミトリーには泊まらず、個室を予約。個室は更に1階上にあり、結構快適な空間だった。快適な空間なら、リビングに出ていく必要もなく、結局この宿に3泊したが、殆ど宿泊者との交流はなかった。

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個室だと料金的にもそれほど安いわけでもなく、それでいて階段の上り下りは大変だ。部屋にトイレもない。それでも泊る理由があるとすれば、それは管理人や他の宿泊者との交流、情報交換などだろうが、それをしないのであれば、ホテルに泊まる方が快適なのである。まあ、宿泊客もそれほど多くなく、トイレやシャワーで困ることはなかったが、何だかなあ。

台湾南部ぶらり茶旅2015(20)台南 最後の晩餐

夕飯

安平から戻ると、結構疲れてしまい、宿でシャワーを浴び、ベットで寝転がる。台南最後の晩は、ちょうど東京から出張で台南に来るNさんと待ち合わせている。彼女が宿泊している高級ホテルは、旧市街地の端にあるが、20分ぐらいトボトボ歩いていく。駅前などは開発されていないが、この付近は立派な建物が多く、ホテルもきれいだ。新しい街だと言える。

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Nさんがお客さんから聞いたという夜市へ行こうかと思ったが、夜市は毎日やってはいない。近所にもいいところがあるというので、何となく歩き出した。私はたった今、歩いてきたので、道には自信があると言って先導したのだが、何と全く違う方向へ歩いて行ってしまった。実は最近、方向感覚がかなり怪しくなってきていた。昔はさっと歩き出せたのに、今や何度も地図を見返して、そして迷う、間違う。若い頃、記憶力と方向感覚に自信があっただけに、この2つを失うことで、歳をとったな、とつくづく感じている。旅には方向感覚、重要なんだが。

 

Nさんのスマホで何とか、小さな食べ物屋が並んでいる道に着いた。彼女はどうしても魯肉飯が食べたいと言ったのだが、どこの店のメニューにもこの名前はなかった。どう考えてもおかしい、定番である魯肉飯がないなんて。食べ物屋街を一周して、残念ながら諦める。そしておいしそうな店を選び、魚団子スープを頼み、肉燥飯という飯を頼んでみると、何と魯肉飯とほぼ同じものが出てくるではないか。台南では肉燥飯というらしい。初めて知った。

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後で聞いてみると、使っている肉の種類が違うとか、薄めの醤油を使っているとか、色々と定義があるようだった。この辺のこだわりは日本的。まあ、そんなことはどうでもよい、美味ければ。因みに珍しいというので魚鬆飯も頼んでみた。これは魚でんぷがご飯の上にかかっており、あっさりしている。肉燥飯と混ぜるとおいしいとの話もあったが、どうだろうか。

 

更にNさん、どうしても意麺も食べたいというので、彼女が前回入れなかったという人気店を探した。今回は直ぐに席が確保できた。汁なしと汁ありを両方頼んで食べてみた。昨晩アナバーで食べている私はさほど感動しなかったが、Nさんは満足だったようだが、既に腹の膨れ具合は半端ない。私は隣のカップルが食べていた、内臓系のおでんのようなものが食べたくなり、それも頼んでしまった。これも腹に入れると、もうさすがに動けなくなる。

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Nさんは林百貨に行きたいという。スマホで検索するとそれほど遠くないというので、腹ごなしの散歩をする。暑くないので快適である。途中にまた、食べ物街があったが、今度こそ手が出なかった。林百貨はきれいにライトアップされていた。中に入ると、土産物が並んでいる。完全な観光地、土産物屋となっている。林はリンではなく、ハヤシと読む。この百貨店は日本時代の1932年に山口県出身のハヤシさんが作ったものだった。当時は台南で唯一エレベーターがあったらしい。屋上には神社まである。台南市内が一望出来たことだろう。

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宿へ戻ると、日本人が数人で談笑していた。旅の技術から、危険な目にあった話など、早く寝ようと思って帰ってきたのだが、ついつい引き込まれて、12時過ぎになってしまう。中には『会社を辞めて旅に出たいが』という若者もいた。私は意見を述べる立場にはないが、『やりたいならやれば』と言ってみると、家庭の事情などでそれはできないのだという。私は幸せ者だ、と教えられる。

 

11月18日(水)

翌朝もゆっくり起き上がる。フラフラと天后廟などを見学して、永楽市場で海鮮粥を食べて、満足する。今回の台南は終わりだ。昼に宿をチェックアウトして、荷物を引いて台南駅へ。そこからまた各停で高雄駅へ戻り、そこで駅弁を買って食べ、地下鉄で空港へ行った。

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既に懐かしい感覚を持つ高雄空港。初日にここで荷物を失くしてから始まった旅。今回もまた、台湾の人々に助けられて、面白い旅が出来た。台湾は決して見返りを求めないだろうが、感謝せねばなるまい。土産物屋をちょっと覗くと、何とそこではジョニーのお茶が売られていた。彼も頑張っているんだな、と分かる。ここ2回ほど、彼とはタイミングが合わずに会っていない。

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バニラ航空のチェックインカウンターは2時間半前に開き、長蛇の列になっていた。だが、その処理スピードはかなり速く、それほど待ったという感じはない。これは台湾スピード、日本も見習ってほしい。飛行機は定刻に満員の乗客を乗せて成田まで順調の飛行していった。

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成田に着いたのは午後9時半。税関に少し時間がかかったが、第3ターミナルからバスを探すと、ちゃんと待っており、東京駅まで1000円で行ける。バスではスマホの充電もできた。リムジンバスや成田エクスプレスは何故あんなに高いのだろうか、などと思っていると、東京駅に着いてしまった。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(19)台南 安平に行ってみる

Oさんたちとランチに行く。サバビーの美味しい店があるというので食べに行く。この食べ物、本当に気にいってしまった。店も繁盛しており、昼時でものすごく混んでいたが、何とか座席を確保した。地元の人ばかりだ。サバビーの肚、皮、身の三種類が入っているものを頼んでみる。皮はこりっとしている。腹は何とも柔らかい。まあ、全てにおいて味が良い。Oさんにご馳走になってしまった。開店直前に突然やってきた上に、大変申し訳ない。

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安平へ行く

宿の近くまで歩いて戻ってきた。暑い日だったが、宿で休んでいても仕方がないので、いままで行ったことがなかった安平へ行ってみようと思い立つ。聞くところによると、宿近く、赤崁楼の前からバスが出ているという。そのバス停へ行って、細かい字の時刻表を見てみたが、休日運行など多く、平日である今日、どれが来るのか、よく分からない。一生懸命理解したところでは、あと40分バスは来ないと判断された。さて、どうするのがよいのか。

 

実は私と一緒に時刻表を見ていた台湾の若い女性が二人いた。『バス、当分来ないね』と一言言ったところ、彼女らは直ぐに手を上げてタクシーを停めた。そして私にも助手席に乗れ、と合図する。相乗りはとても有難いので、慌てて乗り込む。運転手は行き先を言う前に『安平だろう』と笑っている。この時間、バスが来ないので、こういうお客が多いらしい。

 

彼女らは台北から来た観光客だった。運転手との間で軽快なトークを展開し、旅を楽しんでいた。運転手が『安平国中という中学校があそこにあるんだ。以前は校舎の上に高々と学校名を掲げていたが、最近外したんだ。何故だと思う?』答えは『台湾では漢字は右から左に書くことがある。するとこの学校名は「中国平安」になってしまうから、大陸観光客が喜んでいたが、台湾人からクレームがついて、学校側も撤去したのさ』と。みんな大笑いだ。若い女性と年配の運転手、日本ならこんな会話になるだろうか。面白い光景を見た。

 

20分ぐらいで安平に到着した。彼女らが下りるというので私も降りて、割り勘分の料金を払おうとすると、何と彼女らは『あなた、日本人でしょう。わざわざ日本から来てくれたのに、交通が不便で申し訳ありませんでした』というと、料金を支払い、さっさと行ってしまった。何と格好いい!思わずそう思ってしまうほど、鮮やかな所作だった。20代の日本人でこんなこと出来る人、いるんだろうか。

 

安平古堡、彼女らはそちらの方へ歩いていったので、私はその外を回ることにした。この街には17世紀のオランダ時代に城が築かれ、その後鄭成功がこの城を攻略、台湾における初の漢人政権ができるが、すぐに清朝政府が占拠。19世紀には貿易が盛んになり、1858年に天津条約で福建省のアモイなどが開港されると、商売を始めたイギリス、ドイツなどの貿易商人がここにも洋館を構えていたようだ。だがこれらも日本時代に徐々に廃止されていく。

 

今は運動場になっているイギリス領事館跡。日本時代も同盟国であったため、ここに残ったのだろう。その後関係が悪化し、撤退したものと思われる。徳記洋行跡は復元され、博物館になっている。その付近にはジャーディンマセソンなど、有名な貿易商も洋館を持っていたようだが、今は記念碑がポツンと建っているだけ。更に歩くと、ドイツの東興洋記跡があり、そこはカフェと展示館になっているようだった。

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その横には日式宿舎、と書かれた木造の建物がある。何かと見てみると、大正時代に後の昭和天皇が台南を訪問した際、宿泊した施設を復元したものらしい。最近の台湾は、旧懐日本ブーム。皇太子の台湾訪問に関連した場所も、大いにクローズアップされているようだ。

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安平古堡は以前確か紅毛城と呼ばれていたような気がする。ゼーランジア城とも言う。入場料を払い、中へ入ると大きな木の下にテーブルが出ていたので、アイスクリームを買って休む。その後ろが、昔の城壁がそのまま保存されており、記念写真を撮っている人々がいる。この城は鄭成功がオランダを駆逐した場所だが、その後はあまり使われなかったようだ。日本時代に荒廃していた城が整備されたとある。鄭成功はここでは「民族英雄」として位置付けられている。

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洋館もそれほど古い感じはない。中には歴史に関する展示があったが、鄭成功がオランダを破って台湾を回復したこと、最後まで大陸への復帰を目指したことが、台湾国民党にとっては都合の良い材料だったことだろう。だが現在はどうだろうか。ちょっと暑いがこののどかな古城を見ていると、複雑な気分になる。

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本当ならもっと歩き回り、あわよくば歩いて台南に帰る、というのも選択肢だったが、なぜかここでエネルギー切れとなる。やはり疲れが出ているのだろう。こういう時は素直にそれに従い、歩くのを止めて、帰ることにした。台湾好行のバス停に行くと、15分後に来ると表示がある。この15分、何もすることがなく、意外と長く感じられる。バスに乗り込むと、すぐに海が見えた。この海沿いを歩くと気持ちがよいだろうな、と思ったが、あっという間に市内に戻ってしまった。次回はもっとゆっくり安平の街を歩いて、何か美味しいものでも食べてみよう。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(18)台南 蕎麦屋を開く日本人

11月17日(火)

台南散歩

翌朝はゆっくり起き上がる。昨晩遅く帰った寝たこと、そしてそろそろ旅に疲れてためだろう。個室なので誰にも邪魔されず、じっくり寝ていられたのは良かった。朝ごはんを食べるかどうか迷い、取り敢えず外へ出てみた。食べたいという気持ちはそれほどなく、付近の散策を始めた。因みに宿のオーナーは横の空いている場所に、建て増し?のための作業をしていた。自らが大工になり、材料も自分で買ってくるそうだ。やれることは自分でやる。

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すぐ近くに日本統治時代に料亭として栄えた鶯料理という店の跡が観光スポットとして保存されていた。建物などは殆どが復元されたもので、あまり古さは感じられない。当時は日本人などが多く集った集会場所のようなところだったとか。どんな日本料理が出されていたのだろうか。ここ台南にも日本時代の建物がたくさん残されていることを知り、興味を持つ。

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鄭成功母子を祭った廟もあった。鄭成功は台湾人から見るとどう映っているのだろうか。廟があるということは、やはり英雄なのだろうか。もう少し歩いていくと、通りの角に旧勧業銀行台南支店の建物があった。重厚で立派な建物で、今も台湾の銀行が使用している。その向かいには林百貨があった。ここは後で夜に行くことになる。この辺が昔の台南の中心地か。

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その先には現在の与党、国民党の事務所があった。来年1月には総統選があるが、国民党が勝つ見込みはこの時点で殆どなかった。台湾人の誰に聞いても、『今の政権は変えなければならない』という意味の発言をしていた。民進党がいいとは決して言っていないが、今の馬総統の政策は止めなければならない、そういう意味だろう。政策とは主に対中国政策だが、中国に頼らずに経済を立て直すことなどどう考えてもできない筈だ。それでもNOという。心配などしていても何も始まらない。如何にも台湾的なこの判断、どうなるのだろうか。

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昨晩蔡さんに教えてもらった台南の面白スポットに向かう。それは単なる廟だった。だがその柱に天使が彫られているのだという。それはどういう時代に何の為に作られたのかは分からないが、とにかくあるというから行ってみる。表の柱を一生懸命眺めてみたが、全く天使は見付からなかった。その辺にいた人に聞いてみても『何の話だ』と相手にしてもらえない。

 

一人の老人に聞いて、ようやくその天使を発見した。天使は柱に絡みつくように、そして笑顔であった。中洋折衷ということなのだろうか。実に不思議な状態である。知らないと言っていた人々も、これを見て驚いていた。『いつも来ているがこんなものがあるとは初めて知った』というのだ。

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帰り掛けに呉園に行った。表の建物は公会堂、という名前になっていたが、後ろの庭には、池があり、岩が置かれ、まさに大邸宅の庭園だった。その横には日本の木造家屋を改造した茶荘もあった。ここのオーナーの名前も聞いていたが、何となく入らなかった。オーナーも忙しいのでいないと思われたこと、ちょっと観光客向けかな、と思ってしまったことが理由かな。

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蕎麦屋を作る日本人

府中路を目指して歩いていく。雰囲気の良い木々が並んでいる。そこはちょっとお洒落なエリアになっており、観光客に土産物を売る店などが何軒もあった。突き抜けると孔子廟に当たる。1655年に創建されたというから台南でも古い廟だ。説明書きの中には1923年に昭和天皇が皇太子時代に訪問したことまで書かれている。リスが木を伝っており、皆がスマホを向ける。

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府中路から横道に入ると、そこは迷路のように小道が入り組んでいた。そこを辿っていくと目的地に到着した。小さな庭先には男女が立っていた。一瞬日本人とは分からなかったその男性がOさんだった。向こうも私を日本人とは思わなかったようで、ぎこちない出会いとなる。

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OさんはBさんの音楽仲間。沖縄の三線奏者だというが、東京出身らしい。そして何と彼はここに蕎麦屋を開店しようとしていた。蕎麦打ちの修行もしており、台湾人に蕎麦の打ち方を教えるイベントなどをやっているとか。その開店は今週の土曜日に迫っていた。居抜きで借りた店は、元は日本料理屋だったという。建物は日本時代に建てられたもの。家の壁には1945年に米軍の空襲を受けた際に残った弾痕がある。庭の井戸はいまだに使われており、こじんまりしていて雰囲気は良い。まずは週末営業してみるというが注目を集めるだろう。

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実はOさん、台湾に関した本も出している。この本、泊っている宿にも置いてあったのでぱらぱらと眺めたが、バイクと徒歩で台湾を一周していた。庶民との触れ合いにより、台湾を理解していく姿はよい。Oさんは実に多彩な面を持っており、若いが面白い存在だと言える。蕎麦屋の成功を祈ろう。

 

台湾南部ぶらり茶旅2015(17)台南 繋がっていくご縁

そしてBさんが紹介してくれたもう一人の人物、阿勇の店に行く。店の場所がちょっと分かり難かったのだが、それも楊さんが教えてくれており、スムーズに行き着ける。暖暖蛇珈琲、という名のそのカフェは、やはり古い民家を改造しており、ちょっといい感じだった。阿勇はPCをいじっていたが、私をカウンター席に案内して、自らコーヒーを淹れてくれた。このカウンターがまた、木で出来ている。電源も沢山あり、若者のニーズに応えている。

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このお店、コーヒーを頼んだのに、まずはビールが出てきた。わざわざやってきた日本人の為に出したのか、と思ったら、何とそのビール瓶には水が入っていたのだ。しかもその瓶はミャンマービールのものだった。どこから手に入れたのだろうか。伝票にはボーディングパス、と書かれている。何だかとてもユニークな店だが、どうしてこうなっているのだろうか。

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阿勇はイギリス留学経験があり、旅行好き。この店でも旅をしている気分なのだろう。台南で見るべきところを尋ねると、『それは蔡さんに聞くといいよ』と言われる。実はこの蔡さんにもFBでメッセージを出したが、返事が来ていなかった。もっと話を沢山聞きたかったが、友人がやってきて、夕飯に出ていってしまった。取り残された私は、居心地の良いカウンターでコーヒーを飲み、まったり。このスペースではBさんのライブも行われたという。いい空気が流れていた。

 

突然の連絡

その蔡さんは、台南で宿を経営していると、Bさんのメッセージに書かれていた。こうなったら直接訪ねてみようと思い、その宿を検索して歩いて行ってみる。この付近は古き良き台南が残っている場所。ライトアップがされているところもあるが、今も庶民が普通に暮らしているところも多くある。そんな一角に宿はあるはずだったが、いくら探しても見付からなかった。

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諦めて宿に戻る。宿には1か月もここに滞在している日本人がいた。台南が気に入ったので、これからここに定住するため、住処を探しており、ようやく目途が付いたという。なるほど、そういう旅の仕方もあるのだな。私も来年は茶旅5年を終えるのだから、次は旅の仕方を変える必要がある。この宿の一階のリビングで話をしながら、ネットをチェックしていた。

 

すると、突然FBにメッセージが来た。あの蔡さんから『会いましょう』という連絡だった。では明日、と書くと、明日は仕事で忙しいので、これからが良いという。午後9時にファミマの前で待ち合わせた。ファミマは通りに面しており、この宿へ来る一つの目印であった。何故突然このような展開になったのか、分からなかったが、後で聞いてみると何と先ほど会った阿勇が蔡さんに電話してくれていたのだった。何ともご縁を感じる繋がりだった。

 

ファミマにやってきた蔡さんはバイクだった。メットを渡され、彼の後ろに乗り込む。先ほど彼の宿を探したあたりにやってきたが、何と看板もなにも出ていない民家だった。分からないはずだ。中へ入ると、単なる民家のように見えた。1階は広いリビングスペース、2階にはお洒落な屋根裏のような部屋が2部屋あり、最大6人が泊まれるスペースとなっている。この宿は一軒貸しをするとのことだった。なるほど、面白い。泊まってみたい空間である。

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しかし宿の名前「屎溝漧客廳」とは何だろうか。実はこの建物、蔡さんの親戚が住んでいた物をリノベーションしたらしいが、昔の建物で、トイレがなく、汚物が家の中に作られた溝を流れていた?ことから、その名を付けたらしい。なんだそれは?ちょっとギョッとするそのネーミングもまたユニークだ。このスペースでも映画の上映会やコンサートが出来るという。

 

蔡さんの本職はカメラマン。日本に留学経験もあり、来月も東京の骨董市に行くというほど、日本が大好きである。また同時に故郷台南も大好きであることが分かる。カメラマンとしての目線で、台南の良さを色々と見てきており、私にも台南の隠れた見どころをいくつか紹介してくれた。阿勇がなぜ蔡さんに会うように言ったのか、その意味がよく分かった。

 

夜も11時になり、そろそろ帰ろうかと思って立ち上がったところ、蔡さんが『さあ、これからテレビを見よう』という。何でこんなに夜遅く、テレビを見るんだろうかと思っていると、何と我々を繋いでくれたBさんがテレビに出ていたのだ。外国人クイズ大会、彼は流暢な国語を使い、得意の歌もちょっと披露していた。この番組は録画であったが、蔡さんは早々Bさんに電話を掛けてからかっていた。私と蔡さんが今晩ここで会ったのも決して偶然ではない気がした。

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番組が終わり、さすがに帰る。蔡さんがバイクで送ってくれたのだが、『腹減らないか?』と聞かれたので、ちょっと空いたと伝えると『アナバーへ行こう』という。夜遅くまでやっているバーで何か食べるのかと思っていると、バイクが着いたのは、昼間は市場になっている場所。その隅で屋台が営業していた。ここで名物意麺を食べた。汁なしで、スープは別に付いてくる。これもまたウマイ。そしてここがアナバーではなく『穴場』という日本語であったことが分かる。蔡さんのユーモアだったのだろうか、私の聞き違いだったのだろうか。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(16)台南の檳榔屋さん

7.台南

ゲストハウス

台南駅に降りたのは10年ぶりだろうか。駅を眺めているとそれほど大きく変わった様子はない。自動改札が出来たぐらいだろうか。台南にも21世紀になってから宿泊した記憶はない。確か半日グルメツアーで食い倒れをしたことがあったはずだが、それも遠い過去のこと、よく覚えていない。前回来た時は、街も何となく暗く、活気がなかったように感じた。隣近所、親戚が中国大陸へ移住した、という人が何人もいた。シャッター通りもあったような。

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荷物を引いて、街を歩いていく。古い、という点ではそれほど変わりはないが、それはどこでも駅前は開発に向かないからだろう。涼しかった鹿野から台南へ来ると、暑さが身に染みる。歩いて10分ほどの宿に着くまでに、相当の汗をかく。当然道は荷物を引くには適しておらず、アップダウンに苦しみ、バイクを避けながら、何とか進むので、その疲れが加わる。

 

その宿は、数人の知り合いから『台南に行ったら泊まってみて』と紹介されたものだった。大通りからはかなり入っているので分かり難いと聞いていたが、ちゃんと道順を示す地図が公開されていたので、その通り行くと意外と簡単に見つかった。確かにこんなところに宿があるとは普通は気が付かないだろう。予約していなかったら、他を探していたかもしれない。

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宿は民家の中に埋もれるようにして建っていた。季節はずれなのか空いていた。それでも高雄での経験を踏まえて、ドミトリーを避け、個室をお願いした。個室は3階、そしてトイレは1階にしかない(老人にはトイレが大切な要素だ)、という不便さを除けば、快適なところだった。2年半前に日本人オーナーが始めたこの宿。台南に来るバックパッカー、安宿志向の日本人にウケている日本人宿だった。

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檳榔屋へ

Bさんから、台南の知り合いを何人か紹介してもらっていた。FBでメッセージを送るとすぐに反応してくれたのが楊さんだった。まずは彼を訪ねてみようと、住所を見ると宿からそう遠くないので、何も考えずに歩き出した。『馬路楊檳榔會社社長』と言う肩書がFBには書いてあったが、一体どんな人物なのだろうか?ちょっと謎めいていて興味をそそられる。

 

言われた通りに歩いていくと、やがて看板が見えた。そしてその下へ行くと、楊さんと奥さんが檳榔を詰めていた。えー、本当に檳榔屋さんだったんだ?!それは面白い。以前はトラック運転手など、檳榔をかむ人が多かったが、今では相当減っているらしい。『昔は10人もの人を使っていたが、今は夫婦二人で十分だよ』と言いながら、盛んに手を動かしている。

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楊さんの周囲には写真が沢山貼られており、特に歌手の一青窈さんと一緒の写真が目に入る。すると『これが妙さんの本』と言って、1冊の本を取り出す。一青窈さんのお姉さんである一青妙さんの『私の台南』という題名で本である。一青姉妹は日台のハーフである。その中に楊さんのことが出てくるというのだ。この本がきっかけで、台南を訪れる日本人が次々と彼のもとにやってきている。写真を撮り、FBにアップし、台南の紹介、宣伝に一役買っている。私も一緒に写真を撮り、そしてノートにサインした。No.158という番号が振られた。

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楊さんと話している間、彼は何かとても忙しそうにスマホをいじっていた。聞いてみると、来月妙さんのイベントが台南であるため、その打ち合わせをしているらしい。彼女と直接、ラインでやり取りしている。何とも不思議な人物だが、これ以上邪魔するのも何なので、『この辺でうまい物はあるか』と聞いてみると、すぐそこの牛肉湯を食べろ、と勧めてくれた。

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腹が減っていたのでまだ5時台だったが、言われた通り牛肉湯の店を探して、入る。魯肉飯もいるか、と聞かれたので、追加注文した。牛肉麺は聞いたことがあるが牛肉湯?以前はそんなに流行っていたとは思えない。だが、一口すすってみると、これは牛のうま味が十分に出ていて実にうまい。さすが台湾食文化の聖地、台南人が美味いというのだから本物だ。

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さて、会計をしようと思い立ち上がると向こうから若者がやってきて、いきなり『会計は済ませましたよ』というではないか。一体誰なんだ?何と彼は楊さんの息子だった。『日本人がわざわざ訪ねてきたのに、お構いできなかったので、せめてものしるしだ』という。えー、これには驚き、急ぎ店に戻り、楊さんに礼を言った。勿論Bさんの紹介、ということが大きいとは思うのだが、このような扱いをされるとビックリするやら、何と言ってよいやら。楊さんは一言『美味かっただろう!』と言って笑っていた。こんな交流、日本で出来るかな?

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夜の散歩

それから台南の案内人である楊さんが教えてくれた、夜のライトアップがきれいな神農街へ行ってみた。楊さんの店からすぐのところにある、小さな道だったが、昔の建物が見事に残され、お店になっていた。観光客誘致に力を入れる台南、古き良き街のアピールが伝わってきた。

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台湾南部ぶらり茶旅2015(15)鹿野 茶業改良場を訪問

私は皆が帰ったであろう、6時過ぎに店に入る。おばさんがまた来たか、という顔をした。観光客でここに二晩も泊る人間などいないのだろう。例えいたとしても、車で来て、食事は郊外の道路沿いのレストランへ行くに違いない。私はある意味で怪しい人だということだ。

 

今晩は魯肉飯とキャベツ炒め、そしてスープを頼んでみる。スープは野菜がたっぷり入っており、味もよかった。キャベツは勿論新鮮でシンプルに炒められている。家庭料理の延長だが、こんな定食が、実に有難い。おじさんが二人、酒を酌み交わしながら、何やら議論している。台湾語なので何を言っているか分からないが、結構白熱してくる。おばさんはじっと見ている。恐らくある程度以上エキサイトしたら、家の人を呼んで引き取ってもらうのだろう。。

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11月16日(月)

翌朝も早く起きた。鳥のさえずりが心地よい。1階で朝食を食べていると、『今日は改良場へ行くんでしょう?』と奥さんに聞かれる。一昨日出会った場長さんと9時に訪ねる約束をしていたが、問題があった。どうやっていくのか、勿論場所も分かっているし、歩いていくことは可能だ。だが、荷物をどうするのか。一度そこへ行き、終わったら民宿に戻って、荷物を持ってバスで台東へ行こうかと言うと、奥さんは『場長さんに迎えに来てもらおう』と言い出す。

 

いくらなんでも初めて会った偉い人に迎えに来てほしいなどとは、日本人としてはとても言えない、というと『電話番号を貸しなさい』と言われ、彼女はあっさりと場長に電話してしまった。『田舎ではこんなことはよくあることよ』と全く意に介さない。9時前に改良場の車がやってきて、荷物を積み込み運ばれて行った。これもまた台湾ならでは、であろうか。日本でも田舎ならそうだろうか。実に呆気なく、この素晴らしい民宿をチェックアウトした。

 

茶業改良場にて

5分で改良場に着いた。運転手は私の荷物を2階まで運んでくれた。場長の呉さんが待っていてくれた。早速鹿野の茶業改良場の歴史などについて教えてもらう。ここは他の改良場と異なり、1984年というかなり新しくできた場所であり、その設置理由は、東部の産業振興にあったであろうことは想像できる。呉さんの担当地域も鹿野だけではなく、花蓮までの東部全体が含まれていることから、何故近年花蓮付近で紅茶製造が盛んになってきたのか、その理由が分かるような気がした。

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直ぐに茶畑へ出てみる。この改良場の周囲は全て、試験用に植えられた茶畑であることは昨日既に見ていたが、実際にそばで見てみると、その品種の多さは驚くほどだ。台湾の品種は当然としても、世界の色々な品種をそろえている。日本のやぶきたまで植えられているのである。これらを使い、日々この地に適した新品種の開発をしているようだが、それは大変な苦労であろう。

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改良場内には、試験用の製茶工場まであり、実際に茶葉を摘み、お茶を作っているという。お茶も実に様々な工夫を施し、挑戦している。烏龍茶をお椀型の沱茶にしてみたり、黒茶にあるブロック型の磚茶に固めたものもあった。如何にして茶を作り、如何にして売るか、実践的な解決が求められている。ただ茶農家や茶商ではないので、あくまでも茶の普及が目的ではあるが、単なる研究ではことは済まないようだ。

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台湾における野生茶樹についても聞いてみた。先日阿里山で見た、老木のことが頭に引っかかっていた。確かにこの付近の山中にも、老茶樹は存在し、それを野生とか、在来とか、山茶と呼んだりしているが、それが中国大陸かどこからもたらされたのか、それとも古来より自生しているのかは、よくわかっていないようだ。やはりかなり難しい問題であるらしい。

 

鹿野駅から

あっという間に2時間が過ぎ、お暇することにした。申し訳ないが、また荷物を積み込み、車で送ってもらった。鹿野駅までは坂を下りていくだけ。車なら10分で着くが、歩くと1時間弱かかるかもしれない。もしバスを待つと何時間に一本しかないらしい。これは大いに助かった。鹿野駅の周辺は本当にローカル駅の風情が漂っていた。駅で写真を撮っていると、駅員の女性が『列車に乗るのか』と聞いてきた。何と5分後に高雄行きの自強号が来ると言うのだ。この駅、自強号が停まるんだ。

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慌てて切符を買い、ホームに行く。私は時刻表など見ていなかったが、どうやら1時間に一本程度しかない列車に偶然乗れたようだ。これも全て送迎のお陰。バスで台東に戻っていたら、それだけでも2₋3時間違っていただろう。何とも面白い旅だ。列車は15分後には台東駅に着いた。そしてそのまま、屏東を経て、2時間半後に高雄に戻った。途中、車内販売で台湾鉄道名物の弁当を買い込み食べる。排骨、たまご、さかなどが入って80元で大満足。

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高雄から速い電車に乗り継ぐことはできるのだが、それでは面白くないし、時間も節約できているので、ここは敢えて各停で台南へ行く。一度改札を出て、自販機で切符を買い直す。台南まで1時間乗って、68元、やはり安いな。各停も意外と混んでいて、何とか席を確保する。台南まで乗客はどんどん入れ替わった。ここまで乗る人は、やはり自強号などに乗るものだ。

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